全52件 (52件中 1-50件目)
今日も温かかったですが・・・同じように温かかだった昨日多摩湖畔の夕陽です。お椀を伏せたような丸い山は 大岳山右に少し下がって三角の山は 御岳山正面に見えるのは奥多摩の山々かなり拡大して撮っています。まさに陽が沈もうとしています。きょうの暦 によると、一昨日の14日から日の入り時刻が1分遅くなって 16時29分明日は2分遅くなり、1か月後の1月15日には34分遅くなり16時51分となります。多摩湖を背にして見つけた プラタナスの実 中には綿毛がびっしり詰まっているそうです。夕陽を浴びて輝いてました。プラタナス=スズカケかと思っていましたが、少し違うようです。プラタナスはスズカケノキ科プラタナス属の総称スズカケノキは、プラタナス属の中の一つの種類成長が早く、街路樹などに植えられている この木はモミジバスズカケノキで、アメリカスズカケノキとスズカケノキとの交配種。幹の皮が剥がれてまだら模様になるのが特徴のようです。そして、プラタナス属の葉っぱは大きいのが特徴とか・・見上げていると半月より少し膨らんだ お月さまがだいぶ昇ってきていました。この日の月の出は 14時2分忘れていましたが『多摩湖堤、月は東に日は西に』というタイトルで こちら にも 載せていました【武蔵野そぞろ歩き】 今年40回目の荒幡富士塚 登山🎵
2021年12月16日
コメント(0)
先日、たまたま 歩いてみた里山の一角で山ツツジに誘われて、たまたま 道のないゆるやかな斜面を 上って行くと・・・キンランが 一輪思わず 感嘆見ると・・・あちらにも 一輪こちらにも 一輪いえいえ 二輪三輪・・・木の根元にも落ち葉の中から蕗の間からもりんとして咲いている キンラン金蘭私にとっては まさに群生地でしたきらびやかな 金蘭のそばでギンラン銀蘭は やや小ぶり写真映りも 控えめでしたが金襴にまじって咲いていました。さらに その近くでチゴユリ?も 咲いていたのでした~八国山にも キンラン、ギンランが ぽつりぽつりと咲いてますが、こんなに咲いているのは 初めて来年も 行ってみたいな~と思っています。【旅のスケッチ】 秩父の小野原稲荷神社
2021年05月10日
コメント(0)
昨夕、八国山から下りて来て、マスクを落としてしまったのに 気が付きました。それで 今朝6時過ぎ、探しに行きました。藤の宮神社近くの上り口・・・いつもは、まっすぐですが、昨夕、下りてきた階段を上りました。朝露で ツユクサが 色鮮やかに見えました。尾根道には出ないで ほっこり広場に行きました。朝の広場は 明るく輝いていました。昨夕 このベンチに座って おしゃべりしていたのでここにあるかと期待していましたが、ありません。広場では 男性がおひとり 歌の練習をしていました。昨夕 下りて来た道を上って、尾根道に出ました。しばらく歩いて 尾根道から別れひだまり広場に 向かいました。右に行くと ひだまり広場です。左の林向こうには 線路がありその向こうが 北山公園です。ひだまり広場のベンチ落ちてました~~~このベンチに ほんの 少~し 5秒か10秒か座ったんですよね。その時手から 落ちてしまったんですね。Nさんからいただいた 手作りマスクです。近くには 甘い香りのするお花が 咲いていました。見つかったマスクを ポシェットに入れて元来た道を 戻ります。帰りは 尾根道に出ないで、右に入り急な斜面を下って 近道をしました。急な坂道を下ると いつものゆるやかな道に 出ました。どちらでも良いのですが、右の方がほんの少~し近道です。まもなく、藤の宮神社です。マスクが見つかって良かったありがとうございました~・・・と 手を合わせました。 マスク探しの今朝のウォーキングは2.8km、4,072歩、上った階数は9階分でした。【八国山の散歩道】 猛暑の夕方、八国山のぐるぐる歩き♪
2020年08月15日
コメント(2)
