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第62回浜書展 久々の更新です。 皆様こんばんは。 横浜日本大通りの県民ホールで本日より開催(~8/4まで) 浜書展に出品しています。 最近は自作のものばかり作品にしていますが、 今回は久々に「松尾あつゆき」の俳句を書きました。 ***** 空にはとんぼう いつまでも年とらぬ子が瞼の中 ‥松尾あつゆき句 In the sky Dragonflies Still infants My children in my eyes ***** 松尾あつゆき 長崎で被爆。 妻も子も失っている。 他にこんな句も・・ 今日トンボ群れて仔細なし 原爆を落とした空 妻よまた来たよ こでまりの花だよ ‥‥‥‥ raku-sa SAWA .
2013年07月31日
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待っているだけでは 何も出来ない 失敗をおそれず やってみよう 世間体にとらわれず 信じる道を進もう 君が 人生の開拓者になればいい 『人間賛歌 生きているから』 (木耳社) ・・・・・・・・・・・・・・・・・
2009年11月10日
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予讃線を降り立ち、母校を訪問。13年前の講演以来である。校門の傍の松(かいずかいぶき)の翠は変わりなく色濃く鮮やか、黒味がかったでこぼこの幹に年輪の重さを感じる。母校は、2年後百周年を迎える。その歴史を伝える<かいずかいぶき>である。3月も半ばの春というに、気まぐれな空は時折 雪を降らす。凍りつきそうに冷たい空気の中、やや震えながら校内を回る。出会う生徒達は,明るく純真な面持ち。普段接している神奈川の高校生より、心なしか幼い雰囲気を感じる。折しも昼休み頃。全校生徒の、といっても3年生は既に卒業しているから、1・2年生が掃除にいそしんでいる。洗面所では、先生と生徒が一緒になって磨いている。そうそう、これでなくちゃあ。私は意を強くした。卓球練習場を覗いて驚く。隣接する食堂でも、校庭にいたっても、である。毎日ですか?私の問いかけに校長先生は噛締めるように「まいにち!」と。嫌がるでもなく、後輩達は明るく、掃除を楽しんでいるようでさえあった。私はイエローハットの社長さんの話を思い出す。会社を立て直すために、全社を上げてトイレ掃除に取り組んだ社長の話である。およそ経営とは関係ないようではあるが、その行為が社員の意識改革につながり、経営の建て直しに成功した。心がすさむから、と私はトイレをきれいにするよう再三言い続けている。きれいなところを汚す者は少ないが、きたないと余計に汚してしまうものである。見える処だけホースで水を流して掃除をしたように見せかけるそんなふとどき者もいる。何とも情けない話である。何のために掃除をするのか、させるのか。昨今は、子供にトイレ掃除をさせると文句をいう親もいるそうだ。掃除と勉強とは一見関係ないようだけど、実は大変関係深いものである。イエローハットの社長さんは早くにそれに気付いた。勉強だけが能ではないのだ。家庭でも、学校でも、勿論 社会でも。やがて、教室の窓越しに生徒達のシルエットが見えた。校内は静寂に包まれている。午後の授業が開始されたようであった。
2006年03月16日
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いのち噴く時はその時 人知れず深く静かに沈みゐる時春は芽吹きの時。木も草も、新しい芽を出し、花を咲かせる。ものみな全ていのち噴く時である。けれども、本当のいのち噴く時はいつなのか。顔を出す前の、隠れているその時かもしれない。冬の厳しい寒さにあっても、地中にしっかりと根ざした木や草は、やがて訪れる春に備える。密やかに命を育み、力を蓄えるその長い時が、本当のいのち噴く時なのだ。機が熟し、やがて芽を出し、光を浴びて逞しく成長する。人もまたそうなのだ。夢を抱き、目標に向かって努力する。その積み重ねの日々があればこそ、やがて大輪の花も咲く。裡なる無限の可能性を信じよう。たとえ挫折に出合っても、めげることはない。沈潜の時をどう生かすか、それに全てがかかっていよう。挫折を嘆くなかれ、いのち噴くその時を大切に過ごせ、若者よ!
