全236件 (236件中 201-236件目)
【追記】No.2冷たい雨の中、柿の実を採りにいった。熟れ熟れで落ちそうなやつだけ先に採っておかないと。ということで二十個ばかり。また数日後に行かなければならない。一本の木からこれで九十個。あと百は採れるだろう。柿八年というけれど、こうなるのにたっぷり十二年はかかった。【追記】No.1学生時代、映画のサークルにいた。なんとなく『キネマ旬報』の白井佳夫さんをイメージして、たぶん白井さんが学生時代に在籍していたであろう「映画研究会」に入るつもりで、学生会館に行ってみたのだ。ところが、その頃映研は活動を停止していた。有象無象雨後の竹の子のようにやたら映画のサークルがあったのに不思議だ。そこで、単に部室があるという理由でサークルを選んだ。なに、はやりだったのだ。8mmフィルムで映画を作るのが流行だった。汚いバンガローに泊まって夜中に男ばかりで「マイム・マイム」を踊る羽目になったのも、本当は映画を撮りに行ったのだ。この時映画を撮るきっかけになったのは、このメンバーで池袋の名画座に映画を観に行ったことだ。今は亡き文芸座だったと思う。『フェリーニのアマルコルド』(1974年)を観て、喫茶店でその話をした。併映は『フェリーニの道化師』(1970年)だったろうか。おお、実にフェリーニだな。いつだったか部室に寺山修司に心酔した学生が来たことがあったな。短歌会にも入っていると言っていた。一人でわあわあと寺山やフェリーニを語り、去っていった。僕たちはあっけにとられて、後で彼を「フェリーニ」と呼んだものだった。『アマルコルド』や『道化師を』を観た後、我々は熱くフェリーニを語ったわけではない。女優のおっぱいがどうしたとか、その程度の他愛のない話だ。あの青森出身のフェリーニ君への反感があったのかもしれない。それでも、なんだかとても映画が作りたくなったのだ。それは初夏の宵だったろうか。今から作れば、秋の早稲田祭に間に合う。映画作ろうよ。実にいいかげんに話が決まった。「アマルコルド(Amarcordo)」とは、フェリーニの出身地である北イタリア、エミリア・ロマーニャ地方の方言で、「私は覚えている(Mi Ricordo)」の訛なのだそうな。タイトルだけ高校の大先輩の映画よりいただきました。原田真人監督の『さらば映画の友よ インディアンサマー』(1979年) 。川谷拓三さんが主演です。のんびり市のロケが多いので、御当地映画とも言えます。「文化」という名を冠した映画館が出てきます。その数年後には武田鉄矢さんの『刑事物語』(1982年)の舞台にもなりました。市役所勤めをしている同級生がちらりと出演したりしています。聾唖のトルコ嬢を演じた有賀久代さんがとても良かったのですが、この作品だけで引退してしまったようです。そうそう、主題歌が拓郎さんの「唇をかみしめて」。 ♪ ええかげんなやつじゃけ~ ♪ ほっといてくれ~んさい~70前半のように拓郎さんのファンではなかったのですが、広島弁の歌詞がとてもいいなと思いました。 ♪ ひとがすきやけね~ ♪ ひとがすきやけね~ ♪ さば~くも~ さば~かんも~ ♪ そ~らに まかしたんよ~サビが胸にしみます。おっと、映画館で映画見てないなあということを書きたかったんです。青春時代は映画をよく見にいく……といったような話ではないんです。地方都市にひっこんでしまったので、私が見たくなるような映画をやってくれる映画館がないんです。結局今はビデオやDVDで見ようということになっちゃうんですね。ん、今日は時間がありません。追記できるかな。
2004.10.30
コメント(10)
★★★10・21国際反戦デーです★★★【追記】No.4映画『ロミオとジュリエット』の主題歌「What is a youth?」は、「youth」に「a」が付いていますね。字幕では「若さとは?」みたいな訳になっていたと思いますが、「若さ」は数えられないので、本当は違う意味ですね。ビートルズの「ノルウェーの森」が本当は「ノルウェー材」だったりするのと同様、名詞の複数形や冠詞が日本語にないので、誤訳しやすいところです。「青春とは何だ?」という歌い出しではないようです。 ♪ What is a youth? Impetuous fire. ♪ What is a maid? Ice and desire. 多少硬い言い回しですが「an impetuous youth」つまり「向こう見ずな若者」などと言います。それと同じ「若者」。「maid(乙女)」と対になっています。私はこの曲の歌詞を「Impetuous spark」と間違えて歌っていたのですが、これでは韻を踏んでいません。 ♪ 若者とは? 激しく燃える火 ♪ 乙女とは? 氷と欲望恐い歌詞ですね。【追記】No.3朝起きると謎が解けていました。やっぱり楽天広場から削除されたのだそうです。でも、またまた生まれ変わって若返っていました。元「まりぃ・ジョー ^^ 」さんは「・まりぃ・」さんになりました。ああ、「君の名は」。しかし、本当に驚きです。まさに削除の嵐。元「まりぃ・ジョー ^^ 」さんは楽天当局にマークされているのか、陰湿な密告者につきまとわれているのか。プロ野球参入に関する不可解な動きや、今回の削除で、もう「楽天」のイメージは最低です。結局こんなことで墓穴掘るというのがわからんのかね、「楽天」さんは。「ピザを食べて平和になろう」の「サンパスタ」さん、「具沢山スープ」の「Good Accent」さん、冗談かましながらがんばってください。【追記】No.2ところで、また「まりぃジョー」さんのところが消えているようなんですが、どなたか事情をご存知ではありませんか?【追記】No.1「ニュース23」でアメリカの反ブッシュ・コンサートの様子をやっていた。やっぱり金平茂紀さんですな。パティ・スミスが「People have the power」を吠えていた。かっこいいです。反ブッシュとは、つまり反戦コンサートである。もちろんブッシュに尻尾をふるミュージシャンもいる。それでも、ロックという音楽の素性からいって、反戦の方に勢いがあるのは当然だ。そう、問題は日本だ。政治家とミュージシャンといえばぱっと頭に思い浮かぶのは、首相に擦り寄っていた元「X JAPAN」のリーダーだったりする。ま、ありゃ元々ロックじゃないんだろう。春一番コンサートの感想で「政治的な発言は不愉快だからやめてほしい」なんて書き込んでる人がいるのには驚いたものだった。ソウル・フラワー・ユニオンの中川君みたいなのは少数派なんだろうなあ。安かったのでDVDを買いました。『ロミオとジュリエット』(1968年)もちろんレオナルド・ディカプリオ君が出ている映画ではありません。小学生の時、お従姉ちゃんに連れられて観に行きました。周囲が女子高校生ばかりでびっくり。レナード・ホワイティングが登場するシーンでは、客席から「かわい~い!」という黄色い声が挙がっていました。あの若者たちのタイツがなあ、股間がなあ。あのベッドシーンがなあ。お姉ちゃんたちに囲まれて私は非常に恥ずかしい状況に陥っていたのですが、映画はとてもおもしろかったです。数年後、中学生になってから朝の番組「ヤング720」で、数年前の映画『ロミオとジュリエット』のサントラ盤LPが売れているよと言っているのを見かけました。劇中で歌われる主題歌「What is a youth?」がとてもきれいでしたね。今でもじわっときます。ところで、この映画のジュリエットを見ると、いつも17世紀フランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour 1593-1652)の絵を思い出します。聖なる火を前にしたマグダラのマリア(Magdalen of Night Light)であります。オリビア・ハッセーはハスキーボイスで妙に肉感的なんですがね。
2004.10.21
コメント(18)
【追記】No.3「警告!ウイルスチェックサービス」というタイトルのe-mailが届いた。> Subject: 警告!ウイルスチェックサービス> From: VirusCheckService@VirusGuardman.com> Reply to: VirusCheckService@VirusGuardman.com>> ==========================================================================> VIRUS GUARD and CHECK SERVICE for E-Mail Powerd by SYMANTEC Scan Engine.> > あなたが送ったメールにウィルスを発見しました。> 検知されたウィルスによる感染被害防止の為、メールを削除致しました。> メールを送信しようとした宛先は下記のとおりです。> 729@acdia.net>>> 感染ファイル名:document.txt > .exe ウィルス名:W32.Netsky.P@mm> 感染ファイル名:old_photos_729.zip ウィルス名:W32.Netsky.P@mm> ==========================================================================> TT2 date:2004/10/20 15:09:51げ、うちのパソコンはウィルスに汚染していたのか、などとあわててはいけません。「VirusCheckService@VirusGuardman.com」が発信者になっているのはspamです。つまり、悪質な宣伝メール。「VirusCheckService@VirusGuardman.com」にも「729@acdia.net」にも返事など出してはいけません。皆さんもだまされないように。【追記】No.2私が生まれたのは「戦後は終わった」と経済白書に書かれたころです。でも、東京オリンピックのころになっても、まだ戦争の記憶はひとびとの心に生々しく残っていました。軍隊を舞台にしたドラマがよく作られましたが、実際に兵役に就いた人たちが数多く見ていたのですね。私も街角でアコーディオンを弾く「傷痍軍人」を見たことがあります。その多くは韓国朝鮮人だったそうです。まだ見ていないのですが、牛山純一さんや大島渚さんが制作した『忘れられた皇軍』というドキュメンタリーがありました。皇軍はまだ生きていたのです。「傷痍軍人」のハーモニカやアコーディオンの悲しい調べは、チンドン屋さんと共に、私にとっての最初のストリートミュージックでした。【追記】No.1『馬鹿が戦車でやってくる』という映画の原案は、敗戦後皇軍の兵士たちが武装解除された時に軍の物資をいろいろ持ち帰って帰郷したことに由来する。戦地には赴かず、もっぱら内務班で苦労しただけの親父様も、みんなで好きなものをかっぱらって帰ったのだと楽しそうに話していた。小さなころは痛快な話だと思っていたのだが、このお土産お持ち帰りは軍の方針だったようだ。占領軍に没収されるぐらいなら、どんどん持って帰れということか。戦車持って帰って隠してたやつもいるかもしれないねというのが、この映画の「原案」となった軽口らしい。皇軍がどれだけいいかげんなものだったのか、兵隊たちはよくわかっていた。真空地帯から解放されて、もう二度と戦争なんかやるもんかと、親父様たちは思ったのだ。上々颱風のDVDに「平和が戦車でやって来る」が入っている。字面は「戦争しましょう」という内容だ。だけど、反戦をストレートには言っていない「反戦歌」である。言葉にしてしまうとじつに陳腐だが、「平和が戦車でやって来る」なんてそんなわけないじゃないか、という歌だ。このタイトルはオーケンを下敷きにしたのではありませんよ、その昔の映画『ハナ肇の馬鹿が戦車でやってくる』(1964年)ですよ。山田洋次さんは実は日本を代表する映画監督だと思うのだが、私の場合寅さんシリーズだとちょっと鼻白むシーンが多い。『同胞 はらから』(1975年)を早稲田松竹で観ていたら、渥美清さんが消防団長の役で一シーン出てきた。観客は拍手喝采で大喜びするのだが、まさに監督はそれを狙っているわけで、ちょっとあざといなと感じてしまう。途中から森崎東監督の担当のようになってしまった、もっとどろどろした危険なものが、山田洋次監督にもあったと思う。それがたとえば『ハナ肇の馬鹿が戦車でやってくる』。原案が団伊玖磨さんという、まあ思いつきの一言を山田監督が思いっきり膨らませて作った映画だ。東京オリンピックの年、まだ小学校低学年だったので、街角のポスターを見かけて変な題だなあと思った記憶がある。この時期、山田監督&ハナ肇主演で、立て続けに「馬鹿」シリーズとも呼ぶべき映画が作られた。寅さんの原型のようなキャラクターでもあるのだが、もっと破壊的で、けっして何十年も続くような大シリーズにはなりえない「馬鹿」たちである。社会にある差別も、生々しい形で描かれる。『ハナ肇の馬鹿が戦車でやってくる』の主人公元戦車兵の家族は頭の弱い弟(犬塚弘)と耳の不自由な母親(飯田蝶子)である。農地改革を憤る地主層と対立し、村八分状態にある。最後に文字どおり社会的弱者の憤りが爆発するという筋書きである。喜劇なのだが、後味がざらりと痛い。
2004.10.20
コメント(16)
【追記】No.4急に秋が訪れたような涼しさですが、日没の時刻も急に早くなったように感じます。水平線のあたりに雲が出ていると、もう5時過ぎにお日様が見えなくなります。とりあえずCONTAXのコンパクトデジカメで撮った方をアップしました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.3養命酒のCMで渡さんの歌が流れてるそうだ。もちろん見たことがない。http://www.yomeishu.co.jp/tvcm/渡さんに養命酒では、まるでブラックジョークみたいだ。【追記】No.2ふと気づくと、CSのシネフィル・イマジカはスタンリー・キューブリック特集。今夜はこれから『時計じかけのオレンジ』(1971年)です。マルコム・マクダウェルさんはこの映画で有名だと思うのですが、そう、『If もしも....』もこの人が主演していたのであります。せっかくだから見るか。明日も私は使い物になりません。【追記】No.1ダグラス・ラミスさんが海兵隊で日本に来たことは知っていたのですが、長い間不思議に思っていました。マッチョなマリーンとイメージが全然合わないのです。さっきgoogleで検索して行き当たったところで、やっと納得できました。浄土真宗大谷派のサイトです。沖縄から問う-仏教は戦争に抵抗できるかイギリスの映画『If もしも....』(1968年)は、日本では1969年に公開。リンゼイ・アンダーソン監督。カンヌ映画祭グランプリ受賞。なんといっても男子中学生だったもので、教室の中を独り裸で歩くおばちゃんの大きなお尻が強烈でした。全寮制の名門パブリック・スクールの中で、ダメ男くんたちが暴力革命を起こそうと爆発するお話でした。戦争を暴力本能で解いてしまおうとする人がいましたが、それは違うでしょう。暴力衝動で起こせる混乱は、この映画の革命ごっこ程度のものです。動物は大量虐殺などすることがありません。欲と二人連れの偉いさんが、無辜の民だまくらかしておっぱじめるから戦争になるわけですわ。『別冊世界 もしも憲法9条が変えられてしまったら』を購入。もしも憲法9条が変えられてしまったらずいぶん懐かしい名前がいろいろ並んでいた。「第二章 もし9条が変えられたら?」の前田哲男さんは「自衛隊 拘束がはずされ、海外派兵が日常化する」。見出しを挙げておこう。「文民統制は劣化する」「拘束がはずされる」「海外派兵が日常化する」前田さんはマイケル・シャラー著『「日米関係」とは何だったのか』から二つのエピソードを紹介している。---------------------------------------------------一九五〇年の朝鮮戦争のさい、昭和天皇はダレス国務長官に私信を送り、「(日本の)長老たち、その大多数は、かつての軍国主義的見解なるもののために追放された人たち」が「貴重な助言と助力」を提供してくれるかもしれないので相談するよう申し出たという。---------------------------------------------------もう一つ。---------------------------------------------------ベトナム戦争でアメリカが苦境に立ったおり、ジョンソン大統領は佐藤首相に対し「旗幟を鮮明に(show the flag)」すべきときがきており、問題は「日本がわれわれをいかに助けてくれるか」だと迫ったとされる。---------------------------------------------------朝鮮派兵やベトナム派兵が行なわれなかったのは、9条があったためである。『イデオロギーとしての英会話』のC・ダグラス・ラミスさんは沖縄国際大学で教えているのだな。「9条に関する9テーゼ」がおもしろかったので、テーゼの一部のみ書き写しておこう。他のテーゼや論証などは買うなり借りるなりして、原文をどうぞ。2 9条は日本の戦後民主主義の要である。3 9条がなくなれば、日本社会は、現在予測される以上に変わるだろう。4 日本の右翼・軍国主義勢力は、彼らがそれを意識している以上、9条によって抑えられているだろう。5 9条がなくなれば、その右翼・軍国主義勢力は、六〇年ぶりに檻から解放された肉食獣のように行動し始めるだろう。6 その解放された肉食獣が狩りに出かける時、その最初の餌とするのは、外国ではなく、日本国内、つまり自分を六〇年間檻に入れた、平和国家を求めた日本国民であろう。『別冊世界 もしも憲法9条が変えられてしまったら』岩波書店刊 定価1000円(悪税込み)
2004.10.06
コメント(17)
