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昨夜10時50分からNHKテレビで報道されました。事件の涙『毒の油』は世代を超えて 食品公害カネミ油症事件 NHK+で一週間ほど見られますのでぜひぜひ、ご覧になって下さ~い。毒の油を口にして半世紀・・・・被害の連鎖はどこまで続くのか?いつになったら救済されるのか? 次世代の被害者の声 未認定の男性 29才子どもの頃から、顔と背中を中心にできる体全体の吹き出物に悩まされてきました。 今年、一月から体調を崩し、半年以上、休職しています。 カネミ油症が体調不良に関係あるのでは?と医療機関を受診したけれど、医師からは『油症のことは知らない』と言われて取り合って貰えませんでした。 身体が他の人より弱く、一般企業などで働くことに不安があり、生活が安定しないため、結婚は考えられません。 高校生の時に母からカネミ油症のことを聞きました。差別と偏見もとても多くありました。現在、私自身も活動を始めたことで、連絡の途絶えた友人もいます。 カネミ油症は終わった話ではありません。今も、その症状で苦しんでいる人たちがいることを、忘れないでいただきたい。 次世代も未認定者もみんな救ってほしい この番組で語られたのはカネミ油症被害のほんの一部未熟なこのブログで伝えられるのもそのごくごく一部ぜひ、NHK+で見ていただけますように昨16日午後10時50分~ 事件の涙『毒の油』は世代を超えて食品公害カネミ油症事件 勇気をふり絞って番組に出て下さった被害者の皆さま方に感謝、感謝です。【カネミ油症のこと】 『家族の食卓』朗読が終わりました♪
2024年08月17日
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カネミ油症支援センターのSさんからの提案で『家族の食卓』の朗読を3人で始めました。昨年の1月23日から始めて11月15日に終わりました。Tさん、Uさん、私、それから嬉しいことに後半、Aさんが加わって4人となりました。『家族の食卓』聞き取り記録集は石澤春美さんと水野玲子さんが、2000~2005年にかけて、何回もカネミ油症被害者の方々を訪ねて聞き取りをされた記録集です。2006年に発行されて今は絶版となっているためTさんのを借りてコピーして読み合わせました。大まかな目次ははじめにカネミ油症事件無言の訴え語りつくせぬ日々あとがき略年表となっています。写真は、私が使ったコピーでいろいろ書き込んでいます。「はじめに」の中で、ある被害者を訪ねて帰りがけに『今、一番言いたいことは?』と尋ねたら、一年前と全く同じ言葉・・・『わしらは売っていた油を買って食べただけなんよ。なんにも悪いことはしていない。どうして、こんな苦しい目にあわんとならんのか? 元気になってカネミ倉庫と国に言いたい‼』その帰り道で、この聞き取り集の作成を思い立った・・・と書いてありました。カネミ油症事件とは1968年、西日本一帯で、北九州にあるカネミ倉庫が製造し、販売した米ぬか油(カネミライスオイル)にPCBが混入していたため起きた食品公害事件です。そしてPCBが過熱されたことで、ダイオキシン類に変化。食べた人たちに今もさまざまな疾病と苦痛が続いている。国によって認定された被害者は一部で多くの被害者は未認定のままに苦しんでいる・・・その苦しみは、読み合わせている私たちにとって想像を絶するもので身につまされる思いでした。この小さなメモリーカードに約5時間分が入っています。家族の食卓 朗読 ≪目次≫ 1.はじめに P1 6分35秒2.カネミ油症事件 p5 16分23秒3.17才の生涯 p11 10分48秒4.我が子 p15 16分50秒5.経済大国日本の影で 1 p19 6分49秒6.経済大国日本の影で 2 p20 7分12秒7.経済大国日本の影で 3 p22 8分40秒8.泡立つ油 p25 14分03秒9.督促状 p28 10分51秒10.嵐の中に p32 11分02秒11.叫び p35 10分43秒12.母子の暮らし p38 6分21秒13.飲んでいた油 p40 7分12秒14.黒い皮膚 p43 9分39秒15.腕の中で p46 6分29秒16.認定と未認定 p49 4分54秒17.原爆投下のまちから逃れて p51 8分52秒18.夫の遺品 p54 6分55秒19.断ち切られた子孫 p57 6分56秒20.苦悩 1 p60 14分53秒21.苦悩 2 p63 5分48秒22.失明 p65 9分11秒23.孤独の戦い p71 18分48秒24.我が子のため p76 10分21秒25.青春は病院で p79 8分43秒26.親の因果といわれ p82 12分09秒27.体調が悪くてあたりまえ p86 4分25秒28.37年後の認定 p88 6分16秒29.無念 p90 2分54秒30.死産 p91 4分51秒31.虐め p93 9分42秒32.何のための病気 p96 4分26秒33.あとがき p99 3分34秒34.カネミ油症事件 略年表 p101 5分24秒いつか、皆さまに聞いていただける 日がくるといいなと願っています【カネミ油症のこと】 夕食時、ラジオでカネミ油症の報告が・・・
2023年01月13日
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2月4日、たぶん夕食時だったと思うのですがのんびりと食事をしていたら、NHKラジオでカネミ油症のことが話されていました。珍しいことなので急いで録音をしてテープ起こしをして、このブログに 載せさせていただくことにしました。報告者は、土屋敏之解説委員でした。 を、アナウンサーを、報告者である 土屋敏之解説委員と させていただきます。どなたにもチェックをしていただいてませんので間違いがあるかもしれませんが、ご容赦下さい。 カネミ油症・・・国内最大規模の食品公害とも言われます。先週の土曜日(1月30日)国はその被害者の子どもの世代への影響を調査する方針を示しました。科学医療担当の土屋敏之解説委員に聞きます。土屋さん、カネミ油症について、今ではもうよく知らないという方が増えたかもしれませんね。そうですね~。特に被害者が九州などに多かったこともあって、東日本ではあまり知られていないという面もあると思います。そもそも、このカネミ油症の原因はPCB(ポリ塩化ビフェニール)という人工の化学物質で無色透明の液体です。で、このPCB、熱に強くて電気を通しにくいなどの性質があることから、かつては、電気設備の絶縁用の油や塗料、インクの用材などに世界で幅広く使われていまして、国内でも5万トン以上が使われたんです。ところが1968年に、北九州市の企業が製造した米ぬか油を口にしていた人たちに、激しい皮膚炎などの健康被害が多発したんですね。で、まあ、原因はこの食用油の製造設備の方で使われていたPCBが化学変化を起こして、さらに毒性の強いダイオキシン類等ができまして、それが配管から洩れて、食用の米ぬか油の方に混入してしまったためだとされているんです。で、1972年にPCBの製造自体は中止されたんですが、PCBを含む廃棄物の処理は、有害物質の焼却場の建設に各地で反対運動が起きたことなどから遅れに遅れまして、全国の事業所などに長く残されてきたんです。で、2000年代に入って、ようやく国が全額出資した無害化処理施設などが造られて、その処理が今も終わらずに続けられている状態です。 今もPCBの処理が終わっていないんですね。そうなんです。さらに深刻なのが今も健康被害に苦しんでいる人たちがいることです。で、発生当時、患者の全身に黒い吹き出物などの皮膚症状が現れたり、いわゆる黒い赤ちゃんが生まれたことなどが社会に衝撃を与えたんですが、患者の健康被害は全身の倦怠感や痛み、鼻血、咳や痰、手足のしびれ、月経異常など実に多岐にわたるんです。 それほどさまざまな症状が出るのは何故なんですか?はい、九州大学などの研究で、体内の細胞にあるAhRという受容体というんですけど、ダイオキシン類が結びつくと有害な活性酸素などが過剰につくられて、それが全身の組織を傷つけるというメカニズムが徐々に分かってきたんです。で、すぐに現れる先ほどのような症状だけでなく、ガンや動脈硬化などの長期的なリスクが高いことも報告されているんですね。そして、その治療法は今も確立されていないんです。被害者は半世紀が過ぎた今も、さまざまな病気で苦しんでいます。 被害者の救済や保障というのはどうなっているんでしょうか?それがですね、米ぬか油を製造した会社が資金力に乏しい中小企業であったことなどから、患者の救済がなかなか進みませんでした。ようやく、2012年になって救済のための法律がつくられまして、国が認定患者に対して毎年、健康実態調査というのを行って、協力した患者さんには支援金として一定額を支払うなどの形が出来てきました。一方で医療費の方は、患者さんが立て替えた医療費をあとから国が負担するなどして、それも国が支援する形になっています。また、健康被害を届け出た人はおよそ1万4,000人いたともされるのに対して、この救済制度の対象となった認定患者は、すでに亡くなった人も含めて累計で2,350人にとどまっています。 ということは、救済から洩れている人がいるかもしれないというわけですね。そうなんです。そして、こうした中で先週末、国と原因企業、そして患者の三者による協議の場で、米ぬか油を摂取した本人だけでなく、のちに生まれた子ども世代への健康影響はどうなのかを、今後は国が研究費を出している全国油症治療研究班が調査をするという方針が示されたんです。で、次世代にしぼった調査が行われるのは初めてのことになります。 被害者の子ども世代にも影響は及んでいるんでしょうか?はい、カネミ油症の被害者には直接汚染された米ぬか油を摂取したり、摂取した女性のお腹に当時いた胎児だけではなくて、何年も後になってから生まれた子どもにも健康影響が出るケースがあるということは以前から知られていました。で、その原因としては、母親の胎内に残る化学物質が母乳や胎盤を通じて影響した可能性などが考えられていますが、まだはっきりは分かっていないんです。現在の認定患者の基準は、主にこの米ぬか油を摂取したこと、特徴的な症状があること、そして血中のダイオキシンなどの化学物質の濃度が高いことなどがあるんですね。しかし、油症の発生から何年も経ってから生まれた子ども世代では、親世代と比べると血中の化学物質濃度は低い場合が多くて、症状は重くても認定されることが少なくて、認定された人は50人ほどにとどまっているんです。これに対して、去年、被害者の支援団体がアンケートを行ったところ、認定されていない子ども世代の人たちでも、さまざまな健康影響が出ていることがうかがわれました。これが今回、国の研究班による調査へと踏み出すきっかけのひとつになったんです。 なぜ発生から半世紀以上たって、ようやくこうした調査へと動き出したんでしょうか?そうですね、本人世代への救済制度さえ近年になってようやく出来たということもありますし、もう一つ背景には、被害者が多くの差別や偏見を受けてきたことがあります。たとえば、体調が急に悪化することで、仕事を休まざるをえないということに理解が得られず仕事につけなかったり、あるいは女性が子どもを産むことを否定するような言葉をかけられる。そしてまた、親がカネミ油症だと分かったとたん、親しかった友人との付き合いが途切れてしまったなどという人もいます。こうしたことから自分がカネミ油症であることを、家族や子どもにも話せないでいる人が少なくないんです。そのため、これまで次世代への影響を調べることが困難であった面もあるんです。ですので、今後の調査で未解明のカネミ油症の次世代影響へのメカニズムを解明したり、あるいは多くの人の救済につなげていくためにも最初のハードルになるのは、差別や偏見を恐れる患者や子ども世代の人たちから、調査への同意や協力がどれだけ得られるかになると思います。 他にもハードルがあるんでしょうか?はい、かかる時間という問題もあります。被害者が望んでいるのは一刻も早い次世代を含めた救済です。発生から半世紀以上が過ぎましたので、被害者は高齢化が進んで亡くなった人も多いですし、すでに孫世代もいます。有害な油を直接その人が摂取していないという人がかかえる倦怠感や喘息などのさまざまな症状を、これはカネミ油症によるもの、あるいは、これは違うのかということを窮めることは容易なことではないわけですが、時間は限られていると言えます。現在の認定基準で重視される一つが、先ほどもも触れたように血中のダイオキシンなどのボウド?だとされるんですが、次世代の人たちはこの価が一般に低いため、症状があっても認定されないケースが大半です。私が取材した認定患者の娘さんで、その方は認定を受けられていないという方も、次世代調査で血中濃度が低くてもさまざまな健康被害が出ているケースが多くあるということが確かめられれば、それが認定基準の見直しにつながるということを期待しています。 患者への差別や偏見が、被害者をさらに苦しめるというのは、現在の新型コロナウイルスにも通じる問題ですよね。全くその通りですよね。で、病気になった人は決して非難されるべき存在ではなくて、誰もが同じ立場になり得る、私たちの社会の問題だという認識が共有されることが最終的な解決には欠かせません。そして、国は深刻な健康被害を受けながら救済から取り残される人がないように、一刻も早い解決に向かうように、取り組みを加速していってほしいと思います。 ここまでまとめて『カネミ油症次世代への影響調査』で検索してみたら、ナッ、ナント、こちら が 出ました。同じ日の夜の番組『持論公論』で、カネミ油症の放映があると聞いていたのですが、わが家にはテレビがないので見られないと思っていたら思いがけずに、ラジオからカネミ油症の報告がありびっくり テレビと同じ報告者だったんですねこのブログで分かりにくかったら、上記の こちら こと「カネミ油症 次世代への影響調査へ」・・・を ご覧になって下さいね。【カネミ油症のこと】 カネミ油症被害者全国連絡会が発足♪
2021年02月07日
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『カネミ油症被害者支援センターだより』が先日、届きました。 それによると・・・今年1月、カネミ油症被害者全国連絡会 が発足し6月に、第一回の総会が行われたということです。被害者の団体と、国、カネミ倉庫、三者による三者協議が年2回 九州で開催されてきましたが被害者がひとつにまとまる必要性などからつぎの13の団体の方々の話合いにより全国連絡会の発足となったものです。 カネミ油症関東連絡会 カネミ油症新認定訴訟原告団 カネミ油症被害者高知連絡会 カネミ油症被害者五島市の会 カネミ油症被害者福岡地区の会 北九州カネミ油症被害者の会 田川被害者の会 長崎市油症患者の会 長崎本土地区油症被害者の会 広島県カネミ油症被害者の会 広島油症被害者の会 油症医療恒久救済対策協議会 油症被害者関西連絡会 会の代表世話人となった方のご挨拶文から一部を抜き出し 載せさせていただきます。事件発生から50余年という経過の中で先人たちにさまざまな道を作っていただき、今に至るも、それぞれの患者団体は、その成立や過程の違いからか、統一した訴えになかなかならず、同じ被害にあったという共通の痛みを持った患者同士にとって、今、本当に要望すべき事は何なのか、またそれを実現させるためにどういう活動をしなければいけないのかさまざまな視点から、もっと横のつながりを強化せ ねばという皆の思いが全国連絡会結成へとなりました・・・と、書いていらっしゃいます。 それから、この時に発足した関東連絡会に、このリーフレット を見て 参加して下さったSさんが、この全国連絡会の世話人になって 活動されているのがとても 嬉しいことです。関東連絡会が発足した頃は、私も月一回の定例会に参加していたのですが、すっかりご無沙汰してしまい 心苦しく思ってます。カネミ油症については、私が20代のころ、友だちに誘われて 長崎県の五島列島に行きカネミ油症被害者の方々から お話を伺ったりして 何かしなければ・・・と思いつつ、 何もしないで50年近くを過ごしています。今、声を上げている方たちは、私が訪ねた頃赤ん坊だったり、子どもだったりした50代から60代の方々で、体調も良くなかったり大変なことも多い中での訴えと活動です。これから、多くの方々に知っていただき拡がっていくといいなと願っています。【カネミ油症のこと】 カネミ油症が報道されて、昨日で50年!
