発達障害児が伸び伸びと育つために~保健師の目で見た子育て~

陥りやすい心境



●「わかってくれない」→伝える練習をしよう!
・・・・・上手に伝える「言葉」を思いつきませんでした。だから、心の中で「ひどい」と思っても、黙って「ただお願い」するしかできなかったのです。
それでは信頼関係を作ることは難しく、「わかってくれない」と弱者意識・被害者意識を持ってしまうだけです。

親は、泣いたり怒ったりするよりも、「伝える言葉を身につける」ということが、なにより必要なことだと感じました。
理解されにくい子をもつ親だからこそ、理解されるような努力をしなきゃいけない。

言葉で表現できないと、なかなか理解を得られなくて、結局は「愚痴」と「泣き言」「あきらめ」「怒り」で終わらなければいけなくなってしまうのです。
「言葉で表現することが苦手なわが子」を見ていると、親も「言葉で表現する修行」を与えられているように感じました。親子で同じ修行を始めたようでした。



●子どもを人質にとられているような気持ちがしていました。喧嘩にトラブル、面倒ばかりかける我が子に対して、ひどい対応をされないように、冷や冷やしながら先生の事を見ていました。
先生に「面倒」をかけていることを重荷に思い、肩身の狭い思いもありました。その気持ちの裏返しで、先生に対する怒りも持っていながら、それを表現することもできずにいました。弱者の理屈にはまっていました。

当時の日記に「とりあえず、先生の存在は薬にはなっていないけれども、毒にもなっていない。この状態を崩すのは怖い」と書いてあります。
こんな危なっかしい関係を続けながら、一歩前に踏み出すこともできず、そんな状態を保とうとしていたのです。

なかなか勇気が出ませんでした。

●先生はいつも強そうで、胸を張っていて、威厳がありました。ご自分の経験から得た方法でTAKUYAに対応する話も、自信を持って話していました。先生が落ち込んだり、悩んだりしていることは、想像もできませんでした。

反対に、私自身はというと、頭ばかり下げていました。喧嘩して怪我をさせてしまったお友達の家へ、TAKUYAを連れて菓子折りを持って、謝りに行くことがしばしばでした。学校では「泣かないように」がんばって、「頭を下げて」TAKUYAのことを先生に「頼み」、何度も落ち込み、惨めな思いをかみしめていました。

謝ったり、責められているとどうしても自尊感情がぼろぼろになって、判断力も落ちていました。
例の事件で、中学生6人が小2の男の子を寄ってたかってやっつけたのに、担任の先生に「普通だったらここまではやられない」と言われると、「TAKUYAに問題があるからしょうがないのだろうか」と、分からなくなり、怒っていいのかいけないのか、混乱の渦の中にありました。



© Rakuten Group, Inc.
X

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: