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入院中の一番の目標は「退院したらカラオケ大会に出場するぞ」でしたから、昨日23日に入院前から出場を決めていた「関東一都六県カラオケ本戦決勝大会」に妻同伴で参加してきました。7月までに予選が各県であって、群馬は太田市で7月にありました。そのとき一応Aクラスに受かったものですからそのランクで今回演歌部門の64歳以下の一般で出場しました。65歳以上69歳がシニア部門、70歳から79歳がシルバー部門、80歳以上がゴールド部門になっています。クラスでは、一番下に総合クラス、その次にBクラス、そしてAクラス、ついで特Aクラス、一番上が代表クラスとなっています。6人の審査員が3人ずつ交代で審査します。各クラスごとに上位5名が表彰され、他の全員にもそれぞれ歌唱賞、敢闘賞、希望賞、努力賞という賞が与えられます。都合330名ほど参加しました。場所は池袋にある豊島区立公会堂。10時開演で全ての歌唱が終わるのが夜の8時30分というすさまじいものです。それもワンコーラスのみですから、1人2分くらいの持ち時間です。参加費は1万2000円。弁当お茶付きで、カラオケテープは自分でカセットを持ちこみます。私の出番からして「午後1時30分までに来場してください」という通知が来ましたから高崎から電車に乗って池袋駅に降り立ち、地下道の雑踏を抜けてから公会堂まで約5分歩きます。見えてきたのはすごく古い会場です。戦後建てられた50年は経っている建物ですからね。受付を済まして、プログラムを見て意外に思ったのが東京と神奈川の参加者が少ないこと。多いのは埼玉と千葉です。群馬は50名ほどいました。妻と前のほうの席に陣取り、始まっているクラスの歌唱を聞き始めました。ステージも黒い幕がバックにある状態ですから、地方の会館のほうがよっぽどきれいです。そこに衣装をこらして参加者が次々と歌っています。お姉さん司会者もちゃっちゃとこなしていくし、審査員もてきぱきと採点しているようです。一つ下のクラス第6部ながら「なかなかうまい」プログラムで計算してみると私の出番は10部ですから、えーっと約100番後です。ざっと200分といえば、3時間半後だ。「わーーーっ長い。今のうちに控え室を確認しつつ弁当食べよう」というわけで地下の控え室で弁当いただいてふと見ると、群馬の予選会で一緒だった人が着替えを終わっていたので、調子を聞くと緊張しているという様子でした。うーむ白いスーツ白い靴も決まっています。ちなみに私の衣装は夏前にあつらえた紫のダブルジャケット。ラメラメはないにしても、刺繍もはいってなかなかです。白のスタンドカラーシャツは黒いボタンがポイント。あとは黒のパンツ。着替えにはまだ早いです。せまい控え室、女性のほうは着物あり、ドレスありでごった返している様子です。みんな気合が入っていて、控え室脇で耳にイヤホンしながら練習しています。カラオケ大会のポイントは歌詞を全部暗記しなければならないこと。だって画面が出るわけでありませんからね。それに歌唱力はもちろん、数百人を前にあがらずに雰囲気もメリハリもつけて歌うということはなかなか大変なことです。その3時間が過ぎて、いよいよ準備しないといけません。妻に持ち物とか後を頼み、控え室で衣装に着替えて鏡を見ると気も引き締まります。耳にイヤホンをつけて持ち歌の確認をします。ここにくるともう前に歌っている人の歌などどうでも良くなります。あくまでも自分の気持ちを落ち着かせることです。結構うまかった前のグループ(歌謡曲、ポップス)が終わると第10部(演歌)のトップが私です。ここで審査員が交代します。ですから順番って結構大事です。トップは押さえて採点されるものです。それでちょっと力みが生じましたね。