GOlaW(裏口)

2006/03/22
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カテゴリ: 西遊記
 神仏を敵を回しても、譲れぬものがある。
 種族や立場や育ち、それら全てを捨て去っても、なお熱いそれを──

──『矜持』を高く掲げる。

 その時、彼らは“釈迦”の力を下ろす依代となったのだ。


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 それでは今回はクライマックスの“光芒”についての推察をメインに語らせていただきます。


 一瞬、脳裏を『友情パワーです(Mr.マリックの口調で)』という想像が過ぎりましたが、それは置いといて(←間違ってはいないだろうけれど)。

 考察するにも材料が足りないので、今回は思ったことを語りたいと思います。
 『日本人が作る西遊記』という事を一番感じたのが、この下りでした。

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 あの時は悟空は誰も傷つけるわけにいきませんでした。
 元々は原著でも『人間は傷つけるな』と三蔵に言い聞かされているんですよね(その代わりに『妖怪は惨殺OK』という辺り、当時流布していた妖怪退治の物語や『妖怪蔑視』の影響が強い)。
 今回はそれに加え、『妖怪であっても傷つけるな』という設定になっています(この辺りは教育的指導?)。

 まぁ、今回は“相手は腐りまくっていても仏教徒、しかも外の人達を積極的に傷つけているわけでもない”ということもありますしね。
(とはいえ、腐敗具合はこれまで相手にしてきた邪妖怪と代わらない気がします。背後関係だけでその矛を下ろすのは、それはそれで問題と思われます。汗)

 その一方で、『妖怪退治』『妖僧追放』の大義名分をかざして、三蔵法師一行を退治しようと躍起になる僧侶達。
 …「妖怪が!」という台詞を繰り返されるたび、『日本各地の土蜘蛛伝説』の発祥理由とか、『魔女狩り』を思い出してブルーになるのは私だけでしょうか(“敵や異民族を『土蜘蛛』と呼んで虐殺し、人間で無いからいいんだと民衆に言い聞かせた”のが、土蜘蛛伝説の始まりです)。
 しかも『悟空集団リンチ』シーンが長すぎたので、フラストレーションが溜まりました(←それを発散させるべき『カタルシス』が無かったのもきつかった…)。

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 そんな風に相手を傷つけるわけにいかない悟空達には、相手を無力化する手段も無くなったわけです。
(…『加減して当身を食らわせるわけにいかないのか』と思っちゃいました。相手に明確な『殺人』の意図もあるんですし)

 そんな時に、四人の体から『光芒』が放たれます。
 辺りの物に影響を与えず、ただ“心に悪鬼を宿したもの”だけが吹き飛ばされる“光芒”。
 それの引き金となるのが“四人の互いに互いを思う気持ち”というのは、間違い無さそうですね(これは三蔵の牢が破れたときの演出で分かる)。

 ここで問題なのは、『何故、このときだけそんな能力が発現したのか』『何故、彼らにそんな特殊能力が使えるのか』。

 想像できる理由はあります。 
・三蔵の『即身仏』ならぬ『即身経』の修行により、新たな法力に目覚めた。それのトリガーが『三人』である。
・四人の互いを思う気持ちが極限まで高まり、『波動』という形まで引き起こすようになった。
・釈迦が“彼らの純化した想い”を通じて、その法力を顕現した。
 …別にどれであってもいいんです。ただ、『理由』をもっと明確に中盤に匂わせて欲しかった。もしくは彼らが力を振るった時に、映像を挿入して欲しかった(“印を組み、ほくそ笑む釈迦の映像”とか)。
 “クライマックスに突然、脈絡もなく出現する便利な力”。これが一番の問題です。
 あまりに突然すぎて、『物語のご都合による、意味の無い演出』と視聴者を冷めさせてしまうんですよ(頭痛)。

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 “光芒”のCGを観た時に感じたのは、
「神道の禊の力みたいだ…」
というものでした(正確には“光芒も衝撃も無く、ただ清浄な何かが辺りを駆け抜ける”というのが私のイメージです)。

 古事記や日本書紀の『天照大神・ツクヨミ・スサノオの三神誕生』に見るように、日本古来の呪術は『禊ぎ・祓い』が中心でした。
 “人の負になるものは、全て集めて川に流し、海に還す”のが、基本的な考え方だったんです(今でも『水に流す』という言葉は使いますよね。これが由来です)。これは神道に強く受け継がれています。
 『退魔』の概念、つまり“悪しき物をねじ伏せる”というのは、後から海を渡ってきたものなんです。

“相手を倒さず、しかし敵意を退ける”という力は、現代日本の平和主義的であると同時に、神道という日本古来の概念に近いんだと思います。
 だから悟空たちの力は『方術』や『密教』というよりも、『神道』的な力だと感じました。

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 相手が『妖怪に使われる屍人』ならともかく、『思考が腐ってる敵』に何もしなかったのは残念です。

 相手をぎゃふんと言わせるシーンが是非観たかったです。
(“補完するお経が全て白紙になる”、“山門が無くなって一般民が多量流入して押さえが利かなくなる”、“釈迦が降臨し、僧達の法力を全て取り上げる”、等)
 数秒のカットでいいので、彼らが呆然となるシーンが見たかった。

「『光芒』のネタだけに頼り過ぎ、逆にネタと本筋を殺したな…」
 そのことが非常に無念です。

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 『光芒の力』。これのCGや影響力を見て感じたのは、
「本当に日本人の観念で作る『西遊記』なんだな…」
ということでした。
(それを言うなら、数珠も本来は日本の『修験道』から仏教へ逆輸入されたものであり、当時の中国&インドでは仏具ではなかったはず)

 そんな“日本人の感覚”とオリジナリティはすごく好きです。
 …が、それが物語の本筋と見事に(←…ほんとに『見事に』としか言いようが無い…。血涙)相殺しあっていたのは非常に残念でした(頭痛)。
 次があるなら、スタッフ様、両方を活かしあうようにしてください。


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追記:
フジテレビ版『西遊記』のノベライズ が決定しました。
 こちらのレビューもまた書きたいと思っています。…無事に購入できますように(←近くの本屋は“予約してから50日待たせた”という前科持ちなので。汗)。





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Last updated  2006/03/24 10:17:04 PM


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