2019年08月06日
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カネミ油症のことが朝日新聞で報道されて昨日で ちょうど50年になりました。こちら で 映画界の案内がされていましたが、行きたい気持ちはあったのですが・・・行かれませんでした。『生木が立枯れていくごたる』 ( 岡田道仁監督、1976年)私が20代の頃に 何回かお会いしたことのある監督が撮られた映画で もう一度見たいと思っていました。岡田監督は、今は 80代になられているかと思いますが どうされているでしょう?『食卓の肖像』( 金子サトシ監督、2010年)『食卓の肖像』は、金子監督らが中心になって 全国で上映活動をなさっていらっしゃいます。 機会がありましたら ぜひ ご覧になって下さい。【カネミ油症のこと】 カネミ油症とPCB処理問題を考える集い
2018年10月11日
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昨17日(日)池袋のIKE・Biz(としま産業振興プラザ)にてカネミ油症とPCB処理問題を考える集まりがあり、参加しました。午後1時から4時半まで主催は、カネミ油症関東連絡会共催、カネミ油症被害者支援センター参加者は50名を超えて、皆さん、長時間にわたって 熱心に 聴いておられました。 初めに、1、カネミ油症事件とは何?主催・共催、両団体から代表者からのお話がありました。2、被害者の声子どもの頃に被害を受けて 50年近くもの間体調が悪く、辛い生活を 強いられてこられた 3人の方から身につまされるお話がありました。3、紙芝居 『私はなんの病気?』こちら で 紹介させていただいた紙芝居、作者の生の声での上演がありました。4、PCB処理問題について録画上映今年1月15日にNHK総合テレビでの放送10年前、日本テレビ 『今日の出来事』 で放送された カネミ油症を特集された二本の録画上映がありました。5、映画『食卓の肖像』の上映金子サトシ 監督のカネミ油症事件についてのドキュメンタリー映画『食卓の肖像』 の上映がありました。 また、6月15日の朝日新聞 西部版 夕刊に 紙芝居『 私はなんの病気? 』が載りました。デジタル版 は こちら で ご覧になれます。【カネミ油症のこと】 紙芝居 『 私はなんの病気? 』
2018年06月18日
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カネミ油症の紙芝居を作れたらいいな♪ と 思って提案して その2か月後には ほぼ 出来てましたみんなで作ってみるつもりで提案しましたが・・・りょうこさんが、お一人で いっきに作られました。10才頃からの48年間の思いがこもっています。りょうこさんのご了解をいただき、ここに紹介をさせていただきます。 紙芝居 『 私は なんの病気? 』 画 と 文 りょうこ 私の生まれた所は、西日本の山間の村です。 なんのへんてつもない静かな村の山に家がありました。 とても夕焼けがきれいな所でした。 こどもの頃の私は、おてんばでした。 お母さんの作ってくれた着物を着て、 はだしで野山をかけ回っていました。 1958(昭和33)年2月生まれの私ですが、 暮らしぶりは まだまだ昔のまんまでした。 家の回りには 一年じゅう花が咲き、 くだものが実るように、ご先祖様や 祖父母、父母が手入れをしていました。 牛、猫、犬も飼っていて、まずしいながらも いろいろ、美しいものに囲まれていました。 3人姉妹の 真ん中の私は、とても食いしん坊でした。 ご飯をどれだけ いっぱい食べられるか姉と競争し、 姉は一杯、私は三杯、5つ下の妹は まだ少ししか 食べられませんが、うらやましそうに見ています。 おかずは、子どもたちにはどうにか よいものをと父母は工夫していました。 油物といえば、おやつに小麦粉をといて フライパンに油をしいて、クレープのような ものをたべました。絶品のオムレツ、たまに てんぷらや、野菜いためを食べました。 それらのおかずは、子どもたちだけが食べました。 油を使う料理はそれくらいしか思い出せません。 1968(昭和43)年の3月初め頃、 私は、40度の高熱を出して寝ていました。 おてんばでしたが、小さい頃から 40度の熱を出して一週間ほど寝ることはよくありました。 しかし、この時は、いつもと様子がちがいました。 いつも風邪をひいて熱が出ても、みな忙しいので いつものことだろうと、私一人で寝て治すのですが、 この時は4日目の夜、往診医、付き添いの看護師、祖父母、 父母が、なにか、私が死ぬのを見届けるかのように、 深刻な表情で、私の顔をじっと見ていました。 一週間がたって、ようやく熱がひき、学校に行く朝、 顔を洗って、鏡を見ると、顔にびっしりと 赤黒いにきびができていて、びっくりしました。 おそるおそる 祖父に なぜこうなったのだろう?と 聞くと、 祖父は『お医者さんが脂肪代謝不全と言っていた』とつぶやきました。 赤黒いにきびは、目、鼻の穴、耳の穴、口以外の あらゆる所、首、胸、背中、足にもできました。 そして、同じ時期にきょうだいにもできましたが、 私が一番 ひどかったです。 私は、顔を洗うたびに、洗ったら、いつのまにか シンデレラのようになるかもと期待していましたが、 その希望は、もろくも崩れ去りました。 10才のはじめから19才までの丸10年間、 全身の赤黒いにきびはとれませんでした。 このような症状が出たのは、私の地方では 私たち三姉妹だけでした。 私は、写真を撮るのがいやでした。 まわりのみんなは楽しく少女時代を送っていましたが、 私にとっては暗黒の時代でした。 初潮からひどい吐くような生理痛、 塊の出る多量出血に苦しみました。 忍耐強い母でさえも『陣痛よりひどい』 という言葉がもれました。 高校の卒業式を終えて、迎えた春休み、 うちの町にある美容院に顔の肌を 治せる方が来ているという話があり、 まず姉が一週間、試したところ、 すっかりきれいになってびっくりしました。 治療費が高いのは予想できましたが、 私もやってほしいと家族に頼みました。 5日間、顔の皮膚を、若いやさしそうな 女性の治療師さんが、あたたかく細かい シャワーのお湯で洗ってくれました。 目や耳や口に入らないようにしてくれたし、 なにも匂いはないし、痛みもないし、 べたつくこともないので、今もって 何の薬を使っていたのか不明ですが、 6日目には私も顔のにきびがすっかりとれました。 顔のにきびがとれたとたん、全身のにきびも消えました。 私の素顔、19才の春、助産婦になることは 高校進学時には決めていたので、早く社会に出て 働きたいと思っていました。 これまで少しでも丈夫になろうと、 漢方や食事療法だけでなく、 マラソンをしたり、農作業の手伝いをして、 体を鍛える努力をしてきましたが、 激しい生理痛は続き、助産婦学校卒業の頃には 体がむくんで、倒れることもしばしばでした。 ≪人間として生まれたからには、一か月でもいいから 人の役に立って死にたい≫と 思っていました。 学校を卒業し、東京の病院の産婦人科に就職しました。しかし、足はだるく、一か月のうちに快適に歩けるのは4日くらいでした。さっそうとみんなのように歩けたらいいなといつも思いました。仕事を始めて一か月たった頃、私はやっと自分の夢がかなって安心しました。≪一か月でもいいから人の役にたって死にたい≫しかし、このままだと25才には死ぬだろう。運がよければ結婚したいけれど、それには期待をしていませんでした。たまたま25才で東京の人と結婚しました。私は東京で3年修業したら、ふるさとに帰ろうと思っていましたが、3年目に東京の人と結婚することになりました。赤ちゃんが好きで助産婦になったのだから、子どもは5人くらいほしいと思っていました。しかし、死産、流産と続くので子どもはあきらめました。そのかわりに保育所で働くことにしました。43才の時、大きい子宮筋腫を全摘しました。しかし、体のあちこちに脂肪腫ができていました。 その後は、うつ病、全身の痛み、だるさ、硬直・・・正社員として働くのはむつかしい状況でした。見た目は元気にみえる私の体のため、私の体の苦痛の訴えを理解して下さる方はなく、悩みに悩んでいました。 思い悩んでいた時、手にしたある新聞で『カネミ油症救済法成立へ』の記事に思わずくぎづけになりました。2012(平成24)年8月3日のことです。被害者の方の証言を読むと、症状が私とよく似ている、私は、カネミ油症被害者ではないか?と思い、いろいろ調べ、検査も受けましたが、結果は『未認定』でした。しかし、今、心強い支援して下さる方々、そして被害者の会の方に出会えました。どうか、私の紙しばいが、何の病気かで苦しんでいる方々に少しでも気づいていただき、声を発する機会となりますようにとの思いをこめて描きました。そして、もう一度、お聞きします。『私は、なんの病気でしょうか? 病名を、名医の方、教えて下さい』 (終わり)【カネミ油症のこと】 カネミ油症を考える 5.31 東京集会に参加して
2017年07月28日
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16日、中央図書館で『おとなのための紙芝居』があり、≪語り≫の 参考にさせていただけるかもと思い、申し込みをし 聴きに行ってきました。 午前の部『おおきな木』 『いのちをいただく』『平和のちかい』 午後の部『おおきな木』 『池にうかんだびわ』『嘉代子ざくら』 私はどちらも見せていただきましたが、みなさん熱演で、とても良かったです。見ているうちに、カネミ油症の紙芝居も・・・ ふと、作ってみたくなりました。翌17日午前中、カネミ油症関東連絡会の月一回の集まりがあり、参加しました。それで、最後の頃に紙芝居の提案をしましたら、みなさん喜んで下さって、作ってみることに帰りには、主人公の女の子の名前を かな子 にすることも決まりました。幸い、絵を 一緒に描いて下さる方、ヒントやアイディアを 出して下さる方々もいてくれて 月一回の集まりごとに構想をふくらめていき、深刻な内容のうちにも ほのぼのと楽しい感じの紙芝居になるといいな~と今から楽しみです。【カネミ油症のこと】 カネミ油症を考える 5.31 東京集会に参加して
2016年09月18日
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カネミ油症について考える 5.31東京集会から5日が過ぎました。その報告が どこかに載らないかな~と待っていましたが、今のところ どこにも見つからないので、私なりに まとめてみました。開会から10分遅れてしまいましたし、不勉強な 私ですので、どこか 間違ったところがあるかも間違いがありましたら、どうか ご指摘下さい。カネミ油症 新認定被害者の訴えが 最高裁でも棄却されてから1年、カネミ油症患者に対する法施策から 3年の今、法の見直しにあたっての 課題や放置されたままの次世代、未認定被害者らの救済などについて考えていこうという集まりでした。私は、開会から10分も遅れてしまい、不正確かもしれませんが、福岡や長崎・五島、四国や広島から9名?もの被害者の方々が参加し発言されました。どの方のお話も、安全と信じて食べたカネミ油により被害を受け、つらく苦しかった48年間、そして今もさらに、これから子や孫へも続く症状や、苦痛・不安国や、カネミ倉庫、原因物質であるPCBならびにダイオキシン類を 製造し、販売した 鐘ヶ淵化学(カネカ)の 理不尽な対応などへの訴えでした。日頃、歌を唄ったり、詩吟やフォークダンスなど楽しいことばかりして過ごしている 私としては、居たたまれないほど重く 真に迫った内容でした。私は 『 何もしてこなくて、すみません。これからも出来ないと思うし、しないと思うし ごめんなさい』と心の中で謝りながら 皆さんのお話を聞いていました。3年前に発足 し、私も行かれるときには参加しているカネミ油症関東連絡会からもお二人が発言されました。Nさんは、月に1回 和気あいあいと集まっていることSさんは、昨年の秋から集まりに参加するようになり情報の大切さを 身をもって痛感されたということ・・などを発言されました。Sさんは6才のとき、カネミ油症の被害を受け、家族全員で九州大学の油症研究班の検診を受けに行き、自分ひとりだけが認定を受けた。 その後、お父さんの転勤で住まいが変り、情報が入らなくなり、3年前の ≪救済法≫ が施行されるまでカネミ油症が続いていることを知らなかった。40年以上前認定を受けた頃の症状と、今、カネミ油症が病気の総合商社であると言われるほど、あらゆる症状に襲われている事実を知らなかった。 そして、昨年の秋、関東連絡会に参加して、『発症当時、認定者と同居し、同じものを食べていた家族は、認定の枠を拡げる』 という 家族内認定のことを知り、当時疑症と診断されたままになっていたご家族が認定されるよう申請を出し、認定されたということなどを報告されました。カネミ油症が発覚してから48年になります。この間いろいろな症状に 悩まされ、3年前の法律によって、家族内の認定枠が拡がり、それによって認定されてもカネミ倉庫によって支払われる医療費は、認定されて からのものに限られます。 これもおかしな話ですね。他にもいろいろな報告や発言もありました。こういうことがネット上に載っていないのは本当に残念だな~と思いつつ、不十分ですが私なりに感じたことを 少し載せてみました。補足して下さる方がいたら嬉しいなと思います。5月31日の集会とは 別なことですが、カネミ油症事件は 終わっていない聞き取り記録集 『家族の食卓』より で、被害者の方々の声が ご覧いただけます。【カネミ油症のこと】 5月31日、カネミ油症について考える集まり
2016年06月05日
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カネミ油症被害者支援センターのブログ で ご覧いただけますが、明後日、カネミ油症について考える集まりがあります。その呼びかけチラシから転載させていただきます5・31 カネミ東京集会カネミ油症について考える~法施行から3年の今~5月31日(火) 午後6時~8時豊島区生活産業プラザ 3F 大会議室にて池袋駅東口から歩いて7分電話 03‐5992‐7011参加費 無料 カネミ油症 新認定 訴訟の、請求棄却という不当判決確定から、まもなく1年になります。 司法による救済の道が閉ざされてしまった中で、『 カネミ油症患者に関する施策の 総合的な推進に関する法律』も、施行から3年が経過し、施策の検討が行われた結果、指針の 改定案が示されましたが、まだまだ被害救済にはほど遠い内容でした。カネミ油症 だけでなく、水俣病・ アスベスト、そして福島と、健康被害をうけた被害者たちのたたかいはこれからも続きます。被害を受けたにもかかわらず、認定もされず苦しんでいる 多くの人々をも含めた、被害者の全面救済への道を、どう切り拓くか、一緒に考えましょう。主催 カネミ油症被害者支援センター(YSC)連絡先 伊勢 (いせ YSC)電話 090‐9321‐8607 集会プログラム(予定) 最高裁決定の報告、その不当性について(司法救済について) 救済法3年後の見直しにあたっての課題(指針の改定案・政治救済について) 放置された次世代、未認定被害者の救済 人体に残るPCB対策について 被害者からの訴え 参加者全員による討論チラシの裏面ですカネミ油症事件とは?カネミ油症は、人類が初めて 「ダイオキシン類」 を 食べさせられた 食品公害事件です。カネミ倉庫株式会社(本社:北九州市)が 製造・販売した 「カネミライスオイル」(米ぬか油)は事件発生当時、『体によい健康食品』 として、福岡県や長崎県など西日本地方一帯で小売り(流通)されていました。しかし、1968(昭和43)年、製造の過程で、鐘淵化学工業株式会社(現:カネカ)が製造したPCB(ダイオキシン類)が混入したカネミライスオイルが販売されました。被害者となった人々は、いつものように 商店やスーパーなどで「カネミライスオイル」を購入し家族全員で食卓を囲み、天ぷらや炒め物など日々家庭の食卓で 食べた人々、行きつけの 食堂で友人や同僚などと・・・ 食べた人々などです。事件発覚当時、保健所へ届け出た人々は、14000人以上でしたが、事件後まもなく設置された【油症研究班】によって【認定基準】が定められ、当初 認定された人は1900人に満たない数でした。1970(昭和45)年から、被害者はカネミ倉庫をはじめ、国、PCB(ダイオキシン類)を製造したカネカなどを被告として 損害賠償請求訴訟(提訴被害者1854名)を 起こし、激しい法廷闘争を繰り広げましたが、1987(昭和62)年に 裁判は終結しました。しかし、裁判終了後に新たに「被害者」として 認定された人々も多くいたのです。 これら新認定被害者も、旧原告らと同じく 様々な病気、深刻な症状に悩まされ続けていましたが、何の救済措置もなく、放置され続けてきたのです。そこで、2008(平成20)年5月、福岡など地方裁判所小倉支部に カネミ倉庫株式会社等を相手に 損害賠償請求の裁判を提訴しました。ところが、2013(平成25)年3月21日に 言い渡された福岡地裁小倉支部の判決は、カネミ倉庫の責任を 全面的に認めながら、『原告らの請求は、いずれも 民法724条後段の規定による除斥期間で権利が消滅している』として 請求を棄却するという 全面敗訴の判決を下しました。福岡高等裁判所に控訴しましたが、またもや 控訴棄却でした。下級審ともに除斥期間による 権利の消滅を援用し、訴えを退けましたが、原告のほとんどは、事件発生から30年以上経た後に カネミ油症と認定されており認定前に裁判を起こす事など事実上不可能だったのです。下級審の判断は あまりにも理不尽でしたので、原告の皆さんは最高裁判所においては正義の見直しがなされるものと信じ、上告上告受理申立を行いました。 しかし、2015(平成27)年6月2日、最高裁は、原告らの上告・上告受理申立を 棄却・受理しないとの決定を下しました。門前払いの決定でした。事件発生からすでに50年近くを経た今もカネミ油症の被害は続いています。 現行の診断基準に阻まれて認定されないままの被害者や、直接 食していない 2世や3世の被害も 顕在化しています。 このままでは、残された多くの被害者の救済の道も閉ざされることにつながります。事実上、司法救済の道が 閉ざされた 今、被害者救済のために何ができるのか 多くの人の知恵と世論の結集が必要なのです。以上、呼びかけチラシから転載させていただきました。31日 と言えば、翌日から 『四季の花』 の 営業で、毎月 いちばん忙しい日です。それに 始めてから まだ一度も休んだことのないフォークダンスの日なのですが参加してみようかな~と 思っているところです。 ご都合がつきましたら、ぜひ、多くのみなさまに、ご参加いただけますよう ご案内申しあげま~す【カネミ油症のこと】 カネミ油症関東連絡会、3月の集まりに参加♪
2016年05月29日