司会者の紹介。「では続きまして第10部に入ります。218番、○○さん。歌は『絆』(五木ひろし、作詞は先日なくなった阿久悠)です。どうぞ」前奏が流れ、コードのついたマイク(古いけど、別の意味で音はいい)を手にステージの真中へ。正面を向き、深くお辞儀をしてからマイクを構えます。客席を落ち着いて眺めながら。最初のかたり ♪花咲けば、花の憂いを知って 雪降れば、雪の嘆きを知らされる ♪移り行く季節 こころに感じ、なおさらに人のぬくもり思い出す続いて盛り上げ♪あなたをもう この手に抱く 幸せなど望めなくて ♪わたし ひとりで 口ずさむここでさりげなく童謡♪かごめ かごめ 籠の中の鳥は いついつでやる締めです。 ♪おんなが泣いて 雨降る夜に こっそりでやる。ところどころにポーズを決めたり、手の動作をつけたり感情もそれなりに移入します。最後に一礼して(まずまずかな?)客席の拍手が心地良い…颯爽とそでに戻って、次の人にマイクを手渡します。(終わった。2分間)「どうだった?」写真を撮ってくれた妻に質問「みんな拍手してたよ」というわけで自分たちの成績発表までこの後前のクラスの成績発表と次のクラスの歌を聞きながら2時間待ちました。発表はそのクラス全員がステージに上がります。結構ドキドキします。敢闘賞から呼ばれ、次々と賞をもらっては席に戻ります。結局、上位には入れず「希望賞」小さな手乗りカップでした。ちょっと残念。でも手術後一ヶ月なら上出来かも。久しぶりの池袋駅のパルコで夕食をして次の舞台を期待しながら帰りました。次は勝つぞ。
2007.09.24
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昨日は50ん才の僕の誕生日とあって、娘たちが妻との映画券をプレゼントしてくれました。それで行ったのがこれです。テレビドラマよりも実に立体的、登場人物の華やかさもあったし、十分楽しめました。HERO映画監督 鈴木雅之キャスト久利生公平 - 木村拓哉 雨宮舞子 - 松たか子 中村美鈴 - 大塚寧々 芝山貢 - 阿部寛 江上達夫 - 勝村政信 末次隆之 - 小日向文世 遠藤賢司 - 八嶋智人 牛丸豊 - 角野卓造 鍋島利光 - 児玉清 大藪正博 - 石橋蓮司 郷田秀次 - 古田新太 井戸秀二 - 正名僕蔵 バーテンダー - 田中要次 川島雄三 - 伊藤正之 黒川ミサ - 鈴木砂羽 芝山良子 - 奥貫薫 芝山の娘 - 山崎汐音 河野桜子 - MEGUMI 東山克彦 - 眞島秀和 梅林圭介 - 波岡一喜 柏木節子 - 長野里美 里山裕一郎 - 山中聡 キム・ヒョンウ - ペク・ドビン 松本めぐみ - 国仲涼子 泉谷りり子 - 綾瀬はるか 滝田明彦 - 中井貴一 花岡練三郎 - 森田一義 カン・ミンウ - イ・ビョンホン黛雄作 - 香川照之 桂山薫 - 岸部一徳 蒲生一臣 - 松本幸四郎あらすじ6年ぶりに虹ヶ浦から東京地検・城西支部に異動となった検事・久利生公平(木村拓哉)はある時、芝山(阿部寛)が起訴した事件の裁判を任されることになる。早期に決着がつくと思われていたが、容疑者が一転無罪を主張するという事態に見舞われてしまう。その容疑者を刑事事件無罪獲得数日本一の敏腕弁護士・蒲生一臣(松本幸四郎)が弁護し、冷静な法廷戦術で久利生を追い詰めていく。やがてこの事件が久利生が山口県・虹ヶ浦支部赴任時に大きな因縁がある代議士・花岡練三郎(森田一義)の贈収賄事件の鍵を握っていることを知る。久利生と雨宮舞子(松たか子)は事件の真相を知るために韓国・釜山へ向かい、韓国の検事カン・ミンウ(イビョンホン)の協力を得ながら調査を進める。まあ、ラストシーンまでちゃんと楽しませてくれてサービスたっぷりです。(あるよ!)あれで「堅物」なんかなあ?
