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新作
題 名 「失われしモノ」(仮題)
企 画 仙台ローズ(旧「天国と地獄」実行委員会)
制 作 仙台ローズ
原 案 渡邊八房
脚 本 渡邊八房
演 出 未定
概 要 仙台ローズの映像部&舞台部の合同作品。
映像部によるショートムービーの上映と、舞台部による公演を同時に行なう。
二つともそれぞれの核心に触れているので、融合して一つの物語を形成する。
原案(基本データ)をもとに各パート製作者にイメージ作品を制作してもらい、 それをまた再構成するという手法で製作。
時 期 2008年1月1日製作開始・11月公演
第一弾として平山真衣に原案(一部)を提供。そこから歌を起してもらい、それをもとに第一弾PVを製作。それをイメージして画像製作・ロゴを依頼。それを軸として物語を再構成する。
第一回仙台ローズ公演
失われしモノ(仮)
失われしモノ...それは昭和の物語。スポーツカーに執着する父。限定空間でしか生きられない妻。壊れたガラス。入道雲。永遠の夏休みに閉じ込められた少女が還ってくる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほんの少し昔。
わたしの家族は、少し強い風でも吹き飛んでしまいそうな築年の経った家に住んでいた。
蟲の羽音や木々の擦れる音。けっしてそんな田舎でもなかった筈なのに、よくもまぁこんな自然が残っていたのかと思える程、家の周囲は雑草や木々に囲まれていた。当時でもはるか昔にタイムスリップしたような、そんな感覚に陥るような場所だった。
わたしと一番上の姉は、何度か父に草木の伐採を依頼したのだけれど、その度に彼はなにがしかの理由を付けてそれをしようとしなかった。
おかげでわたしは、心ない友達から「幽霊屋敷に住んでいる」とよくはやし立てられたものだった。
ある夜のこと。“いつもの”家鳴りに眠れないわたしが、ベッドから起き上がると、廊下の奥の部屋の電気がまだ点いていることに気がついた。
まだ7歳のわたしは、しょぼつく目をこすりながらまるで誘蛾灯に誘われる蟲の様に父の姿を求め、ふらふらと彼の書斎へと向かった。
果たして彼は、いつものようにうす暗い部屋の中で、いつものように寂しげな顔をしてパソコンの画面を見つめている。
「お父さん、お父さん、何をしているの?」
わたしの声に、しかし彼はその画面から視線をそらさずに応える。
「仕事だよ。」
彼の唇からこぼれ落ちたその台詞が、沈黙に溶けていった。
やりとりはそこまで。彼はまたわたしを置きざりにして仕事の中へと戻って行く。
わたしは、彼のデスクのそばのベッドに横になり、両腕で彼の左手を掴んだ。
すると彼は困ったような笑みを浮かべ、左手をわたしに預けたまま、何も言わず「仕事」の続きを始める。
不自由そうに右手でキーボードを操作している様が、目をつぶっていても判る。
お荷物なのだ。彼にとってわたしたちの存在は。
わたしは、彼がもうすでにわたしの父ではないことを、彼の横顔から感じていた。
夜が沈黙を伴って次第に深まっていく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼女に逢い...
無理を押し、彼女と逢い。
頭の中で、歓びと痛みを感じ。
たった一度も触れもせず。
ただ視線だけをからませ。
余計な言葉だけを抹消し。
そしてまたふり出しに戻る。
僕は自分の身体に無数の傷をつけるマシーンだ。
満たされない魂
二律背反する僕の存在は、2001年に破壊された筈の、あの神経回路が生きている事実を思いさらされる。
よくまぁおめおめと生き延びているものだ、君は感心するフリをする。
当然心はそこにはない。
敢えて言うなら、僕にはチャンスがなかった。
アリサやマキと過ごしたあの日々のうちに死んでしまえたらどんなに幸福だ
ったことだろう。
無数に空いた体をふさぐ手立てもなく、僕の肉体は、相変わらず腐敗している。
見るがいい!
