全13件 (13件中 1-13件目)
1
橋田寿賀子さんの『源氏物語』のテレビドラマの再放送が昨日今日の午前中にやっていたのをなにげなく、チャンネルをあわせたらみつけてしまい、そのまま見入ってしまいました。おかげで年末の掃除も片付けもそっちのけの年末でした。ビデオにとればいいんだけど、やはり、みてしまったあ。本放送はいつやっていたのでしょう。ぜーんぜん気づかなかった。 これが以外におもしろくってねぇ。 なんといっても、東山くんの光源氏がいいですね~。細面のしょうゆ顔の日本的美男子。光源氏にピッタリ~。ずいぶん前に、ジュリーがやったことあるけれど、私的にはいまいちだったし。(おにおこぜさんごめんなさい。)映画では、宝塚の元男役の女優天海祐希さんがやっていて。光源氏が女なの苦しかった。 やはりテレビドラマだと、八時間もの時間をかけて作れるところがいいですね。それでも、やはり、はしっょてあるのはやむ終えないけれど。たちばなの君も、朝顔の君も、うつせみの君も出てこなかったしね。 でも、女優さんたちがみんな年配で。上の巻は、東山君だけが若くて、辛いものがありました。源氏の生涯なので、後半の高齢になった源氏にあわせてあったのでしょうが。でも、久しぶりに見る大原麗子がかわいかった。やっぱりかわいい女優さんなのですね。小手川裕子の明石の君もよかった。美しくて、聡明で、謙虚だけど、気位の高いところとかがね。うまく出ていて。 でも、明石の君が、生んだ娘を紫の上に預けるために、別れるシーン。 泣けました。 もう。昔はこのあたりの部分って、漫画で読んでいても、あんまりわかっていなかったけれど。娘を育ててみて、生んだばかりのわが子を他人に預けて、そして、二度と会えないかもしれない時の辛さ。自分の人生経験があるからこそ泣けるんですがね。私だったらもう、辛くてつらくて、つらいだろうなぁ。出来ないかもしれない。 ドラマの演出的には、子役の子があまり演技がうまくなくて、迫真のシーンには、なっていなかったのですけどね。 でも、いままで、ドラマや映画や、漫画も読んできて大体のストーリーは知っているのだけれど、橋田さんの脚本は微妙に橋田風に変えてあり、ある意味わかりやすかったです。登場人物たちの心理というか、気持ちも、みんな、非情にわかりやすくセリフにしてあって、さすがに、橋田寿賀子ですねえ。 源氏物語って単純にプレイボーイの光源氏を主人公にしたラブストーリーだと思っていたけれど、今回見ていてつくづく、人の生きていく上での悩みやつらさ、人生の試練、人の世の理(ことわり)というか、人間社会の全てのことが1000年前に書かれたこの物語の中に全てえがかれていたのだなと、驚きました。出世争いや、後宮での帝の寵愛を競っての争い。息子の夕霧をあえて、官位の低いままに学問をさせる。このあたり、こんな昔でも、紫式部は学問の大切さを語っているのですよね。しかも、末摘花の君も、漢書を読んでいて、勉強熱心な女性だったのですね。 この当時男が何人もの妻を持つのは、当たり前のことだった。でも、あたりまえだからといって、じゃあ、女の人たちが平気だったかといえば、そんなことはなくて、やはり、嫉妬に苦しんでいたことを紫式部はこの物語の中で克明に、何人もの女性たちを通して語っているのですよね。紫の上も明石の君もお互いに嫉妬しているし。朝顔の君もそれが嫌で、源氏からの誘いに最後まで答えなかったのですよね。常陸宮(末摘花)の姫君も、どうせ私のような器量の悪い女は一度でも契りを結べたのだからと言いながらも、心の奥ではやはり辛いのかもしれません。それが一番、はっきり表現されているのが、六条の御息所なのですね。この人生霊にも死霊にもなって出てくるんですよね。源氏物語の一番面白くて人気のあるところなのでしょうか。 嫉妬の辛さもうらみの怖さも。 そして、この物語すごくよく出てくるのが、『身分』という言葉。身分が低いせいで、とうとう源氏の正室になれなかった紫の上。母の身分が低いために皇子でありながら、臣下に下された源氏の君。やはり身分が低いために娘を、紫の上にあずけなければならなかった、明石の君。 身分の低さに辛い思いをしている一方で、皇女という高位でありながら、結局源氏の愛を得ることのなかった女三宮。 身分の低さをいいながら、けれど、身分が高いだけでは、愛されるわけでも、幸せになれるわけでもない。 そして、美しく聡明な紫の上こそが、たぶん、藤壺の女御以上に実は源氏に愛されていたのではないのかなと、思いました。最初は藤壺の宮の影を追いかけていたはずの源氏が、いつか紫の上自身を愛していたことに源氏自身も、気づいていなかったのでは。そして、紫の上が一番すばらしかったのは、けれど、その美しさ、聡明さ以上に、『人の心のわかる人』だったからなのでは。 身分というのは必ずしも「生まれ」だけで、決まるわけでもなく、生まれた後の生き様が大きく影響していくのだと、その部分を橋田さんのシナリオでは、強調していたように思います。皇子でありながら母親の身分の低さゆえに臣下となったはずの源氏が、いろいろな人生経験を通して人間的に成長し、やがては、准太上天皇という最高位にまで上り詰めていくのですよね。コレは必ずしも息子の冷泉帝の意思だけではないと思います。源氏にそれなりのものがなければいくら冷泉帝が望んでも周りの臣下たちが反対しただろうと思うからです。 そして、身分低くあったはずの明石の君もまた、子を産み、数々の辛さに耐えて、いずれは、女御の母となり、国母の母となっていくのですよね。その忍耐強さとつつましさ、聡明さもすばらしく描かれていました。 落ちぶれながらも皇女としてのプライドを捨てない末摘花の君も。 光源氏という当代一の男の愛情を生涯受け続けた紫の上も、彼女自身の持つ力なのだと思いました。 それにしても、光源氏ってすごーいマザコンですよね。生涯母親の面影を追いかけていたんだから。それというのも、まだ彼が幼い頃に死んでしまったから。もしずーっと生きていれば、もう少し母親ってものに幻滅を感じることもできたかもしれないのにね。ひひひ。 さて、本年はみなさま私のつたないブログを読んでいただきありがとうございました。来年もまた、パソコンの壊れないかぎり、引き続き、書き続けていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
2008年12月31日
コメント(2)
私の宗教は……ムナカタシコウだ!お前の宗教はなんだと、棟方志功に問い詰められて、彼の妻が答えたことば。見ていてだいたい想像はついたのだけれど、それでも、ラストのこの一言は感動的だった。 版画家として世界的に有名な人だけれど、まだドラマ化は、されていなかったのだなと、つくづく思ったのでした。 その才能ゆえに時に傲慢になって行く彼のその鼻っ柱をへし折って、しかりつけ、彼を現実に引き戻してくれる人たちが、彼のまわりにはこんなにもいたのだろうか。彼の才能とともにそのことがとてもうらやましい。 その才能ゆえに傲慢になり、高慢になり、わがままになって、まわりの人々をきづつけ、孤独との戦いの中で自らの才能を削っていってしまう芸術家の多い中で、棟方には、彼が傲慢になるそのたびに、彼をしかりつけて、くれる人々がいたのでした。 帝展に入選して邁進した彼を叱る病気がちの姉や、彼を殴る友人や、才能におぼれそうになる棟方に難しく厳しくかかわってくる師、自分の版画のために芸術という夢の世界に取り込まれおぼれそうになる彼を、わが子や妻をないがしろにする彼を、激怒して、叱り、怒鳴り、彼の生きているはずの現実の人間の世界に引き戻す妻。現実に生きていなくてどうしてすばらしい芸術が、人のこころをうつ作品が作れるだろう。 彼の周りの何人もの人たちが彼のために彼を叱り、けれど、彼と、彼の芸術と、彼の才能と、彼の個性に、魅了され、彼の全てを愛していて、彼に関わってくる人たち。なぜ、ムナカタの周りにはこんなに彼を愛してくれて、彼のために尽くしてくれるひとたちがいるのだろうかと、とても、うらやましかった。 ムナカタ教の教祖さまと、その信者たちのお話。ともいえるかもしれない。 ムナカタの版画芸術というすばらしいバイブルとともに。 土曜日に放映されたドラマなのに、今頃のアップなのでした。それにしても、棟方の奥さん役の女優香椎由宇がきれいできれいで。ドラマの間ずーっと見ほれてしまいました。本当はホンモノはもちろんこれほどの美女ではないのでしょうが、その内面の美しさをドラマでは、物理的に視覚的に表現してあるのかなーっと。 ただ、棟方役の劇団ひとりの演技がいまひとつ芸術家として、物足りなかったような。棟方の近眼ゆえの独特の身振り手振り動作は、まねしていても、どうしてああいう立ち居振る舞いになるのか、その真髄までにいたっていなかったような気がします。シナリオが表現しようとしたものを、劇団ひとりは、演技仕切れていなかったのでは。ムナカタの傲慢さや、芸術におぼれていく内面の表現がいまひとつだったようで、そのあたりが、ちょっと惜しいです。 でも、面白いドラマでした。ちっょとだけ、泣けました。 そして、東北の雪と山の景色がとても、美しかったです。
2008年10月27日
コメント(0)
おとといテレビでドラマの『課長 島耕作』を観てたけど、何かもう微妙に時代遅れになりそうなぎりぎりのドラマ化。そんな感じがした。 大企業の中での、出世争い。派閥争い。 でも、あと一世代入れ代わったら、もうこんなことは、起きなくなるかもしれない。今の若い人たちは、もう、ビールも飲まないし、付き合いのお酒もしなさそう。人情を使った、商売もやらなくなりそうだ。 接待ゴルフなんてのも、なくなるかもしれない。単純にいい商品だから買う。私たちの普通の生活では、当たり前のことが、企業間の取引でも、当たり前になっていくかもしれない。単純に仕事のできる人間だから、出世する。ただ、それだけのこと。そうなったら、もう、派閥争いなんて、関係なくなるかもしれない。その頃になったらもう、「派閥」? なに、それ。ってことになるかもしれない。 私たちの頃には、当たり前だった、派閥争いや、出世のための機嫌取りも、接待ゴルフも死語になって、島耕作のドラマの中のようなことはありえなくて、こんなドラマも作られなくなるかも。だとしたら、島耕作のドラマ化のできるのも今のうちかも。 