2006年02月21日
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人は、自信過剰はいけない、自分を過大評価するな、という。確かにそれは間違いではない。自信を持つのはいいが、過剰は好ましくはないのである。自信過剰になった時、それは堕落への道を歩むことになり、前進への道は閉ざされる。怖いことであり、戒めなければならない。常に、いやせめて時々は、謙虚に自分を見つめる厳しい目を持ちたいものである。けれども、自分のことを過小評価するのもどうだろう。「私なんか、私なんか・」と言って、知らず知らずのうちに、自分の可能性をどんどん潰していく人がいる。こんなにつまらないことはない。「私なんか」と言う癖のある人は、一度「私にも」と言ってみるといい。「私にも出来ますか」「私にも出来るかもしれない」「私にも出来るだろう」という言葉に繋がり、それは、「私にも出来るに違いない」「私にもきっと出来る」と変化していく。更にそれは、「したい」「しよう」という、「目標」を見定めた、より積極的で能動的な意思と行動に結びつき、未来に夢を抱く、若々しい精神に包まれた身体になりはしないだろうか。大いなる夢を抱こう。志は高いほどよい。そしてその夢に向かう目標を決め、コツコツと楽しみながら、少しづつちょっとだけ頑張ればいい。三段跳びは苦しく難しくても、一つ一つのハードルなら飛び越していけるかもしれない。その高さは、気付くと自然に少しづつ高くなっている。段々高くしていくことが、倦むことなく、興味や喜びを増して次への新しいエネルギーに結びつくことにもなるのである。人間の知的好奇心は、その人の能力よりやや高い所において一番活発に働くらしい。そして、新しい好奇心や夢に向かって積極的に生きていく時、心も身体も活性化する。気持ちの持ち方ひとつで生き生きと暮らしていけるのである。私の青春時代は今も現在進行形である。皆さんも《生涯青春・生涯現役》を目指しましょう。志を高く、ハードルを少しづつ高くして。
2006年01月23日
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あけましておめでとうございます。今年も皆様にとって佳い年でありますように。新年を寿ぎ、皆様のご健祥をお祈り申し上げます。世界中の子供達が平和に包まれた、夢多き日々を送れますように!核廃絶と恒久の世界平和を!その実現を希求します。・・・・・・・・・・・・・・十分な年越しの用意をすることもなく、慌しいうちに2005年が過ぎてしまいました。こんな年越しは初めてですが。それでも、新年は矢張りいいものです。あらたまの年・・まさしくその思いを致します。改めまして、皆様、旧年中は色々お力添えを賜り、有難うございました。お蔭さまで、年末にもビッグニュースが入り、最後の最後まで本当にいい年でした。本当に感謝あるのみです。以前、葛飾北斎のことを書きましたが、彼のような名人にならずとも、生涯勉強し続けていけば、私ごときでも、少しはましな作品が書けるような気もいたします。それは永久に完成することのない、未完の作品ということになるのでしょうが、少しは満足できるような、その一点を目指して、今年も勉強したいと思っています。 初空の雲居にのせむ夢ひとつ
2006年01月01日
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次代を担う子供達への教育について考え、模索し、実践している人が増えている。昨今の社会事情を考えると当然なことと思う。市民レベルで考え、活動を広げていくことが、やがて社会を変える大きな力となるだろう。漣が大きなうねりとなることを願ってささやかでも実践を積み重ねていきたいものだ。懐古趣味で物申す訳ではない。かつての日本に存在した素晴らしいものが、いつの間にか影が薄れ、そして見る影もなく消えていった。礼儀作法ひとつ挙げてもそう言えよう。近年は、「儒教の国」韓国ですら、その影は薄くなりつつあるらしいが。人を教え育てる、という「教育」の根本は何なのか、歯の一つ一つに歯こぼれや変形が見られる頃から、歯車の回転に狂いが生じた。その正常な働きをしない狂った歯車で編み出されるものは、当然、正常な働きを生み出さない。その中で創られかものが正常である訳はないだろう。いびつなものがいびつなものを生み出し、更に歪んだものを編み出していく。何処かでその回転を変えなければならない。その為には、一人一人そのことに気付き、声をあげ、その声を大きくすることであり、それを纏めて大きな力に変えていくことであろう。気付いたことを話し合ううちに、その底流に潜む多くの問題点が浮き彫りになるだろう。大きなうねりも、漣からなるのである。一人一人のささやかな活動こそ大切なのだ。あちこちで声をあげよう。そういう活動が活発になればいい。家庭から、グループから、そして社会へと、その輪の大きくなることを願う。私もその一人である。
2005年12月03日
