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Brog Of Ropesu
Act 2 十の戒律
十の戒律
●◎●
「報告します。『ミクトランテクゥトリ』はターゲットの捕縛に失敗。あまつさえ我々から離反した模様です。」
日真町への玄関口とも言える、駅構内に佇む影が一つ。
辺りに他の影は見られず、足音が響くがらんどうと化している。
地方のターミナルであるこの駅は、平日、休日と活発な出入りがある。
だが、終電も終わり、職員も帰宅した今の時間帯となっては、その昼間の活気はまるで遠い日の夢の様に虚ろである。
そんな、空虚な廃墟のような空間で、黒く無骨な、まるで無線を思わせる携帯電話を取り出すと、細目の柔和な表情をした青年は折り目正しく電話越しの相手に連絡を告げた。
「そう。」
返ってくるのは、ただ一言。無機質な声である。
電話越しなので多少機械的になるのは致し方無いと言えるが、それをありあまって声からは何の感慨も伺えない。
「どういたしましょうか?これは、計画とは狂うのでは無いですか?」
そんな相手に多少不信感を覚えながらも、青年は続ける。
「予測範囲内。問題無い。むしろ計画通り。」
やはり何の抑揚もなく応じる。書かれた台本を素人が棒読みするような話し方である。
「・・・・どういう事ですか?僕には少し意味が・・・」
異質な相手に尻込みしつつ、青年は眉根を寄せる。
「そのままの意味。『ミクトランテクゥトリ』に対象の捕縛は無理とは判っていた。こうなったのは規定事項。必然。」
淡々と、要点だけを用いて話す。合理的ではある。
最も、相手との親睦を深める、といった点で見れば、それは皆無と言えるが。
単語と僅かの助詞で作られた文を、青年は、理解しやすいよう頭の中で噛み砕くと、文を再構築して言葉の意味を推察する。
「・・・なるほど、そういうことですか。体よく役立たずな厄介者を処分してしまう・・・そういう算段だったワケですね?
例えターゲットを始末出来なくても、『ミクトランテクゥトリ』が返り討ちに遭えば、空位が一つできる。実に合理的ですね。」
元々細い目を、さらに細めると、相手を賞賛するようにクスクス嗤う青年。
「どうとってもらっても構わない。」
対照的に依然、平坦な口調で答える。
「で?今後はどう動くべきでしょう?僕はいつでも動くことが出来ますが。」
表面上は凜として取り繕うが、やはり愉悦の感情は隠しきれない。
嬉々とした含み笑いが口の端から零れる。青年は今すぐにでも行動したい気持ちを抑えながら、自分に任せてくれ、と暗にアピールしているようだ。
「二人の処遇は任せる。好きにしていい。」
「それは、必要とあらば廃棄処分しても、構わない・・・と取ってもよろしいのでしょうか?」
自分の希望がすんなり通り、笑いを堪えきれないといった具合いに俯く青年。
「全て任せる。」
「了解しました。」
口元をいやらしげな形に歪めると、青年は電話を切る。
その笑みは、ねだっていた玩具を与えられた子供のように無邪気であどけなく、純粋で
―――そしてその分、残酷な笑み。
「くくくく!はははは!あーはっはっは!!」
天を仰ぎながらの哄笑は、終電を終えて無人となった殺風景な空間に反響した。
●◎●
「おばさん?この飾り付けは何ですか?」
幼い少年が部屋中に装飾を施す、妙齢の女性へ尋ねる。歳の頃は20代の後半といったところか。
「こーら。『おかあさん』、でしょ?今日はクリスマスじゃない?飾り付けするのは当然でしょ?」
少年にとっては、それこそ見上げるようなモミの木に、星や雲に見立てた真鍮の玩具、ランプなどをとりつける女性。
「クリスマス・・・ですか。それは外国の神様の誕生祭ですよね?自分が今より幼い時に世界中の宗教は消えてしまった・・という話を聞いているのですが・・・」
年齢に相応しくない小難しい理屈をこねる少年。
「あら?物知りなのね?そうね、確かにそういう事で世界中は大騒ぎになったわよね。」
今は、大分あの頃と比べて落ち着いてきたけど、おかあさんが今より若かった時はもうすごかったんだから、と、少年のそのあどけない愛玩動物を思わせる頭をそっと撫でる。
「でもね。こういうモノはね、人が楽しく生きよー、とか、暗いことなんかあっちへ行っちゃえー、って気持ちさえあればいつまでも伝えられて行くものなの。例え本来の意味を失ってしまっていても、それに負けないくらい素晴らしい意味があるものよ。」
「そーだよー。今日は、私、サンタさんがやってくるの今からワクワクなんだよー!」
おかあさん一人で飾りつけしちゃってずるいー、と言いながら少女がリビングへと現れた。
その荒い呼吸から判るとおり、どうやら急いで走ってきたようだ。
「私と一緒にやるっていう約束破ったー!うそつきうそつき!!」
両手をグーにして、ポカポカという可愛らしい音で、女性を叩く少女。
だが、語気に負の感情は見られない。恐らくは甘噛みや、じゃれると言ったものに分類される行動であろう。
その証拠に、女性が、一言ごめんね、と誤ると、すぐに攻撃を止め、少年のもとへと駆け寄ってくる。
「ねぇねぇ?瞬君は、サンタさんに何をお願いするの?」
