若宮八幡社 春季大祭

若宮八幡社

大分市高田の若宮八幡社の春季大祭に行ってきました☆
午前10時に本社神輿と山車が高田地区を練り歩きました。

午前中はなんとか天気がもちましたが、
お旅所に付いた頃から雨が降り出しました。

若宮八幡社

若宮八幡社

2005-03-27 19:02:30

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若宮八幡社

2005-03-27 19:03:14

2005-03-27 19:03:14



若宮八幡社

祭神
大鷦鷯命(仁徳天皇)他に大物主命・豊受姫命
水波能賣命・相殿・金比羅神・稲荷神


鎌倉時代の初期健久七年(1196)豊後国守護・大友能直が鎌倉鶴岡八幡宮より御分霊を勧請し、丸亀字亀甲に創建。応永元年(1222)大友第十一代親世は高田荘(現在の東大分・日岡・桃園・三佐・鶴崎・別保・明治・高田・川添の鶴・迫・大在の志村の地)全部を神領とし、氏神としたのでここに大規模な社殿が造営されることとなった。天正十四年(1586)薩摩軍の兵火にかかり御神体・縁起所・宝物の一部を除き焼失。翌十五年小祠を営んだが、寛永二年(1625)九月の大洪水のため流失し、この時御神体は大字南榎ケ瀬の古木に留ったので、ここに仮社殿を営んだ。寛永六年、肥後藩主加藤忠広神殿を現在地・鵜の鶴に営み、やや旧観に復した。すでにこの頃では当社では高田手水(鶴崎・志村川・川添・高田門前・竹中に於る民政の執務者)の宋廟として篤く尊崇されていたが、その後範域が縮小して琵琶洲一円の氏神となり、更に鶴崎に剣八幡社が創建されると当村のみの氏神となった。
正徳三年(1713)社僧神殿を改築したが社地が低く度々洪水にあい且つ小規模になった事をなげいて、天保十一年(1840)常行の庄屋首藤理左衛門は社地を現在の高さに築上げ同時に建物の新築大造営を果たしたが、安政元年(1854)の大地震で大被害をうけた。現在の社殿は明治二十三年六月に、拝殿は明治四十三年三月に新築、神楽殿・社務所を整備した。
祭礼はもと年三回だったが、のち春秋の二回となり、現在は三月二十八日と十月十二日である。
明治四十一年、神饌幣帛料供進社に指定され、十月十二日の祭礼には毎年郡より供進使が参向した。


(境内の由緒記より)






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