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第14回国際高校生選抜書展(書の甲子園)で、神奈川県立城山高校が全国準優勝、小谷さんが文部科学大臣奨励賞を受賞。書の甲子園には第1回から参加する常連校。熱気溢れる「書の甲子園」(国際高校生選抜書展)には、全国からだけでなく、海外からも、多くの精鋭作品が集う。11月22日全国一斉に授賞者が発表された。10月に内定通知が届き、校内は驚きと喜びに包まれながらも、発表できぬ辛さにも耐え、HPへのアップも控えたが、中には、話題としての他校のテレビ放映もあったようだ。ごく普通の学校で、ごく普通の活動をして、こんなにも大きな金的を射止めた生徒達、信じられぬ面持ちは私とて同じだった。もう二度とないから・・そんな言葉が飛び交うことが、それを証明していよう。戸惑いながらも、沸き立つように新聞社の取材を受けた生徒達の、嬉しそうな、恥ずかしそうな顔が紙上に並んだ。過去には準大賞も確か5度、優秀賞は10人位、秀作や入選を加えて、例年、団体地区優秀賞の常連校とはなっていたものの、いたって普通の学校の、普通の生徒達である。一度は「大賞」を受賞させたい、と思いながらも、その実力から、夢は夢で終るかも・・と諦めの境地もあり、それでも、全力を出し切ろうと励ます。努力しても、その努力が実るとは限らない。実る保証などないのである。でも、努力をしなければ、その可能性は皆無といえる。だから、ひとつひとつの積み重ねこそ大事なのだ、と。私はいつもそう話している。多忙な年越しも、今年は嬉しさと寂しさが混在する。2月になれば、大阪市立美術館の壁面に生徒達の力作が輝くだろうし、緊張しすぎて挨拶さえ忘れそうになる生徒達が、どんな顔して授賞式に臨むのか・・それもまた楽しみでもある。が、ひとつだけ寂しさも待っている。生徒達が贈ってくれたこの最高の花道を、私はどんな顔で歩けるだろうか。幸せの鳥となって飛び立つことも出来ようが、私には、矢張り、一歩一歩踏みしめて歩くことが似合っているだろう。有難う! 生徒達! よくやったね!♪!♪
2005年11月25日
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「いいましたっ!」「死ねとは言いませんが、死ねるものなら死んで来い、といいましたっ」穏やかならぬ言葉である。菊名で東横線から横浜線に乗り換え、空席を一つ見つけて腰を下ろしたばかりの私は、ただならぬ様子の女子高生に目は釘付けとなった。右手で握り占めた携帯電話を耳に押し当て、こちらから、彼女の頭のてっぺんが見えるほど前かがみになっている。おまけに学生鞄にはぽたぽたと涙が落ちているではないか。鼻水も垂れて、どう見ても尋常ではないのである。それに、高校生の下校時間にしては少し早い。きっと友達との諍いなのだろう彼女が電話を切るとまた直ぐに掛かってきた。どうやら同じ人からのようだ。前より増して激しく泣き出し、今度は、通路を隔てた私にも嗚咽が聞こえるようになった。彼女は、左手で鞄を開き、タオルのハンカチを取り出すと、器用に学生鞄の蓋を閉めて涙を拭き、そのままタオルに顔を埋めて泣き続けた。右手に携帯、左手にタオル、そのどちらもしっかりと握り締めている。突然 彼女の声が聴こえてきた。「先生が、教師がそんなこと言っていいんですか・・」彼女は教師と話していたのだ。「いいましたっ!」「死ねとは言いませんが、死ねるものなら死んで来いといいましたっ」一体何があったというのか。尋常ではない。私は直ぐにでも傍に行って、女子高生を抱きしめてやりたくなった。教師が生徒に、しかも携帯電話で何を話しているのか。この様子では、生徒指導というよりは、お互いに感情的になった者同士の諍いに見える。教師も人間ではあるけれども、少なくとも生徒に対峙した時には、どんなときでも、感情的になることを極力慎むべきであろう。生徒に向き合い、表情を確かめながら、話を聞いてやることが先ではないのか。自分の言いたい事は、話をするのはその後である。ましてや、先の「・・死んで来い」のことばは言語道断である。その教師には、指導力も、生徒への愛情のかけらも感じることは出来ない。彼女の学生鞄に付けられたマークと制服が学校名を教えてくれる。横浜市内にある私学である。中学から進学する時の選考基準ともいわれる、いわゆる偏差値なるものは、決して低い方ではない学校である。その学校で、この女の子に何があったというのだろうか。思い煩いながらも、私はただ、その子を見詰めるしかなく、十日市場の駅で彼女が下車するときも、何ひとつ言葉をかけることは出来なかった。大いなる未来を信じ、逞しく生きて欲しい。その試練は、君を大きく成長させてくれるから。私は祈るような思いで制服を見送るだけであった。
2005年11月04日
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随分ご無沙汰しました。更新しないままでしたのに、ご訪問戴き恐縮です。そして有難うございました。多忙に明け暮れるうちに、いつの間にか秋の気配がするようになりましたね。騒がしいほどの蝉時雨も、気が付けば虫の声に変わっています。何時だったか、お母さん達が種蒔きしていた、近くの少年サッカー練習場のコスモスももう1メートル程に伸びています。ピンク、臙脂、白などの可憐な花を風にそよがせ、こんにちは、と爽やかな声が聞こえてくるような・・道行く人を楽しませてくれています。コスモスは私の好きな花の一つです。以前にも書きましたが、その姿は、如何にもすずやかに微笑んでいるようで、それでいて、なかなか強靭な生命力を持っています。いつだったか訪ねた郷里の花野のコスモスは、台風の強い風雨を受けてなぎ倒されていました。それでも、その倒れた茎は、けなげにも、逞しく再び天に向かって伸びているのです。そして、夕暮の風に、優しくそよいでいました。すずやかな微笑みとしなやかな強さ、それは私の心に強く印象付けられました。以来、私の理想でしょうか・・<すずやかに微笑み しなやかに強く>笑みを絶やさず、他を受容しながら自己を全うする、共生の道を歩みたい、と。そうありたいと思うのです。・・・・・・・・・・・・・・・<ご無沙汰続きの友に>この夏、思いがけなくも、大きな賞をいただきました。審査員に授与されるものなのですが、ご縁のないものと思っておりましたのに・・いつもお力添えくださる多くの皆様のお蔭です。改めて感謝とお礼を申し上げます。更新が途絶えて、ご心配くださったことと・・私は元気です。夏バテも何とか乗り切り、復活しました。(^_^)もう次の仕事に向かっています。いつもながらのご無沙汰 ごめんなさい!ご安堵くださいね。 SAWA