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世の中には、こんなにも人が いたんだ~と驚くほど 賑やかな 連休前 土曜日夜の池袋人もまばらな八国山周辺で暮らしている 私には祭りのような賑わいに思えました。カネミ油症関東連絡会3月の例会が、19日夕方6時から 池袋であり、参加しました。いろいろな議題がありましたが、そのひとつ3月半ばに、カネミ油症の被害者の方々と、国会議員、関係省庁担当者との 話し合いが 議員会館で持たれ、その報告がありました。北九州や大牟田、長崎・五島、広島などから11名もの被害者の方が上京され、今も続く 被害の苦しみを訴え、要望をされました。この日、私は 参加できなかったのですがお土産のおすそ分けをいただきました一人 三つずつ。 例会中に 一つ いただいたので、二つの写真です。黄な粉たっぷりの美味しいお菓子食べ終わってから、どこのお菓子か見ておけば良かった~と 悔やんだのですが、≪五島銘菓≫と写真に映っていました。なつかしい五島から、海を越えて持ってきて下さったんですね。何のお役にも立てず、申し訳ないと 思いつつ 美味しくいただきました。ご馳走さまでした。それから、昨年秋から参加して下さるようになった方が、先月の例会議事録を作ってきて下さって びっくり みんなで感動しました。今回の議事録も、まとめて下さるとのことこれからは 参加できない人も情報共有ができ、会の記録、元気の源にもなってくれそうです。少しずつ輪が拡がっていく、その端っこにでもいられて 嬉しいな~と思えた 集まりでした。次回は、4月23日午前10時からどなたのご参加も、歓迎で~す【カネミ油症のこと】 カネミ油症関東連絡会、2月の集まりに参加♪
2016年03月23日
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発足して3年が経った カネミ油症関東連絡会2月の例会が池袋であり、参加してきました。 みなさんの熱心な発言や報告が盛りだくさんで、 頼もしく、感心しながら 私は聞くばかりでした。中でもとりわけ、嬉しいことがありました。昨年の秋から参加して下さっている Sさんが≪カネミ油症関東連絡会≫ の ホームページを作成されました~まだ、仲間うちだけでの公開ですのでご紹介することができませんが・・・このホームページ中のつぎの文に、感動昨年、東京都で 初めて油症検診に行ったときに「椿と水仙の島で何が?」と題する1枚のパンフが配られました。検診中は時間もあることから目を通すと、とても インパクトのある内容で、かわいらしい女の子のイラストが のっており、油症のことをよく知らなかった僕ですが、油症 の活動に興味をもったのもこの1枚からでした。ここに書かれている油症検診というのは、この日 早起きしてチラシ配りに行った会場での検診です。リーフレットを一緒に作った Tさんは、一昨年2日、昨年1日、配りに行き、私も 1日くらい 行かなければいけないな~と思い、行きました。Tさんの時か、私の時かはわかりませんが少しでも役に立てたかな~と嬉しいです。私には とても報告しきれませんが、他にも、こつこつと活動されていることが、少しずつ実りつつあることを実感できる会合でした。次回は、3月19日(土)18時~ です。【カネミ油症のこと】 カネミ油症関東連絡会の集まりに参加♪
2016年02月27日
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昨夜、『カネミ油症関東連絡会』の定例会が 池袋の生活産業プラザであり、久しぶりに参加しました。この時 に 発足し、四年目に入りました。新しい方々も加わって、深刻なお話ではあるのですが、和気あいあい 心温まる集まりでした。子どもの頃にカネミ油の被害にあって、苦しみ辛い思いをし、40代後半から50代になって声をあげ始めた人たちの集まりです。自分の症状が、カネミ油の被害とは気づかないで長年 過ごして来られ、この会に参加して 初めていろいろなことを知ったという方もおられます。 私などが参加して何の役に立つのかとも思いますが、このままではカネミ油症の被害が消されてしまうと若い人たちが、勇気を出して訴えてくれているので少しでも役に立てればいいかな~と思っています。そして、少しずつでも輪が拡がってくれることを願っています。次の集まりは 2月27日 10時~3月19日 18時~ どなたのご参加も大歓迎で~す【カネミ油症のこと】 カネミ油症関東連絡会からの呼びかけチラシ
2016年01月17日
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昨日は、いつもより2時間以上も早く起きて相模原の北里大学病院まで 行ってきました。カネミ油の被害を受けた方々の検診があり、関東連絡会の呼びかけチラシを配りました。カネミ油症関東連絡会は2013年に発足し1~2か月に1回、集まりをもっています。次回の集まりは 10月31日(土)です。その集まりを ご案内した チラシとリーフレット を お配りしました【カネミ油症のこと】 カネミ油症被害者支援センターのブログが開設♪
2015年10月22日
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カネミ油症被害者支援センター の ホームページが2004年のままで淋しいな~と思っていましたが 今日、気がつきました~カネミ油症被害者支援センターのブログ が 開設されてました。 嬉しかったで~す明後日、9月26日(土) 午前中が 関東連絡会の定例会午後には、支援センターの総会があるので、久しぶりに参加してみようかな~と思っているところです。1968年にカネミ油症事件が発覚してから、47年カネミ米ぬか油を食べて今も多くの人が苦しんでいます。被害を受けてから30年近くも経って認定されようやく裁判を 起こすことができたのに・・・司法に良心はないのか 『時の壁』裁判では被害を受けてから20年以上過ぎているため訴える資格がないという理由で ≪棄却≫されました。私なんかが会合にちょっとだけ参加しても何の役に立つわけでもありませんが・・・参加してくれる人が増えるといいな~と願っています。【カネミ油症のこと】 カネミ油症 新認定被害者の訴えを、最高裁でも棄却
2015年09月24日
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ダイオキシンが認定基準に加えられてから認定されたカネミ油症被害者ら50数人の訴えが最高裁でも棄却6月4日付の長崎新聞から一部を引用カネミ油症 原告敗訴確定1968年に西日本一帯で発覚したカネミ油症事件の新認定患者50人と遺族が、ダイオキシン類などに汚染された食用油を製造、販売したカネミ倉庫(北九州市)に対する訴訟で、最高裁・・・(木内道祥裁判長)は3日までに原告の上告を退ける決定をした。原告敗訴が 確定した。新たに認定された患者が 2008年に起こした訴訟。原告は診断基準が見直された04年以降に認定された人が大半で認定されるまでは何の補償も受けていない。原告団長の一人・・・「あまりにもひどい決定で、ただただ驚いている」と落胆。 加害企業免罪 政治解決を 裁判所は、実質的に被害者を見捨て、加害企業を免罪した。 民法改正議論 反映されず 民法改正案では「不法行為から20年」について除斥ではなく「時効」と明記。除斥の考え方は取れなくなり、訴訟に効力が及べば20年経過後も請求が認められる可能性があった。ある原告も「望みがつながったと思っていたのに」と明かす。「起算点を油症認定前とすると、被害者が知らないまま損害が発生したことになり、妥当ではない」とし、高裁に差し戻すなど判断し直すべきだったと指摘。「長い期間苦しんだ人が権利行使できないという被害者に酷な決定だ」と断じた。 県内患者ら 次世代救済 懸念も 「裁判所の決定には納得できない」と声を震わせる原告女性「司法に訴える以外に何をしろというのか」-。 3日、原告敗訴が確定したカネミ油症の新認定訴訟。司法による救済の道が事実上閉ざされたともいえる最高裁の決定に、原告からは憤りの声が上がるとともに、子や孫ら次世代被害の対応など今後の課題への懸念も広がった。1968年、30代前半で3人家族だった。炒め物やてんぷらでカネミ油を摂取。皮膚症状や強烈な体のだるさ、関節痛、目の病気などに苦しめられ、周囲に相談もできず悩み続けてきた。ようやく油症認定されたのは2004年。体の不調は年々増し、先月も目の手術を受けたばかり。いくら法律論を並べられても、油症認定される前に損害賠償請求権がなぜ消えてしまったのか、理解も納得も全くできない。女性は「これ以上何をすればいいのか」と声を震わせた。以上、6月4日付 長崎新聞より一部を引用させていただきました。【カネミ油症のこと】 明4日、カネミ油症被害者の救済を求める集まり
2015年06月04日
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明4日、カネミ油症についての集まりがあります。次にこちら と こちら から一部の転載をさせていただきます。カネミ油症被害者救済を求める東京集会日時:2015年6月4日(木) 午後2時~4時場所:弁護士会館5階 502号A~D室 東京メトロ丸ノ内線、日比谷線、千代田線「霞ヶ関駅」 B1-b出口より直通 A1出口より徒歩2分 C1出口より徒歩3分 主催:カネミ油症新認定訴訟原告団・弁護団 共催:カネミ油症被害者支援センター(YSC) 連絡先:伊勢(YSC)電話:090-9321-8607カネミ油症の被害は、事件発生からすでに50年近くを経た今も なお続いています。現行の診断基準に阻まれて 認定されないままの被害者や、直接 食していない二世や三世の被害も顕在化しています。加害企業の責任を認めながらも、被害者には「排斥期間として訴える権利が消滅している」として救済の道を閉ざした判決を受け入れることはできません。最高裁に全被害者救済のための公正な判断を求めます 明4日、私は参加できないのですが、多くのみなさまにお集まりいただけますようにと 祈っておりま~す【追記】こちら や こちら や こちら で ご覧いただけますが、カネミ油症訴訟、認定患者らの上告を棄却 とのことです被害を受けて認定されたのは30年も過ぎてからのこと。認定されなければ訴えることはできなかったのに。でも、被害を受けてから 20年を過ぎているから訴える資格がないという一審、二審の判決を 最高裁が支持しました。【カネミ油症のこと】 カネミ油症のことを 世界に向けて発信♪
2015年06月03日
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昨日、リーフレットが届きました。思っていたより紙が厚くて、びっくり折るのに、手が痛くなってしまうほど厚いのですが送料は、25部まで100円、50部まで200円リーフレットは、何部でも無料です。 ぜひ、周りの方におすすめいただければ嬉しいです。カネミ油症事件は終わっていない で 紹介して下さっています。印刷をされる方は、こちら が おすすめです。印刷される方は こちら を やっぱり2色刷りにすればよかったと ちょっと後悔・・・印刷される方は、 こちら を印刷される方は、 こちら を読みやすいように大きくしてみました。 【カネミ油症のこと】 リーフレット 『椿と水仙の咲く島で 何が・・・』 その1
2014年10月19日
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椿と水仙の島で何が? 3年ほど前、関東に住んでいる友人がカネミ油症の被害を受けていたことがわかり、西日本だけの問題ではなかったこと、被害者の苦しみはずっと続き、ほとんど救済がされてこなかったことに大変ショックを受けました。 今も続いているカネミ油症被害のことが多くの人に伝わってくれることを願っています。 今から43年前の冬、長崎県の五島列島を訪ねました。PCB汚染のことを調べているうちに、PCB入りのカネミ米ぬか油で被害を受けて、多くの人が苦しんでいると聞いたためです。長崎から船で4時間、そこから1時間バスに揺られ、さらに渡海船に乗って、着いた町の中心から40分ほど歩いた集落では,7~8割の人が油症の被害を受けているとのことでした。 その時にお会いしたお二人のお話です。 三人力の漁師だったAさん 昼にはおひつ一杯の飯を食べ、お茶時にはパンを8つもたいらげた三人力の漁師だったのに、カネミの油を食べてから体がすっかりだめになってしまった。痛みに耐えかねて、たまらなくなって診療所で痛み止めの注射を打ってもらうことが連日続くこともある。こぶし大のコブが、ひざや内股や体のあちこちにできる。できたかと思うと4~5日で消えて、次には別なところにできる。このくり返し。 背中から腰、足先まで節々が痛むし、吹き出物で体中がぶつぶつになってたまらなく痛がゆい。 全身に薄いゴムの手袋をしているような感覚があって、はがしたくてもはがれない。 まるで自分の体じゃないみたいだ。 好きな酒が飲めなくなったBさん 頭から全身に吹き出物ができて髪の毛が禿げた。好きだった酒を飲むとむかつくのでやめた。田植え時にカネミ油を買い、ドーナツなどを揚げて近所にもふるまった。吹き出物やむかつきの原因がこの油だとわかるまで、家族で約9升の油を食べた。 今も続く カネミ油症の苦しみ 第33回 ダイオキシン国際会議での訴え カネミ油症五島市の会 事務局長 宿輪 敏子さん・・・私がPCBやダイオキシンを食べてしまったのは6歳の頃です。母が何も知らず、安売りされていたカネミ油を買ってきたのです。私たち家族は、その油に猛毒が入っているとは夢にも思わず、いつものように美味しい母の手料理を数か月間、食べ続けました。しばらくして、健康だった家族全員に異変が起こりました。顔や背中に、大小さまざまな吹き出物ができ始め、朝、起きると大量の目脂で目が開かないほどになりました。 顔のむくみも尋常ではなく、ブヨブヨになった歯茎からは、歯を磨くたびにだらだらと血が出ました。 爪は黒っぽくなり、波を打つように変形しました。 体が異常にだるく、小学校の階段は手すりにつかまることなしでは上れませんでした。 ご飯を食べた後は、お腹がムカムカして具合が悪くなり、食べたらすぐに横たわるようになりました。 カネミ油を食べ始めて1年半後には、母が40度の熱を40日間も出して、死にかけました。 点滴も薬も効かず、何が原因でどこが悪いのかもわからない中、母は死を覚悟で、開腹手術を受けました。 お腹にメスを入れると、執刀医の顔に飛び散るほどの大量の膿が、肝臓に溜まっていたそうです。 その膿を取り除いて肝臓に触ってみたところ、「ザクッ」 と音がしたのだと聞きました。肝臓に砂のような≪石≫が大量にできていたのです。 ・・・母は一命を取り留めましたが、その後も入退院を繰り返し、苦しい日々を送りました。 その時の≪石≫は、今でも母を苦しめています。母の苦しみは、体の被害に止まりませんでした。家族に毒を食べさせたと、今でも時々涙を流し、悔やんでいます。さらに母を苦しめたのは、当時、母が経営していた食堂でもカネミ油を使っていたことでした。 ・・・お客さんの中に体中の毛がすべて抜け落ちた人がいました。髪の毛はもちろん、眉毛やまつ毛、鼻毛やすね毛に至るまで、すべての毛が抜け落ちたのです。・・・ ダイオキシンが混じっていると知らなかったとは言え人様に食べさせたその苦悩は誰もはかり知ることはできません。 ダイオキシン入りの油を食べたために、・・・油症被害者には、子宮や卵巣を摘出した方が驚くほど多いです。子どもを産んだ被害者の運命も過酷でした。3年前にやっと認定された被害者は油を食べた8年後に肛門のない赤ちゃんを生んでいました。人工肛門をつけ、一生懸命、愛情を込めて育てましたが、4か月で亡くなってしまいました。この赤ちゃんに肛門がなかったことは、親にも知らせず、ずっと、夫婦だけの秘密にしてきました。しかし、カネミ油症の被害者として認定された今、『あの子は、この社会に大事なメッセージを伝えるために生まれてきたのではないか』 と考えるようになり、勇気を出して、メディアの前でこの事実を証言するようになりました。2013年・・・やっと認定された女性被害者は、電話口で・・・ 『今年 認定された私の弟・・・の子どもには 歯が8本生えてこなかったんだって』 私は絶句しました。油症被害者の子どもには、永久歯が生えてこない子がたくさんいます。 前歯や奥歯が1~2本足りなかったりするのです。 しかし、8本も少ないという話は初めて聞きました。 カネミ油症事件は、過去の事件ではありません。 ・・・次世代や次々世代まで続く健康への被害は ・・・ 次第に明らかになり、勇気ある被害者の訴えによって、マスコミにも取り上げられるようになってきました。 しかし、子や孫に現れる被害が深刻であればあるほど、被害者は真相を隠します。 子どもや孫を結婚差別から守るためです。 全身的に病んでいる私の(知人)は、電話をすると、よく 『死にたい・・・ 苦しむためだけに生きているようなものだ』 と言うのです。 彼女の子どもたちも、原因不明の高熱や大量の鼻血、婦人科系疾患などで入退院を繰り返し、まともに働けないほど病んでいます。それでも彼女は、子どもたちが結婚を諦めてしまうのではないかと思い、自分がカネミ油症の被害者であることを、ずっと隠してきました。・・・被害者の血液を検査しても、レントゲンで調べても、わからないことがたくさんあります。 ダイオキシン研究者の皆さん、現場に足を運んでください。できれば1年間位住み込んで調べて、真実を暴き出してください。・・・ お願いします。◆以上、ルポルタージュ研究所発行 『韓国のダイオキシン被害者たちは今』 に掲載されて いる 宿輪さんの講演録から抜粋させていただきました。 宿輪さんは2013年8月、韓国で開催された 『ダイオキシン国際会議』に カネミ油症の被害者として、初めて正式に招待され講演されました。 その講演の一部です。 関東にも被害者の会が発足 被害から43年が経った2012年8月、『カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律』いわゆる≪カネミ油症救済法≫が成立しました。翌2013年1月、 『カネミ油症関東連絡会』 が発足しました。首都圏ではただひとつの被害者の会です。 共同代表や、事務局を担っているのは子どものころに被害を受け、現在、関東に移り住んでおられる方々です。 体調が悪く、参加できない方も多く、一見、お元気そうでも何かしらの疾患を抱えこまれた方などが、きびしい中、協力しあって運営にあたっています。 もう終っていたのかと思っていた!この会でお会いしたMさんは「九州の山あいで育ち、10才の時から耳や鼻の穴以外、足に至るまでほとんど全身にニキビができた。 兄弟姉妹皆にも同じ症状が出た。脂肪代謝不全という医師の診断であったが、そうであれば生まれた時から出るはず。 ニキビは19才で消えたが、疲れやすく、他の人には理解してもらえない数々の症状に悩み、自分でも不思議な病気だと思ってきた。2年前、≪カネミ油症救済法≫のことを新聞報道で知り、カネミ油症被害者の症状と、自分の症状が酷似していたので、『もしかしたら自分もカネミ油症?』 『カネミ油症って続いているの?まだ終ってなかったの?』と思って、カネミ油症被害者支援センターと厚生労働省に連絡をされたとのこと。 Mさんが10才のときとは1968年、カネミ油症の被害が拡がった時期と重なります。病名もわからない様々な症状、自分を苦しめてきた病気の原因が知りたいと思い、油症検診も受けましたが、多くの未認定被害者と同じく、 『ダイオキシン類の血中濃度が通常値で、カネミ油症ではありません』 という結果が届きました。 Mさんは『今ひどい体調不良で寝込んでいる。下痢もひどく 水も飲めなくなり入院もし、もう1か月近く仕事も休んでいる』とのこと。 40数年前にお会いした五島の漁師さんも、広島のバスの運転手さんも 下痢に悩まされていて仕事中困ると仰っていたことを思い出しました。 関東での油症検診は、千葉と神奈川の二か所だけで、年に1回あります。 神奈川では相模大野駅からバスで30分ほどかかる北里大学病院にて。 集合時間が朝の早い時間で体調の悪い人にとっては大変きつく、 遠方の人は宿泊が必要です。対応も冷たく、 『もう二度と受けたくない』 という声が多数です。 以上は、リーフレットの表面、赤と濃紺の二色刷りです。リーフレットは、A3判の両面、四つ折で、もっと詰まっていますが、このブログではそれらをバラして載せています。『椿と水仙の咲く島で 何が・・・』その2へ つづきます。
