鎌倉から腰越へ


小町通りは原宿の竹下通りを彷彿する。
さすがに段蔓のあたりは静かで、
桜の若葉は、もう深い緑色を呈していた。

中島千波の素描を見て外に出ると、
鳩の絵入りの、黄色い紙袋を提げ、
豊島屋の本店から女学生のグループが出てきた。
鳩の形をしたサブレーは、今も鎌倉土産の代表のようだ。

偶然立ち寄った画廊では、
千住博の「ウオーターホール」に出合えたが、
デパートの美術館で観たものとはかなりの差があって少々落胆。
平山郁夫はどこでも人気があるようだ。
複製には、赤いシールがいくつも貼られていた。

新進作家の陶器展に立ち寄る。
銀彩を多用した洋風の華やかな食器が並ぶ棚を眺めた。
どんな人がこれを使うのだろうか。
床に置かれた大きい陶器の壷に花水木が生けてある。
花はないが、鮮やかな若草色の葉が殊の外美しい。
その花入れの壷は趣があってよかった。

画廊をいくつか梯子して駅に戻り、
ついでに江ノ電に乗り換えて腰越(こしごえ)に向かう。

NHK大河ドラマの影響で
江ノ電の「腰越」を訪ねる人が増えたらしい。
所縁の寺、万福寺があるからである。

源義経が兄頼朝に会うことも叶わず、悶々と過ごすうちに、
その兄に宛てて書いた嘆願書というか、
後に「腰越状」とよばれる書状を書いた寺で知られる。

「腰越」は4つか5つ目の駅でそれ程遠くはなかった。

民家の軒先をすり抜けるように、時には街中の路面をごとごと走る。
湘南の海岸べりを通るところもあり、
それ程速くもない可愛い緑色の電車は、
何度乗っても風情があっていい。

駅に降り立てば、寺へはもう2,3分程である。
寺務所で拝観料200円を支払って中に入ると、
ガラスケースにおさまった、義経の「腰越状」にお目にかかれる。

数箇所に脱字があるものの、
巧みで、品格の高い筆跡にまず驚く。
義経の教養の深さと人間性を語るものであろう。
大小はあるが、直径3センチ程のその文字は、
長文であるにも拘らず、終始乱れることもなく淡々と、
非常に丁寧に書かれている。

兄 頼朝への畏敬の念の表れであり、
深い親愛の情を抱いていたことをも物語る。

またそれと同時に、
ぐいぐいと押し付けて書く強い筆圧は意思の強さであり、
自分の思いの届かない、その悲しみの大きさを訴えるものでもあろう。
義経の心情は、見るものの胸に沁みる。

四国育ちで、香川県の屋島は親しみ深い。
壇ノ浦の合戦の立役者、その歳若い武将義経が、
苦悩の時を過ごした寺だと思えば、尚更のことである。

奥の部屋の襖には襖絵の代わりに鎌倉彫がしつらえられてあるものや、
巧みな襖絵もある。絵画や陶磁器もあるが、
総じて古い物の中にいいものがあった。

矢面に立って死んでいく凄絶な弁慶の姿や、
義経と静御前も本堂の板戸に描かれてはいるが、
義経によって書かれた「腰越状」に勝る物は何もなかった。
それだけ、多くのものを語る書状でもある。

寺から、ほんの2分程歩けば湘南の海が開ける。
辺りを「こゆるぎ」と呼ぶらしいが、「小動」と書くのも面白い。
穏やかな天気のよい日なら、
そのまま江ノ島まで散策するのも良いだろう。

些か疲れを覚えた私は、
再び江ノ電に乗って藤沢経由で帰途に就いた。


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