ヒヤシンス*朝カフェ:感動したことは必ず人に話す☆人間は一番近くにあるものに影響を受ける

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2015年11月17日
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2015/11/17

臨終した十一月十二日を一日目として、四十九日の六日目。
昨日、実家から戻ってきました。帰りは青森駅まで兄が車で送って下さった。(日記に書くのに、身内であるが、敬称と尊敬語を使用したい。韓国小説のように)

「車の練習も兼ねて送って行ったらいいんじゃないって言われたから」
奥さんから言われたからそうするのだとのこと。
「ねえ、お兄ちゃん、それならさ、がっぽこうえんにちょっとでいいから寄ってもらえない?」

兄妹は家から10分直進すれば到着するその場所に立ち寄った。幼少から青年期にかけての思い出の遊び場であり、通学路であった。
「あと十日早ければ、紅葉真っ盛りだったのにね」と兄。

いいや、かえって、今の晩秋風景がちょうど今の気分に合う。
朝9時半から10時の日差しの中、兄妹は歩いた。
私にすれば35年ぶりの公園だった。

幼少の頃、父と来た海。父は釣りのえさのミミズ採りに、ゴムでできたオーバーオール調の合羽と長靴で海の中を歩いて沖に向かった。水嵩は腰のあたりくらいまでだったのか。大きなスコップで海の砂をすくっている。砂の中にミミズは隠れて生息している。

「このへんだよ。お兄ちゃん」
「おう、そうか。わたしはちょっとここで一服しているよ」

「それならお兄ちゃん、私が溺れた沼を見てきたいから、ここにいて。
走って5分で戻ってくるからね」
「おう、行って来い」
沼で溺れかけたということは、だいぶ大人になってから思い出したことだ。5、6歳の頃の話である。すぐに、ここだとわかった。細い川、堀だったのか、小川だったのかと母や兄に話して聞かせたのだったが、それは沼だろうと言われた。来てみたら、沼だった。

端(はじ)が1メートルから始まって、徐々に幅広となり2メートル部分、3メートル部分になって渡れる小さな橋がある。この細長い小さな川のような部分にのみ、竹で組まれた囲いが施されていた。雪が積もると、橋と同じように歩ける場所と見えてしまう。

おそらく私と同じように、溺れた人たちがいたのだろうと推測する。足のはやい私は目で確かめると、すぐ兄のもとに戻った。砂浜を通って、波打ち際をタタタタッ!!!と走って戻った。兄が子供をみるように、妹を確認した。

「いとこのもとこちゃんにあってさ、年とったねえ。まゆげをキツク描いていてさ、昔の面影ゼロだよ。おまえは全くかわらないねー、かんしんするよ」

父の見舞いから葬儀まで、喪服を着る際に、化粧をするべきなのか考えなかったわけじゃないが、やはり社交辞令はやめた。もう何年も化粧なしで来ている。洗顔と乳液のみだ。らくだし、若くみられるようになった。そのぶん、表情や愛想に気配るようになった。この作戦は非常にいい。メリットが多い。

遊戯場で妹は天真爛漫に遊んだ。兄は保護者のように見ているだけ。
「気をつけろよ。ころぶなよ」こどもに言うように、見守っている。
動物をみてまわる。鶏、孔(くじゃく)、広い沼には蓮の葉にカルガモが沢山いた。

「お兄ちゃん、昔住んでいた辺りに行ってみない?大人の足だからスグだとおもうよ」
こどもの時分は長い距離だったが、いい大人の兄妹は足早に目的地に着いた。
このあたり。いまは空き地になっている。その裏は、以前はミナミっていうスーパーが建ったのだが、今は団地になっている。スーパーができる前は、草ぼうぼうの空き地だった。大きな木があって、蝉取りをした。蝉の死骸もみた。ここの裏道が、小学校へ行く際の近道だった。兄は友達と秘密の基地を作った。丸太がごろごろ積まれていた。

兵庫という表札が目に入った。
「しょうちゃんと呼ばれていた男の子は、ひょうごっていう苗字だったんだね。知ってた?」
「いや、わたしもはじめて知った。この裏の家がソノダの家だよ。すこし前に会ったよ。しょうちゃんは、今やツルッパゲのおやじさんになっているんだってさ。その下の男の子は早く亡くなったんだって」
「そうだったの」
「もう少し行って、チアキの家だよ」
「そういう名前の人いたね。顔は思い出せないけど」
先を見てくる。大通りまで走った。ワダ洋裁店だ。
「もう満足したよ。行こうか」
「そうだな。バスの時間にちょうど間に合うな」