2014年10月11日
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椿と水仙の島で何が? その1 からの続きです。 カネミ油症 と ダーク油事件1968年(昭43) 1月末から2月上旬にかけて、北九州市のカネミ倉庫が製造していた米ぬか油に大量のPCBが混入しました。カネミ倉庫は不良油を廃棄せず、正常油と混ぜて再脱臭して出荷。春から夏にかけて西日本一帯で、吹き出物や湿疹痛みや倦怠感など≪奇病≫が発生。その原因がカネミ米ぬか油とマスコミ報道されたのは10月になってからでした。PCBと、加熱処理によって生成されたダイオキシン類が混じったカネミ油は、五島列島や福岡など西日本各地で販売され、保健所などに1万4000人余の被害届がありました。 この年の2月頃、西日本一帯で約200万羽のニワトリが中毒症状となり、約40万羽が死にました。 飼料にカネミ倉庫製のダーク油が使用されていたためです。ダーク油は食用油製造時の副産物で、 国がこのダーク油事件の原因をきちんと追究し、食用油の安全性も調べていたら、油症の被害はかなり食い止められたと言われています。残念ながらそうではなく、被害者は、新聞報道された10月までの8か月間も、情報が届かなかった人はその後も、汚染油を食べされ続けていました。 福岡や五島列島で会った方たちのことが気になりながらも、 何もせずに40数年が過ぎてしまいました。『私も84才になりました』 という年賀状をいただき、8年前に会いに行ったときの五島でのスケッチです。 20年以上たっているから訴える資格がない ≪棄却≫の判決、どういうこと? 2004年、ダイオキシン類の血中濃度が認定基準に加えられてから、新たに 認定された新認定被害者など50余名が訴えた裁判では、被害から20年という除斥期間が過ぎているため訴える権利がないという理由で、福岡地裁と福岡高裁で棄却となりました。認定されたのは被害を受けてから30年以上も過ぎてから!認定されなければ被害者と認めてもらえなかったのにです。 現在 上告していますが、最高裁でも棄却されてしまうとしたら、原発事故による放射能被害も、数十年後になってからでも多く出てくるでしょうから、やはり棄却!となるのでしょうか? その前に、裁判所から和解の勧告 上記の判決が 福岡地裁で出る前の2013年2月、裁判所から和解勧告がありました。カネミ倉庫は原告に対し、認定前10年分の治療費や解決金の支払い義務を負う。但し、解決金を請求できるのは会社が倒産した時、銀行取引が停止になった時、会社が破産や再生手続きを開始した時などに限る・・・というような内容でした。今後、子や孫にどのような被害が出てくるか判らない状況で、この和解案は受け入れられないと考え、拒否したところ≪棄却≫の判決になりました。 不良油をさらに脱臭して出荷! カネミ油症は、米ぬか油製造の脱臭工程でPCB(現カネカ製造)が混入し、そのPCBが加熱されることによって、より毒性の強いダイオキシン類が発生。その毒性はサリンの10倍とも言われているほど。 カネミ倉庫は、不良油を再脱臭、再々脱臭、結果的に、ダイオキシン類を増やして出荷したことになります。 1974年7月には、残った油から多量のダイオキシン類が発見され、翌年には学会でも発表されていたそうです。 けれども、国が、国会でその事実を認めたのは実に、それから30年近くも経った2002年のことでした。 肝心なことが未解明、それなのに 『あなたは油症ではありません』 1968年10月、カネミ油症が発覚してまもなく、皮膚症状を中心とした診定基準がつくられ、認定・未認定の振り分けをしてきました。 2004年以降は主としてダイオキシン類の血中濃度が認定の基準となり、濃度が低い人は認定されません。 2013年4月、長年、油症治療研究班班長をされている古江増隆氏(九州大学医学部皮膚科学)に電話で、 PCBやダイオキシン類は、体内のどこに蓄積されて、どのようにして排泄されていくのですか? 排泄されるとしたら体内でどのような悪さをしていくのですか? とお尋ねしましたら、『どちらも今、一生懸命に研究中で、残念ながら未解明、まだ解明の途上です』というお答えでした。PCBやダイオキシン類が体内のどこでどのように蓄積され、悪影響を及ぼすのかなどは未解明、研究の途上ですと言われる一方で『血中濃度が低い人はカネミ油症ではありません。それが科学的な判断です』 とのこと。 当時、カネミ油を食べて発症し、保健所に届け出ている人についても、『血中濃度が低いのですから、カネミ汚染油を食べたり、飲んだりしていないことになります』 とも断言されました。 苦しんでいる未認定被害者に対して、責任がありますよね。 『私に責任があるでしょうか?いえ、私の責任ではないと思います』 とも 仰っていました。 未認定被害者、次世代の救済を!≪カネミ油症は病気のデパート≫とも言われるほど全身的な症状です。個人差も大きく、これから、どのように被害が続くのかもわかっていません。被害から50年近くが過ぎて、ダイオキシン類が排泄され、たとえ血中濃度が低くても、どのような悪影響が残されているかは分らないのです。当初、認定された人でもダイオキシン類の血中濃度が低い人もいますし、血中濃度を主とした現在の認定基準の見直しも必要とされています。 宿輪敏子さんが訴えておられるように、一人一人の症状を診て、聞き取り、根本的な調査、診断の見直しをしてほしいと思います。保健所等に届出のあった人だけでも1万4320人。 2014年3月末現在での認定者数は、2256人。このうち、およそ600人余の方が死亡され、厚生労働省の担当者が把握している範囲内では、34歳以下の認定者はいないということです。 ≪カネミ油症救済法≫の見直しに向けて◆健康調査支援金として、国が年19万円を認定被害者に支払う。◆カネミ倉庫は年5万円を認定被害者に支払う。(一時金の分割払いのような性質のもので、払い終えるのに100年がかかる計算です)◆認定者がいる同一家族内での未認定者の認定枠を広げる。◆認定被害者のカネミ油症に関連する医療費はカネミ倉庫が払う。以上のような「カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律」が2012年8月に成立しました。 被害者にとっては涙がでるほど不十分な内容でしたが、成立から三年後2015年の夏に法律の見直しがされることになっています。そのためにも、今、多くの方々にカネミ油症の現実を知っていただくことが必要になっています。 web上で ≪カネミ油症≫で検索をしていただくと、九州朝日放送などの動画や、長崎新聞などの特集記事など、多くの情報がご覧になれます。≪カネミ油症事件は終わっていない≫では、世界に向けて発信、英訳もされています。 周りの方に広めて下さい 今も続いているカネミ油症被害について知るため、4人で本の読みあわせをしました。その中の一人が知ったばかりの事実を友人に話したところ活動にカンパをして下さり、このリーフレットを作ることができました。カンパをして下さった H・Sさん、ご協力下さった皆さま、ありがとうございました。内容的には私たちが知りえた範囲のこと、西日本一帯で起きた被害のごく一部でしかありませんが、多くの方にご覧いただけたらと、送料実費で何部でも無料でお送りさせていただくことになりました。周りの方々に 広めていただけますなら幸いです。もし、新たなカンパをお寄せいただきましたなら次のリーフレットも作っていきたいと思っております。ご意見やご感想等いただけますよう、どうぞ よろしくお願いいたします。 2014年10月 制作者一同【連絡先】 〒189-0021 東京都東村山市諏訪町2-4-4 宇宙はてない社電話 042-391-9791 文責・清水ゆり子 ブログ≪はてなのゆりさん≫ 以上は、リーフレットの片面、濃紺の一色刷りです。【カネミ油症のこと】 リーフレット、ようやく印刷にまわせました~♪
2014年10月11日
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カネミ油症のリーフレットの案が出来てから、早くも、1か月半が過ぎましたが、何とか 今日の夕方、印刷所に送ることができました。多くの方々に ご協力をいただきました。皆さま 本当にありがとうございました。疲れた~という感じですがでも 良かった~心底、ほっとしています。【カネミ油症のこと】 カネミ油症のリーフレット、ようやく案ができました~
2014年10月07日
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カネミ油症のリーフレットを作成中・・ と 書いてから早くも2か月が過ぎてしまいました。 なかなか 進まなかったのですが、今 追い込み?をかけています。昨年の夏、カネミ油症について 読みあわせをしたメンバー4人で、一昨日、案をまとめてみました。それを手直しして修正案を作っているところです。猛毒のダイオキシン類を食べさせられた、世界でも例のない油症被害の苦しみは明日のわが身ですが、深刻な事件や被害が 次から次へと起きている現代社会では 忘れられてしまいそうです。でも、被害から46年間も苦しみつづけ、当時子どもだった人たちが勇気を出して 今 問うて訴えているのですから、何かしなければ・・・そういう思いはあっても 進まなかったのですがなんとか、あと もう少し・・・となりました。出来上がったら、ぜひ ご覧になって下さいね 【カネミ油症のこと】 カネミ油症 と ベトナム戦争の枯葉剤被害
2014年08月24日
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昨日、午前中は 油症ダイオキシン禍上映会 でした。ベトナム戦争でアメリカ軍支援のためにベトナムに従軍した韓国軍兵士が 今もなお 枯葉剤の被害に 苦しんでいること。日本でカネミ油症が発覚した11年後に、台湾で起こった油症被害のことや、日本のカネミ油症との比較など・・・カネミ倉庫は、国から米の保管料として年2億円の支援を 受けているが経営が苦しくその中でやれることはしている。米ぬか油へのPCB混入は、時代の流れの中で起こるべきして起きた事件であり、国に大きな責任がある・・などという加害者カネミ倉庫の言い分などの上映がありました。午後は 油症と枯葉剤被害についての講演会 でした。 カネミ油症被害者 自主検診の調査報告カネミ油症被害者支援センター 藤原 寿和 さん 韓国における枯葉剤被害の現状と政府の取組みルポルタージュ研究所 明石昇二郎 さん 第33回ダイオキシン国際会議に参加してカネミ油症五島市の会 事務局長 宿輪 敏子 さん ベトナム戦争の枯葉剤被害の現状特別ゲスト・ツーズー病院職員 グエン・ドク さん宿輪敏子さんは、カネミ油症の被害者として初めて、ダイオキシン国際会議から正式な招待を受けて報告。PCBが混入した油を食べさせられて、45年後の今も苦しみが続き、2世、3世への被害が心配。世界のダイオキシン研究者、医学者のみなさんにPCB、ダイオキシンで 苦しんでいる被害者の現実を知り、広めて下さいと訴えられました。暗くてすみませんが、左奥に見えるのが通訳、その右の小柄な方が、グエン・ドクさんです。いただいた資料のプロフィールから引用させていただくとドクさんは、1981年に下半身がつながった結合双生児として兄べトさんと生まれた。5歳の時、べトさんが急性脳症となり来日。 東京の日赤医療センターで集中治療を受け、帰国。7歳の時、べトさんが意識不明の重態となり、二人とも死亡してしまう事態をさけるため、ホーチミン市立ツーズー病院で分離手術を受け、2003年、同病院の職員となる。2006年、ボランティア活動で知り合った専門学校生だった女性と結婚され、2009年に男女の双子が誕生。日本の桜と富士山にちなみ、フー・シー、アイン・ダオさんと命名。2007年、兄のべトさん、腎不全と肺炎のため亡くなる。・・・とのことです。ドクさんは、ニューヨークを訪問して、アメリカ市民に核兵器や枯葉剤の恐ろしさを訴えたりもされています。ドクさんは、本日の ベトナム ダイオキシンデー 第4回ニッポン2014 のために来日され、そのための費用のカンパ要請もありました。 ドクさん、宿輪さん 他 多くのみなさま、貴重なお話を伺う会を準備、開催して下さって、ありがとうございました。【カネミ油症のこと】 カネミ油症とダイオキシン禍を考える 上映 と 講演会
2014年08月10日
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カネミ油症のことカネミ油症のことを 世界に向けて発信♪ゆーりっくさんのことカネミ油症 国の考え方カネミ油症事件は終わっていないー真の被害者救済につづく道ー【カネミ油症のこと】 カネミ油症とダイオキシン禍を考える 上映 と 講演会
2014年07月21日
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8月9日、北とぴあ ペガサスホール にて カネミ油症と枯葉剤ダイオキシン禍について10時半~12時 上映会 13時~16時 講演会 ★どちらも予約は必要ありません。10時半~12時 上映会 参加費 無料映像で知る ダイオキシン被害 カネミ油症と台湾油症についてもう一つの油症事件 ~ 台湾で起きた悲劇カネミ油症と枯葉剤 ダイオキシン国際会議今あえて問う 毒の油 衝撃の42年カネミの主張~45年~ 他主催 日台油症情報センター★会場内で枯葉剤被害、油症被害の写真が展示されています。13時~16時 講演会 参加費 500円ダイオキシン国際会議に参加してカネミ油症の現状 宿輪 敏子ベトナム枯葉剤被害の現状特別ゲスト グエン・ドク カネミ油症被害者自主検診調査報告藤原 寿和韓国における枯葉剤被害の現状と政府の取組み明石 昇二郎主催 カネミ油症被害者支援センター連絡先 080-4868-7388 担当・藤原8月10日には ベトナムダイオキシンデー第四回ニッポン2014も あります。 以上、カネミ油症被害者支援センターから お送り いただいたチラシより抜粋させていただきました 翌8月10日の ベトナム ダイオキシンデーに参加されるグエン・ドクさん (べトちゃん、ドクちゃんで知られてる)の講演も、8月9日 午後にあります。 台湾での油症被害、ベトナム戦争で枯葉剤被害を受けた元韓国軍兵士の被害や、45年間もの苦しみがつづく カネミ油症被害者のお話など、関東ではマスコミ報道されないことが 盛りだくさんです。 カネミ油症について、これだけ大きな催しが東京で行われるのも あまり ないことです。多くの方にご参加いただけるといいな~と願っております。【カネミ油症のこと】 カネミ油症のリーフレットを作成中・・・
2014年07月18日
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昨年の7月、カネミ油症について本の読み合わせ を しましたが、この時の参加者のひとり Teさんが カネミ油症について学んだことを 友人に お話されたところ、大層 驚かれて活動に使ってほしいと ご寄付をして下さるとのこと・・みんなで相談したり、迷ったりもしましたが、私たちが知ったことを 少しでも 多くの方々に伝えられるようなリーフレットを作ってみようということになりました。私たちは、カネミ油症の被害者ではありませんし、積極的に支援活動をしているわけでもありません。でも、いつ同じような被害にあうかわからないし、カネミ油症をめぐる理不尽な現実を多少でも知った者として何かをしなければ・・・という思いから、何人かで分担して、今、四苦八苦 まとめてはいるのですが、なかなか はかどりません 幸い?にも 今日は一日 雨模様ですので、野良仕事から リーフレット作成モードに切りかえているところで~す【カネミ油症のこと】 カネミ油症事件の裁判、またもや棄却・・・
2014年06月28日
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カネミ油症事件は終わっていない でカネミ油症の控訴審での判決の様子をこちら から 転載させていただきます(前略) 判決の申し渡し裁判長から特に前置きもなく言い渡されました。平成25年・・420号・・主文 控訴を棄却する裁判長は言い終えると何もなかったかのように背中を向け退廷しました。実質、2秒ほどしかなかったのです。やっと控訴側の被害者から怒号の声が漏れた頃には裁判長は退廷してしまっていました。(後略)その時の映像が こちら NBSニュース西日本新聞毎日新聞カネミ油症事件は終わっていない では、他にもたくさんの報道が紹介されています。ダイオキシン類が、認定基準に加えられるようになって、初めて認定された被害者の方々が訴えた裁判でしたが、20年を過ぎているから 棄却 という 判決です。ようやく認定されたのは、被害を受けてから30年以上も過ぎてからなのに・・・地方裁判所、高等裁判所で棄却されて、最高裁判所に上告されました。福岡や長崎、五島列島から・・・被害を受けた方々が、新幹線や飛行機に乗って上京され、苦しい闘いです。東京に住む私たちも、少しは何かをしなければ・・・ 【カネミ油症のこと】 カネミ油症事件は終わっていない! 裁判とフォーラム
2014年03月11日
