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先日コメントで発声についてのご質問をいただきました。そこで今回は、息が続かないとか声がかすれてしまう方向けに、解決のための練習方法を3つあげてみます。これらは本来の発声練習とは異なるのですが、自分の声の出し方をイメージする方法として試してみてください。○わざと喉に力を入れて歌ってみる-キンキンした固い 声になったり、つまったような声になると思います。 でも、かすれた声になっていなければOK。この声を もとにして徐々に喉の力を抜いていく、あるいは口の 奥の方を広く(深く)あけてみます。 響きがやわらかくなればその声が使えるようになりま す。○口や鼻から息を出さないつもりで歌ってみる -昔「口の前に置いたろうそくの炎を揺らさないで歌 う人」がテレビのコマーシャルに出ていた記憶があり ます。「自分の口や鼻から息が出ていない、息は眉間 から後頭部にかけて出ていっている」というイメージ で声を出してみてください。○息を出し惜しみする できるだけ息を吐かず、出し惜しみするつもりで歌っ てみてください。このいずれかの方法を試してみて、漏れ・かすれがなくなったときの声の状態を確かめてみてください。元の声(地声)を大切にしながら、それをどう加工していくかが発声の練習です。多くの合唱団では練習の開始時に発声練習をすると思いますが、お決まりのパターンとして声を出すのではなく、そういう時を利用して声の出し方をいろいろ試してみられるといいでしょう。
June 28, 2006
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このところ、いただいたコメントに気をよくして「発展」「応用」的な話題を投稿することが増えてきました。コメントをいただけるのはとてもありがたいです。こう書きながら、コメントするのはなかなか勇気がいりますね。コメントをいただいたりリンクしていただいた方のページは私もできるだけ訪問させていただき、「勇気を出して」コメントしたいと思っています。これからもよろしくお願いします。と、前置きが長くなりました。今回は基本に戻って呼吸の話題を書きたいと思います。腹式呼吸の話、おぼえておられますか。息を吐ききることが大切だということも以前触れました。呼吸の練習をされるとき、次のようなイメージで吸ったり吐いたりすると、より深い呼吸ができるようになり、息の流れを感じやすくなります。お試しください。1.おへそのわずか下あたりに意識を向ける2.その部分をゆっくりふくらませていく 入ってくる息は、頭のてっぺん(あるいは眉間)か ら長い管を通ってお腹の底にためるイメージで(目 を見開いて鼻から息を吸うと、眉間のあたりがひん やりとします)3.いっぱいになったところでしばらくとめる4.今度はその部分を背中にくっつくぐらいまでゆっく りとへこませていく 出ていく息は先ほどと逆に頭のてっぺん(あるいは 眉間)から散っていくようなイメージで5.完全にお腹がへこんだら、少しの間そのままの状態 を保つこれをゆっくりと繰り返します。立ったままの姿勢でイメージがつかみにくい方は、仰向けに寝てやってみるとお腹の動きがより意識しやすくなると思います。3と5でしばらく動きをとめるのは、吸いきったとき、吐ききったときの体の感覚をつかむためです。慣れてくれば普段よりもはるかに深い呼吸ができるようになります。
June 26, 2006
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このタイトル、どこかで見たことがある」と思った方、記事をていねいに読んでくださってありがとうございます。「音符と音符の間にも音は詰まっている(その2)」の最後で書いた言葉です。今回はこれをとりあげます。八分音符や十六分音符などが連続している曲や、宗教曲の速いフーガの部分など、短い音がたくさんつまっているとき、どんな気持ちで歌っていますか。たいていは「うわー、きたぞ」「口がまわらない」などと焦ってしまうのではないでしょうか。音や言葉を落とさないよう楽譜にかぶりついて歌っている姿が目に浮かびます。もちろん私も例外ではありません。恥ずかしながら必死に楽譜を追いかけているのが常です。そんなメンバーが多いと、演奏はどうなっていくでしょう。普通は「速いテンポについていけず、遅くなってしまう」と考えるのですが、実際はこの逆で、指揮棒よりもどんどん速くなってしまうことがほとんどです。特に本番でテンポが遅れることはまずありません。速いところほどより速くなってしまうのです。急な下り坂を走ると、どんどん勢いがついてしまって自分では止められなくなる状態に似ていますね。この加速感、指揮者を見ていればある程度は防げるのですが、こんなところほど楽譜から目が離せない人が多く、指揮者だけがテンポを抑えようと必死で棒を振っているという悲しい事態が起こりやすいのです。ですから、速いテンポのところほど「指揮者を見る」、あるいは「落ち着いて歌おう」という意識を持って歌ってください。私はよく楽譜に「走るな!!」と書き込みして、注意するようにしています。反対に長い音が続くところでは、気持ちよく歌って間延びしたり、ひとつひとつの音を出すことに注意が向いてしまって、フレーズ全体の表現がおろそかになってしまいがちです。結果的に遅いテンポがより遅くなる方向に気持ちが向いてしまうわけです。「速いテンポのところほどひとつひとつの音符を大切に」「遅いテンポのところほどフレーズのまとまりを大切に」という気持ちを持って歌ってください。
