❷ある日、ある場所、何処かで・・(A)(B)(C)(画像130枚)



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★(A)【映画関係で御挨拶等お仕事で】

◆浅草東映でのご挨拶 (1957年1月)
画像・・は後援会誌"トミイ"1957年(s32年)2月号から


◆新潟東映ご挨拶行きの時 (1956年12月)
12月26日新潟東映会館でのご挨拶と27日雑誌の写真撮影のため護国神社の雪の中で
ご挨拶にご一緒した錦之助さん、千原さんと、雪靴を履き、雪合戦をしたりして楽しいひと時をすごしました。(画像・・は後援会誌"とみい"1957年(s32年)1月号から) 


◆関西で行われた後援会茶話会(1956年11月24日 於*京都岡崎公会堂)
プレゼントが沢山。橋蔵さんをモデルにしたお人形もあります。近代映画からの花束を手にした橋蔵さん。 (画像・・は後援会誌"とみい"1957年(s32年)1月号から)


◆金沢東映のステージでご挨拶(1957年1月)
画像❶❹➎・・は後援会誌"とみい"1957年(s32年)2月号から
画像❷ ❸・・は後援会誌"とみい"1957年(s32年)3月号から
1.出番を待つ控え室にて   2.3.舞台でご挨拶   
4.5.外は雪が積もっています、宿にてゆっくりくつろいで、大川本因坊のお相手は東映 制作作部長・・メイ人戦はいかに!どちらが優勢でしょう?
1 2 3
4 5

◆橋蔵さまご挨拶"北海道へ" 花のステージの様子




⛵    ⛵    ⛵    ⛵    ⛵    ⛵    ⛵    ⛵

★(B)【散策、お出かけ】

◆粋な背広で、ある日春の町に出かけて(1958年春)
薄色の背広に白い靴とベスト・ドレッサーの橋蔵さんは春風に誘われて、颯爽と町へでました。しばらくして、歩きつかれて腰をおろした四条通りの喫茶店。ムードミュージックを聞きながらしばしの憩いをとるのも、橋蔵さんにとってまたとない休日の楽しみです。


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★(C)​ livedoorブログ__心の軌跡💞忘れえぬ人*大川橋蔵*投稿とリンクコーナー



この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
1961年7月号 近代映画から
(17)・・●橋蔵さんの銀座漫歩 (1961年7月号近代映画から)
5月のある晴れた日連休を利用して上京した橋蔵さん。
ご自分デザインの上衣を着て、銀座漫歩としゃれるのでした。

☘️なんといっても、やはり東京はいい。新しいもの古いものの、すべての見聞は東京に限る。と語る橋蔵さんは時間がとれれば必ず上京するように心がけているとか。
京都で忙しいお仕事をはなれて東京に来たときには絶対といっていいほど銀座に出て来る橋蔵さん。独りでブラリブラリ歩き、流行の先端を行くモダンなショウ・ウインドウを眺め、ムードがいっぱいな喫茶店でくつろぐのです。
矢のようにすぎていくいくばくかの時間の中で、東京の新しい空気を吸い明日へのファイトを作るのでしょう。
(画像)
1 買うときはたんねんに調べてから
2 橋蔵さんの買い物は、当編集部Iさんの案内で行われました!
3 電光塔を眺めながら、今日のニュースをしるのです
4 帰りは特急第二つばめ号で京都に向かう



(16)・・●②大川橋蔵さん*東北巡業の旅(1961年3月号近代映画から)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
1961年近代映画3月号から

🎞️映画で見ているだけでは物足りないというファンは、この巡業で心ゆくまで橋蔵さんを直に見ようと会場に詰めかけてきます。
ファンへのサービスをモットーとしている橋蔵さんは、疲れた顔色をも見せず、一生懸命に応えるのでした。