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10月28日、カネミ油症の裁判がはじまりました。3月に 地裁で棄却された裁判の 控訴審です。ゆーりっくさん や、みかぴょんさんたちが立ち上げたカネミ油症事件は終わっていない のお知らせからテレビ報道新聞の切り抜きも、いろいろ紹介されています。WEB 記事の中から NHK WEB ニュース福岡時間がたつと消えてしまうこともありますので転載させていただきますカネミ油症訴訟 控訴審始まる 10月28日 昭和40年代に起きた食品公害、カネミ油症の患者が、北九州市の原因企業に損害賠償を求めた2審の裁判が、福岡高等裁判所で始まり、原告の患者が、「問題の発生から20年が過ぎているため賠償を請求出来ない」とした1審の判決は不当だと訴えました。カネミ油症は、昭和40年代に西日本一帯で健康被害が相次いだ国内最大規模の食品公害で、発生から20年以上たって認定された患者とその遺族が、原因企業のカネミ倉庫を相手取り1人あたり1100万円の損害賠償を求めています。1審の福岡地裁小倉支部はことし3月、問題が発生したのは昭和44年までとした上で、賠償を請求できるのは問題の発生した時から20年までと定めた民法の「除斥期間」を過ぎているとして訴えを退け、患者側が控訴していました。28日、福岡高等裁判所で2審の裁判が初めて開かれ、原告の代表3人が意見陳述を行いました。このうち、広島県の年盛美儀さんは、「患者として認定されるまでは、いくら症状を訴えても裁判ができる資格がなく、認定されてからは、『今さら遅いですよ』と切り捨てられるのはどう考えても納得できない」と訴えました。一方、カネミ倉庫側は、「1審判決は、除斥期間の起算点に関する判例などを忠実に解釈している」として、訴えを退けるよう求めました。この裁判の前に、街頭での署名活動などが行われましたが10月24日に、カネミ油症学フォーラム も ありました。毎日新聞 10月28日 地方版 から転載させていただきましたカネミ油症学フォーラム 胎児期、ダイオキシン類にさらされ 健康被害の子・孫、救済を /福岡 1968年に起きた国内最大の食品公害・カネミ油症事件に学び、安心安全な食育環境を考える「油症学フォーラム」が24日、福岡工業大(東区)であった。油症被害者や研究者らが「油症患者だけでなく、健康被害がある子や孫も救済されなければならない」と訴えた。 カネミ油症は、カネミ倉庫(北九州市)が製造した米ぬか油に、ポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入し発生。西日本を中心に約1万4000人が皮膚症状などさまざまな健康被害を訴えた。2013年3月現在、死亡者を含む認定患者は2178人いる。 フォーラムで発言した、患者の田中あつ子さん(61)は高校1年の時に汚染された米ぬか油を食べた。吹き出物や異臭がする分泌物などに悩まされ、油汗で鉛筆を握れなかったという。子ども3人は皮膚に色素が沈着した「黒い赤ちゃん」で生まれた。長男と長女は患者認定されたが、未認定の次男について「原因不明の高熱や腹痛に悩まされている。私と同じ症状に悩まされる子や孫を守るため闘っていく」と語った。 元九大准教授の長山淳哉さんは「油症患者から生まれた子どもは胎児期に高濃度のダイオキシン類にさらされているのに、現在の血中濃度で認定されない。過去の母体の血中濃度を推定し、胎児性油症と認められるようにしないといけない」と話した。 【金秀蓮】 〔福岡都市圏版〕わが家にテレビはありませんし、ここのところ、新聞もあまり読んでいないのですが、首都圏では報道されたでしょうか?東日本で被害に苦しんでいる方も多くいらっしゃるようです。何よりも、食用の油に 大量のPCB や ダイオキシン類が混じっていた、明日はわが身、わが家族に 起こりかねない大きな事件です。 もっと、広く報道していただきたいです。勇気をだして裁判をして下さっている原告のみなさま、支援されている多くのみなさま、ありがとうございます。【カネミ油症のこと】 機械技術者のふとした疑問 と カネミ油症
2013年10月31日
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こちら に コメントを下さったakicocone さんが ブログを始められました。 機械技術者のふとした疑問カネミ油症事件を知り、機械技術者志望の者として 疑問に思ったことを記入していきます…とのことです。まだ、今日で4日目ですが、最新ブログは除斥期間ってなんのためのもの? 2004年にダイオキシン類の血中濃度が認定基準に加わり被害を受けてから35年以上も過ぎて、ようやく認定された人たちが起こした裁判の訴えが、3月に棄却 されました。そして、今日、原告の方々が控訴された裁判の 控訴審が はじまりました。カネミ油症事件が発覚したのが1968年この裁判の原告の方々が認定されたのは、被害から 35年も過ぎた2004年以降です。認定されないと裁判を起こせません。ようやく認定されて起こした裁判の判決が棄却でした被害を受けて20年以上が過ぎているからという理由で!akicocone さんは、次のように問いかけています。除斥期間って強いものを助けるためのものなんでしょうか?このブログを読んでくださった方はどう思うのでしょうか? とakicocone さんは カネミ油症事件を世界に向けて発信していこうとするカネミ油症事件は終わっていないー真の被害者救済につづく道ーの 制作メンバーにもなっておられ、ゆーりっくさんのブログ に コメントをされているみかぴょんさん たちと web上でのお仲間です。ゆーりっくさんは、現在、第5回目の抗がん剤投与で、苦しい日々ですが、ほぼ毎日 ブログ発信しています。そんな ゆーりっくさんに励まされ、カネミ油症のことに疑問を持ち、発信してくれる人が 増えているのは、本当にうれしいことです【カネミ油症のこと】 三人で 厚生労働省に 行ってきました
2013年10月28日
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ゆーりっくさんの出張検診をお願い しましたが、検討結果を連絡下さるとのことでしたが、ないので厚生労働省に 直接、返事を聞きに行ってきました。カネミ油症についての読みあわせをしている仲間のひとりが風邪をこじらせて行かれず、三人で・・・他にも質問したいことを、二日前の16日に次のように FAXでお送りしておきました 厚生労働省の食品安全部企画情報課 ◎◎ 様8月26日にお電話で1) と2) の質問、3) のお願いをしました。3) については、検討した結果をお電話下さるとのことでしたが、連絡がありませんでした。この間、新たに疑問も生じましたし、直接、お会いしてお話を伺いたく、どうぞ、よろしくお願いいたします。貴重なお時間ですので、お聞きしたい疑問点などを整理して事前にFAXにてお伝えいたします。 8月26日に電話で伺ったこと 1) カネミ油症の検診会場が、神奈川県の相模大野駅からバスで30分もかかる所というのでは体調がよく ない人にとっては、とってもつらいことだと思うのですが、どうしてですか? ◎◎ 様: 協力してくれる医療機関の都合と事業費の関係。どこででもやれるほど研究費が潤沢ではない。研究費はだいたい2億円。検診に使われるのは、そのうちの約7割。 あとは、治療研究とか、患者さんが多い地域・広島、福岡、長崎に配置されている相談員や啓発用のパンフレットの費用だとかに・・・・・大半が検診で使われている。 それを、さらに膨らませると基礎研究の方ができなくなってしまう。 2) 血中濃度でカネミ油症の認定判断ができるのですか?◎◎ 様: 認定は、血中のダイオキシン類の濃度を重視しているが、症状を全く診ないということではない。 そういうことを総合し、判断して決める。 3) 友人が10月23日の検診の申込みをしましたが、入院予定が延びて検診会場には行かれなくなってしまいました。出張検診をして問診等をしていただけますか?昨年検診を受けた結果、『PCB,PCQ,PeCDF,すべて正常範囲内であった。安心できることと安堵しています』という文書が届いた直後に、悪性・・・白血病になって、がん研有明に入院しています。 当初、6か月の入院予定が最低でも7か月に延びてしまい、10月23日に申し込んだ検診を受けられなくなってしまいました。カネミ油症の症状は、みなさん、それぞれに違っているので、ぜひ出張検診をして、現実に苦しんでいる症状を見ていただきたい。そして、担当の先生にお話しを伺ったり、本人の症状を見ていただいたりして・・・それでも、かつカネミ油症ではないということでしたら、カネミ油症と関係ないことを証明していただきたいと思います。◎◎ 様: どういった対応が出来るかも含めて研究班とも相談させていただき、後日、ご連絡します。 出張検診について検討結果の他、10月18日にお聞きしたいこと 1)40年前とか、45年前に、認定された被害者の方たちは、今もダイオキシン類の血中濃度が高いのですか? 2)ダイオキシン類が人体に取り込まれた場合、どこに、どのように蓄積されるかわかっているのですか? 3)人体に入ったダイオキシン類が、どのように排泄されるか解明されているのですか? 4)ダイオキシン類が人体から排泄される場合、内臓や細胞、脂肪組織などに、どのような害を与えてから排泄されるか、わかっているのですか? 5)体内に取り込まれたダイオキシン類は、必ず血中に蓄積されるのですか? 血中に蓄積されていないで、内臓などに蓄積されていることはないのですか? 6)ダイオキシン類が、血中だけに蓄積されるわけではなく、45年たって、どれだけ排泄されたか、排泄される前、体内にどのような悪い影響を及ぼしていったかというのも解明されていない状態で、血中のダイオキシン類の数値を、主としての診定基準とするのは非科学的ではありませんか? 7)へその緒のダイオキシン類濃度の検査は実施していますか? 8)ダイオキシン類が遺伝子にどのように作用するか解明されていますか? 2世、3世への影響はどのようですか? 9)国として被害を受けた方々の疫学調査、聞き取り調査をどのような形でされていますか? 10)9月24日付の東京新聞の記事中、油症治療研究班の古江班長のコメント、『新たに油症認定されるには、検診を受ける必要があるが、私たちの検診の目的は、本来、認定患者さんのためだ。未認定の人を阻むわけにもいかないので受け入れてはいるが‥』とあります。 また、厚労省の担当者のコメントでは、『検診の目的は、認定患者の健康状態を把握して、治療方法の研究につなげること。未認定の人たちを新たに認定する目的の検診ではない』とあります。それでは、未認定の人が受けられる検診は、どこにあるのですか? 11)首都圏での検診会場が2か所では少ないです。しかも、最寄り駅からバスで30分では体調の悪い人を配慮しているとは思えません。検診会場を増やして、交通の便の良い会場も加えていただけませんか? 12)年1回の検診日に、本日のような大型台風などのため、体調の悪い被害者が定刻までに行かれない場合、予備日はあるのですか? 行かれなかった場合、一年後ということになるのでしょうか? 13)入院中、または重症で外出できない未認定被害者への出張検診をしていただけませんか? 14)未認定被害者への検診に伴う交通費や宿泊費などの費用負担はどうなっていますか? 15)45年前、保健所などに被害届を提出した人は1万4000人以上とのことですが、その後、国はこの人たちにどのような連絡をしていますか? 昨年、救済法ができたことは知らせましたか? 16)首都圏で未認定被害者が相談、あるいは受診できる医療機関はどこですか? 17)ダイオキシン国際会議などで、国としてカネミ油症被害の報告はされていますか? 18)国の啓発用パンフレットはどのような方々が作成されていますか?作成メンバーの中にカネミ油症被害者の方々は入っていますか? 19)油症治療研究班は、これまでに、どのような研究成果をあげられていますか? 20)国の油症治療研究費用はどのように使われていますか? その内訳を教えて下さい。未認定被害者の救済について、今後、国は具体的にどのような方策を考えていますか?以上、私たちは、友人がカネミ油症だったことをきっかけに、45年後の今も根本的な被害者救済がなされていないことを知って驚いている者です。上記について、教えていただきたく、どうぞ、よろしくお願いいたします。 2013年10月16日 清水ゆり子 他 一同【カネミ油症 国の考え方】 カネミ油症について、国の対応と考え方
2013年10月18日
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カネミ油症事件は終わっていない 真の被害者救済につづく道本日、このサイトが 公開で~すゆーりっくさんの発案に賛同された多くのみなさんで準備をされていた ウェブサイトが公開となりました。まだ、完成形ではありません。特に [カネミ油症とは] のページは、カネミ油症事件の歴史・現在の問題点などを書き進めていく予定。被害者のみなさんの声や、関連図書、リンク集に掲載すべき資料もまだまだ増えるはず。掲載の形もより良いものを目指していきます。どうぞ長い目でみてやってください・・・とのことです。そして、コミュニティの名前が Y & F (Yurick and her Friends)と 決まったそうです。 ゆーりっくさんとともに カネミ油症を伝える仲間たちという気持ちが込められています。≪ゆーりっくさんから皆様へ≫ から一部を引用させていただきました(・・・ 省略 ) カネミ油症ってご存知ですか? ・・・私はずっと自分の虚弱体質に悩み、人生の転機の度に疲れて 発熱しやすい身体にふりまわされてきました。ライスオイルの名前しか知らなかった私は・・・インターネットや書籍などでカネミ油症について調べました。ネットで目にした行政、保健所、油症研究班、油症相談員に電話で油症について問い合わせましたが、油症検診を受けて認定されないと話にならないと言われました。・・・被害者からの具体的な情報を探しましたが、インターネットでは見つかりませんでした。長崎新聞社や九州放送のWEBページが一番参考になりましたが被害者団体への問い合わせ先は見つけられませんでした。結局、長崎新聞社に電話で問い合わせてカネミ油症被害者支援センターと連絡を取り、カネミ油症について詳しく知ることになりました。このような自分の体験から、カネミ油症に関するウェブサイトを作りたいと思いました。 私と同様に原因不明の症状に悩み、カネミ油症を疑う人が連絡先を入手できるようにしたい。 海外の友人が私を心配してカネミ油症について 英語で検索してくれたのですが、具体的なことがわかるサイトが見つけられませんでした。ですから、英語のサイトも必要だと思いました。・・・被害者の置かれている理不尽な状況を国内、国外のより多くの人に伝えたい。・・・日本は、様々な事故や 天災によって被害を被った弱い立場の人を守ってくれるよい国だと思えるようになりたいです。私のウェブサイトを作りたいという思いをインターネットの英語学習サイト《Q-Eng》で 出会った仲間が 形にしてくれました。ネットの力と人々の善意を実感し、まだまだ人生にはいいことがたくさんあるという希望の光を示された気がします。 (サイト発起人 ゆーりっく) 他にも、カネミ油症事件とは?このサイトについて宿輪さんのダイオキシン国際会議でのスピーチなど、盛りだくさんです。 これからも、随時、更新されていきそうですので、どうぞ、お気に入りにして ご覧になって下さ~い。 【ゆーりっくさんのこと】 【 カネミ油症 の こと】
2013年10月13日
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先月、9月27日の東京新聞、『こちら特報部』25面 から一部を転載させていただきますカネミ油症事件、24歳 娘が訴え 次世代の被害、知って母親が カネミ油症の認定患者で、自身も健康被害に苦しむS・Mさん(24)が 26日、明治大学で 同世代の学生たちにカネミ油症の次世代被害について訴えた。( 出田 阿生 )向き合っていく「カネミ油を食べた母と同じ症状で苦しんでいる。生まれるはるか前に起きた事件なのに・・・」長崎県諫早市で介護福祉士をしているMさんは、「勤務先で倒れることもある。 いつも全身の倦怠感に悩まされていて、本当にきついです」 と 語りかけた。生まれたときに体は浅黒く、ずっと病弱だった。中学時代は保健室で一日過ごすことが多く、先生から 「なぜいつも体調が悪いのか」 と 聞かれた。自分でも理由が分からず、つらい思いをした。高校一年のとき、同県五島市出身の母 J子さん(52)が6歳のころ カネミ油を食べたことを知った。「ずっと疑問だった体調不良の原因が分かった。 これから先、自分の体に何が起こるかわからないが、向き合っていこうと決意した」患者認定されずカネミ油症は1968年、猛毒のダイオキシンが混入した食用油を摂取した人々に重大な健康被害が起きた事件。全国で 約1万4000人が症状を訴えたが、これまでの認定患者はわずか2200人余り。次世代にも被害が継承されることは、厚生労働省の調査で判明しているにもかかわらず、救済策はほとんどない。Mさんも患者認定されていない。J子さんも 「私の体を介して、毒がこの子にいってしまった」 と 涙ながらに語った。J子さんは20歳のころ自殺を考えたこともあったが被害を伝えるために生きる決意をした。「娘も 『死にたいと思うときがある』 と 話す。 被害が次世代にも繰り返されている。福島の原発事故で 健康被害が出たときに、カネミ油症のようなことを繰り返してはならない」 と 話した。受講した女子大学生(22)は 「カネミ油症事件を知らなかったので驚いた。 身近に、しかも若い人が被害を受けていると知って、何かできることをしていきたいと思った」 と 話した。以上、東京新聞から転載させていただきました。S・Mさん、J子さんお二人の勇気に拍手です。この授業の企画をされたみなさま、取材された記者さん、ありがとうございました。※ 記事中では本名でしたが、ここではイニシャルとさせていただきました。【カネミ油症のこと】 カネミ油症の検診、いくつかの疑問
2013年10月04日
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8月5日、カネミ油症の本の読み合せに続いて今日、2回目の読み合せを5人でしました。東京新聞の記事 を読み返して、みんなで疑問点を出し合いました。油症治療研究班の古江班長のコメント 『新たに油症認定されるには、検診を受ける必要があるが、私たちの検診の目的は、本来、認定患者さんのためだ。 未認定の人を阻むわけにもいかないので受け入れてはいるが‥』 厚労省の担当者のコメント『検診の目的は、認定患者の健康状態を把握して、治療方法の研究につなげること。未認定の人たちを新たに認定する目的の検診ではない』それでは、未認定の人が受けられる検診は、どこにあるんですか 未認定の人を認定するのは気が進まないのでしょうかなど、疑問は深まるばかりでした。ところで、明日の東京新聞の朝刊、特報面の左側に明治大学の授業でお話をされたカネミ油症被害者のことが少し載るそうです。ぜひ、ご覧になって下さい。【カネミ油症のこと】 カネミ油症、『排除』のための検診か?