2007.09.11
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さて、そろそろ終わりにしたいと思いますが…トイレに行けるようになると、次のお楽しみは「食事」です。手術前日からずっと絶食状態ですから、同室の人がトレイを取りに行くのを見ると「僕のはまだかなあ」と思ってしまいます。術後3日がたって、巡回にきた医師が「今日から飴なめても良いですよ」さすがに腸の縫ったところが心配なのか「水」はまだ飲めません。それも翌日にはオッケーになりました。流動食になったのがそのまた翌日なので、6日ぶりの食事が出ました。点滴を引きずって、4つのカップが乗っているトレイを取りにいくのは危なくて持ってきてもらいました。完全オモユとスープ、ジュースなど。スープの塩気がなんとも美味しい。後は日を追って三分粥、五分粥、七分粥、全部粥と「出世」いたします。笑ったのは三分粥のおかずに豚のソテーが出たこと。普通ないよね、こういうのは。暖かいおかずと冷たいおかずがトレイのまん中で分けられていて、運んでくる台車もそういう温度管理がされています。味うす病院食も「ありがたさ」感じると完食できるし、手を合わせて食べていました。お腹を切っていて「恐ろしい」のはくしゃみ、せき、それに笑うことです。切った翌々日やっとテレビが見られるようになったのは良かったのですが、「はねるのとびら」を見ていて塚地のボケにホントに腹が痛くて死にそうでした。家で洗ってもらった枕カバーのタオル、ほこりっぽくていきなりくしゃみが出ました。というより出そうになって「ハック…」と言ったところでお腹を抱えて悶絶しました。息が止まるくらいで、強烈なボディブローを食らった感じ。早速妻にメールでクレームを入れました。そういった痛みも日を追って薄らいで行きます。食べ始めると便秘気味になったり、胃に負担がくると胃薬をもらったり。便秘に対しては薬は出せないとの事です。腸に異常な負担をかけるのはよくないというわけです。確かに時間をかければ自然に解消していきました。痔には苦しみましたが。そんなわけで、毎日来る親族、友人、仕事仲間、カラオケ仲間のお見舞い客に勇気付けられ、カワイイ看護師さんに体を拭いてもらったりの自分がお風呂に入れるようになったのは、抜糸した翌日からです。術後10日のことです。まあ、かがみに写った自分の体に愕然としました。お腹の傷痕もそうですが、お尻の肉が落ちて銭湯で見る70代のおじいさんのようです。まだこの辺は今でも変わっていません。体重は10キロほど落ちました。貧血にならないように気を付けながら、湯船に浸かったときの開放感はどんな温泉に入ったときよりも味わえない「最高の天国気分」でした。15日が過ぎて先生に「退院はいつくらい?」と聞いて見ましたら「もうここでやることもないから」と無罪放免。16日間の入院生活も終わりました。同室の人たちに挨拶をして無事?に家に戻りました。今は仕事に徐々に復帰しつつ、カラオケの練習もして「快気祝」を配っている日々です。昨日も例のスナックで酒ナシの歌三昧でした。腹にいまいち力が入りませんが、切ったところは1年は硬直状態が取れないそうで、今もカチンカチンです。皆様の応援もいただいて療養できました。感謝感謝です。健康第一ですので是非お体には気をつけてくださいね。
2007.09.08
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集中治療室と言うところの壮絶さは、なんと言っても「うめき声」です。そこは患者の性別年齢関係ナシで一時とめおかれる場所ですから、ナースセンターのすぐ向かいです。昼夜の別なくうなりっぱなし、身内の名前をよびっぱなしの中に置かれると正気を失いそうになりますが、こちらもぼーっとしているので麻酔が効いているうちはなんとか堪えられます。朝が来ました。ここは残念ながらテレビは繋がりません。ただひたすらに時間の過ぎるのを待つのみです。仕方がないので、かのパズルをかみさんとやるか、音楽を例のポッドで聴くかです。まあ確かに重宝しましたね。気の早い看護師さん(別の人)が「早く歩いたほうが直りも早い」とかで早速手術2日目にして尿のパイプを取ることになりました。去年書いたようにアレを抜くのはメチャクチャ痛いのですよ。我慢して取ってもらったのは良いけど、妻に手を引いてもらってトイレに行っていざ…出ません。そのわけは背中についている麻酔薬です。膀胱あたりに何の感覚もないもんですから、気張りようがないのです。