今月3日、秩父にお蕎麦を食べに行って来ました。お蕎麦屋さんの隣りに大きな鳥居があったのでその大鳥居をくぐって、しばらく行くと・・・道路が右にカーブした 左側にこのような看板がありました。車を停めるスペースもあったのでそこから歩いて、見てみました。ゆったりした石段の上り口にこのような立て札があり、昔、孝徳天皇の大化四年(およそ千三百年ほど前)日照りが続いたので農作物が枯れてしまいそうになりました。困りはてた里の人々は 高根山の中腹に集まり大きな岩を 神座として、雨乞いを しました。すると たちまち雨が降って作物が生きかえり秋には豊年満作となりました。人々は神の恵みをありがたく思い、社を建てつつしんで神々を祭りました。それが当社のはじまりです。現社殿は昭和五十年に再建されました。・・・と 書いてありました。古い石垣です。俳句が 刻んであります。ゆるやかな石段を上って行くと、中段になっていて、ここからは かなり急な石段になってました。写真では分かりませんがかなりの急勾配でした。奥行きが狭くて、段差があるのです。りっぱな お社です。ここで お祈りをしました。30年前の2月、当時15才だった甥がこの近くの山「矢岳」に登ったまま今もまだ、行方不明になっています。生きていれば8月初めで45才になりました。 甥にとっては「矢岳」に上るのは 二回目。その「矢岳」はいちばん向こうか、その手前の山並みの雲のかかっている辺りか? それとも柱で見えなくなっている辺りか?と思います。その時の捜索では、秩父の 方々には たいへんお世話になったことでした。この日、この神社に来られたことは何か救われる気持ちになりました。大化4年とは、西暦648年大化元年には、中大兄皇子(後の天智天皇)が歴史の教科書に出てきます。小倉百人一首ではその天智天皇の歌がいちばん古く第一首です。そんなに古い時代に雨乞いをした神座のある?奥社が 5分上った所にある?とのこと・・・次には そこまで行ってみたいと思いました。 小野原稲荷神社については こちら で 鮮明な写真と解説を載せて下さってます。【旅のスケッチ】 甲府から 柳沢峠、奥多摩に抜けて帰りました
2020年08月13日
コメント(0)
申しわけありませんが、明日は 臨時休業 のため、本日で『四季の花』11月の営業が終わりました。 ご来店下さった皆さま、ありがとうございました。また、今月は3日間も臨時休業をさせていただき、ご迷惑をおかけした皆さまにお詫び申しあげます。12月の特別メニューには、只今 ≪年の瀬 ご膳≫ を 考案中です。 12月のご来店を お待ちしておりま~す【ギャラリー喫茶 四季の花】 11月3日、6日、15日、臨時休業です
2016年11月14日
コメント(0)
『四季の花』 12月の営業が無事に終りました~ご来店下さった皆さま、ありがとうございました。つぎの営業は、来年の2月1日からです。 『四季の花』 を 始めて 来春で12年になります。始めた年には 1月と8月も営業をしたのですが、どちらの月も お客さまがとっても少なかったので1月と8月を休業させていただくことにしました。一か月半の 冬休みとなりますが、『四季の花』 でより楽しく過ごしていただけますように、あれこれ工夫できたらいいかな~とも思っておりますので、来年も どうぞ よろしく お願いいたしま~す【ギャラリー喫茶 四季の花】 『四季の花』 年内の営業、あと一日・・・
2015年12月15日
コメント(2)
昨日、お向かいさんの個展を見に甲府まで行ってきました。久しぶりの高速道路の運転で初めはちょっと緊張しました。帰りには、柳沢峠を超えて、奥多摩経由で帰ってきました。甲府の街から、ひたすら国道411号を走り、塩山を過ぎて、だいぶ標高が上ってきました。山が 色づき始めています。急カーブをくり返して、さらに標高を増し遠くに 富士山が 見えてきました。紅葉も 色鮮やかになってきました。柳沢峠(標高1472m)からの 富士山です。奥多摩方向を向いて、右の石垣の奥の登り口から大菩薩嶺、大菩薩峠方面への道が 続いています。わが愛車、軽自動車です。奥多摩方面に だいぶ 下ってきたところです。急なカーブもなくなってきた頃・・・向こうに 通ってきた 橋が見えます。崖っぷちから谷底に落ちてしまいそうですが、ご安心下さい。ガードレールの真上から撮ったため、柵が見えにくいのです。もっと上の方で撮りたかったのですが、停車できる所がなくあっても つい 通過してしまったり・・・で、残念でした。多摩川の水流・・・東京都に入る小袖川の辺りから少しずつ 水流が増し、湖らしくなってきました。明るいうちに慣れた道までと思い、奥多摩湖も通過、古里駅付近で多摩川の対岸に渡り、吉野街道と分れる頃、正面に13夜のお月さまが見られるようになり、だんだんに昇っていくのを眺めながら帰宅しました。甲府のまちでは、どこからでも 山々が 見えました。まず目につくのが甲斐駒ケ岳、その手前に鳳凰三山、その左奥に、北岳、間ノ岳、農鳥岳へと連なる峰々、そして、大菩薩連嶺、奥秩父連峰と、広い空間、ゆったりした雲と空、いいな~と思いました。【旅のスケッチ】 この夏、いちばんの遠出