2013年09月26日
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今朝の東京新聞 ≪こちら特報部≫から一部を転載させていただきました。 カネミ油症事件 阻まれる救済 「排除」のための検診か カネミ油症事件、45年前に発生し、約1万4千人が被害届を出した空前の食中毒事件だ。 食用油に混入した猛毒のダイオキシンが体内に取り込まれ、直接の被害者のみならず、子や孫をも苦しめている。 患者として認定されるには油症検診を受ける必要があるが、実施は一年に一回だけで、会場もわずか。 遠出が難しい重症の人ほど検診が受けられず、結果として認定されないという事態が続いている。 (出田阿生) 東京都内の病院に入院している被害者の女性(48)は、油症検診の通知を手に 『いったい、どうやって検診を受けろというのでしょう』 と、つぶやいた。今年の油症検診は全国12地区で実施される。 関東では9~10月、神奈川と千葉の二カ所の病院が会場となる。女性は特殊な白血病を患い、無菌室で抗がん剤を投与されている。副作用で全身が痛み、最近はトイレに立つのもやっとだ。それなのに 「10月23日、相模原市の北里大学東病院に時間厳守で午前8時半集合」 という通知が来た。『出張検診をお願いできないか』 と、相談窓口に問い合わせたが断られた。主治医は 『入院証明書を出す』 と言ったが、それで事態が改善されたわけでもなかった。西日本出身のこの女性が 『自分はカネミ油症ではないか』 と疑うようになったのは、ここ数年のこと。幼いころから異様に疲れやすく、発熱や体の痛みに苦しんだ。学校を出て念願の営業職に就いたが、39度の熱が連日続き、二年で辞めざるを得なくなった。その後、結婚、出産したが、体調不良が続いた。二年前に 『なんでこんな体なんだろう』 と ため息をつくと、父親が 『カネミライスオイル(カネミ油)のせいだ』 と 言った。がくぜんとした。3歳のころ、母親が健康のために、とカネミ油を牛乳に混ぜて飲ませていたという。両親は被害届を出していた。長崎県五島市出身の油症認定患者、宿輪敏子さん(51)の体験談をネットで見つけた。自分とほぼ同じ症状だった。油症では骨や歯に異常が出やすい。この女性も過去に側わん症と診断され、乳歯が生え替わらずに何度も抜歯していた。入院前の昨年、検診を受けたが、認定されなかった。会場まで満員電車とバスを乗り継いで二時間半かかった。指定日を逃せば、次は一年後だ。交通費や宿泊費は認定患者にしか支給されない。多くの患者が 「つらい」 と こぼしていた。女性の下の子は、まだ小学生だ。『補償がほしいのではなく、自分の体に起きていることを解明し、油症の治療法を見つけてほしい』 という一心で、今も検診を受けたいと思っている。しかし、そんな当たり前のことがかなわない。『重症で動けない患者は救済しない制度って、何なのでしょうか』『排除』 のための検診か? 【その2】 へ つづきます
2013年09月24日
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カネミ油症、『排除』 のための検診か?【その1】 からの つづきです。 全被害者に認定を 厚生労働省 ≪治療研究が目的≫検診は九州大の医師らを中心に構成され、厚生労働省が所管する研究団体 「油症治療研究班」が年間2億円の研究費の中から、約7千万円を使って実施している。古江増隆班長 は 『新たに油症認定されるには、検診を受ける必要があるが、私たちの検診の目的は、本来、認定患者さんのためだ。 未認定の人を阻むわけにもいかないので受け入れてはいるが・・・』と、検診の趣旨が未認定患者の救済とはほど遠い現実を説明する。厚労省の担当者に至っては、『検診の目的は、認定患者の健康状態を把握して、治療方法の研究につなげること。未認定の人たちを新たに認定する目的の検診ではない』 と はっきりと線を引く。こうした研究班や国の姿勢は、認定数に反映されている。1068年の事件発生のころこそ、一定の認定をした。それでも被害を出した人の二割に満たない。その語は 『狭き門』 になる。昨年度は250人の未認定患者が検診を受けたが、認定はわずか16人だった。体調不良や差別・偏見への恐れなどさまざまな理由で検診を受けられず、放置されてきた人が圧倒的多数だ。認定は油症治療研究班の医師らが診定会議で決めるが、その判断に疑問を抱く声も根強い。15歳で発症し、三年前に認定された 福岡県大牟田市のMYさん(58)は、『全く信用できない。もう娘には検診を受けさせたくない』 と憤る。MYさんの長女(34)は皮膚症状や子宮筋腫などの症状があり、検診では基準を上回る高濃度の血中ダイオキシンが検出されたが、認定されなかった。『娘は体調が悪いなか、会社を休んで、熊本から福岡まで来て受信した。13本も試験管に血液を採取されて倒れた。そのうえ、数値が高くても認めない。到底、科学的とは思えない』 全被害者に患者認定をカネミ油症関東連絡会共同代表で、認定患者の前島 太さん(46)は 『自分の血中ダイオキシン類は一般人並に下がった。もし、自分がこれから検診を受けたとしても認定されないだろう。油症研究はいまだに途上だ。 科学的証明が不十分なのだから、本来は被害届を出した全員を認定するべきではないか』 と 話す。台湾では1979年、カネミ油症と似た油症事件が発生した。『油症学フォーラム』 を主宰する 元九州大大学院准教授(環境分子疫学)の 長山淳哉氏は、『台湾では体調が悪い油症患者のもとに医師が検診に出向いている。これが当然あるべき姿だろう。日本の治療研究班の動きは、被害者の救済につながっていない』 と指摘する。 調査を怠った国にも責任カネミ油症の場合、司法判断では国の責任が明確に認められていない。だが本当に国や行政に責任はないのか。医師の津田敏秀・岡山大大学院教授(疫学)は、『国や自治体が食品衛生法に違反したことが、カネミ油症の被害拡大の根本的な原因。重大な責任がある』 と 力説する。食中毒では通常、原因食品を食べて健康被害が出れば、自動的に患者として認定される。都道府県には 患者把握の調査が義務づけられ、大規模になれば、国にも調査義務が生じる。ところがカネミ油症事件では、行政が具体的な対策に動いたのは発生から約半年後。さらに油症治療研究班に被害調査を一任し、国が前面に出ることはなかった。『本人だけでなく、いまや子や孫にも被害が出続けている。現在からでもカネミ油を摂取して健康被害が出た人全員を患者認定するべきだ』 デスクメモカネミ油症でも水俣病でも、子々孫々の代まで災禍が続く。世間の忘却が苦しみを膨らます。公害事件の最新かつ最大の案件が福島原発事故だ。他の事件よりひどいのは、国どころか、加害企業の責任すらごまかされている点だ。責任のうやむやは、将来の救済を直撃する。逃げ切りを許してはならない。 (牧) カネミ油症事件カネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油が原因の大規模な食中毒事件。油の製造過程で、猛毒のダイオキシンが混入したことが後に判明した。吹き出物や内臓疾患、骨や歯の異常など症状はさまざま。本人だけではなく、母体を通じて次世代に健康被害が起きている。2012年成立の被害者救済法により、認定患者にはカネミ倉庫が医療費の負担と年5万円、国は年19万円を支給している。認定患者は2210人(5月末現在、生存者は約1600人)にとどまっている。【カネミ油症のこと】 カネミ油症の出張検診を厚生労働省にお願い 【その1】
2013年09月24日
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8月27日、厚生労働省の食品安全部企画情報課に電話でつぎのような質問と、お願いをしました。 カネミ油症の検診会場は、神奈川県の相模大野駅からバスで30分もかかる所というのはどうしてですか? 血中濃度でカネミ油症の認定判断ができるのですか? 友だち ゆーりっくさん が10月23日の検診の申込みをしましたが、当初、6か月の入院予定が延びて検診会場には行かれなくなってしまいました。出張検診をして問診等をしていただけますか?以下、その時のやりとりです。 私 厚生労働省の担当者 検診会場が相模大野駅からバスで30分もかかるのは、体調がよくない人にとっては、とってもつらいことだと思うのですが、どうしてなんですか? 協力してくれる医療機関の都合もあったり、あとは事業費も際限なくあるわけではないので、そういう関係も踏まえて、協力していただけるところは北里大学病院になっていると聞いています。 事業費の関係なんですか? 事業費もそうですし、協力してくれる医療機関としても必要だと・・・どこでもやれる検診だというわけではないので、協力してくれるところでないと出来ないということと、どこででもやれるほど研究費が潤沢だというわけではない。 その両面があります。 その研究費というのはいくら位なんですか? 研究費はだいたい2億円なんですけども。 2億円? 全国で? はい。 研究費は全部、検診に使われるんですか? そのうちの約7割が検診ですね。 あとは、治療研究とか、患者さんが多い地域だけですが、広島、福岡、長崎に相談員が配置されていたり、あとは啓発用のパンフレットの費用だとか・・・・・大半が検診で使われているのは事実なんですけども。 それを、さらに膨らませると基礎研究の方ができなくなってしまうので。 協力していただける医療機関が限られた予算の中で収まるのであれば、検診機関の増加ということもできるのですが。 現状ではいろいろな障害があって、現状の実施個所になっているということです。 東京都の検診、今年は10月16日と23日ですよね。 それで、入院していてクリーンルームから出られないという場合、出張検診というのはしていただけるんでしょうか? それは難しいと思いますね。 去年初めて検診を受けて、『どこも具合が悪いところはありませんでした。PCB,PCQ,PeCDF,すべて正常範囲内であった。安心できることと安堵しております』それが3月に届きましたけれど、それの直後に悪性・・・白血病ですね、になって、がん研有明に入院している。 7か月位入院しなければいけなくなったんですよ。 当初は10月23日に間に合うかと思って申込みしたんですが、他の例とくらべていろいろな面が違っているんで、退院出来そうもないんです。 これがカネミ油症とどうして関係ないのかということを、『安心できることと安堵いたしております』という直後にですよ、こういう病気にならなければいけないのでしょう?ですから、検診にも申込みましたけれど、まだクリーンルームから出られない状態ですので、担当の先生とか、本人の問診とかですね、していただくわけにはいかないのでしょうか? え~と、ちょっと難しいと思います。 研究の中で個別の患者さんの検診を問診等でやるというのはちょっと難しいと思います。 でも昨年受けた検診で、問診というのはほとんどない、顔も見られなかったというんですが、そういう個別の症状というのは考慮されないんですか? それまでの症状、カネミ油症の症状って、みなさん違うじゃないですか。 そういうのは、それぞれ診ないで、血中濃度ということだけ、だけっていうことはないんですが、主にその価によって決まるんですか? 決まるっていうのは? 認定、未認定というのが・・・ 認定された患者さんではないということですか? そうです。 はあ~。そうなんですね。 ええ。 認定方法としては、その血中のダイオキシン類の濃度、症状も診るんですけども、血液中にダイオキシン類があるということを重視したことで、ただ症状を全く診ないということではないんです。 そういうことを総合して判断して決めるもので・・・ ですから、現実に苦しんでいますので、そういう症状を見ていただきたいんです。 はい。 担当の先生にお話しを伺ったり、本人の症状を見ていただいたりして・・・それでも、かつカネミ油症ではありませんということでしたら、カネミ油症と関係ないということを証明していただきたいと思うんですよ。 はい。 それで、このPCBとか、血中PCQ,PeCDFですか、それの濃度が、たとえばですよ。 以前に、40年前とか、45年前に、認定された被害者の方たちも血中濃度というのは現在、量ってるんですか? はい、毎年ではないんですけども。 定期的には量ってます。 それで、うんと低い方もいらっしゃると思うんですよ。 はい。 そうでしょ? いろんな方法で、体内から排出されて…ということですよね。 あと、個人差にもよるじゃないですか。 それに血中だけに蓄積されるわけではないですよね。 何がですか? PCBとか、ダイオキシン類ですね・・・ 今、科学的に確認できる方法は血液中の濃度ということしかわからないので・・・その方法しか今、確認する仕方がない・・・つづきカネミ油症の出張検診を厚生労働省にお願い【その2】
2013年08月29日
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【その1】 からのつづきです。 それで、45年たって、どれだけ排泄されたかというのはわかるんですか? え~と、それは人それぞれということですか? 個人個人の・・・それは、排泄されない人もいるし、何とも言えないと思いますけれども・・・ 排泄された人の場合、排泄される前、体内にある時にどのように身体のいろいろなところに悪い影響を及ぼして排泄されたかというのは研究されているんですか? えっ、どういう? 排泄されたからいいという問題ではないですよね。 体にあるから影響を及ぼすということではなくてですか? ええ、体の中にある時にいろいろな悪さをすると思うんです、細胞とか、いろいろな内臓に。 それで、PCBやダイオキシン類が出てしまっても、細胞などを傷めたところというのは修復されない状態でいることが考えられますよね。 可能性としてあり得るということですよね。 それで、そういう研究はされているんですか? え~と、研究のしようがない気がするんですけれど。 昔からすべての血液データを計測いただいて、ず~と継続的にやっていれば、それが出来なくはないかもしれませんが。 発生当時からそういうデータをとり続けたことにはなっていないので、事実関係がわかり得ない気がするんですよね。 今、体内から排泄されたから症状が良くなっているとか、排泄されているけど、当時のダイオキシン類によってどうなっているか、データを遡ってとることが難しいと思うので、なかなか困難なのではないかなと思います。 ですから、2~3才の時にミルクと混ぜて、美容と健康に良いということで2才半の頃に飲んだ友だちが現実にすごく苦しんでいるわけです。 そこを見ていただきたいんですよ。 それでかつ、カネミ油症ではない、関係ないです、と仰るのでしたら、そういうことを証明していただきたいんと思うんです。 ですから、その証明を血液検査でしているということですよね。 それ以外の結果の判断が出来ないということについては今後の課題かもしれませんけれども。 今、出来る判断として、血液で判断した結果がカネミ油症ではないという判断になっているわけですよね。 ですから、どれだけが排泄されたかというのはわからないわけでしょ? 当然、40年前の検査はしていないから判らないですよね。 ええ、それで人によっても残っている人もいるし、排泄された人もいるし・・・ それで、今の判断の材料として、科学的に認められているのは血液中のダイオキシン類の濃度です。 それが検出されないということはカネミ油症ではないと判断される。 ただ、それがすべてではなく、今後に、研究の成果で、何か確認できるものがあればまた別でしょうけれども。 今の段階では判断できる、今の材料で判断できるものとしてはカネミ油によるものではないのではないかとしか言えない。 ですから、排泄される前にどのように体内で悪影響を及ぼしているかという研究がまだされていないわけですよね。 そうです。 その当時のその方の情報がないから調べようがないですよね。 今の方の場合には・・・ 保健所に届け出た記録はあるんです。 カネミ油のロット番号も書いてあるんですよ。 回収されているんですね、その油を。 それで、量的な問題もそれぞれ違うでしょうけれど、多いから、少ないからいいというんではなく、それぞれどういう結果を残して排泄されているかとか、研究されてないんですから、血中濃度だけでは認定、未認定、決められないということではないですか? だから今、科学的な判断できる材料としては認定できないということですよね。 ですから、科学的にお医者さんの話を聞く、本人のつらい状態を見ていただくということをしていただきたいんです。 それが、科学的ということではありませんか? 科学的というのは、血液とか、健康診断の結果、を中心に見ているんです。 それって、科学的と言えます? 排泄された場合、体内にどういう風に影響を残していったかということが判っていない以上、血中濃度だけで認定、未認定を主として決めるということがどうして科学的と言えるんですか? 今、科学的という、今、一般の人と比べてこれ以上の濃度があればダイオキシン類に汚染されてますという判断が証明されているわけですね。 それ以外の判断材料がない以上は、そこを今、判断の根拠とすることは出来ないわけですよね。 逆に、いろいろなお考えがあるのは当然で、肯定もできなければ否定もできないということかもしれませんね。 肯定する材料として血液中の濃度ということを重視しているところです。 でも、血液中にだけたまるというわけではないでしょ? 45年前に認定された方、みなさんすべて今も血中濃度が高いんですか? 当然、下がっている方もいらっしゃいますよね。 そうすると45年前に飲んで値が下がってしまったけれど、悪影響だけが残って、今になって発症するということだってあるわけですよね。 今になって発症ということはあまり聞いたことはありませんが。 子どもの頃から発症していますよ。 子どもの頃からいろいろ発症していますけれど、でも、今、生命に関わるような病状になっているということなんです。 昨年の検診結果が届いた直後にです。どうしてなんでしょう? どうしてなんでしょう?と言われても・・・ ですから、ぜひ出張検診していただきたいんです。 ご検討いただけませんでしょうか。 え~と、ひとつの方法としては、より近い所で言うと、千葉の検診がこの先に予定されていますので、そこに問合せをするというのがひとつの手かもしれません。 千葉の検診は何日なんですか? 9月の17日と24日と、10月15日の予定です。 ですから、この間はまだクリーンルームから出られないんですよ。 10月も・・・? ですから、東京都の・・・ あっ、そうですね。10月16日、23日ですね。 23日、遅い方に申し込んだんですが、普通の人だったら寛解導入治療という抗がん剤治療が1回ですむところを2回したんですね。 1回余分に抗がん剤治療をしなければいけなくなって出られないんですよ、10月は・・・ ええ・・・ それで、やっぱり生命に関わる状態なんです。 はい。 そういうのをぜひ、見ていただきたいんです。 ええ。 ご検討をいただけますか? 正直、我々が答えを出せるわけではないので、ちょっと研究班※とも相談したいと思いますけれども。 ご希望に添える答えが出せないこともありますが・・・正直、ちょっと難しいと思います。 でも状況を踏まえてですね、どういった対応が出来るかも含めて研究班とも相談させていただきますけれども、正直、良いお返事が出来ないと思っていただいていた方がよいかと思います。 でも、生命に関わることですから・・・ えっ、検診は治療ではありませんが・・・ ええ、治療は今、ちゃんとがん研有明でしていただいていますよ。 ですから、その先生のお話を聞いたり、本人の症状を見ていただきたいんです。 誰にですか? 検査の担当の方にです。 はい。 そうでしょ? 生命に関わるというのはどういうことですか? 白血病ってそうそうかかる病気ではないでしょ? はい。 これが、どうしてカネミ油症と関係ないと言えるのか?ということを教えていただきたいんです。 はい。 そういうことで、よろしくお願いいたします。検討の結果を、後日、お知らせ下さるとのことです。※ 研究班とは 古江増隆 氏 が 班長をされている油症治療研究班のことです。【カネミ油症のこと】 カネミ油症のことで厚生労働省に電話