【追記】No.2不安定な天候でしたが、かろうじて浜で夕陽を眺めることができました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.1籠球 basketball庭球 tennis卓球 ping-pong(table tennis)排球 volleyball蹴球 football(soccer)野球 baseball水球 water polo羽球 badminton撞球 billiards氷球 ice hokey送球 handball鎧球 American football他に木球(bowling)や打球(golf)なんて呼びかたもあるそうだが、こうやって並べてみると、野球と卓球という訳語がいかに美しいものか、つまり日本語に定着しているのかがよくわかる。今は亡き親父様は高校生のころ(旧制の農学校)、野球ばかりやっていたらしい。休みの日にごろ寝している時、仰向けになって野球のボールを天井ぎりぎりまで放り上げて遊んでいた。本当は息子とキャッチボールがしたかったのだ。映画『フィールド・オブ・ドリームス』を見た時、それに気づいた。巨人のファンで、槙原寛己投手が新人王を取った年に、「すごいピッチャーが出てきたなあ」と喜んでいた。親父さんと野球の話をしたのはあれが最後だったかもしれない。私は実に気のない返事をしたのだ。本屋さんでちくま文庫『大阪下町酒場列伝』を探している時に、『決意!』という本が目に入った。緊急出版、古田敦也会長&日本プロ野球選手会編となっている。つまり、選手会の主張をまとめた本である。支援の意味を込めて、一冊買った。プロ野球選手会はマスコミで訴える際に大きなハンディを背負っている。もちろん、あの「読売」の存在である。9月18日付の日録で書いたのだが、読売新聞の社説は選手会のストを「ファン裏切る“億万長者”のスト」などとほざいている。あきれたものだ。これが世界で一番発行部数が多いと豪語していた新聞の社説なのである。読売新聞はジャーナリズムではなく、球団経営者の言い分を載せているだけである。球団が消滅することによって職を失う選手が、生涯でどれだけの金を球団から受け取るのか。読売新聞社員の生涯賃金と比べてみてほしい。他人様の賃金など興味がないので具体的な数字は出せないが、読売の社員の方がたくさん貰っているはずだ。たかが数億円でナベツネに魂売り渡すのは安すぎるような気がするがな。報知新聞やNTV系列のニュースがプロ野球選手会のストをどう報道しているのか、私は知らない。知りたくもない。『決意!』古田敦也会長&日本プロ野球選手会編双葉社 定価:本体476円+悪税
2004.09.21
コメント(12)
【追記】No.3ロシアではメディアの官製報道化が進んでいるようだ。直接の契機は一昨年のモスクワ劇場占拠事件。プーチン大統領は武装集団にインタビューを行なったマスコミを批判し、民間テレビ局の社長を辞任に追い込んだ。さらにテロ事件報道を規制する勧告書を作成している。政権に批判的な記者が「食中毒」で亡くなったりしているのも不気味だ。プーチンがKGB(国家保安委員会)出身だということをあらためて思い出す。モスクワ劇場占拠事件でプーチンの強権化が進んだのと軌を一にしているのが、アメリカのブッシュ大統領。「9.11」を契機に、ダメ息子がマッチョな指導者に変身した。掃討作戦と称してイラク国民を殺戮しながら、どうしてイラクを「解放」しているなどと言えるのか。批判もあるが、基本的に米国メディアは「テロとの戦争」というブッシュの嘘を振りまいている。よその国はともかく、日本が問題だ。ただでさえ放送は「御用マスコミ」という体質があるのだが、今度は「国民保護法」に基づいて指定公共機関に指名された。いよいよ有事法制が施行される。官僚というのは、ひどい言い換えをするものだ。「おためごかし」もいいところで、国民を保護してやると言いながら、国民を縛りつけて勝手なことをしようとする。マスコミに責任があるぞ。はっきり言えよ。戦時立法、言論統制法だろ。【追記】No.22006年FIFAワールドカップのアジア予選、やっと一次予選の大勢が見えてきましたね。これで32ヵ国が8ヵ国に絞られます。アジア枠が広がったのでそのうちの半分は確実に予選を通過できるのですが、まあ厳しいこと。中田選手抜きで二次予選はつらいと思います。一次予選もグループ2のウズベキスタンとイラク、グループ3の北朝鮮とUAE、どちらが抜けるのかまだまだわかりません。日本代表は次のオマーン戦であざやかに勝って、一次予選通過を決めてもらいたいものです。ヤフーのリンクは蹴られるのかな。http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/wc2006/data/asia_q1_table.htmlあ、スポーツナビなら大丈夫なんだ。【追記】No.1今夜はCSの音声チャンネル、別のところを聴いてみることにしました。70年代ロック&ポップスというところをお試し。確かに番組表で曲名を眺めると、心がなごみます。アン・マレー「スノーバード」が楽しみ。STAR digio 100チャンネル:456 ROCK/POPS CLASSICS 70s放送日:2004 9/6~9/12開始時刻:4:00~8:00~12:00~16:00~20:00~24:00~楽曲タイトル:演奏者名●ROCK/POPS CLASSICS 70sPromises : ERIC CLAPTONSnowbird : ANNE MURRAYPlease Come To Boston : DAVE LOGGINSA Pirate Looks At Forty : JIMMY BUFFETTTalking In Your Sleep : CRYSTAL GAYLELandslide : FLEETWOOD MACWe've Only Just Begun : CARPENTERSCountry Girl : CROSBY, STILLS, NASH & YOUNGStealin' : URIAH HEEPI'll Be There : JACKSON 5Who Loves You : The Four SeasonsI THINK I LOVE YOU(悲しき初恋): THE PARTRIDGE FAMILYEasy : THE COMMODORESAin't Talkin' 'Bout Love : VAN HALENThe Wanton Song : LED ZEPPELIN●ROCK/POPS CLASSICS 70sRainy Night In Georgia : Brook BentonBLITZKRIEG BOP : RAMONESThunder Island JAY : FERGUSONNew Orleans Ladies : Le RouxPoint Of Know Return : KANSASSOMEONE TO LAY DOWN BESIDE ME「誰かわたしの側に」: Karla BonoffYOU CAN GET IT IF YOU REALLY WANT : JIMMY CLIFFLoves Me Like A Rock : Paul SimonAmerican Pie : DON McLEANThe Loco-Motion : GRAND FUNK RAILROADFire On The Mountain : Marshall Tucker BandSpace Oddity : DAVID BOWIESouthern Man : NEIL YOUNGMinute By Minute : THE DOOBIE BROTHERS●ROCK/POPS CLASSICS 70s(再)Dream On : AEROSMITHSpirit In The Night : BRUCE SPRINGSTEENRockin' Down The Highway : THE DOOBIE BROTHERSA Horse With No Name : AMERICABaby Come Back : PLAYERI've Found Someone Of My Own : Free MovementPeace Train : CAT STEVENSMontego Bay : BOBBY BLOOMCocaine : JACKSON BROWNEBlack Water : THE DOOBIE BROTHERSDOCTOR WU : STEELY DANStrange Magic : ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA (E.L.O.)PEACE OF MIND : BOSTONThe Captain And Me : THE DOOBIE BROTHERS●ROCK/POPS CLASSICS 70s(再)The Chain : FLEETWOOD MACI'm Eighteen : ALICE COOPERMove Over : JANIS JOPLINAja : STEELY DANTight Rope : LEON RUSSELLDreams : FLEETWOOD MACTruckin' : Grateful DeadClean Up Woman : BETTY WRIGHTHonesty : BILLY JOELRock And Roll : LED ZEPPELINSail On Sailor : THE BEACH BOYSPrecious And Few : CLIMAXHEAD GAMES : FOREIGNEROne Way Out : THE ALLMAN BROTHERS BANDNHK BS-2で「エイリアン」シリーズの三作を三夜連続放映している。私はジュネ監督の映画が好きなので『エイリアン4』がお気に入りなのだが、本来のエイリアン・マニアには評判が悪いかもしれない。1979年『エイリアン(Alien)』リドリー・スコット監督1986年『エイリアン2(ALIENS)』ジェームズ・キャメロン監督 1992年『エイリアン3(ALIEN3)』デヴィッド・フィンチャー監督 1997年『エイリアン4(Alien: Resurrection)』ジャン=ピエール・ジュネ監督 それぞれ映画の趣がかなり違うところがいい。話としては三作で完結していて、四作目はパラレル・ワールドのようなものと考えた方いいかな。リプリー(シガニー・ウィーバー)以外の俳優さん、ジュネ&キャロ映画の常連やプッツン俳優ウィノナ・ライダーが活躍するところもエイリアンらしくない。エイリアン自体が得体の知れない恐ろしい怪物から等身大の異星人に格落ちしてしまった感もある。そういえば、コンタロウさんの『1・2のアッホ』には「江入やん」なんて登場人物がいなかっただろうか。かつて、核兵器の「悪」を象徴するものとして造形された「ゴジラ」が、怪獣ブームによて善玉に生まれ変わり、イヤミのシェーまでやってしまったことを思い出す。いや、そこまでエイリアンは落ちてはいませんがね。今年は『エイリアンVS.プレデター(Alien vs. Predator)』が公開されるんだそうな。う~ん、どう考えても、それぞれのシリーズを上回る映画にはならないだろうなあ。私の場合はどちらかと言えば「捕食者」プレデターよりは「異邦人」エイリアンを応援したいのであるが、どうもエイリアンの方が悪役を貫きそうな予感。Windowsのテーマは、もう「Alien vs. Predator」が配付されてますね。[ Alien vs Predator Xtreme Desktop ]以前Alienのテーマを入れていたので、懐かしくなってインストールしてみました。やかましいうえに、なんだかやたらにいろいろ動き出すので煩わしいことがわかりました。即刻アンインストールしました。
2004.09.09
コメント(16)
岩波ホールへ映画を見にいった。黒木和雄監督『父と暮せば』。前売りを買ってあったので入れたが、その回の当日券は売り切れだった。前売りでも定員で締め切って入れなくなるのだが、ゴネて入っている人がいた。理不尽な行為ではあるが、前売り買って入れなかったら、ゴネるべし。岩波ホールでは入れるようだ。通路は補助席がびっしり埋まっていたよ。この映画に人が入るのはいいことだと思う。煩悩をいっぱい抱えたままの明るい幽霊「おとったん」は観客を笑わせてくれる。だからこそ、映画を観ている者は皆涙を流す。作家の想像力が生み出すリアリティとはこういうものだ。元が二人芝居の戯曲なので、原田芳雄さんと宮沢りえさんの対話がほとんどを占める。それだけに、黒木監督の押さえた演出と、入魂のCGが光る。戦争はいかん。戦争を止める、戦争を反対することに、論理は不要だ。詭弁を必要とするのは、戦争をしようとする者たちだけである。奴らが恐れているのは、戦争なんて嫌だという、普通の人々の気持ちだ。生きている者は、死んだ者のおかげで生きている。だからこそ、戦争で何が起きたかを次の世代に伝える義務があるのだ。「おとったん、ありがとありました」井上ひさし『父と暮せば』 新潮文庫 340円(悪税込)
2004.08.17
コメント(14)
【追記】No.2浜へ行って驚きました。始めて見ました、サメで「遊泳注意!!」。以前にも出ていたのかしら。西の空は雲で真っ黒になっていて、夕陽はおあずけでした。【追記】No.1タイトルに使った「やさしいにっぽん人」は東陽一監督の映画(1971年制作)から採ったものです。主題歌を主演の緑魔子さんが歌っていました。 ♪ 疲れたら眠りなさい ♪ わたしが歌をうたってあげる作詞は東監督なんですが、作曲は田山雅充さんなんですね。今回知って驚きました。認識や言葉の不確かさを歌っています。 ♪ あなたが森と思っているものは ♪ 死んだ人たちの爪の跡 ♪ あなたが風と思っているものは ♪ まだ生まれていない息子たちの声高校生の女の子たちの会話が耳に入る。私の出身高校の後輩たちではないか。私がいたころは45人のクラスに女子が7人いたのかな。今は男女比が同じぐらいなので、学校の雰囲気もだいぶ変わったのだろう。サッカー部の男の子たちが韓国遠征に行くらしい。といっても、練習試合をした翌日はKリーグの試合を観戦したりで、観光旅行みたいなものらしい。いいことだよな、隣国がちかくなるのは。韓国のサッカー少年たちと友達になって、楽しく国際交流してほしい。女の子たちの一人が妙なことを言い出す。「危ないじゃん! 日本人だってわかったらボコボコにされるよ!」アジアカップでの「反日応援」を韓国のことだと思い込んでいるらしい。さすがに他の女の子たちが、その勘違いを訂正している。無知が悪であることもあるのだ。サッカー部の少年たちは海峡を渡って何を見てくるのだろう。ホイットマンはアメリカを歌う。先住民や黒人を歌う。侵略と虐殺と差別の歴史。それでもホイットマンはアメリカを愛し、アメリカを誇らしげに歌うことができる。私はそんなふうに日本を歌うことができない。そんなふうにアイヌや朝鮮人を歌うことはできない。千本浜の夕陽を愛しているが、「反日」の言葉しか出てこない。「やさしいにっぽん人」よ、私は何よりもお前がダメだと思うのだ。
2004.08.06
コメント(10)
【追記】No.4急に出かけることになりました。二日ほど留守します。では♪【追記】No.3楽天広場の定期メンテナンスがあるそうです。 [日時] 2004年8月3日 1時00分~2004年8月3日11時00分この時間にシステムを停止して、「デザイン機能を大きくバージョンアップ!」するのでしょう。またしばらく不安定になるかもしれませんね。スタイルシートが使えるといいのですが、そういう改変ではないようです。新機能の変更点で既にわかっていて、私が影響を受けるところは、「3 タイトルの画像の高さが最大『150pixel→90pixel』となります。」という箇所です。「現在登録されている画像の高さが90pixelを超え」ている人は、上下が自動的にカットされます。幻泉館の看板画像を見たところ、高さが90ピクセル(90ドット)を超えていたので、89ピクセルに縮小した画像に差し替えました。看板が少し小さくなったんですよ。タイトルに自前の自前の画像を使っている方は、とりあえず同様の作業をするか、画像を他のものに差し替えた方がよろしいでしょう。編集ページのトップにでで~んと書いてある「デザイン機能を大きくバージョンアップ!」にある、「>>新機能と変更点についてはこちらからご確認ください。 」を御覧くださいな。【追記】No.2「朝まで生テレビ」をちらりと見る。「激論! 日本のプロ野球が滅亡する?!」古田選手まで出ているのだが、あんまり激論になっていない。本当に滅びるぞ、こりゃ。日拓ホームが名指しで非難されている。宣伝のために球団を所有し、一年間で売り飛ばした会社だ。1973年の日拓ホームフライヤーズ。クラウンライターライオンズは二年間だけ存在して、江川投手をドラフト指名して消えてしまった。そういう会社と一緒にするなと、ライブドアの社長さんが言っている。放送と通信がこれから急激に変わってしまうことだけは確かだ。放送は地上波がデジタル化してどうなるんだ。通信は番組コンテンツを充実させて、放送を駆逐するのかもしれない。二宮清純さんが言うように、日本にスポーツ文化はない。中学高校の部活動や大学体育会、そして大手広告代理店がその芽を摘んでいるのだろう。Jリーグには、日本に新しくスポーツ文化を育てる光明も見えた。かつて一緒に「八月の濡れた砂」を歌った男が、韓日ワールドカップの時よくメディアに登場していた。しかし、彼らが大儲けをした後、結局草も生えないような荒れ地だけが残っているのではないだろうな。【追記】No.1ここ数日間撮っていた夕陽画像、フィルム分を現像に出してきました。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]chappiさんが学生時代にいたサークルでは、コンサートの最後に「天使のハンマー」を歌っていたそうです。テーマソングのようになっていたのですね。なかなかかっこいいです。私がいたサークルでは、飲み会の最後に「八月の濡れた砂」を歌っていました。高田馬場の「水車」というお好み焼き屋さんや、「ニュー浅草」という居酒屋さんです。ああ、先輩が酔っ払ってふらつき鉄板に手をついて、掌をジュッと焼いてしまったことがあったなあ。かっこ悪いですね。「八月の濡れた砂」は井上陽水さんと結婚した石川セリさんが歌っていました。そう、若者に言っても通じない「いたれりつくせり石川セリ」の石川セリさんです。この人は少年ドラマシリーズ『つぶやき岩の秘密』のテーマソング「遠い海の記憶」も歌っているので、実はかなりファンの多い隠れた「夏歌手」なのではないでしょうか。もちろん「八月の濡れた砂」は、藤田敏八監督の映画『八月の濡れた砂』(1971年)の主題歌です。「みどりぶた」こと故林美雄アナウンサーがパック・イン・ミュージックで毎週かけていたのを聴いたのだと思います。高校生の時にこの映画と曲を知りました。実際に映画を観たのは高校を出て上京してからです。十代の不安といらだち、大人に対する憤り、こんなものがもやもやと膨らんでいって爆発する様子が痛々しくて、観るのが少しつらい映画でした。今も石川セリさんの歌を聴くと胸が痛みます。監督のビンパチさんも、主演の広瀬昌助さんも、林美雄さんも亡くなってしまいました。 ♪ 私の海を まっ赤に染めて ♪ 夕日が血潮を 流しているの ♪ あの夏の 光と影は ♪ どこへ行ってしまったのまるで「サークル歌」のようになっていたのは、私たちのサークルが、この映画の脚本家が学生時代に作ったサークルだったからです。彼らは私たちのように8ミリでくだらない青春映画を撮っていたのではありません。16ミリの機材を借りて、大分県で火力発電所建設反対運動のドキュメンタリー映画を作っていたのです。佐藤忠男さんの書いた『日本記録映像史』にも登場する、その映画は『ぶんご夏』というタイトルでした。その大先輩は鬼才として知られ、監督作品として残した映画はごくわずかですが、数多くの映像作品に脚本家として参加しました。1992年に54歳で亡くなりました。名前を大和屋竺といいます。 ♪ 悲しみさえも 焼きつくされた ♪ 私の夏は 明日もつづく「八月の濡れた砂」(A面) 歌:石川セリ 作詞:吉岡オサム 作曲:むつひろし 編曲:秋葉洋「小さな日曜日」(B面) 歌:石川セリ 作詞:山川啓介 作曲・編曲:樋口康雄『八月の濡れた砂』 (1971年 日活) 監督:藤田敏八 脚本:藤田敏八 峰尾基三 大和屋竺 出演:広瀬昌助 村野武範 中沢直人 藤田みどり テレサ野田 渡辺文雄 地井武男 隅田和世
