❶ある日の横顔・・(A)・(B)・(C)(画像179枚)


 歌舞伎時代のものもこちらに掲載していきます。
年代別に載せられれば良いのでしょうが、あやふやなものもありますので、ランダムになります。
livedoorブログ__心の軌跡💞忘れえぬ人*大川橋蔵*投稿の画像とリンクさせているコーナーもお楽しみください。
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★(A)

*1.2.静かな庭は橋蔵さんの憩いの場所(うすら寒い冬の朝、もうすぐ春です)
*3.同じ宿にいる堺駿二さんの車洗いをする女中さんの手伝いをする橋蔵さん
1 2 3
*4.久しぶりの休日、少しはリラックス出来たようです。そしてファンレターをく
ださった人達に礼状を書いています(1956年)
*5.ゆっくりと着物で寛いでいるところを・・・(1957年)
4 5


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★(B) ​ livedoorブログ__心の軌跡💞忘れえぬ人*大川橋蔵*投稿とリンクコーナー



(21)・・・●トミーの東京の休日 大川橋蔵さん
この画像は、livedoorの ブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
1961年7月号平凡から
東京で久しぶりに休みのできた大川橋蔵さん、まず新名所・和田倉門の大噴水にやってきました。10メートルの高さに吹き上げる美しい噴水にしばらくはうっとり、それから皇居周辺のお堀端をブラつき、釣をする子供達と気さくに話しこんだり、ねころがって空をながめたり、忙しい毎日が想像つかないほどのんびりした一人歩き、こうしてトミーは、初夏のさわやかな緑の下で心ゆくまで休日をたのしみました。

(画像) 
1 「なかなかいい色がでるね」「・・・」突然現れた素顔のトミーに、女学生は目を白黒
2 「東京もだんだんこういう静かなところが少なくなるな」



(20)・・・●朝の散歩 🐩トミーと三匹の愛犬🐩 (1961年1月平凡から)
この画像は、livedoorの ブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
1961年1月号平凡から
大川橋蔵さんのお宅には、すばらしい二匹の秋田犬と一匹のコリーがいます。
秋田犬の方は大きいのがハチで小さいのがゴロ―、コリーの名はブラッキーで、いずれもなかなかの二枚目ぞろい・・・、犬が大好きな橋蔵さんは、毎朝撮影所へのお出かけ前のひとときを、愛犬たちをつれて散歩するのが日課の一つになっていますが「いい運動にはなるし、眠気も覚めて一石二鳥だよ」と楽しそう・・・。
当たり役『新吾二十番勝負』に取組む素顔のトミーの朝のひとときです

1. ハチとブラッキーが一度に走り出すと、その力に橋蔵さんも引っ張られてタジタジです
2. 近くの高野川の河原をゴロ―をおともに朝の散歩。三尺下がって主人の影をふまぬゴロ―はなかなかの忠犬です
3. ハチを連れて裏の疎水べりを散歩する橋蔵さんに、通勤のB?Gたちが「お早ようトミー」と声をかけていきます
4. ゴロ―は生後二年の逞しい秋田犬、橋蔵さんは三匹の愛犬のなかでも特にこのゴロ―がお気に入り、朝のさわやかな光をご主人と仲良くあびて頃へもうれしそうです


(19)・・・●青島のトミー
この記事は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 1960年明星10月号から

1 橋蔵さんの新しい映画、海賊八幡船のロケが熱帯植物で有名な九州の青島で行われました。ビロ
ウ樹や椰子の葉につつまれた海岸はまるでハワイの海岸のようです。「こいつは面白いや」と元気なトミイは、炎天下の撮影が終わると早速もりをかついで魚退治に出かけましたが、突かれるのは小魚ばかり、「どうも映画で人をきるようなわけにはいかないねえ」と名剣士、魚にはヨワイの巻でした

2 それでも2時間あまりの奮闘で、魚が両手にいっぱい、そして海岸には見物のファンがいっぱい、ニコニコ顔のトミイに”明日も好い天気です”というように夕焼が赤く映ります

3 鬼の洗濯板と呼ばれる奇妙な形の岩が、南の孤島にいるような不思議なムードを作り出しています

4 宿へ帰るとかつらをとったあとだけ白く日に焼けないので、まるでお面をかぶったみたいだとみんな大笑いでした

5 この映画のトミイは、たくましく育っていく海の男八幡船の船長、丘さんはかげながら彼を慕う恋人の約です


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(18)・・・●Tomy in Aoshima (1960年平凡10月号より)
この記事は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 南の島の海賊トミー
🏝️南の島の海賊トミー
熱帯植物の生い茂る宮崎県青島に、東映京都作品『海賊八幡船』のロケでやって来た大川橋蔵さん。南国の夏はただでさえ暑いのに、お天気もロケ隊をカンゲイ? してかピーカン続き、「暑いと聞いてたけど、これほどとは・・・でも、撮影が終われば思いっきり泳げるんでね」とスポーツマン・トミーらしい一面を発揮しています。

(画像)
1 じりじり照りつける炎天もなんのその、トミーもスタッフも、元気いっぱいの猛撮影です
2 「さ、ガンバってもう一度いこう」
ビロウ樹のジャングルに沢島忠監督の声が響きます、橋蔵さんとの呼吸もぴったり、撮影 は快調
3 誰にでも気さくな橋蔵さん、宿の女中さんとたのしくおしゃべり
4 「釣りも本職なみだぞ、晩のおかずは僕にまかしとき」さてトミーの腕前は?

〈今月の日本映画ご案内〉の中で「海賊八幡船」の紹介もあります。
内容説明は省略することにいたしまして、・・・その片隅にこぼれ話が載っています。

☘【こぼれ話】
この作品は宮崎県の青島から撮影開始。青島といえば、島津ご夫妻ハネムーンの地として一躍有名になりましたが、こんどのロケはそのときの人出をはるかに上回る物凄い人気。
“歓迎!東映青島ロケ隊一行”の横幕が風になびき、携帯無線電話を持ったお巡りさんが、汗みどろになって群衆を整理。
おまけに、白バイのご先導がつくというものものしさに、さすがロケなれした橋蔵さんも丘さとみさんも、思わず顔を見合わせてしまいました。