June 23, 2006
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新しい曲の練習を始めてからしばらく経つと、団員は「思うように歌えない」、指導者は「思うように練習が進まない」という「中だるみ」のような悩みが出てきます。今回はそのあたりのことをテーマにお話ししたいと思います。あなたの所属されている合唱団はどのぐらいの頻度で練習がありますか?その練習には参加できていますか?毎日練習している学生の合唱団は別として、一般の方は仕事や家事などの都合で月1回とか2回しか参加できていない方もいらっしゃると思います。久しぶりに参加したら「浦島太郎」状態だった、その場で必死に歌ったものの、またしばらく練習に行けず、次に行ったらもっと「浦島太郎」状態になっていた。。。という経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。曲の練習が進んでくると、実はこのようなメンバーが足をひっぱります。音がわかるようになってきて、そろそろ曲想をつけていこうかという時期になって歌えない方が来ると、また音をとる練習をしなければなりません。そのようなメンバーが代わる代わる出席されると、いつまでたっても音取りの練習ばかりしなければならなくなり、毎回参加している団員はおもしろくなくなってしまいます。冒頭に書いた「思うように歌えない」、「思うように練習が進まない」という悩みはこのようなところから生じてくることもあるのです。「練習には全部参加する」というのが団員の基本ですが、思うように参加できない諸事情があるのも事実。忙しいなかをなんとかやりくりして参加している熱意を無駄にしないよう、また周りの足をひっぱることになってしまわないよう、思い当たる方は以下の点に気をつけてみてください。○休んだ時の練習内容と進行状況は必ず把握する パートリーダーや仲の良いメンバーに尋ね、どのあたり まで進んだのか、ど のような練習をしたのかを把握す るよう努めましょう。○楽譜、または演奏(CDなど)を身近なものにしておく 楽譜を見るのは練習に行ったときだけ、演奏は練習の時 にしか耳にしない、というのでは、曲が自分のものにな りません。休んでいても時間のあるときに楽譜に目を通 すとか、CDなどで曲を耳にしておくようにしましょう。 声を出すことは日常生活の中では難しいかもしれません が、曲を聴きながら頭の中で歌うとか、口のフォームだ け意識するという「イメージトレーニング」的な練習な らあまり場所を選ばずできます。このことは、学校の授業と同じだと言えます。予習をして授業に臨み、家に帰ってからは復習、休んだときはノートを写させてもらう、というのと同じですね。(偉そうに書いている私自身がこんな優等生だったかどうかは?ですが。)練習会場にいる時だけが練習の場・時間ではなく、いつも曲のことを意識しておいていただきたいと思います。
June 18, 2006
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前回の記事に対し、指導されている方お二人からコメントをいただきました。どちらも教えることの大変さを感じさせられるコメントで、「お気楽団員」でいては申し訳ないという気持ちにさせられます。歌う側の方も教える側の方も、いろいろなコメントをいただけたらうれしいです。今回も指導される方向けの話題を続けます。指導していると、実に様々なところで指示を出したくなると思います。自分のイメージを何とかして形に表したいという熱意が強ければ強いほどこの傾向は強まるといっていいでしょう。でも、熱意のあまり、このようなことは起きていないでしょうか。・練習時間の半分ぐらいを自分がしゃべっていた・いっぺんに大量の指示を出していた・「なぜできない」と団員を叱っていた歌う側としても指揮者がどのようにその曲を歌わせたいのか知りたいですし、できるだけ指示されたとおりに歌おうと思います。しかし、もっと知りたいのは「イメージに添うためには、どのように歌えばいいのか」ということ。例えば、「ここは情熱的に歌ってほしい」という場面があったとします。どのような指示を出されますか?「もっと情熱的に!」「感情をこめて!」とだけ指示されても歌う側は困ります。「もっとフォルテで」「○○の子音を強調して」「○○から××まで急激にクレッシェンド」などの「行動できる指示」を出さないと団員はうまく歌えないのです。行動するためのテクニックはこのブログでもいろいろ触れていきますので、指導されるときの参考にしていただけたらうれしいです。もちろん、時には指導者の思いを抽象的な言葉で語ることも大切ですが、普段はできるだけ行動できる指示を出していただきたいと思います。
