育てているのは未来です

育てているのは未来です

信望愛の白方先生


 白方さんは戦争中の従軍看護婦で、凄惨な場面もたくさん見てこられたようです。しかしそんな話はあまりされませんでした。私も若いころであまり詳しいことは知りませんが、母子家庭で私より少し年長の息子さんと娘さんがおられました。
 施設の子どもと職員の食事は、白方さんを中心に、職員と中学生くらいになった子どもたちが担当していました。私も料理は好きでしたので、よく仲間に入って手伝わせてもらっていました。ジャガイモの皮をピラーで剥くとき、手前ではなく向こう側に引く方が早いというのはここで習い、今も先生たちにそれを教えています。
 信望愛を出てあゆみ学園で働くようになった後も、何かの用があって高橋菊先生のところに行ったときは必ず調理場を覗いたものです。そこで出会うと必ず「森さんよう来たね。ご飯食べていきなさいよ。」と、ありあわせのもので手早く食事を用意して食べさせてもらいました。今思うと広島なまりがあったようにも思います。
 白方さんの息子さんは自衛隊の施設部隊にいて、除隊後は建築関係の仕事をしておられたようです。信望愛の家に行ったとき、時々は会うこともあったその息子さんが、面河の石鎚スカイラインの工事中にブルトーザーと一緒に谷に落ちて亡くなったと聞いた時にはびっくりしました。
 しばらくして、どう言葉をかけようかと悩みながら、信望愛の調理室に行ってお悔みの言葉を伝えた時、白方さんは落ち込んだ様子は微塵もみせることなく「これも神様のおみちびきだからね」と淡々とされていたのが印象に残っています。親としての本心はそうではなかったと思いますが、信仰の強さが心の支えになっているのだと感じました。
 時代が違うといわれればそれまでです。でも戦後間もないころに設立された施設には、そういう信仰と使命感を持った職員がたくさんいたのは事実です。
 今、施設職員になる人が少なく、就職しても早期に退職してしまう人も多いのが福祉事業をする人たちにとって一番の悩みです。一度しかない人生だから面白おかしく生きようということかも知れませんが、手に入れたどんな煌びやかなものも、自分の命も、いずれは一塊の灰に帰します。そこを起点にさかのぼっていくと、今していることの本当の価値が見えてくるのではないでしょうか。
 昔、出会った人たちのことを思い出しながら、弱い自分を励ましていただく日々です。


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