漫画も全部持っていて、読んでいて、このあたりのお話は結構面白いんだけど、今回ドラマとしてみていて、あらためて、そう思った。時代は今、そのくらいすすんでいて、ドラマや漫画のストーリーの中では、読者に爽快感と心地よさをあたえる島耕作の正義感や、誠実さが、当たり前すぎて、お話にできなくなるようなことも、将来ありうるのかもしれない。 どんな大企業でも、いつ潰れるかわからないし、今の自分の仕事が将来まで続くのかもわからないこんなに不安定な今。そうなったら、会社に忠誠をつくすとか、10年、20年後のために、上司の機嫌取りをするなんて、ありえないだろう。 それはもう、正義感とか、誠実とか、そんなのとは、ぜんぜん別の理由で、そうなっていくかもしれない。 今は、そんな時代へと変化していく過渡期にあるのかもしれない。
2008年06月27日
コメント(2)
先日小説の『白夜行』を読んで、そういえばドラマにもなってたよなあと思い、見てみました。全 11話。 主演、山田孝之、綾瀬はるか。 原作が主人公二人の心理描写を一切せず、その行動だけを緻密に描写した、独特の物語であったのとは対象に、ドラマでは、きっちりと二人の行動も、言葉も心理もはっきり描き出し、原作では分からなかった数々の謎や、物語の最大のポイントである「質屋殺し事件」の真相まではっきり描き出していて、ルール違反ともいえるけれど、これはこれでおもしろかったと思う。ただ、絶対原作を見てからドラマを見たほうがいい。ドラマをみてからだと、原作の面白さは激減してしまうのではないかと思う。 それと、ドラマで語られる真相はあくまでドラマ制作者サイドが想像した真実であって、作者の想定する真実ではないだろうとも思う。作者に言わせれば、ドラマの亮治は原作の亮治とは、性格が180度違うそうですから。実際、原作の二人はもっときつくて冷たくて切れた性格だと思う。 それでも、テレビの連続ドラマとして描き出そうとすれば、見る側の理解や共感を誘う作り方でなければ、視聴者を引っ張れないだろうことを思えばしかたないし、これはこれで面白いと思う。 そして、時代設定や物語の期間もずれている。 そのずれが二人の連絡の取り方として携帯を使うというほぼ毎日あって話し手いるのとかわりない関わり方をすることが出来ている。それゆえに物語が後半でかなり原作とずれてくる。 それでも、原作と同じように二人が数々の殺人を繰り返すほど守ろうとしたものがなんだったのか。最初、それぞれの両親を殺した質屋事件の自分たちの殺人がばれてつかまってしまわないようにするためだと思っていた。 けれど、ドラマを最後まで見た時、実は二人が本当に守ろうとしたものは、殺人をした事実ではないのだと気がついた。 二人のことが笹垣にしられ、亮治も追い詰められてとうとう自殺してしまう。唐沢家の庭から死体が発見されて、雪穂も警察で尋問を受ける。雪穂は質屋事件の真相を話すけれど、真実とうそが微妙に織り交ぜられて、つじつまの合うようにかたられる彼女の話の中で、結局二人が決して人に知られまいと守り続けた秘密というのは、殺人をしたことではなくて、雪穂が亮治の父親に金で買われていたということなのだ。 自由や平等や平和が保障されているはずのこの現代の日本でなお、ひとりの少女が金で売り買いされていたという事実。 それが雪穂という一人の少女にとってどれほどの屈辱であり、人の誇り、尊厳を侮辱することであったか。 二人が守ろうとしたのは、人としての誇り、尊厳だったのだ。 そういえば、物語の中で二人が読んでいる小説『風とともに去りぬ』は、アメリカの黒人奴隷解放運動のための南北戦争がテーマだったのだ。小学六年生という年齢でこれほどの小説を読む少女雪穂といい、彼女に惚れておなじようにこの本を読む亮治といい、この後の二人の行動をみても分かることだけれど、非情に知能が高い。知的レベルが高い。これほど聡明な少女が金で自分が売られたということはどれほどの屈辱だっただろう。 ドラマの第一話で二人がそれぞれに同じ質問を図書館員の女性にする。「人を殺してまで守ろうとするものってなに?」 原作には存在しないこの女性はドラマにおいて非情に重要な役どころとなり、物語のテーマを語る上ではずせない人となっている。 リンカーンが戦争をしてまで目指した、黒人奴隷開放。人間を金で売買し、まるで動物のように持ち主の好きなように使役する。こんなことをしているかぎりアメリカが近代国家としての品格をもって発展していくことはありえないだろう。 戦争に人の死は切り離せないもの。その犠牲をもってしても、なお、守ろうとした、人間としての尊厳。 これは相当高いレベルの認識であって、それを小学校六年生くらいだった二人が認識していたことはすごいことで、だからこそ、自分のからだが金で売り買いされる屈辱と、少女を金で買って好きなようにする自分の父親への激しい嫌悪。自分を金で売る母親への憎悪。 数々の殺人を犯しても守ろうとしたものが、彼らの尊厳であったときずいた時初めて、納得できる物語となった。自分たちの「殺人という犯罪」を守るためだとしたら、そのために他人を何人も殺していく矛盾に彼らがきずかないばすもない。それでも殺人を繰り返していった二人の心理の奥に、雪穂が金で買われていたという秘密。 だから、亮治が死んだ後もなお、最後まで雪穂は真実を語らない。亮治は決して自首しない。彼らがうけた心の傷はその生涯決して癒されることはなかった。 そして、現代の日本でもなお、会社ではそれなりの責任ある役職についている男性が、旅行先のアジアの国で少女を買い、そのあとのことなど何も考えず、自分の快楽だけをもとめているという事実があるのだ。 現代の日本ではなお、国家の品格なんてものはないらしい。人が人を人として扱う。一人ひとりを大切にする。ドラマも原作もテーマはやはり同じなんじゃないかと思う。