【コラムから】
😊《コギャンヨカロケはなかと》 大川橋蔵

「海賊八幡船」のロケーションで、約一ヵ月間、九州地方一帯を駆け回って来た。 
最初が宮崎県青島、続いて佐賀県呼子、そして唐津の七ツ釜、立神、休む間もなん、博多の芥屋と、南国の猛暑をついて強行スケジールが続いた。でも、おかげさまで、元気いっぱい、別に病気もせずに、やり通すことができた。
ロケに出発する前は、やれ水が悪いところで、苦労するゾとか、食べ物にロクなものがないゾとか、いろいろおどかされたので、それこそ山のように薬を買い込んで出かけたのだが、そんなものには一度もご厄介にならず、自分の体力にすっかり自信を深めることができたのは、思いもかけない収穫だった。
一ヵ月も九州へロケーションするというような作品は、これまでになかったので、何処へ行っても町ぐるみ、村ぐるみの大歓迎をうけた。
青島ではブラス・バンドが出動したし、呼子では街一杯に紙吹雪が舞っていた。芥屋では、マッチ箱のレッテルまで『大川橋蔵ロケ歓迎!』の印刷がしてあるのにはビックリした。
こんなことをかいていると、ノンキな官費旅行(?)くらいにしか考えていただけないかもしれないが、やはり炎天下の撮影は大変なものだった。青島ロケから芥屋へ移動するまで15日間ピーカン続き、スコールが一回もやってこなかった。休む間なんかまるでなく、スタッフの中には、背の皮を三度もむけたけた人がいた。
でも、たまには休みもあった。そんなとき海上ロケというので、ぼくがひそかに持参したシュノーケルが大いに活躍した。  
これをつけて、青い海底にもぐってみると、ここには山あり谷あり、海草ののジャングルあり、その間を大きな魚の群れが悠然と泳いでいる。水中銃をたずさえたぼくは狙いすまして一発・・・だが、素人の哀しさ、収穫は一匹もなかった。
とはいえ、ちょっとやそっとで、こんなスリリングなスポーツなんて出来るものではないから、収穫なんて二の次にしておこう。
しかし青島では大変コワイ目にあった。
専門の漁師の人といっしょに潜ったときのことだ。漁師に先に入ってもらい、岩場をかきまわし、出て来た魚をぼくが突くという段取りにして準備を完了、さて勢い込んでもぐったら突然体調一メートルもあるエイが、ぼくをめがけて飛び出してきたのだ。
大いに慌てたぼくは、自慢の水中銃をかまえる余裕もなくただただ、ものすごい悲鳴をあげて、船に逃げ帰ったものだ。
それにしても、こんどのロケは楽しかった。土地の言葉でいわせてもらえば、「ホンノコツ、コギャン、ヨカロケはなかとですバイ」しいうところだろう。


(17)・・・●夏を楽しむトップスター特集から  大川橋蔵
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
スター同士のお手紙


🌊波と戯れる 海辺の橋蔵さん

☘ハワイ旅行の折、ワイキキの浜辺で真っ黒に焼けた橋蔵さん。お仕事の合間を
みては泳いでいます。
「草間の半次郎・霧の中の渡り鳥」で、静岡県浜松市にロケーションを行いましたが、この日は絶好の良い天気。撮影も予定より早く終了して残りの時間は海辺に遊びました。白波逆まく渚で、心ゆくまでの夏を楽しむのでした。

♯ よいしょ!と掛け声よろしく逆立ちしてそのまま、ヨチヨチ歩いて腕の運動です


👒夕涼み

お盆映画「壮烈新選組・幕末の動乱」の勤皇の志士に扮して、新しい面の演技をみせてくれる橋蔵さんです。京に住んでいるものの、ゆっくり京都を見物する暇もないという多忙の橋蔵さんは、ぽっかり休みになったある一日、ゆかたスタイ
ルで広沢の池に散策します。
「今日のようないい天気の日は、家にいるのがおしいよ」
と、団扇で蚊を追いながら、夏の池のほとりに憩うのでした。



(16)・・・●特集H・ŌKAWA  60 橋蔵さんの生活プラン表 (1960年6月号平凡から)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
1960年平凡6月号
(私なりに抜粋し、私なりのニュアンスと解釈で一部省略したりして、要約したり、私の思ったことなどを挿入しながらの構成で掲載していきます)

「錦之助さんの『親鸞』雷蔵さんの『ぼんち』に対抗して、橋蔵さんも『源氏物語』や『八幡船』で勝負をするそうですね。
わたしの大好きな橋蔵さんは、いまどんなことを考えているのでしょうか。橋蔵さんの姓勝也、作品など、近況をくわしくおしえてください。
(編集部に寄せられた一女性ファンの手紙から)


【ぼくは今こんなことを考えている】
🌷たのしい雰囲気『春の集い』
「橋蔵さんは、爪を噛むクセがありますね。しょっちゅう、噛んでいるんですか」
まだおさげ髪の、高校生らしい女の子が、パッと手をあげて、勇敢に質問する。ドッとあがる笑い声。
ステージの真ん中には、紋つきに羽織袴の橋蔵さんが、ニコニコうなずきながら、丁寧に答えている。「たまにしか、噛まないんですよ。僕はネ、どうも爪を長くしているのがキライでネ。いつも短くしておこうという気持ちが、こんなクセになったんでしょうネ。他人の爪でも、長くなってると、噛んでやりたくなっちゃうんです」
ユーモラスな答えに、またまた城内がワーッとわく。

4月14日のハワイゆきを前に、橋蔵さんは、東京の文京公会堂で、迎えて3回目の『春の集い』をひらいたが、これはファンとの楽しい問答のワン・カット。
圧倒的に若い女性ファンが多かった。そのなかには、旅費を積み立ててやって来たという19才のお嬢さんや、どんなことがあっても、顔を出さないと気持ちが落ち着かないという新潟市のビジネス・ガールなど、熱心なファンもいてとにかくだ大変なさわぎ。
おまけにこの日は、橋蔵さんが踊る艶やかな『屋敷娘』をテレビがナマ中継した。ふつうの公開放送なら、ディレクターが合図してお客さんに拍手してもらうところなのに、この日ばかりは、ディレクターもまったく手持ちぶたさ。お客さんは自発的に割れんばかりの拍手をおくった。そして全国の橋蔵さんファンも、公会堂のお客さんも一緒に、美しいトミーの舞姿に酔いしれたというわけだ。
ところで、橋蔵さんほど、自分のファンを大事にするスターも珍しい。
毎年正月に、必ず地方巡業へ出かける橋蔵さんは、どんなに疲れていても、笑顔を忘れず、ファンと語り合い、自分の皮膚で直にフチァンの気持ちをつかもうと努力する。そんな心がけは、とくに本誌のために寄せていただいた、次の手記の中からもよくうかがえる。

《手記》
☆近況をお伝えします  
ファンのみなさんと、久しぶりにお目にかかった『春の集い』は、本当に楽しい一日でした。
あるファンは、「『源氏物語』はいつごろやるおつもりですか。監督さんはどなたでしょう」と、もっぱら、ぼくのこれからの作品について質問しました。課と思うと、別のファンは、「橋蔵さんて、耳を動かすことが出来るんですってね。ここで披露していただけませんか」と、とっぴょうしもない質問を発します。その度に、場内は歓声の渦・・・
ぼくは毎年2回、日本の東と西で、ファンと一緒にひと時を過ごす会を開いてきましたが、ライトのいっぱい当ったあの広いステージの上で、ファンと交流するということが、こんなにも楽しいことなのかと、しみじみ感じました。
そこで、今日は、あの日みなさんにお答えしきれなかった、ぼくの近況といったようなものを書いてみようと思います。一問一答が、ごく短い時間だったので、聞きたいと思っていたことも聞けなかったファンの方々のために、そして、あの日会場へおいでになれなかった、たくさんのぼくのファンの方々のためにも・・・