「あ・・ぅ・・・えっ・・えっと・・・・」
そう聞かれた少年――――瞬は、急な振りに逡巡する。
「私、今年はプレゼント要らないんだよっ!去年のクリスマスはサンタさんにすーーごっいプレゼント貰っちゃたんだからっ!今年は会ってお礼だけしたいんだー。」
一方的に、まくしたてる少女。どちらにせよ、瞬の回答が入り込む余地は無かったようだ。
瞬はそんな少女の様子をみて、彼女らしいな、と忍び笑いした。
「あら?プレゼントは何だったかしら?」
女性は頬の人差し指を当て、回想しようとする。
「もう!お母さん!忘れたのっ!去年のクリスマスは瞬君が私の弟になった日だよっ!」
そうね、瞬ちゃんが家族になった日よね。と柔らかに微笑む女性。
「でも、瞬ちゃんはどちらかというと、お兄さんよね。」
と、ポンポンと、少女の頭を軽く叩く女性。
「むーー!私が一番お姉さんなんだから!」
ぷーと頬を膨らませる少女。
「うん。光子ちゃんは、僕らのお姉さんだよ。」
瞬はそんな少女のふくれっ面を見て、あははと笑う。
「あら?ふふ、瞬ちゃんはやっぱり大人ねー。光子ちゃんも少しは見習いなさーい。本当に大人になったら、瞬ちゃんに見放されちゃうわよー。」
「もうっ!おかあさんのバカバカっ!それよりも、ねっ、瞬君!これからもずーっと私たち一緒だよねっ!」
―――――――――――――――――――――――
―――――――――――――
――――――
「瞬君!瞬君!起きてよー!!」
ベッドごと体を激しく揺さぶる行為に、瞬はしぶしぶ目を開ける。
「あ、起きた起きた。もうっ!子供みたいに全然起きないんだから、一瞬死んじゃってるのかと思ったんだよ。」
覗き込む様にして、瞬の眼前に未来の顔が寄せられている。
「うん。ずっと一緒だ・・・ってぬああっ!!」
そのあまりの至近距離にある未来の顔は、少し頭を傾けただけで口づけを交わしてしまいそうなくらいにある。
その目覚め一番の衝撃に、寝起きの悪さが壊滅的な瞬は未だ半分夢路にいたが、一気に覚醒した。完全に不意を突かれた出来事に動揺を隠す暇も持てなかったようである。
「????『てぬああ』って何?良く判らないけど朝から元気なんだねっ!」
自分の優れた容姿に自覚が無いのか、笑顔いっぱいネジが二、三本抜けた返答をする未来。
健全な思春期男子なら、これほど可愛らしい少女に顔を近づけられたら卒倒ものというものであろう。
自覚があるのならば、とんだ小悪魔ではあるが。
「う、うむ。まあ、そう言うことだ。して、朝から如何なる用か?」
狼狽を晒した事により、さらに動揺する瞬は支離滅裂な会話のキャッチボールをする。
「んとね。ミラージュさんがー、『どうせ起こされるなら女の子がいいだろー!じゃ、俺っちは先に行くー』って言って頼まれたから起こしにきたんだよ。」
樹の口調と動作を真似しながら解説する未来。
それが、妙に似ていたので瞬は吹き出しそうになるのを堪えるのに必死だ。
「と、とりあえず礼を言う。すまなかったな。」
「あ、じゃあ、私はもう出掛けるね。ミラージュさんが付き合って欲しいって場所があるらしいみたいなんだー。」
そう言うなり、またねーと、手を振りながらラッシュ通勤中のサラリーマンの様に、駆け出て行く未来。
警戒を怠らないようにと、忠告しようと思っていた瞬であったが、あっという間に出て行ったので、そのタイミングを逃してしまった。
だが、樹と一緒なら多少のことでは平気だろうと思い、瞬は朝飯の支度をする事にした。
登校中、瞬は昔の夢を見ていたせいもあり、いつにも無く苛ついていた。
―――幸至光子、幼馴染みであり、家族であった少女。
本当の姉弟では無かったが、それ以上の感情を抱いていた。
瞬にとっては誰よりも大切であった少女。それは恋愛感情に近い、思慕の念。
だが、彼女は自分を恐らく弟としか見ておらず、その心は総一へと向けられていた。
それに気付いたとき、落胆の色は隠せなかったが、彼女が幸せならば、それで良かった。
総一も大切な親友の一人である。全力で応援するつもりでいた。
しかし、その思いは無情にも砕かれてしまう。
一年前、「黄昏の夜」を巡る争いの渦中に巻き込まれ、その短い生涯を閉じてしまう事となる。
無惨にも腹をこじ開けられ腸を引きずり出され殺されたという、光子。
始め、その話を総一から聞いた時、何かの悪い冗談だと思った。
そして、その言葉を脳が徐々に理解したとき、総一に八つ当たりに近い激昂もした。
真実を受け入れられないし受け入れたくもない。
今でも、思い出す度に、足下がふらつきそうになる。
―――自分はいつもそうだ。大切な、守りたかったモノほど、手からこぼれ落ちてしまう。
そして、突如目の前に現れた少女、未来。
彼女は驚くほど光子に似ていた。顔は勿論、纏う雰囲気すらも。
長い付き合いであった瞬ですら、見紛うほどだ。
あの少女は非常に弱い。精神面では、むしろ強いと言えるが、まず戦いに赴くような人柄では無い。
誤報とはいえ、仮にも自分は『黄昏の夜』『瓦礫の王』という、二つの歪みを粛正している、という事になっているのである。
・・・そのような相手に、あんな少女を送り込むだろうか?