2015年10月27日
コメント(0)
去る29日、母たちと秩父に行ってきました。たまたま、SLが 走ってきました。走り去ったあと、煙の臭いがしましたが・・・やっぱり、昔のような本格的な蒸気機関車ではないよな~と思いました。それは そうですね。昔の汽車は 窓を開けたままトンネルに入るとゴホゴホとむせて、顔がススで 黒くなるほどだったことを思い出しました。それに比べると、かわいいSLでした~今日で夏休みが終って、明日から『四季の花』 9月の営業です。ご来店をお待ちしておりま~す【旅のスケッチ】 日本海の風に吹かれて 米子城址で詩吟のおけいこ♪
2015年08月31日
コメント(0)
用事があって甲府に行く途中です。 初狩パーキングから見た高川山です。
2014年09月29日
コメント(0)
久しぶりに原発反対のデモに来ました。 川内原発を再稼働するな! フクシマを忘れない! さようなら原発全国集会です。
2014年09月23日
コメント(4)
鬼太郎電車で米子駅に着き、夜行バスに乗る前、観光案内のお姉さんに教えていただき、米子城跡に行ってみました。 駅から15分ほど歩くと、米子城址の上り口に着きました。とても良い雰囲気です。長屋門がありました。15分ほどで上に着きました。米子のお城は、戦国時代からお城の主がつぎつぎに代って明治になって安く払い下げられ、解体されてしまったとかお城としては、ちょっと不幸わせだったのかなと思ったり、・・・でも、すばらしく気分の良い 空間 と石垣です。それに、何よりも 感動、感心したことは、こんな最先端にまで人が立ち入れること 石垣の下は、絶壁・・・そのきわ 2mほどの所に ベンチがありました。かつてのクライミング仲間で、高所には 慣れているはずの Teさんと 私ですが、四つん這いになって、恐々と下をのぞきました。夕暮れどき、人影がなくなってから、万が一よろけても 落ちたりしないようにと奥まったところに しっかり 足を踏ん張って日本海から吹いてくる 風に吹かれて思いっきり大きな声で、心ゆくまで詩吟の おけいこを しました~ この夜8時過ぎに米子からバスに乗って翌朝の7時半ころ、無事、新宿に到着。 米子・松江・出雲方面、片道1000円キャンペーンの旅も終りとなりました。実り多く、めでたし、めでたしの旅皆さま、ありがとうございました。◆米子城跡については こちら と こちら で ご覧いただけます。【旅のスケッチ】 水木しげる 妖怪ロード と 境港市の港の風景
2014年08月16日
コメント(0)
松江に来て4日目・・・ またまた お仕事前の酒井先生 に境港駅まで送っていただきました境港駅前で迎えてくれたのは妖怪のご本家?お三方々でした。他にもたくさんの妖怪さんたちがロードの両側に並んでいて、おみやげ屋さんも賑わっていました。これは私設の看板かも・・妖怪ロードから かなり外れた所にこのような立て札も ありました。地元の人が行く感じの食堂で、1000円のランチ。赤い煮魚は、店主さんが釣ってこられた べラ とか。酢の物は、ジンバモバ(神葉藻葉?) お刺身はサザエ、白イカ、アゴ(トビウオ)、マグロトロハマチ、甘エビ、メバル または べラ とのこと。昼食のあと、お台場公園に行ってみました。境港灯台の近くに 慰霊塔 と 碑 が ありました。昭和2年8月24日の暗夜、美保湾沖で、戦艦「長門」 「陸奥」 以下 六十余隻の日本海軍連合艦隊が 大演習を行った際、巡洋艦 「神通」と 駆逐艦 「蕨」、巡洋艦「那珂」と 駆逐艦 「葦」 の 二重衝突によって(地蔵岬灯台~~地点) 沈没した「蕨」 と 大破した「葦」 の 殉教者の塔である・・と書いてありました。港のふちを歩いていると、まっさらな漁船船っていくら位するのかな~と思って、近くの人に聞いてみたら、この船で 3億円台・・・とか~船主になるのは、とてもとても大変なことですね。長い間、ご苦労さまと声をかけたくなる船これは、イカ釣り船のようです。夜の海の光景が浮んでくるようです。こちらは、燃料を運ぶ船?もっと港にいたかったのですが・・・ 駅に向かいました。境港駅ホームで待ってくれていた電車ホーム上には歓迎の言葉が並んでいました。こちら でも ご覧いただきましたが、鬼太郎電車に乗って 米子に向かいました。【旅のスケッチ】 松江城の天守閣から見える鉄塔・・・余りにも近すぎ!
