阪急交通社 たびコト塾 0
全16件 (16件中 1-16件目)
1
2020.12.5 巨峰ワインの紅葉 昨日は11時からお御堂で兄の13回忌の法要をして頂きました。住職様の息子さんか?修行中の方かお若いお坊さんでしたが、『回忌のご縁で皆様が集まられる事が……』とのお話にしみじみ。お茶とお菓子を頂き、納骨堂をお参りして、お寺を後にしました。近くの料理屋さんで食事をしました。葡萄畑と、筑後平野と向こうの山が背景になり見晴らしがよかった。コロナですから、1軒ずつの卓にしようと思っていましたが、ももちゃんと子ども3人で一卓、じぃじばぁばで一卓(笑)終わって巨峰ワインの紅葉林の中で写真を沢山撮って、木登りする子がいて、ワイン蔵の探検に行って、色々試飲。ももちゃんのパパが、ばぁばとママにワインを注いでくれていて、お客さんに試飲担当と間違われ『お願いします』と言われてました。産直品のお店にバスケットゴールがあり、みんなで暫く楽しんで、道の駅に寄りメダカを買って、ももちゃんがアイスを振舞ってくれ、名残を惜しんで別れました。日差しが温かく、ゆっくりとした師走の一日でした。ひと仕事終わました。姉の所に志他を届けたら完了です。高い靴で行ったので……腰が痛かった~~(笑)暖かな日に、庭掃除から始めましょうかね。
December 6, 2020
コメント(2)
2020.12.2 柊 植えてないのに生えてきました。少しでは香りませんが(笑)古くから邪鬼の侵入を防ぐと信じられ、庭木に使われてきた。家の庭には表鬼門(北東)にヒイラギ、裏鬼門(南西)にナンテンの木を植えると良いとされている(鬼門除け)。また、節分の夜、ヒイラギの枝と大豆の枝に鰯の頭を門戸に飾ると悪鬼を払うという(柊鰯)。日本においては、「柊の花」は初冬(立冬〔11月8日ごろ〕から大雪の前日〔12月7日ごろ〕)の季語とされているウキペディアより。玄関の扉の前で大きくなると、目隠しと魔除け?になるかと。鬼門は北東だそうですが、これは北西に生えていますから、北東に挿し芽するかな?(笑)南天も、南西以外何処でもあるのですが……(笑)昨日は兄の13回忌の準備。お布施やお花代等必要経費は新札に替え、お土産の準備。今日ももちゃん所の車に乗せて行って貰います。9時半出発。姉の所が後日行くので、そちらの分も準備しました。墓守代は、義姉の貯金の内から我が家が頂いているので……交通費や食事代はこちらで出そうと思っています。次は食事の予約。お店を決めて電話したら、団体が入ると言われ別の所に予約。色々調べていてよかった。本当にグーグルマップ便利です。電話した所を色々登録しました(笑)午後から、お歳暮を贈りに行きました。粗品の茅乃舎だしが嬉しいのですけれど終わってました。例年11月には贈るのですはけれど(;_;)5袋の出汁ですが、使い前があります。されど386円分です。夕食は、ゆふいん だんご汁を作りました。片方で出汁に肉や野菜を入れ煮て、片方で麺を茹でます。茹で上がった麺を洗って、具を煮ている鍋に戻します。美味しかった~~。冬は具沢山の汁物が温まっていいですネ。サイトの下の方にだんご汁(鮑腸汁)の由来が書いてありますよ。ももちゃんのママに『麺が少し柔らかいけど』と言ったら、『要らない…』と言われました。昨夜はご馳走だったのかな(笑)麺の柔らかいのは好きじゃないのです。で、今朝も頂けます(;_;)
December 5, 2020
コメント(2)
2013.10.30 野紺菊up 2013.10.30 野紺菊1本だけすくっと伸びて沢山の花をつけてました。花が大きくて花びらが細くて、とても綺麗です。久しぶりに義姉の所に行ってきました。3ヶ月ほど前に、保険会社から亡くなったくなった兄の入院保険金の件で、【再度病院から診断書を貰い保険金の請求をしてください』と書類が来てたそうです。延ばし延ばしにしてたので、義姉がついに殺し文句を言ってきました。「『遅くなるとと、出なくなるかもしれない』と言って来た」ってです。でもねぇ、亡くなる2月ほど前で入院保険金の支払は済んでるのに、いまさら出るわけはないのですけど。確かめたら『出るか出ないかは診断書を出して頂いてからの判断になる』との事。別の病名なら出るのでしょうかねぇ?どちらにしても『文書料6,000円は支払います』とのことでしたが、『遅れると出なくなるとは申しておりません』との事でした。行きたがる義姉を、診断書を書いて貰うだけだからと説得して、電話をするなという義姉を振り切って、保険会社に真偽の程を確かめて、結局のところ任せないのですよね~。というか信用してない(;一_一)頼んだだけですから、出来たのを貰いにいかないといけないのです。あ~ 面倒くさい(-"-)