―――答えは否。そう、あの少女は、まさしく自分に殺されにきたのだ。
自分が死ねば、そこが空位になる。それは、視点を変えて見れば彼女も同じである。
実際問題、離反した者を連れ戻そうと説得するよりも、消してしまった方がより効率的である。
そして、その対象が一筋縄では行かない相手では、弱い者を当てそちらを体よく消去して貰った方がより効率的かつ現実的な策と言えるだろう。
聞けば、未来は自分を連れてこいとの命令しか聞いてないらしい。
詳しいことは判らないと、そう話していた。まさしく、その裏付け、証拠である。
「朝から反吐が出そうだな・・・・。」
そう誰ともなく呟くと、瞬は人知れず歯ぎしりをした。
教室へと入ると何やら騒がしい。
普段でも、朝の授業が始まる前の教室というものは都会の高架上に負けないくらいの音が溢れているが、今日は、飛行場と言ったところだろう。何時にもまして、ざわついている。
「なんかね、三丁目にすーごくでっかいお化けが出たらしいよ!包帯グルグル巻きでー・・・」
「うんうん!私も似たような話聞いたよ!」
「え?俺が聞いたのは、鳥の頭をした人間だって・・・」
瞬の嫌な予感は的中した。噂というものは、とかく広がりやすいモノである。
加えて尾ひれがついて内容もバラバラで混沌としている。
特に未来の能力解放時の姿は奇怪の一言に尽きる。あれだけ目立っては、噂にならない方が異常というものであろう。
「あ、あのあの・・・私、実際に見たんですぅ・・・みんなの話と違うんですけど・・・二足歩行する、人間みたいな犬さんを・・・」
「黒崎さんは恐がりだから、大型犬を見間違えただけじゃないか?」
「ち、違いますぅ・・・ほ、ホントなんですよぅ・・目がギラギラってしてて、なんか洋服まで着てて・・・」
「黒崎、その大きい犬とやらを見たのは真実であるのか?」
おどおどと話す少女、黒崎朋香に瞬は問いかけた。
「はうわっ!じ、神風君・・・えぅああ・・あ、わ、私が見たのはホントに一瞬で・・・み、みみみ見間違いかも知れないんですぅ・・・」
朋香は突如話しかけられた衝撃からか、顔を紅潮させ狼狽し、いつにも増して挙動不審な動きをとる。
瞬は、朋香の話を聞き安堵した。噂は広がってしまったが、幸か不幸か、都市伝説、又はそれ以下の噂に収まりそうである。
未来は確かに目立ちすぎたが、それ故、話が誇張され行き交っているようだ。
未来の姿は、犬や鳥とは似ても似つかない。木陰の大事、という言葉もあるように、大きすぎる噂は様々な情報が飛び交い、真実と虚構がないまぜになって、信憑性が減少するものだ。
「で、でででも・・・一年前の事件に似てて、私は・・・また、ひっく・・お姉ちゃんがいなくなったみたいに・・・ひっく、誰かがいなくなったら嫌ですぅ・・ひっく。」
目に涙をためて、ぎゅっと瞬の学生服を握る朋香。
黒崎朋香の姉は、一年前に行方不明になったという。今は大分落ち着いて来たが、当時は泣いてばかりで心神耗弱、心ここにあらずといった感じであった。
詳しい事情は判らないが、行方不明という事は、遺体が見つからないという事であろう。
時期的に考えて、遺体の判別、人数すら判らない程、酸鼻な惨状を産み出した「六槍晃事件」に巻き込まれた可能性が高い。
―――六槍晃事件。一年前、日真駅のロータリーで人気ロックミュージシャン六槍晃(りくそう あきら)が、見るも無惨な姿で発見されたという事件である。六槍だけでなく、周りには原型を留めていない不特定多数の肉塊と血のプールがあったという。
その有様は阿鼻叫喚の一言に尽き、風船が弾けたように肉片が散らばる現場は、まるで肉の絨毯を敷き詰めた様に人間だったモノが視界いっぱいに溢れていたという。
目撃者もおらず迷宮入りし、今でも犯人は捕まっていない。
だが、それは一般での報道で、その場に総一が居合わせていた事を瞬は知っている。
しかし、総一がそこで何があったのかまでは黙して語らないので、詳細までは判らない。
彼の場合、喋らないという事は、口を開く必要が無いと言うことと同義である。
恐らく解決している事件なのであろう。故に、瞬は敢えてそれをほじくろうとするつもりはない。
勿論、単なる行方不明の可能性もあり得るが、朋香の姉は、女医という、立場のある人間らしい。加えて、妹の朋香にべったりであったという。
そんな人物が誰にも何の連絡も無しに蒸発するだろうか?時期、状況的に前者の公算が大きい。
そんな思考を巡らせながら、瞬は朋香の頭を撫でる。
心がそれを中々認めないだけで、姉が帰らぬ人になっている事に、朋香も頭では理解しているだろう。
だから、下手に気休めの言葉をかけても、彼女を逆に苦しめてしまう。そんな思いから、瞬は彼女が安心感を得られる様に、無言で受け止めた。
「ふわっ・・・神風君・・・あの・・その・・あぅあ・・・」
朋香は水をかけたら蒸発しそうな顔色に変化し、ろれつが回らなくなる。
「うむ。泣きやんでくれた様だな。主は笑顔の方が素敵であるな。」
