絶対受かろう!中学受験-偏差値75で、開成・筑駒に合格!

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2008.01.09
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カテゴリ: その他
のっけから結論を書くと、

「偏差値の高い学校とは、多くの人がいいと思っている学校である。」

決して、「偏差値が高いからいい学校」なのではない、「いい学校だから偏差値が高い」のだ。

何万人という受験生の親が、必死に学校を研究している。資料を熟読し、文化祭を訪問し、授業を見学し、説明会に聞き入り、塾で質問し、子供にとってベストの学校を探して、志望校を決める。

その学校にみんなが行きたいと思えば、入学競争は激しくなる。競争が激しくなれば自然と偏差値も上がる。
ただ、それだけの話だ。


ぼくが偏差値の話をすると、必ず
「先生は偏差値にとらわれすぎている。偏差値が高ければいい学校なんていうのは時代遅れだ。ウチは偏差値にとらわれず、自分の目でベストの学校を選ぶ。」とおっしゃる保護者がいる。
それは結構なことだ。

世間の評価など気にせず、自分の道を行くというのは時に正しい。必ずしも人気のある学校が自分の子供にとってベストとは限らないというのもそのとおりだと思う。

でも、何万人という保護者が作った偏差値というランキングを、全く価値が無いなんていうのはナンセンス。偏差値が高い学校には、多くの人を魅了する要素があるはずなんです。

だいたい「偏差値なんて~」という保護者だって、自分の子供が受かりそうな偏差値帯の学校しか検討していない。偏差値にとらわれないのなら偏差値の高い学校も低い学校も、全部見るのが筋の通った行動のはず。立派に偏差値に囚われている。

それで、思うんですよ、ぼくは。
偏差値を否定する人というのは、大部分が偏差値を否定“したい”人なんじゃないかと。


「偏差値なんて」「学歴なんて」‥
いろいろな言説が世の中には溢れていますが、結局、そうやっていろんな指標を否定して自己を肯定したいだけなんじゃないだろうか。

うちの子ははもっとできるはずだとか、自分はこんなはずじゃないとか、最難関校に受かった子に対するやっかみとか、そういう、人間らしいと言えばとても人間らしい思いが噴出してるんじゃないだろうか。

偏差値論議というのは果てしなく不毛です。もうやめましょう。

偏差値というのは、一つの指標です。人気投票の結果。ただそれだけ。
平等な競争があれば、序列が出来るのしかたのないことです。

昨日も書きましたが、足の引っ張り合いはもうたくさんです。
偏差値教育が心の成長を阻害するだの、受験競争が人間性を損なうだの、あまりにもバカげてる。

競争で上位にいる人を叩くことに何の意味がありますか。
国内で才能を潰しあってるうちに、気づけば日本は先進国の中で落ちこぼれようとしています。


自分を肯定するのはいい。自分の子供を肯定するのもいい。
でも、それは他人を否定することでじゃなくて、自分自身の中から湧き出るものでするべきだと思っている。

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Last updated  2008.01.09 18:00:01
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