☆ボディイ・ビルにこってます
ぼくは、近頃、ボディイ・ビルにこっています。いや、こっているというと、かなり熱中いているという風にとられそうだから、ときどき、たしなんでいる、というくらいにしておきましょう。ボディイ・ビルをたしなむっていうのも、ヘンないいかたですが、ぼくのは暇があると、バーベルを持ち上げる程度だから、ときどきお酒をたしなむのと似たようなものでしょう。
ぼくにボディイ・ビルを勧めたのは剣会の諸君です。剣会の人たちは、映画の中でこそ、千代之助さんや錦ちゃん、ぼくたちに、バッタバッタと斬りまくられていますが、実際はどうして、たいへんな猛者ぞろい。毎週日を決めて、俳優会館の4階にある道場で、パタンばたんと元気いっぱい鍛えているのです。その厳しい修練についてゆくためには、頑丈な体力がなければ、とてもダメ。彼等が、だいぶ前から、ボディイ・ビルを熱心にやっているのも、こんなワケがあったからなのです。
この人たちにボディイ・ビルの効能を聞いて、早速ぼくはやる気になりましたというのも、ぼくの殺陣は、線はまアまアとしても、どうも、豪快な感じにとぼしいところがないでもありません。足立さんにもそういわれ、ぼく自身も深く反省していたのです。ボディイ・ビルをやることで多少は、力強い殺陣の型を生み出すことができるかもしれない・・・そんな気にぼくはなりました。
目下、バーベルの重さは14本℃(約6.3キロ)まだ初歩の初歩というところですが、なにもぼくは重量挙げの選手になるつもりではなし、気はいたって楽なもの。
身の回りを世話してくれる西村君などは、「いつまでつづくでしょうね」などと冷やかすが、まァ、みていてご覧なさい。やがて、みなさんがアッとおどろく、逞しい橋蔵が誕生しないとも限りません。


☆『立役』をやりたい!
さて、豪快な、といえば、僕も役のうえで、そろそろ男性的な魅力十分の人物に取組んでみたいと、いまのぼくは、『立役』をやってみたいという気持ちが、なかなか盛んです。
これまでのぼくは、いわゆる『二枚目』が多かった。『新吾十番勝負』なども二枚目のひとつといえます。顔をきれいに塗って、颯爽たる美剣士ぶりを披露する二枚目は、ぼくの顔やガラからいっても当然でしょう。
だが、ぼくもそろそろ冒険がしてみたい。ファンのみなさんの間で、いろいろ取り沙汰されているヨゴレ役も、そんな冒険心のあらわれのひとつといえるのです。あれが成功したか、失敗だったのか、その辺のことは、みなさんの判断におまかせして、挑戦する意気込みだけは、買っていただきたいと思います。
そのヨゴレ約につづいて、ぼくが意欲を燃やしているのが『立役』というわけなのです。例えば、平将門など是非やってみたい人物のひとりです。将門は、わずか38歳の若さで、生涯をおえた武将でしたが、その身には、逆賊という汚名がかぶせられてきました。けれど事実は、時の権力者藤原氏の犠牲になったのだといわれています。いうなればけ、将門は平安朝中期の風雲児なのです。
去年ぼくは『大江戸の侠児』で、はじめてヨゴレ役をやりましたが、こんどは平将門で男らしい役を、というユメをもっています。一歩一歩、あたらしいものにも近づいてゆきたい、そんな気持ちにかられている、この頃のぼくなのです。

☆ゴキゲンなハワイの旅
あまりかたぐるしい話はやめにしましょう。近ごろ、ぼくにとってとても嬉しい出来事があります。それはハワイで遊んだ10日間です。
4月14日夜、PAAのジェット機で出発したぼくは、この雑誌が出る頃には、もう日本に帰っているという、慌ただしい旅行だけれど、たった10日間の短い旅が、3日以上続けて休むことのできない現状のぼくには、なにものにも代えられない、デラックスな旅でした。
ぼくのはじめての海外旅行といえば、いまから20年も前の話になります。紀元2600年の記念行事として、歌舞伎の一座が芸能使節団として、満州に渡ったことがありますが、そのころ、子役だった10歳のぼくも一生お供したのです。けれど10歳の子供に旅行の楽しさも何もあったものではありません。学校の遠足よりもチョッピリ大げさな旅行-----そんな記憶しか残っていないのです。
ところが、こんどは会社からはチャンとお許しはでるし、天下晴れてハワイで遊んだというわけなのです。ホノルルで4日程踊るスケジュールはありましたが、あとの一週間は、完全に自分の時間として思いきりハネをのばしました。
子供の頃から、逗子や葉山の海で思う存分泳いだぼくは、どちらかといえば、山より海の方に魅力があります。
楽しんだことなどは、思い出すだけでも笑いがこみあげるゴキゲンな出来ごとでした。もっとも常夏のハワイでは、珍しくもなんともないことなのですが—-それにハワイは、リールを使う豪快な釣りも有名です。以前ロケ先の伊豆で味わったカツオ釣りの爽快な味を忘れかねているぼくは、日本にいたのではとても味わえない雄大な気分を、思いきり満喫してきたというわけです。
帰国すると、25日一日だけ休んで、翌日からは、すぐ『霧の中の渡り鳥』というヤクザものに入ることになっています。『喧嘩道中』『旅笠道中』『おしどり道中』と草間の半次郎シリーズの第4作ですが、それも一息ついてからのおハナシ。いまのぼくは、楽しかった思い出で頭がいっぱいになってる、遠足をすませたばかりの小学生、といったら、一番ピッタリしていそうです。
ぼくは京都の北白川にある閑静なわが家の周辺が、ことの他好きで、たまの休みにもほとんど外へ出ず、ボンヤリ庭を眺める習慣ですが、10日間もの休みは、仕事も、愛するわが家の周辺さえも忘れさせるほど、ぼくを楽しませてくれたのです。


🌷「馬がかわいそうだ」
橋蔵さんは、ハワイへのお土産に、純白の柏の葉を2枚重ねたかたちの定紋を染め抜いた、特製のセンスを100本もっていった。そのセンスに、橋蔵さんは、筆でいちいちサインを書くのに、俳優会館にある個室に持ちこんだのでは、なにかと気が散って、誠意のこもったサインができない。そこで、自宅の書斎にこもり、人を遠ざけて、一本一本かきこんだという。
この話からもわかるように、橋蔵さんの繊細でやさしい神経は、撮影所でもひとつの名物みたいになっている。『新吾十番勝負』の完結篇で、橋蔵さんの新吾が敵に追われて逃げるシーンがある。2、30騎の馬に乗った侍に追われて、橋蔵さんは白馬に乗って逃げるわけだが、もちろんロングは吹替えで撮影した。ところが、この白馬が、ひょっとしたはずみに後足を折ってしまったのだ。
ふつう馬は、後足を折ったら使いものにならないので、約刹するのが習わしだが、橋蔵さんは、「なんとか助けてほしい」と頼みこんだ。おかげでこの白馬「キミハタ号」は、いまだに、馬場で余命をながらえているという。
こういう心のやさしさが、映画でお付き合いする女優さんたちの間で、”橋蔵さんは紳士”という定評を生む原因なのだろう。丘さとみさんは、「なにかにつけ、キチンとしてる方やわ。セット入りする時間も正確だし、全体のバランスがとれている感じね。セットに入ると、冗談ひとついわない。普段とは人が変わったみたいに真剣になるんやわ」と、そのジェントルマンぶりを保証する。