朋香を見つめ微笑む瞬。
「・・・・・・・・!!」
絶句する一同。朋香に至っては意識が宇宙の彼方に飛んでいってしまったようだ。
「ねぇねぇ?神風君と黒崎さんって付き合ってるの?」
「黒崎さん・・狙ってたのになぁ・・・」
「ああ、俺もだ。幸至さんが転校しちゃった今じゃ、唯一の学園アイドルだもんなぁ・・」
「神風君だって私たちのアイドルよっ!」
「それはショタのあんた達だけでしょう?わたしはやっぱり大人の魅力の世良君よねー。」
「なんだなんだなんだぁっ!朝っぱらから教室でよぅっ!これはなんつードラマだぁ?脚本家出しやがれっ!ちくしょうっ!その位置にいるのは俺だっつーのっ!おのれっ!瞬坊っ!俺の黒崎さんになんてみだらな悪行三昧をっ!」
ひそひそという皆のざわめきを割って三河が絶叫する。
なんで俺だけもてないんだーっという悲痛な主張は教室全体に響き渡る。
「そういえば、転校生が来るらしいぞ、瞬。」
ちょうど登校してきた総一が、例によって三河を無視し、瞬に話しかける。
既に定型詩となりつつある、無視すんなー!という三河の叫びが何とも痛々しい。
「・・・転校生とな?」
「ああ、新しく女の子がこの学校に来るらしい。今朝方なんか知らんが優衣がそんな事を言っててな。あいつは学校違うのにどっからそういう情報を仕入れてくるんだかねぇ・・」
やれやれとばかりに肩を竦める総一。
「転校生は女の子だとっ!これを楽しみにしなくて何を楽しみにするんだ!」
グッと拳を握り、力説する三河を横に、瞬は再び嫌な予感を感じ取っていた。
「お前の頭はそれしか無いのかよ・・・。」
三河に呆れつつ、総一はとりあえずその言動につっこみを入れると、今頃精神旅行で、冥王星遊覧ツアーを行っているであろう朋香を、太陽系第3惑星へと連れ戻す事にした。
「えっと・・・みなさん!初めまして!転校生の幸至未来です!うんとね、判らない事ばっかりですが、仲良くしてくださいっ!」
転校生が入ってくるなり挨拶するのを見て、瞬は唖然とその光景を見つめる。
やはり樹に任せたのは失敗だった。開いた口がふさがらないとはまさにこの事だ。
嫌な予感は再び的中したのである。そんなものは当たらなくても良いから、懸賞の一つでも当たって欲しいモノだと瞬は本気でそう思う。
しかも、この転校生は、転校生と怪異、二つの意味で噂の渦中であるな。と皮肉った。
一同は一斉にざわめきを作り出す。
「急な都合で、去年転校した幸至の親戚だそうだ。それでは幸至はそこの・・・黒崎の隣の席が空いているので座ってくれ。」
所々でヒソヒソと会話を交わす囁き声が聞こえ始める。
彼女の容姿が美少女にカテゴライズされる事も原因の一つではあるが、どうやら皆には「転校した」という事になっている光子に瓜二つ故に、格好の話題になっているようだ。
担任の教諭の指し示す席に未来はみんなの注目を全身に浴びながら向かう。
当の本人は自分が目立っている事に気付かず、何ともお気楽な様子である。
「あ、あのっ、そ、そのっ・・・幸至さん。」
朋香は未来が席に着くなり握手を求めるように手を差しのばす。
気が弱く人見知りの激しい彼女の性格を知っているクラスメートは、その彼女らしからぬ行動に目を見開いている。
「うん!よろしくね!えっと~・・・」
「黒崎・・・黒崎朋香ですぅ・・・」
朋香は頬を染め俯きながら名乗る。
「これで私たちは友達だよっ!朋香ちゃんっ!」
未来はそう言うなり、力強く朋香の手を握り返し、堅く握手を交わす。
「・・・えっ?い、いいんですか?幸至さん?あわわわわ・・・」
「未来って呼んでねっ!朋香ちゃん!」
朋香の紅潮はさらに激しくなり、その紅に彩られた髪との区別が曖昧になった。
「む、胸が無い・・・・。」
一方、激しく落胆する三河は、そう呟くと机に突っ伏した。
どうやら未来のプロポーションは彼の期待に添えられなかったようだ。
瞬は、そんな三河の様子を見て、どうやら未来は三河の魔手から逃れられた様だ。と、安堵すると同時に、メンタルホスピタルを勧めるかどうか迷った。
「幸至・・・・未来・・・か。」
そんな賑やかになった空気の中、教室の隅の席に座る総一は、誰にも気取られないような、小さな呟きを漏らした。
そんな乱痴気騒ぎの一歩手前な程の騒がしさとなった朝のHRが終わると、未来は呆然と事の成り行きを見ていた瞬に近付き、耳打ちする。
「あのね、なんか私は幸至って人にすっごくそっくりらしくて、その人の名字を借りるようにミラージュさんに言われたんだよっ。でも、ホントにそっくりみたいなんだねー、さっきからみんな驚いてる驚いてる。」
クスクスとイタズラな笑いを浮かべる未来。
「しかし、よりにもよって学校とは・・・もっと他には無かったのか?目立つにも程がある。いや、一般の生徒がいるし、閉鎖的空間である学舎はある意味安全であるか・・・。
しかし、相手は巻き込む事を厭わない十戒・・・一長一短という事か。後は相手の出方次第とも言えるな。」