小休憩

15日(日)火葬、納骨。忘れないうちに、どんどん文字にしてゆかなければならない。お墓は三内墓地。白いトイレ小屋が目印。
「向かいの墓が創価学会さんの鶴マークと覚えておいて」と納骨の際にお世話になった葬儀屋のお兄さん。

帰りの車で、
「いやぁ、かんじのいい人だったね。次もここの葬儀屋さんでお願いするとしますか」

56歳の兄の顔を今回沢山みたため、この顔を覚えた。父の葬儀が私たち家族の大きな、大きな節目となった。お嫁さんとも最も深く交流した機会となった。兄より6歳年下、私より3才年下なのだけど、立派な兄嫁さんだ。私は兄嫁さんに対しても完全な妹として対した。人物としても、こちら側がはるかに幼く足らないため、仕えやすい。

兄はガリッとしたもの言いをして不快と訴える母だが、その兄は5歳年下のお嫁さんに仕えている。よそからきたお嫁さんが、家の不足のでこぼこをならしてくれる。お嫁さんは救世主だ。私たち家族はお嫁さんの世話にならなかった者は誰一人いない。私はこれからもお嫁さに仕えていくだろうし、仕えるのは難しくなくできることである。

母の施設行きが検討されている。母は大喜びするだろう。お風呂の問題一つとってもやりやすくなる。それに他人の中にいた方が気楽である。友達もできる。お金を払って他人のお世話を受ける方が生きた心地がする。スムーズに運べばいい。それなら、私も、母に会いに行きやすいし、連絡もとりやすい。気兼ねが要らない。

何よりも、お嫁さん一人苦労させるのを回避できる。介護のプロといえど、これ以上忍耐させたくない。葛藤させたくない。私にも出来かねることとわかるからである。数日、母と過ごしてみて、あらゆる面で施設での生活が望ましい。

お父さん、今日は6日目ですね。私が霊界に移動なさった父をサポートしなければならない。兄は無宗教であることを誇っている。もし、父が平成17年11月、墓を建てなかったなら、兄は墓の用意をどうしていたかは疑問である。

今回の納骨までの様子を本当は兄の長男、次男にも見せてあげたら良かっただろうと思ったが、兄は頓着しないため、無理しなくていいよと言ったに違いない。私にも無理しなくていいよと言っていたのだから。兄の狭い考えから来る言葉をまともに受けてはならない。私は今回、出かけて本当に良かったと感激した。

納骨が済み、兄宅に戻って、シャワーを浴びてさっぱりして、心身全体にわたって達成感があった。父を土にかえす儀式を終えて、父の骨の居場所も確認できて、さっぱりしたのだ。父は、焼かれる体に衝撃を走らせながらも、これまでも何度も人の葬式に出て骨を拾ってきたはずだ。

自分が丹精込めて作った墓。時々、草むしりしにきていた父。見栄えのいい、美しい墓に近く入ることを想像して心の準備を整えていた父。骨になった光景を、霊体の父は眺めたことだろう。もはや、かえる体がないことを観念したことだろう。執着をとるものは、早かったかもしれない。

父よ。次の儀式がすでに始まっているため、なつかしんだり、なげいたりしている暇はないはずだ。四十九日の間、閻魔大魔王の裁判を受け、地上での履歴書について、面談を受けている最中であろう。私は、そのサポートをするために、ここ数日の出来事を記録したあと、父を擁護するだろう。父の功績を、その父の美点を弁護することだろう。

お父さん、おはようございます。納骨のあと、お母さんの足を踏んづけたんだってね。
夜中に母が、「ちょっと、やめてくれない?痛いよ」と突然、声を出した。「えっ、私何もしてないよ。お母さんの足を踏んづけるわけないでしょ」ベッドに寝ている母。わたしはベッドの下の床で寝ている。

「じゃあ、誰?」
「お父さんじゃないの?」
「そうだ、お父さんだ。こういうやり方はお父さんだ。おい、気づけ!って、ここに来ているのか。こういう方法でわからせようとしているのか」
そのあと、また来たと言っていた。

お父さん、私はこれから読書会に行ってきます。前々から約束をしていたので楽しみにしていたもの。また、戻ってきてから、お父さん、またここにくるから、もし、私に伝えたいことがあれば、自動書記にように、私の指先に働きかけてね。では、出かける用意にかかりますので。また、あとで。





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Last updated  2015年11月17日 11時19分01秒
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