ヒヤシンス*朝カフェ:感動したことは必ず人に話す☆人間は一番近くにあるものに影響を受ける

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2013年07月14日
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私は本当に極端な人です。ずっと洞穴に閉じ籠って誰とも話さない人かと思うと、いったん洞穴から出ると、にこにこ笑って、どんどん友達を作ろうと活動しはじめる。つまり春が来たということですね。それ以前は熊のように冬眠期間だったのです。

3年間の大殺界+【劫財、比肩、傷官】の3年で計6年間は牢につながれた動物のように、ただ決まった時間、決まった道路を行き来する従順な牛のように。地味に、目立たなく、つつましく過ごすことが、自分の魂を護(まも)ることでした。私は人に何と言われようと、こうして自分を護ってきたのだと思います。

容子さんへ。そういう私に対し、病気を克服して本当に良かったねと言ってくれた容子さん。ありがとう。何て優しい人なのでしょう。あなたと同級生であることが本当に幸せだと思います。同郷にあなたが一人いらっしゃることで、自分の魂は本当に救われます。あなたのご先祖の方々に頭を下げて微笑みたい気持ちです。

容子さん、このブログはあまりにも書かな過ぎるため、(年に数回しか書かない)とても静かで誰も立ち寄ることのなり閑散(かんさん)とした喫茶店です。ああ、だからこそ、あなたに向けて書いてみようと思います。あなたという神様の一部分を表した、すてきなあなたに向けて。あなたは私の親友です。心友であり、真友。配偶者が永遠に連れ添う夫であるとするなら、あなたは永遠に連れ添う私の心の支えとなる信頼深い真の友達です。

私が19歳前後のとき、毎日、公衆電話からあなたに電話をしていました。短くても数分言葉を交わすだけで、私の呼吸が正常に整いました。お薬のような存在でした。孤独で不安定でした。あまりにも毎日電話するので、恋人のようだねと人から言われたことがあったほどです。いま、ふっと思いました。(神様への祈りって、それだな!)容子さん、いま、歳月を経て、あなたという素敵な方へお手紙を書くことを通して、私は神様へ報告してみたいと思っているようです。

毎日あなたの携帯へメールを送っていますが、書き足りないため、あふれる分をここに書き記すとします。とてもいい方法でしょ。とてもいい方法ですね。楽しいですね。人から羨ましがられるほど、私は素晴らしい友達を得ています。ずーっと、私を思い続けてきてくれた情の篤い方。淡泊でクールであっさりした少々神経質気味の私の性質には無い、きんぴら牛蒡のようなあなた。昔、東京のあなたのアパートに行った時、お昼ごはんを作ってくれました。その時、杜中茶を3パックぐらいを鍋に濃く煮出したものを出してくれて(わりかし、いいな)と思ったことを覚えているし、あなたが作ったきんぴら牛蒡がご飯のおかずにすごくいいなと思ったことが印象に残っています。「作るのが上手だね」に対して「御世辞いわないで」とツレナク返したあなたの言葉も覚えています。

今、トイレで思ったよ。あなたの永遠の夫も、ご飯のおかずに合うきんぴら牛蒡のような人だって。牛蒡は体にもいいし、精神的にもほっとするし。あの方は、あなたとの結婚が決まったとき、ダイレクトに私に電話を下さいました。人なつっこい方だなあ、素朴で、ざっくばらんで、人に気をつかわせないで、味のある方だなあ…今、あらためて、あなたの永遠のお連れ合い様のお顔まで浮かんで来まして…あなたはいい方と巡り合われたのだなあと思っているところです。あの方しか、あなたを救える方はいらっしゃらなかった。

あの時、容子さんが下さった薄紫色のスーツ、12年前に着て撮った写真を見せてあげたいくらい似合っていました。夏の薄いスーツだったので、その上に、新しく買った薄地の白い上着をさらっと羽織ったら、とてもさりげなくてかわいかったのです。今年も工夫して着てみようかと今思っています。スタイルが全く変わらないので、経済的ですね。そうそう、今日、書きたかったのは、そういうことかもしれません。

今、あらためて、このブログのサブ・タイトルを思い返してみました。「人間は一番近いものから影響を受ける」それは立ち読みした心理学系の本の中の一文ですが、それを読んだとき、(私の場合、夫だな)と思ったのですが、その文章のオチは「服」だったのです。どちらかというと、本当におしゃれじゃない自分。最低限の身だしなみくらいは真面目に整えないと!最近、思っていることでもあります。少ないお金でも最大限の工夫をして、人と自分に礼儀を尽くしたいなと。人と自分に半分ずつ、<感じよさ>を与えたいものです。

なぜ、今、そういうことを、あたりまえのことを書こうとするかというと、いままでは冬眠中の熊さんだったから古Tシャツで良かったかもしれないけど、最近はどんどん、友達を作ろうとしている。人と、50センチくらいの距離で、話しかけようとしている。すでに、どんどん話しかけて、人なつっこく接近しています。新しい服も必要です。今日の午後はブラリとお店をまわってみることにします。そういえば、私は本当に若さを手に入れたのですし、これは私の<財>に他なりません。活動するために、活動経費として被服費を出してあげなければ。

ところで、昨日の昼ごはん休憩、会社の食堂で、近くの席の女性に声をかけました。先回、ビジネス会話などの会社の研修会で隣の席に座った女性でしたので顔見知りです。その方はデーター入力をおもに専門で働いていると言っていました。パッと見た目が異国風。それに加え、霊的に一瞬ちょっと引く<変わった人>のような独特な雰囲気を持っていました。話し込んでみると、その人はおそらくお父さんが日本人で、お母さんが東南アジア、タイかカンボジア系の方のようです。ここ数年の中で読んだ本「闇の子供たち」(言葉に出来ない程の深刻なテーマの本の内容のため、ここに書くのは辛い)の話題を振ったところ、「餓死する人もいっぱいいるよ」とサラリと言ってのけた感じから、深刻な戦場の現場を目にして来られたことがわかりました。

世の中はまだ戦争中なのです。彼女は自分がクリスチャンであると打ち明けてくれました。いつも聖書と賛美歌を持っていると見せてくれました。独身で結婚はしないと。タイにイエス様の福音をのべ伝えるために行ってきたと言われました。私もクリスチャンですとだけ言いました。「あら、そうなの」と少し接近しました。「この職場にクスリチャンは誰もいないよ。神様のために働いてみたいと思わない?」とふつうの感じで言われました。彼女の言うクリスチャンとは新約聖書を信じ独身をまもって生きる人のことのようです。

最近みた韓国ドラマ「犬とオオカミの時間」でタイでの撮影映像を思い出し、「タイといえば仏教ですよね」「そう。ヒンズー教もある。回教もいっぱいいる」回教で思い出した本「砂漠の女ディリー」を話題にしてみた。彼女はそのことについてもリアルな反応を示した。私は、ここ数年前に本とテレビで知った内容だったのに。彼女は生活の周辺から知っているというリアクションだった。

回教というと、ああ、イスラームのことだったなと思った。が、彼女が回教という言い方をしたので、イスラームの話題は控えることにした。私はおのおのの宗教と仲良くして理解し合うことが世界平和への早道と考えるのですが…。

閃いた。次に食堂で会うことがあれば、次は三浦綾子さんの本の話をしようと思う。本の話題で人と話す…なかなかいいんじゃないかな。2013/07/14 6:30





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Last updated  2013年07月14日 06時49分58秒
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