91年7月



ある日突然NYから電話。受けた母の様子が尋常じゃない。
「おねえちゃんどおしたの?」
「今香港にいるんだって!!!」
「え~?!」
NYのチャイナタウンで「ワタシが行くべき場所は香港」と思い立ったらしい。いろいろ苦労はあったであろうが、仕事を決め、ルームメートを見つけてアパートも確保し、香港でOLをしているというのだ!

海外生活にあこがれる妹、ワタシは夏休みを2週間とり、姉のところへ遊びに行った。91年7月初旬。はじめて降り立った香港は体験したことのないぐらい蒸し暑く、汗ばんだ人々の背中の中にこちらを向いて立っている小柄な姉を見つけた時は号泣してしまった。日焼けして長かった髪をショートカットにしていた。いろいろあったんだろうな、つらいこととかり理不尽なこと。

ここにつれてきてあげたかったんだ、っといってマンダリンホテルのカフェに連れて行ってくれた。

姉のアパートは香港島の南部。バスで15分ぐらいだった。バスを降りるときに「降りる」って広東語で言ってた。アパートというより巨大な団地だった。ルームメートは香港人の女の子。ファニーって言う名前だった(と思う)。英語でやりとりしてた。部屋が二つ、程々の大きさのリビングとキッチン。家賃が高いからシェアは仕方がないって。冷房がガンガンにきいてた。

姉は一日仕事を休んで観光案内してくれた。オフィスにも連れていってくれて、姉のお友達の家にお呼ばれしたり、ビーチにいったり普通に生活するかんじで滞在した。

ワタシは姉が心配だった。過度のストレスからかワインをよく飲んでいた。
しかも昼間っから。飲むのよくないよ、やめなよ、というと、飲まなきゃやってらんないときだってあるんだから、といい返され道ばたで大声あげて何回もケンカをした。

ワタシのはじめての香港は切ない思い出。
香港に押しつぶされそうになりながらがんばってた姉の姿が何よりも心に残ってるから。

その後3~4年して日本女性が香港で働く、というのがはやりだした。
既にそれを体験済みの姉はもはや香港にはおらず・・・。


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