🌷ユーモラスでモダンな紳士
だが、橋蔵さんはキチョウメンなだけではない。同じ苗字をもつ大川恵子さんが、こんなことを話してくれた。「カメラの前に二人並んで立つと、助監督さんなどが、位置を決めるのに、二人をどう読んでいいのかわからないときがあるんです。二人とも大川だから。すると、橋蔵さんたら、ケロっとした調子でお姉さ”お姉さんの方の大川さんがこっちで、ぼくはあっちですね”なんていうんです。それで、いっぺんに緊張した雰囲気がやわらいでしまう・・・」
つまり、橋蔵さんは、たいへんなユーモリストというわけだ。
『春の集い』の一問一答で、「橋蔵さんのしコードは『泣きとうござんす』一枚しかないんですか。どうして吹き込まないんですか」と、いう質問が飛び出した。
橋蔵さんは、少しも慌てず、ニッコリ笑って答えたものだ。
「ぼくの声は高音も低音も、まれにみる素質があるんだそうですよ。でもネ、あまり吹き込むと、三橋美智也さんや三波春夫さん、フランク永井さんに悪いでしょ。だからネ・・・」
こんな話をしていたら、それこそキリがない。ユーモリスト橋蔵さんの横顔をつたえるエピソードは、それこそ無数といっていいほどある。
だが、橋蔵さんが、たいへんなテレビ・ファンということを知っている人はあまりいないだろう。
常に十分な睡眠をとり、無駄な体力はけっして使わない橋蔵さんだが、仕事が定時にあがって自宅へ帰ると、まず、応接間のテレビで、人気番組を見るのが習慣になっている。橋蔵さんの身の回りの世話をやいている西村さんの話だと、お気に入りの番組は『番頭はんと丁稚どん』それに『スーパーマン』ということだが、「たんなる娯楽というより、テレビからなにかを九州しようという、気がまえのほうが強いんじゃないか、とぼくなんかには思えるのですがね」と、西村さんはいう。セットやファンとの問答で飛び出す橋蔵さんのユーモアの秘訣は、こんなところにあるのかもしれない。花園ひろみさんの言葉をかりれば「冗談をいいながら、きちんとしたポーズを崩さない、ユーモラスな紳士ネ」と、いうことになる。


🌷ホームランをねらって
テレビのお笑い番組から、ユーモラスな雰囲気を身につける一方で、手記でも触れているように、ボディイ・ビルで橋蔵さんは、逞しい身体の線をつくろうとしている。ただ線のキレイというだけでは、すさまじい殺陣の迫力は生まれない。豪快な立廻りを生むためには、なんとしても頑丈な体をつくらなければ----橋蔵さんはそう考えて、14ポンドのバーベルを買い込み、暇をみては、エッチら、オッチラ持ち上げているわけなのだ。
「あの美しさに、もうひとつ男性的な力強さがでれば完璧」(足立伶二郎さんの話)という目標に向かって、橋蔵さんはたゆみなく前進し9うというのだろう。
橋蔵さんが、”先輩”と呼んで、尊敬している大友柳太朗さんも「近頃のトミーさんに、ダイナミックというのかナ、躍動美も加わったようだね。鋭さがでてきたんじゃないか。これは、トミーさんが若いのに似ず、しっかりした計画を立てて、自分の芝居を伸ばしてきたからだと思う」と、後輩の進歩に、目を細めている。
『新吾十番勝負』のシリーズを撮り終えると、日本のバイキングをねらう『八幡船』されに手記にもふれている『平将門』さらに橋蔵さんが”ユメの作品”とまで待ち焦がれている『源氏物語』など、ずらり対策が、橋蔵さんを待っている。
みずから「立役をやりたい」と宣言する橋蔵さんには、まさにうってつけの作品ばかり。「敢然とヨゴレ役に挑んだ橋蔵さんを、改めて見直しました。欲をいえば、もっと心の陰といったようなものを表現できる俳優さんになってほしい」(高1の後援会員)という、ファンの希望にこたえて、ここらで一発、カーンとホームランを期待したい。
(m.wの独り言・・橋蔵さんもファンも楽しみにしていた「平将門」と「源氏物語」は映画にはなりませんでした。「平将門」といえば、フジの「銭形平次」の契約を終え、NHKのオファーを受けるだろうと橋蔵さんだからこそこの大河ドラマ主演と出してきたのが「平将門」でした。橋蔵さんも本当は飛びつきたかったと思うのですが、どうして・・・考えるととっても残念な部分もあったとおもいます。でも、そうすると、年3回の舞台公演は出来なかったわけですから、橋蔵さんにはこちらの方を主と考えたのでしょう。NHKの大河は日本全国に放送ですから、俳優にしてみればやりがいがありますが、1年間縛られてしまいますからね)
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橋蔵さんとの”一問一答”
〈他人は他人 ぼくはぼく〉
問・・近ごろファンめレターはどの位きますか。
答・・そうね、1日に300から400通くらいですか。なんだか、年齢的におとなっぽくなったような気がします。
問・・で、返事は、どうされていますか。
答・・ 全力をつくして出すようにしているのですが、沢山いただいているので、どうしても、遅れてしまいますね。
問・・ところで、橋蔵さんも、4月9日で31歳ですね。そろそろ、お嫁さんをもらってもいいんじゃないか、というファンの声が多いのですが・・・
答・・おお。でも、ぼくは、丹羽富成個人としては、適齢期かもしれないが、俳優大川橋蔵としては、まだその時期ではない、そんな考え方をしてるんです。
問・・とすると、まだ当分は結婚しない・・・
答・・そんなこと、その時になってみないとわからないんじゃないの。そりゃあ僕だって木石じゃないから、いつかは結婚しなければならないでしょう。男性としての宿命だからね。
問・・そもそも、橋蔵さんの結婚観は、どういうものですか。それを聞かせてください。
答・・ぼくはネ、結婚というものは、将来のことを十分考えなければ、自分も相手も不幸じゃないかと、思うんですよ。精神的にも経済的にも、ある程度の落着きがなかったら、とても結婚にふみきることなんか、できませんね。
問・・今年の芸能界はたいへんな結婚ブームなんですが、別に影響されませんか。
答・・そんなこと、全然・・・たしかにブームという気はしますがね。結婚すべき相手があって自信があれば、どしどしされて、結構じゃないですか。他人は他人ぼくはぼく、別にどうってこと、ありませんよ。




(15)●グラフ特集・・大川橋蔵ハワイ旅行
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
大川橋蔵ハワイ旅行

ハワイ旅行は、橋蔵のかねてからの念願だった。それが実現され、しかも初めての海外旅行とあって、彼もすこぶるゴキゲンだ。ワイキキの浜辺での水泳、フラダンスと連日楽しいスケジュールがぎっしりとつまっている。その合間をぬっては、今春、「東映フライヤーズ」がハワイに招かれた返礼の意味もあって、朝日球団主催の「橋蔵ショー」に出演した。
彼の美しい踊りに、ホノルルのシビック・オーディトリアム公会堂をうずめた観衆は、ただ魅せられるようだった。
彼自身にとっては、休養が目的の今回の旅行も、常夏の国の人の心のこもった歓迎にあって、思わぬ日布親善の役割を大いに果たしたようである。

画像・・ 1 後援会のパーティーでフラ・ダンサーからフラの手ほどきを受けるところ
     2 このお嬢さん、猛烈なファンと見えてかくは体当たりの歓迎ぶり
     3 ハシゾウはここでも人気者、たちまちサインをせがまれた

初めてハワイ独特の丸木舟に乗ってゴキゲンな橋蔵、左は同行の雪代敬子

画像・・ 4 太平洋戦争で亡くなった人の共同墓地に花輪をささげる橋蔵
     5 このカイずいぶん変てこなかっこうだね、と粋なアロハ姿で
     6 水泳が得意な彼は毎朝ワイキキの浜で波とたわむれていた



(14)●特集・・「三剣士春のアルバム」から(橋蔵さんのところだけ掲載します)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
1960年近代映画5月号から



■池のある寺
☘「新吾十番勝負」(三部・完結篇)の撮影がいよいよ追込みに入って大多忙のトミイに訪れた久しぶりの休日。
「しばらく外へ出ないから、散歩でもするか・・・」
と気軽にやって来たのがここ京都東山の清水寺。池に映る清水の塔の美しさや、高台から眺める京都の町のこころよい雰囲気に、英気を養うのです。
間もなく草間の半次郎シリーズの撮影と、ハワイ旅行が待っているトミイの休日のひとときです!