2005年08月30日
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モタラは39歳。3トンのアジア象。タイとミャンマーとの国境近く、材木運搬のために森に入ったモタラが草を食んでいる時、突然地面が炸裂した。モタラは地雷を踏んだのだ。モタラは怒る。モタラはうめく。それでもモタラは歩かねばならない。森を抜けてトラックの所まで。怪我した足を引きずって転んでは起きまた転び、山道を三日間歩き続けた。トラックは走る。モタラを乗せて走る。チェンマイから南へ70キロ。世界初の象の病院に向かって。医療チームには30人のボランティア。70人分の麻酔薬を射ち、皮膚を傷つけないように消防ホースでモタラを吊り上げる。そして、ボロ布のようになった左足首より先を切断。見守る二百余の人達。立ち去る者とていない。モタラと共に夜を明かす。・・・・・モタラが立った。一昼夜を経て漸く立った。自力で、3本の足で立った。見守る人達の拍手と歓声がどよめく。モタラの大敵は小さな虫。蝿や蚊は細菌を運ぶからだ。象使いが毎日2回モタラの傷を消毒する。早く治るようにと、昔からタイの人達がしてきたように蜂蜜も塗る。足の負担を考えてダイエットも試みられた。チェンマイ大学では義足の試作が繰り返されている。世界から知恵が寄せられ、丈夫でモタラの傷にやさしい素材の研究も進む。みんな一所懸命なのだ。命さえ危ぶまれていたモタラは元気に快復。義足のつく日も近いだろう。歩けモタラ歩けモタラ世界中の人が祈る私も祈るごめんね モタラありがとう モタラモタラ勇気をありがとう 地雷廃絶と 世界平和を祈って 2001年秋
2005年08月14日
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毎年夏が来ると、新聞・雑誌・テレビなどで戦争問題を論じるようになり、8月には、原爆の記事が急に増える。そして人はこぞって戦争反対や核廃絶と恒久の世界平和を謳う。原爆投下された8月6日と8月9日が過ぎ、敗戦記念日が終ると、波が引くように静かになっていく。年々歳々それは繰り返されていった。人々の心から、戦争や原爆が消えた訳ではない。なくなってしまった訳でもない。けれども、そのことに始終心を奪われていたら、日々の生活に支障をきたすことにもなるのであろうか。人は一先ず脇へ置いて日常の暮らしに戻る。しかし、戦争も、核兵器も、世界の平和も、みんな待ったなしなのである。大国のエゴ丸出しの論理で世界が動いている今日、脇へ置いておくほどの、それ程の猶予はない筈である。多くの人の関心が薄らいでいくのは何故だろうか、関心が希薄でなくても、それに関わって行くエネルギーを持続出来なくなるのは何故だろうか。それは矢張り、「他人事」だから、なのである。意識がそれほど高くはないのだろうと思う。外国で事故が起きた時、NHKは必ずこう報道する。「日本人の怪我人はいないもようです」と。その時、私には、「日本人に怪我人はいないから安心しなさい。怪我した人は他国の人ばかりですよ」こう言っているように聞こえて、いつも恥ずかしくてならない。こういう類のものだろうと思う。所詮他人事なのだ。親や子の、肉親の安否を気遣うような、そういう逼迫した意識がないのだろう、と。それは、理性で、物事の善悪を考えて行動しているからで、魂の奥深くに刻み込まれたことならば、もう少し他人事では済まされなくなるに違いない。昨今の日本を見聞きした時、こんなにも責任感のない人が増え、こんなにも行儀の悪い人が増え、こんなにも礼節のわきまえない人が増え、こんなにも自浄能力の欠ける人が増え、こんなにも自己中心的な人が増え、こんなにも社会性のない人が増え、こんなにも挨拶すら出来ない人が増え、・・増え、増え、増え。世界の人が憧れていた礼儀正しい日本人は、もう何処かにいってしまったようだ。戦後、私たちは何をして来たのだろうか、自国の文化や風習を否定してまで。大声で叫び、怒っても変わるものではない。私は静かに多くの人の魂に呼びかけたいと思う。人間はどうしても欲深い生き物だから、善悪だけでは、多分、律することは難しいと思う。感受性の育つ前から経験した、心の奥に沁み込み、魂を震わせて感じるということが、その人の人格や価値観を形成することに、大きく強く影響する。ならば、幼い魂に刻み込まれたことは、生涯消えることはない筈である。両親の、兄弟姉妹の、先生の、近所の人たちの、幼い頃の友人達の、猫や犬の、そして読んだ本の・・心に深く刻まれたことは、決して忘れることはない。人格を形成する前からの、その教育が大事なのだ。有名校に入ることでもなく、一流といわれる会社に就職することでもなく、一人の人間としての教育をすることが大切なのである。今、特にその必要性を強く感じる。戦後日本人が失ったもの、忘れていたものの大きさをひしひしと感じている。殆どの政治家や高級官僚に付ける薬はないだろう。次代を担う子供達を教育して未来を託すしかない。今、社会のために私が出来ることといえば、それは、ささやかな実りに向かってでも、支援と啓蒙とを柱に、私なりの活動と努力を重ねていくことだと思う。幸いにも活動を継承してくれる人もいる。次代へ次次代へ、バトンをリレー出来たら・・願えば通じる、そう信じるだけである。地球上に存在する全てのものは、地球から生まれ出たもの、地球の子供なのである。草も木も動物も、そして人間も。 <ALL of us are children of the Earth.> 私たちはみな地球の子供です。ところで、みなさんが今出来ることは何でしょうか?
