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2021.03.09
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カテゴリ: 沖縄市

(城前公園/越来グスク跡)

「越来集落」と「城前集落」は沖縄市の中心部に位置し比謝川沿いに広がる城下町です。越来(ごえく)グスクは沖縄市城前町周辺の丘陵地に15世紀頃に築城された山城グスクです。沖縄戦などで破壊されて遺跡はほとんど残されていませんが、越来グスクは越来地区の人々の誇りとして大切にされています。


(越来グスクの拝所/ギークヌウガンジュ)

(越来グスクの火の神)

「越来グスクの拝所」は「ギークヌウガンジュ」ともよばれ、城前公園(越来グスク跡)の敷地内にあります。拝所の祠の中には左に「越来城殿」右に「火の神」と記された石碑があり、それぞれに石造りのウコール(香炉)か設置されてヒラウコー(琉球線香)とお賽銭が供えられていました。すぐ隣にある「火の神」の祠には霊石とウコール(香炉)が設置されており、越来グスク跡への御通しと土地の守り神としての役割を持っています。


(ムトゥジマガー/クシバルガー)

越来集落の南側にある「ムトゥジマガー」です。越来地区の憩いの場である「越来城水辺公園」の直ぐ脇に位置し「クシバルガー」とも呼ばれています。元々この地には安慶田集落があり、村人が生活用水として利用していた井戸だと言われています。


(御殿川のヌーメーカー)

越来小学校の南東側に位置する「御殿川のヌーメーカー」です。城前集落の住宅と壁に囲まれた薄暗い場所にあり、表の通りからは見えない場所に佇んでいました。井戸にはウコール(香炉)が設置されており、琉球石灰岩の石垣が井戸を囲むように積まれていました。「御殿川のメーヌーカー」に続く細い路地の入り口には、神聖な拝所である旨の注意書きがありました。


(ヌルドゥンチ/ヌンドゥンチャー)

(ヌルドゥンチ結びぬカー)

城前集落の北側に「ヌンドゥンチ」があります。「ヌルドゥンチャー」とも呼ばれ、集落のノロ(神女)の住居で村落の祭祀が行われた神聖な場所として祀られています。祠の中には「祝女火之神」「掟火之神」「地頭代火之神」「地頭火之神」「お通し火之神」が祀られていました。更に「ヌンドゥンチ」の直ぐ北側には「ヌルドゥンチ結びぬカー」があり、井戸の隣には拝所の祠がありウコールが設置されています。


(飛び安里の生家跡)

越来小学校の北側に「飛び安里の生家跡」の古民家があります。「鳥人飛び安里」として知られており、ライト兄弟が1903年に有人動力飛行を成功させる遥か前の1787年(琉球王朝時代)に空を飛んだ人物です。「飛び安里」は1768年に首里鳥堀に産まれ、その後沖縄市越来に居住しました。弓に鳥に似た翼を付けて足で上下に動かし、泡瀬の海に面した断崖から飛びたったのです。


(ターチューガー/イシガー)

「飛び安里の生家跡」の西側に「ターチューガー」があります。この井泉は「イシガー」と呼ばれていましたが、昭和3年に越来村が模範衛生集落に設定されたのを機会に造られ、吸い上げポンプが2台取り付けられたために「ターチューガー」と呼ばれるようになったのです。集落の住民は正月の元旦にこの井戸から若水を汲んだり、子どもが産まれると産湯用の水も汲んだりしました。


(拝領の白樺)

「拝領の白樺」は越来小学校の北側に位置します。越来王子時代(1418年)に尚泰久王は世利久との間に子供を授かり、その記念として蜜柑と白椿の木が植えられました。沖縄戦で蜜柑の木は消失しましたが、白椿は幹に艦砲射撃を受けたにも関わらず根が残り再生したのです。しかし、白椿は平成9年2月に枯れてしまい、現在はその白樺の木の2代目が屋敷地内と、隣接する「ターチューガー」に植えられています。


(ワクガー)

越来集落にある杉の子保育園の西側に位置する場所に「ワクガー」があります。尚宣威王の子孫であるワクガー(湧川)按司が使用していた井戸と口碑が伝えられています。井戸の上部には石造りの祠があり、内部にはウコール(香炉)と霊石が設置されています。現在も越来集落の人々に拝まれている神聖な拝所となっています。


(殿内跡/トゥンチヌスバヌヒヌカン)

沖縄県立美来工科高等学校の南側に位置する丘の上に「殿内跡/トゥンチヌスバヌヒヌカン」があります。尚宣威王の子孫が暮らしていた場所と口碑が伝えられており、現在は湧川門中の子孫たちが拝んでいます。祠の内部には「湧川殿内」と「火の神」と記された石碑て3本の霊石が祀られ、ウコール(香炉)が設置されています。


(尚宣威王の墓に続く石段)

(尚宣威王御来歴の石碑)

越来集落の北西部で沖縄県立美来工科高校の南西側に位置する、比謝川沿いにある小高い山の中腹に「尚宣威王の墓」があります。墓の型式は名嘉真宣勝の分類の「岩穴囲い込み墓」です。墓の岩穴は上部の高い場所に設けられており、下部にはウコール(香炉)、花瓶、湯呑みなどを設置する場となっている特徴的な大型の墓となっています。


(尚宣威王の墓/上部)

(尚宣威王の墓/下部)

尚宣威王は第二尚氏尚円王の弟で、尚円王が即位すると越来間切の総地頭に任ぜられ「越来王子」と称されました。1476年に尚円王が亡くなり尚宣威は1477年に王位を継ぎましたが、在位6ヶ月にして王位を尚真に譲りました。その後に越来間切へ隠遁し、同年8月に没したのです。兄の尚円王が世界遺産である「玉陵(タマウドゥン)」に祀られているにも関わらず、弟の尚宣威王は越来の薄暗い森の山に墓を構えている謎は未だに詳しく解明されていません。


(越来2丁目4番地の霊石)

(越来2丁目10番地の霊石)

越来グスクの城下町である「越来集落」と「城前集落」には、悪霊祓いとして知られる「石敢當(いしがんとう)」の他にも古い魔除けの霊石が多数存在しています。井泉(カー/ガー)の数も多く豊富な水源と共に集落が発展してきた事が分かります。この土地は琉球王国時代から沖縄本島中部の越来間切として繁栄し、その後に越来間切が多数に分裂して現在に至ります。この城下町を歩いて巡ると琉球王国の伝統や文化を肌で感じる事が出来ます。「越来集落」と「城前集落」は国道330号と国道329号が交わる比較的交通量が多い地域ですが、城下町の内部に一歩足を踏み入れれば、ゆったりとした優しく心地良い時間が流れているのです。






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最終更新日  2023.10.29 16:40:47
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