2004.07.31
コメント(16)
【追記】No.4ブッシュがテロだと決めつけるのは、そりゃヤクザのシノギと一緒です。インネンつけて戦争をしかける。まさにならず者国家の所業です。「テロ」という言葉を恣意的に遣ってるのだから、そんな枠組みに入りこんではいかんですよ。日本の民主主義が脆いのは、レジスタンスの経験がないからだと言われますね。ニッポンという枠組みでは常に侵略者の側にいたということでしょう。ヨーロッパの例を持ち出すまでもなく、八路軍、三一独立運動、ベトコンといった動きをテロと呼ぶのは、紛れもなく侵略者の視点です。【追記】No.3かゆいです。暑いので、ものすごい勢いでノミが増えているようです。枕元にマグカップを置いていたら、ノミが浮かんでいました。跳びこんでしまったのですね。おやおやと思っていたら、もう一匹跳び込みました。二匹目にはぞっとしました。洗面所に水を張ってそこにカップのノミどもを流し込んだら、そこにもまた一匹跳び込んできました。夜中にシーツの上でじっと目を凝らしていると、また数匹つかまえました。ただでさえ寝苦しいのに、深夜ノミと格闘です。暑苦しい右翼の街宣社ですが、幻泉館地方の右翼に思想的背景はないようです。オレたちはうるさいんだぞとアピールしておくのが普段のお仕事。インネンつけて金を脅しとるというシノギで暮らしているようです。たとえば竣工期限の迫った公共事業の工事現場へ行って作業の妨害をする。邪魔されたくなかったら金を出せよということです。寄生虫みたいなものです。【追記】No.2光化学スモッグ注意報が出た日の夕方。雲が厚くて夕日が見えず、人影も少ない。それでも一人で海を眺める人がいた。【追記】No.1夏見還さんのレスにあった、右翼芸人(?)鳥肌実さんのサイトです。音がうるさいので気をつけてください。[鳥肌実 公式ホームページ]空はどんよりと曇っているのだが、放送塔のスピーカーから光化学スモッグ注意報が流れる。風がないのだろう。湿度が高くて蒸し暑い。線路の反対側から、小林旭さんの歌が聞こえてくる。すごい音量なんじゃないか。右翼の街宣車だ。このあたりの街宣車は旭さんや鶴田浩二さんの歌を流していることが多い。「出征兵士を送る歌」は時々かかる。なんだか勇ましい感じがして好きなんだろう。ところが、「昭和維新の歌」がまったくかからないんだなあ。これは前から不思議。 ♪ 汨羅の淵に波騒ぎ ♪ 巫山の雲は乱れ飛ぶ汨羅江は中国湖南省の北東部の川で、湘江に注いでいる。楚の屈原が投身したことによって名高い。「巫山の雲雨」も楚の話。懐王が昼寝して巫山の神女に遇った夢を見た故事から、男女の情のこまやかなことのたとえとして用いられる。また、男女の情事そのものを指すことがある。つまり、「昭和維新の歌」冒頭の意味は、「自殺者が相次ぎ、男女の間は乱れ切っておるぞ」ということになる。そりゃ無理だ。街宣車の右翼には言葉の意味がわからない。一番の後半は簡単です。 ♪ 混濁の世に我立てば ♪ 義憤に燃えて血潮湧く悲憤慷慨、清廉なる「我」は熱血漢なのでございます。だから、二番なんてなかなかいいですよ、財閥批判です。 ♪ 財閥富を誇れども ♪ 社稷を思う心なし日本で最大の財閥はどなたの一族だったのか、作詞者に尋ねてみたい気がします。「維新」とは、右翼による「革命」のことです。明治維新は戊辰戦争という内戦によって達成した革命でした。主に西日本の雄藩と、東北諸藩の間の戦争です。第二次世界大戦とは桁が違うのですが、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争は戦没者の数がほぼ同じで、どれも一万人余りなのだそうです。日清戦争は戦死者よりも病没者の方がずっと多いので、実際の戦死者は戊辰戦争、西南戦争という激しい革命戦争によって明治維新が成ったのだということになります。維新戦争で敗れた東軍(佐幕側)の戦死者は会津藩が群を抜いて多く、以下幕府軍、仙台藩、水戸藩と続きます。白虎隊の地で今も薩長新政府に対する反感を耳にするのは、戦争の記憶が残っているからでしょう。金融恐慌以降、汨羅の淵の波を騒がせ、身売りが相次いだのも、この地方ではなかったでしょうか。鈴木清順監督『けんかえれじい』(1966年)吉田喜重監督『戒厳令』(1973年)こんな映画を見て、北一輝のことを調べたことがあるのです。直接「昭和維新の歌」に惹かれたわけではございません。
2004.07.22
コメント(8)
【追記】No.1『百年の孤独』を原作とした寺山修司監督の『さらば箱舟』(1984年)は、結局マルケスに認められることはなかったようですね。原田芳雄さんが亡霊を演じていました。芳雄ちゃんは鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)でもそんな役でしたね。黒木和雄監督の『竜馬暗殺』(1974年)や『祭りの準備』(1975年)では生きている人間の役ですが、死の影は非常に濃かったと思います。かなり強引に引っ張りましたな。この夏、黒木監督の新作、『父と暮らせば』が公開されます。井上ひさしさんの戯曲が原作。黒木監督としては『TOMORROW/明日』(1988年)『美しい夏キリシマ』(2003年)に続く戦争レクイエム三部作の完結編となります。庶民の日常と戦争を静かに描いた反戦映画ですね。芳雄ちゃんはまた幽霊の役です。ひさびさに岩波ホールへ見に行こうかと思っています。『父と暮らせば』オフィシャルホームページ昨夜選挙戦最後の党首演説をテレビでちらりと見た。公明党神崎代表がすごかった。「百年ビクともしない年金法を作り上げました!」平気でウソをつく人だな。マルケスだったか。「百年経ったら、その意味わかる」いや、百年も要らない。あっという間にバレるウソだろ。
2004.07.12
コメント(12)
【追記】No.4WOWOWが無料放送の日であった。ドタバタと畑仕事に出る前に気づいて、『ホテル・ハイビスカス』を録画して出かける。ちょっと頭が欠けたのが残念。大汗かきました。暑いっすね。【追記】No.3夜中に大友克洋さんの『AKIRA』をやっていたので、ついつい全部見てしまう。そうか、アニメだとこういう話になっていたのか。『童夢』が1980年だったろうか。ということは、『ハイウェイスター』『さよならにっぽん』を読んだのは70年代ということになる。双葉社「漫画アクション」の作家さんだった。最初は日本人の顔をちゃんと描いたというところに惹かれたのでありました。綺譚社から出ていた作品集はどこに行ったかな。後で探そう。【追記】No.2土曜の昼下がり、浜に行くと「トライアスロン大会」の垂れ幕が下がっていた。堤防の上にパイプで柵が作ってあり、定間隔で番号が付いている。自転車を留めるところかな。競技をしている様子はないので、日曜日に開催らしい。カイトサーフィンも見えるし、海で泳いでいる男子中学生らしい集団もいた。本当にもうすぐ夏休み。【追記】No.1明けて7月4日はアメリカ合州国の独立記念日です。ジョージ W ブッシュという凡庸な人物がこの大国の大統領になった後しばらくの間、なにか非常に大きな劣等意識を抱いているように見えた。彼自身、ビジネスでも政治でも自分が無能であることを知っていたからである。他人から指摘されたくはないけどね。そこで彼は「Independence Day」(1996年)という娯楽映画の中にその解決策を見いだした。「そうだ、オレはあれになっちゃる!」地球を侵略せんとする異星人と戦う、マッチョな大統領。いよ、大統領! 宇宙一!ペルーの大統領になった日本人が銃を持ってみせたのと同様に、やたらに軍服を着たがり、そして異星人と戦う決意をしたのである。もちろんそんな異星人なんていやしない。そこで、自分が正確に覚えられないような地名の場所に暮らしている異教徒を血祭りに上げることにした。さいわい、アジア人の生命はWASPの五十分の一程度の重さしかないらしい。これで再選確実……ありゃ、ダメなのか?あだしごとはさておき、『ナッシュビル』のクライマックスには、ある悲劇が用意されています。でも、パンドラの箱に最後に残っていたという小さな「希望」が仕掛けてあります。このあたりが、アルトマンがアメリカの監督らしいところだと思います。スタッフ&キャストのリンクが充実した日本語サイトを見つけましたが、下の方にある「ユーザーコメント」は不正確なネタバレがあるので、ご覧にならない方がよろしいようです。ナッシュビル(1975)ロバート・アルトマン監督というのは非常に毀誉褒貶の激しい人で、その作品が嫌いな人は全然ダメなんでしょうな。私は大好きです。大御所なのに、なんだかカルトな雰囲気ね。まるでバラバラに見えるいろいろなエピソード。それぞれ勝手にささやかなドラマと格闘している人々の群れが、クライマックスで一つにまとまる。それが最も鮮やかに成功した大傑作が、『ナッシュビル』(1975年)だ(と私は思う)。公開時に見ていないので、後年テレビで見た。ところが、途中から何気なく見始めたので、どうにもちゃんと全部見たくなってしまった。ビデオを入手しようと思ったら、これが日本では出ていない。そこでアメリカから個人輸入で買ったのだ。今はamazon.co.jpで、そのアメリカ版ビデオを扱っている。検索したら、2本組みで1684円(悪税込)。大傑作ですから、安いものですよ(と私は思う)。これは音楽映画でもありまして、キース・キャラダインが自作自演で歌う「I'm Easy」なんて、本当にいい曲です。この弾き語りで主婦を誘惑してしまったりするのですが、なんだか納得できちゃいます。とにかく出演者が多いので、下のリンク先で見てください。すごい人がいろいろ出ています。Nashville (1975)カントリー&ウェスタンの大御所を演じるヘンリー・ギブソンさんは、『ブルースブラザーズ』(1980年)でネオナチのおっさんの役をやってた人ですね。美空ひばりとジョーン・バエズを足して2で割ったような歌姫役のロニー・ブレイクリーさんは、ヴィム・ヴェンダース監督の奥さんだった人。他にも、いろいろおもしろい人が出ています。
2004.07.04
コメント(6)
【追記】No.5カメラが戻ってきたのでひさびさにヒナを撮影。これは私の食事中。テーブルの上に登ってなんかくれと訴えているところです。行儀悪い。チビ君は一度叱ったら二度と食卓には上がらなかったのに。なにやら憮然としております。【追記】No.3マーチン弩級28号君の弦を張り替える。この前買ってきた、あのくるくる巻き試してみる。なるほど、少し楽になる。でも、ペグを傷つけそうだなあ。あ、間違えた。弦を巻きつける向き、普通は左に回すと音が高くなるように巻くのです。4弦から6弦の太い弦はいつも通りの向きに巻いたのですが、3弦を逆に巻いてしまいました。この弦だけ逆というのも合わせにくいので、1弦と2弦も逆に回しました。なんだかうんじゃらげ。悔しいな。蚊がプ~ンと飛んでくる。熱を出していたようで、ヘルペスの疱疹ができる。昼間はお天気がよくて御機嫌だったのに、なんだかなあな気分だわ。【追記】No.2井上防災担当相の失言。あのひと、何も悪いとは思ってない。ん~、これはどこかで聞いたようなパターン。ああ、あの人、小泉クンの親分の元首相がよくやってたわ。【追記】No.1帰宅すると修理済みのカメラが届いていた。メモリーを入れて、5月21日の夕陽画像を吸い出す。おお、ひさしぶり。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]有馬敲さんの『時代を生きる 替歌・考』をぱらぱらと眺めているのだが、実際に自分が歌ったことのある替え歌は少ない。インチキな伝統を誇っていた出身高校で歌わされた応援歌が替え歌なのは気づいていた。歌詞の方も著名な漢文からの剽窃である。旧制中学生たちがおもしろがって作ったものがいつのまにか「伝統」になってしまったのだろう。ハワイ民謡の「タフワフワイ」とアメリカ南北戦争時の「リパブリック讃歌」は同じ曲なのだが、どちらが元歌かわからない。アメリカでも「リパブリック讃歌(Battle Hymn of the Republic)」には、「ジョン・ブラウンの赤ちゃん(John Brown's Baby)」という別系統の歌詞があり、日本でも数多くの替え歌が生まれた。 ♪ 権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた ♪ 権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた (「権兵衛さんの赤ちゃん」) ♪ お玉じゃくしは蛙の子 ♪ なまずの孫ではないわいな (「お玉じゃくしは蛙の子」)どちらもおなじみだが、それぞれ「権兵衛」を他の名前に変えたような変種も多い。有馬さんの本によれば、大正時代の演歌師によって非常に数多くの替え歌が生まれたらしい。幻子心母が女学生だった時代に歌ったという、きれいな替え歌も載っている。 ♪ 小さい鉢の花ばらが ♪ あなたの愛の露受けて (「ばらの唄」) ♪ たたねばならぬ旅の空 ♪ さらば静かに暮らしてよ (「訣別」)さらに、一度も聞いたことのない替え歌もいくつか載っていて、替え歌の世界ではこの曲が非常に人気者だということがわかる。振りを付けて踊りながら楽しく歌うこともできるし、寂しげなアレンジも可能な曲なんですな。「竹田の子守唄」のメロディや歌詞の検証もしている。有馬さんによれば、「竹田の子守唄」が歌われるようになったきっかけは1966年、東京芸術座で住井すゑさんの『橋のない川』を舞台上演する際に、音楽監督の尾上和彦さんが、竹田に伝承されてきた曲をベースにアレンジを加えて用いたものだという。ここまで出自が確定されるとは思わなかった。それを伏見の合唱団「はだしの子」がレパートリーに加え、それを聴いた高石友也さんや高田恭子さんが歌うようになった。それを赤い鳥の後藤悦治郎さんがレコーディングしてヒットさせたのである。竹田で歌われていた子守歌を採譜したものが掲載されているが、ヒットしたおなじみの「竹田の子守唄」は、実際には尾上和彦さんが作曲したものということになるようだ。おもしろかったのは、井上光晴さんの話。小説『地の群れ』に自作の手まり歌を載せたところ、NHKが現実に歌われている歌と勘違いして「新日本紀行 長崎」で紹介したのだそうな。もっとも、「うそつきミッチャン」の言っていたことなので、どこまで本当か知りませんよ。 ♪ 四月長崎花の町 ♪ 八月長崎灰の町 ♪ 十月カラスが死にまする ♪ 正月障子が破れはて ♪ 三月淋しい母の墓
2004.06.05
コメント(20)
