「特別支援教育」は特別なことではない

「特別支援教育」を、「特別なこと」にしてはいけない


数年前、初めて「特別支援教育」という言葉を耳にした時は感じなかったのですが、最近違和感を感じています。

確かに、”他の子とちょっと違った工夫が必要”という意味では「特別」なのかもしれませんが、特別支援教育は、“一人ひとりを大切にし、より丁寧で、その子が安心できる(困らないですむ)指導と教育”だと思うんです。
ですから、これは当たり前に行われるべきであって、特別なことではないし、特別なことにしてもいけないのではないでしょうか。

僕たち保護者は、我が子を「特別扱い」してほしいと言っているわけではありません。
学校でも、視力が良くない子はメガネをかけていますし、それでもまだ見えにくい子は席を前のほうにしたりしているように、ただ平等に、必要な支援をしていただきたいのです。

発達障害のある子に対しては、その子に合った工夫と言うか、方法が少し違うだけなんですが、この「特別」という響きと、明確なイメージが持てないことが、先生方を戸惑わせているような気がしています。

時々ですが、「“特別”という言葉を“スペシャル”と置き換えて考えたらどうですか?」とおっしゃる専門家の方もおられますが、発達障害の有無に関わらず、どの子もスペシャルな子なのではないでしょうか。
ですから僕は、この名称を胸の中で「ユニバーサル支援教育」、または「適切支援教育」と置き換えています。

また、特別支援教育を、”発達障害のある子だけのもの”と感じておられる先生もおられるようですが、それは違います。

発達障害のある子がわかりやすく集中しやすい授業は、他の子にとってもそうですし、発達障害のある子にとって居心地がいい学校、教室は、他の子もそうなのです。

同時に、特別支援教育は「先生方のもの」でもあるんです。
なぜなら、「子どもたちの困った」の軽減は「先生方の困った」の軽減にもつながるのですから。

たとえば、今まで1日に5回「静かにしなさい」と言っていたのが3回に減るかもしれませんし、忘れ物が減れば、それだけ子どもたちを注意する回数も減ってきます。
子どもたちに笑顔が増えれば、それは先生方の喜びにもつながっていくでしょう。

発達障害を知り、そして特別支援教育を実践していくことは、先生方にとっても大きなプラスになっていくと思います。

発達障害のある子の親として、「特別支援教育」が「当たり前の教育」になってほしいと願っています。

まず子どもたちにとって・・・
そして先生方にとって、保護者にとって、すべての方々にとっていい方向に、少しでも近づいていくといいですね。




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