2014年08月14日
コメント(0)
午前中の上映会が終わったところです。
2014年08月09日
コメント(0)
松江について三日目、私たちの希望で 島根原発のPR館までお仕事前の 酒井先生 に 車で乗せていっていただきました。帰りはバスで帰ろうと思っていたのですが、バスがなく、見学の間、お待ちいただき、その後、松江城の入口までお送りいただきました。門のところで、ボランティアガイドさんに声をかけていただき、ラッキーなことに、かなり詳しい説明を伺うことができました。松江城は、戦いに備えて短期間で建てられたため、かなりシンプルな造りになっているとのことです。いつも思うのですが、ひとつひとつ積み上げられた石垣には昔の人たちの苦労と技術とが偲ばれ、感心してしまいます。木づくしの心地よい床を踏み、手すりにつかまりぐるぐると 階段を上って、天守閣につきました。ガイドさんは77才とのこと。 お元気で力強く、心よりこの地を愛しておられるのだと感じました。『これで説明を終ります。 最後に・・・言って良いかどうか・・・あそこに鉄塔が見えますでしょ?! あの近くに原発があります』・・・とのこと。 私は 胸をつかれて、思わず、『今、見てきたんです。 近すぎますよね』 と 申し上げました。ただ、今回 小さいカメラを持って行ったため、天守閣から撮った上の写真4枚のうち、鉄塔が見えたのがどれか不確かなのですが。島根原発のPR館のガラス越しに見た原発です。 山の陰に3号機が出来上っていて、あとは燃料を入れるだけとのこと。こんなことが書いてありました。子供たちが原発や放射能に親しみを持ってくれるようにと力をいれていることでは、どこの電力会社も同じですね。ボランティアガイドさんは松江市の向こう2000人ほどの所に住んでおられ、原発に事故があった時には、広島市のどこそこに避難し、どこの避難所に行くかなどが 決まっているとのこと。『それでは、松江市のみなさんも決まってるんですか?』と 尋ねると、『決まっていると思いますよ。 でも 決まっていても、道路がどうなっているかも判らないし、避難なんて出来ませんよね』と おっしゃってました。水と緑が美しい松江市、多くの神さまがいらっしゃる?出雲市、美味しい魚が捕れて、水木しげるロードで賑わっている境港市、ひとたびの原発事故が起きれば 放射能汚染はまぬがれ得ません。山に隠れて姿をみることは出来なくても、原発からは中国地方全域、ひいては阪神工業地帯にまでと延々送電網がはりめぐされています。風格のある このお城に、どうか 放射能が 降り注ぐような ことがありませんようにと願いながら北門に向かいました。こちら側もまた趣きがありました。松江城のお堀ばた・・・信号を越えたお店で美味しい お蕎麦を食べました。小泉八雲記念館・・・私としては珍しく展示してある説明を ほぼ 読みました。となりにある 八雲の 旧居宅の庭です。この並びにある 武家屋敷 にも 寄りました。ぶらぶらと歩いて、この日 にも お伝えしましたようにお堀ばたの石段で2~3時間ものんびり休みました。昼寝をしたり、堀川をめぐる遊覧船に手を振ったり、夕暮れ時、人通りが少なくなってから 川向こうにまで地声が届くようにと 発声をしたりして過ごしました。【旅のスケッチ】 あわや大失敗! 感動の一畑電車♪
2014年08月06日
コメント(0)
松江での二日目・・・松江宍道湖温泉駅から出雲大社方面行きの一畑電車に乗りました。ご縁結びのキャラクター君も 一緒でした。しじみで有名な宍道湖です。湖の南側をJRが北側を 一畑電車が ゆったりと 走っています。奥出雲町に案内していただいた昨日にも思ったのですが、田や畑がとっても丁寧に耕作されていて美しい風景です。何よりも、広告や 看板が 少なくて、心地よい景観。観光地として、何か規制をされているのでしょうか?出雲大社駅に着いて、日御碕に行ってみることに♪日御碕と書いて、『ひのみさき』 と 読むそうです。日御碕には オニユリ?が 群生していました。松の木陰で のんびりと お弁当を食べました。灯台にも上ってみました。この中に水銀が満たされていて、巨大なレンズが回転しているのでしょうか?!ぐるぐると急な階段を163段 上って、灯台の上に着きました。 この写真ですと高度感がありませんが、頭がくらっとするほどの高さです。日御碕神社落ち着いて、ゆったりとした雰囲気でした。出雲大社は60年ごとのご遷宮で賑わっていました。今回は 主に屋根の修理をしたそうです。屋根の葺き替えに 80億円とか・・・?おみくじで出来た巨大なツリーこれは、ごくごく一部です。神さまへの期待感って、すごいんですね。いなばの白兎 と 大国主命 帰りの電車は 川跡駅で乗りかえでした。出雲大社駅から乗ってきた人みんなが下りて、踏切を渡って、となりのホームに移りました。駅長さんが ハンドマイクで、一生懸命に『松江市方面は3番線、出雲市方面は4番線』と、くり返しアナウンスしていました。私は3番線だなと思っていたのですが・・・踏切を歩いているころ、若い人たちが、『乗ってきた電車が白で、青と黄色い電車が並んでるね』 と言うのを 聞いているうちに黄色い電車と思いこんでしまいました。黄色い電車(4番線)に 乗ってから、先に歩いて乗っているはずのTEさんを探しましたが、見つかりません。その電車が閉まる寸前、ホームに下りて、3番線のホームから走り出していた青い電車の中を見ると、TEさんが慌てて手を振っていました。 私も慌てふたむいて、手をふりました。・・・すると、何と何と、走り出していた電車が静かに止まって、ドアを開けてくれたのでした~めでたし、めでたし・・・ 帰りの電車内からの風景です。松江に着いてから、車内の点検をしていた運転手さんに お礼を申し上げたら・・・『突然、人が走り寄ってきたのが見えたので止めました』とのこと。 それで 思わず、『ありがとうございました。また一畑電車に乗りにきますね』 と 言ってしまったのでまた 松江に行ってみないといけないことになりましたハンドマイクを下げた駅長さんも驚いておられましたが、あれだけマイクで案内していたのに、それでも間違えるお客さまもいらっしゃるんだ~と呆れたことでしょう。一畑電車のみなさま、ありがとうございました。TEさん、びっくりさせてしまって、ごめんなさい。 【旅のスケッチ】 『さんいんの民話とわらべ歌』 を おみやげに♪
2014年08月01日
コメント(2)
昨夜、米子発8時40分の夜行バス、帰りも やはり1000円で 今朝 9時過ぎ、無事に帰宅しました。酒井董美(ただよし)氏のお話を 伺えたらと思って、友人からご紹介をいただき、この4日間、連日 お世話になった上に、ご著書『さんいんの民話とわらべ歌』までいただきました。 酒井氏は、数え80才のお祝いをしていただいたとのこと。中学校の先生をしておられた頃、島根・鳥取の民話を熱心に聞き取りをされて、保存されているテープが実に約一万本その後、大学・大学院の教授をされて、現在も 短大で講師をされていて、毎日 お忙しく過ごされているご様子でした。上記の本は、聞き取りされた民話と、解説でまとめられていて短大で教科書として使われ、市販もされているとのことです。今日、半分ほど読ませていただきましたが、明治生まれの方々が 語っておられる口調が ほのぼのと伝わってきます。民話ごとの解説を読むと、地方特有な風習などとも合せて、全国的な民話の傾向なども分かるようになっています。しまね、かたりべ舘・わらべうた舘ご多忙なのに、お仕事の合間に時間をとっていただき、申し訳ないと思いつつ、各地にご案内いただきました。1日目、奥出雲町をご案内いただき、松江城堀川の遊覧船めぐりなど、お話を伺いながら、一日 お世話いただきました。2日目、お仕事の前、一畑電車の駅まで乗せていただきました。おかげさまで、日御碕灯台や出雲大社めぐりができました。 3日目、ご会合の前、私たちの希望で 島根原発のPR舘に乗せていただき、バスがないため見学にもお付き合いいただき松江城入口まで送っていただきました。おかげさまで松江城内八雲記念館、八雲居宅、武家屋敷めぐりなどができました。4日目、やはりお仕事の前に、松江から境港の駅までお送りいただき、おかげさまで 水木しげるロードや 港 の散策、鬼太郎電車で米子に出て、米子城跡などに行かれました。酒井先生、ご多忙の中、本当にありがとうございました。山陰地方と呼ばれている 島根と鳥取ですが、≪山陰≫ のイメージではないと思いました。日御岬灯台に行ったときのバスの運転手さん、松江城でボランティアガイドをして下さった方、お堀ばたで声をかけて下さり楽しいお話をして下さった元おまわりさんという方、翌日、大山に登るという米子城跡で会った方・・・お会いした方も、風景も明るく自然もとても豊かで 日本の良さがたくさん残っているところだと思いました。今回の旅の様子、これから少しずつ 載せていきたいと思っております。今日は、この辺で・・・【旅のスケッチ】 鬼太郎電車に乗っています
2014年07月29日
コメント(0)
今朝、境港に来ました。 水木しげるロードを通って、港近くでお刺身定食を食べました。台場公園を散歩してから、港に並んでいる船を見て来ました。 今、境港駅から鬼太郎電車に乗って米子に向かっているところです。