「そこんとこは全然OK!なんとかなるなるっ!それにね、私も用心してるんだよ?」
ほら、と両腕を捲ると、瞬の前へ差し出す未来。
それらは包帯を纏い彼女の肌は覆い隠されている。
「いちおーね、両腕だけはいざってときの為に武装してきたんだよー。」
ピースサインを瞬へと向ける未来。
「間違えた日本語を用いた時点で、安心感は下がるのであるが・・・。『全然』は否定の言葉の接頭語だ。」
そのお天気さを見て、前途多難になりそうな予感に瞬は深い溜息を吐く。
彼女の楽観思考は長所であると同時に短所でもあるようだ。
「意味は通じるンだから問題無い無いっ!それにしても、そのー光子、って子に会ってみたいなぁ・・・自分にそっくりな人ってなんだかワクワクのドキドキだよぅ!」
目を爛々と輝かせる未来。好奇心が抑えきれない、といった感じだ。
「悪いが。彼女に会うことは無いだろう。彼女は・・・・遠いところに、手の届かないくらい遠い所に行ってしまったから・・・な。」
遠い目をする瞬。
「ほぇーそうなんだー、残念だなぁ。」
「で、話を戻すが。まぁ、確かに学校の件については些末な問題と言われればそうかも知れぬな。俺としては、良く見ても小学生。かなり無理をしても中学生にしか見えない主が、この高校の最高学年に転入できた事の方が大問題といった所だ。教育委員会をバッシングしたい気分であるな。」
「むむむむ~!!!な、何でいつも余計に一言多いのかなっ!ちょー失礼だよっ!大体瞬君も人のこと言えないんじゃないかなっ!」
未来は、口を三角にすると抗議を始める。
「昨日から、瞬君はちょっと私の事バカにし過ぎ・・」
キーンコーンカーンコーン・・・
だが、そのプチ談判は無情にも途中で、授業開始を告げる学校のチャイムに阻まれる。
「うむ。予鈴が鳴った。これに基づき着席するのが学舎の規則なのだ。早急に従うが良い。」
「ミラージュさんに学校のノウハウは聞いたから大体知ってるんだよっ!もうっ!」
ドシドシと大股で自らの席へ帰って行く未来。それを見送ると瞬は、机にだれる。
何よりも朝から未来のテンションは、基本的にローギアな人生を送る瞬にとっては、厳しいものがある。
昨日の疲れもから余計にそう感じていた。例えるならば起き抜けで食べるピッツァのようだ。もたれる感覚に近い。瞬は、授業開始と共に寝ることを決意した。
淡々と授業は進められ一日が過ぎていく。
各休み時間では未来はクラスメートに色々聞かれて引っ張りだこと言った様子である。
特に男子の、所謂「ロリコン」という特殊な性癖を持つ輩には絶大な支持を得て、小さいファンクラブの様なモノまで出来てしまった。
本人が何も判っていないのが、唯一の救いと言った所であろう。
「おい!瞬坊っ!起きろっ!メシだ!メシ食いに行くぞっ!」
午前中の授業が終わり、食事休みを告げる鐘が鳴ると同時に、三河が朝から寝たままの瞬の傍へ向かう。
「しっかし、毎度の事ながら、こいつは良く寝るなぁ・・・。ある意味病気だぞ、これは。」
三河に続き、総一も瞬の机に向かう。
じゃあ、いつもの行きますか?という合図と共に、総一は瞬の机を引き、同時に三河は瞬のイスを蹴り飛ばした。
派手な音を響かせながらイスは瞬の元から脱離する。当然支えを失った黒髪の少年は床に崩れ落ちた。
「む?ここは何処だ?俺の家では無いようだが・・・?」
両眼を擦りながら目覚める瞬。
「あー・・・・・」
心底呆れたように溜息を吐きながら、後頭部を掻く総一。
「お前さ、ぶっちゃけ精神病なんじゃねぇ?」
総一と同様の仕草をしながら三河は、瞬の頭にポンっと手を置く三河。
「俺は、その言葉そっくりそのまま、お前にも言いたいよ・・・」
その様子に、嘆くように呟くと、総一はさらに深い溜息を吐いた。
「まぁ、今更言うことでも無いな。瞬、さ、メシ食いに行くぞ。」
気を取り直すと、床に倒れたままの瞬に手を差しのばす総一。
「うむ。すまぬな。」
「あ、起きた起きた~。瞬君全然起きないから私はビックリしたんだよ~」
獲物を狙うような狩りのサークルを形成され、質問攻めにあっていた未来も、瞬の目覚めに気付き現れる。
その陣形を象っていた男子生徒達のカルト宗教じみた目付きが突き刺さり何とも心苦しい。
未来の頭に朝の一悶着は綺麗さっぱり抜け落ちているようだ。
単純という言葉がこれほどまでに合致する少女も珍しい。
「ミクちゃん、こいつはいつもこうだぜ?心配するだけ無駄無駄。一体一日何十時間寝れば気が済むんだかねぇ、どうも。」
ぺしぺしと、瞬の背を叩く三河。
「ん?幸至さんは瞬の知り合いなのか?」
片眉を下げながら問う総一。
「ああ、彼女は・・・」
「私は瞬君の家に下宿させてもらってるんだよ!」
瞬が言い終えるより先に、即答する未来。
その言葉を聞くなり総一は、ぴくりと反応するなり、口を噤む。
「だああああーーー!!!なんだなんだぁ?そのベタなラブコメみたいな展開はようっ!羨ましすぎて・・・もうっ!ばーかっ!おまえら、みーんなばーかっ!」