■春日のどかに




(13)●特集・人気スター春の宴・・・中村錦之助、大川橋蔵、美空ひばり、石原裕次郎 (すみません*橋蔵さんのところだけ書いていきます) (1960年近代映画4月号から)
王座を争う3人男


🏠東京のわが家で


☘「やはり東京はいいね・・」
と、特急で東京駅に降りたとたんにもらした第一声。
仕事の忙しさばかりに追われていると、世間のことがらにうとくなるし、たまには、勉強のためにも方々を見聞しなくてはならない、という橋蔵さんです。
東京で一息いれて、再び「新吾十番勝負・完結篇」に取組んでいるのです。


♠ママと一緒に
今まで、誰も知らない橋蔵さんの隠された面、それは大変な甘えん坊だということです。
仕事に疲れたとき、ふっとママに甘えたくなる。しかし京都と東京では少し距離が遠すぎるようです。だから、時々、京都から東京に長距離電話をかけては、お母様の声を聞き、明日への力づけとするのでしょう。


1・・亡き父の写真を背にわが家で書類の整理
2・・お母様のコレクションは各国の香水の蒐集。今日も最近入手したものを楽しむ!
3・・お前はそそっかしいから、車に気をつけるのよ、とお母様
4・・東京に来れば、母のもとをはなれないとか
5・・お父様の趣味でつくられた内庭で昔の頃を思い出す




(12)●特集--人気スターの衣食住--ひばり、裕次郎、橋蔵、錦之助の暮しのアルバムより【大川橋蔵さんの巻】(1959年近代映画11月号から)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
1959年11月号から

☆〈衣〉買物風景
👒勇猛果敢な壮士の橋蔵さんも、かつらをぬげば、がらりと変わってダンディな好青年、「オシャレは女性だけの特権ではありませんよ」い、お店に入ってお気に入りの洋服を選ぶ顔も愉しげです。

(画像)
  右ページ 上・・どちらかというば渋好みがトミイのお洒落
      右下・・「これ、どう? 似合うかしら」と手にしたのは赤地に白をあし
          らったキバツなセーター  
      左下・・京都の繁華街を気軽く歩いて店から店へ
👒秋はスポーツ・シャツのシーズン。たまの休日には待ちに出て、5、6着ぐらい買いだめしますよ、とか。でもピタリ好みに合った洋服を選ぶのがなかなか大変!!

☆〈住〉わが家はたのし
🚢自称「家庭的」を唱える橋蔵さんは、たまの休日も自宅にこもっている時が多いそう
です、それほど、お気に入りのこのお住まいなのです。
お家の散歩は日課の仕事です。そして、「音楽を聴かないと、一日が終わったような気がしないんですよ」とか。ハイ・ファイ装置のある洋間は冷暖房も完備され、撮影所から帰ると、まずは、この居心地のよい部屋で憩うのだそうです。

(画像)
  右ページ 左上・・ファンの贈物も美しいケースに入れられて!
       右上・・真白な砂石と濡れたような緑のコケが美しい調和をみせる庭園
           です
       右下・・愛犬のブラッキー(左)と大五郎君を連れて「さあ散歩だよ」と
           門前で!
       左中・・美しい若旦那さまは表玄関から外出です
       左下・・飲みながら音楽を聴く時が一番愉しいよ!

☆〈食〉

🎩二役をこなす「恋山彦」で活躍中の橋蔵さん。
「今日は平家の御曹司小源太が、江戸城に参上するシーンなんですよ」と、きらびやか
な礼服を身にまとって、美しさもひとしお。
夕食も衣装のままでいただくひと刻。
「お腹をふくらしたら、すぐ訪問撮影に入るんですよ」と、俳優館の私室で、箸を運ぶ
姿も、時の高官がのり移っているのかお上品そのもの!!
9月×日の夕食はカツライスに豆腐の味噌汁とおしんこでした。


(11)●大川橋蔵さんの私生活裏表 (1959年近代映画10月号から)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
大川橋蔵さんの私生活裏表


☘若き日よ・青春の日よ・万才!
澄みきった青空に向かってウンと背伸びをする橋蔵さんには明日への夢と溌刺たる若さが溢れる

淡い模様の簡潔なシャツに涼しげなズボン、目にしみるように白い靴をはいた橋蔵さんが、北白川の新居から颯爽と現れます。
青空に向かって思い切って背伸びをすると、トミイは、愉しそうに歩き始めます。
振り返る人の笑顔へ微笑でこたえ、青春の歩調を進める場所は、清い加茂の流れの見える辺りです。
「いい散歩道だぜ、この辺は・・・ゆっくり考えられ、それに、健康にもいいよ、散歩って・・・」
語るトミイの頬には、芸に対するきびしい表情が消え、快い休日を愉しむゆとりの笑いが見えるのです。
「さてまた明日から・・・!」
ホッと気を取り直した表情は、もうセットのカメラに向かったあの表情に返っています。

☘新吾敢斗譜

「新吾十番勝負」も若さま同様橋蔵さんのヒット・シリーズになったようです。眉目秀麗な葵新吾に扮して、悪を斬り、颯爽の若武者ぶりを見せる彼は、ファンの胸を高鳴らせているのです。
「第二部ともなれば、新吾の性格も身に着いてきましたし、役の動きにも慣れてきたようです」と語る端麗な横顔からは、新しい東映のドル箱シリーズを作り出そうという並々ならない決意が見られるのです。

☘街角のいこい

橋蔵さんの読書は、たいていのスターがそうであるように、趣味と原作探しの仕事を兼ねたものです。
逢う人ごとに、「何かいい原作はないかね、君もいいシナリオを書いてくれよ」というくらい、彼の日常は、いつも仕事に直結したものなのです。
時代小説は勿論、現代小説も、初の現代劇出演のために熟読し、散歩の道すがらには、書店にもふらりと立ち寄るトミイなのです。


◇大川橋蔵さんの私生活拝見

北白川の新居に落ち着いて更に飛躍を目指す橋蔵さんは、グラスと共に夜に思索のひとときを迎えます


【おすまい】
映画入りからずっと長い間、不自由な宿屋暮らしでお仕事に励んで来た橋蔵さんは、この春に、すっかりモダンに改装した北白川のお家に移りました。
「愉しきわが家という言葉がありますが、この言葉の響きがピッタリする新居です。宿屋住まいと違って、何の気がねもいらず、思い切って愉しめる生活ができます」とゴキゲンです。
近くには高田浩吉さんのお家もあり、背後には小高い丘を望み、裏手に京都名物の疎水が流れているという静かな住宅地、お仕事で疲れた身体を休めるのにも、そして、明日への思索を練るのにも、最高の環境といえるでしょう。
黄色い壁の高い塀をめぐらした和風のお家ですが、橋蔵さんの設計になる応接間とホーム・バーだけは流行の先端をゆくモダンな感じです。
「お客さんのための部屋だし、レコードを聴いたらウィスキーのグラスを傾けようという部屋なんだから、ここばかりは西洋式なのさ。だけど、僕はやはり日本人なんだな、どうしてもあの洋風の部屋には寝られないんだ」というわけで、橋蔵さんのお部屋は母屋から渡り廊下をつたわった純和風の一角です。それでも広い天井、明るい窓などは、シックの中にも行き届いた新感覚を盛ったもの。そして、夏の一日は障子代わりのスダレが涼を呼んでくれます。
ゆかたがけで庭におりた橋蔵さんをお部屋から見ると、きれいに植込みの作られた純日本風の庭は、さながら「日本の美」そのものといった感じ、現代的な言葉なら「イイカンジ!」 という訳でしょう。
「暇を見つけてもっと手入れをしようとおもってるの・・・」と、限りない愛情をみせるお住まいです。