いよいよ雪国の東北に一行の足が向かいます。
福島を終えて次の朝5時に出発して板谷峠を越えるときは、積雪2メートル以上の雪。中間駅で汽車が停まるごとに雪に興ずる橋蔵さんでした。
福島公演の次の場所は新庄です。降り立ったときは大きな綿雪が降り続いていました。
福島公会堂には、彼を待つファンが何千人も待っていました。どこでもそうでしたが、一日三回の公演で一回が三千人以上入場する文字通りの大盛況。
秀一、英一の漫才で開幕となります。そして同行の円山栄子さんの挨拶、次に橋蔵さんの挨拶に移り、丸ノ内権三、助十の漫才コンビの司会でプログラムが進んでいきます。
若さまの舞台は、去年とは違って、一つの物語になっています。
これには剣会の面々も活躍して舞台を賑やかにしてくれます。この他ベテラン歌手の鈴木三重子さんや、小島宏之とダイナブラザースの皆さんも加わっての賑やかな公演でした。
(画像)
1 福島公会堂に雪降る中を朝5時から待っていたという老母を先頭に詰めかけるファンたち
2 映画でしか見なかった若さまがジカに舞台でみられる、その嬉しさ!
3 円山栄子さんのおいとはお色気たっぷりで、若さまと息のあった共演ぶり、大好評でした!



(15)・・●①雪の東北・旅ゆけば 大川橋蔵さん・巡業アルバム(1961年3月号近代映画から)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています
1961年近代映画3月号から

📸今年、36年も良き年であるように、皆さんと一緒に頑張りましょうとファンに舞台から呼びかける橋蔵さん。
このところ毎年のように橋蔵さんは、地方巡業に出かけて、会場をうずめているファンの前で若さまのお芝居や歌を披露するのが恒例。
今年は、正月三日の桐生市を皮切りに、山形、秋田、青森の東北巡業を行いました。
東北でも、ことに雪が多いといわれる新庄、横手では、橋蔵さんを待って、いかにも歓迎するかのように、綿雪が絶え間なく降り続くのです。
今年は特に大雪のせいもあって、次の場所にまわる汽車は、絶えず何十分かは遅れて着くことになり、待っているファンをやきもきさせる一幕もありました。
東北ならではみられない屋根の雪降しを手伝ったり、関東以南の人たちには想像もできない真町ほどもあるツララをとったり楽しい東北巡業の日々を送る橋蔵さんでした。
(画像) 
1 雪降ろしのおじさんたちに交じって僕もやるぞと橋蔵さん
2 屋根の上に積もった雪を喋るで器用におろす橋蔵さん
3 上り列車と待ち合わせのとき雪のホームで箱ぞりに興じます
4 ホームに滑り込んだ汽車から飛び降りて、倉庫のツララを取ります


(14)・・●静かな秋の日 (1960年11月号近代映画 ◇秋にはり切るスター特集から)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 1960年近代映画11月号から

☘秋晴れの午後です。橋蔵さんは「海賊八幡船」につづいて「炎の白」に出演中ですが、クランクの余暇を見つけて、加茂川の疎水へ出かけました。
「次から次と仕事に追われているので、気分転換には散歩が一番良いわけですね・・・」
と橋蔵さんは明るく微笑みます。
☘子供の釣りを見ていた橋蔵さんは、ついに子供から竿を借りて、釣りはじめるという文字通りの釣りマニヤぶりを見せているのでした・・・。


(13)・・●ハワイで波乗りを楽しんだ 橋蔵さん
1960年近代映画7月号からの記事になります。この記事と画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"とリンクしています➡ 橋蔵のやくざ旅

⛵ハワイの橋蔵後援会員の熱心な招待を受けた橋蔵さんは、大多忙のスケジュールの中から一週間の休暇をさいてハワイ旅行をこころみました。
夜はファンの要望の応えてお得意の日本舞踊”あやめ浴衣”や渋いノドを披露、ゴキゲンの一週間を過ごしました。
「毎日泳いでいましたから、すっかり日に焼けてしまってね・・・」
と橋蔵さんは元気に笑うのでした。


(12)・・●Tomy in Hawaii ワイキキのトミイ  大川橋蔵さん
1960年7月号平凡からの記事になります。この記事と画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"とリンクしています➡ Tomy in Hawaii