2008年04月21日
コメント(0)
うちの家族はなぜかドラマの『白い巨塔』が大好き。唐沢利明が財前五郎を演じた新しい方のやつである。今も長男が勉強しながら、テーマ曲の鼻歌を歌っている。 三年前私が入院していた時も、ちょうど再放送をやっていたらしく、家族で見ていたらしい。入院見舞いに来た家族の話題が「白い巨塔」で、盛り上がっていた。私の入院していたのは、大学病院なんてすごいところじゃなくて、中規模のところだけど、院長の総回診はあったよーん。 あのドラマは、「財前教授の総回診です。」ってところが一番たのしいもんね。 大阪大学にも医学部はあるけど、白い巨塔の大学は難波大学だ。やっぱり、あのドラマは大阪大学や京都大学じゃなくて、難波大学じゃないとね。だって、難波の商人の婿養子の話だもんね。なんて、話をしていたら、そういえば、あの東教授って、関西に対抗する、関東を代表した人物だったんだね。ってことに気がついた。東教授がドラマの中で、財前教授にぎりぎりするシーンが何度もある。財前が教授になった途端に、それ以外の以前彼の部下だった医者たちほとんどが財前側について、財前の見方になってしまう。教授を退いた途端に医局の人心がつかめず、自分の思い通りに運ばないことにイラつく東教授の姿が何度も出てくる。考えてみれば、東、つまり、関東ないしは、東京、ないしは、東京大学を意味しているのかもしれない。東大の医学部は医学界の中でも、特に力があるらしく、東大医学部出身でない、医者たちが、東大出身の医者の威光の強さにぎりぎりしているらしい。 その東大出の医者への恨みが、財前に味方する難波大学の医者たちの行動になっていたのか。 どうりで、東教授がドラマの中でいじめられまくるわけだ。 と、思わず納得したりして。 また、『白い巨塔』みたいよーと、うちの家族がのたまっている。韓国版の『白い巨塔』なら、ちょうど今ギャオで見られるみたいだけど、韓国版じゃ嫌だそうだ。 ビデオ借りるのもお金かかるしねえ。
2007年12月28日
コメント(6)
私が渡辺多恵子の『風光る』を借りてきて読んでいたら、なぜか娘がビデオやさんで、NHK大河ドラマの『新撰組!』のDVDを借りてきて見始めまして。横でなんとなくみていたら、だんだん面白くなってきちゃったのでした。 なんせ、近藤勇役が香取慎吾。土方歳三役が 山本耕史で、沖田総司役が藤原竜也。 しかも、脚本がなんと、三谷幸喜。 近藤勇って実際はもっと鼻の穴が目立つ無骨な顔だったみたいだけど、普段はノリの軽い香取慎吾がすごい真剣な顔をして演じているのをずっと見ているとだんだんひきつけられていきました。男らしくて素敵だった。 新撰組っていうのは、昨今なぜか人気があるんだけど、実際には、明治維新の時代に逆行するような集団だったのに、なぜ人気があるのか。あの時代にあの集団のやろうとしていたことや目指していたことはなんだったのか。すこぶる謎だったのです。 明治維新はまず、外国からの船団が日本に来たところから始まります。それまでずっと鎖国していた日本にとって、開国を迫る外人は恐怖の的であり、不愉快な存在であり、日本人のほとんどが追っ払いたいと思っていたし、追っ払おうとしていたわけです。だから、新撰組も後の明治政府になる薩摩や長州も攘夷というわけです。 けれど、それだけではなくて、既に長い江戸幕府の体制の中で生涯自分の身分が変わらない社会体制の息苦しさへの不満から、今の自分たちの身分を乗り越えたい、変えたいと願っていたのもまた、新撰組も、薩摩長州も同じだったわけです。 けれど、何が違っていたかといえば。新撰組は今の自分の身分を脱して、当時の最高位である武士になろうとした。けれど、薩長の場合は、身分の社会構造自体を変えようとしたのです。 この違いが何処で起きたかといえば、薩長の人たちは外国を既に見て、知っていたのです。おしいかな。新撰組が外国に目を向けることにきづいたのは、もう、幕府の負け始めた後だったのでした。 時代を見ることのむずかしさをじっくりと感じたドラマでした。時代をいかに読みきるか。今にあっても大切なことで、でもすごくむずかしいことだと思います。 それとともに、最初は三人くらいだった新撰組がだんだん人数を増やして集団化して形を成していく前半がなかなか面白かったのです。今で言う会社組織にたとえられるというか。近藤局長は社長として、外交交渉や営業をして、会津藩というスポンサーを見つけてくるわけですし、集団の気持ちを引っ張っていくのも、集団をまとめるのもうまいです。