消え去る事もできない哀れな男の末路だ。風化した思い出のパレードだ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
車内は子供たちの寝息に占有されている。
彼らを守っていかなければならない。ただそれだけのために生きている。
こんな人間らしい感情なのに、心が冷えて行く。手足までもが、偽物のよう
に鈍い動きをみせる。
彼らに置き去りにされた瞬間が、僕に与えられた死のチャンスだ。
待ち遠しい。早く解放されたい。
かつて僕を愛した女性たちは、僕の死を知っても涙を流さないだろう。
愛は死んだのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
悪魔と契約し、七度世界を作り替えることができる(七回やり直すことができる)男の物語。しかしその度に身の回りの人間が一人ずつ消えていく。
七回目の世界は、素晴らしいものとなるが、無意味な世界となる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨夜のドンチャン騒ぎがこの上ないほどの頭痛を連れてきたので、寝起きに熱い珈琲を一杯、そして頭痛薬を二錠。
いつもの癖でパソコンの電源を入れ、いつもの癖でモニターを眺めて、いつもの癖で書類を開けたり閉じたりしていたら、いつの間に午前中が過ぎていった。
軽く食事を採り、昨夜のうちに届けられていた四件のメールを確認する。
一件目はなんかの広告・・・無視。二件目も無視。
三件目は、ほのか嬢だ。僕の手が、機械のように的確に、彼女からのメールを開く。
「タイにて、自らを人身売買なさい。その方が儲かるから」
苦笑。
おそらくは僕からの返事を待つのに飽きたのか、その後三十分程の間を空けて「天使のようなほのかさんは、もう寝ます。おやすみ」と入っている。これが四件目。
近頃の女子高校生にはかなわないな・・・と首を振る。ポキリと骨のずれる音がする。
昨日の黒川は、僕の言うことを信用できないと言う。
「あなたの言う事は、いちいち理にかなっていて、それが嘘くさいの。あたしの信頼を得るほどのものではないわ」
そりゃあそうだと僕は呟く。珈琲の中にニヤリと笑う僕が溺れる。
午後。
約束の場所へと走らせる車の中では、カンツォーネを模した音楽隊の、悲鳴にも似た金切り声が占有している。
聴覚を失い、途中何度か運転をしくじりながらも、僕はほのか嬢のもとへとたどり着く。
僕たちは、まるでそれがかねてからの約束のように、海に行き、二人で缶ジュースを飲み、何にもない風景を眺めた。
夕方になり、受験勉強の残っているほのか嬢と別れ、助手席が空になった車で一人で街を走っていると、不意に悲しみに襲われた。
言いようもない、すべてを無にする痛み。奥歯をかみ締めて、違うことを考える。どんなことでもいい。思いつくもの、目に見えるもの。とにかく僕はその魔の手から逃れようと躍起になる。
こんなとき黒川はメールを寄越さない。
死ぬことへの憧れ。もしくは誰しもが抱いていること。
「生きていてもロクな事はないぞ。オマエはもう死ぬべきなのだ」
テロップが、僕の頭の中を横切って行く。
バックミラーにうつる、老人のような目。口を開けば「死ね」と囁く僕の悪意。
T字路で急ハンドルを切ると、黒川から電子郵便が届いた。
「あなたの夢を見るくらいなら、死んだほうがマシだわ」
そして僕はまた苦笑する。
不意の雨でハンドルをとられることを願いつつも、赤信号では停車する。
これが男爵の末路だと、十数年前の僕が後部座席で笑った。
八月二十日(土曜日)
黒川からの電子郵便を待たないまま、ほのかに明日の撮影旅行について連絡を入れる。早速やってくる彼女からの返事はこうだ。
「清純姫は麦茶を飲みながら勉強中。どうぞ明日は存分に蛇女の写真をお撮りなさい」
蛇女とは、僕が彼女に「あなたは山で暮らすべきだ」と言った台詞への返信だ。僕は彼女に対する深い感銘と、失うもののリストに記載される項目がまた一つ増えちまった悲しみにうなだれる。
しかし、こうしちゃあいられない。僕は今夜約束のあった女性へ、適当な言い訳に「君とあえなくて寂しい」と添えた電子郵便を送り、早速車の掃除をはじめる。