October 31, 2013
コメント(2)
DSCN0964ただの百合では面白くない。何かいいネーミングは?と考えてて浮かんだのは『木陰の百合』(^^♪そういえば『谷間の百合』という本があった…と思いだしながら谷間の百合バルザック。。。読んではないけれど...実家の本棚の世界文学全集のうちの一冊だった。昭和元年生まれの兄は、新し物好きで、話題になると直ぐに買っていたから、テレビも冷蔵庫も洗濯機も車も割と早くに家にあった。広辞苑も第1刷があったし、新潮社の世界文学全集も全刊揃ってた。でも、買っても義姉は読まずで『並べとく』だったけれど(笑)ジェーン・エアとか嵐が丘とかジャン・クリストフとかモンテクリスト伯とか半分も読んでないが、外箱?表紙?の鮮やかな黄色が懐かしい。昔面白くないと思ったものでも、今なら分るかも…少しずつ読んでみようかな・・
August 22, 2012
コメント(4)
先週のお誕生会のとき持ってきてくれてたんですが…今頃登場です(笑)風邪っぽいかなぁと思ったら、冷蔵庫から出して一個ほおばってきます。ビタミンたっぷり。愛情もたっぷりですね。忙しいのに作ってくれて有難う。美味しいよ(*^▽^*)昨日、兄の四十九日の法要と納骨を終えました。自動車道のパーキングで車3台待ち合わせ、揃ってお寺さんへ。お寺では、あたたかくして頂いてたお御堂で法要をして頂きました。何時までも悔やまないようにとお説教をしてくださいました。初めは大人しかったももちゃんが、ごそごそと動き始めたころには終わりました。ママと一緒に焼香をして可愛い手を合わせていました。納骨を終え、お茶を頂いてお寺をでました。広い駐車場にある蜜柑の木の周りを走り回るももちゃん。黄色に熟れた蜜柑とももちゃんの洋服が鮮やかです。そして、カメラ片手について回るたかはしせんしぇい『次女のことです』暖かで明るい陽射しのなか・・・兄が見守ってくれてるかのようで、門の横の紅梅が少しほころんで綺麗でした。帰りに食事をして、ここでもももちゃんに癒されて、義姉もみんなが集まってくれたので喜んでくれてました。ももちゃんが、抱かれてるじぃじから離れないと泣きました。じぃじ大好きですもの…冥利に尽きるでしょうね(笑)四十九日で一区切りですね。まだ信じられないようにありますが…早いものです。すぐに初盆がきますね。葬儀社からお借りしてた経机などを返して家に帰りました。義姉が『少し元気になったかな?』とじぃじと話したんですが、いろんな手続きが残ってますので、Gママの仕事が終わるの待ちかねてます。
February 2, 2009
コメント(6)
今まで兄が貰ってた年金は、基礎年金(1階)===国民年金上乗せ年金(2階)===厚生年金の2階建てでした。で、兄が亡くなった後に義姉が貰えるのは2階部分の厚生年金の平均報酬月額の4分の31階の国民年金分は貰えません。経過的寡婦加算(中高齢の加算と同額)594,200円(年額)がプラスされますが今までの約半分になります。これでも厚生年金分がもらえるからいいのですよ。とおっしゃいました。遺族国民年金は次の場合しか払われませんとのことでした 18歳到達年度の末日(3月31日)を経過していない子 20歳未満で障害等級1級または2級の障害者老後。。。厳しいものですね。手続きに行った社会保険事務所・・・1時間半待ちでした\(◎o◎)/!Gママの地区の社会保険事務所は10~20分待ちくらいです。社会保険事務所、夜は7時まであいてるそうで、、、手続きが終わって6時過ぎに帰る時は、誰も居ませんでしたから5時過ぎに行ったらすぐにしてくれるようです。この日行ったのは、1時過ぎ。1時間半待ちでは、『ホームヘルパーさんが来られる』と言いますので義姉とじぃじは一応帰り、Gママだけ残りました。少し離れたとこの図書館に本を借りに行って。。。3時ごろ呼ばれた時は、書類の不足がないか確かめてもらいもう一度順番待ちのカードを取って。。。