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2021.04.20
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カテゴリ: 宜野湾市

(喜友名のシーサー)

沖縄本島宜野湾市の北部、県道81号線沿いに「喜友名(きゆな)集落」があります。アメリカ軍普天間基地とアメリカ軍Camp Foster(キャンプ瑞慶覧)に挟まれた集落は、地区全体が碁盤の目のように規則正しく整理された古き時代の計画集落の1つです。「喜友名集落」を取り囲むように7体の石彫りシーサー(獅子像)が置かれ、宜野湾市の「市指定有形民俗文化財」に登録されています。


(メントー前のシーサー)

「メントー前のシーサー」は喜友名集落の北西側外れに設置されています。この喜友名2丁目5番地にある「メントー前シーサー」は宜野湾市の中心部に向けて建てられています。シーサーには集落や屋敷内に厄や忌み嫌われるものが入らないようにする「反し(ケーシ)」としての役割があります。


(メーマシチ前のシーサー)

「メーマシチ前のシーサー」は「メントー前のシーサー」の東側、喜友名2丁目3番地に設置されています。元々は喜友名集落の北側に隣接する神山集落(現普天間基地)への「反し(ケーシ)」の役割でしたが、現在はメーマシチの庭に移動しました。分家によって集落が拡がるとシーサーも更に前に移して集落の全員がシーサーの恩恵を受けられるようにしているそうです。


(クラニーグァー前のシーサー)

喜友名2丁目17番地に「クラニーグァー前のシーサー」があり、宜野湾市の中心部である南側を向いてます。喜友名公民館の南東方向に位置するこのシーサーは南側の「いすのき通り」から見て突き当たりの場所に設置されています。喜友名集落の石獅子は集落を守るものとしては沖縄県内で最多で、7体のシーサーは面構えや形も違い、さまざまな表情を見る事が出来るのです。


(イリーグァー前のシーサー)

「イリーグァー前のシーサー」は「クラニーグァー前のシーサー」の東側である喜友名1丁目3番地の三叉路に位置しており、西側に隣接する「新城集落」方面を向いています。シーサーの集落での置き方、顔の向き、形状の違い等はそれぞれのシーサーが持つ特別な意味を知る上で重要な手掛かりとなります。


(トゥクイリグァー前のシーサー)

「トゥクイリグァー前のシーサー」は喜友名集落の北東部にある「シオン幼稚園」の交差点にあります。喜友名1丁目29番地から北東方向を向くこのシーサーは比較的に保存状態が良く、身体の横幅1メートルで高さ80センチ以上の大型シーサーで、顔の表情、歯の形、足の形、尻尾まではっきりと形状が綺麗に残されています。


(メートーヤマ前のシーサー)

国道58号から県道41号を普天間神宮方面に向かう坂道の途中に「メートーヤマ前のシーサー」があります。喜友名集落の北側で喜友名2丁目29番地に構えるこのシーサーは北部の北谷町と西海岸の海を向いています。「メートーヤマ前のシーサー」は頭部だけがこの場に設置されており、胴体部分と思われる部分は喜友名公民館の敷地内にあります。


(ナカムトゥー前のシーサー)

「ナカムトゥー前のシーサー」は喜友名集落の西側で喜友名2丁目25番地にあり南側を向いています。1960年代には仲元家後方のガジュマルの木の中にあったそうで、現在でもシーサーの顔の表情が良く残っています。現在、集落を守るシーサーが残るのは喜友名集落のみで、宜野湾市の民俗を考える上で大変貴重で重要な文化財となっています。


(ヒージャーグーフー)

(ウフブタ)

「ナカムトゥー前のシーサー」の西側で喜友名2丁目9番地に「ヒージャーグーフー」と呼ばれる石柱があります。グーフーとは「高まり」や「たんこぶ」の意味で、明治時代に「反し」として建てられました。この場所から一本道が喜友名集落の東側まで続いており、その場所である喜友名1丁目12番地の「シオン幼稚園」敷地内には「ウフブタ」と呼ばれる大岩があります。「ウフブタ」も同じく「反し」の意味があり、シーミー(清明祭)の際に集落の住民が祈っていました。


(パイプライン標識)

「シオン幼稚園」の敷地内に「パイプライン標識」が残されています。パイプラインと呼ばれる那覇軍港から普天間基地に燃料を送る輸送菅が喜友名集落の北側から東側を通っていた事を今に伝える当時の標識が残っています。「POL R-O-W/NO THOROUGHFARE UNAUTHORIZED VEHICLES/KEEP OUT」「軍油線道路 許可なき諸車の通行を禁ず」と記されています。


(ウィユクイビラ)

(チュンナーガーの入り口)

(チュンナーガーの歌碑)

喜友名集落の北側にある「メートーヤマ前のシーサー」は「ウィユクイビラ」と呼ばれる坂道にありました。この場所はチュンナーガー(喜友名泉)の湧泉から集落までの道の途中にある休憩場の1つでした。現在はアメリカ軍Camp Foster(キャンプ瑞慶覧)内にあるチュンナーガーまでの道のりは急勾配で険しく、水汲みは大変な重労働で喜友名集落への嫁は少なかったと伝わります。その反面、喜友名に嫁いだ女性は「働き者」として非常に評判だったそうです。


(喜友名の合祀祠)

(祠内/向かって右側)

(祠内/向かって左側)

「ウィユクイビラ」の西側に「喜友名の合祀祠」があり鳥居の向こうに祠が建てられています。この祠は現在の「米軍キャンプ瑞慶覧」の敷地内(県道81号線沿い)にあった「喜友名グスク」の拝所を昭和34年に移設したものです。祠内は6つに分けられており右から「ヌール(ノロ)」「東門」「正門」「北門」「海」「泉」の拝所が合祀され、それぞれに霊石とウコールが祀られています。


(喜友名の火の神)

(火の神の祠内部)

喜友名集落の中心部に「喜友名公民館」があります。公民館の敷地に「火の神」が祀られており、祠の内部には天地海を示す3つの霊石とウコール(香炉)が設置されています。喜友名集落の守り神であり、7体の石獅子と共に喜友名集落を悪霊から守る大切な聖域となっています。ウコール(香炉)にはヒラウコー(沖縄線香)が燃えた山盛りの灰が残されており、集落住民の信仰心の強さが見てとれます。


(喜友名公民館のシーサー通り標識)

(喜友名公民館の入り口にあるシーサー)

「喜友名集落」は1671年に浦添間切から分離され宜野湾間切に編成されました。方言名で「チュンナー」と言います。琉球王国時代の地割制度の名残りで集落全体が規則正しく区画整理され、現在でも旧喜友名集落の面影が残っています。沖縄戦後に喜友名集落の遺跡文化財の多くが普天間基地とCamp Foster(キャンプ瑞慶覧)に接収されてしまいました。1日も早い普天間基地とCamp Fosterの返還を心から望み、喜友名集落の大切な宝を取り返したいものです。






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最終更新日  2023.10.31 15:33:04
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