ヤナセPAネロ。イタリアのジウジアーロがデザインを手がけたこのシリーズは、もう十年以上も前に生産中止されたものだ。
僕がこの車種にこだわっている理由は、かつて愛した少女とすれ違った時、僕のことを思い出すだろうと信じているからだ。
いまではもうどこにも走っていない、大昔のボロ車。
もう二台目になってしまったが、僕は彼女への想いをこの車に固執することで証明する。・・・なんて馬鹿げたことか。
僕は車を磨き上げ、明日に備える。カーボディにイタリア男の顔が映る。
「ちょっと矛盾していないか?何人もの女を同時に愛しているのかね?君は」
モラリストの君は尋ねる。
「いいや違うよ。僕はたった一人の女を愛することが出来なかったので、外套のように何人もの女を身にまとっているだけさ」
タイミングよく、ほのかから電子郵便がくる。
「明日の髪型どうする?」
「姫のご自由に」
「じゃあ下ろして逝きます」
電子郵便は一日に何度も繰り返される。
「明日の服装どうする?」
「夏らしい服がいいな」
不謹慎にも、夏に別れた少女のことを思い出す。
白いワンピース。衝動的に抱きしめた時の彼女の大きな瞳。
「どんな服でもかまわないよ」「じゃあ裸体で」
ほのかが意地悪く笑う。
「スタイルがいいのかね?君は。僕が確認するかい?」
僕も悪ふざけで返す。
「あたしの裸体を確認できるのは、あたしの死亡解剖する人くらいよ」
今日、あと数時間、眠るまでほのかからの電子郵便は続くだろう。
「明日はあたしが勉強しやすいように車内清掃よろしく」
・・・はいはい。
ニヤけた顔を叩いて、ビデオカメラをレンタルしにいく。
撮影を生業にしている人間が、撮影機材の一切を持っていないのもおかしな話だが、まぁ世の中そんなものだ。
受付嬢の手の甲のあざが気になり、会話の中でなんとなく名前を訪ねる。
すると彼女に「あたしはあなたの名前を知っていますよ」と返された。
なんとなく口悔しい。
八月二十一日(日曜日)
時間は過ぎているのに、スピードをあげることが出来ない。
目的地についてしまったら、この幸福な気持ちは消えてしまうだろうから。僕は彼女に電子郵便を送る。
「まだまだ約束の場所には着きそうにない。もし気が気じゃあないなら国道に出ていてくれたまえ」
するとすかさず返信だ。
「あたしを路上で待たせるおつもり?」
「では着くまであと100を数えてくれたまえ」
しかし僕の車はあえなく目的地に到着。僕は車から降りずに、電子郵便を操る。
しばらくして彼女が現れた。
僕がリクエストした夏向きのトップスに、残念ながら僕好みではないボトムズ。
僕は彼女を車内に押し込むと、イグ二ションキーを回す。ボロ車独特の震えが車内を揺さぶる。
ほのかは席に着くや否や参考書を開き、僕には沈黙を与えられる。
僕たちははじめの一時間を沈黙で過ごした。
僕は彼女に「何か飲みたかったり食べたかったり寒かったり暑かったり、君の要望のままに」と書いた紙を手渡したが、彼女は微笑みもせずにその紙をダッシュボードに押し込んだ。
田舎道を少しばかり走っては、信号に引っかかり、軽くブレーキを踏むと、彼女の首が頷くように前につんのめる。
僕の視線を受けながらも、彼女はこっちを見ようとはしない。かすかに唇が動く。聞きなれた単語と聞きなれない単語が呪文のように車内を駆け回る。
僕の車は山道へと入り、途端に車内の揺れが激しいものになる。
僕は彼女に、運は強いほうかと尋ねると「あたしにはこれがある」と銀色に光るカエルの写真を僕に見せた。
「これはあたしの守護神よ」
そういう彼女の顔が幾重にも重なって真意をぼやかせた。
悲鳴をあげながら、愛車は山道を登る。可哀想なこの車は、他の女性を乗せていれば今ごろこんな目に遭わずにすんだことだろう。
「ここに君を残していくのはいい手段だろうか?」
僕の問いに「あたしをここに降ろしなさい。その代わり二度と人里に戻れるとは思うなよ」彼女の声が低くなる。
にわかに暗雲立ちこめ、生臭い風が僕の頬を撫でる。
「苦しみは今よりも増えていくと思いなさい」
彼女の語調が荒くなっていく。
哀れな僕はハンドルにしがみつくことしかできない。
黒川からの電子郵便はとりとめもないものばかりで、気がつくとほのかとのやり取りに一日を費やしている。
八月二十二日(月曜日)
???