そのサブとして、人事部長の土方さんが、新撰組内部の実際の実務をこなしていたり、総務部長にあたる山波さんと一緒に入隊希望者の面接をしていたりするあたりがなかなか面白いんですね。で、沖田さんや、芹沢さんていうのは、剣がうまい。いまでいう、技術部門です。 それで、話が進むと組の規律を守り、まとめるために、隊員の粛清が始まるのですね。もっともはじめに殺されたのがこの芹沢さんです。自分のことばかりで組のことをまるで考えない行動をとるのです。しかし、いまなら、解雇にすればすむのに、この時代はじゃまな人物はどんどん殺されていく。隊の規律を乱しただけでも、切腹ですから。許可なく脱走したり、経理のお金をちょろまかしただけでも、切腹ですから。とーっても、怖いです。いまどきなら、会社辞めるとか、くらいなのにね。 おもしろくドラマは作ってあるけど、実際にはかなり怖い集団だったのだろうなと思います。 ところで、一番初めに殺されちゃう芹沢さんは、いまでいう、技術畑。自分しか見てないんですね。視野がとても、狭い。山波さんや、土方さんは一応、新撰組全体をみて行動しているわけです。新撰組に良かれということを行動基準にしています。けれど、近藤局長はだんだんいろいろ考えるようになり、いろいろな情報をえて、海外の情勢を知るにつれ、新撰組というよりは、日本全体のことを考え始めます。視野の範囲が日本なのですね。芹沢さんより、土方さんより、見ているものが広い。けれど、その近藤さんが負けたのは、やっぱり、日本ではなく、世界を見ていた薩長の方が視野が広かったからなのでしょう。近藤さんは剣の腕はよかったし、人物的にもなかなかなんだけれど、世界を見ていた薩長には、到底勝てなかったのです。明治維新より前に外国に出ていたり、外国のことをよく学んでいた人たちには、到底叶わなかった。 自分を見るか、全体を見るか、日本を見ているか、世界を見ているか。人間のあり方が視野を何処に置くかでこんなに変わる。というこてです。この時代もやはり、情報戦がものを言ったのですね。 とにかくまあ、受験生の娘には、日本史のいい勉強になりました。明治維新のあたりは、人物も事件も多いし、流れも複雑だし。明治維新の人物が顔とイメージと一緒に頭に沸くそうです。で、横で一緒に見てたわたしは…。記憶ないです。全然。勝海舟と、西郷隆盛と、坂本竜馬は覚えたな。 ちなみにわたしは、このドラマでは、山波さんのキャラが一番良かった。
2007年11月11日
コメント(4)
いじめを見るのは楽しい。 不謹慎なこと書いてすみません。うーん。私の性格の悪さがとーってもよくわかる。ストーリーはこちらでどうぞ。 とにかくこのドラマ。何が楽しいって次はヒロインがどんないじめられ方されるのだろうっといろいろ想像して期待しながらはらはら見る。ってところが一番楽しくて、面白かった。「他人の不幸は蜜の味」ってよく言うけど。まさにそんな感じ。ヒロインがどんどんいじめられて、つらい思いに必死になるのを見れば見るほど楽しいと思うわけで、これこそまさに人間の原罪だなーっと。思ったんだけどね。 いじめドラマの元祖なんでしょうか。なにしろ、過去に放送した時、ものすごい高視聴率を稼いだ、伝説的なドラマだそうです。私も三浦綾子のエッセイだけは読んだことあって、この小説もタイトルだけは知っていたのです。なにやら、キリスト教の原罪を描いた大作らしいということで、いつか読んでみたいかなーと思いつつ、ものものしそうで、本音は引いていたんだけど、こんなにおもしいろ話とは思いませんでした。 もう楽しみにして見始めたものの、土曜日の前編が面白くて面白くて、もう、日曜の夜がめちゃ楽しみでありました。こんなに面白くて、のめりこんだドラマなんて相当久しぶりです。娘と二人できゃあきゃあ言いながら、見てました。横で何気にみてた、長男も「おもしろいじゃん」といってみてたくらい。ヒロインの石原さとみちゃん、かわいかった。で、陽子の恋人役とか、お兄ちゃんがほかの役はこれだけの配役なのに、この二人が不細工というか、もっといい男いないの?と、そのあたりが一番盛り上がりました。 まあね。思い起こせば、子供時代。毎月買ってた、小学館の『小学○年生』には、どの学年でも、かならず、連載されていた、女の子向けのバレエ漫画。あの頃は必ずバレエ漫画だったのだけど。必ず、バレリーナをめざすヒロインがなんかかんかで、毎月いろんな方法でいじめられるというお話。これが、各学年の雑誌に、漫画自体は違っても、基本のストーリーコンセプトは同じ。そして、私も毎号これが一番たのしみで、はらはらしながら、読んでました。 あの頃は、漫画にしろ、テレビドラマにしろ、とにかく、主人公がいじめられる話多かったな。いじめられまくり、次々と起こる苦境にも、主人公はくじけず、まけず、強く生きていく、こんな話多かったですね。そんでもってみてる側も主人公がいじめられるのをみながら、はらはらしてたものですが。最近そういうの減ったかもなあ。ドラマの中でいじめを見て、疑似体験をしてたんじゃないのかなと。いまだと、思いますね。