ホノルルの飛行場でいきなりハワイの娘さんたちの猛烈な歓迎のキスぜめにあいびっくりしました。あとで鏡をみたら両頬が口紅で真赤なのには大笑い・・・とにかくハワイはすばらしい夢の国です。生まれてはじめての海外旅行(4月15日~24日)なので、ちょっと心細かったけれど、あの美しいワイキキの浜辺の印象は日本へ帰って来たいまでも、瞼から消えません。シビック・オーデトリアム劇場の4日間の公演(ハワイ後援会の橋蔵まつり)を終えて、あとは大好きな泳ぎで明け暮れました。おかげで真っ黒になったので、帰って来てから人違いされるような始末・・・このスナップは同行した僕のマネージャーの笠原君の撮ったものです。 
                                                 大川橋蔵

(画像)
1、 ワイキキの浜でファンにココナッツ・ハットをプレゼントされてゴキゲンの橋蔵さ
  ん。バックの建物は一行が宿泊したホテルです。
2、 同行の雪代敬子さんもファンに水着をプレゼントされて大喜び。日本では忙しくて
  滅多に泳げないので、お二人共泳ぎだめするんだと大はりきり・・・
3、 波のりの名手といわれる青年に波のり板の乗り方を教わる橋蔵さんと雪代さん
4、 後援会のパーティーでは会員のフラダンスの歓迎をうけましたよう


(11)・・●「東京の一日」    大川橋蔵さん
1960年6月号近代映画からの記事になります。この記事と画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"とリンクしています➡ 1960年6月号 近代映画から

🏢忙しい合間をぬって、夜行列車で東京に着いた橋蔵さんは大勢の人の出迎えを受けて大喜び、朝の八重洲口からまず芝公園にあるご自分の家へ帰り、まず朝ごはんをカキ込みます。
画像 1 朝の東京駅に着いた橋蔵さんは旅の疲れもみせず、多くの出迎えの人々に笑顔
    で挨拶をするのでした
   2 自宅で軽い朝の食事をするトミイです
   3 朝食のあと早速、外出という忙しさです
🍚朝食がすむとすぐ、今度行くハワイ旅行のビザを受けに外務省に向かいます。心はすでにハワイに飛んでいるかのようにウキウキしています。
画像 4 車の窓から東京の街をながめてご機嫌です!
   5 外務省で待っているうちにもファンはサインをせがみます
☘外務省では同行の雪代敬子さんと会って二人で手続きをとり、その足で東映本社に挨拶に行きます。
日頃の祖縁もあって知り合いの人々と話に花が咲きます。東京撮影所の山崎所長ともバッたり、またまた話がはずむのです。
やっと解放されたらお昼になっていました。
画像 6 やっと解放されて、レストランの中で、いささかグロッキー気味のトミイです
   7 雪代さんと外務省の門前で手続きも終わってホッと一息!
   8 本社で山崎所長とバッたり、話に花が・・・



(10)・・●「雨のプロムナード」《スターの休日》   大川橋蔵さん
1960年6月号近代映画からの記事になります。この記事と画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"とリンクしています➡href="http://blog.livedoor.jp/okawa_/archives/29978032.html">1960年6月号 近代映画から

☂東京にあらわれた橋蔵さんですが、あいにくの雨。
「僕は雨の降る中を歩くのも好きなんだ・・・」と傘を片手に公園を散歩です。
「都心にこんな静かな公演があるなんてうそみたいだね、やっぱり東京は若いんだな
 ぁ!」と改めて東京の良さを認めたように呟きます。
公園の池に降りそそぐ雨滴も、橋蔵さんの心をなぐさめているようです。久しぶりに見た東京の街を心行くまで満喫する美剣士橋蔵さんの笑顔です。
画像・1 御池のほとりでなにを考えてるんでしょう?
  2 雨も小降りになって来た!とおどけるのです



(7)(8) (9)●1960年3月号近代映画からの記事になります。この記事と画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 1960年近代映画3月号から
(7)❄初しごとの笑顔  大川橋蔵さん
雪の国北陸一帯の巡業を初仕事に選んだ橋蔵さん。松本市から長野市の後援を行うまでは、晴天に恵まれていましたが、富山市に着いた途端雪はちらほらと振り始め、夕方には30㎝程も積もるというものすごさ。今年初めて見る雪に喜んだ橋蔵さんは、早速、富山市が誇る雪に包まれた富山城に出かけました。
しかしファンはそんな橋蔵さんを見逃すはずはありません。わあッとつめかけてサインを求めることを忘れないのです。

