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5-2まであります『次へ >>』で進んでください
5-a (肉体と魂は密接に関係している)
肉体が受けた影響はかならず魂にも及びますし、反対に魂の状態はかならず肉体に表れます。両者を切り離して考えてはいけません。一体不離です。つまり肉体も自我の一部と考えてよいのです。肉体なしには自我の表現はできないのですから。本来は霊的存在です。肉体に生じたことは霊にも及びます。
『シルバー・バーチの霊訓(6)』(近藤千雄訳)
潮文社、1986, p.29
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5-b (霊が正常であれば肉体も健康である)
私どもが肉体そのものよりもその奥の霊により大きな関心を向けていることを理解していただかねばなりません。霊が正常であれば肉体は健康です。霊が異常であれば、つまり精神と肉体との関係が一直線で結ばれていなければ、肉体も正常ではありえません。この点をよく理解していただきたいのです。なぜなら、それはあなた方(心霊治療家)がご苦労なさっているお仕事において、あなた方自身にも測り知ることのできない側面だからです。完治した人、痛みが和らいだ人、あるいは回復の手応えを感じた人があなた方へ向ける感謝の気持ちも礼も、魂そのものが目覚め、内部の巨大なエネルギー源が始動しはじめた事実にくらべれば、物の数ではありません。
あなた方は容易ならざるお仕事にたずさわっておられます。犠牲と献身を要求される仕事です。困難のさなかにおいて為される仕事であり、その道は容易ではありません。しかし先駆者のたどる道はつねに容易ではありません。奉仕的な仕事には障害はつきものです。かりそめにもラクな道、障害のない道を期待してはなりません。障害の一つ一つ、困難の一つ一つが、それを乗り越えることによって霊の純金を磨きあげるための試練であると心得てください。
『シルバー・バーチの霊訓(6)』(近藤千雄訳)
潮文社、1986, pp.33-34
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5-c (霊が存在するから身体は存在できる)
あなた方は物質をまとった存在です。身を物質の世界に置いておられます。それはそれなりに果たすべき義務があります。衣服を着なければなりません。家がなくてはなりません。食べるものが必要です。身体の手入れをしなくてはなりません。身体は、要請される仕事を果たすために必要なものをすべて確保しなければなりません。物的身体の存在価値は基本的には宝の道具であることです。霊なくしては身体の存在はありません。そのことを知っている人が実に少ないのです。身体が存在できるのはまず第一に霊が存在するからです。霊が引っ込めば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します。
『シルバー・バーチの霊訓(6)』(近藤千雄訳)
潮文社、1986、p.200
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5-d (霊と霊の道具としての身体にどのような注意を)
別にむつかしいことではありません。大方の人間のしていることをご覧になれば、身体の必要性にばかりこだわって精神ならびに霊の必要性に無関心すぎるという私の意見に賛成していただけると思います。身体へ向けている関心の何分の一かでも霊の方へ向けてくだされば世の中は今よりずっと住みよくなるでしょう。
『シルバー・バーチの霊訓(6)』(近藤千雄訳)
潮文社、1986、p.203
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5-e(身体にはあまり構わなくてもよいのか)
それは人によって異なる問題ですが、一般的に言って人間は肉体のことはおろそかにしていません。むしろ甘やかしすぎです。必要以上のものを与えています。あなた方が文明と呼んでいるものが不必要な用事を増やし、それに対応するためにまた新たな慣習的義務を背負い込むという愚を重ねております。肉体にとって無くてはならぬものといえば光と空気と食べものと運動と住居くらいのものです。衣服もそんなにあれこれと必要なものではありません。慣習上、必需品となっているだけです。
私はけっして肉体ならびにその必要条件をおろそかにしてよろしいと言っているのではありません。肉体は霊の大切な道具ではありませんか。肉体的本性が要求するものを無視するようにとお願いしているのではありません。私は一人でも多くの人間に正しい視野をもっていただき、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいのです。まだ自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい霊を具えた肉体だと思い込んでいる人が多すぎます。本当は肉体を具えた霊的存在なのです。それとこれとでは大違いです。
『シルバー・バーチの霊訓(6)』(近藤千雄訳)
潮文社、1986、pp.203-204
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5-f (肉体に関連した法則にあまり言及していない理由)
おっしゃる通り、あまり申し上げておりません。それは、肉体に関して必要なことはすでに十分な注意が払われているからです。私が見るかぎり地上の大多数の人間は自分自身の永遠なる部分すなわち霊的自我について事実上何も知らずにおります。生活のすべてを肉体に関連したことばかりに費しております。霊的能力の開発に費している人はほとんど---もちろんおしなべての話ですが---いません。第一、人間に霊的能力が潜在していることを知っている人がきわめて少ないのです。そこで私は、正しい人生観をもっていただくためには、そうした霊的原理について教えてあげることが大切であると考えるわけです。
私はけっして現実の生活の場である地上社会への義務を無視してよいとは説いておりません。霊的真理の重大性を認識すれば、自分が広い宇宙の中のこの小さな地球上に置かれていることの意味を理解していちだんと義務を自覚するはずです。自国だけでなく広い世界にとってのより良き住民となるはずです。人生の裏側に大きな計画があることを理解しはじめ、その大機構の中での自分の役割を自覚しはじめ、そして、もしその人が賢明であれば、その自覚に忠実に生きようとしはじめます。
肉体は霊の宿である以上、それなりに果たすべき義務があります。地上にいるかぎり霊はその肉体によって機能するのですから、大切にしないといけません。が、そうした地上の人間としての義務をおろそかにするのが間違っているのと同じく、霊的実在を無視しているのも間違いであると申し上げているのです。
『シルバー・バーチの霊訓 (7)』(近藤千雄訳)
潮文社、1987、pp.202-203
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5-g (誕生の瞬間から死へ向かう肉体)
誕生の瞬間から肉体は死へ向かいます。この現象は誰にも変えられません。もともと肉体は不老不死を目指すようには意図されていないのです。本性そのものが儚い存在であることを自覚しております。従わねばならないサイクルというものがあるのです。まず、ゆっくりと機能的成熟を目指します。成熟すると同時に、やはりゆっくりと、全機能が衰えはじめます。そして、リンゴが熟すると自然に木から落ちるように、肉体も与えられた寿命をまっとうして死を迎えます。何度も申し上げているように、人間は本来そうなるようにできているのです。
私たち霊界の者も完全ではありません。まだ霊的進化の頂点を究めたわけではありません。まだまだ延々と先が続いております。しかし地上での仕事を困難にする物的条件に直面したときは、私たちにできるかぎりのエネルギーを活用して、その克服につとめます。
いつも申し上げ、これからも繰り返し申し上げることでしょうが、私たちといえども全ての知識を手にしているわけではありません。無限に存在するからです。が、地上のあなた方は私たちにない肉体的条件によって制約を受けていますから、手にすることのできる知識はきわめで限られております。
『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳)
潮文社、1987、pp. 49-50
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5-h (霊と魂はどのように違うのか)
-『霊』と『魂』の違いについて教えていただけませんか。スピリチュアリズムの七つの綱領の中で私たちは死後の個性の存続をうたっておりますが、次に生まれ変わる時、実際に再生するのは最初の霊の個性とは別のものでしょうか。
これはまた厄介な質問をしてくださいました。問題は用語にあります。言語を超えたものを説明するための用語を見つけなければならないので厄介なのです。
魂と霊の違いがその好例です。使用する際にはどういう意味で使用するかを明確にしないといけません。ここでは単純に、魂とは無限なる宇宙の大霊から出た分子、粒子、神性ということにしましょう。そして霊とはその魂の媒質(※)です。
それが肉体から分離すると地上時代よりはるかに自由自在に機能を発揮するようになります。肉体は物質でできています。それが霊の表現を制約しているのです。
(※現象界においてはこの二者が一体となってはじめて存在できるもので、切り離すことができない。日本語の『霊魂』という言い方はその意味で当を得ているが、問題はその理解である。しかし厳密に言えば違いはあっても、実際にはシルバー・バーチも置きかえて使用することが多い。次元が異なるので止むを得ないことであろう。それはちょうど太陽は厳密にいえば東から昇ってもいないし西に沈んでもいないが、地上から見るかぎりはそう表現するよりほかに方法がないのと同じであろう。第二巻『霊』と『魂』についての解説参照-訳者)
それゆえ、あなた方は霊をたずさえた魂であり、それが肉体を通して自我を表現しているのです。パーソナリティというのはその肉体をたずさえた地上生活において表現されている側面のことでしかありません。それは本当の自我であるインディビジュアリティのごく小さな一部にすぎません。肉体に包まれているために存分に自我を発揮できないのです。
『シルバー・バーチの霊訓 (10)』(近藤千雄訳)
潮文社、1988、pp. 119-120
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5-i (人間は死ぬまでは本当の意味で生きているとはいえない)
物質界の条件が、大きい方の意識で行われていることを小さい方の意識で思い出せなくしているのです。人間は死ぬまでは本当の意味で生きているとは言えないほどです。が、時として霊が物質の次元から離れて霊界からのインスビレーションに触れることがあります。その時、ホンの一瞬ですが言語を絶した無上の法悦に浸ることになります。
『シルバー・バーチの霊訓 (12)』(近藤千雄訳編)
潮文社、1988、p.51
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5-j (人間のすべてに大霊が宿っている)
人間のすべてに大霊が宿っております。確かに人間はありとあらゆる形態を通して進化して来て動物時代の名残りも宿しておりますが、それよりもはるかに高尚な神性が宿されており、それを機能させ発揮させることができれば、あたかも神々が地上を闊歩するかのごとくになります。
『シルバー・バーチの霊訓 (12)』(近藤千雄訳編)
潮文社、1988、p.81
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