03月29日(月)
今日は一人で病院にいった。
家族には自分のクスリを取りに行くという名目だったが、
本当は先日やった父のCT検査結果を聞きにいった。
脳梗塞で倒れてから左半身不随になった父には、
今腎臓と肝臓の間に腫瘍らしきものがあるが、治療が出来ない。
無理にでもやってみるかみないかという決断を先月迫られ、
私は何もしないことを選んだ。
ただ、様子を見ていくためには定期的な検査は不可欠で。
でも、その検査結果で本人には報せることができないので、
私がお医者さんと相談して個人的に結果だけを聞きに行くことにした。
で、今日。
これまでにはなかった肺に異常が現れたことがわかった。
二月にやった検査では5センチほどだった腫瘍は5.5センチになっていた。
あまりに予想していなかった進行に、正直唖然とした。
父自身には、そんなに特別に変わった様子がないのに、
体の中ではこんなふうになっていたなんて。
自分が心のどこかで現状を甘く考えていたことに、衝撃を受けた。
年だし体が動かない分、進行は遅いだろう。
実際本人がこれまでどおりにしているのだから、きっと大丈夫だろう。
何年後には、あの時の騒ぎはなんだったんだろうね…って、きっと言っているよ。
あとは寿命だ。
人の命の限界点だ。
これは誰にもどうすることができない。
でも、それは急にどうこうすることではないだろう…。
そう思い込もうとしていた自分に、今更気付かされた。
とはいえ、実際何がどうという異変は表向き起こっていない。
父は普通に生活して、週二回のデイサービスに通って、
毎晩グラスいっぱいの晩酌をしながら日々過ごしている。
先生は、何か心配事がある時にはいつでも病院に電話してきてください。
相談にのりますと言っていた。
そして今後は二週間ないし一週間に一度は、
私が病院に通って直に先生に父の状況を報せるとともに、
今後のことを事細かに相談していくことになった。
先生が気を遣ってくれれば気を遣ってくれるほど、
自分の背に何か重いものがかかってくる気がしたが。
ここは私が踏ん張らなければならない。
母は精神的にもろいので、これ以上は何も負えない。
話をするとしたら主人に報告していくぐらいだ。
今日もうるさいぐらいに我が家のわんこはほえていた。
父は犬が大好きで、とりあえず自分の膝の上に乗るサイズのわんこを傍まで連れて行くと、
無条件でニコニコとする。
アパート暮らしが長かったので、
やっと一軒家になって飼えたわんこなだけに、愛情も一入なんだろう。
初めて飼った犬だっただけに、
しつけが行き届かなくていまだに頭を抱えることはあるものの。
それでも今となっては、彼の貢献は我が家には多大で。その癒し効果はそうとう素晴らしいものがある。
家ではうっかりしたことは言えないし出来ないし、
普通に振舞うしかない私にも、わんことの散歩は貴重な息抜きだ。
今日は、今自分が抱えている家事や育児、
そして仕事の両立についていろいろと考えてしまったので、何も出来なかったけど。
とりあえず明日からはまた頑張らなくっちゃだ。
子供やわんこが、お母さんお母さんと寄ってくる。
忙しいんだから勘弁してよといいつつも、きっと私は癒されている。