さぁ、宮尾登美子でも読もうと思ったら、よく見える眼鏡が車の中。少し見えにくくなった中近用の眼鏡で。。。時々本読みながら、時々居眠りして、待つこと1時間半。2回目呼ばれたのが5時。入力してくださってる時に義姉が再度到着。書いた書類は。。。5枚くらいあってでしょうか?同じ用紙なのに複写になってないし…印刷の字が小さいし色が薄い。書く人は年配の人が多いだろうに、役所ってほんとに不親切です。書く欄を示して貰いながらながら、確かめ…確かめ…書いていきます。おまけに書くのがのろい(ーー;)兄の年金手帳と証書はこちらで頂きますとおっしゃいましたので何かあったとき調べる手立てがありませんからとコピーしていただきました。手続きに1時間以上かかりました。Gママ、1時から6時すぎまで5時間もいました。12月分は今までの額もらえるけれど、振込みはしばらくかかるそうで、1月分から遺族年金になり2・3月分の振込み時の4月に3ヶ月分一緒に支払われるそうです。
December 26, 2008
コメント(10)
ご住職様には、雨の中遠路来ていただきました。17年前に仏壇の開眼の法要の時に来てくださって以来でした。読経の途中、焼香も回して、教本を見ながら続けました。無事に終わり、お茶を飲みながら思い出話などいたしました。兄のこと、お寺さんの近くの叔母のことやら、姉が亡くなった時のことなども話しました。義姉・姉・甥(もう一人は仕事でした)・ももちゃん・パパとママ・次女・じぃじとばぁば。ももちゃんも入れて全部で9人。我が家でこれだけが一緒に集まったの長女の結婚式以来。甥とももちゃんのパパが話したのは初めてで、こんな機会も・・・兄が作ってくれたのですね。お香典見つかったのです(-_-;)一覧表をお仲人さんの葬儀のあと作ってたのですが、若い者4人で、もう一度名前・住所などをチェックしてもらいました。四十九日までに返礼の準備をします。葬儀の時お世話になってた方にすぐにお礼に伺わないといけなかったのですが姉が今日は伺うといってました。みんなで夕食に出かけました。義姉が『子どもはいないのにみんなのお陰で無事に済んだ』と感謝してくれて、びっくりするほどたくさん食べて。。ももちゃんがみんなを笑わせて和みました。ももちゃんのさようならのご挨拶はとびっきりで、まるで宮様のようでした。
December 22, 2008
コメント(8)
19日、市役所で喪失の手続きと受給の申請書を頂きました。 ◇喪失の手続き 14日以内に市役所等 後期高齢者保険証(葬祭費が支払われます) 介護保険証 印鑑 保険証 死亡を証明するもの 返金や葬祭費の振込口座情報(金融機関名、支店名、口座番号、名義人) ◇年金の受給手続き10日以内(国民年金は14日以内)に住所地の社会保険事務所 年金受給権者死亡届 (国民年金のみの受給者は市区町村役場) 年金証書、 死亡を証する書類、住民票(除籍)や戸籍謄本など。 ◇各種保険金◇預貯金などそれぞれに、死亡診断書・印鑑証明証などが必要です。これから公共料金などの引き落としの手続きもあります。延々とすることがあるようで。。。仕事が休みのときで良かった。喪中はがき、悩んだ末に…出すことにしました。買ってた年賀状は無料で交換してくださるそうです。服務による無料交換の取り扱い期間の延長例年12月28日までだったのが、来年1月15日まで伸びたそうで、免許証などと会葬礼状などの確認がいるそうです。
December 21, 2008
コメント(6)
18日、お仲人さんの葬儀がありました。85歳と10ヶ月。ここ10年ほどは入退院を繰り返してあったとそうで、遺影は少しお痩せになってましたが、昔のままの丸っこい目のやんちゃな笑顔。20年ぶりに拝見する奥様は、悲しみの中にも笑顔で迎えてくださいました。息子さん二人は働き盛り。会社関係の方が多く見えてて、花が30くらい並んでたのではないかしら。言葉を掛けられる時の表情がよみがえり、一瞬昔に戻るようでした。弔問にいらしてた方とも久しぶりにお会いし…懐かしく言葉を交わし、初めての方には、じぃじがお世話になったお礼を申し上げました。出棺のお見送りをして帰りました。その帰り、お昼を食べに寄ったチェーン店のレストランでのこと。受付の支配人さん、、、お会いしたことが?とおもったら、兄が行きつけのお店にいらっしゃった方。