育てているのは未来です

育てているのは未来です

森先生ご夫妻のこと


 そもそも、私があゆみ学園とかかわることになったのは、松山信望愛の家という養護施設でボランティアをさせていただいたあと、福祉の道が、自分の価値観や人生観にもっとも添った生き方ではないかと思うようになった頃のことです。その後、たまたまあゆみ学園の送迎の運転手さんが退職することになり、その代わりを探しているという話を伝い聞いて「それなら是非にでも」とお願いして就職しました。当時21歳で、給与はその時に勤めていた会社の約半分になりましたが、福祉にかかわる仕事ができるということがうれしくて、それについては何も思いませんでした。
 元々、あゆみ学園はキリスト教会の信徒が、行き所のない子どものためにと始めた障がい児の通園事業でした。その頃は、今以上に教会とのつながりが強く、理事長は教会の山下萬里牧師。役員もほとんどが教会員でした。就職後、その中の何人かの方に目をかけていただくようになりました。あとで聞いた所によると「森青年を育てる会」のようなグループがあったのだったそうです。そのメンバーは、杉本さんや大政さんという、今では教会墓地の石碑の文字になってしまった人ばかりですしたが、森先生の奥さんの春恵さんもその一人でした。
 私の知らないところで大いに期待された私は、ご厚意に甘えながら、あゆみ学園で働かせていただき、歳のいった高校生になって定時制高校にも通うようになりました。牧師さんにもとても気にかけていただきましたが、なんだかその頃はとても偏屈で、あまりみなさんのご期待に添えるような働きは出来ていなかったように思います。
 昼間はあゆみ学園の運転手。夜は高校生。そして日曜日は森先生の開業していた外科医院でレントゲンの現像などのアルバイトをさせていただいたり、運転免許のなかったご夫妻のおかかえ運転手のように、高知や四国カルストまでドライブをしたりしていました。その後数年して早い結婚をすることになった時には、奥様から「森くんのお嫁さんは私がさがすつもりだったのにね。でもよかったね。」と言っていただきました。教会で挙げた結婚式で、そんな不肖な私のためにご夫妻で媒酌人をしてくだったことは本当にありがたいことでした。
 その後、私たちは小さな認可外保育所を始めることになるのですが、亡くなるまでずっと、私たち家族や園のことを、励まし、支えてくださったことを今でも忘れることはありません。
 私は元々、面倒なこととかかわらず、コツコツと自分のことだけをしていたい人間です。度量もありませんし、役職につくのはそれだけの責任を背負うことになるので逃げたいというのが本音です。今、思いとは裏腹に、いつの間にか責任を負う立場になってしまいましたが、それは、人生の道しるべを見失っていた私を育てて下さった教会の方々や、森先生ご夫妻の恩義に少しでも報いることが出来るならばという気持ちの結果です。責任者になりたいと思ったこともなければ、その器でもありません。
 本当に深い信仰心のある人は、それらすべてが隣人を愛せよという神様の導きであると言い切れるのですが、幸運を神様に感謝しつつも、私の場合は、手塩にかけて育ててもらった子どもが親によろこんでもらいたいためにがんばっているのと同じで、どこか人間臭いところから昇華できていない気がします。


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