2014年07月28日
コメント(0)
松江に来て三日目です。 初日には、旧横田町に行き、午後には松江城周りの堀川遊覧船に乗りました。 昨日は、一畑電車に乗り、出雲大社と日御碕灯台に行きました。 今日は、島根原発を見に行き、松江城と、小泉八雲記念館、八雲旧居、武家屋敷などに行き、疲れたので堀川端の石段に座って長いこと涼んでのんびりしました。写真は休んだ所から見た堀川です。
2014年07月27日
コメント(0)
代々木公園のサッカー場です。今、この会場に参加者が入れるようになりました。今からでも都合のつく方、ご参加下さ~い。
2012年07月16日
コメント(0)
たまたま泊まったホテルが海のすぐ近くで、窓の下に海が広がっていました。
2012年06月29日
コメント(0)
昨夜7時半頃になって、泊まるところを探していると、見つかりました。 プラス五百円の朝ご飯です。
2012年06月29日
コメント(0)
今朝、常磐道を走って、いわき四倉で高速道路を下りました。 海に向かって四倉港に着きました。 津波の爪痕が残る中でハマヒルガオが咲いていました。
2012年06月28日
コメント(2)
いわき四倉港です。 陸に押し上げられた船がそのままになっていました。
2012年06月28日
コメント(0)
昨年8月に来た久之浜です。 ここに住まわれていた方は、今、どうしていらっしゃるでしょう。
2012年06月28日
コメント(2)
久之浜近くで橋げただけが残っていました。
2012年06月28日
コメント(0)
陸前浜街道と呼ばれる国道6号のゲートです。 ものものしい雰囲気で許可証を持った車だけが出入りしていました。
2012年06月28日
コメント(0)
国道6号より海側の道路の様子です。
2012年06月28日
コメント(0)
携帯メールからブログ更新の練習 四季の花 店内のミニ動物園です。
2012年06月24日
コメント(0)
手続き上の手違いで、15日までインターネットの接続ができなくなっています。携帯電話からの更新です。どのように反映されるか見ることができませんが、ご容赦下さい。喫茶店〓四季の花も、お楽しみ教室も順調です。
2012年05月13日
コメント(4)
さっき、都城駅で1時間の待ち合わせがありました。駅のホームから15階建のビルが見えたので撮ってみました。ビジネスホテルです。時間があったので、ビルの前を歩いてみましたが、道路からは引っ込んでいたので、あまり圧迫感はありませんでした。このビルには税金は投入されてはいないと思います。[更新日時 2008年1月29日 16時11分13秒]
2008年01月29日
コメント(0)
この山の向こうに、一昨日 通った人吉市があります。[更新日時 2008年1月29日 10時20分52秒]
2008年01月29日
コメント(0)
隼人駅から肥薩線に乗って、吉松駅に着きました。ここで乗り換えかと思ったら、このまま都城市に行くとのことで、今また、走りだしたところです。[更新日時 2008年1月29日 10時3分32秒]
2008年01月29日
コメント(0)
鹿児島県庁の資料室で3時間以上かかって、川内市と、同じ位の都市である鹿屋市と、ついでに鹿児島市の決算カード40年分位をコピーしました。そのあと、日豊本線で霧島市に入って すぐの隼人駅で下りました。[更新日時 2008年1月29日 8時44分22秒]
2008年01月28日
コメント(0)
朝から雨ですが、あまり寒くはありません。薩摩川内市の市役所に行ったところ、それについては県庁が良いでしょうということなので、今、電車に乗って、鹿児島市に向かっているところです。[更新日時 2008年1月28日 12時3分2秒]
2008年01月28日
コメント(2)
八代市から、おれんじ鉄道に乗って、鹿児島県の薩摩川内市に夕方5時前に着きました。[更新日 2008年01月27日 21時15分28秒]
2008年01月27日
コメント(0)
西米良村営の一番バスに乗って熊本県の湯前に出ました。くま川鉄道で人吉市に出て、八代までの切符を買い、肥薩線で走り出したところです。電車は一両編成。日曜日のせいか、空いています。曇って寒かったですが、日がさしてきました。[更新日 2008年01月27日 12時39分17秒]
2008年01月27日
コメント(0)
昨夜はこのコテージに一人で泊まりました。一分ほど歩いた上にはりっばな温泉があり、食事もできます。温泉に入りに来る人で賑わっていましたが、十何軒かあるコテージに泊まる人はいませんでした。そこも夜中には誰もいなくなってしまうというし、ちょっと、というより、かなり気味が悪かったのですが、今日は何軒かにあかりが点っていて、ほっとしています。