画像・・右・「北陸の雪はおいしいネ」とトミイ
    左・お城の前でサインをする橋蔵さん

(8)🐄ファンにひかれて善光寺詣り
巡業が始まって4日目、橋蔵さんは長野市に着きます。
そして長野市東映商工会館の舞台に立ち、長野近辺から集まったファンに応えます。
長野といえば善光寺で有名なところ。牛に引かれて善光寺詣りという諺でもないでしょうが、橋蔵さんも舞台と舞台の合間をぬって善光寺詣りに出かけました。

画像左ページ・・上段右・映画より舞台の若さまがいいわとファンの溜息
        上段左・長野から富山に向かう車中の橋蔵さんと円山さん
        下段 ・一度あきらめ、二度だまされて、三度未練の別れ笠、と歌い
            まくるゼスチャーたっぷりの橋蔵さん

お正月の夜も汽車で休息をとる橋蔵さん!これも彼のファン思いの表われです!  

(9)👜若様、北陸路を行く
お正月休みも返上でファンさへビスのために巡業を続けたトミーの富山の一日を
ルポしました!

🎩一回目の公演
「トミーイ!舞台から通路に降りてきてよ!」と、客席のあちこちから歓声が飛ぶ、
飛ぶ。橋蔵さんの一挙手、一投足にも溜息と歓声が爆発する。そして乱れ飛ぶ五色
のテープの波、また波・・・。
ここは北陸は富山市の公民館。ざっと3千人は収容できる立派なところ。この広い
3階までの場内が、満員の人でうずめられている。司会者丸の内権三、助十コンビ
のマイクロホンを通した声も用をなさぬ状態なのである。
外は大粒の雪が降り続いていて寒い。一日3回の興行、これを見逃しては、再び、
いや一生、天下のトミイに逢えなくなるのかも知れない。我先に、初めて見るトミ
ーを奪いあうファンたちの波なのだ。
戦後、市の象徴として造られた、昔をかたどる富山城。鉄筋でこそ造られているが
実にすばらしい。その城と向かい合った公民館。
一回目の公演が12時から始まるというのに朝の9時から、館前に立ち並んで待ち
受けている熱心なファンたちである。
「今日もすごい入りですね・・」
「これじゃ演る方も気持ちがいいですよ。なにしろ、人気のない舞台で演るほど、
つまらないものはない・・・」
「先生も(橋蔵さんのこと)さぞうれしいでしょう・・・」
舞台裏では、満員のファンに酔い気味の裏方さんたちがささやくのだ。そして、出
演者のどの控室にも活気がみなぎっている。

🎤歌にほろ酔い
「先生、もうそろそろ出番の時間です」
と12時3分前、控室で連絡を受けた橋蔵さんは待っていたとばかりに部屋をでる。
その小走りに行く後ろ姿にもファンの前に立つ喜びがうかがわれる。開幕のベルと
共に緞帳が静かに上がる。「わあッ!」と歓声、幕が上がりきらないうちから舞台中
央に立つ橋蔵さんを目標にテープが乱れ飛ぶ。
「明けましておめでとうございます・・・」と橋蔵さん。
しかし語尾がもう人間の耳では聞き取れない程である。ファンの歓声に打ち消され
てしまったからである。
橋蔵さんお得意の洒落ッけのある挨拶に、ファンは喜び、舞台と客席は一体となっ
て、親密さを増していく。笑い、溜息、そして歓声。橋蔵さんの挙動にほろ酔うフ
ァンたちなのである。
一回の公演時間が約2時間半。橋蔵さんは和服姿で最初に挨拶をすれば、次は若さ
まの扮装で、そして最後はモーニング姿で隠し芸の「江戸っ子囃子」と「さいころ
峠」の歌をご披露・・・。「うまいぞ、ヘタクソ・・・」「冷やかす者は誰だ出て来
い・・・!」と、ファン同士の仲の喧嘩がはじまる始末。しかし、惚れ惚れとする橋
蔵さんの歌声にまたも溜息と歓声の渦に返るのだった。