2005年08月11日
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『原爆句抄』A BOMB HAIKU(新樹社・Shinjyusha) 松尾あつゆき・英訳:緑川真澄 Atuyuki Matsuo translated by Masumi Midorikawa昭和20年 8月9日被爆、二児爆死、四才、一才、翌朝発見すこときれし子をそばに、木も家もなく明けてくる 長男また死す、中学一年炎天、いまわの水をさがしにゆく1945 A-bombed onAug.9,lost two children, 4and 1, found them next morningbeside my expired childrenno trees…no houses…day is breaking Lost another boy, 12burning sunooking for the last water for my dying childrenこの世の一夜を母のそばに、月がさしている顔外には二つ、壕の内にも月さしてくるなきがら 自ら木を組みて三児を焼くとんぼう、子を焼く木をひろうてくるかぜ、子らに火をつけてたばこ一本the last night in this worldbeside their mothermoonlight on the facestwo out sideone in the sheltermoonlight on the bodies Made a wooden frame to burn threedragonflies…gathering woodsto burn my children’s bodiesbreeze…putting fire on my children’sbodies…cigarette…ほのお、兄をなかによりそうて火になる 翌朝、子の骨をひろう朝霧きょうだいよりそうたなりの骨でflame…the eldest in the middlethey are burning Piked up ashes of children next morningmorning mistashes of my three childrenclose together as they were 子の母も死す、三十六才くりかえし米の配給のことをこれが遺言かなにもかもなくした手に四枚の爆死証明 妻を焼く、八月十五日炎天、妻に火をつけて水のむ降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ Lost wife, 36again and againshe talked about rise rationthat was her willlost everything…four pieces of air-raid death certificatein my hand Burned wife’s body on Aug.15burning sun,putting fire on my wife7s bodya handful of waterimperial declaration of surrenderblazing fireburning my wife’s body 拙作(書)ご覧いただけます。 ☆トップページ掲載のHPアドレス(鎌田紗和/地球の子供)に ☆検索「全日本美術新聞社」書家・鎌田紗和 ・・・・・・・・・・・・・・・著者・松尾あつゆき1904年長崎県生まれ、1928年層雲入門、42年層雲賞受賞、45年8月9日被爆、妻と三児を失う。72年句集『原爆句抄』上梓、76年、師荻原井泉水没後、層雲作品欄選者を担当。83年没、享年79歳。・・・・・・・・・・・・・
2005年08月09日
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被爆後60年、今年も日本は「原爆の日」を迎えた。広島市長の秋葉忠利氏による「広島平和宣言」は力強い言葉で始められた。 被爆60周年の8月6日、 30万を越える原爆犠牲者の御霊と生き残った私たちが幽明の界を越え、 あの日を振り返る慟哭の刻(とき)を迎えました。(略) 核兵器廃絶と世界平和実現のため、 ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、 私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、 継承と目覚め、決意の刻でもあります。(略) この決意は、全ての戦争犠牲者や世界各地で 今この刻を共にしている多くの人々の思いと重なり、 地球を包むハーモニーとなりつつあります。(略) 今日から来年の8月9日までの369日を 「継承と目覚め、決意の年」と位置づけ、 世界の多くの国、NGOや大多数の市民と共に、 世界中の多くの都市で核兵器廃絶に向けた 多用なキャンペーンを展開しま す。