席に見えたとき、亡くなりましたと言いましたら、『あ、スカイラインの!!』と、覚えててくださってました。以前勤めたあったお店は、兄の話に必ず出てくる思い出が一杯のお店。ゴルフコンペの打ち上げに、友人とお茶のみ(?)に仕事の合い間に毎日のように行ってました。晩年は、義姉に知られないように、お店に行ってタバコを吸ってたこと、出かけなくなっても、このお店にはだけはコーヒーを飲みに行ってたこと『兄がお礼を言って欲しいと思ったので引き合わせたのでしょう』とお礼を申し上げました。国道沿いの数ある中のお店。おまけにチェーン店でも行きつけではなく、たまたま寄ったお店ですから、、奇跡の様な出会いでした。
December 20, 2008
コメント(8)
兄が亡くなって、通夜・葬儀・お寺さんへのお礼参りと続き、18日(木)はゆっくりしたいなぁ~~と思ったのも束の間。『お仲人さんが亡くなられ通夜が19時から』と連絡が入りました。葬儀場は実家から30分ほど先。それなら、その前に実家に寄り初七日の準備しておこうということになり、喪服諸々を用意して出かけました。実家に着くと、ちょうど近所の方がお参りに来てくださってて、お茶をお出しして、帰られたら、早速片付けに取り掛かりました。義姉ですから普段は遠慮して言いませんが、これではお客様はお迎えできない(>_
December 19, 2008
コメント(10)
葬儀の日に、『明日11時におときを用意してお待ちしています』とのことでしたので、17日、義姉・姉・甥・じぃじ・ばぁば5人でお寺さんにお礼参りに行きました。本堂でおまいりし、通夜、葬儀、法名のお礼を申し上げお布施をお供えし、その後、用意してくださてったおときを頂きました。九州自動車道で玉突き事故があり、市内の都市高速から車が進まず、30分送れて着きましたので、ご住職様は葬儀に出かけられてました(-_-;)坊守(住職の奥様)さまが接待してくださり、故人を偲びながら頂戴しました。納骨堂にお参りし、叔母の家によりまた思い出話。葬儀にも来てくれましたが。。。9歳下の甥が『可愛かった』と涙ぐんで、先に行ってしまってと悲しんでくれました。義姉を送って、帰り着いたのは7時ごろ。。。あっという間に一日が過ぎます。お仲人さんが亡くなられました。今から葬儀に行ってきます。
December 18, 2008
コメント(12)
突然のことでしたから、悲しむ間もなく通夜までの間にすることが次々でした。祭壇の準備が出来るまでは遺体は控室に置かれます。その横で様々な説明を受け、終わったら家に取って返し、写真を探し、旅立ちの洋服を調え、持たせるために、好きだったもの大事にしているものを選びます。ある程度の年齢になったら日ごろから準備しておかないといけませんね。義姉はお礼の言葉の用意。告別式の着物の準備。銀行にも行って…一人で動けませんから、じぃじか次女かセットで動かなくてはなりません。受付は次女と甥。何とか整えて7時からの通夜でした。地域の方も大勢見えてくださり、通夜式が終わったあとも次々と駆けつけてくださいました。夜は、高齢の義姉は倒れたらいけませんので、次女とじぃじとばぁばで交代で兄に付き添いました。うさこさんの日記にもありましたように、葬儀社は何もかも揃ってます。控室にはコーヒーもお茶もいつでも飲めるよう置いてあります。お風呂もあり洗面道具もドライヤーも寝具もあり、まるでホテルのようです。入り口ホール横にもコーヒーもお茶も出せるように準備してあります。係りの方がいらっしゃれば尋ねて見えたかたに出してくださいます。遺族が余計な気を使わなくて言いように様々な心配りもしてくださいます。朝は、着付けをしてきた義姉を待って式の打合せ。式が始まる前に御斎(お昼)の案内。遠くの方は間際に見えますので急いでもらって1時から告別式。次第にのっとって粛々と進みます。地域の役をしてた関係で、自治会長さんが弔辞の中でその功績を述べてくださいました。市長さんや議員さんに弔電を頼んでくださった方もありました。82歳と8ヶ月。多くの方に心から見送っていただき、幸せな人生だったのだろうと思いました。ももちゃんは、歌手にしたいくらい??声が大きくてよく通りますから、仕方なく…告別式の間はママが控室に連れて行ってました。ですから、ママは告別式に出れず、大好きなおじちゃんの焼香はお別れの時でした。