仕方なく、またパイプを入れてもらうのに歯を食いしばり、息を止めざるを得ませんでした。手術中に入れるのは麻酔のため、なんにも感じませんが、麻酔がかなり切れているときのそれは言語を絶します。(ちょっと大げさ)そんなこんなで、その翌日は午後になってナースセンターから一番遠いところの大部屋に移りました。そこには●大附属病院から紹介されてきた食道癌の患者さんがおりまして、悠悠自適の生活をしていました。だって食事制限もなく、ラーメンなんか食いに行っているんだよ。やっとのことで3日目に麻酔が切れて来まして、膀胱に感覚が戻ってきました。これなら行けるかもで、パイプを抜いてもらいました。点滴をしている患者はお小水を容器に受けてから専用のビニールに貯めないといけません。妻と二人掛りで立っているのも大変でしたから、洋式トイレに座って出てくるのを待つと、やっと尿様がお出ましあそばしまして二人で大喜び。変な夫婦。ついでに大のほうですが「絶食状態でも便はでますよ。腸液と言うものがでますからね」という看護師の話で、ガスばかり出ている状態の(このガスがでないと大変なんです。腸閉塞になったり)肛門に心配して、トイレに座ってみると手術から初めてだったので、黒い血の塊がポタっと出てきました。切り離した腸をつなぐのに肛門から器械を入れて、ミシンのようにカチャカチャと縫ったところから出ていたんでしょうね。これが鮮血ならよくなかったんですよ。流してから報告すると「こんど見せてください」と言われてしまいました。腸がちゃんと動いているかを回診のたびに先生はチェックしています。続く。
2007.09.03
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さて、手術当日です。普通どおり6時に起こされましたが、実際5時前には目がさめていました。夜中にも下剤の影響で大に行きましたが、ずっと水状態です。朝食もなく、午前中社長と部下の1人が見舞いにやってきました。嬉しいような、うざいような。(失礼)例の肺損傷の同室者は退院していきました。午後2時30分から手術室に向かいました。帽子をかぶり、T字帯をつけ、手術着に着替えて、なんと手術室まで歩きです。「行って来ます」家族と手を振って一時お別れ。廊下で執刀医が「今、患者を歩かせるようになったの?」と驚きの弁。手術室は去年の病院より少し広かった。全身麻酔をかけると呼吸が止まったり、胃液が肺に入って危険なので、鼻から管を胃まで入れます。それがかなり気色が悪くて苦しかった。のどから入っていきません。「これが一番辛いかも」と言ったのは担当の看護師さんです。ベッドに横になってから、手術後の痛みに耐えられるように、まず脊椎に針をさして管を入れ、麻酔の容器をつけます。これは中に麻酔薬(モルヒネ)の入ったゴム風船があって、風船の自然のしぼんでいく力で常時麻酔が少しずつ送られて、痛みを取って行くやり方です。その後で、いよいよ全身麻酔です。手術着をはだけて覆いをかぶせたら…もう意識はなくなっていました。点滴に注射液で麻酔がされたようです。10日に麻酔担当の医師から聞いていましたが、液体の麻酔薬はほとんど数分の効き目で、いったんそれで眠らせてから後はマスクを鼻にかぶせてガス麻酔に切り替えます。このほうが時間管理が正確に出来るんだそうです。その間、された手術はお腹をへその上からへその左側を迂回して恥骨の上まで切開して、血管を結索。患部であるS状結腸(直腸のすぐ上)を20センチ切除しました。同時にリンパへの転移を調べるため、腸間膜も切除し、なんと盲腸の虫垂も腫れているというんで取ってもらいました。これは事後先生から「あ、取っといたからね」と聞かされました。両親とも盲腸とっていますから、これはありです。後は縫い合わせておしまい。切り取った患部を医師は妻と家族に切り開いて見せたようです。チューブをはさみで開いて見ると2センチほどの癌がクレーターを作っていて、外の壁にも赤く色変を起こしていたということです。3時間半が経過していたようです。気がつくと家族の声がしました。ボーっとしていて分からぬうちに集中治療室に移されました。やっと話がわかったのは夜9時過ぎです。他の患者のうなり声で目がさめました。「大丈夫?痛い?」という妻の声。首を振るのが精一杯です。なんか知らないけど痒い。後で分かったのは麻酔によるアレルギーでした。一晩中あちこち掻いていたようです。続く。
2007.09.01
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