(後略)また、国連事務総長のアナン氏から寄せられたメッセージは、 60年前、広島と長崎の罪なき市民をおそった惨劇と語りえぬ苦しみは、 世界を核兵器の恐怖に目覚めさせました(略) 今日、我々はここ広島、そして長崎で起こった悲劇を思い起こし、 かかる惨劇の教訓を胸に刻み、実行に移す決意をし、 核兵器のない世界を築くための努力を 一切惜しまない決意を再確認しま す。 今日、我々はすべて「被爆者」です。 私は、あなたがたすべてと一緒に、 世界平和への祈りを捧げたいと思います。そして嬉しいことに、毎日新聞大阪本社編集次長の広岩近広氏は「平和記者宣言」を発表した。「唯一の被爆国に生きる新聞記者として果たすべき役割があるとしたら、原爆を書き続けることに尽きるだろう。」とある。正にその通りである。メディアの力は大きい。その力で以って、広く強く書き続けて欲しいと願う。原爆投下された日が近づくと、あちこちの新聞や雑誌でも平和や戦争に関する記事が目に付くようになる。平常からそういう記事が連載されてもいい、と思うのだが、その時だけでもないよりはましだろう。無関心な人たちに、少しでも多く意識付け出来たら、それは大変意義あることだと思う。意識が薄れ、無関心になり、人々の意識から忘れられ、消えていくことを一番危惧しなければならない。核兵器の惨劇を、語り継ぎ言い伝えていくことが、世界を平和に導き、核廃絶への大事な道程なのだと思う。
2005年08月07日
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☆「伸ちゃん」伸ちゃんは3歳。お隣の美紀ちゃんと大の仲良し。今日も一緒におままごとをしています。お父さん役の伸ちゃんは、お仕事にお出かけします。自転車に乗って・・いえいえ、それは三輪車です。何度も何度もおねだりして、ようやくお父さんに買って戴いた三輪車です。いってきまあす!お気に入りの三輪車に乗ってとてもご機嫌です。お庭をぐるっと一回りした伸ちゃんは美紀ちゃんの所に戻ってきました。みきちゃ~ん、ただいま~と、そのときです。ピカッ ・・・・・伸ちゃんは、夢の中を彷徨いながら、それでも、大事な三輪車を探しています。サンリンシャ サンリンシャ・・ホラ、三輪車だよ!伸ちゃんは、差し出されたお父さんの手を握って、幽かに微笑みました。きっと伸ちゃんの目には、大好きな三輪車が見えていたのでしょう。伸ちゃんも逝きました。美紀ちゃんも逝ってしまいました。伸ちゃんと美紀ちゃんのお父さんは、二人を並べて庭に埋めました。火で焼くのは余りにも熱過ぎるから・・美紀ちゃんとおままごとが出来るように、そして、三輪車も一緒に。40年の歳月が経ちました。庭を掘り起こしたとき、小さな白い花びらのような白骨が並んでありました。すっかり変わり果てた、伸ちゃんと美紀ちゃんです。手を繋いだままでした。伸ちゃんの大好きだった三輪車も傍にありました。・・・・・・・・・・・・・・・☆「歳月」錆びつきし三輪車硝子の箱にそに乗りし児も原爆に果てサンリンシャ サンリンシャ 死に近き児は夢の中いとけなき児は幽明を彷徨ひて探しあぐぬる三輪車かな ホラ三輪車だよ力なく握りしものを父が手と知らで果てにし微笑(ゑま)ふその児はああ 伸よ三歳を僅か過ぎにし君なればままごとの続きも出来よ庭に葬(はふ)らむ歳月は悲しからずや白骨に変り果つとも三輪車の傍に歳月世界遺産として原爆ドーム・・・・・・・・・・・・・・・☆「ヒロシマ」8月のその日その刻(とき)黙祷す 虚しからずや平和未だしその刻をしるししままの古時計 黙(もだ)して刻む平和への刻核なきを命尊きを訴えて灯は瞬くかヒロシマの夜に街の灯のあえかに映す川の面(も)に人浮かべしは60年前なにゆへに人は戦ひ止めざらむ 己がひとつの命ともがな蛍木(ほたるぎ)に群るる数多(あまた)の蛍火(ほたるび)は御霊(みたま)なるらし果てし兵士の闇深く機は飛び発(た)てり エノラ・ゲイの飛来したるるヒロシマの空に忘るるな忘れてならじかの刻をかの広島とかの長崎を・・・・・・・・・・・・・・世界で唯一の被爆国 日本には、核の廃絶と恒久の世界平和への思いがひとしお強く存在します。私達国民の強い祈りなのです。しかし、今も地球上の何処かで戦争の絶えることはありません。地雷に傷付き命を落としている多くの人や生き物がいます。人はそんなにも傲慢で愚かなものなのでしょうか。 共生と恒久の世界平和を!<All of us are children of the Earth.> 私達はみな地球の子供です。 非営利団体<ACE 地球の子供> 鎌 田 紗 和
2005年08月06日