―――一方、頭を抱えた三河が魂の咆哮を上げる。
そんな奇行を目にしながらもクラス一同は目もくれない。
慣れと言うモノは凄いものだ、と瞬は思う。まっとうな初対面の人間ならば、携帯電話の『1』を二回、『0』を一回押している所だろう。
だが、この場で目を白黒させているのは未来くらいのものだ。
「ところで、今から食事をしに学生食堂に向かうのであるが、主もどうだ?」
「うん!行く行くっ!私、お腹ペコペコだよぅ~。」
言うなり、ゴゴゴゴ・・・と、未来のお腹から地震兵器を思わせる程の腹の虫が唸りを上げる。
「えへへへへ・・・朝、忙しくて何も食べてなかったんだよぅ。あ、そ、そんなことよりさっ!朋香ちゃんも一緒に行こうよっ!」
お腹をさすりながら照れ笑いをする未来は、たまたま近くを歩いていた朋香へと話題を振る事で、話を逸らした。
「ふぁっ!み、みみみみみ皆さんと一緒にででででですかぁ!」
不意をついた誘いに、焦る朋香は散々噛んだあげく、近くの机に脚を引っかけ、鳴ってはいけないような鈍い音を伴いつつ、ずっこけた。
「と、朋香ちゃん!」
その見事なまでのコケざまに、あたふたする未来、苦笑しつつも手を差し伸ばす総一、そして白パンツっ!と勝利の雄叫びを上げる三河、三者三様の反応を見て、性格とはこういう時に出るモノであるな、と瞬は思った。
「はい!是非、ご一緒させて下さいです!」
心配は杞憂であったらしく、立ち上がるなり力一杯返事をする朋香。
その目は何故か炎のように気力に満ちあふれ、闘気のようなモノまで幻視できる。
いつにも増して積極的な朋香に、総一と瞬は瞠目する。
そのとき、三河は一人、影で小さくガッツポーズを決めているのを、瞬は見逃さなかった。
「よくよく見てみると、申し訳程度の膨らみしか無い、薄っぺらな胸以外のビジュアルは完璧ではないかっ!ミクミクたんたんはっ!光子ちゃんはなんか総一にぞっこんっぽかったから望み薄だったけど、未来ちゃんはいけるんじゃ・・・ちょ!おい!俺の時代が来たぜぃ!!」
学食に着き食券を券売機で買うなり、瞬の肩に腕を回ししつつ絡む三河。
総一、未来、朋香らは、麺類を食べるらしく、丼物を食べる三河と瞬とはカウンターが違う為に別行動だ。
「あーでも黒崎さんと二股って事になっちまうなぁ・・・う~ん、難しい二者択一だ。」
くぅ~!贅沢な悩みだぜぃ!と唸る三河に、瞬は、本当におめでたいヤツだな、とある意味三河を尊敬した。
きっと、脳内では年がら年中リオのカーニバルクラスの盛大な祭りが繰り広げられているのだろう。サンバのリズムが今にも聞こえてきそうだ。
「何でも良いが三河。主の守備範囲は相当広いのだな。野球で言ったらメジャーも夢では無いぞ。あれは小、中学生と言った類のモノに近くは無いか?」
皮肉めいた嫌味を返す瞬。
「あーまあ、そうだけどな、俺的には可愛ければAny thinks OKなのだっ!お前も漢なら判るだろう?この俺に滾るソウルがっ!」
拳を堅く握り、誇らしげに胸を張る三河。ある意味、熱血ではある。
「うむ。三河が良く判らないヤツだという事がよくわかった。」
三河に嫌味が通じない事を悟ると、瞬は、なんだそりゃっ!という三河の抗議を無視し、さっさと券を交換し、総一らが先に待っている席へと、そそくさと向かった。
「未来さんは、神風君と仲が良いんですね。元々のお知り合いだったのですか?」
誘われてからずっと落ち着かない様子の朋香であったが、食事と共に徐々に平静を取り戻すなり、そう問うた。
恐らくは、Aランチのデザートとして付いてきたチョコレートパフェのおかげであろう。
ここの学食は瞬のお気に入りである。
安さ早さと言った学食特有の利点はもとより、栄養士が有能であるからだ。
とかく学生と言うモノはストレスが溜まりやすいモノである。
そんなTPOに合わせたメニューを組んでくれる上に、学生の意見は必ずと言って良いほど反映される。
これで儲けが出ているのか、逆に食べる側が不安になるほど融通が利く場所なのだ。
チョコレートに多量に含まれるγ―アミノ酪酸の安らぎ効果は折り紙つきであるな、と瞬は一人頷く。
「ああ、彼女は・・・」
「私は瞬君の家に下宿させてもらってるんだよ!」
瞬がぼさっとしていた所為もあり、食事前のやりとりの焼き増しとなった。
「あ、あぅ・・・そ、そうなんですかぁ・・・」
先程まで効果覿面だったGABAの力も虚しく、うなだれる朋香。
何故か、昼間の朝顔が顔負けしてしまう程、しょんぼりしている。
「なぁ、よくドラマとかで『仕事と愛、どっちが大事―!』。な~んて事をさ、言うじゃんか?」
そんな空気を読んでか読まずか、遅れて席に着いた三河は、一連の流れを全く無視した討論を投げかけた。
「まぁ、俺としてはこの二つは全く別物だから、比べる対象じゃないと思ってるんだけどもな、例えばこれが、『仕事と友情、どっちを取るか?』って聞かれたら、どっちを取るよ?」