【たべもの】
橋蔵さんの主義は、良く働き、良く食べ、そして良く眠る! のだそうですが、五尺六寸、十六貫という日本人の標準体格から比べて非常に食欲は旺盛です。
「良く動くから、何を食べても美味しいんだよ」とおっしゃいますが、本当に見るからに美味しそうに食べます。
朝はオツケにノリに卵におしんこと佃煮、といった程度、お昼は撮影所の前の食堂からとるもの、例えばエビフライとか焼き魚など・・・たまには「カツ丼やスウドンなどという注文がきて驚きます」とは、その食堂のおばさんの弁。
外ではめったに食事をしませんが、これは、新居に移ったばかりのせいもありますが、もともとは落ち着いて食事をしたいから、というのが理由のようです。
新聞を読んだり、ラジオに耳を傾けたり、またはお仕事の考え事をしたりして食事をするので、他の人に比べて少し時間がよけいにかかるようです。
「ウン、ウマカッタ!」 とか、「アー、オイシカッタ!」 というのが食事を終わった橋蔵さんのいう癖です。ご飯を作った人への礼儀でもありますが、本当に心から美味しいと思うからでしょう。これも健康の証拠といえるようです。
「別に食べ物で好き嫌いってないようですね。まあ特に脂っこいものが好きだな。お昼に天ぷらを食べたり、うなぎばかり十日も続けたりしたことがある位だから・・・。」
といった健康家ぶり。最近一寸太ったようですが、
「人間太るにこしたことはないさ、大きくみえていいよ」とノンビリ構えているようです。

【お仕ごと】
8月初旬に掛持ちの「怒涛の対決」と「新吾十番勝負第二部」が同時に終わった橋蔵さんは、4日の朝に東京へ帰ってきました。お家へ一寸寄ると、その足で、本社へ行ったり、御無沙汰している知人の挨拶廻りを済ませ、5日には、報道関係の方達を招いて会食しました。
「何しろ3、4ヵ月に一度位しか帰って来られないので、東京のジャーナリストの人達と話し合う機会もないので、こんなチャンスを作って色々とお話したいとおもったんです」と、集まった方達を前に挨拶、
「色々な方の意見を参考にして、今後どんな方向に進んだらいいか皆さんのお力をかりたい」というわけですが、人気スターとなっても、常に向上を忘れない、その仕事熱心には頭の下る思いがするようです。
次回作は「恋山彦」と決定、京都へ帰ったら翌日から早くもクランクを開始しましたが、久しぶりのマキノ雅弘監督作品でもあり、また二役主演ということで話題となっています。
「昔、阪東妻三郎さんがおやりになったのですが、若衆的な方の役はまあまあとして、豪快な丹下左膳のような役をどうやるか・・・」と、新しい役の開拓に努力している昨今です。


【趣味】
「忙しいと趣味なんて考えるヒマもなくてね」と語る橋蔵さん、そういえば、折角結成した野球チーム「ブリッジ―ズ」も、しばらく試合から遠ざかっているようです。
「ゴルフなんかも勿論出来ないし・・・」と、身体がナマになるのを心配している口ぶり、それでも、俳優さんは重労働、無理をして運動の時間を作るほど運動不足ではありません。
「結局、家で集めたレコードをまとめて聴くか、原作探しも兼ねた読書が趣味というわけかな」とのこと。
早くお仕事が終わった時などは、ラフなスタイルに着かえて、応接間でレコードを聴きながらひとりで晩酌、というのが近況だそう。
「ひとりで飲んでんだ、遊びに来ないか」という電話をかけて、親しい会社の人を呼ぶようなことも時々あるとか・・・。
レコード、読書、これが忙しい橋蔵さんの趣味のすべてといえるのです。
でも、夢は持っているようです。
「だいたいがスポーツが好きなんだから、ドンドン野球をやりたいし、テニスや、山登りもやりたいと思ってるよ。それに、各地の郷土人形を集めたり・・・人並みな趣味を考えたいんだけど、忙しくてね・・・」
どうしても結論は多忙に行きつくようです。
「もし仕事が休みになったら・・・こんなこともやりたい、あんなにもしよう! こう思っているうちに、わずかばかりの休みがおわっちゃうんだ」
ちょっぴり情けなさそうな顔、それでも、仕事に生きる橋蔵さんにとって、趣味は問題ではなかったようにも思えるのです。


2021.11.27
(10)●あなたの恋人 大川橋蔵さんの巻 (1959年近代映画10月号から)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ あなたの恋人


🐦ホーム・バーのある部屋

ホーム・バーはモダンなお家の必需品といえましょう。外出した旦那様が、外で飲み歩くよりもお家に帰って、粋なホーム・バーで、美しい奥様と飲んだ方が、何倍も愉しいんではないでしょうか。こんな考えが日本の家にホーム・バーを発達させた原因でしょう。
ところで、大川橋蔵さんのお家にも、やわらかい間接照明の静かな雰囲気のバーがあります。
「おかげで外ではあまり飲まないよ、レコードでも聴きながら、ここで静なに飲むんだ」とゴキゲンなトミーの昨今というところです。

🐦粋な着ながし

若さまこと大川橋蔵さんの粋な着流しは、ファンの憧れの的といってもよいでしょう。
そして、橋蔵さん自身も、こうして浴衣にくつろぐ時が一番ゴキゲンなようです。
「たまの休みに、こうしてくつろいだスタイルで、ノンビリすることが今の僕には必要なんだ」と、明日への準備の必要性を語ってくれます。


2021.11.3
(9)●特集グラフ:時代劇夏の陣、真夏に揮う颯爽の剣陣グラフより(1959年近代映画9月号より)➡ 近代映画1959年9月号から
👒橋蔵さんの素顔

新居「橋蔵邸」もすっかり夏の装いに替えられ、心なく寛ぐ若旦那さま、橋やんのある夜の風情です。
お離れの二間続きの私室は、純日本風。庭の石燈籠が眺められるところなど、まさに時代劇スターにふさわしいお住まいです。
が、その反面、自ら設計したという応接間で過ごすときの橋蔵さんは、ウィットに富む近代青年ぶりを発揮するのです。

👒特集:ここに秘密があるから
“凝った和洋趣味” 新居から橋蔵さんのお人柄を覗いてみれば!