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上手になるには、「上手になりたい」と願い続けることである。その思いが強ければ強いほど早く上手になる。何故なら、その思いは文字への強い関心となって現れ、知らず知らずのうちに上手になるための原動力となる。美しい文字を見た時に「美しい」と感じたり、こんな風に「書きたい」と思ったりする。また、文字を注意深く見るようになり、気をつけて書くようにもなる。無造作に見たり書いたりする人と比べれば、当然そこに差は生まれる。「上手になりたい」と願うことは、それだけで、もう、上手になるための極意でもある。昔、子供の頃、時折届く一枚の絵葉書を心待ちにしていた。やや太目の万年筆の、ブル-ブラック色で書かれた、その絵葉書の美しい文字に憧れていたのである。何度も眺めては指でなぞり、真似して書き、そしてまた絵葉書欲しさに私はせっせと手紙を出した。当時小学校の教師をしていた叔母が、多忙ながら品のいい字でこまめに返事をよこしてくれていたのである。思えば、「美しい字を書きたい」と意識した最初であった。 二十代には、綺麗な字を書く姉妹と暫く仕事を共にしたことがあった。その姉妹は、いつでも、どんな時でも綺麗な字を書いた。私などは、書き続けていると疲れて字が乱れるし、慌てて書けば汚くぞんざいにもなる。けれども、その姉妹の字は、いつも綺麗なのである。慌てることも疲れることもないのかしら、と不思議に思った。その姉妹に感心しながらも、文字を見ただけでは姉か妹か判らず、筆跡鑑定でもしなければその区別がつかないような、そういう美しさを不思議に思った。息遣いも心の動きも感じられない、パターン化されたその筆跡は、綺麗ではあったが、叔母の絵葉書に見るような魅力はなく、憧れに結びつくことはなかった。今にして思えば、当然のことだったのである。書人であれ素人であれ、書いたものには、少なからずその人の、「人となり」が表われる。姿が整っていることは、決して悪いことではなく、素晴らしいことであろう。が、人によって書かれたものならば、パターン化された無機質な美よりも、形は少しぐらい整っていなくても、そこに温かい人間が感じられるものの方が、私は好きである。そんなことをいうと、お稽古する意味はないのか、といわれそうだが、決してそんなことはない。別の機会に触れるが、その磨き方が大事なのである。それはそれとして、磨く前も、磨いている間も、上手になりたいと願うなら、その願望は確実に叶うだろう。さて、「書」には、技術だけではどうにもならないものがあり、不思議な魅力がある。それは、私が常々、書は人間の総合芸術である、という所以でもある。マスコミなどに取り上げられているものの中にも、わざとらしく崩したりゆがめたりしたものを見かけるが、余り好感は持てない。意図したものが勝ちすぎると、見る者を疲れさせたり、精神の安定を欠くようにもなる。心穏やかに眺められ、自然に見る人の心に沁み、書いた人が偲ばれる品性の薫り立つもの、格調高いそんな書を私は書きたいと思う。
2005年07月13日
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人は文字を上手に書きたい、と願う。大人の社会では何かの度にそれを実感する。祝儀袋を書くときであったり、結婚式場の受付で署名しなければならない時であったり、電話やパソコンがいくら普及して、メールでほとんどの用を足せたとしても、やはり手紙を書かねばならぬ時はあり、そういう時に字が上手だったら、と思う。それは人の永遠の願望であるかもしれない。上手になるにはどうしたらいいですか、とよく聞かれる。それは、当然書くことに尽きる。書かなければどんな人でも上手くなることはない。ただ、先天的に上手な、いわゆる筋のいい人もいるが、それだって限界があり、特別の場合を除いて長い年月努力し、学んできた人には敵わないのである。そこで多くの人は一念発起して書塾に通う。手本をもらい、手習いをし、筆で書くことに戸惑いながらも、学校教育のお陰で初体験の人はなく、すぐに馴れ親しみ段々上手に書けるようになる。暫くすると、今度は少しも上達しないと言うようになり、真面目で自分に厳しい人ほど落ち込んでしまう。けれども、自分の書いたものを上手だと思えない人は、むしろそれを喜ばしく思い、歓迎すべきことなのである。何故なら、その人の鑑賞眼が成長した証拠だからである。手本と比べて巧くない、とその違いが判るのならば、手本の域までの成長は保証できる。なべて技術よりも眼の方が先に成長していくものである。頓着なく何十枚何百枚書いても、書かないよりはましだけれど、成果はそれほど大きくはない。どこかのコーヒーではないが、違いの判ることが大事なのである。そこで、めげていた人も気を取り直して手習いを続けよう。そう、続けることが大事なのである。いくら才能があっても、磨かなければ光沢を放つことはない。何年も何年もひたすら続けてこそ、その輝きは増すのである。階段を上るがごとく、ロッククライミングがごとく直線的に登って行くことは極めて険しい。しかし車やバスでそれほど勾配を感じない道路を走っていても、ふと気が付くとかなりの高地まで登っていることを知る。書も同じである。そのとき難しい筆遣いを習得出来なくても、次に同じようなものに出合った時には簡単にクリアー出来るものなのである。決して性急に結果を求めない方がいい。