ドラマの中のいじめでストレス解消してたかもしれない。でも、最近はそういうのないからね。現実でやるしかないんでしょうかね。 それにしても、時代の流れのせいで、微妙に違和感があるのは、殺人者の娘だというだけでせめられつづけるヒロインですね。あの当時では、この設定はそんなに違和感無かったんだけど。今見るとね。 殺人したのは、父親なのに、どうして、その子供が責められるわけ? 父と娘はぜんぜん別の人間で、別人格で、親のやったこと責められてもなあ。娘にはぜんぜんまったく責任ないしね。そういうまさにストーリーの根本が今の時代にはもうどうかなあという感じでしょうか。 今後はこういう設定では、ストーリーは作れないですね。ただ、つくづくいまから数十年前のことなのに、この頃はこんなに血のつながりが重要視されてたんだなと思います。それでも、現在でも、家族の誰かに殺人者とか出れば、やっぱ大変でしょうねえ。微妙ですねえ。 ところで人間て、ムカッとした時、怒りを向ける矛先がずれるものですね。 娘を殺された怒りは殺した相手に向けられるはずのものですが、どういうわけか、その殺人者の娘とそれからその時浮気していた奥さんにいく。浮気に腹立ってるなら、ストレートに奥さんを責めればいいのにね。こっそり、殺人者の娘を幼女にして、しかもそれを奥さんには内緒にして、こっそり日記に書いてたり。する。暗い。なんい陰湿。ねちねちねちねち。マーったくもう。殺人への怒りはとうの殺人者が自殺しちゃってもう向かう先が無いという。ことでしょうが。ヒロイン陽子の父は、浮気していた妻への怒りを、実の娘るり子を殺した殺人者の娘を育てさせることではらそうとします。せこいよ、ちょっと。 先日の奈良の放火事件でも、自分を追い込んでいる父親本人じゃなくて、義理の母と義理の兄弟を殺しているでしょう。 今話題のドメスティックバイオレンスも、日常のいらいらを奥さんを殴ることで晴らしてるわけですから。ターゲット間違ってますね。 ちゃんと考えないとね。何に対して怒っていて、じゃあどうすれば一番いいのか。 物語のテーマ、原罪。人間は生まれながらに罪を犯す可能性というか、要素を持ち合わせて、生まれてきてしまう。罪を犯す人の弱さと、それでも、それを許すことのできるひとの強さ。 次々に展開していくストーリーの中で余すところ無く語られていました。いまさら言うことも無い。ミリゃーわかる。 それにしても、ヒロインの陽子ちゃん。強いですね。十年くらいいじめられつづけてるのに、ぜんぜんくじけてないし、性格ゆがんでないし。ほんとになんで? いじめられ続けて、許しを願いながら、逆の立場になれば、なかなか相手を許せない。いじめられていた時には、あれほどつらい思いをしていた陽子が、いざ逆の立場になれば、やはり、自分を捨てた母をどうにも許せない。単に頑固で直情型の性格なだけだけど。 そういう心の部分が氷点なんだそうです。 うーん。昔やったドラマ。見たいですね。もっと緻密にいじめられる部分みれるかも。期待。 ↑なんと、続編もあるみたいよ。どうなんでしょうね。テレビドラマ
2006年11月27日
コメント(2)
面白かった。 かなり原作に忠実に作ってあったようで、変な変更もなく、楽しめました。 千秋先輩もノダメもびっくりするくらい原作の雰囲気に近い。 特に千秋先輩のタカビーなところとか、ナルシスティックなところとか、いかにもって感じで千秋先輩の性格と雰囲気がよく出ていた。 しかも、原作の殴られたり、ひっぱたかれたり、けられたりするギャグシーンがあそこまでドラマで再現されるとは、思ってもいなかったので、びっくりでした。特に千秋先輩の白目がよかったあ。二人ともピアノちゃんと本人が弾いてましたよね。すごく練習したとか。すごい難しそうなのに、カナリ、リアルで感心であります。わたしなんか楽器がすごく苦手だから、それだけで尊敬しちゃうんだけど。 次回が楽しみ。しかし、私は見忘れるからな。 早くのだめの着ぐるみが見たいわ。 デモ、ドラマは二人がパリに行く直前までで終わりみたい。原作はまだまだ続いてますからね。評判よければ、パート2ができるかもしれないし。 いやいや、とにかく、原作どうりで面白かった。特に千秋先輩がたまらん。主人公どう見ても、千秋先輩だったよね。 それで、原作をチェックしてみました。すごい。最初の展開から、原作どおりストーリーが再現されてる上に細かいエピソードまで再現されていて、ものすごく細かい。ただ、それは一巻の六、七割りのところまでで、その後はいきなり、ミルヒ先生がでてきて、話が二巻に飛びます。十数回程度の放送だから、すべて忠実に再現するのは、無理ってことかぁ。ミルヒ先生もできれば、外人さんの俳優使って欲しかったけど、あの正確だから仕方ないかな。ミルヒ先生とか、ほかのキャラクターはむちゃくちゃ派手に脚色されてますね。金髪ロンゲとか。今後原作を逸脱するような改変なく、なるべく原作どおりに作って欲しいとお願いします。 さて次回はどうかな~♪ のだめカンタービレ(ドラマ版) のだめカンタービレ
2006年10月17日
コメント(8)