新居を構えて僕は今とても幸福。この幸せを誰にも壊されたくない、と橋蔵さんはいいます。
3年間の旅館生活をさよならして京都の高級住宅街と名も高い、静かな北白川に堂々とした新居を構えてやっと落ち着いた心境だとか・・・。
家にいる時だけは「有名税」という名の「むやみに騒がれ私生活を脅かす強制的な版人間性の生活」から我を守って、静かに人間として生活をエンジョイし、「俳優である以前に人間であれ」という信条を味わってゆきたいというのです。
「住む家もできたし、これからますますヤルゾー!」というファイトが、一城の主になった橋蔵さんに、芸一筋に生きる情熱の中に最近とみに、血が噴き出るような闘志をを感じさせる原因となったといえるでしょう。

敷地222坪、建坪100坪、というこのお住まいを拝見するとき、橋蔵さんの隠されている魅力の秘密が、無言ながら如実に何かを語りかけているようです。
長い廊下にめぐらされて「コ」の字形に構えたお住まい。
中央の玄関に入って右側に曲がれば、使用人の個室や台所、風呂場があり、左側に曲がり、赤い絨毯の敷きつめられた渡り廊下を渡れば、床の間つきの10畳と次の間の8畳が続く純日本間の、広々とした橋蔵さんの私室です。

そして庭園が広がります。京都が誇る有名なお寺の庭園を彷彿とさせる、あの造形美がさながら立体的な芸術作品であると感嘆させる、しっとりと心の奥にくいこむような「静」の世界にいざなう庭園。緑の木々と、動かぬ置き石の数々、そして白砂利の小路の美しい調和感。柔らかい芝生と、築山をおおう妖しく輝く苔の絨毯のぬれたような静かさ・・・。
決して広すぎはしないその庭を、言葉ではかなわぬ、日本庭園の美で飾る処、名門六代目の養子にふさわしい橋蔵さんの粋な趣味がしのばれるのです。
「毎晩、庭をひと回りしなければ眠れないんですよ。そして枝にクモの巣一つかかれば、神経質すぎるほどそれが気にかかり、払い取るんです」と、橋蔵さんは無類の潔癖をのぞかせて語ります。

そういえば、庭園の中央を占める枝ぶりのいい2本の白桃と赤桃。「大友先輩から頂いたのです」とか。先輩の志を何よりも大切にする律義さを物語っているではありませんか。
またファンを大切にする人としても有名な橋蔵さんですが、玄関を入って、右手にみえる小さな控室はファンのための専用室だとか。壁には「無事」(こともなし)と墨筆で書いた額が掛かっています。冒険や事件を好まず、たんたんと平和にいきていこうという意味なのでしょうか。「これが、僕の生活信条ですよ」と橋蔵さんはいいます。
ファンが出たついでに申すと私室の次の間の一部にファンから贈られたこけし人形などが、部屋の調和を柔らかくいかして造りつけの硝子棚の中に飾られています。


何といっても橋蔵さん一番のご自慢は応接間です。「この部屋だけは全部自分が設計したんです」といいます。薄緑色の布地貼りの壁。薄小豆色の絨毯と椅子、障子スタイルの窓、片隅にはバー風カウンター、といった、日本的で静かで柔らかい色調と、モダンな洋式趣味が巧みに混じった趣味豊かな応接間です。壁の中には冷風機がはめてあります。
単式化した女性的な暖炉は、今は熱帯樹の植木鉢が飾られ、緑風を呼んでいます。その前に大きな円形の洋式座布団が2つ。「これ、ちょっと自慢なんだ。冬はここに座って温まるという寸法さ。洋画の『めまい』をみたのがヒントだったんだよ」と橋蔵さん。
灰色の渋い和式スタンドを指さして「これも、ちょっといいだろ、東京でみつけて、重い思いをして、自分で運んで来たのだよ」そして、「買物はすべて東京に限るね、ともかくいいものがあるよ」と。
近代青年の感覚が躍如として橋蔵さんの反面が、いかんなく発揮される応接間といえましょう。そして大変家庭的なお人柄であることも覗けるのです。


(8)●大川橋蔵グラフより⑨・・・(1958年別冊平凡6月号 ◆大川橋蔵グラフ◆より)
◇「ある日の橋蔵さん スナップアルバム」
この記事はlivedoorブログ”心の軌跡”のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 橋蔵グラフより⑨

いつも忙しい橋蔵さんを街に宿屋にスタジオに、カメラが追ったこれはある日の自然な
姿ばかりです



A 「橋蔵さーん、ラッシュがはじまりますよー」
   掲示板でスチールを見ていた橋蔵さんはそそくさと試写室へ
B 『大江戸七人集』のセットで出番を待つ間の大川橋蔵さんは、東千代之助さん、
南郷京之助さんとなごやかに『平凡別冊』のまわし読みです
C  豆しぼりの手拭いで顔を包んだ橋蔵さんは『大江戸七人集』では旗本に扮してい
ます。誰です、手拭いがうらやましいなんていうのは・・・
D 麩屋町三条下るところに橋蔵さんのお宿「吉乃」があります。お出かけの時刻を
見計らってファンが押し寄せます
E 「お疲れさま、今日の撮影はこれでおしまいです」ドアを閉めて暫くすると素顔
の橋蔵さんが颯爽と現れました
F  これから「平凡」の特写ポートレートの撮影です。「吉乃」のお部屋で手早くメ
ーキアップを 
G 「どの絵馬がいいかな」ぶらり散歩にでた橋蔵さんは高台寺へ
H  足の向くまま、気の向くままに入ったところが、こけしのある店。「大きいね
え」と感心する橋蔵さんです


(7)●橋蔵さんの東京のお宅 ・・(1958年平凡別冊6月号 ◆橋蔵グラフ◆より)
この記事はlivedoorブログ”心の軌跡”のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 大川橋蔵グラフより④
いつも仕事で忙しい橋蔵さんに、ときならぬボーナスがでました。それは四日間の休暇です。人気スターにとってこんな楽しい贈り物はありません。
京都での旅館住まいを抜け出して、東京のわが家へ帰った橋蔵さんは、すっかりくつろいだ表情で、五月晴れのようにさわやかです。
東京はなんといっても住みなれた土地、ましてわが家でのんびりできるなんて・・・忙しければまたわずかの休日がこよなく嬉しいものです。

1 夜来の雨で、しっとり濡れた庭に出て、竹のホウキを手にすると、お家のお手伝いをした小さい頃が思い出されます。
右に見えるのが日活アパートのビルです。
2 「元気かい、坊主、留守番ごくろうさん」お部屋の壁に掛けられたマスコット人形に、親しみをこめた言葉をかける橋蔵さんは、心のやさしい人です。
3 朝寝坊をたっぷり味わった橋蔵さんに、東京の休日は静かなわが家のティー・タイムからはじまります。「おや、どなたか見えたようだぞ」呼びリンが鳴りました。
4 お部屋には「平凡」がお贈りした写真が飾ってあります。「好きな絵もいいけど写真も悪くないネ」とご満悦です。
5 きわめつけ「若さま侍」の秘太刀一文字崩しの構えをかたどったお人形は、みずみずしい美しさです。・・・ファンの丹精こめた贈物です。