【追記】No.2そういえば数年前に足の親指の生爪をはがした時、『赤頭巾ちゃん気をつけて』を思い出しました。これか!という感じ。でも、痛風の発作の方が往生こきました。不思議なことに痛風は三十代の間だけで、もう治りました。【追記】No.1歯医者さんに行ってきました。前回忘れていたので、ひさしぶり。親知らずの詰め物が外れた箇所を穴埋めしてほぼできあがり。再来週行って終わりかな。歯は直接自分で見ることができないので、いろいろ妙な想像をしてしまいます。接着剤の臭いをさせながら歯医者さんがこちょこちょいじっている時は、瓶の中の船の模型を想像します。小さな時に作った戦艦大和のプラモデルが、奥歯にくっついている映像。熱線で照らしている時は、線香花火のあの最後の赤い球を口の中に落とされるような感じがして恐いです。一時期、砂糖菓子が崩れるように歯がぽろぽろ崩れていく夢を見ましたが、このごろは見ません。5月30日(日)付毎日新聞朝刊書評欄。清水徹さんが奥武則著「むかし<都立高校>があった」を紹介している。1967年都立高校の格差是正のために導入された学校群入試制度が、それまでの長い歴史に支えられた都立高校のあり方を殺してしまったと著者は主張しているそうだ。平凡社刊1890円(悪税込)。う~ん、買わないかな。地方都市、つまり田舎の中学生だった私は庄司薫さんの「薫クン」シリーズを通して、学校群制度以前の都立日比谷高校というものを知った。番町小学校→麹町中学校→日比谷高校なんちゅう「エリートコース」だ。越境して公立の小学校に通うなんてアホかいなと思ったものだ。現在実に希少な社民党国会議員である保坂展人さんは、この幻想に支えられ越境通学し、中学全共闘を名乗るに至った。彼には壊さなければならない幻想があったのだ。私やizumatsu君と大学1年の時同じクラスにいた九州成君(仮名)は惜しいところで日比谷高校に進学せず、九段高校に通っていた。学校群制度のためである。彼はさらにまた惜しいところで大学は第一志望の官僚養成学校を落ちて、すべりどめだった私たちの学校に来ていたのだが、結局は受けなおして官僚養成学校に行ってしまった。それでサッカーばかりやっていたそうだが、今は社会学の先生をしているはず……なんですが、お元気でしょうか。90年代に一度吉祥寺のまめ蔵で一緒にカレー食いました。「薫クン」の日比谷高校では、その「いやらしさ」が繰り返し強調されていた。学校の勉強なんぞクソだぜと気取ってみせたり、トリビアな知識で友人を驚かせたり、エリート予備軍の俗物根性が描かれていて、実はこれには少し憧れたのであります。旧制中学からの伝統ということでは、私の通っていたのんびり東高でも、ことあるごとにそんなことを言い立てていた。ただ、アホな先輩が言いたがる伝統がインチキなものであることはすぐにわかった。たかだか十年程度の習慣を伝統とは片腹痛いわい。悪しき「伝統」、ばからしい習慣は壊さにゃならぬ。壊すのに失敗した僕は、早乙女(仮名)という教師にフォークソング同好会をつぶされたこともあり、のんびり東高とはなるべくかかわらないようになった。そうそう、アホな先輩、当時空手部部室の前に呼び出してくれた川村(仮名)という上級生のことは、今も軽蔑している。いまごろはきっと地域の青年会議所なんぞのメンバーにでもなっていることだろう。早乙女(仮名)という教師も上昇志向が強かったな。さしたる理由もなくフォークソング同好会をつぶすといったようなことを繰り返して生徒の自主性を摘み取っては出世を続け、地域の教育長になったようだ。前にも書いたが、私が最も軽蔑する教師だ。いかん、いかん、つい力が入ってしまった。ところで私信、じゃん子さん、作者の庄司薫さんは、小説の主人公の薫クンよりだいぶ年上のはずです。今のじゃん子さんが、高校生を描写する感じかな。『赤頭巾ちゃん気をつけて』小説は1969年発表。あ、芥川賞受賞してるんだ。翌年(1970年)映画化。森谷司郎監督、薫クンの役は岡田裕介さん、由美ちゃんの森和代さんが良かったです。佐良直美さんが同名タイトルの主題歌を歌ってました。
2004.06.01
コメント(26)
【追記】No.4炊飯器の調子が悪いので、急いで買いに行かねばならない。亡き親父様は、どうも電気やガスの炊飯器が苦手で、自分で炊かなければならない時には飯盒を使っていた。飯盒をガスの火にかけるのだ。独身時代もきっとそうやって御飯を炊いていたのだろう。確かに電気炊飯器よりおいしかった。でも、後片付けが大変なんだよね。【追記】No.3ご当地自慢大会開催中!会場はこちら→「私のキティちゃん」【追記】No.2ビデオでETV特集の冒頭を見る。もちろんそのままもう一度番組を見てしまう。映画館に上映途中から入った時みたい。 ♪ 学校で何を習ったの? ♪ 可愛いオチビちゃん懐かしい「高石友也」だと思う。その時代リアルタイムで聴いたわけではない。数年後、中学生になってから遡って聴いたはずだ。岡林信康さんや中川五郎さんが歌うようになったのは高石さんを見たからだという、なんといっても元祖関西フォーク。URCも元は高石さんの事務所がやっていた。本名は「尻石」という珍しい苗字だったと思うのだが、地域によってはよくある名前なのかしら。以前ピート・シーガー『虹の民に送る歌』のことを書いたのだが、あの本は高石ともや事務所で買ったものだ。宵々山コンサートのCDもそうだったかしら。FAXでやりとりをしたのだが、高石さん御本人が作業をしていました。中山ラビさんや友部正人さんも、返事をくださるのは御本人なのかな。【追記】No.1浜で津軽三味線を聴きながら、映画『竹山ひとり旅』(1977年 新藤兼人監督)を思い出していた。それでこの映画のことを書こうかと思ったのだが、中止。三線から生まれた楽器、「一五一会(いちごいちえ)」に話が戻ります。ヤフオクで中古に新品以上の値が付いてしまうという品薄状況らしいのですが、本当かしら。と思って、以前利用したことがある楽器の通信販売サイトを覗いたのです。近所の楽器店よりかなり安いところです。その楽器屋さんのサイトでは、「一五一会」の廉価バージョン「音来(にらい)」には「※現在ご注文が殺到しておりますので、発送はご注文順とさせていただいております。ご了承くださいませ。 」と書いてありました。ところが、「一五一会」の方にはそんな注記がないのです。価格も、ケース付きでも本体のみの標準価格より安いのです。あれ?教則ビデオや楽譜集を付けてもまだ安い。なんだか注文しなくては損だという気がしてきました。(バカだね)で、注文してしまいました。「発送しました」のメールが届きました。ちょっと距離があるので、明後日着くことと思います。あら。買っちゃった。しかし、ETV特集、NHKなのにどうなの。「一五一会」「音来」や「いせや」の宣伝しちゃってるよぉ。ヤイリギター「一五一会」夕方浜に出た。雲が出て、お日様は隠れてしまった。夕焼けにならなかった。明日は雨なんだろうなあ。堤防に腰を下ろし、津軽三味線を弾いている人がいた。波の音を越えて響いている。
2004.05.16
コメント(12)
【追記】No.5どたばたと一日動き回っておりました。旅行の準備も済んだかな。隣町の叔父さんが大菜園の周囲の木をチェーンソーで切り倒し、草刈り機をかけてくれました。見違えるようなハタケ。まくわうりなんぞ植えてきました。夕方浜に出ると、祝日なのですごい人出。他県ナンバーの自動車も多かったです。アンプを内蔵したギターを弾いてる人がいましたが、あっという間に錆びちゃうよ~。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.4快晴。ひたすらお洗濯。布団も干すぞぉ!畑も行くぞぉ!反日、じゃなくて半日はそれで大イソガシです。【追記】No.3お、やってくれたね、サッカー日本代表。中田抜きでチェコに勝ったんだ。やってくれちゃったなあ、民主党代表。菅代表たった一人の「未加入」で、閣僚の七人もが年金未納未加入だという事実が、イメージの上では完全に相殺されてしまったじゃありませんか。結局政治不信が増大して、なおかつコイズミ君一人がなんとかさわやかな雰囲気を保つ。これこそファシズムへの道まっしぐら。民主党が一所懸命そのお手伝いをしているように見えました。【追記】No.228日(水)は青い空と白い雲がきれいでした。山の木々もはっきり見える。隣町はヘドロで有名だった町ですが、その工場が吐き出す煙もよく見えました。本格的な夕焼けになる前に浜を去るのがとても残念でした。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.1問題の出産シーンなのだが、武田さんの場合は正面から撮影している。それに対して小林さんの方は人の陰に入るように撮っているので、「昔のオンナの出産シーンは撮るのに、今のオンナの出産シーンは撮れない」という見当違いな批判があったそうだ。以前上映会で見た時はただ圧倒されていたのだが、今回は冷静に比べることができた。武田さんの方はピンぼけ映像なのだが、ライトを持っている小林さんもおろおろしていているだけ。原さんの狼狽した様子がそのまま映像に残っているような印象を与える。武田さんは本当に独りで出産しているのである。小林さんの出産では、ずっと冷静に映画作りを意識した映像。人がたくさんいて、武田さんが指示を出してたりしている。こうやって産んだ子供を、武田さんは「東京こむうぬ」という共同保育の場で育てる。2年ほどで解散したようだが、このこむうぬの映像の後に映画はストリッパーの踊りで唐突に終わる。解説はないのだが、これは武田さんが働いている姿なのだろう。前半に武田・原・小林の激突をこれでもかと見せた後に出産シーンで圧倒し、最後に何か希望のようなものを見せて映画を閉じる。映像作家として原一男さんが自分をさらけ出して作った映画は、1972年から1974年の時を今も固定して我々に見せてくれる。30年後の今、あんなふうに吠える武田美由紀さんはいるのだろうか。70年代の「ウーマンリブ」が「中ピ連」でくくられて片付けられてしまうのは惜しむべきことだと思う。だいぶ前に買ったDVDを発掘したので、夜中にだらだらと見た。原一男監督『極私的エロス・恋歌1974』。学生時代に上映会へ出かけていって見た映画。出産シーンを撮ったということで、センセーショナルな扱いかたをされていました。原監督が三年間同棲していた相手、武田美由紀さんが沖縄へ旅立つ。そこで暮らし、独りで子供を産むために。原監督は武田さんとの関係を保つために映画を撮る。映画の制作者は原監督の新しい「女」である小林佐智子さん。武田美由紀という女性が、とにかく圧倒的でした。小林さんも今の基準からするとかなりな人なんですが、武田さんの前ではおとなしいかわいらしい女性に見えてきます。これが家庭のテレビで見れるようになるとは思わなかったなあと、年寄り臭い感想。もちろん、後に『ゆきゆきて神軍』がブレイクしてしまった原監督です。『極私的エロス・恋歌1974』(1974年 疾走プロ) 制作 小林佐智子 監督・撮影 原一男 音楽 加藤登紀子
2004.04.29
コメント(8)
【追記】No.4今日も初夏のような好天で、夕刻の浜も夏のにおいがしました。携帯電話で夕陽の写真を撮る人が多いのですよ。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.3自衛隊よ、早く帰っておいで。君たちは戦場に行くはずではなかっただろう。楽天広場の友人のところに、匿名の嫌がらせメッセージが届いている。「自己責任」とやらを声高に怒鳴りながら、脈絡のない内容を汚い言葉で投げつける。自分の責任は絶対にとらないつもりらしい。それでは相手にしてもらえないわ。アホである。隠したつもりでもちゃんと足跡残るんだよ、いいかげんにしなさい。【追記】No.2Yahoo!オークション。ぷがじゃまがじん別冊で糸川耀史写真集「GOODBYE THE DYLAN II」が出ていた。500円スタートでどうかなと思っていたら、13,500円で終了していた。すごいな。PENTAXのレンズでちょっと気になるものが出ていた。どうしようか。一日考えよう。【追記】No.1映画の原題と邦題を検索していて、感動的サイトを発見しました。「世にはびこるカタカナタイトル映画に対してふさわしい邦題を付与することを主眼とするものである。」勝手邦題怒らないでね。今日も春というより初夏のような陽気。いい季節です。ツツジが咲いてますね。躑躅ってのは読めるけど書けない。なんとなく髑髏(読めるけど書けない)を思い出すので、あまり好きな字ではありません。小学校の家庭訪問。先生を待っている間、庭に咲いていたツツジの花を採って蜜をなめたりしてましたっけ。母親が家庭訪問をして回っているので、親父様が先生を迎えるのです。恥ずかしかったな。就職や進学で変わった環境に慣れてくる時期でもあります。先日スーパーで買い物をしていたお嬢さんたち、一緒にカレーライスとサラダを作って食べるというメニューが丸見えでほほえましかったです。ふと「愛と青春の旅だち」なんて言葉を思い出しました。80年代初頭の映画のタイトルだけど、この「愛と青春」が大ヒットしてしまい、もはやパロディにしかなりません。映画の原題は「An Officer And A Gentleman」でした。「士官と紳士」なんだけど、むしろ「士官よ、紳士たれ」といった感じ。これがどうひっくりかえったら、「愛と青春の旅だち」になるのか、実に不思議です。ビートルズの「Norwegian Wood」が「ノルウェーの森」になってしまったのは誤訳だけど、映画のタイトルは売らんかな精神の結果でしょうね。ほんでもって、どうせ観客の水準はこんなもんだろうというバカにした姿勢が見えるのが不愉快です。映画の黄金時代は、もっと風情のある邦題を考えて付けていたようだ。人材が違うと言ってしまえばそれまでか。「慕情」(1955年 LOVE IS A MANY SPLENDORED THING)「旅情」(1955年 SUMMERTIME)「おしゃれ泥棒」(1966年 HOW TO STEAL A MILLION)「唇からナイフ」(1966 MODESTY BLAISE)この辺になると微妙かな。「雨のしのび逢い」(1960年 MODERATO CANTABOILE)「別離」(1973年 ASH WEDNESDAY)1976年に「だれのものでもないチェレ」という悲しいハンガリー映画があったのですが、この原題は「Arvacska」。ハンガリー語なんてまるでわからないんですが、邦題は意味が違うんだろうな。原作が「みなしご」という作品だそうなので、映画も「みなしご」なのかしら。比較的新しくても、邦題に感心したものもあります。「レナードの朝」(1990年 AWAKENINGS)こういう映画はちょっと苦手。邦題は悪くないように思う。「女神がそっと微笑んで」(1991年 MONEY)こういうセンスは好きです。果てしないので、この辺で。ネタもとはこちら。映画の原題と邦題が大量に書き連ねてあります。http://www.tku.ac.jp/~juwat/m-title.pdf
2004.04.22
コメント(18)
【追記】No.5夕陽を見に浜へ出ようと思ったら、ガス欠でありました。ガソリンスタンドから、西の空を眺めました。【追記】No.4あはは、いくら高みに立って分析してみせたつもりでも、買っちゃったらあなたの負けです。買っちゃダメだよ「週刊文春」「週刊新潮」。【追記】No.3TBSでニュース23を作っていた金平茂紀さんは、いまTBSワシントン支局長として活躍している。昨日の、パウエル米国務長官へのインタビューは特筆すべき出来だった。あやしげな言語をあやつるブッシュ大統領と違い、パウエル国務長官は論理的に整然と話すことのできる人物である。「人質になったような、良き目的のためにすすんで自分の身を危険にさらすような人々を、誇りに思うべきだ」と断言している。うすっぺらなキャッチコピーしか口に出すことのできない日本の首相とは大違いだと感心した。JNNの独占インタビューのため、他局の御用ニュース番組が取り上げることのない発言だが、ヤフーみたいなポータルサイトは、このような報道こそ取り上げるべきだよなあ。金平茂紀さんのサイトホワイトハウスから徒歩5分インタビューの感想04月15日(木)[パウエル長官のある種の雰囲気にたじろぐ]-- 以下引用 ------------------------日本に蔓延している「軽率」「自己責任をわきまえろ」論との何たる隔たりか。インタビューまでの待ち時間に、一緒に国務省の控え室で待っていたカナダのテレビ局のボスやイタリアのテレビ局の人と話したが、もし政府の人間が、公の席で人質になって困難な状況にある自国民を非難するような発言をしたならば、その人物は職位を解かれるだろう、と言っていた。国情の違いか。今も、CNNのラリーキング・ライブに米民間人人質の家族が生出演して、視聴者に心情を切々と訴えている。-------------------------------------楽天に巣くう自称国際派ジャーナリストからは、絶対にこのような感想は出てこないだろう。キャッチコピー首相の走狗ないしは番犬予備軍にすぎないのだから。【追記】No.2「全国ネットお花見会」開催中!一ヵ月以上開催してきた「全国ネットお花見会」ですが、そろそろ幕引きが近づいたようです。この土日に最後の投稿をお願いします。会場はこちら。「花より団子板」【追記】No.1実にくだらない画像で申し訳ありません。15日(木)の、千本浜です。夕陽を見に行った時のものです。公園駐車場近くに路上駐車していた人が、警察官とお話をしています。縮小したのでよく見えませんが、駐車違反とされた運転手の頭部がほんのわずか写っています。警察官が5人写っています。私の後ろにパトカーがもう一台駐車しています。一台は後から呼ばれた車のようです。明らかに違反車両よりもパトカーの方が場所をとってます。ほんでもって、5人(+α)がかりで一人の駐車違反を摘発。ふうん。ふと「もしもあの世に行けたなら」が聴きたくなった。「Suicide Is Painless」ちょっと危ない映画の危ない主題歌なんだけど、きれいな曲なんです。家のどこかにCDがあるはずなんだけど、すぐに出てくるとは限らない。googleしてみました。おお、この曲はファンが多いんだな。いろいろヒットしましたが、とりあえず歌詞がわかって、メロディが聴けるところ。Suicide is Painlessこれ、前に日録で書いたはずなんだけど、楽天に転載したかどうか忘れてしまいました。検索しても出てこないなあ。蔵出ししてしまいます。だぶってたらごめんなさい。----------------------------【2003年10月30日付日録より】昔は(いつだ?)映画の話ぐらいしかできないやつというのは、悪い意味で使われていた。手持ちの話題が乏しい人という意味だろう。映画だったら、誰でもなにか一言ぐらいは言えるから。履歴書に趣味は読書としか書いてないみたいな感じかな。本当に読書が趣味であるのは、その中のごく一部なのに。今だったら、テレビ番組の話しかできないやつということになるのかしら。ある一つのことを通してしか人と関係性持てないのを、「おたく」と言うらしい。でも、テレビの話しかしないやつを「おたく」とは言わないみたいだなあ、不思議。さて、映画の話だが、どうもスピルバーグは苦手だ。そこそこおもしろく見ていられるのに、最終的にはどこかしらに不満を持ってしまう。これは肌合いの違いかもしれないので、どうにもうまく説明できない。全然関係ないのに、スピルバーグというとビル・ゲイツ君を連想したりする。逆に、駄作もたくさん作っているのに憎めない、好きな監督もいる。筆頭としてロバート・アルトマン(Robert Altman)を挙げておこうか。いろいろな人が出てきていろんなことをごちゃごちゃやらかし、最後にちょっとした山場が用意されているというのが基本形。なんだか猥雑なエピソードが同時進行するのだが、なによりも権威や権力をおちょくった姿勢が、私のお気に入りなのかしら。出会いは『M*A*S*H』(1970年)。主題歌「もしもあの世に行けたら」(Suicide Is Painless)がきれいなバラードで、とてもよろしいです。ブラックコメディ。原作の方だとなんだか東アジア人に対する見下した意識も感じられるのがちょっと。そして私がアルトマン監督の大傑作だと思うのが、『ナッシュヴィル』(1975年)。捨て猫みたいな歌手志望の小娘が、最後のクライマックスのところでとてもいいです。「パンドラの箱」の最後にのこっていた「希望」みたいな感じね。2作とも見たいと思った時期に日本でビデオが出ていなかったので、本家amazon.comに注文を出しました。今はamazon.co.jpでUS版が買えると思います。アメリカのビデオは安いんだよね。え~と、「Nashville」はあるな。U.S. $14.95 価格: ¥1,639-長いので、2本組みのはずです。音楽映画ですよ。あ、当然字幕は付いてません。アメリカ語のお勉強にもなります。ぜひお買い求めくださいませ。「M*A*S*H」はamazon.co.jpでは米版はないけれど、日本版が出てますね。たぶんレンタル屋さんにもあります。