2013年08月29日
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のびのびになっていましたが、昨日の午後4時頃、野良仕事の汗を流したあと、明日に延ばそうかとも迷いましたが、厚生労働省に 電話をしてみました。厚生労働省03-5253-1111に電話をし、カネミ油症の担当をお願いしましたら、食品安全部企画情報課に…それで、主につぎの三つのことをお話しました。 検診会場が、相模大野駅からバスで30分もかかると いうのは体調が悪い人にとって無理なのではないか? 血中濃度が認定・未認定の主な判断材料でいいのか? 友だちがカネミ油症であることが判って、昨年秋に検診を受けたが、3月に『安心できることと安堵しています』 という通知が届いた直後に病気になってしまった。当初、6か月の入院予定が7か月になり、今年10月の検診会場には行かれなくなってしまったので、出張検診をして下さい。 45年前に認定された人でも濃度が低い人がいるのであれば今、認定されていない人だって排泄されてしまい、排泄される前に身体に影響を与えているということでしょう それがどうしてカネミ油症と関係ないと言えるんですか 血中ではなく、脂肪組織や内蔵などに蓄積されている場合だってあるでしょう 今、友だちが入院して苦しんでいるのですから出張検診をして、ぜひ問診して話を聞いてみて下さい。 担当の先生にも会って、お話を伺ってみて下さい。どうか、ご検討をお願いします。 ・・・というようなことを伝えました。 自分でも、まとまりがなく、ついつい気持ちがたかぶってしまい、今日は気落ちしていました。でも、今、電話の録音を聞き直してみたら、結構まとまりがあり、要点をついていると思いました。それで 明日、テープおこしをして、載せさせていただきます。古江氏の時とは違い担当者のお名前は、伏せることにいたします。【 追 記 】こちら で ご覧いただけます。【カネミ油症のこと】 カネミ油症 40年のあらましと、読み合わせ・・・
2013年08月27日
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カネミ油症の資料をどっさり入手♪ の あと、40年以上前に、カネミ油症の東京での集まりで何回かお会いした、当時はまだ学生さんでしたがその 下田 守 さんが ご来宅下さいました。下田さんは、あれから九州大学の大学院に入られて、下関市立下関大学で教鞭をとられるようになり30年。≪公害・薬害・職業病被害者補償救済の比較 カネミ油症≫で ネット検索して表示される一覧の中から、≪【PDF】 公害・薬害・職業病被害者補償救済の比較 カネミ油症≫を選んで出てきた資料の著者経歴によると、下田 守 1981年九州大学大学院工学研究科応用理学応用数学コース博士過程単位取得. 1983年下関市立大学講師助教授を経て現在下関市立大学教授. 東京で学生だった1970年よりカネミ油症に取り組み1972年の国連人間環境会議に自主講座が提出した日本の公害のレポートで西川和子らとともにカネミ油症の部分を担当. 1973年以降は福岡県に住み数学基礎論の研究を続ける一方で油症の被害者たちの運動に関わってきた. 2000年頃から社会科学的な観点からカネミ油症の研究に取り組み最近は環境社会学会等の学会や国際シンポジウムなどで発表.・・・とのこと。また、同 資料46P 『事件の歴史・経緯の概説』 から一部を、勝手ながら、転載させていただきました 1968年の春頃から西日本各地で吹き出物や手足の痛みなどさまざまな症状を訴える人が続出した. 九州大学付属病院皮膚科は8月までに診察した数家族10数人がカネミ製の油を摂取していることに気づいたが食中毒の届け出はしなかった. 10月初めに患者の一人が保健所に油を持ち込み10月10日夕刊で初めて「正体不明の奇病が続出」と報道された. その後このニュースが連日新聞やテレビで報道されると近畿以西の各地で保健所や病院を訪れる人が相次ぎ10月末までに12000人以上が届け出た. 当初から「カネミライスオイル」を原因とする食中毒であることは明らかで北九州市・福岡県・厚生省等の行政当局は立入検査・販売禁止命令・製品の回収などさまざまな対策を講じたがその後の経過を見ると原因究明と被害の実態把握が十分に行われたとは言えない.・・・とのことです。 こちら にも書きましたが、私がいちばん知りたかったこと どのように、ダイオキシン類を含むPCBが、食用油に混入したのか? それら猛毒油が、どのように販売されたのか?これらの疑問が解けるかと期待し、読み合せを始めた本は、『 カネミ油症裁判の決着 』≪隠された事実からのメッセージ≫増補版事件を起こした当時のカネミ倉庫 加藤三之輔社長の実のお姉さん、加藤八千代さんが、事件から20年間科学者として、親族として、渾身の思いをこめて調べ、まとめたと思われる本でしたが・・・ 事件のあとすぐに、原因となった油の製造が1968年2月に特定されてしまったこと。 ピンホール説から一転して、工作ミス説が採用されたこと・・・など、疑問が新たにわいてきました。それで・・・カネミ油症についての読み合わせは、上記、加藤八千代さんの著書と下田さんからいただいた資料のうち、 カネミ油症の概要 『 回復への祈り 』 より第1章 カネミ油症とは 油症事件の流れなど カネミ油症被害者の基本的要求などについて全被害者の要求、カネミ倉庫・鐘淵化学工業(現カネカ)国や地方自治体の責任、日本弁護士連合会の勧告 カネミ油症被害者の現状 40年目の健康調査水俣病の発掘調査でも知られている 故 原田正純医師らによる健康調査のまとめ、台湾の油症事件、診断基準の問題点・・・などを あわせて読んでいくことになりました。この読書会は5人となりました。 これらの本や資料を読んでいくことは、結構、根気のいることです。 私も一人ではなかなか読みきれないと思います。 時間がかかっても、なるべく、みんなの都合がつく日に集まりたいと思っています。 参加ご希望の方、大歓迎ですので、どうぞ、お知らせ下さい。下田さんは、時々、上京されるとのことですので、ある程度、みんなで資料を読み進んでから改めてお話を伺える機会が持てたらいいなと思います。下田さん、その折には どうぞ、よろしく お願いいたします。【カネミ油症のこと】 カネミ油症の資料をどっさり入手♪
2013年08月25日
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8月6日には、昼食をはさんで4人で、実に実に 8時間近くも読み合わせというか、思いつくことばかり、次々とお喋りがつづきました。 それ以来、野良仕事やひまわりのお絵かきなどで本読みは、すっかり中断していましたが昨日、カネミ油症についての資料をどっさり送って下さった方がいらっしゃいました~40年以上前に、カネミ油症の集まりで何回かお会いした人、当時はまだ学生さんでしたが、その人は、ずっ~~とカネミ油症のことに関わってこられたとのことで、最近、このブログをご覧になり、カネミ油症についての資料を送って下さったというわけです。実にありがたいことです・・・・・が、カネミ油症のことにあまり関わり過ぎないようにしようと及び腰になっていた私としては、この先一生懸命になり過ぎてしまうかも…とちょっと不安のような、諦めのような、それでも 興味深く、今日は一日それらの資料を読んでいました。今年になって、ゆーりっくさんの応援のつもりからカネミ油症のことを考えるようになったのですが、私にとっては、20代の半ば頃の記憶が鮮明によみがえり、それからの40年余の時の流れがあれやこれやと思い起こされて楽しくもあり、もの悲しくもあり、この間の空白を少しでも埋められたらとは思っているところですが・・・・・はてさて、どうなりますやら【カネミ油症のこと】 カネミ油症事件の真相は?本の読み合わせ・・・
2013年08月18日
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カネミ油症のことが報道されてから4年後私が20代半ばだった41年前に長崎県の五島列島や、福岡で被害を受けた方々にお会いし、ずっと疑問に思っていたこと…美容と健康によいと宣伝されていたカネミ油PCB入りの油が、なぜ、遠い遠い五島列島、長崎からフェリーで半日 … それから、バスや渡海船に乗って、ようやくたどりつく遠隔地に、そのときだけ実に大量に安売りされたのか不良品とわかっていたからこそ、情報も少ない離島に売られたのではないか故意に売られたとしたら、その犯罪の 責任が、なぜ、問われていないのか・・・など誰もが持つ疑問でしたが、 はっきり判りませんでした。先日、ゆーりっくさんのお見舞いに 一緒に行った Tさんが、私の長い間のこの疑問に きちんと答えてくれる本を教えてくれました。早速、この本を取り寄せました。 そして、 この本の読み合せをすることになりました。第一回目は、8月5日です。参加者は、今のところ3人。参加ご希望の方がいらっしゃいましたら詳細をお知らせします。本を読んでいなくても、話しを聞いてから読んでみるのもよいかと思います。本は、なかなか読まない私ですが、時間をかけてじっくりと読んでみようかと思っているところです。【カネミ油症のこと】 カネミ油症45年、若者たちにも 新たな被害
2013年07月31日
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7月21日付、東京新聞の記事から、一部を省略(・・・)して載せさせていただきました。 カネミ油症45年 日本最大級食中毒事件の今四十五年前、西日本を中心に発生した国内最大級の食中毒のカネミ油症事件で、原因となった食用油を 直接食べていない若い世代が、健康被害に苦しんでいる。油に含まれた猛毒のダイオキシン類が母体を通じて伝わって 影響しているとみられるが、国は次世代への実態を調べようとしない。「若者の被害を知って」 と当事者が声を上げ始めた。(出田阿生)特有の症状、子や孫 『認定』 却下長崎県諌早市のカネミ油症認定患者、SJさん(52)は、こう振り返る。 四年前、長女のMさんの腕のおできが腫れた。何げなく指で押すと、白い塊が突然出てきた。ダイオキシン類が 体を蝕むカネミ油症では、体が毒を排出しようと、こうした皮膚症状が出ることが知られる。・・・・・『Mが生まれた時、肌が巨峰みたいな黒紫色だった。私がカネミ油症になったのは、20年以上も前・・・』油症患者に多くみられたのが 『黒い赤ちゃん』 だ。赤ん坊のMさんの頭皮には黄色い脂肪の膜が張り、取っても出続けた。 幼少から体が弱く、医者に『普通の子と違う』 と 言われた。Mさんは今も、頭痛や原因不明の腹痛に襲われ、強い倦怠感が消えない。 介護福祉士をしながら通院生活を送るが、勤務先で倒れることもあり、将来に不安が募る。『お母さんの油症の影響があると思う・・・』Mさんは 高校生の時、こう伝えられた。・・・・・『親から教えられなければ、自分が油症とは分からない。知らずに苦しむ若い人は、他にも 大勢 いるはずだ 』Mさんは最近、若い被害者同士で連帯したいと、実名を公表して訴え始めた。Mさんの前に立ちはだかる壁は、油症の認定制度だ。次世代が患者に認定されることは近年、皆無となっている。たとえば長崎県では、2世が認定されたのは1985年が最後。Mさんはこれまで五回申請したが、いずれも具体的な理由の説明がないまま却下された。油症認定制度は、九州大などでつくる 油症治療 研究班の医師が中心となり、診定会議で判断する。だが五島市出身の認定患者、MYさんは『審査がずさんとしか思えない』 と憤る。MYさんの長女(34)の血液から 高濃度のダイオキシン類が検出されていたのに、一昨年に未認定とされた。 長女は 子宮筋腫が二つあり、爪の変形や倦怠感、皮膚の再生が遅い…といった油症患者に多発する症状に苦しむ。MYさんは三回流産しており、長男(32)や 次女(28)にもさまざまな健康被害が出ている。長女について、油症治療研究班の 古江増隆 班長 は、 『血液中のダイオキシン類の数値が高いので、却下ではなく保留の扱い。 翌年また受診してもらって認定の方向で…と思っていたが、診定会議の中で 横の連絡がうまくいかなかった 』 と 話す。MYさんは、 『数値が低くても 高くても認定されない。なぜ、すぐ再検査をしないのか。一体 どうなっているのか 』・・・・・検診も 会議も 年一回だけで、その年に認定 されなければ、次の申請は翌年になってしまう。なお続くダイオキシン禍胎児への影響10倍以上ダイオキシン類の人体への影響は未解明だが、時間の経過とともにある程度は排出される。なぜ、次世代に影響するのか。長年、油症の研究を続けてきた宮田秀明・摂南大名誉教授(環境科学)は『体の組織が完成した大人と違い、子どもは、微量でも影響を受ける。 特に、母親の胎内で受精卵が細胞分裂して、体の器官が作られる時の影響は甚大。胎児への影響は大人の十倍以上という研究がある』 と説明する。全員救済の台湾油症国は早く実態調査を1979年に起きた台湾油症事件では、黒い赤ちゃんなどの日本の先例が参考にされ、次世代の実態調査や対策が取られた。被害者の母親から生まれた子は、申請すれば患者として認定されて医療費が免除される制度が整った。一方、日本では、多くの被害者の訴えがあるのに、国は次世代への影響を詳しく調査しようとしない。カネミ油症被害者支援センター(東京)が、厚生労働省の2008年度 油症被害調査を分析した報告書では、認定・未認定を問わず、被害者の子や孫、ひ孫までさまざまな類似の症状がみられた。へその緒からダイオキシン類を検出する研究をした長山淳哉福岡工大客員研究員(環境分子疫学)は『科学的にダイオキシン類に暴露された証拠があっても認定しない。 現行の認定制度はめちゃくちゃだ』と 批判する。昨年9月施行のカネミ油症被害者救済法では、認定患者の同居家族は認定することになった。だが、長山氏の調査で、へその緒からダイオキシン類が検出されたある患者は、当時、母親のおなかの中だったため、『胎児は同居家族ではない』として、認定されなかった。岡山大学院の津田敏秀教授(疫学)は、『今の認定制度は、よくわかっていないことを≪総合的に検討≫という言葉を使って、被害者を切り捨てている』 と断言する。さらに 『水俣病も同じだが、カネミ油症事件は食中毒事件。食品衛生法では、原因の食べ物を口にして症状がでれば患者となり、本来、認定制度など必要ない。まずは油を食べて症状が出ている未認定患者を、すべて食中毒患者として認定しなくてはいけない』と指摘。そして次世代への影響については、国による実態調査が急務だと説く。前出のMさんは、こう訴えた。私の体に起きていることは、何なのか次世代の被害を、ないことにしないでほしい。カネミ油症事件1968年、北九州市のカネミ倉庫が製造した米ぬか油を食べた約1万4000人が健康被害を訴えた。 油の製造過程でダイオキシン類が混入。 全身の吹き出物や色素沈着、頭痛、免疫力低下など、さまざまな症状が出た。 厚生省(当時)が対策本部を設置したのは、10月と対応が大幅に遅れ、被害者の大半が油症と認定されずに放置された。 2012年8月、被害者救済法が成立。 認定患者と同じ油を食べた同居家族も患者と認定し、カネミ倉庫は医療費を負担するほか、年5万円を支払い、健康実態調査名目で国からは年19万円が支給される。 しかし、新法で増えた認定患者は228人。 今年5月末で認定患者は2210人にとどまる。以上、7月21日付 東京新聞の記事からでした。【カネミ油症のこと】 国のパンフレットに、カネミ油症被害者の実態を!