👒舞台の成功
一回目と二回目の公演の間が、約30分間。一回目の最後の歌が終わるとすぐ舞台
そでに待ちかまえていた後援会の方々が橋蔵さんを中心に記念撮影そしてすぐ、裏
口で待っているハイヤーに乗り込む。これは雑誌社の仕事のためなのだ。
「富山は、取り分けて、何もいい所じゃありませんよ。でも、住んでいれば都です
わ。富山へ来たらまず見るのは、お城かしら・・・」とある婦人はいう。
その城は戦時中、木っ端みじんに爆撃されてのが、街の美化推進運動で再び建造さ
れたものだそうだ。鯱が乗っている天守閣は、薄っすらと雪帽子に包まれている。
橋蔵さんは、東京から用意していった半長靴をはき、雪球を作っては、子供の頃に
返ったように投げてはしゃぐのだ。
そうだ、自分の時間とて持てない多忙の橋蔵さん、正月2日から中旬まで北陸地帯
をかけめぐるぎっしり詰まった日程だ。このお城の広場で、数分でも息抜きをさせ
てあげよう。しかし、「さあ、二回目の時間も迫ったぞ、早く帰らなければ・・・」
橋蔵さんの辞典には疲労とか息を抜くという字は見受けられないのかも知れない。
ファンの前に立つことが披露を回復させることであり、ファンと話を交わすのが息
抜きなのかもしれない。
三回目の公演が終了したのが9時。橋蔵さんは一緒の円山栄子さんと連れだって富
山東映で挨拶。映画館のお客さまは、思いがけない飛び入りに気をよくして、「今
日の映画は安かったよ・・・」とほくそ微笑む和やかな情景もみられた。
夜10時、帆たるに帰った橋蔵さんは、今日の舞台の成功を喜ぶと共に、明日の予
定を調べるのだ。
短い富山での一日ではあったけれど、心ゆくまでにファンと親しみ合った橋蔵さん
は、夜汽車に体をよこたえるのだった。

2022.4.27
(6)●1960年3月号雑誌平凡からの記事になります。この記事と画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 橋蔵さん信濃路を行く
⛸"橋蔵さん信濃路を行く"  大川橋蔵さん  円山栄子さん

1・・新しい年を迎えて、ますます大ハリキリの大川橋蔵さんが、春まだ浅き信濃路のファンに初お目見えするために、実演の旅に出ました。橋蔵さんは松本市を振り出しに、岡谷市、長野市などでファンの声援にこたえて、水藻もしたたる若様侍や、颯爽たる殺陣を披露したり、得意ののどをきかせるなどの大サービスぶり。
すばらしい好天気にめぐまれて、実演の合間には、土地の少女たちとスケートを楽しんだり、名所旧跡を訪ねるなど、たっぷり信濃路の旅を満喫しました。

2・・カメラ片手に同行の円山栄子さんを誘って名所見物。雲一つない青空にそそり立つ松本城の天守閣は絵のような美しさです。

3・・岡谷市の近郊、塩尻峠の中腹にある池で、地元のファンの少女とスケートを愉しむ橋蔵さん、すっかり童心に返って大喜び。

4・・暖冬異変といっても、ここは信州の寒さはまた格別です。岡谷駅のホームに降り立った橋蔵さんも、凍りつくような寒さに襟を立ててブルブル。

5・・松本市を見渡す浅間温泉の旅館の庭先に立った橋蔵さん。「サムイサムイ」と言いながらも美しい景色に見とれます。

6・・「ワアー、橋蔵さんよ」と旅館から実演会場の松本市東映会館まで歩いて楽屋入りする橋蔵さんを、たちまちファンたちが取り囲んでいっしょにゾロゾロ。



2022.4.20
(5)●1960年3月号雑誌明星からの記事になります。この記事と画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 若さま、姫さま ラッキー豆まき他
👘トミイ*信濃の旅日記  大川橋蔵さん  円山栄子さん