葬儀を終えて火葬場へはマイクロバスを頼みました。火葬を終え、係りの方のおっしゃるように収めて式場まで戻りました。遠くへ帰られる方には途中で食べれるようお弁当やお茶を準備し、花もお持ち帰りいただきました。近くの親族は、斎場近くの料理屋さんで精進上げ(遺族と親族の会食)をいただきました。思い出話に花が咲き義姉の里帰りのときは、兄の帰るのをみなさんが待ってて下さってたとのこと。優しかったので、甥や姪が慕ってたようでいろんな思い出話が聞けました。ももちゃんは夜はとてもおりこうで、終わりごろGママの膝にチョコンと来て…可愛くて抱きしめました。ふっと現実戻ったようで癒されました。2日の間に起こったことが、いまだに信じられないでいますが、皆さまからコメントをいただきましてありがとうございました。出先で携帯で見て・・・暖かなお言葉に涙がこぼれました。
December 17, 2008
コメント(10)
昨日、日曜の忘年会の日記をアップしてる時、兄の病院から【息をしてありません。すぐに・・・】と電話があり、義姉を連れて駆けつけました。人工呼吸、詰まったももの吸引など、いろいろ手を尽くしましたが。。。9時47分でしたとのことでもう亡くなってました。朝食は2割ほど食べられましたと言われ、吐物が枕元にあり吐かれたものが気管に入ったと思われますとのことでした。それほど悪かったわけでなく、月曜の朝ですから、4日前の金曜に、ももちゃんの足を触って嫌がられ、帰るときにはバイバイをしてたんですから・・・とても信じられないことでした。兄弟・家族に電話。葬儀社を選び遺体の引きとりを頼み通夜、葬儀の日取りを打合せ、お寺さんに相談して月曜7時には通夜。次女が午後休んで家に帰り、自分の用意にじぃじ・ばぁばの喪服もろもろにジャイアン。ラッシュの中タクシーで持ってきてくれました。悲しむ間もなく6時過ぎになんとか通夜の準備整いました。今からお寺さんへお礼参りに出かけます。これから先はまたアップします。
December 16, 2008
コメント(16)
兄が入院したのは介護療養型医療施設です。病床は医療型と介護型が半々くらい。治療が終わったら医療病棟から介護病棟の方に変わるようで、普通の病院のように3ヶ月したら退院。。。とかはしなくて良いようです。施設は新しく、介護師さんはてきぱきを行き届いたお世話をしてくださいます。お部屋が温かくて、兄はほっぺがピンク色になって呼吸も楽にしてるようでした荷物等が落ち着くと、主治医からレントゲン写真を見せながら説明がありました。治療に望むこと。治療が終わったら在宅介護が出来るかなど聞かれました。姉はもう世話を仕切れないということで、ずっとお世話になりそうですが、少しでも回復したら、家の近くの介護老人保健施設に替われるようお願いしました。申込みに行って、先に兄を入院させて、義姉と荷物を迎えに行って、都合3往復。入院の手続きや説明を受け、インフルエンザの注射の申込までして帰りました。車に乗ると、義姉が『頭が痛いからMRIを撮ってもらいたい』というので、こんな時間は無理だろうから予約だけでも…と近くの脳神経科駆け込み。。。個人病院は対応が早いですね。受け付けてくださいました。問診のあと、MRI撮影が30分。写真が出来るのを待って説明がありました。『85歳にしては綺麗。左右対称で何処も詰まってないでしょう?上等です。』とお墨付きを頂き、頭痛薬を貰って帰りました。義姉を送り届けて家に帰り着いたのは8時前でした。朝早くから12時間近く。。。じぃじがず~~っと待ってくれて、兄をおんぶして運んでくれて、、、有難かったです。昨日【閉塞性】を書き忘れてました。兄の病名はCOPD(慢性閉塞性呼吸器疾患)でした。肺気腫と慢性気管支炎を一緒にした病名。タバコを沢山吸った人がなるそうです。きつい思いをしたくなかったら。。。禁煙いたしましょうね~~。介護施設や病院もいいろあって分からないですが、入る予定だった所と、昨日入院した所を調べてみました。Yahoo辞書ろうじんほけんしせつ【老人保健施設】病状が安定期にあり、リハビリテーションを中心とする医療を必要としている高齢者のための医療提供施設。老健施設。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』介護療養型医療施設(かいごりょうようがたいりょうしせつ)医療法に基づき、病状が安定期にある要介護者に対し、医学的管理のもとに介護その他の世話や必要な医療を行う施設である。医療や看護をほとんど必要としない入所者が多く介護保険給付費の無駄が指摘されているほか、医療保険が適用される療養病床と機能が似ていることが問題となっている。このため厚生労働省は2011年度末にこれを廃止し、他の介護保険施設へ転換する方針を明らかにしている。介護療養型医療施設、2011年度末に廃止の記事が 2005年12月22日 読売新聞に掲載されてました。2011年末まであと3年。どうなるのかなぁ・・・