2013年07月25日
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長崎県五島市にお住まいの宿輪敏子さんが、昨日、国が作成するカネミ油症についてのパンフレットに油症被害の実態を正確に反映させるため、作成メンバーに被害者を加えるようにという要望書を出されたとのこと。カネミ油症被害者の苦悩は、国も油症治療研究班も被害者がそれぞれ違う症状であることに向き合おうとしないことから起きていると思いますので、国がつくるパンフレットには、ぜひ、多くの被害者の声を盛り込んでいただきたいですね。油症パンフレット作成に関する要望書 厚生労働省医薬食品局食品安全部企画情報課長 伊原和人様 カネミ油症五島市の会事務局長 宿輪敏子2013年7月17日井原課長、三者協議ではお疲れ様でした。あの後、私も含め油症被害者の多くは、数日間、体調不良を起こし、大変でした。「油症患者は、半病人じゃもんなあ。」私の父の口癖です。 こんな体で、真の救済を願って必死で闘っていることをご理解ください。 会議の冒頭で、カネミ油症関東連絡会のM共同代表は「これだけ多くの要望を今日中に協議し終えるはずがない。そちらが説明したことで、私たちが承諾したと思わないで欲しい。」 という趣旨の発言をしました。貴省ももちろん承諾しました。今回の三者協議では時間が足りず、何一つ結論が得られなかったので、全ての要望はそのまま存在しています。 この中で、油症の手引き(油症パンフレット)の作成に関しましては、油症対策委員会の中で、古江班長が、「医療機関向けの最新の情報を盛り込んだパンフレットを作成中である」 と言われていたので、取り急ぎ 再度 要望いたします。この件について、カネミ油症被害者10団体は、厚生労働省に次のように要望していました。「医療関係者がカネミ油症の症状などを理解できるよう、医療関係者向けの 『油症の手引き』 を作成すること。そのために 油症治療研究斑内に特別チームをつくり、被害者代表も加えて、よりよいものにすること。」 これに対して 貴省は、三者協議の中で、「今年度の研究班で、医療従事者向けの啓発資料を作成したり、相談員に寄せられるご質問などをまとめる予定と聞いており、出来上がった資料については、医師会等の関係団体や都道府県に情報提供する予定としております。」と、油症研究班の計画を単に伝えるのみので、これを回答としました。つまり、厚生労働省は、「特別チームを作り、被害者代表も加えてよりよいものにして欲しい」という、油症患者の要望をいとも簡単に無視し、要望実現のために何の努力もしてくださいませんでした。このことは、「カネミ油症支援法(略称)」 の付帯決議の前文「政府は、本法の施行及び今後の施策の実施に当たり、カネミ油症患者の要望及び意見に配慮しつつ・・」という条文に違反しています。 また、本法の基本理念「カネミ油症患者に関する施策を推進するに当たっては、カネミ油症患者及びその家族の人権が尊重され・・」の条文にも反していると言わざるを得ません。 PCB及びダイオキシン類が、人体にどのような症状をもたらすのか最もよく知っているのは、これを食べた被害者自身です。 これらの内分泌撹乱作用や、酵素誘導作用は、実に奇妙で 複雑な症状をもたらします。検査結果には 反映されないことも多く、通常の医師には理解されません。 また、全国の被害者の症状を聞き取ってきたYSCの健康実態調査は、重視されなければなりません。従って、カネミ油症患者や、YSCの意見を聞くことなく、現場に 足を運ばない 油症研究班によって、一方的に作られたパンフレットを 全国の医療機関に配布することは、私たちの要望に著しく反します。これを認めるわけには行きません。このパンフレットは、全国に散在する油症被害者にとって、今後、非常に重要な意味を持つものになります。ですから慎重に作られなければならないのです。どうぞ、早急に、患者の代表が、医療機関向けの油症パンフレット作りに参加できるよう ご尽力ください。 厚生労働省が、「カネミ油症施策法」の趣旨をご理解くださり、患者の要望を無視することなく、その実現に向けて、積極的に施策を講じていただきますようお願い致します。 なお、進捗状況を今週中にメールにてお知らせいただきますようお願い致します。 以上、宿輪さんが厚生労働省あてに出された文面です。お送りいただいたものは、きちんとした文書形式でしたがここに掲載させていただくに当って、私の勝手な判断で行代えなどをさせていただきましたこと、ご了承下さい。【カネミ油症のこと】 ETV特集 「カネミ油症 母と子の記録~」 の ご案内
2013年07月18日
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5月25日(土) 23時~24時30分 ETV特集毒と命~カネミ油症 母と子の記録~【再放送】6月1日(土)午前0時45分 ※金曜日深夜食用油にダイオキシンが混入し、1万4千人が被害を訴えた、戦後最大の食品公害 「カネミ油症事件」。子ども世代への影響が心配されながら、長年、沈黙を強いられてきた 被害者たちが 声を上げ始めた。事件後、母親の胎盤を通して影響を受けたと見られる 「黒い赤ちゃん」 が 次々と誕生。 社会の差別や偏見が患者たちを苦しめるなか、次世代への健康被害は十分に調査されないまま45年が過ぎた。 去年に成立した被害者救済法でも、子どもや孫の世代についての言及はなかった。 苦難の中で、被害を訴え始めた母と子の姿を追った。以上、こちら で ご覧になれます『食卓の肖像』 の映画にも 登場されている Nさんはお母さんが利用していた職場近くの食堂で カネミ油を使っていたために、被害をうけられたとのことです。お母さんが、ダイオキシン入り油を食べてから、4年目に生まれたNさんは 認定されていませんが、生まれた時から、たいへんな症状が出て、苦しんでこられました。 家族の健康に良いと思って、料理したもので家族を苦しめてしまった母親の哀しみ、そして次世代につづくカネミ油症の被害・・・などをまとめた ドキュメンタリーだと 思います。わが家にテレビがないので、94歳の母宅か、97才の叔母宅で見るかですが、深夜ですし、私は見るのは難しいかな~と思っていますが夜に強い方、ぜひ、ご覧になって下さいね。【カネミ油症のこと】 ダイオキシンとカネミ油症のお話を16名で‥
2013年05月23日
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今日の集まりには、朝5時半に家を出て、病院で いくつもの辛い検査 を していた ゆーりっくさんは 来られませんでしたが、石澤さんのお話を、16名で伺いました。竹の子ご飯の昼食をはさんで10時から 15時ころまで・・・テープに録音もさせていただきましたので、整理をして、近く、載せさせていただきます。石澤さんをはじめ、ご参加下さいましたみなさま、ありがとうございました。【カネミ油症のこと】 明日、ダイオキシン汚染とカネミ油症、 お話を伺う会
2013年05月17日
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≪ダイオキシン汚染とカネミ油症≫お話を伺う会 チラシ より ご案内させていただきます。ダイオキシン汚染 と カネミ油症カネミ油症被害者支援センター共同代表石澤春美さん を 囲んで4月18日(木)、5月17日(金) 10じ~14じ ギャラリー喫茶 『四季の花』 にて参加費 (軽食・デザート代含) 700円石澤さんは、焼却施設周辺での汚染や、枯葉剤による被害、所沢のダイオキシン調査などにも参加されています。 カネミ油症が、PCBとダイオキシンとの複合被害であることを知り、10回以上、長崎、五島列島や、福岡などに行かれ、被害者の聞き取りをされています。 西東京市に在住で、お近くの方ですし、お話を伺う集いを、2回、企画しました。どなたも、どうぞ お気軽にご参加下さい カネミ油症 と わたしPCBで苦しんでいるカネミ油症のことを知り、五島列島や福岡などに行って、被害者の方々に、お話を伺ったことがあります。 41年前、私が25才のときでした。 カネミ油症の被害が起きてから45年。多くの方々が、今も、苦しんでいること、西日本だけでなく、関東地区にも被害者が多くおられことなどを、最近、知りました。ダイオキシンが検診の基準に加えられてから2005年頃以降に認定された方々 55名が、5年前に訴えていた裁判の判決が、この3月にあり、≪棄却≫ でした。 被害を受けてから20年以上が過ぎているため、訴える資格がない、つまり、≪時効≫ であるという理由です。 それでは、福島原発事故による放射能被害についても、20年が過ぎると、≪時効≫になってしまうのでしょうか。 カネミ油症の現状は、放射能被害の 45年後をもあらわしていると思います。発症当時、子どもだった人たちが40代、50代となり、広く 伝えていこうという動きもあります。今年1月に、カネミ油症関東連絡会が発足し、41年前に訪ねた方の息子さんが共同代表になられたことも、何かのご縁を感じます。石澤さんのお話を伺い、子や孫たち次世代の環境についても考えていかれたらと願って、皆さまのご参加をお待ちしております。2013.4.3 清水ゆり子 042-391-9791【カネミ油症のこと】 ≪ダイオキシン汚染とカネミ油症≫ちらしを作りました
2013年05月16日
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≪ダイオキシン汚染とカネミ油症≫ お話を伺う会 チラシを作りました 1か月以上も前にですが・・・ チラシの形は このようです 4月18日は、11名の方がご参加下さいました。石澤さんのお話をまとめてみたいと思うのですが今のところ、まだ、手がつかないでおります。5月17日、どうぞ ご参加下さ~い♪ お子さんの小さい ゆーりっくさんの出やすい時間帯にしましたが、残念ながら・・・ゆーりっくさんは 参加できなくなりました。ゆーりっくさんの快復を願いながら、ゆーりっくさんの分まで、みんなで、お話を伺えたらいいな~と思います。【カネミ油症のこと】 身体のあらゆるところから油が出た‥
2013年05月06日
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ダイオキシン汚染 と カネミ油症 10名余の方々が お集まり下さり、石澤春美さんのお話を伺いました。限りなく たくさんのお話をしていただいたのですが‥石澤さんが 書かれた 『知らずに 食した人々』 の中から 一部を 引用させていただきます。調査に行ってみて 非常に驚いたのは、最初にお会いした被害者の方は まだ 目から 油が出ていたのです。目の淵から油がにじみでていて、片目は失明しているのです。 32年後の現在もなお こんな被害が続いていることに、私は 非常に驚きました。その方に今までの経緯をお聞きしましたが、身体のあらゆるところから油が出たとおっしゃっていました。トイレに行くと まわりが油だらけになってしまって、気持ちが悪くて、入浴を繰り返しても 身体の油がとれなかったそうです。 今も油症の症状を抱え、ひっそりと暮らしておられました。 この方のご主人は 若くして 油症で亡くなったそうですが油症だとは認定は されていないそうです。・・・・・・その他にも、一瞬に毛が抜けてしまった方や、クロルアクネが 今も 残っている方もいました。クロルアクネと言いましても、果肉を重ねたみたいに湿疹の上に また湿疹ができて、苦しくて苦しくて、自分で、ナイフで傷を入れて 膿を出したっておっしゃるんです。その上、ここは島のはずれで、近くには診療所が一軒しかなくて、遠くまで行かなくては 病院がないので、そのまま苦しみぬいたそうです。年に一回の検診はあったそうですが、症状を訴えても、手の使いすぎ、足の使いすぎ、目の使いすぎで片づけられてしまって、何も治療してもらえなかったとおっしゃっていました。 以上、知らずに 食した人々 30P、31Pからその一部を 引用させていただきました。【カネミ油症のこと】 ダイオキシン と カネミ油症
2013年04月18日
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4月7日の 『四季の花』 お楽しみ教室 宇宙から身の回りの科学 では、ダイオキシンについて お話していただきました。岩下先生の専門分野は 基礎物理 ということですが、ダイオキシンと人体への影響について という私のお願いに 資料をつくって、応えて下さいました。そのお話を、いただいた資料と 私の乏しい 記憶とで、つぎに まとめてみました。間違いがありましたら、ご容赦下さい。・ ダイオキシンとは何か?・ ダイオキシンの発生源・ ダイオキシンによる環境汚染・ 人体への摂取と症状・ ダイオキシン汚染の防止 無機物と 有機物との説明から はじまり・・・炭素と水素とが結合した いろいろな化合物のお話があり・・ ダイオキシンという物質はなく、≪ダイオキシン類≫と総称される100位のうち、主なものに、つぎの三つのものがあげられる。PCDD(ポリクロロジベンゾパラジオキシン)PCDF(ポリクロロジベンゾフラン)Co-PCB(コプラナーPCB)※PCB:ポリクロロビフェニルダイオキシンによる人体被害 カネミ油症事件鐘ヶ淵化学工業製 カネクロール400(KC-400)を米ぬか油の脱臭工程で、PCBを熱媒体として使用。1969年7月1日締切日までの届出者 14627人。1975年 PCDFを検出1984年 PCDFが原因と判明1987年 PCDF(85%)と Co-PCB(15%)と 判明。 発症から20年かかっている。 私は、PCBが加熱処理される工程で、ダイオキシンが発生したと聞いていたので、PCBが 米ぬか油製造の工程で ダイオキシン類に変化したのかと思っていたのですが、すでに≪カネクロール400≫という商品に ダイオキシン類が含まれていたとのことです。台湾でのライスオイル事件1979年5月 発生 鐘ヶ淵化学工業製カネクロール400を使用1983年における患者数 2022人 ベトナム戦争で用いられた枯葉剤 の 製造工程で、2,3,7,8TCDDが生じた。 これは、ダイオキシン類中で最も毒性の強いものである。 1976年、イタリアのセベソ付近にある化学工場 で爆発事故がおこり、大量のTCDDが発散した。ダイオキシン類による環境の汚染 PCBを含む電気機器のある工場などの 火災によってダイオキシン類が発生する。 ゴミ焼却施設からのダイオキシンの発生◆塩素を含むプラスチック類(塩化ビニル、 塩化ビニリデンなど) の 燃焼◆繊維やプラスチックなどの高分子化合物と、 塩素を含む有機化合物の混燃による発生◆不完全燃焼による発生◆可燃性塩素から塩化水素が発生し、それが 銅やコバルトなどの触媒によって塩素ガスに なり、これが有機物と反応してダイオキシンを 生じる。 320度で最大となる。 250度以下 では減少する。 電気集塵機で デノポ生成 が おこることが知られた。人体への摂取と症状呼吸による吸収、皮膚からの侵入、経口摂取を比べると、食物による経口摂取が最も多い。急性症状と慢性症状とは ほとんど同じ。急性毒性でも かなり遅れて発症するのが特徴である。◆甲状腺機能破壊:急性症状に多く現れる。◆胸腺の萎縮:免疫機能の低下◆脾臓の萎縮:免疫機能の低下、造血機能抑制◆肝臓障害:肝臓肥大、脂肪肝、ビタミンA不足 による免疫機能低下、感染症の増加◆ホルモンバランスの異常◆腎臓障害◆生殖障害◆皮膚障害◆発癌性その他、たくさんのお話をしていただいたのですがほとんどが いただいた資料からの引用になってしまいました。次回、5月5日(日)午後2時から‥ は、今回のおさらいをしていただき、そのあとこの続きを お話していただく予定です。なお、明日、4月18日 午前10時より『四季の花』 にて、石澤 春美 さん にダイオキシン汚染とカネミ油症 のお話をしていただきますので、どうぞお気軽に ご参加下さい。【カネミ油症のこと】 カネミ油症の映画、明日から上映♪
2013年04月17日
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私は知りませんでしたが~ 知る人は知る‥の 映画館場所は こちら新宿駅東南口から 徒歩何分と 書いてありませんので‥‥たぶん 近いのでしょう明日から 5月3日までで4月27日から上映時間が少し早くなるそうです。映画のタイトルは 食卓の肖像戦後最大、未曾有の 食品公害事件カネミ油症事件のドキュメンタリー!こちら で くわしく ご覧いただけます。『美容と健康にいい』 そういう触れ込みの食品は身のまわりに たくさん あります。 もし それらの食品に 毒が入っていたとしたら ‥‥ 今から40年以上前、実際に そういうことが ありました。その被害者たちの人生を心温かく見つめた映画です。監督 金子 サトシ 忘れられていた事件の被害の全貌を10年間の取材で明らかにキネマ旬報 2011年度ベスト・テン 文化映画10位私は、映画館で映画を見たのは いつだったか思い出せないくらいに、見て いないのですが、15日過ぎには見にいきたいと思っています。ご覧になった方、ご感想などお聞かせくださ~い【カネミ油症のこと】 ≪ダイオキシン汚染とカネミ油症≫ お話を伺う会
2013年04月05日
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