2008年01月26日
コメント(0)
綾町に隣接してる村に行ってみたいと思ってきてみましたが、村起こしに すごく がんばっているようで感動しています。昨日行った菊池資料館も、今日の小川資料館も、村の歴史に誇りを持っていることが伝わってきます。昨日 泊まったのは、この川向こうにあるキャンプ場のコテージです。[更新日 2008年01月26日 18時12分09秒]
2008年01月26日
コメント(0)
西米良村は人口1200人ほどで、宮崎県で一番人口が少ない町村です。今日は、村営バスに乗って小川城跡に作られている資料館に行き、帰ってきたところです。[更新日 2008年01月26日 17時55分00秒]
2008年01月26日
コメント(0)
今朝、綾町を7時過ぎに出て、宮崎市と西都市でバスを乗りついで西米良村に着きました。西都市から西米良村までは50キロ。バスの乗客は三人でしたが、二人は西都市街で下りたので、ずっと私一人でした。途中にダムがいくつかあり、写真のような風景が続きました。[更新日 2008年01月25日 16時34分06秒]
2008年01月25日
コメント(0)
綾北川と綾南川が合流する三角州に綾町の中心部があります。田畑の畦道には青草が生えていて、タンポポやホトケノザが咲いています。[更新日 2008年01月24日 17時42分21秒]
2008年01月24日
コメント(0)
雨上がりに自転車で、綾城に行きました。[更新日 2008年01月30日 08時38分30秒]
2008年01月23日
コメント(0)
今朝、一番電車に乗って、羽田から9時過ぎに宮崎に着きましたが雨でした。レンタカーで、大吊橋にいきました。40年前、営林署から伐採するという通達に、町全体で反対して残した照葉樹林に架けられた 世界一長い、歩くための吊橋です。雨でも、やはり宮崎はそんなに寒くありません。梅の花がだいぶ咲いています。[更新日 2008年01月22日 22時00分14秒]
2008年01月22日
コメント(0)
綾町に22ある自治公民館のうち5か所のお祭に案内していただき、ご馳走になりました。 夜は宮崎市内で大和田先生の講演会と交流会があり、出席させていただきました。
2007年11月25日
コメント(0)
宮崎県の綾町に来て三日目です。 昨日は生ゴミを堆肥にする工場に行ったり、 綾町工芸祭にいきました。今朝は町が見下ろせる丘の上にある サティライトスタジオに行き、綾町の まちづくりについて聞きました。 毎朝10分間、宮崎県内に発信している スタジオからの景色です。
2007年11月24日
コメント(2)
ブランコウサギの綱が切れてしまったので、ここに座っています。携帯電話からブログ更新のテストです。
2007年11月21日
コメント(2)
学生時代の集まりの下見に 3人で御岳渓谷に行ってきました。電車の中から見る多摩川の水が いやに濁っていると思ったら台風の影響で 渓谷の遊歩道が 荒れてしまっているとのこと…紅葉の始まりかと思いましたが、濁流で根元を洗われた木が悲鳴をあげているようです。枯草には まだ早すぎます。どこまで 増水したかが よくわかります。5~6年前、スケッチ仲間で歩いた遊歩道が対岸のピンクの所にありましたが、流されたようです。(ピンクの印は画面上に私がつけました)この橋も 水をかぶってしまった とのこと…今の時期だと 花が いろいろ咲いているはずですがマンジュシャゲだけが 痛々しくが咲いていました。かなり高くに咲いている株も 根元が洗われたようで球根がむき出しになって 土から浮いてしまっていました。連休のあとのためか 人影もまばらで静かな渓谷…台風から10日以上も経っているのに濁流のすさまじさが生々しく、国道に出ていつもと変らぬ民家のたたずまいに ほっとしました。一日一花 お花は こちらで♪御岳渓谷のマンジュシャゲ
2007年09月18日
コメント(0)