何もしない焦燥感。
しないのか、できないのか。あるいはどちらでもいいことだ。
理由はともかく、無人島に取り残された現状は変わらない。
それでも午前中は、仕事をするふりをしてなんとか過ごすものの、やはりほのかに助けを求めてしまう。
「世の中からすべての愛を抽出し、海へと投げよ。そうすれば僕は救われるであろう」
「そうしてみんな同じ闇に埋めてしまってご満足?」
汗が頬を伝う。
「でも…そうね。あなたの言いたいこともよく判るわ。あたしも家に誰もいないし、つまんない」
夏休み最後の日、彼女はリノリウムの冷たい床に足を放り投げる。
「夏休み一回も遊んでない。あぁ誰もいない誰もいない。」
昨日の巫女は、今日はただのだだっこだ。
外出をあきらめた僕は、ラブストーリーの映画を眺める。
「こんなの観ていると人恋しくなるねぇ」
「観なくても十分人恋しいんですが」
「でも、愛すべき対象がいなくて人恋しい僕と、愛する対象と逢えなくて人恋しい君と、どちらが幸せなんでしょうかねぇ」
そんなことをやりとりしている間にビデオが終わった。
「まぁ、早く大人になりなさい。そしたら君は、僕の八つ当たり対象となる。これは光栄なことだよ」
「受験生にずいぶんと勝手なことを言うのね」
「僕は冷たい男だから」
彼女は、今日の僕が、なぜこんなに冷たいのか理解できない。
明日になれば、これはもっと酷くなるだろう。でもあと一日の辛抱だ。明日さえ越えれば僕はすべての望みを絶たれる。幸福な死。静かな死。
その時はもう近づいている。
黒川すら知らない、これが僕の死であろう。
明日という一日が過ぎてしまえば、僕にとってこの世界は無に等しい存在となる。八月二十三日という日、恐らくその日がどうという事ではないだろう。何の変哲もないただの一日だ。しかし僕の精神は、その一日に殺される。永遠に。
遠くで花火の音がする。
不貞寝している僕の耳に、太鼓のような強い空気の波動が飛び込んできた。
「あなた、ほんとにロリータ好きだよね。優しくされたいんでしょ?」
閃光とともに、不意の電子郵便が飛び込んだ。ほのかがまた意地悪を思いついたようだ。
「あぁそうだとも。そうだとも」
「でもあたしは駄目よ。彼氏がいるんだから」
次第に花火の音が近づいてきて、いよいよこれは尋常じゃあないぞ、と思ったらバリバリバリバリ!何かを引き裂くような音とともに振動が伝わった。-雷だ。
途端に天から大きな雨粒が降り乱れ、雷は猛威を振るった。
僕は、彼が近づいてくるのをじっと待つ。
光と音の距離が縮まっていく。
さぁ早く・・・!僕はここにいるぞ。早くすべてを灰にするがいい!