「うむ。俺は友情であるな。」
作為か無作為かは判らぬが、瞬は気まずくなった場の流れを変えるための三河の助け船に、一目散に乗る。
「う~ん・・・難しい問題だなぁ・・・・。友情かなぁ・・?」
未来は口をへの字に曲げて、眉間に皺を寄せる。
「わ、私は、その状況にならないと、何ともです。」
朋香は、しおれている状態から立ち直り、眉を八の字にしながら回答する。
「なるへそなるへそ。で?総一、お前は?」
うんうん頷きながら三河は、珍しく話に乗ってこない総一に問いかける。
「答えるまでも無い。・・・友情だ。」
食事中終始無言であった総一は、ぶっきらぼうにそう答えた。
「そういう、・・・えっと、君はどう思うのさ?」
三河に、目で回答を促す未来。
「んー俺は仕事かなー。仕事ってのは生き甲斐とか使命だとか思っちゃうのさ俺ってば。まぁ、特に意味は無いから忘れてくれ。」
できる男は仕事に私情は挟まないのだっ!と、親指を立てる三河。
「うむ。そういえば、未来は皆の事を知らないのであったな。馴染みすぎていて失念していた。さっきからベラベラと喋り続けている正面の男が・・」
「ご紹介に預かりましたっ!俺は三河っ!三河祥っ!是非とも女の子には名前で呼ばれたい嬉し恥ずかし18歳っ!よろしくぅっ!」
瞬が言い終えるより先に、立ち上がり紳士のようにお辞儀をする三河。元来、良く通る声を持っている上に、大仰なモーションを取るので、役者に見えなくもない。勿論、大根であるが。
「俺は世良。世良総一だ。名前で呼んでくれて構わない。」
いつになく無愛想な態度の総一に、未来を除いた一同は訝かった。
いつもヘラヘラと軽口を叩き、愛想が良い彼らしくない反応だ。
「うん!総一君に祥君っ!こちらこそよろしくねっ!」
握手を求め、手を差し伸ばす未来。
未来と二人が堅い握手を交わした後、三河が、この手は洗えんな、とぼそぼそ聞こえた気がしたが、瞬は、自分の気のせいだ、と自分に言い聞かせる事にした。
それからは、三河を中心とし、他愛もない話が続く。
彼のテンションはいつになく上がっているようだ。
休み時間中、終始息つく間もなく喋り続ける三河を見て、瞬は、こいつの正体は実はマグロ人間で、止まると死んでしまうのではないかとさえ思った。
放課後を告げる鐘が鳴り学生としての一日が終わる。
相変わらず爆睡していた瞬は、三河の甘い吐息を耳元に吹きかけるという、斬新なアイディアで起こされ、最悪の目覚めを経験する事となった。
下校メンバーは、いつもの瞬、総一、三河の三人に新たに未来を加える形となる。
さらには、校門で他校の生徒である優衣と合流する。
「あ!貴方が未来ちゃん?私は優衣。霧川優衣っ!よろしくねっ!」
未来の姿を見るなり自己紹介する優衣に未来は戸惑いながらも握手を交わす。
「ふゎっ!え、えっと!よろしくですっ!」
急な挨拶で心の準備が出来ていない為か、未来はしどろもどろだ。
堂々として落ち着いている優衣と比較すると、肉食獣を前にした小動物を嫌でも連想させる、といった模様である。
その有様に、いつもなら「その紫年増に喰われるなよー」という、総一の茶々が入りそうなモノだが、それが無い。
総一は黙って未来のぎこちないシェークハンドを見つめている。
優衣は総一の発言と共に、脳天に掛け蹴りをしようと構えていたので、肩透かしをくらい、鳩に豆鉄砲を撃ったような表情をした。
「それより優衣様は、なんでミクたんを知ってるんですか?」
訝しげに片眉を下げていた優衣は、三河の問いに彼女の性分である解説モードへ移行する。
「そりゃ知ってるわよ。昨晩、急に樹から『至急、日真高校のセーラー服を発注してくれー』なんて電話がかかってくるんだもん。」
樹は私の事を、未来から来た全自動自立型汎用青狸ロボとでも思ってるのかしら。と額に手をあて溜息を吐く優衣。
「優衣様、お嬢様ですからね。しっかし他校の生徒に制服の調達を頼むなんて、樹先生は何を考えてるんだか・・・」
「珍しく意見が合うな三河。だが、あの自由人は何も考えてはいないと思うぞ。」
「私も、瞬君に一票。ホントに樹は・・・。あれで20代なんだから世も末よね。」
ある意味新時代の黎明か、と。大地を揺るがすほどに盛大な溜息を吐く三人。
「優衣・・・これからちょっと瞬と話がある。待って貰って悪いが、先に帰ってくれないか?」
そんな中、本日、昼飯時から、終始無言であった、総一が口を開いた。
「待ってなんかないわよっ!偶然よ偶然っ!だから謝る必要なんてないんだからねっ!」
ぷいっと顔を背ける優衣。
この一年間、学校がある日は毎日校門で出会う優衣が全て偶然であるとしたら、どのような天文学的数字の確率になるのであろう、カオス学を根本から覆すな、と瞬は思った。
「それと、二人きりで話がしたい。幸至さんも席を外してくれ。」
未来は総一の頼みに頷く。
「うんっ!解ったよっ!暗くなっちゃうし私は先に帰るねっ!ほら、秋の暮れはヒグマ落としっていうじゃない?」