2004.04.17
コメント(18)
【追記】No.2午後から雨が上がってきれいに晴れた。ただ、風がかなり強い。時間もあまりなかったので、夕暮れの街を少しだけ歩いた。夕陽はオレンジ色に近いきれいな色をしていたが、浜に出ても波のしぶきが飛んできたことだろう。歩行者専用橋「あゆみ橋」を人がぞろぞろ歩いているので驚いた。こんなに人が歩くことがあるとは知らなかった。人の波はすぐに終わってしまった。もしかしたら、みんな市役所の職員だったのではあるまいか。つまり、ほぼ市役所ばかりが利用する、歩行者専用橋なのではないかしら?昨夜から今朝にかけての雨で桜の花が散ってしまったのではないかと心配していたが、まだつぼみが多いので大丈夫そう。のんびり市の桜は、これからです。【追記】No.1「全国ネットお花見会」開催中!東京のお花見は今がピーク。主催者夏見還さんは宴会画像や夜桜をアップしています。ケムちゃんさんは日立の桜♪下の画像はSL D52のある公園です。会場はこちら。「花より団子板」のんびり市は自然も残っていていいところなんだけど、映画・演劇・音楽なんぞに関してはかなり寂しい。私の高校生時代で言えば、ATGの映画は東京まで出なければ見ることができないのだ。だから上京してしばらくの間は、名画座と呼ばれるような映画館によく出かけた。それでも、どういうわけか封切りで見た映画もある。たとえば『桜の森の満開の下』(1975年)。吉祥寺の映画館で一人で見たのだが、どうして高い封切りを見たのか覚えていない。一つの可能性は、「ぴあ」でチケットが当たったということ。もう一つの可能性は、雑誌で読んでその気になったから。どっちだかわからない。当時は「キネマ旬報」の編集長が白井佳夫さんだったので、毎号読んでいたのだ。白井さんから黒井さんに替わって読まなくなったのだと思う。あれはいつごろだったのか? 『桜の森の満開の下』 原作:坂口安吾 脚本:富岡多恵子 監督:篠田正浩これで見たくなったのだと思う。でも、きれいだけどなんだかいまひとつ没頭できなかった。私とは相性が悪いのかなと思った。で、一緒にやっていたのが『吾輩は猫である』で、こちらの方がずっとおもしろかった。篠田監督に比べて遊び心が多いので、市川監督の方が好みに合っているのだと思う。 『吾輩は猫である』 原作:夏目漱石 監督:市川崑小学生のころからお馴染みだった世界を、かなりはまった役者さんが演じてくれるのが楽しかった。特に、迷亭のようなキャラクターは、伊丹さん意外には考えられなかった。 苦沙弥先生(漱石):仲代達矢 迷亭:伊丹十三 水島寒月:岡本信人え~、他に思い出すことがあったら追記します。
2004.04.02
コメント(16)
【追記】No.4広辞苑から引用しておきます。もちろん川本さんや滝田さんは赤衛軍事件の犯人ではありません。これがフレームアップというものです。----------------------------フレーム‐アップ【frame-up】無実の者を罪に陥れること。多くは政治・治安・イデオロギー上の理由から、事実を曲げたり事件を捏造したりして犯罪者を仕立てあげ、世論の攻撃を誘導する政治的詐術。でっちあげ。----------------------------ついでに、過去の日録で「朝日ジャーナル」に触れたもの。朝日ジャーナル 1971年3月19日号[1977-1970 > 2003-1996]【追記】No.3じゃんばらやさんの書き込みで思いだしたのだが、評論家の川本三郎さんは「朝日ジャーナル」の記者でした。1972年に朝日新聞社を退社したのですが、そのきっかけは日記本文に出てくる菊井良治による赤衛軍事件です。この事件は当時日大生だった菊井良治らが朝霞駐屯地に侵入して自衛官をナイフで殺害し、武器を奪ったというもの。彼は赤衛軍という幻の党派をでっちあげて自白します。そして、指示を出したのは滝田修氏だと供述しました。取材で接触していた川本さんが共犯容疑で逮捕され、滝田さんが指名手配されたのです。この大迷惑な人物、今はどこで何をしているのでしょうか?というようなことを書くと、個人情報保護法違反なのかな。【追記】No.2「週刊文春」に対する出版差し止め命令に関しておもしろいのは、今まで「人権屋」などという言葉を遣っていた連中が突然人権意識にめざめたかのような発言を繰り返していることである。これを御都合主義と言う。「エセ人権屋」などという非常に屈折した罵倒語を遣いたくもなるものである。楽天広場内の自称ライター諸氏に関しては、どの程度信頼できるライターさんなのか、いまのところ便利な基準ができたとも言える。一見論理的な人物が、意外に権威やノイズに弱いということも思い知りました。論理の前提となる情報や知識がまっとうなものでなければ、御本人の意志に反してファシズムの推進役を演じることになってしまうものです。【追記】No.1「全国ネットお花見会」開催中!冷たい雨が降っていて、花撮影の散歩ができず。一昨日撮った別のパンジーです。会場はこちら。「花より団子板」日本の民主主義は脆弱だなあと思う。獄中何年の非転向は立派だが、戦時中の前衛党はついに反ファシズム闘争を組織することができなかった。パルチザンの伝統を持たないということが、後々大きく響いているのだろう。「週刊文春」という非常に低俗な雑誌がターゲットになったために論点が見えない方がいるようだ。事情のよくわからない人は仕方がないかもしれない。しかし、少なくとも雑誌に原稿を書いて暮らしているプロのモノ書きさんが、事前検閲に賛成しているのにはあきれた。あなたの書いている原稿がどれだけ御立派なものなのか存じませんが、筆を折った方がよろしいのではないでしょうか。少なくともライターという看板は下ろしたらいかがか。もうこれからは権力の提灯記事を書いて暮らしていくことになります。提灯持ちとか露払いという言葉があるので、そちらの方がよろしいと思います。あ、既にそういう原稿しか書いてないのか。今日までそして明日から?一年前にLycos日記がそうであったように、楽天広場でもファシズムの露払いどもが元気になるのだろうか。昨年の国際反戦デーにアビー・ホフマン『この本を盗め』(1972年)のことをぐじゃぐじゃ書いた時、パリのレジスタンスが火炎瓶を武器にナチスと戦ったということに触れた。もちろん今の私はすべての武器を花に変えるべきだと考えているのだが、火炎瓶を非常に魅力的に感じた映画があった。土本典昭監督のドキュメンタリー映画、『パルチザン前史』(1969年)である。予備校の授業で熱く世直しを語る滝田修さん(竹本信弘京都大学助手)は、ノンセクトのパルチザンを組織しようと軍事訓練をする。これがなんとものどかでおかしい。まるで「いしいひさいち」さんが描く貧民共闘会議のようだ。菊井良治という人物が脳内に作り上げた赤衛軍という、これまたマンガのような物語によって滝田修氏は9年間の潜行生活を送ることになる。国家権力をなめたらいかんがな。
2004.03.23
コメント(26)
【追記】No.2とても良い天気なのだが、風が強い。今物干し台で竿が落ちる音がした。ヒナが驚いて目を覚ますが、まだ寝ぼけている。その少し前。本日のヒナのひるね。【追記】No.1それで、早速発掘しました。「月刊ぴあ」1978年1月号です。そう、当時「ぴあ」は月刊だったんです。本文98ページ、定価150円(悪税なし)。これで一か月もつんだから安いものでした。表4ページに、サークル名と自分の名前が書いてあります。あんまり「ぴあ」に名前を書く人はいなかったと思います。天下の回り物で、部室に転がっていたのね。こういう雑誌はほいほい捨ててしまうものですが、これはわざと残しておいたのですね。記事も広告も、とても懐かしいものです。1977年制作のお正月映画が中心かな。キャニオン・レコードの宣伝は1ページ使って「'78年も、わたしはわたしの世界を歌う。」中島みゆき『ありがとう』山崎ハコ『ファーストライブ』谷山浩子『ねこの森には帰れない』いやあ、お三方ともかわいいです。infoseek(isweb)が使えないので、開店休業状態だった幻泉館@和塩に画像を置いてみました。今夜はのんびりとテレビを見た。ひさしぶり。20:00~21:55 NHK衛星第二『保存版「小津百科」』生誕百周年で小津安二郎監督の映画を放映した時に流した3分間の「小津百科」を37本まとめてやってくれた。語りは大杉漣さん。実に楽しい。燻製の鮭を炙って、焼きすぎないうちにお茶漬けにして食べる。うまそう!大隈講堂が出てきた時には、なんだかジーンと来てしまった。「小津の赤」は初耳。考えてみれば、傑作とされる作品は白黒の映画が多かった。フレームを多重構造にしたがるのは、よくわかる。画面を一枚絵にしたくないのだ。学生時代に小津安二郎監督の映画を見ようとすると大変だった。まだ月刊誌だった『ぴあ』や『シティロード』で上映館をチェックしておいてあちこちに出かけなければならない。そうそう、当時はメモを取りながら映画を見ている映画青年がいたのだよ。どこかに当時の『ぴあ』が残っているはずだ。後で発掘しよう。「小津百科」1.「スポーツ」(学生ロマンス 若き日)2.「幻のフィルム」(和製喧嘩友達)3.「就職」(大学は出たけれど)4.「蒲田ナンセンス」(突貫小僧)5.「ファッション」(朗らかに歩め)6.「学生もの」(落第はしたけれど)7.「ハリウッド映画」(その夜の妻)8.「モダン」(淑女と髯)9.「サラリーマン」(東京の合唱)10.「こども」(生れてはみたけれど)11.「斎藤達雄」(青春の夢いまいづこ)12.「検閲」(東京の女)13.「カメラ」(非常線の女)14.「深川」(出来ごころ)15.「母」(母を恋はずや)16.「ペンネーム」(浮草物語)17.「蒲田撮影所」(東京の宿)18.「和の舞台」(鏡獅子)19.「友情」(一人息子)20.「小物」(淑女は何を忘れたか)21.「父」(戸田家の兄妹)22.「笠智衆」(父ありき)23.「人情もの」(長屋紳士録)24.「戦争」(風の中の牝鶏)25.「映画女優」(晩春)26.「茅ヶ崎館」(宗方姉妹)27.「鎌倉」(麦秋)28.「ごちそう」(お茶漬の味)29.「大都会」(東京物語)30.「ロケ地」(早春)31.「音楽」(東京暮色)32.「カラー」(彼岸花)33.「空間演出」(お早よう)34.「リメイク」(浮草)35.「鎌倉文化人」(秋日和)36.「着物」(小早川家の秋)37.「ひとりぼっち」(秋刀魚の味) NHK 小津安二郎特集
2004.03.10
コメント(10)
【追記】No.4そういえば、今日はコンビニで髪留め用のリングゴムを買ってきました。さすがに髪が伸びてちょっと鬱陶しい(読めるけど書けない)ので、後ろで縛りました。「おお!」と喜んでくれる人と、見て見ぬふりをする人に分かれました。メガネが色付きなので、かぎりなく中島らもさんのお仲間のようです。けっして美しくはありません。ただ、あの髪をひっつめた時のきりっとした感じは好きです。中島みゆきさんの歌で「パウダールームの自己暗示」という言葉を聞いたことがありますが、その感じに合ってると思います。【追記】No.3夕方実は忙しかったのだが、晴れたので嬉しくなって姿をくらます。大ヒンシュク。毎度おなじみ千本浜である。平日なのにたくさん人が出ていた。春なんだわ。やはり水平線近くには雲が出ていました。そういうものなのかしらん。【追記】No.2晴れましたわ、よかった、よかった。雨上がりにそよ風が吹くと私は気持ちいいんですが、花粉症の方は大変なんでしょうね。十年以上前に専門家の話を聞いて回ったところによると、寄生虫がいると花粉症などのアレルギーにならないということでした。免疫機能というのは不思議だと思いました。さらに、中国におでぶが少ないのは寄生虫が余分な栄養を吸収してくれるからだということで。ところがさきほど[寄生虫][中国]をgoogleで検索してみると、それを否定するサイトがありました。http://www.3443.or.jp/esse/h02_bien08.htmこの方々の調査が統計的に有意なものなのかよくわかりませんが、話としては寄生虫学者たちの話の方がずっとおもしろかったと思います。【追記】No.1あら、雨だわ~。生ごみがポリバケツからあふれそうだ、幻子心母がどうにかしろと言う。「燃やすゴミ」で出したくないなあ。そして、医療控除がどうのこうので市役所に連れていかなきゃならん。どうも税務署でいいかげんなアドバイスをされたのではないかな。ちょっと寒いです。ヒナはストーブ周りでお昼寝。あ、雛祭りで使える蔵出しはもう済ませてしまっていたわ。すっかり忘れてた。センター試験とやらのせいなのか、ちかごろの高校の卒業式は私のころよりだいぶ早いようだ。制服で花を持って歩いているのは、今卒業式終えた連中だろう。FMの番組で卒業をテーマにした曲をまとめて流すなんてのは、今でもやっているのでしょうか。安直な企画だけど、確実に需要がありますね。私の場合、このあたりの曲はどうも80年代が中心になるようだ。そして、そこで止まってしまっている。今はどんな曲があるのかな。荒井由実「卒業写真」尾崎豊「卒業」斉藤由貴「卒業」菊池桃子「卒業」 柏原芳恵「春なのに」渡辺美里「さくらの花の咲くころに」海援隊「贈る言葉」映画だと、大林宣彦監督の『青春デンデケデケデケ』(1992年)がそんな雰囲気の映画である。けっして卒業がテーマではないのだが、この映画の最後に蛇足のように付いている部分が、やけに長い。別れが苦手な私にその心情がよくわかる「卒業」だ。地方都市から大学に進学しようとすると、ああいう感じになる。ジョージ・ルーカス監督の『アメリカン・グラフィティ(AMERICAN GRAFFITI)』(1973年)も、そんな映画。大学進学を選び、友人たちと別れることを決定する一夜のできごと。これも旅立ちの映画なのである。必ずしも青雲の志を抱いてというわけでもないが、今年もまた数多くの若者たちが大都会に出る。「東京へ行くな!」と詩人が叫んだころとはもう時代が違う。それでも、たとえば東京だったら東京駅に降り立つ者よりも上野駅に降り立つ若者の方が、背負ったものが大きいように見える。ま、私の場合は、大昔になってしまいましたが、その気になれば通学できるような場所からなので、やっぱりへなちょこな上京でございました。
2004.03.02
コメント(26)
【追記】No.1遅く帰ってきたので、山之口貘さんの番組はまだちゃんと見ていません。「獏」さんではなくて、「貘」さんですね。「ミミコ」こと泉さんが出ていた。ちゃんと録画できているはずなので、後で見ます。四巻本の全集を引っ張りだそうとしたら……ない!何年か前に定位置から動かしたのだ。しまった。どこに行ってしまったんだろう。とか言ってたら出てきました♪高校生のころから私は実に遅れた少年だったので、文化祭のステージでは既に懐メロのようなPP&Mの曲なんぞも演ってました。曲を一所懸命聴いたのは、英語を覚えたての中学生の時です。「悲惨な戦争」「虹とともに消えた恋」なんてのは反戦歌だったのですが、どちらも戦争に行くのはジョニー君でした。 ♪ The cruel war is raging, Johnny has to fight 「悲惨な戦争」 ♪ Johnny’s gone for a soldier 「虹とともに消えた恋」どうしてトムやサムやボブやロイではなくて、ジョニーなんだろうと、不思議に思いました。『ジョニーは戦場に行った(Johnny Got His Gun)』(1971年)の公開は私が高校生になってからだと思いますが、驚きました。やっぱりジョニーじゃん。調べてみると、この映画の脚本は監督自身が第二次世界大戦勃発時に発表した反戦小説が原作となっているようです。この作品はすぐに発禁処分となり、それが解禁された後も朝鮮戦争時にはまた発禁となったという、伝説的作品。ドルトン・トランボさんに他の監督作品はなく、脚本家として赤狩りに抵抗して、ハリウッドテンと呼ばれた一人です。それでジョニーなんですが、これはトランボさんが小説を書くとき、第一次世界大戦の志願兵募集の宣伝文句「ジョニーよ、銃をとれ(Johnny Get Your Gun)」からいただいたんだそうです。それで、PP&Mの歌もみなジョニー君が戦争に行くことになったようです。まてよ、『アニーよ銃をとれ(Annie Get Your Gun)』も、そのパロディだったんでしょうか?