(6)●「女形から生まれた剣豪」 大川橋蔵・・(1958年2月号 映画と演芸という雑誌より)
この画像はlivedoorブログ”心の軌跡”のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 女形から生まれた剣豪
◇くらしのシリーズ・2 “女形から生まれた剣豪” 大川橋蔵
ラテン・ミュージックが大好き、暇があると喫茶店で聞いている。ライカのM3が御自慢、パチパチ撮っているがピンボケが多いとのこと。
菊五郎劇団の女形だったが六代目尾上菊五郎に認められて、その夫人の実家の養子に迎えられたのが、昭和19年、16歳の時だった。初めての映画出演は30年。東映の「笛吹若武者」。
舞台の生活を27年も続けた後である。最初は舞台と映画の二本だてのつもりであったが、映画は若いうちにやる仕事、また、やりがいがあると割り切ったのだそうだ。
住居は東京、京都では旅館住まい。東京の家にいるのは、三カ月間に五日くらいのものだが、どこでかぎつけるのか、ファンが門をのり越え庭にまで侵入してくることがあるという。ありがた迷惑とは、このことだ、とこぼしていた。
食べ物には、好き嫌いがない。撮影所で毎日毎日トンカツばかり半年間食べ続けたら、人に注意されたので、エビフライに転向。また、それが半年続いた。そんな無頓着なところがある。
女らしくて、健康な人が好き、ツメを長く伸ばした女、話しても分からない人はキライだそうだ。
演技の上で一番のニガ手は、タンカを切ること。やはり、女形の出のせいだろう。
現在のギャラは「働いているわりには少ないけれど、年齢にすればマアマア」だそうだ。
将来の望みは実業家になること。

と、いうことであとは、橋蔵さまその時々のスナップが載っています。
こんな具合にね。



一枚ずつして見ました。
①.舞台仕込みでタテもうまく、若様にはうってつけだと所内でも評判、御当人は映画の速いテンポに、うまく合わせるのに一苦労の態
(画像・・加工分1)
②京都の借り住まいは、さる旅館の2階の6畳、なにしろ1年の大半はここで暮らすので、何かと荷物がふえて足の踏み場もないという
③ひともし頃の京の祇園は、実にすばらしいと、やたらにパチパチ、ゆくゆくは、どうしてもカラーで傑作をものす決心だそうだ
④寺島家の法事には、わざわざ京都からかけつけた、当日、雑司ヶ谷の墓地は、参詣人で大賑わい、
本人の左は菊五郎夫人寺島千代さん
⑤ケイコ熱心 東映京都撮影所の同好者が組織する、「剣友会」というタテの研究会で、一刻も早く映画の速いタテを見につけたいという

⑥東京の家は芝公園にある、六代目の遺品を飾った応接間、六代目はやさしい人だった由だ
⑦東京の自室、4畳余の洋間はベッド、洋服ダンス、本箱、トランクなどでギッウギッウ
⑧京都の宿で、長唄、常磐津、清元、義太夫など一通りの心得がある、そのオサライが大変
⑨身の回りの品は自分で選ぶ主義だが、下手するとファンに囲まれて身動きができなくなる

⑩宿での暇つぶしは、つき添い氏を相手に、もっぱら将棋、勝つと無邪気にカン声をあげる
⑪自宅の本箱、中はブロマイドの箱がギッシリ、書物は最上段に、ほんの申し訳ばかりに
⑫見学のファンが、恥ずかしそうにおみやげを差し出す、「ありがとう、これからはこんな心配しないで、またいらしてくださいね」
⑬東京の家は、祖母、尾上九朗右衛門とその家族、ばあや、じいや、女中さん2人に本人という大家族、500坪の敷地に140坪余の家



(5)●この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています(平凡1957年11月号)
橋蔵さん・・素顔の日記
◇京の散策
「つけ髭をしたらどうなるかな?」
なかなかお茶目なところもある橋蔵さんは、ファン除けの扮装をして京の街へブラリと散策にでかけました。ごらんの通り、誰にも気づかれず心ゆくまで京ブラ(?)をしましたとさ。


◇休日の憩い
今日はお天気はよし、撮影はなしとばかり、今日の宿の前にある学校のグラウンドに散歩に出かけました。お供は宿のワンちゃんです。近所の子供と語る橋蔵さんは、学生のような気安さ。


◇ロケ日和
ロケーションには、撮影所から扮装したままで出かけます。仕事熱心な端蔵さんは、車の中でも台本を手から離しません。撮影の合間にもこうして寸暇をさき、せりふの下練習をするのです。



(4)●1957年夏号 雑誌からのピック・アップになります。
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
ごひいきスター読本から・・(2)
E◇茶室のひととき

着物のゆかしさはモダンボーイ橋蔵さんの魅力のひとつなのです

背広姿の橋蔵さんからは近代青年らしいモダンな若さが感じられるのですが、また、シックな着物姿に落ち着いた彼からは、歌舞伎の名門に育った格式の立派さと、気品がうかがえます。
香の匂いも奥ゆかしい和室と、よく手入れの行き届いた庭に憩う橋蔵さんの横顔には、また別の魅力が感じられるのです。

打ち水もすがすがしい庭に降り立てばかけいの音も爽やかです。
習い覚えた茶道も精神修業の役目を果たしてくれるのです。


(3)◇ゆかたの季節 (1957年平凡・夏の増刊号より)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 1957年平凡・夏の増刊号から
爽やかな初夏の訪れに、浴衣でくつろぐ橋蔵さんの江戸前の魅力が十分に発揮されます
生まれも育ちも東京の江戸っ子橋蔵さんはゆかたが大好き。
爽やかな初夏の夕、ゆかた姿でくつろぐ橋蔵さんは、「夕涼みよくぞ男と生まれける」と大ご満悦。
スクリーンで見る鯔背な江戸前の若々しい姿体と爽やかな口調は、こんな生活の雰囲気から生まれると言えるかもしれません。



(2)◇詰将棋 (1957年平凡・夏の増刊号より)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 1957年平凡・夏の増刊号から
夕食をすませ、お部屋つづきの縁にでて、詰将棋に余念のない ひとりもの・・・橋蔵さんの夏の宵のひとときです。



​​(1) ● 今日はお休み・・(画像は、1956年7月号平凡別冊スタア・グラフ”大川橋蔵集”より)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 大川橋蔵集・ある休日と過ぎ去り日・・・1956年7月号より(11)
大川橋蔵集・ある休日と過ぎ去り日・・・1956年7月号より(11)
橋蔵さんが京都でこの当時生活していたのは、麩屋町六角下ルにある吉乃旅館です。
このやどの二階にある六畳と部屋続きのベランダが橋蔵さんの部屋。毎日撮影がい
そがしいためなかなか自分の部屋でくつろぐ時間がありません。
でも、今日のようにお休みになると、橋蔵さんは自分の思うように一日を楽しく過
ごします。

A-1 うれしい休日は、まず宿のペットであるジョン嬢に挨拶をしてからはじまり
ます。「おはようジョン」
A-2 近所の子たちと仲良くブランコで遊びます。
A-3 宿の前の小学校の校庭で坊やたちの野球に仲間入り。こうして沢山いる近所の
弟たちと一緒に遊ぶのは、橋蔵さんの楽しいひと時です。
A

B 朝のお食事。橋蔵さんは亡き父六代目の教えを守り、食事中に膝を崩すことはありません。今日のおかずは、橋蔵さんの大好きなハムエッグです。
B

C-1 半分眠りながら歯を磨いているところです。
C-2 夕食後、明日の撮影の下調べです。明日のセリフは難しいけれど、テープレコ
ーダーで反復練習をして・・・大丈夫!
C-3 橋蔵さんのところには、毎日相当な数のファンレターがくるので、目を通すの
は大変ですが、橋蔵さんにとって有難いお便りばかりです。
C-4 橋蔵さんはお風呂が大好き。朝夕必ず入ります。
C

D 今日一日の終りは、夕新聞に目を通し、うれしい眠りにつきます。
D



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