得意げに口を猫のように弧を描かせ、ふふん、とその稀薄な胸を反らす未来。
「ヒグマを落としてどうする。締め落とすのか?釣瓶だ、つーるーべ。」
瞬の訂正に、あぅ、なんて言って赤面する未来。
「あー、俺は優衣様を拝めた事だし、先に帰るわ。今日ちょっとバイクのメンテする予定だったのさ。じゃ、そう言うことでっ!」
そう言うなり、あぅあぅ言っていた未来の腕をがしりと掴む三河。
「あぅ」は「ふわぁっ!」に変化する。
「未来ちゃんは俺が責任を持ってお送りするから安全ってヤツさね!」
怯えた未来とは対照的に恵比寿顔を浮かべる三河。親指は力強く立てられ白い歯が眩しい。
「それが一番危険だ。三河は変質者の筆頭みたいなモノだからな。だからって、女の子が一人で帰るのもダメだ。優衣?お前が一緒に帰れ。それなら一人じゃ無いからちょうどいいだろう?お互いさ。」
「ふぇ?ああOKよ。総一のくせに命令口調なのが、なんか気に入らないけど。」
ジト目で総一を一瞥し、優衣は未来と共に下校する。
―――瞬は今日一日、未来が楽しそうに笑うのを見て、とても暖かい気持ちであった。
名前すらも無かったという少女。彼女には、こんな穏やかな日常が必要で、続けば良いと切に願う。
テストの結果に一喜一憂するような、そんな日常を。
一方、アテがはずれた三河は、聞こえるように舌打ちをすると、バイクを置いてある駐輪場へとスタスタと去っていく。
その背中からはそこはかとなく哀愁が漂っていた。
「瞬、ちょっといいか?」
みんなが帰ったのを確認すると総一は、人目につかない校舎裏へと瞬を誘う。
「うむ。如何なる用件だ?」
「彼女は・・・一体何の冗談だっ!!」
突然壁を叩き激昂する総一。その拳からは、皮が破れ、血が滲み出す。
「下宿していると言うことは何らかの事情は知ってるンだろうっ?!彼女は光子の替わりって事かよっ!どうなんだっ?!瞬っ?!」
瞬の胸倉を掴み吼える総一。
その手は震えていて、今にも泣き出しそうで、どちらが責められているか解らない程弱々しく、瞬の目には映る。
そんな総一の様子に、瞬は何も答えられず、ただ沈黙する。
「すまない・・・らしくないな。少し血が上りすぎていたみたいだ。」
―――どのくらいの時間そうしていただろうか?
経過していた時間自体は少ないが、緊張状態での体感時間は非常に長く感じるモノである。
少し冷静さを取り戻した総一は、力を弛緩し瞬を宙から降ろす。
普段はヘラヘラと冗談ばかりの総一が、これほど感情を露わにする事は滅多に無い。
親友で、なおかつ長い付き合いであるが故に、瞬は彼の怒りが少し程度では無いことに気付いてしまった。
―――無理もない。自分も総一から光子の訃報を聞いたときは同じ様に総一に喰ってかかった。身近な人間の死はそう簡単に割り切れるものではない。
「・・・もしかしたら彼女が甦ったのかと思ってしまったのだ。彼女があまりにもそっくりで・・・それで。」
ポツポツと、樹に話したように一通りの事情を説明する瞬。
かつて「黄昏の夜」をも討ち滅ぼした総一ではあるが、今は力を失い、ごく一般の高校生だ。
いや、ごく一般というには語弊がある。彼はあまりにも多くの死に触れすぎてしまっている。
だが、十戒とのいざこざは自らが蒔いた種だ。彼もまた巻き込むわけにはいかない。
「瞬・・・死んだ人間は生き返らないんだ。光子もエスターも六槍も。・・・命は限りがあるから、命たりえるんだ。」
伏し目がちに語る総一は、悲痛な表情を象る。
「すまぬ。どうしても彼女に似ていたあの子を捨て置けなかったのだ。」
同じように俯く瞬。
「謝るのは俺じゃない。いや、誰にも謝る必要なんて無いさ。俺がお前と同じ立場にいたなら、きっと同じ事をしてたよ。」
総一は顔を上げると、真っ直ぐ瞬を見つめる。
「・・・それに、助けられる命を、見捨てるなんて真似、出来ないよな?」
おどけたように笑いながら、瞬の胸を拳で軽く突く。いつもの軽めの調子の総一だ。
瞬もそれを見て安堵してか、薄く微笑む。
「とにかく、誤解しちまって悪かったっ!今日のことは忘れてくれっ!」
そう言うと、総一は両手を合わせる事で謝罪のジェスチャーを象った。
日が落ちた帰り道は、凍てついた木枯らしが吹き、学生服だけでは心許ない。そろそろ冬も間近だ。
総一は、自動販売機でホット缶コーヒーを買うと、「奢りだ。」っと言って瞬に投げる。
そして、二人は無言で公園のベンチに座り込む。
道中も二人の間に言葉は無かった。いや、いらなかった。
心が通じ合った二人に、言葉は不要。それは確かな絆がある事の証明。
今はただゆったりと流れる時間が好ましい。
黄昏刻を過ぎた晩秋の公園には、ただ葉の擦れる音とコーヒーを啜る音だけが響き、二人ともその心地よい沈黙を、そのコーヒーを飲み干すまで嗜んでいた。
Act 2 続き
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