2004.02.22
コメント(20)
【追記】No.2風邪をひいているらしいので、午後はごろごろと布団の中で過ごす。いい夕陽になっていたようだが、個人的に夕陽禁止令が出ていたので足止め。残念。身体を温めておいて、ちょっと仕事に出てきますわ。【追記】No.1夢を見た。珍しく女優さんが出てきた。大谷直子さん。別にファンではありません。岡本喜八監督の映画『肉弾』(1968年)に出てくる女子高校生役そのまま。港の魚市場のようなところ。焼け跡かもしれない。こざっぱりとしたカウンターが露天に並んでいる。やはり高校生ぐらいの私が、順に水を流して掃除をしているらしい。あまり人がいないのだが、ここのカウンターでは大谷直子さんが白っぽいセーターを着て出てくる。勉強しなければならないのに、今日だけはお店を手伝うと言っている。僕はセンセイになっていて、日本酒を御馳走になる。君のことだから中途半端にせずちゃんと楽しんだ方が良いなどと言う。日本酒は苦手なのだが、良いお酒らしくてとても喉越しが良く、後に残らない感じ。いつのまにか大谷直子さんは和服に着替え、隣の席に腰を下ろしている。隣席にお店の女性が座るところへ飲みに行ったことなどないぞ。映画は鈴木清順監督『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)に変わったのかな。お互いに相応年をとっている。これだけ。熱を出していたのかもしれない。今夜は、頼まれてカセットテープをデジタル化している。貴重な音源なので、テープが伸びてしまう前にという、切実なお願い。ひさびさの作業なので多少とまどったけれど、おおむね終わりが見えたところです。前にも書きましたが、元々はCD化されないレコードやテープを自分で聴きたくなって始めたことです。アンプからPCのオーディオ入力に突っ込めばなんとかできるはずなのですが、どうも設定がうまくいかず、CDレコーダーを買いました。型落ち品なんかを探せば、今なら2万円はしないと思います。ビデオに録画したコンサートも、こんなふうにして手製音楽CDにしてしまいます。もっとも、MDプレイヤーを持っている人は、MDに録音すればいいだけの話ですね。これでCD-RやCD-R/Wに録音したものを、さらにPCに読み込んで編集します。単純に1曲ずつ分割する他に、たとえばレコードだったら傷が付いた「ボツン!」という音をカットしたり、カセットなら無音部分の「サーッ」というヒスノイズを本当に無音化することができます。私の場合、音声編集のソフトは「SoundEngine」というフリーソフトを使っています。SoundEngine Freeおお、製品版も出たのか。フリー版のバージョンも上がってるようですね。時間さえあれば楽しい作業なので、お勧めです。
2004.02.10
コメント(18)
ふらりと入った本屋さんで、文庫本を一冊購入。辺見庸さんの『独航記』(角川文庫)。このごろテレビのニュース番組などを眺めると、実に偏った印象を受けて不愉快になっていたので、自分のバランス感覚を思い出すのに好著だろうと思う。まさにパラ読み。いろいろ触発されるところがある。タイトルでひきつけられたのが、「マチェクに自分重ねた」。もちろんアンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』のこと。>しかし、私はそうした政治性ではなく、チブルスキー演じるマチェクの自暴自棄と、どこか気だるい孤独感、そして彼の死に様に、より強く魅かれたのだと思う。そうそう。そんなんで、私のメガネも色が付いているのでしょう。結びの、女のセリフも思い当たる節があるぞ。>「チブルスキーって外人のくせに顔が大きいから好きじゃないのよ」
2004.01.26
コメント(8)
昨日に続いて今日も懐かしい人が登場。ブンちゃん(仮名♀二十代)は、結婚を控えてるそうな。やけにそんな話が集中するのね。年下の彼氏を捕まえたんだと。ブンちゃんは気配りをする面倒見のいい人なので、いい家庭ができることでしょう。おみやげにシュークリームをいただく。今日はバテバテ。日ごろまじめに仕事をしていないので、たまに集中すると疲れること。アート・ガーファンクルさんがマリファナで捕まったそうで、なんだかアナクロな雰囲気のニュース。ガーファンクルさんを過去日録で検索して、ヒットしたやつを蔵出しします。【2002年12月10日付日録より】[ 愛の狩人 ]先週録画した映画をぼちぼちと整理する。なかなかゆっくり観ている時間がないので、「いつか」に備えて。Someday never comes って言うけどね。CSで放映した『不確かなメロディ』。ラフィタフィの2000年ツアーを記録した音楽モノ。要するにキヨシローさん。これはまあ、VCDにしておけばよろしかろう。HDDにMPEG-1フォーマットで録画したものを、TMPGEncで圧縮する。[設定メモ] 約91分 ビデオストリーム サイズ 352*240 ビットレート 720kbits/sec オーディオ 44100Hz 256kbits/secこれで685MBとなり、CD-R1枚に収まる。同様にBSで放映した『愛の狩人』約94分。上と同じ設定で約707MB。730MBぐらいまでなら、普通に700MBのCD-Rに収まる。この『愛の狩人』というのは、じつに妙な映画であるのよ。原題は"Carnal Knowledge"(肉体の知識?)、1971年の制作です。監督は『卒業』のマイク・ニコルズ、『シルクウッド』『ワーキング・ガール』『心の旅』あたりの評判がよろしいようですが、私の場合は『キャッチ22』なんぞが好みです。俳優さんはジャック・ニコルソン、アート・ガーファンクル、キャンディス・バーゲン、アン・マーグレットとかなり豪華なんですが、出来としては「?」です。やっぱ「ヰタ・セクスアリス」ものとでも言うのかなあ。見るからに「いい人」ふうのガーファンクル君と、「悪いやつ」ふうのニコルソン君が学生時代に親友でありまして、いわゆる初体験をめぐってちょいごたごたあって、そして齢を重ねて後日談があって。たいした映画じゃないっぽいでしょ、そうなんです。でも、何かがひっかかるんだな。川本三郎さんが、お嬢様キャンディス・バーゲンが「大学はスミス」よみたいなことを言う時の、その発音がひっかかったぜとどこかに書いていたような気がします。「聖心からお茶よ」みたいな感じ?そのすぐ後に、当時ロマンポルノ路線だった日活で『恋の狩人』というよく似たタイトルのシリーズが作られてます。この辺の映画がはワイセツ容疑で摘発され、いわゆる「日活ロマンポルノ裁判」が始まりました。よい子だったのでそういう映画は見に行きませんでしたが(行けませんでしたが)、硬派の映画雑誌を読んでは、裁判の情報を仕入れたものでした。こういうことはいくらでもくだらないことが書けてしまうので、この辺でやめておこう。『愛の狩人』の方だが、しり切れとんぼでむなしいエンディングに対して、冒頭はかなりいい感じ。「ムーンライト・セレナーデ」をバックにクレジットが流れるのですが、それに野郎二人の対話がかぶさります。 * どっちがいい * え? * 愛したい? それとも愛されたい? * 相思相愛 * そうでない場合は? * どっちか選べってこと? * そう * あえて言うなら愛する方かな * 僕もだ * 傷つかない程度にこの後、具体的にガールフレンドの名前を挙げてなんだかんだ言うわけです。ネタバレ的に言ってしまうと、この愛すべき悪童たちは、結局自分が傷つく程度までひとを愛してしまうわけですな。ま、このイントロで想像つくか。
2004.01.25
コメント(12)
【追記】No.3キクチ先生からパンをいただいた。キクチ先生は母の退職教員仲間。なぜか隣県蒲鉾市で買ってきたパン。あんぱんと甘食。あんぱんはともかく、甘食なんて食べるの何年ぶりだろう。事務所でおやつにいただいた。なるほど、甘いわ。ふと、とても懐かしい思い出が甦った。これ、本当にそっくりだったなあ。女の子たちが胸に当てていたアレ。本当はなんて呼ぶのか知らないけど、あの子たちは確かに甘食と呼んでいたぞ。学生時代、女の子の部屋で食事を御馳走になったのだ。それで、これは何だかわかるかと見せてくれたのが、この甘食によく似たもの。さすがになんだかわからないということはなく、ああ、これがそうなのかと感心しました。本当に甘食じゃん。感触は本当の甘食よりふわふわしていて、もっと甘食らしかった。あ、違いますよ、身につけているものじゃなくて、小さなタンスからごそごそ出してきたんですよ。後日その子の友人たちは彼女を大いに責めたそうです。どーゆーつもりでそんなものを見せたのか。いえ、私はとてもおもしろかったので、見せた本人も満足していたようですよ。実を言うと、一度だけ彼女のおでこにキスをしたことがあります。それだけです。【追記】No.2おはようございます。とてもいい天気。だけど、風が強いのです。風がなければとても暖かいはず。うちのサンルームはぽかぽかですけどね。あちこちで真人間化したと言われてますが、残念ながらそうではございません。昨夜は逃避欲求の方が勝っただけで、おそらく今夜はひーひー泣きながら夜なべ仕事をしております。できるだけ昼間がんばりますが、もう無理だ、が見えている。【追記】No.1川上弘美さんの『センセイの鞄』のこと。ポール・マザースキー監督の『ハリーとトント』(1974年)を思い出したのです。物語は全然別物ですよ。登場する爺様のことです。謹厳実直に教員を続けてきた、というようなキャラクターが似てるのかなと思ったのです。2003年09月16日 ハリーとトントプロフィールの「好きな映画」はタイトルを全部削って監督名だけにしてしまいましたが、楽天に参入した直後は『ハリーとトント』を書いていたのですね。自分が悪いのではありますが、まあ仕事をためたので忙しいこと。反省。あっという間に日付が変わる時刻になってしまったので、本館より蔵出しいたします。去年の今頃を覗いてみて、忘れていたものを見つけました。風邪がはやっているようです。とにかく今倒れるとアウトなので、がんばらねば。皆さんも気をつけてください。【2003年1月29日付日録より】[林光一さん、深沢七郎さん] 天気 : 晴れ とても さぶっ さぶっそういえば林光一さんという作家がいました。フランスワールドカップの年になくなっています。山谷で暮らす放浪作家でした。そ、昨日の山谷バナの続き、おクスリは関係ないです。愛川欽也主演『キンキンのルンペン大将』(1976年)という映画にもルンペン役で出てるはず……と思って調べたら、『金髪トルコ嬢(秘)SEX狂宴』(1975年)というすごいタイトルの映画にも出てますね。享年79ということなので、ヤマの住人としては異例の長命だと思います。山谷では四十歳代で老人の風貌になり、五十歳代で亡くなる方が多いそうですから。本が売れた時には深夜放送でスペシャル番組を担当したこともあったと思います。この人がマスコミに登場した頃、すごく気になったのでよく覚えているのです。気になった理由がですね、私の高校・大学の先輩だということなのであります。(林さんは旧制ですが)それで財閥系の信託銀行に就職なさったそうで、私よりずっとまっとうです。ちゃんと結婚して所帯も持ったそうで、さらに私よりずっとまっとうです。それがなぜドヤ暮らしをするようになったのか、肝心なところはよくわからないんです。ただ、自由に生きたと言っていたので、やっぱりまっとうに生きることができたのでしょう。う~ん、顔がなあ、『楢山節考』の深沢七郎さんと混ざっちゃってんだなあ。深沢七郎さんも不思議な生き方をした人ですね。達人の顔なのでしょうか。『楢山節考』を発表した時深沢さんは日劇ミュージックホールでギターを弾いていたそうです。カッパブックスから自伝エッセイ+楽譜集のような本を出していて、私大昔に買いました。『楢山節考』の舞台は信州なんですが、出身地甲州を思い浮かべて書いていたそうです。1958年に木下恵介監督が、1983年に今村昌平監督が映画化してますね。どちらの映画でも母親役の女優(田中絹代・坂本スミ子)が歯を抜いて演じたというのが壮絶。『戦場のメリークリスマス』でカンヌのグランプリ獲りを宣言していた大島渚監督はちょいかわいそうでした。どう考えてもカンヌでは『楢山節考』の方が受けるわな。その後『風流夢譚』事件(嶋中事件)が起こります。1960年12月号「中央公論」に掲載された『風流夢譚』を読んで怒ったアホな右翼が、61年2月に中央公論社社長嶋中鵬二宅を襲い、社長夫人に重傷を負わせ、お手伝いさんを殺してしまうのであります。この前年、60年安保の年には浅沼稲次郎社会党委員長が日比谷公会堂で刺殺されたばかりです。掲載に関しては相談を受けた三島由紀夫が『憂国』を一気に書き上げて、「並べて掲載すれば毒が消える」と言ったという伝説もありますが、中央公論社は実に簡単にテロに屈してしまいます。深沢七郎さんは姿をくらまし、放浪生活をすることになります。そして、「ラブミー牧場」だの、今川焼の「夢屋」だのと、もう私にはわけわかりません。かなりの変人ぶりだったそうです、金嬉老が逮捕された時の様子には変装した警官たちのことを「卑怯だ」と怒っていたそうな。深沢七郎自身は「人が亡くなっているのだから」と、『風流夢譚』の出版を二度と許可しなかったそうだが、海賊版はかなり出回っている。同じ時期、1961年2月号の「文学界」には大江健三郎『セブンティーン』の続編『政治少年死す』が掲載されたのだが、右翼のテロにビビった大江さんがお蔵入りさせてしまいました。だいたいこの2作品がセットで、海賊版として出回っていました。雑誌「玄海」のコピー売ってたって書いてたのは誰だったけな?探せば家のどこかにあるはずなので、興味のある方はお気軽にどうぞ。
2004.01.22
コメント(10)
【追記】No.6プチコスプレ会場http://goodmusic.ddo.jp/~chappi/index.cgi急げ、一番乗り!お~い、主催者chappiさん~、どこにいるの~???【追記】No.5まだ仕事してます。プチコスプレ会場をちゃんときれいに整える時間がないかもしれません。ゴタゴタしてますが、時間が来たら、この上に【追記】No.6でURLを書き込むことにいたします。【追記】No.4もうすぐだよ、プチコスプレ!午前零時にURL発表します。画像を準備してね♪【追記】No.3あったかいなあ。ぬくぬく。なんだかとってもいい夢(ひ・み・つ)♪とろ~り。はっと気づくと、もう昼下がり。ヤバっ、今日は仕事だ!という大寝坊でした。ひさびさの大失策でございます。やっと事務所で一息ついたところ。そうだ、プチコスプレ今夜からじゃん。会場の飾り付けは顰蹙モノです。いやな予感がしたんだ。日付が変わったらURLを発表します。あ、主催者chappiさん、画像アップできないんだっけ?そうすると私が桜一号出しておかないといけないのか?こりゃ忙しいな。さて、何に化ける?My Favorite Things ...楽天広場年忘れプチコスプレ劇場は今夜24:00から開催です。気軽に御参加ください。【追記】No.1 (No.2は一番下です)今夜は楽天広場のシステム、ぐらぐらですね。いろいろ見えたり見えなかったり。ちょっとやることもあるので、日記の更新は夜が明けてからにします。更新を期待していらしてくださった方、ごめんなさい。みんな忘れちゃったと思いますけど、明日の夜から1週間+24時間開くんですよぉ!こんな時にこんなアホなことやってていいのか?いいんです。わいわい楽しみながら、平和の大切さを訴えてください。(無理があるぞ)告知文再掲します。ふるって御参加くださいませ。--------------------------------------------「楽天広場年忘れプチコスプレ劇場」しませんか?場所:幻泉館特設プチコスプレ会場 URLは開始時刻にここ、幻泉館日録@楽天にて発表期間:12月14日(日)00:00 ~ 21日(日)24:00お題:私のお気に入り(美少年,美少女、大根,天使など)画像を出展する方も見てる方もやさしいコメントをしてあげてください。お問い合わせは、幻泉館主人またはizumatsuさんまで。 主催者chappi--------------------------------------------【追記】No.2幻子心母は退職教員であります。教え子からの手紙の返事に困っていた。今度小学校に上がるお子さんに少し障碍があるのだが、それで迷っているのだそうな。選べるのなら普通学級に行った方がいいよと、後押ししてあげた。そう言い切るのにためらいを感じていたようだ。この前近所を歩いていて、小さなタバコ屋さんが店仕舞いしていたのに気づいた。いつもおばあさんが店番をしていたのだが、奥には身体の不自由な息子さんが横になっているのが見えていた。いやでも人は年をとっていくのだが、おばあさんはその息子さんのことが一番気掛かりだったはずだ。自分が死んだらこの子はどうなる。人一倍大きな思いを残して、先にこの世を去らなければならない。できるだけ自立できるようにしておかなければ。小樽の大学を出た「田中さん」は、新聞記者だった。商業紙ではなくて、政党の機関紙の記者。商科大学の出身だが、革命のための経済学が自分の未完の卒業論文なのだと言っていた。ローザ・ルクセンブルク。本当は経済学ではなくて、革命のロマンを描きたかったのだろう。田中さんの家は障害児を普通学級に入れようという運動の事務局になっていた。格別その理論とも実践とも関係はなかったのだが、人から頼まれて通信の発送作業を手伝いに行った。音楽を聴いておしゃべりをしながら、淡々と折り込み作業をする。いろいろな人と会えて楽しかったし、飯と風呂を御馳走になるのが嬉しかった。そうだ、無一文で引っ越しをした後で、金がなかったのだ。僕は大好きな吉祥寺の町から出て行かなければならなかった。本郷にある小さな会社に勤めるようになっていたので、保証人と月々の給料は確保できる。早稲田にある不動産屋に飛び込んで、事情を話した。「おばさんに任せなさい」と、不動産屋のおばちゃんが言ってくれた。「そういうことならいい人がいるよ。」安部球場の裏にある駄菓子屋の二階を紹介してくれた。部屋代を持って行くと、店番をしていたおばあちゃんがお菓子をくれた。Izumatsuクン、六本木の町とは大違いだろう。あのころはまだ人情が残っていたよ。安部球場も、その駄菓子屋も、今はもうないけどな。ローザで思い出した。今年の春かな、夜中にテレビを点けたら、どんとの「魚ごっこ」が流れていてびっくりした。ボ・ガンボスのライブ番組かと思ったら、そうではなくて「秘蔵映像一挙公開シンガーソングライター夢の名曲集」というめちゃくちゃなタイトルの番組だった。佐野史郎さんと、コロコロっとしたアナウンサーさんが司会。どんとさんが亡くなって3年も経つんだ。西岡恭蔵さんが亡くなって、もうすぐ4年。そんなに時間が経過したという実感がまるでない。薄い時間を生きているのだろう。この春には古尾谷雅人さんも亡くなった。同世代なのでショックでした。今の若者には、『金田一少年の事件簿』の剣持警部なのかな。私にとっては、なんといっても大森一樹監督『ヒポクラテスたち』(1980年)の主人公、愛作君です。軽妙に描かれているのだが、医師になることをやめた大森一樹監督の苦悩が反映されている。同級生を演じる伊藤蘭たちや寮生の阿藤海、内藤剛志、斉藤洋介といった面々の青春群像が楽しく、痛ましい。大森監督が、内藤さんや斉藤さんたちと『ヒポクラテスたち』の続編を作ろうと話していたそうだ。医師になった(あるいはならなかった)「その後のヒポクラテス」たちは見てみたかった。そうか、続編作っても伊藤蘭は出ないのか。ところで、同級生・王君を演じているのは、東陽一監督『サード』(1978年)の、少年院で短歌を詠んでいた少年なのであった。なんて名前だったかな。
2003.12.13
コメント(26)