まだまだ、現役の総理大臣が伝記ドラマになっちゃうんですか、という驚きを発したのはうちの息子です。いくらもうじき引退とはいえ、普通はあと何十年かたたないとドラマにはならんでしょう。 でも、純ちゃんのためのドラマというより、ここ五年くらいの政界の裏話、ニュースではわからなかった真実。というところでしょうか。私がびっくりしたというか、知らなかったのは、 阿部さんが純ちゃんの訪朝に同行していたということ。金さんが謝罪していたということ。 ニュース見てたけど、そのあたりってみてないんだな。記憶にありませんでした。 森さんの干からびたチーズの話がわざとやった演出だったこと。 森さんのチーズとビールの話はやっぱり、普通あんなものわざわざ持ち出さないはずだから、なんかわざとッぽいなとは思ってましたけどね。なるほど、あの会談では、解散の根回しの話してたんだ。 田中真紀子さんが外務省のトイレで立てこもったりまでしてたこと。 田中真紀子解任事件は有名だけど、結局どっちが悪かったのか。ドラマでは、純ちゃんは仕方なく免職にしたようにえがかれてますけどね。それにしても、真紀子さん役の女優さん。品よすぎ。 面白いのは、このドラマで悪役なのが、亀井静香だったこと。対抗してたのは、民主党でも、社会党でも、公明党でもなくて、内輪もめが一番の敵なんですね。亀井静香の役どころ、しきりに首動かしてて笑えますけど、本人はこれ見てたら不愉快だろうな。悪役としては、役不足ですしね。どちらかというと、道化役と取れないこともない。 それにしても、郵政民営化が遅れて、純ちゃんの任期が伸びちゃったのは、北朝鮮事件のせいなんでしょうね。 番組の最後で、安部、谷垣、麻生の三人に質問攻め。みてると、みんなしどろもどろで、もうじき総理になるかもしれないのに、なーんにも考えてないんでしょうか。せっかくの機会なんだから、いろいろと自分の考えてる政策とか、言えばいいのに。どうみても、どんぐりの背比べですね。 谷垣さんが結構しゃべってましたね。それで、負けたくなくて、阿部さんも途中から一生懸命しゃべってましたけど。 とにかくそれなりに面白かったし、ためになったし、知らなかったいろんな部分が埋まりました。いろいろ関係者に聞いて裏を取ったのでしょうか。 ただね。このドラマ。今語る真実っていう感じのつくりだけど、ホントーはどこまで真実なのか。ちっと疑問。全部信じていいのかな。どうでしょうね。
2006年09月19日
コメント(4)
白い巨塔の再放送も終わった。 財前先生も死んだ。財前先生は外科手術の医者だったけど、ラストシーンの遺書の中で、これからのガン治療は切除手術ではない治療法の研究にかかっていると語る。そして末期癌に侵された自らの体を研究のために献体することで、里見先生に新しいガン治療の研究を頼んでいる。 潰瘍がすでに切除手術ではなく、点滴によって治療、完治、できるようになっていることを思うと、いつか癌もまた点滴や投薬によって治療できる時代がくるのだろうか。 財前と里見は外科と内科を象徴していた。切除手術による治療こそ最善であると信じていた財前が、裁判での敗北そして、自身の癌の発見が遅れたために外科手術による切除すら間に合わず、外科手術による癌治療の限界を認めざるを得ないことになる。外科手術による治療こそが最良であると信じて疑わなかった財前は自らの病気によって、その限界を認識することになる。医学界の価値観もまた、予防、薬による内科的治療の重視へと代わっていっているのであろう。 私の知人が十年前に胃潰瘍となったとき、切除の後結局わずか一年しか生きられなかった。しかし現在潰瘍は点滴治療によって完治しうるようになった。医学の進歩はすごい。 ドラマの中で主役であった、外科を代表する財前から、自らの死をもって医学界の主役のバトンが、内科を代表する里見にわたされているのである。このドラマは大学病院のもつゆがみを語るとともに、これからの医学の変容をもまた主人公財前の死という形で物語っているのであろう。 今はお医者さんが一番偉い職業ってことになっているけど、いつか医者よりも、治療薬を研究する医者、学者、研究者のほうが偉いって言われる日も来るのかな。 だから理系を目指す人は生物と化学をがんばって勉強していい薬を作ってください。 生物も化学も受験のためだけにある科目じゃないんだ。 里見先生かっこよかった。 昨日は桃缶がなかったのでパイナップル缶を食べました。
2006年02月04日
コメント(4)