November 22, 2008
コメント(8)
昨日、6月4日から入院してた兄を退院させました。姉が、『病院では可愛そう』といい退院を申し出ていたのです。帰りに、ケアマネジャーさんがいらっしゃる病院に寄りました。ケアマネジャーさんと訪問介護の会社の方と退院後のプランをたてるためです。居宅介護は入浴介助は1時間に増やしてもらい、時々『ショートステイ』を入れましょう、と説明も受けました。ショートステイは2泊3日から始め、それでも大変な時が来るから…『老健センターの申し込み』をすることになりました。疲れて、『今度でもいいのに!!』と渋る義姉と見学に行き、申し込みをして来ました。7年前に建った老健センターは4階建て。食堂ではちょうど夕食時でいい匂い。圧倒的に女性が多いのです。男性は先に亡くなってる?のでしょうか?兄は82歳。義姉は『痴呆になってと』ぼやきますが、一般的な痴呆の症状はありません。食事は自分でできますし、トポトポと歩いてトイレも行けます。週に一度会うGママたちにはいい顔をしますが、義姉が何か言うと顔を顰めます。話は余りしませんが、それほど手は取らないのにと(心で思ってると)義姉は、『一緒にいてごらん!!大変なんだから!!』と厳しい顔をします。85歳、自分が面倒をみてもらいたい年齢ですから、良くしてくれてるんですけどネ。今までアドバイスも聞かず、先のことを決めれなかった義姉も納得し、デイサービスにも興味を示し、いろんな話が進み安心しました。その後、兄が5年ほど前まで行きつけだったレストランで夕食にしました。さっさとトイレに立って行きます。好きなポテトサラダにカキフライもいくつか、グラタンも喜び今まで入院してた人?と思うほど食欲もありました。じぃじが、車の中で待ってる間、いろんな話をしてくれていたとか。外に出て、歩き、話し、脳も活性化したのでしょうか『今日は大変お世話になりました』としっかり挨拶をしたので、みんなびっくりして大笑いでした。ショートステイを入れながら、今日から新たな老老介護はじまります。
October 30, 2008
コメント(10)
昨日、兄を入院させました。半月ほど前から、食事の量が減って、ほとんど寝てるだけ。。。兄嫁が心配して、入院できないかと・・・月曜に掛かりつけの病院で検査して、水曜に紹介していただいた病院に入院しました。『食事が摂れるようになったら元気になりますよ』と言っていただきましたが、82歳、いつ何が起こっても不思議ではないので、『まさかの時の処置をどうするのか決めておいてください』と言われました。死期が迫ってるほど悪いわけじゃないのですが、急変することもあると…どこで線引きするのか難しいですね。その旨を義姉に話したのですが、『チューブとかつけるのは嫌がるだろうね』 といいながら…寝ている兄に『ちゃんとご飯食べないと穴をあけられるよ』と、のたまうのです。普段は起こしても起きない兄が、すぐに起きてしっかりお昼ご飯食べてました…びっくり\(◎o◎)/なんかね~~…漫才みたいでした(笑) あの分なら元気になるかな?ももちゃんですが…一週間ぶりの託児所は、ず~~っと抱かれてたそうです(#^.^#)今日は、同総会総会の準備です。15日の当日まで忙しい。Yahoo辞書より****************************************************************えんめい‐ちりょう【延命治療】快復の見込みがなく死期の迫った患者に、人工呼吸器や心肺蘇生装置を着けたり、点滴で栄養補給をしたりなどして生命を維持するだけの治療。
June 5, 2008
コメント(14)
全16件 (16件中 1-16件目)
1