1・・ おなじみの円山栄子ちゃんを旅の道連れにした、今年のスケジュールは松本・長
野と春を待つ信濃路めぐり、善光寺にもお詣りしましたが、トミイ曰く「ウシじゃなくて、ザッシにひかれて善光寺詣りだ」
2・・ 汽車へ乗っても降りても、ついているのはファンとカメラマン「名物おそばを食
べる暇もないよ」
有名税ですよゴメンナサイ
3・・群がるファンを押し分けて歩くのにも大騒ぎ「寒いところだと聞いてきたけど、
ぜんぜん汗だくさ」
4・・日本のスイス岡谷では、スケートを楽しく滑りましたが、土地のファンのように
うまくいきません。剣をとったら日本一の殺陣を見せるトミイも、相手が氷ではスラリツルリ、どうも頭の痛いことです


(4)●1959年10月号 雑誌平凡からの記事になります。この記事と画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 1959年平凡10月号から
🐧せせらぎ聞いて"つめたいデイト" 大川橋蔵さん 中村玉緒さん

蒸し風呂の中にいるような京都の夏の暑さにたまりかねた橋蔵さんと玉緒ちゃんは、
せせらぎの聞こえる涼風の地、鞍馬山のふもと貴船へ逃避行を試みました。
「ああ、やっと人間らしい気持ちになれたヨ」
「ホントに涼しいわねエ。クーラーのある部屋にいるみたいだワ」
貴船は真夏の午さがりのデイトには最高です。
(画像)
1・ 「なんだか街へ帰るのがイヤになっちゃったワ」
  「この次の休みに、また来ようヨ」
2・・ あまごは貴船の名物です。
  「ぼくも一つ釣ってみようか・・・」
   剣の達人橋蔵さんも、釣竿はなかなか刀さばきのようにあざやかにはいきませ

3・・あまごのから揚げで一杯やって、ゴキゲンの橋蔵さんです
  「もっとビール冷やしてくれよ、玉緒ちゃん」
4・ 「あ!かかったかな・・・」
  「早く釣って食事にしましょうヨ!お腹がペコペコ」
5・ 「この西瓜食べると、お腹の中まで冷えそうネ」
   せせらぎで冷やした西瓜の味は、また格別です


(3))●1957年11月号 雑誌近代映画からのピック・アップになります。(livedoorブログにリンクしています)
➡➡ 今月のトップスターより・・・①
◇ロケ宿に憩いあり
いつもは江戸を舞台にした橋蔵さんのシリーズもの「若さま侍捕物手帖」も、初の天然色ワイド作品のこととて、今回の「鮮血の人魚」は、スリルとワイド感をもった海に舞台が移り、人魚が事件に重要な役割を占めていますので、橋蔵さんはじめ、千原しのぶさん、大川恵子さんたちのスターや、深田金之助監督などのスタッフの一行が、紀州和歌の浦海岸にロケーションを決行しました。
ギラギラと太陽の下に暑い撮影をくりひろげた橋蔵さんも、ロケ宿に帰ればこの通りゆかたに着かえたひとときをすごしました。


1.庭に降りたてば、日本趣味の庭に東京を思い出します

2.一番いこうか!と、ロケ前の一刻、将棋で過ごします


(2)●1957年夏号 雑誌からのピック・アップになります。(livedoorブログにリンクしています)
ごひいきスター読本から・・(1)

A◆ダンディな橋蔵さん  
いつも朗らか! そして気っぷの良い江戸っ子橋蔵さんの魅力アルバムです。

「洋服でもネクタイでもワイシャツでも、必ず自分の好みに合わせて買い、気に入らないものは身につけません」とは、大川橋蔵さんのお洒落のべんです。
モダンな、そしてスマートな橋蔵さんは、柳橋に生まれ現在は芝に住むという江戸っ子らしい明るいセンスの持主なのです。(京都博物館にて)

B◆某日某日写真日記
旅館の一室で目覚めた人気スター橋蔵さんのこれは忙しいある日です

作品の撮影中に休めるのはほんの数日、そしてこの作品が終わりそうになるともう次の作品が待ちかまえている橋蔵さんにとって、たまの休日ほど愉しいものはありません。
休日の前夜、自由な一日のスケジュールをたてるのも彼の愉しみのひとつです。
「次の作品まで、せめて5日位休めるといいんだけどなあ」という独り言も、「いやいや今はまず仕事第一だ、わがままをいってはいけないぞ!」という自戒の言葉で打ち消してしまう橋蔵さんです。
ところでその待ちに待った休日は?ゆっくりと起きて、ファンレターの整理をしたり将棋をさしたり、午後からは街に出て買物を、また映画館に入って先輩たちの作品を勉強がてら鑑賞したり・・・。というのが日課のようです。

橋蔵さんの一日は、先ずは起きて洗面することから始まり、必ず正座をして朝食をとり、
旅館の犬にあいさつをしてお出かけします。買物は好きなネクタイは見つかったのでしょうか、理容室で散髪。
帰って来て、ジュースを一口飲むみホッとした開放感を得て、将棋をさし楽しみます。
新聞に目を通すのは大抵夜になってしまいます。

C◆川釣りの味
子供の頃は、よく隅田川で釣りました、とマニヤの橋蔵さん、今日は保津川へ!

「僕が釣道具を持って隅田川へ現れると、魚が恐がってみんな逃げ出したものですよ」
橋蔵さんは撮影寸暇の釣りのひと時にこんな冗談を飛ばします。
懐かしい子供の頃の想い出を、一本の釣竿の感触にたくしてじっと水面を見つめる橋蔵さんの横顔は、こんな冗談も吹き飛んでしまうほど、やがて真剣さを加えていきます。
そして、魚を釣りあげた表情は百万ドルのあの微笑と変わるのです。

D◆スター都大路をゆく
  🍀わが愛する京の街    大川橋蔵



霧のかかった東山の峰々は絹の感触を想わせ、小ぎれいに整理された古い町並みは、時代劇のそれを思わせる良き都、これが僕の京都の印象です。
舞台当時は度々京都へ来ましたが、さして良いところとは思いませんでしたが、京都生活もそろそろ2年、あちこちを歩きまわるようになって、最近京都の街の良さが分かって来たような気がしました。
繁華街にはさして見るべきところもありませんが、行きずりにふとすれ違った女性の後ろ姿に、日本的な美しさを見いだし、珍しい香の匂いを感じるとこの街に住む人達のゆかしさをも感じるのです。
仕事のせいもあって、僕もこの街にこれからも住むわけですが、京都の街の古さや良さを充分に取り入れた建築の家と、奥ゆかしい庭を持つ家に住みたいと思っています。

(1)●「橋蔵さんが京の名所御案内」・・(1957年初春発売 雑誌から)
この画像は、livedoorのブログ"心の軌跡"のほうの掲載記事とリンクさせています➡ 好青年橋蔵さんのグラフからいろいろ
すっかり京都生活に馴れた橋蔵さんが紙上で皆さんを京都へ御案内してくれます。
「生まれは柳橋だし育ちも東京だから、僕はチャキチャキの江戸っ子。だから、こんなに静かな所をゆっくりと散歩するなんて珍しいな」
といっていた橋蔵さんが、今日は、久しぶりの休日とあって、京都の名所めぐりに出かけました。
まずは、京都市街の中心にある京都御所、春ともなればチラリホラリとアベックの姿が見られますが、イタズラ好きの橋蔵さん、後日の参考にと、愛用のカメラでパチリパチリ。
続くは市中を縦断する加茂川、「水清きせせらぎをきくのもいいね」と大いにご満悦の感でした。
車は走って二条城「どこかで見た事があると思ったら撮影所にもちょくちょくお城が作られますよ」と、スマート・ボーイの顔がほころびます。
今日一日の愉しい名所めぐりが。「修羅時鳥」「若さま侍捕物手帖」と続く新年度の橋蔵さんの作品の、仕事への意欲に大いにプラスせなったようなひとときでした。

画像
1.二条城・・・・堂々たる偉風をはらって市の中心部にそそり立つ建築物
2.本願寺・・・・信心厚き人達の詣でるこの境内は人に良くなついた沢山の鳩が人気の中心となっているのです
3-1.京都御所・・場所は京都市の中心部、静かなサラリーマンの憩いの場所
3-2平安神宮 ・・赤い鳥居もきらびやかなこの神聖な地は彼の最も愛す場所
3-3.京都駅・・・数十万の人を案内させます
3-4.加茂河原・・水清き加茂川の冬は美しい友禅の水洗いなどが美を添えて
3-5.金閣寺・・・水藻にキラキラと照り輝くこの美しさは、小さい時に来た橋蔵さんの記憶を思い出させます
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