なぜに今頃『里美八犬伝』と言われそうだけど、よそのブログを読んでいたら私も書きたくなってきた。なにしろ昔NHKの人形劇『新南総里美八犬伝』をせっせと見ていたので『八犬伝』は親近感バリバリなのです。タッキーもでてた。人情劇の犬塚信乃は女装させられてたり、ちょっとなよなよしてたイメージだけど、タッキーの信乃役は男らしかったですね。 昔の人形劇みたいにたらたら長い話をえんえんやってるのとちがって四時間程度に絞られてる分見やすいっちゃー見やすい。もう最近長い話に付き合うのもめんどくさい。 いやね。今回の八犬伝は八犬士が魔法使うんだもん。ファイガ(炎の魔法)とかエアロ(風の魔法)とか出てくるし。ラストなんか伏姫が「ホーリー(聖なる魔法)」使うし。いやーなんかファイナルファンタジーかいっと思わないでもないですね。伏せ姫はエアリスかなー。どうせだからブリザド(氷の魔法)とかサンダガ(雷の魔法)とかグラビデ(大地の魔法)っと全員魔法使えると面白かったのに。だから当然玉梓は黒魔法なわけで。ラストボスだな。船虫が今回かわいすぎ。たしか角川映画の「里美八犬伝」の時は船虫はもっとグロイ感じだったんだけど。船虫はウォタガ(水魔法)がいいかな。 それにしても犬江親兵衛が「しんべえ」、とよばれる度に『忍たま』思い出しちゃって、八犬士のイメージから遠のいちゃって。 「ファイナルファンタジー里美八犬伝版」とかゲームで、でないかなーっと。思っちゃいました。和風のFFなんて面白そうじゃん。↑やっと新刊がでた。クラッシックがすきになれる本。 これを読まないとイマドキの少女漫画は語れませんね。
2006年01月16日
コメント(2)
うまい。うますぎるよ。あの三九朗。すごいプレイボーイっていうか。女ったらしって言うか。顔はまあまあ男前だからあたりまえだとして。まず最初のセリフが「この出会いはさだめだったのか。」って来て、その後、御国が三九朗の部屋に夜そっとしのんで行った時に「お前が来ると思っていたぞ。まっていたぞ。」とか言って、そのあと御国が「踊りなんかどうでもいいからあなたと一緒にいたい。」とか言ったら「踊っているお前が好きなんだ。」とくるでしょ。どうしてこう次から次へと女がころっとくるセリフをタイミングよく言うかなあ。ホントに阿国に惚れてるのかなぁ。どうみてもアイドルタレントとマネージャーの関係でしょ。阿国が踊るように踊るように仕組んだセリフを次から次へと言っていくでしょ。一見阿国に惚れてるように聞こえるのに阿国が踊らなきゃならないようにすごくうまーくもっていく。原作有吉佐和子さんだものねえ。女心よくわかってるよねえ。こーんなうまいセリフ言えれば女を落とすの簡単なんだけど、普通の男ってなかなかこういうセリフ言えないんだよねー。ドラマっていうよりプイボーイ入門講座って感じでしたね。 それにしても踊りのシーンになると菊川玲の顔のアップばっかり。踊りの名手の話なのにそのあたりごまかすのが苦しそうです。出雲の阿国は歌舞伎の創始者なんだけど、昔歴史の教科書に出てきたときはとにかくテストのための暗記の単語でしかなくって、教科書に出てくるくらいだから歴史上重要人物なわけだけど、教科書の中だけではピンと来ないんだよね。こんな風に恋に悩み、芸に悩む一人の女性としてみせてくれる本やドラマはありがたいのです。 でも、出雲の阿国が主人公の話なんてはじめてだし、菊川玲はきれいだし、次回が楽しみです。↑原作ですね。
2006年01月14日
コメント(0)
久々にドラマを見てしまいました。終戦ドラマと宣伝されていたために、ストーリーが解釈しずらいですが、SFですね。ストーリーの展開上はSFのタイムスリップネタなんだけど、SFをよく知らないとストーリーがわかりづらい。山田太一はドラマとして表現したかったので ドラマ的にはすばらしい描写でしたが、設定が理解しずらいために 視聴者の中にはハテナが残ってしまい ドラマとしての感動と山田太一がドラマを通して訴えたかったことが伝えきれなくなってしまっているという点で損してるかな。ネタばれにはなりますが、逆行して見ていけば、2005年に東京に原爆が投下された。そのエネルギーショックで主人公の家が丸ごと昭和17年にタイムスリップしてしまった。なんで、家ごとかといえば。ストーリーの展開上家族全体で戦中をどう生き抜いていくかをドラマとして描きたい訳ですから、家ごと物理的にタイムスリップさせるのが、一番製作者側としては都合がいいわけで。SF見てるとよく主人公が一人でタイムスリップする話は結構あるんだけど。さて、テレビを見ている側は登場人物たちがなぜいきなりタイムスリップしたのかわからない。それがストーリーを最後までひっぱっていく重要なキーポイントになるわけです。しかも主人公たちも、見ている視聴者側も「現代に帰ればこの悪夢は終わるはず」という半ば夢の中にいるような感覚でいるわけですが。ラスト、空襲のエネルギーショックによって現代に戻った 戻れた!はずの主人公は戦時中よりももっと悲惨な現実を知ることになるわけです。見ている側はここで初めて、主人公がタイムスリップした理由を知ることになると共に、戦争の悲壮さを昭和17年当時の悲惨さ以上に、いきなり自分たちのリアルな現実とつき合わせて考えさせられることになります。SFとしてはすでに何作も書かれているテーマではありますが、反戦ドラマとしてかなりリアルにみごとに描かれていたところに、山田太一氏の才能を感じました。戦争 起こらないことを祈るばかりです。なお、この記事を書く上で「終りに見た街」公式ホームページ中の掲示板に書き込まれていた「考え屋さん」の『ある解釈』というコメントを参考にさせていただきました。というか、こちらを読んでいただいた方がこのドラマの疑問点はわかりやすいと思います。
2005年12月04日
コメント(2)
全13件 (13件中 1-13件目)
1