余談。
ほのかは「天気が妙に悪かったり地震が怒った後に喉が痛くなる」体質らしい。なんてファンタスティックな体質であることか!僕はこの娘と知り合えた可能性に感謝する。
八月二十三日(火曜日)
パエリアを作る。今回は軽く味をつけるだけにして、トマトと鶏肉のソースをつくり、それを上からかけて食べる。
パエリアの黄・トマトの赤・ピーマンの緑。色もさることながら、なかなかいい味だ。「美味しい」とハルなら言うだろう。
「確かに悪くはないね」
そしてその日何回目かの乾杯をする。
そういえば世界のガラス館で買ったあのグラスはまだ健在だろうか?
僕がいなくなり、もうヒステリーを起こすこともなく、まだまだ愛用されているだろうか?
黒川から電子郵便で「あちこちに出歩きすぎ」と入る。
「君が相手にしないからだ」とはあまりにも女々しくて書けない。最近の僕は、そういうサラリズムを欠落している。
そんな意識をもち、今日は十五時十一分までほのかに連絡をとらないようにしてみた。
しばらくしてきた返信を見ると、どうやら今日のほのかは、機嫌が悪い。
さわらぬ神になんとやらで、少し間を開けてみる。
すると「腹へったー」とか「なんか楽しいことない?」とか、矢継ぎ早の送信だ。ようは暇つぶしの相手をしなさい、との仰せなのだろうが、意外に、そんな関係が嬉しいときがある。
かつて愛し合ったどの女とも、こういういい加減な付き合いはなかったから、だらだらと会話を続けられるのは、とても新鮮だ。
だらだらの中、ほのかは僕を「あなたは女のことを理解していない。あなたに抱かれた女がかわいそうだ」と非難する。僕はその台詞にどきりとする。メクラ撃ちが、核心をついては僕にめまいを起こさせる。
僕は言い訳めいた言葉を考えそうになっている自分に苦笑し、「ではあなたも一度抱かれてみるがいい」と返信する。
果たして彼女は「かわいそうな彼女」になるだろうか?
八月二十四日(水曜日)
つい今しがた、盃を交わした兄弟から電子郵便が届く。
「俺たち、来年までこの商売してられっかいね?」
僕はごく当たり前のような素振りで答える。
「心配しなくても、その頃には生きちゃあいないさ。」
午前中、父を町まで連れて行く。その道中で来年の話が出る。
午後イチで、取引先の会議に出る。来年の年間企画案を提出する旨を伝える。
夕方になって、他の取引先の会議に出る。やはり来年の年間企画案を提出する旨を通達される。
帰りの車内で、僕は狂ったように笑い転げる。
誰がそこまで生きてやるか。
生きていても、偶然死ななかった、ただそれだけのことじゃあないか。その偶然にしがみついて生きるほどくだらないことはない。
だれしもが来年を来ることを信じて疑わない。なんて道化集団だ。
試しに、この坂道をブレーキかけずに降りてみようか?歩道に乗り上げて何人もの人間にアタックしてみようか。もちろんそんなことをしても来年は来る。しかし死んだ彼らにはこない。
「死にたいのか?君は」
前々回のモラリストの再登場。相変わらず無粋な眼鏡をかけていらっしゃる。
「そうじゃあないけど、僕は生きてはいないだろう。生きることを許されてはいないだろうし、また僕もその望みを持っている訳ではない。恐らく・・・いやきっと死んでいる。それがどうした?ただそれだけのことだ」
モラリストの君は、大して汚れてもいない眼鏡を拭き拭き、僕への説得手段を考える。大あくび、テレビのチャンネルを回したりもどしたり。不意に君はほのかに電子郵便を送る。文面はこうだ。
「来年の君は何をしている?」
しばらくの間があり、返事がきた。
「浪人」
さすがは愛すべきほのか。僕は君には勝てない。
八月二十五日(木曜日)
昨夜は酒に呑まれ、ほのかに「君が愛しい」と電子郵便を送ってしまう。
翌朝、陳謝方々訂正分を送ると、ほのかからは「本心」と一言。悪いがそんなつもりはないよ、と送ろうおもうものの、すかさず次の文面だ。
「あたし、好きな男には優しいから」
