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キリスト教


聖書によると、荒野における悪魔のイエスへの誘惑の第一は、「人間の救いをこの地上に求めるということで、その代わりに地上の権力のすべて、おまえにやる」という約束。

→エッセネ派が未来におえて求めたこと。「やがてエルサレムの神殿を奪還して、それをサドカイ派やパリサイ派の手から自分たちの手に戻そう、それにおまえも一緒に参加しろ」という誘いと考えられる。
「汝、神の子ならば、命じて、この石をパンならしめよ」とイエスに迫るシーン(=「地上のパンは、いかなる救いの言葉、つまり石よりも有効ではないか」というエッセネ派の真意を示していると考えられる。)

→最終的にイエスは、「われわれの教団に属すれば、地上的な幸せをおまえに与えよう、おまえをわれわれの教団の中の指導者の一人としよう」、という誘惑を退けたと考えられる。

■エッセネハ派の考え方
「死海文書」による要約
・第一に、自分たちの教団からやがて救い主が出現し、彼が地上の支配者となる。
・第二に、彼らは教団員同士の愛は語っているが、自分たち以外の者への愛はけっして考えてはいない。(←これは、罪人でさえ神は救うというイエスの考え方とは根本的に対立する)

■神に対する考え方の相違

・洗者ヨハネやエッセネ派の人たちの考え方は、旧約聖書の考え方(罪と罰による神)=ユダヤ教の神(自分とは別の神と結びついている異民族戦わなければならなかった、という性格による)

・イエスの考え方は新約聖書の考え方(愛と罪の許しによる神)

「洗者ヨハネの弟子たちの顔は深刻そのものなのに、イエスの弟子たちのそれは婚礼に列している者のようだった」(「マルコ伝」2の18)は、荒野のユダヤ教の考え方を乗り越えたイエスの気持ちを表していると考えられる。

■水を酒に変えた奇跡
「ヨハネ福音書」による"カナの結婚式"で、イエスが水を酒に変えたという奇跡が書かれている。
→洗者ヨハネ教団の中で得られた弟子たちが、イエスを歪んだユダヤ教を立て直し、反ローマ的な指導者として考えていたことについて、イエスは、これらの弟子(水)の人間的な夢を、やがて徐々に自分の世界(酒)の中に昇華しようと考えていたことを暗示している場面と考えられる。

■洗者ヨハネの逮捕
ヘロデ・アンテパス王が洗者ヨハネの逮捕に踏み切ったことは、聖書によると王と異母兄弟のヘロデ・フィリッポス2世の妻、ヘロディアスの非合法結婚を、洗者ヨハネが公然と非難したためと言われている。
→ヨハネの非難はヘロデ王にとって、たんなる捕縛の口実にすぎない。当時のユダヤ人の史家ヨセフスの記述によれば、「ヘロデは、ヨハネの民衆にたいする大きな影響が、反乱につながらぬかと怖れた」とある。

→洗者ヨハネの死後、イエスは弟子たちから第二のヨハネと見られるようになった。洗者ヨハネの死は、一応、エルサレムの主流派たちに勝利をもたらしたが、かつて、ナザレの町で人々に知られなかった一人の大工が、洗者ヨハネの死を契機にして、周囲のユダヤ人から期待と警戒との2つの目でながめられるようになった。

・期待の目:洗者ヨハネの後継者。腐敗したユダヤ教を改革するだけでなく、ローマ人を追い払う、軍事的な指導者。→つまり、イエスをイスラエルを救う者と考えて、人間を救う者とは考えていなかったのではないかと思われる。

・警戒の目:エルサレムの神殿やエルサレムの主流派系統のサドカイ派・パリサイ派の目。→自分たちに反抗する危険な男、群集を煽動するアジテーター、ユダヤ教の油断ならぬ自称改革者としてイエスは彼らの目に映ったと思われる。


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