この魂が『わたし』を生きる

この魂が『わたし』を生きる

February 1, 2013
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今更ですが、思い出して氣付くきっかけができ
自分にも思い当たる時期があったので、この場を借りて謝罪します。

「あの頃、不幸だと決めつけていたのは私です。
 大変、失礼致しました。お詫び申し上げます。」

今思えば、他人の価値観からすれば、
我が家の置かれた状況も<可哀想>と思われる状況ですが、
だからといって、それを「○○だから、可哀想よね」
…とは、言われたくありません。

他の価値観に振り回されないことの大切さに氣付くことができ、
ようやく「不都合だけど不幸じゃない」と感じられるようになりました。

何に価値観を置いているかで、その人にとっての<幸・不幸>の基準ができ
決めつけず、基準を作らない事で<幸・不幸>から自由になれる。

人がそう在る(その状況にある)ことは、ただそう在るだけなのではないか…と。

<不都合だ>と感じる事も、そう意識しなければ<不都合>ですらなくなる。
<感覚>や<意識する(あるいは、している)こと>に囚われなければ、
<不幸>でも<不都合>でもない。

今感じているのが、不思議な感じなのですが
決めつけなければ、自己責任はあっても自由だなぁ…と、
ひょっこり現れた感覚で、そう感じています。

思い込みや狂氣と思う人がいても、それはそれ。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない事。
多分それも「どちらでもいいこと」なんだと思います(笑)





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Last updated  February 1, 2013 11:53:55 AM
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