区役所の廊下で、デロリと溶けた男が一人。
気がつくと一日中ほのかのことを想っている。
思い出すのは、撮影旅行で山道を走っていた時のこと。
「山に君をおいていくよ」という僕、そして「このまま人里に戻れると思うなよ」というほのか。ガタガタと震える度に、僕たちの魂は肉体を分離し、複雑に絡み合う。
思い出すのは、ほのかの両親と四人で会った時、話に加わりもしないで、ズーズーと音を立てながらアイス珈琲を飲んでいる姿と、退屈そうな眼球。
思い出すのは、初めて会った時の疲れた手足。
僕たちは永遠ではない。それはよく判る。来年になればほのかは違う土地へと行ってしまう。僕はその事実を受け入れることしかできない。そのことがまた僕を苦しめる。
そんなことで黒川に救いを求める僕は不純なのか。判らない。しかし今、僕が言える事は、たった一つ。
誰か助けてくれ。
八月二十六日(金曜日)
昨夜、黒川には別れの電子郵便を送った。
理由は「醒めた」というより、ほのかに追い出されたという事実は否めない。ちなみにもう十九時間ほど経過したが返事はまだない。
それでも愚かな男爵は、ほのかに救いを求める。
彼女は「言っておくけど、あたしは別にあなたのことなんて好きじゃあないわ。少しは恋愛から離れて自分を磨きなさい。いい加減に大人になりなさい」
大人になれない犬。尻尾はいつも下がっている。
僕は返事もかけずに、現在に到る。
えみりから久しぶりに電子郵便が来る。十一日に会って以来だ。
彼女は十六の時から知っているが、実に綺麗になった。
同じ頃から知っている友人の一人が「こうして世の男たちは取り残されていくんだなぁ」とつぶやいたのを思い出す。
「でもあたしたち、何度もその機会があったのに、交わらなかったね」
明るく言うには訳がある。えみりと僕は、あまりにも長く一緒にいすぎた。ただそれだけのことだが、それだけで充分だということもある。
「いい加減に大人になりなさい」
時間に取り残された僕にとって、しかしそれは酷な台詞なんだがなぁ。
やはりまだ返事は書けけない。
八月二十八日(日曜日)
大の大人が、日曜日、昼間から眠っている。
それでも昼時になると、のそのそと布団から這い出て、菜園で採った大葉とミョウガを刻み、ついでに蕎麦を茹でてはこれを食し、また満足のうちに眠る。
しかし悲しみは、そんな男を許したりはしない。
深い眠りに浸透し、幸福であったであろう夢を捻じ曲げる。
何回も現れる娘の夢。僕は奥歯にありとあらゆる感情を詰め込み、そして噛み殺す。
夕方薄暗くなり、ようやくシャワーを浴びたこのグータラ男は、思いつくまま車を走らせる。誰かを誘い出そうかと思ったが、あまり興が載らなかった。無駄な会話でその場をつなぐより、黙って誰かに愛されい。そんなことを考える。
無闇な愛。しかしそこから逃れようとしていた僕もいる。
僕は何件もの店を訪れ、そこにいる沢山の幸せそうな人間を眺める。
通路では子供が騒ぎ、一人で商品を見ている中年男性、手をつなぐカップル、おそらく趣味を恋人としている方々、買物帰りの主婦、レストランで食事する家族、本屋で立ち読みする女性…。彼・彼女たちの世界に、僕は入ることが出来ない。どの店においても僕は異邦人であり、きっと僕という存在が消えてしまっても、誰も気にもとめないだろう。
「僕が死んだら君は泣くだろうか?」
ハルに尋ねた時、彼女は笑った。
黒川は「穴があくよ」とだけ言った。
「あたしを信用していないのね」と言った女もいた。
今、僕はこの問いを誰に向けたらいいのだろうか。
八月二十九日(月曜日)
八月がもうすぐ終わる。遣り残したことは山のようにある。しかしそれらは指の間をすり抜けるように、膝の上に落ちて行く。
いつまでこんなことをしていなければならないのか?逃げ出したい。しかし逃げられない。
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