【追記】No.4今日は雨なので夕陽がない。仕事をちょっとさぼって手元のキーホルダーを撮影、今や猫画像掲示板と化した本館掲示板にアップ。ついでにこちらにも掲載しておきます。光っちゃったけど、忙しいからやりなおしはしませんのです。別にコレクターではないのですが、ディック・ブルーナのキャラクターにうちのヒナ似の猫がいるのを知ってから、見かけるとついつい買ってしまいます。隣はやはりコレクターじゃないけど見かけると買ってしまうC.F.Martinグッズ。革の部分がピックケースになっているキーホルダーです。【追記】No.3冷たい雨が本格的な降りになった。苦手だ。せっかく早目に起きたのに、また布団の中に潜り込んでしまう。寒さに弱いのです。昨夜は仕事を途中で放ったまま、届いた本をぱらぱら眺めていた。それがいけないね。いくらでも眠れそう。【追記】No.2昨日の日録に書いた画像です。アグネス(敬称略)の「白い靴下は似合わない」(1975年)を思い出していました。数枚ですが、夕陽が好き![I Love Sunset!]を更新しました。【追記】No.1『天使の恍惚』を見に行ったのは、大学生の時です。いくら鈍感な私でも、高校生の時に女の子を引き連れて見には行かない。サークルには他大学の女子学生(お嬢様たち)が結構来ていたのです。なんとも恥ずかしいことを平気でやっていたものですな。先日の色占いですが、生身の幻泉館主人をご存知の方々は冗談としておもしろがってくれました。「白」「奇跡の天使」「やさしさ 100%」「野心度 0%」本人とのギャップがおもしろいんです。で、次々に色占いを試してみました。私の周囲には緑色が多かったようです。クールな娘が金色だったのには大受け。グループとしてはおおむね正しく分類されるようです。でも、詳細はおもしろおかしくしてあるのね。ところが、善良なる楽天広場住民の方々の中には、本当に天使のような人間だと思い込んでしまう方もいらっしゃるようです。プロフィールが変質者コスプレなのに。天使ねえ……。『傷だらけの天使』(1974年)は萩原健一さんと水谷豊さんの出ていたテレビドラマ。音楽は井上尭之さんと大野克夫さんが担当していた。『俺たちは天使だ!』(1979年)は沖雅也さん主演のテレビドラマ。沖雅也さんはNHKがつかこうへいさんの『かけおち’83』を作った時に、目をぎらぎらさせたものすごい演技をしていたが、そのまま涅槃に逝ってしまった。天使というのはドラマや映画のタイトルで好まれるのだな。70年代の映画で天使といえば、それは若松孝二監督の『天使の恍惚』(1972年)だろう。昨日の蔵出し日録と同様、アメリカでDVDが出ていたので、それを購入したもの。『天使の恍惚』[スタッフ&キャスト]足立正生さん、和光晴生さんといった方々は日本赤軍(アラブ赤軍)に合流してしまいます。その前年若松プロは『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』(1971年)というドキュメンタリーを作っていたのでありました。そういえば、北朝鮮に行ったよど号グループの中には、伝説のバンドのメンバーだった人がいましたね。この映画、革命がテーマなのに、ピンク映画なんです。エッチな映画は苦手領域なので、サークルの女の子たちを連れて場末の映画館に行き、余計にきまずい思いをしました。こういうことしてるから自称0勝十敗に終わったのですな、ワタクシ。女性の裸が出てくると画面に色が付く、パートカラーでした。映像とセリフの内容の乖離ということでは、チャールズ・シュルツさんの「ピーナッツ」、あのチャーリー・ブラウンみたいだなあと思いました。音楽は山下洋輔さんだし、おもしろいといえばおもしろいのですがね。で、結論。「僕は天使ぢゃないよ」。
2003.12.05
コメント(8)
【追記】No.3好天だったのに、夕刻は雲が出てしまう。ただ、空はとてもきれいな色になってきたぞぉ。ということで、「ちょっと買い物」などとつぶやいて外に出る。旧国道1号線なら空が開けているだろうと少し歩いていくと、これが当て外れ。意外に高い建物が多いのだな。歩道橋に昇って、小さな空を少しでも広げる。落ち葉が舞って、アグネス・チャン(敬称略)の歌など思い出す。マスクしてなくて良かった。それでは明らかに変質者キャラだから、通り過ぎる女子高生たちの視線が痛いのであります。車のドアミラーに映る空って、きれいだよなあ。いつもそう思う。【追記】No.2浦和レッズの監督にギドが就任するらしい。あの人好きだな。ブッフバルト、いいよなあ。自分がいろいろ小さくできているので、大きくて強い、でも心優しいといったひとにあこがれるようだ。『黒旗水滸伝』の支払い送金のために、また郵便局に寄らなければならない。郵便振替や郵便貯金が銀行の送金システムから外れてるのはとても不便。郵便局はすぐそばにあるのだが、私の場合は窓口の開いている時間の問題なのです。コンビニやジャパンネット銀行のように、いつでも送金手続ができないとつらいのです。私がちゃんと朝起きればいいだけか。【追記】No.1どこかで書いたような気がしていたのですが、見当たらない。楽天住民の皆様の中には画像処理で苦労をなさってる方がいらっしゃるようなので、優れモノのソフトを御紹介いたします。LinuxやFreeBSDではおなじみのGimpというソフトです。「オープンソース」と呼ばれる、自由な配付が認められたフリーソフト。それをWindows用に移植したものです。Gimp for Windows【 「画像の倉庫」がいっぱい?】にも転記しておきます。今夜もちょいと忙しいので、本館より蔵出しいたします。追記の嵐ができるかどうか?【2003年1月24日付日録】[絵の中のぼくの村]先代の飼い猫チビ君がこの一帯に君臨していたころ、幻泉館は猫屋敷でありました。大物猫チビ様に牝が擦り寄ってくるということもありましたが、庭にキウィの木があるためでもありました。あのキウィという不思議な植物はマタタビ科の落葉蔓性木本でありまして、猫に対してマタタビ効果があるのです。高田渡さんと裸足の王者アベベの間ぐらいの顔をした寡黙な棟梁が、口約束で気軽にキウィ棚を作ってくれました。幻泉館大庭園のキウィ棚周辺では、毎日のようにキウィの葉で猫がマリファナ・パーティを繰り広げては、ゴロニャンしていたのでございます。それが十年ほど前のことでしょうか。チビ君も棟梁も、もうこの世にはいません。嫌になるほど採れたキウィの実も、そうは生らなくなりました。近所にたくさんいた猫たちも、消えてしまいました。野良猫が暮らしにくくなったのでしょう。どうも猫社会にはなじめなかったようなヒナ様だけが、日だまりで泰平の惰眠をむさぼっております。ところで皆さん(って誰だよ)は川で泳いだことがありますか?幻泉館主人幼少の砌(出た出た、ミギリね)、親戚の伯父さんが田舎の駐在さんをしていました。貧乏人の一族なので、警官とか教員が多いのです。今では蒸気機関車いわゆるSLで有名になった大井川鉄道という路線があります。ラックレールという歯形レールを使って急坂を登り降りする、アプト式鉄道でも有名です。当時はディーゼル車でしたが、金谷駅から大井川鉄道に乗ってどんどん山の中に入っていきます。温泉のある駅で降りて、さらに田舎のバスでもっともっと山の中に入っていきます。大きなダムの辺りでは、バスの窓から道路が見えません。窓から見えるのは、いきなり谷底。もうスリル満点。それでもさすがに飽きたころにバスを降りて、さらに急な坂道を登って村に入るのです。田舎の駐在所は小学校(分校だべなあ)に隣接してあり、就学以前の幻泉館主人(かわいい)は、夏休みの小学校の校庭で自由に遊んだものでした。そして、従姉に連れられて川へ泳ぎに行くのです。まだちゃんと泳げませんから、正確には流されに行くのです。都会から来た(おいおい)チビっ子なのでまあオミソなんですが、地元のガキ大将たちは危険がないように気をつかってくれます。昔のガキ大将は社会のルールを教えたり、安全に気を使ったり、遊びを考え出したり、なかなか偉かったのですよ。吊り橋のある清流で、沢蟹とたわむれる日々。おお、いろいろ思い出してきたぞ。幸せな田舎の原風景です。もうン十年も昔の風景ですが、まだかなり残っているのではないかと想像しています。そういえば、その後その近くにある寸又峡温泉で金嬉老事件が起こりました。うちのおやじ、妙に感情移入してたなあ。金嬉老さん好きだったみたい。東陽一監督に「絵の中のぼくの村」(1996年シグロ作品)という佳作があります。絵本作家田島征三さんの「絵の中のぼくの村」が原作で、まだ戦後といった時代。双子の征彦・征三兄弟が清流のある村で暮らす様子を美しく描いています。DVD出たら買おうかなと思っていたら、米国版DVDを見つけました。外国ではちゃんとDVDになっているというのが不思議ですね。なんつっても子役が抜群にいいし、母親役の原田美枝子さんの演技も他の映画よりだいぶいい感じです。お父さん役の長塚京三もシブくていい。懐かしい父親像です。原作にない老婆や妖怪のようなものに関しては評価が分かれるところだと思います。オキナワ映画によく使われますね。昔は琉球だけでなく、いろんな場所に霊が社会的に存在していたのでしょう。映画としてアリだと思います。Village Of Dreams [DVD] (1996)
2003.12.04
コメント(22)
【追記】BSマンガ夜話が「漫画家残酷物語」だよ~と教えてくださった方がいたのだが、時すでに遅し。残念でした。その後のイラン・日本合作映画というのをぼやっと見てます。-------------------------------------------------------夕方ヨーカドーへ買い出し。例によって冷凍食品4割引。各種スパゲッティ、エビピラフ、ドライカレーを買い込んできました。おばちゃん体質ではありますが、外見上はあの色付きメガネ&マスク付きの怪人のままです。一応買い物前に西の空を1枚撮影して、あわてて買い物をして戻ると、ちょうど良い時間。帰りの車の中で見た空がきれいだったけど、夕陽は撮影できず。事務所の近所でも1枚撮っておきました。更新しております ↓夕陽が好き![I Love Sunset!] 本館訪問者の方より、「あんた去年の今頃も風邪ひいてたよ」と御指摘をいただく。あ、そうなんすか。まるで忘れていたので覗いてみると、なるほど、携帯を買い換えたりしたのを思い出した。おお、焼肉屋行ってるわ。一年前の日録を蔵出ししてみます。東峰夫さんの『オキナワの少年』(文春文庫)は今amazon.co.jpで検索してみたら、「ユーズド商品」という名称で古本が出ていました。定価320円の本が、1,800円になっています。あらまあ。【2002年11月26日付日録】[オキナワの少年:1970 ぼくたちの青春]録画しておいた『OKINAWAN BOYS オキナワの少年』を観る。老人と子供が出てくるともうダメなので、こういう映画には弱い。おまけにオキナワである。子役もいいし、青年となった主人公たちも悪くないのだが、惜しむらくは。あの子供たちが大きくなって、こういう顔にはならないだろう、な。「真理子」は、小野みゆきにはならないよ。娼婦の姉役で出ていた女優さんの方が、もっと雰囲気が近い。さらに遠いのが、主人公とその親友の二人ね。内藤剛志さんは『ヒポクラテスたち』の方がはまってた。原作を読んだことがなかったのでamazonを覗いたら、これが入手不能。文春文庫に入っていたので、見掛けた時に買っておけばよかった。1980年の芥川賞受賞作。へそまがりなのでそういう受賞作はあまり買わない癖がありまして、それが災いしたですね。『OKINAWAN BOYS オキナワの少年』(1983年)原作:東峰夫監督:新城卓 出演:藤川一歩 内藤剛志 小野みゆき 岡田奈々 緒形拳 ほか------------------------------------------------北朝鮮による拉致被害者が帰国したころからひっかかっていたドラマがある。調べてみたら、1991年にフジTV系列で放映された『1970 ぼくたちの青春』だった。そうか、もう10年以上前のドラマになるのか。大葬の礼の際の映像から始まり、風間杜夫が過去を回想するという形式だったような。主演が吉岡秀隆だったのは調べてみて思い出したことで、記憶に残っていたのは筒井道隆演じる在日朝鮮人の友人である。その友人は帰国事業で「北に帰って」いく。そして「国家建設のためにがんばっている」と便りを寄越すのである。フジTVの青春ドラマの中にこれだけむきだしの形で国家が出現することはあまりないのではなかろうか。金日成が抗日パルチザンの伝説と共に歴史に出現して以来、抗日・反日が個人(というよりも家柄)を計る基準となっているのが北朝鮮である。日本から見れば、国家建設などとっくに破綻している。だが、大日本帝国の蛮行がなければ、金日成の伝説も、「ならず者国家」も生まれていない。北朝鮮から見れば、日本との戦争はずっと続いている。戦争の清算が済んでいないと思っていれば、拉致問題も相対化されてずっと小さなものに見えるのは道理だろう。北に帰った在日の苦労は痛ましい。そして、帰らなかった在日の苦労も痛ましい。金成日国家の無法をあげつらう大合唱の声に、人間の姿を見失ってはいかんよ。【さらに追記】本館に書いたやつ。今日はレスを付けにくそうなので、せっかくだからゴミを転載しておきます。しつこいようですが、ここのアクセスログは自前鯖で詳細に記録しておりますので、くれぐれもおいたなどしないように。すぐにお礼に伺います。「洩れ串」など意味がないので、お間違えのなきように。-------------------------------------------あんまり汚いモノのことを書きたくないのだが、「2ちゃんねら~」再考。もちろんこれは2ちゃんねるにアクセスする人すべてを指しているわけではありません。以前書いたヒマ人、仮に「和田さん」としておきます。そんなに他人の悪口も言わない複数の楽天住民から悪評を聞いたので少し覗いてみて考えました。「和田さん」のサイトは時々ものすごいアクセス数になります。他人の悪口しか書いてないのになぜなんだろう。カウンターをクリックすると表示される「アクセス数」に「利用者」という項目がありますね。「ゲストさん」ばかりというのも異様です。「ゲストさん」が異様に多いサイトは、一つには反共「2ちゃんねら~」から監視されているサイトがあります。もちろん「和田さん」の場合は違います。彼はこっそり監視している方の人間です。そんな他人様の悪口雑言ばかり読みたがるヒマ人がそれほどいるとは思えないのだがなあ。ふと思いついたのは、これが張り子の虎じゃないかということ。It’s only a paper tiger.虚勢を張ってカウンタを上げている可能性はあるな。2ちゃんねるにURLを書き込んで誘導する手もありますが、それは「和田さん」のシンパや取り巻きではありません。その場合も張り子にすぎないのです。楽天広場のカウンタ/アクセスログは、簡単にごまかすことができそうです。あまり書くと楽天さんから怒られそうなので、ちょっとやばい方法は書きません。スキルがなくてもできるのは、IPを二つ同時に使うこと。交互にアクセスすれば、どんどん数字が上がっていくはずです。実際は手作業でなく、スクリプトを書いて実行すればOK。PCを2台使ったり、本当に2箇所のIPを利用する必要もありません。普通はそんなバカなことはやらないだろうと思いますが、「和田さん」のサイトの内容を考えると異様にヒマな方のようなので、せっせと手作業でやってるかもしれません。もちろんそんな人物とは関わらないというのが一番なんですが、泣いている人もいるかと思うと、少し余計なことを言いたくなりました。「2ちゃんねら~」諸君は語彙が乏しいので、「和田さん」のような人物に対しては普通こういう言葉を投げかけるものである。曰く「粘着君」。
2003.11.27
コメント(6)
amazonから注文しておいたCDが届き、今日はこればかり聴いている。国内盤は2,667+悪税で、しかもCCCD。これはどうしたって輸入盤だろ。US盤1,680+悪税。もちろん「Let It Be Naked」です。[Naked]とはよく付けたものだというタイトル。まさにnakedな雰囲気で、あたりまえのことなのですが、ビートルズってバンドだったんだよなあと感じることができます。私はビートルズ世代ではないので、なんとか映画『レット・イット・ビー』(1970年)の公開時に中学校の同級生たちとやっと滑り込んだという感じ。併映の『ウッドストック』の方がずっと面白かったというのは以前書きましたね。「ビートルズのレコーディングって、こんなふうにやってるんだ、へぇ~」と思いましたが、「へぇ~」止まりでした。この映画『レット・イット・ビー』のビデオは、今廃盤(絶版?)状態なんですよね。ずっと以前にテレビで放映したのを録画したビデオと、LD→DVDの海賊盤を持っていますが、早く公式DVDが出てほしいものです。元々アルバムよりも映画の音の方が評判良かったですな。中学生だったので、LPを買える者はあまりいませんでした。同級生の中ではミヤやんがLPを買ったというので、ヒーローとなりました。ところが、彼はみんなの前であのサビを「えるっぴぃ~、えるっぴぃ~」と歌ってしまい、ヒーローでいることができたのは一瞬でした。私の場合はシングル盤を買いました。B面が「You Know My Name」。どっかいっちゃいました。惜しまれます。思えばあのころはLPを買うと、ライナーノーツも隅から隅までしっかり読んだものだった。そこに書いてあるちょっとした語句が頭に刻み込まれてしまう。「……単なるラブソングを超えて……」こんなことが書いてあると、「単なるラブソング」なんてどうしようもないものだという価値観を素直に吸収してしまうわけです。私は「単なるラブソング」こそが大切なのだと、今は考えておりますよ。「ホセ・フェリシアーノのギターはコピーできるが、長谷川きよしのギターはコピーできない」こんな言葉を覚えています。それだけ魂がこもってるぞと言いたいのでしょうが、これではやはり贔屓の引き倒しでしょう。この言い回しはそっくりなのを見たことがあるので、どこかに元ネタがあったのだと想像できます。「スティーブン・スティルスのギターはコピーできるが、ニール・ヤングのギターはコピーできない」多少言葉遣いは違いますが、同じ文脈です。もっとも、これは両方とも当時の『ヤングギター』あたりで、同じ人が書いた文章かもしれません。同じネタで商売しましたね。だから今はあんまりCDの解説を読んだりはしません。どれだけいいかげんに書いているかがわかったから。でも、中学生高校生諸君は一所懸命に読んでしまうのかなあ。ビートルズに話を戻すと、書店に行ってびっくりしました。「Naked」販売戦略すごいですなあ。雑誌でガンガン特集やってる。今の若者がわざわざ買う必要もないと思うんですが、ま、いいか。旧「幻泉館ホームページ」の記事を発見したので、他人様の翻訳のチェックのことを思い出しました。あんまりな誤訳に腹を立ててサイトに書き殴ったのは、ソニー・マガジンズから出ていた『メイキング・オブ・ブレードランナー』(品川四郎監訳)のことでした。笑ってしまうぐらい御粗末な翻訳で、原著を見なくても何をどう間違えたのか想像できてしまうひどいもの。googleで検索すると、まだ私の名前がヒットするようです。今は入手不可のようだし、原著を入手していないので、これはもういいです。チョムスキーの『9.11』はとても大事だと思うのですが、やっぱりそんなことやってるヒマがない。ビートルズでも一つ気になっているのがあるんですよ。リットーミュージックから出ている『THE BEATLES アンソロジー』。不良在庫みたいなので安くなってるのを買ったんですよ。なんだかえげつない販売法で売りまくったやつ。原著が安かったのでそちらも買いました。並べてみると、どうも誤訳疑惑がバシバシ。単純な間違いというよりも、レイアウト優先のためにだいぶ情報をカットしたのではないかという疑惑を持ちました。ぱっと見て同じページに同じ図版と、文字情報。それは無理でしょ。まともに翻訳したら、日本語の方が分量が増えるはずです。目立たないコラムは削ってあったような気がする。これをチェックしたいのだが、なにぶん量が多すぎて、よほどの暇人でないと調べ切れない。翻訳者の名前を出していないのも卑怯な気がするぞ。本の内容からいっても、分量からいっても、比べる読者なんていないだろうから、半ば確信犯的に手を抜いていないか?あ、もちろんCDやビデオの方の『アンソロジー』は買ってないです。