きのうのブログに バリ島 タナロットの夕日のコメントをいただき、なつかしくなってバリ島でのスケッチを載せさせていただきます夕日がきれいな タナロットの近くで強い風を浴びながら 描きました空洞のところで 釣りをしている人がいました潮の流れがはげしいところで 釣れるのでしょうか?島の上には 寺院?のような建物が…バリ島で いちばん大きな寺院の ほんの一部分上の2枚は ボールペンで描きましたバリ島には石像が多く 鉛筆ではやわらかいので初めて ボールペンで 描いてみましたこれは 町の外れで描いた ココヤシ細いクレヨン?(ダーマト)で 手早く描きましたスケッチブック 2枚続きです2泊した民宿(ロスメン)の中庭にある パパイヤの木なっていた実を この日の朝食にいただきました♪ 街中のレストランで…屋根から下がった ブーゲンビリアと昼過ぎなのに咲いていた ハスの花朝はやく目が覚め、4時ころから描きましたロスメンの庭のスイレン、鉛筆描きです大きなスケッチブックに描いたので コピーで縮小してからスキャニングしました絵の具は 透明水彩、だいたい 7~8割くらい その場で彩色し、帰ってきてから 仕上げます旅なれた従姉妹が 案内してくれたのですが朝食付 1泊数百円の民宿(ロスメン)で快適でした♪一緒に行った仲間が『家出する時には ここにしよう』と言ってました2年前からデジカメを使うようになりましたがそれまでは 山でも旅でも 写真を撮りませんでしたスケッチしながら 『あとで写真を見ればいいや』と思ってしまいそうで カメラは持たないようにしていました昨年3月、五島列島に行った時に思ったのですが10日間位 毎日 描きつづけていると 手が自然に動いてくれるように なるんですよね♪何事も 訓練なんだ~と実感しましたがこの頃 ブログの更新ばかりで…これから また描くとしても やりなおしだな~~と思います
2007年02月04日
コメント(0)
一ヶ月遅れの日記、前回の続きです2006年3月18日(土) 玉之浦に来た理由二十代の頃、PCBのことを知りました。身の回りのいろいろなもの、電化製品や印刷インク忘れてしまったけれど、その他たくさん…それらの製品が捨てられたとき、環境汚染は深刻で食物連鎖で私たちの体の中に入ってかなりの悪い影響を及ぼすこと。そして、PCBが入った油を食べて苦しんでいる人たちがいるしかも、集中して、離島に…グループでPCBのことを絵本にしてみようと相談していた時でPCBで苦しんでいる人たちに会って話を聞いてこようと玉之浦に行ったのが1972年の1月、34年前のことでした。その4年前に、カネミの油が売られて、多くの人たちが発症。原因がわからず、各地で、何重にも苦しんでいてPCBが原因とわかり、ほっとしたものの、治療法はありませんでした。会社は、玉之浦町の被害者のお宅を一軒一軒歩いて、示談契約を結びました。 一、重症 40万円 中症 30万円 軽症 20万円 小学生以下はこの70%、老人は80% すでに支払われた見舞金はこの中から差引く 一、示談金支払い後は、いっさい金の請求はしない というものでした。情報も少ない中で、Tさんは長崎や福岡の被害者と連絡をとって『玉の浦町油症患者の会』として、裁判等をしてきました。長崎に出るのにも泊りがけで行かなければなりません。Tさんは林業の仕事を他の人にゆずって、油症のことに取りくまれました。34年前にお会いしてお話を伺ったほとんどの方は亡くなり、自殺された方も…何も出来なかった自分が…今ごろ何のために、ここにいるのか? 暗く、居たたまれない気持ちになりました。Tさんは、その頃、お世話になった800名位の方に年賀状を出し続けその一枚が私にも届いていたわけです、毎年、添え書きをして…「お世話になった方に、それ位のことしか出来ませんでしたからね」「それは、ここまで会いにきてくれたら、うれしいですよ」とも。我が家にも水仙と椿は咲いているのになぜ、今ごろ、この遠い五島の最南端にまできて描いているのか?その夜、民宿で暗く、やりきれない気分で描きました。
2006年04月20日
コメント(0)
一ヶ月遅れの旅日記です。2006年3月18日(土) 35年前の知人を訪ねる 今日から先の写真がカメラの中には撮れてはいるようなのですが パソコン上に表示されないため使えませんので絵だけになります。どんよりと雲が厚く、風も強く、寒い朝でした。10時に知人のTさん宅を訪ねることになっています。これが五島に来た第一の目的です。民宿を出て、まだ時間があるので、港で絵を描くことにしました。出来あがりは今ひとつ…漁船なのに軍艦のようになってしまって!寒くなってきたので、早めにTさんのお宅を訪ねました。ここ玉之浦には二十代半ばに、2回、来たことがあり、その時、Tさんにもお会いし、それから約35年…ご不幸があった年を除いて、毎年、年賀状をいただいてました。「なかなかお会い出来ませんね。83才になりました」という昨年の年賀状。私は、ほとんどの年がお礼状もお出ししないまま…そんな非礼を、お元気なうちにお詫びしておこうと伺ったわけです。 ≪これらの花は、この夜、民宿で描きました≫ ≪続きはまた明日≫
2006年04月19日
コメント(1)
全52件 (52件中 1-50件目)