June 13, 2006
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このブログは合唱団員だけでなく、指導される立場の方もお読みいただいているようです。そこで、指導される方向けの話題も書いていきたいと思います。練習の参考にしていただけるとうれしいです。その1回目は「練習の流れ」についての話題です。「歌い始めがそろわない」「音がおかしい」「和音が変だ」「テンポがあわない」「歌い方が気に入らない」・・・。練習を始めると実に様々な事柄が気にかかります。演奏会が近づいてくるとよけいに細かい部分が気になるのではないでしょうか。指揮者によっては気になることがあるたびに、それこそ1小節単位で音楽をとめて、細かく指導される方もいらっしゃいます。ところが、歌う側にとって、頻繁にとめられる練習は意欲をそがれます。特に自分のパートが入る直前でとめられると「さぁ、歌うぞ!」と用意していた気持ちが萎え、数回繰り返されたら「どうせまたとめられるだろうから」と用意さえしなくなってしまいます。で、たまたま次のところに進んでしまうとそのパートはうまく入れませんからまたそこでとめられてしまう・・・という悪循環に入ってしまうのです。また、何回もやり直しているうちに、何が正しいことなのかわからなくなってくることも往々にしてでてきます。やればやるほどわけがわからなくなってきて、結局もう歌わないでおこうという気持ちになってしまうことだって起きかねません。全パートが集まって歌う場合は、気になる部分があっても極力とめないように心がけていただければと思います。これは音楽の流れをつかんでもらうためにも必要なことです。とめていいのは「テンポや和音が崩れて歌い続けられなくなった」、「入り損ねなど明らかな間違いがあった」時に限り、少なくともひとつのフレーズが終わるまではとめないことを原則にしていただきたいと思います。ただし、パート練習の時はこの限りではありません。基本的にはパート練習で細かい部分をつくり、全体の練習で大きな流れをつくると考えておかれるといいと思います。頻繁にとめざるをえないことが出てきても、少なくとも練習開始直後や、(休憩があるときは)休憩前、終了前などの区切りになる時は、ひととおり歌う時間を設けるようにしていただきたいと思います。団員は歌いたくて練習にやってきます。指導者から指示をいただくことはもちろん必要なことですが、指導者ばかりが話して歌う時間がほとんどないといった練習にならないようご留意いただければと思います。
June 9, 2006
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音符の話題を続けます。前回書いたように、楽譜は長い音も短い音もひとつずつの音符で書かれています。全音符でも三十二分音符でも(書き方は違いますが)ひとつの音符です。表記上は、ある音符Aと次の音符Bの間は隙間になっています。当たり前ですが、この隙間には音がないわけではありません。BになるまではずっとAの音が続いているわけです。ところが、歌っていると「Aの音」「Bの音」には目を向けるのですが、隙間に鳴っているはずのAの音がついついおろそかになってしまいます。乱暴に聞こえてしまうとか、ポルタメントしてしまうのは、この「隙間のA」の音を大切に扱っていないためであることが多いです。「Bの音に変わるまではAの音を鳴らしきる」ということをぜひ意識してください。これが今回のタイトル「音符と音符の間にも音は詰まっている」の意味です。一方、「以前の記事(〔呼吸〕吸ったときには次のフレーズが完成している)では、『次の音を意識しろ』と書いている。今回の「その音を十分鳴らしきる」というのはこのことと矛盾するのではないか」と思われた方がいらっしゃるかもしれません。もしそのようなことを思っていただけた方がいらっしゃれば、ていねいに読んでくださっていることに感謝したいと思います。納得していただけるかどうかあまり自信はないのですが、この矛盾と思われることは指揮者をイメージしていただけるとわかりやすいかもしれません。指揮者の棒は流れている音楽より常に少し先の指示を出しています。が、実際に出ている音は先走りすることなく十分に鳴っています。この指揮者と演奏者の関係を自分の中でやっている、つまり頭の中や体の構えは指揮者、出ている声は演奏者だと思っていただきたいのです。常に先の構えを作っておかないと、音楽は「遅れる」か「出たとこ勝負」になってしまいます。が、十分に音を鳴らさないと音楽は「先走った」り「しまらなく」なってしまいます。この難題に取り組むことが音楽の難しさでもありおもしろさでもあるといえるでしょうか。禅問答のようになってきたところで最後にもう一言。「短い音ほど長いと思え。長い音ほど短いと思え。」
June 2, 2006
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