2003.11.19
コメント(19)
幻泉館日録はタイトルと内容が一致しないことが多いですね。ごめんなさい、♪迷い道くねくね♪生きてます。(「迷い道」渡辺真知子 1977年)うるとびーずさんが10/21付けの「うるとび日記」で『小さな恋のメロディ』をわかりやすく解説なさってるので御覧ください。私の記述では、映画を観ていない人には何がなんだかわかりませんよね。封切りで観た当時に思った以上にこれはいい映画なのではないかと思うようになりました。二人でトロッコを漕いでいくラストシーン、いいですね。映画のラストというのは心に残るもので、『明日に向かって撃て!』(1969年)のブッチとサンダンスは、ボリビアを目指して飛び出したままずっとストップモーションです。撃たれて蜂の巣のようになってしまったに決まってるのに。バート・バカラック良かったですね。『卒業』(1967年)のラストはハッピーエンドのようでいて、でもやっぱり破綻を予期させるものだと思います。掲示板のレスに使った「遠くまで行くんだ」は、実は白土三平さんの『忍者武芸帳』(1959年)が頭にありました。処刑される前に影丸が言うのです。「われらは遠くから来た。そして遠くまで行くのだ」元は吉本隆明の詩なんでしょうか。三平さんのオリジナルなんでしょうか。あるいはもっと先に出典があるのでしょうか。いずれにしても、新左翼の人たちが一時期この言葉を好んで用いていたのは確かです。『忍者武芸帳』はずっと後になってから読んだものです。リアルタイムで読んでいたのは、『忍者武芸帳』の影丸と敵対するはずの体制側の手先「伊賀の影丸」(横山光輝)が主人公の方のマンガです。『忍者武芸帳』は大島渚監督が紙芝居みたいな映画を作りましたね(1967年)。「我々は“あしたのジョー”である」と言って赤軍派よど号グループは北朝鮮に渡りましたが、あの人たちは本当に遠くまで行ってしまいました。ニッポンの受験制度の中で勝利者であったとしても、それは正しい判断力を持っていることの証明にはならない。金日成をオルグするどころか、頭の中を主体思想で染め上げられてしまったようです。当時は彼らもまだ若造君だったのだ。痛ましい。私は赤軍派の戦略は間違っていたと思うのですが、当時あのハイジャックはちょっとかっこいいなと感じました。『小さな恋のメロディ』のラストシーンの話なんですが、幻泉館主人には一緒にトロッコを漕いでいる人はいないのかという御質問をいただいたので、少し考えてみました。おりませんよ、はい。なぜいないんだろう?わかりにくいたとえ話をしますと、たとえば私が二輪のライダーだとします。それで、私の後ろに乗っけてよと言いたがるタイプの女性は苦手だったんです。タンデムなんて恐くてしかたがない。他人様の後ろにもあまり乗りたくないです。気持ちよさそうだから乗り方を教えてと言ってくるタイプが好きだったんですね。う~ん、そういうタイプがとりわけ好きというわけでもないかもしれない。教えてやるよとふれまわるわけでもないんですが、こういう女性も結構現われてくれたわけです。そういう女性でないと近づいてこなかったというのが本当のところかな。それでその人がそこそこ乗れるようになると、二人で走り始めるわけです。二台のオートバイで。とても楽しいですね。その時には、ずっとこうやって走り続けられるような気がします。でも、ふと気づくと独りで走ってるんです。あの人はどこに行ってしまったんだろう。いくつか前の脇道に逸れていってしまったのかもしれないし、どんどんスキルが上達したので私みたいな亀ライダーは置き去りにして行ってしまったのかもしれない。♪あなたは一人で生きられるのね♪という言い方をされたことが何度もあります。(「かもめが翔んだ日」1978年 渡辺真知子)よく誤解されるところです。独りで生きることができそうに見えるのかね。人は独りでは生きられないのよ。私も独りでは生きられないんです。でも何度か言われたことがあるってのは、よっぽど協調性がないのかね。確かにないです。内容的には命令文なのかな。「あんたは独りで生きなさい」とか「あんたとはもう関わりたくない」ってことかな。もうおわかりだと思いますが、渡辺真知子さんについて書こうとしているようです。っつうか、タイトルに書いてあるじゃん。あ、違いますよ、「やもめが翔んだ日」じゃありませんよ。かもめです、かもめ。ところで「かごめ」なんですけど、あれを「かもめ」だと思い込んでる人も多いみたい。「籠目」なんですよね、鳥じゃありません。「夜明けの晩」「後ろの正面」と、矛盾した言葉がかなり恐い歌ですね。「籠の中の鳥」というのは死刑囚の隠喩なんでしょうか。【追記】 「後ろの正面」は「真後ろ」のことではないと思います。 「夜明けの晩」がありえない時間帯であるのと同様、ありえない空間のことです。 ただ、「本当は恐い●●」シリーズみたいなのもいやなので、矛盾した内容をおもしろがるナンセンスソングということでもいいですよね。すいません、無謀です、真知子さんのこと全然わかってません。特にファンでもないのですが、でもこうやって書いていてすぐに真知子さんの歌の言葉が出てくるというのは、身体に染み込んでいるのでしょう。親父の地口でありますよね。「別人28号」とか「いたれりつくせり石川セリ」とか。これ、染み込んじゃってるんです。真知子さんのことはよく知らないので、しかたがなくgoogleなどしてみます。> 生年月日1956年(昭和31年)10月23日すごい!明日誕生日じゃないですか。同い年です。> 出身校 洗足学園短期大学 音楽科(声楽 ソプラノ)ああ、声楽やってたんだ。声量あるわけだね。> 血液型 B型おお! 同じだ。> 身長:158cm:体重:51kgこれはデビュー時なので、今はきっともっと……むにゃむにゃ……。私は真知子さんと並ぶと結構カタチが似ているかもしれない。幻泉館主人、いい齢していまだにかわいいと言われることがありますが、かっこいいと言われたことは一度もございません。「かわいい」ってのはクセモノでね、ムーミンやトトロだってかわいいんですから。そうそう、プロフィールの画像変えました。誤解されるようなので、文句が出ないやつに。もう書くことないか。え~、私はもの静かな人間なので(ホントだってば!)、静かな人と二人になると困ってしまいます。「……」「……」「……」「……」これでは困るでしょ。恋でもしてる時はそれでもいいんですけど、そんな機会は絶えて久しい。う~んと久しい。ただただ対人関係というレベルの話ね。だから、元気のいい人の方が気が楽です。「☆★○●◎◇◆□■△▲▽▼※!」「えへ……」「√∽∝∵∫∬ʼn♯♭♪†‡¶?」「ええ、まあ……」ね、楽チンでしょ。よく誤解されるのですが、渡辺真知子さんみたいなおばさんは、嫌いではありません。同級生にこんな人いたような、そんな感じのする懐かしい歌い手さんです。歌は好きなんですが、一度もレコード買ったことがない。それでは書けませんね。よく知らないことについて書くのはやっぱり無理があったので、真知子さんが華々しくデビューした70年代末のことを少し。ドキュメンタリー映画をよく見に行きました。映画館よりも、四谷公会堂みたいなところが多かったでしょうか。土本典昭監督の水俣作品、小川紳介監督の三里塚作品。こういうものはいかにも運動やってますよみたいな人が多くて、下手なこと言うと怒られそう。私はただただ映像作品が見たくて行ってるわけです。自主上映というような形でしか見ることのできない監督に、原一男さんがいました。そうです、80年代末に『ゆきゆきて神軍』で妙にブレイクしてしまった原監督です。この人の『極私的エロス・恋歌1974』がショックでしたね。原監督が同棲していた相手「武田美由紀」さんを撮った映画です。一緒にカメラを回しているのは、制作の小林佐智子さん。つまり、美由紀さんが昔のオンナ、佐智子さんさが今のオンナです。美由紀さんが沖縄へ行くのを追います。美由紀さん、佐智子さんの出産シーンがセンセーショナルな売り方をされた作品です。この武田美由紀さんには圧倒されましたね。お、DVDが出てるわ。一月に本屋さんでもらった草思社のPR誌「草思」二月号に、『放送禁止歌』『A2』の森達也さんの「自らを撮る映画の氾濫」という文章が掲載されていました。森監督と原監督が、学生のドキュメンタリー映画祭で審査員として参加した話が書いてあります。タイトルからもわかるように、学生たちの作品うまいこと作ってはいるのだが、ほとんどが存在の不安を契機とする「自分探し」の個人映画(セルフドキュメント)なんだそうな。まあ、ナルちゃんの氾濫、かね。いまどきの若い者が、「他者性への眼差しや意識が希薄化」しているのは私も大いに感じているところであります。
2003.10.22
コメント(10)
秋晴れの好日。布団干しました。冬物の毛布も出して干しました。押し入れの戸を開けると、ヒナがひゃーひゃー言いながら跳び込んでいきました。いつも押し入れの中に入りたくてしかたがないのです。奥の方に行ってずっと探検してました。畑仕事にも行きました。柿がおいしそうに生っておりまして、一つだけ残して全部採りました。今年はこれで終わり。お天気屋なので好天に誘われ、夕焼けを撮影に出ました。ヨーカドー(IP)の屋上で味をしめたのですね。いいなあ、夕焼け。にわか夕焼けマニア。Yahoo! PHOTOSに「アルバム」を作りましたんで、夕焼け好きな方はご覧になってください。夕陽が好き![I Love Sunset!]自慢ではないですが、スキルはありません。【追記】 今日(20日)も事務所の近くで撮ってみました。 すぐ前だと本当に空が小さいので、ふらふら徘徊。 駐車場に空間を見つけました。今夜はちゃんと日記になってますね。疲れたんですわ。ぽーっと眠いんですが、明日に備えて夜なべ仕事をしなければならないのを思い出しました。泣きそう。宿題の日記をためこんでしまった8月31日の小学生みたい。え~ん、自分が悪いんだよぉ~。人と一緒にどこかへ行くということをずっとしていなので、昔誰かと映画館に行ったというのは、結構強烈な印象が残っています。テレビが家に来る前は、つまり映画の黄金時代なのですが、かすかに覚えています。入った瞬間にとてつもなく大きい画面と音に圧倒されたものです。時代劇や西部劇を観たはずなんですが、小さかったので覚えていません。市川崑監督の『私は二歳』(1962年)あたりが、映画の最初の記憶になるのかな。これも本筋は何も覚えていない。赤ちゃんが見る夢で、バナナかなんかが出てくるのが楽しかっただけ。稲垣浩監督『ゲンと不動明王』(1961年)の方が早いのか。これも特撮で空を飛んだりするシーンだけ覚えている。同居していた従姉たちが連れていってくれた映画の方がよく覚えているかな。小学校低学年で観たアン・マーグレット主演の『バイバイ・バーディー』(1963年)は結構よく覚えている。ロック・ミュージカルなんですよ。もう少し大きくなって観た『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)や『ロミオとジュリエット』(1968年)はまともに楽しみました。このあたりが、私にとっての映画の黄金時代。小学生のころといえば、親父様が一度だけシンちゃんと私を東宝の怪獣映画に連れてってくれました。せっかくの休みを怪獣映画なんかでつぶして悪いことしたな。帰りに食べたラーメンを今でもよく覚えています。今はあまりみかけなくなった、ナルトなんぞの入った懐かしい中華そばです。東宝の怪獣映画は、併映が加山雄三の若大将シリーズなのね。中学生の時につきあった(?)女の子との唯一のデートが、『小さな恋のメロディ』(1971年)を観にいったこと。マーク・レスター、トレーシー・ハイド、ジャック・ワイルド、いやあ、良かった、良かった。マーク・レスターに似てると言われましたが(誰にだ)、本人はジャック・ワイルドの方がいいなあと思っていました。トレーシー・ハイドはとっても普通っぽくて良かったです。この映画だけで、本当に普通の人になっちゃったそうです。結構危険な映画で、私は駆け落ちっていいなあと思いました。学校をさぼって海へ遊びに行くのも素敵だ。爆弾少年なんかも、おもしろおかしく出てきました。学校の授業なんかもひどいもんで、これでいいのか大英帝国、という感じ。なんということはない映画なんだけど、同世代の連中の心には意外に強く残った作品です。併映がやっぱりガキの恋愛モノだったんすけど、こっちはベッドシーンまであってとっても恥ずかしかったっす。この映画、音楽も実に良かったんですよ。ビージーズ(The Bee Gees)の「In the Morning」「Melody Fair」「First of May」、それからなんつってもCSN&Yの「Teach Your Children」。やっとここで現在に直結する趣味が出てきました。ニール・ヤングです。来日コンサート行きたいけど行けないという、友人の泣きのメールが届いてます。わしも行けないわい。最近初CD化なんていう復刻アルバムもどかんと出て、拠点店にはニール・ヤングのコーナーができてますね。ニール・ヤングやスティーブン・スティルスがいたのが、バッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)。日本の「はっぴいえんど」がお手本にしたのが彼らだったということになってます。ポコを結成したリッチー・フューレイとジム・メッシーナもバッファロー・スプリングフィールド出身です。つまり70年代のウェストコーストや日本のロックの元であるというすごいバンドなんですね。おかしいのは、この人たちがテレビの「モンキーズ」の公開オーディションを受けたりしてたこと。落ちて良かったじゃ、ヤングとっつぁん。【追記】 ニール・ヤングは受けてないそうです。 コブラクローさん情報。 ありがとうございました。ん、そうだ、友達と『ウッドストック』『レットイットビー』観にいったじゃないか。のんびり市では二本立て興行でした。実は『ウッドストック』の方がずっと面白かったです。中学生・高校生の時には友人たちとわいわい映画を観に行ったんだ。デートは例外。名画座がなかったんで封切りなんだけど、おおむね二本立てだったね。『明日に向かって撃て』(1969)『M★A★S★H』(1970)『レットイットビー』(1970)『ウッドストック』(1970)『燃えよドラゴン』(1973)『スケアクロウ』(1973)『スティング』(1973)『エクソシスト』(1974)こんな感じで他にもいろいろ。リバイバルもあるんですが、中高生の時はメジャーどころの映画をよく観てますね。いわゆるアメリカン・ニューシネマの最盛期です。ただ、映画館というと人にはあまり言わない寂しさも感じます。後半生を精神科に入院して亡くなった叔父の記憶が蘇るのです。病院から電話をかけてきて、「今度の外出は映画を観に行く」ということを嬉しそうに話してました。叔父にとっては外出といっても世間は文字どおり「憂き世」。スクリーンに映し出される「幻」が、少しの間だけ自分を解放してくれたのです。独りで映画を観に行くって寂しいなあと思うようになりました。幻泉館主人という私のハンドルネームの由来は書きましたね。もちろんつげ義春さんのマンガが出典です。幻灯をイメージしたから「幻」にしたのですが、独りで映画館の椅子に腰を下ろしている叔父のこともどこかにひっかかっていたのかもしれません。
2003.10.20
コメント(16)
DVD『日本の悪霊』が届く。おぉ、さすがアマゾン。「ROOTS MUSIC DVD COLLECTION」はどうなってるんだ、早く送ってくれ。黒木和雄監督ATG 1970年作品三十年近く前に一度見たきりなので、よく覚えていなかった。原作の高橋和巳作品も同様。警官とヤクザがウリふたつというのは、映画の脚色だよなあ。キャッチコピーは「オトシマエには時効がねぇ」。アマゾンのレビューだと、原作の小説はこうなる。 > 特攻隊員として、国家のために死を決意しながら、 > 生き残った刑事。戦後の激動期に、革命の尖兵と > して火焔瓶闘争から殺人までも犯してきた被告。 > 執拗に被告の過去を探る刊事の胸の底に、いつし > か奇妙な共感が…ミステリアスな展開を通して、 > 罪と罰の根源を問う代表的大作。これは明らかに世界が違うわ。映画は刑事とヤクザの入れ替わりという別種のサスペンスに換骨奪胎。作家高橋和巳の思想的な問い掛けは消えてしまっている。河出文庫の高橋和巳コレクションで買ってあるはずなので、原作読みなおそう。音楽担当が早川義夫&岡林信康というのも異色。全編に岡林の曲が流れるだけでなく、岡林本人が本編に登場して歌いまくる。URCでのセカンド『見るまえに跳べ』のころ。日本の「フォークの神様」がロックに「転向」した後である。あの「はっぴいえんど」を従えてステージに立ったころ。生ギター一本で歌う「ヘライデ」は、実はこの映画でしか聴けないレアもの。皇室をおちょくった部分がないのが惜しまれる。組長の出所祝いの席で組長自身がギターを弾いて「友よ」を歌うなどという、あざとい演出もある。かなりドラマを破壊する、懐かしい時代の映画です。ところで、私は東映やくざ映画に入れこんだ世代ではない。高倉健や藤純子といったスターに、思い入れはない。そのような美学が滅んだ後の、仁義なき戦いなら、少しはわかる。だから、この映画のクライマックスは今ひとつかも。『日本の悪霊』は佐藤慶さんの一人二役がおもしろいのですが、実は岡林信康の映画のようになっております。お、黒木監督と上野昂志氏の対談映像がおまけに付いています。
2003.09.17
コメント(0)
9/15(月)の深夜です。世間様は国民の祝日でお休み。幻泉館主人は非国民なんでお仕事でした。中途半端で帰ってきちゃったけどね。そうか、敬老の日か。前にも書いたけど、想像する自分の老後で何がつらいって、敬老の集まりだよな。小学校の体育館みたいなところに詰め込まれて、歌謡ショーやら大正琴の合奏やら見せられちゃうのかしら。拷問だよなあ。楽天広場に登録する時に、い~かげんに自分の[特徴 プロフィール]を書き込みました。「自慢のアイテム」なんてのは限られてるけど、「好きな音楽」「好きな本」「好きな映画」なんて何書いていいかわからないよなあ。そこで映画を考えるときにふっと作品名が浮かんできたのが『ハリーとトント』。あれぇ、そうか?そんなに好きだったっけ?う~ん、やっぱり好きらしい。1974年、ポール・マザースキー監督の作品です。私が観たのはその翌年あたりに、東京のどこかの名画座だと思います。この監督の作品で、日本でヒットしたのは『結婚しない女』(1978)。私が好きなのは自伝的な『グリニッチ・ビレッジの青春』(1976)ですね。この映画のシーンを真似しました。友人と酔っ払って、深夜に井の頭公園の野外ステージで「つかこうへい」さんの劇の台詞を真似ました。おお、青春!それよりもさらに『ハリーとトント』の方が好きなんですね。ハリーという爺さんと、トントという猫のロードムービーです。ストーリー詳細はgoogleで「ハリーとトント」を検索してみてください。苛酷な現実を温かい視線で、コメディ・タッチで表現している映画です。年取ったらこういう爺さんになりたいという、ある種の理想像でありました。ただ、ハリーは半生をマジメに生きたから、自由な精神が血肉を持ちうるわけでありまして、もともといいかげんに生きてると、老後は悲惨なことになりそうです。っつうか、私はあんまり老後がないはずなんで、心配しないのよ。おお、ネタとしてはちゃんと「敬老の日」になったじゃん!
2003.09.16
コメント(2)
全236件 (236件中 201-236件目)