2005年07月11日
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ルカの街並さんのお言葉を受けて・・あなたが素晴らしい出会いや縁を持つために或いは、自分の願いが叶うために普段心がけていることは一体どのようなことですか?・・・・・・・・・・・・・・・・素晴らしい出会いや縁を持つために私がしていることといったら生きていくときに心掛けるそのことは、「誠実」の一語です。自分にも、相手にも、どこでも どんな時にでも私は 「誠実」を努めます。それだけは心に命じて臨んでいます。そして願いを叶えるために・・私は自分を信じます。したい、しよう、する、変化していくその言葉が私を突き動かしてくれるのです。できる、私ならきっと できるそう信じることにしています。(再び引用)太陽の光はエネルギーとなりうるおいの雨はやさしさを育む寒風に向かえば勇気と逞しさとを培いひとり省みる夜は忍耐と明日への希望を生むさあもう一度チャレンジを二度とない人生だから信じよう自分を夢はかなう と 『地球の子供』(鎌田紗和著)より
2005年07月06日
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疲労困憊!先々週はさすがに疲労困憊。先週も心身ともに全回転せず、リフレッシュにも時間が掛りそうで、体力のなさをつくづく実感した。いよいよ本気で体力増強のトレーニングをしなければならないかもしれない。いやそれよりも、リフレッシュが先かもしれない。そうだ、こんな時は小さな旅に限る。自然に包まれた小さな村を訪ね、そこが温泉付きなら なおいいだろう。夏草が生い茂り、雨を含んだ瑞々しい木々の緑と、川では解禁されたばかりの鮎釣りを楽しむ人がいて、夏祭りには少し早い、静まり返った神社の境内にかっこうが鳴く。どれもこれも私に命を吹き込み私を甦らせてくれるのだ。小さな駅の駅員さんはひとりきり。足湯が旅人を出迎える。そこは温泉町だから、やさしい湯の香が出迎える。そうだ、旅に出よう、小さな旅に。新しい種を蒔く前に。
2005年07月05日
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化粧をしている若いお嬢さんに出会った。顔立ちの綺麗な、最近よく見かける電車内でのこと。ファンデーションを臆面もなく塗り、スポンジで丁寧にのばし、目の周りに陰を入れ、眉を描き眉ブラシを掛け、アイラインを入れてご丁寧にマスカラを塗る。余りの手際よさに見入ってしまった。でも、この人はなんの為に化粧をするのか。少なくとも、この車内の人達の為ではない。ボーイフレンドかその他・・世は正に21世紀。この新しい世紀をどう生きるかが問題だ。ちょうど100年前、母は、愛媛県の小さな田舎町に生まれた。女学校へは6キロの道を歩いて通ったそうである。袴をはいてテニスに興じ、お裁縫は余り好きではなく、といっても、戦後の一時期、着物の仕立をしたこともあった。当時としては、母はかなり進歩的な考えを持っていたらしい。それでも、しっかりと女学校の良妻賢母教育を受けた明治の女である。 「80年生きてきたけど、私は、そんなことは一度もしたことはありません」凛とした母の言葉を、私は何度か聞いたことがあった。窘めるときの母の口癖である。揺るぎない価値観と自信に満ち溢れた母の言葉に、私はいつも、明治の教育のすごさを垣間見るようであった。 翻って、今日の教育はどうであろうか。明治の教育が全ていいという訳ではないが、戦後の教育には、失ってはならない大事なものまで捨ててきてしまったように思われる。 誤った平等主義は年長者への礼節を忘れさせ、最低限度の義務と責任さえ負えない、はきちがえた自由と権利は、他の人への迷惑をも省みないしたい放題の、奔放な自由と我侭を増長させるだけとなった。ル-ルを決めても守らず、ルールなどなきに等しい状態となり、ルールの上にまた新たにル-ルを増やす。自制心のない者にとっては、やがてそれすらなきものとなる。生徒手帳や学生手帳に記された校則は増える一方であろう。中高生にいたっては、部活の先輩以外には挨拶も満足にできず、敬語など望むべくもない。学生ばかりか一般社会人でさえ、電車の中で所かまわず大声で喋り、栄養のゆきわたった長い脚を遠慮会釈もなしに投げ出し、あるいは組む。他の人への思いやりなどのかけらも見えない。自浄能力の欠如した、恥を知らぬ人間がますます増えていくばかりで、この21世紀はどんな社会になるのか、とそら恐ろしい気さえするのである。
2005年07月02日
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葉先に光る玉水透き通った小さな宝石ひとつひとつの光の珠が生い茂った欅の木立を装うねえ もうじきよいらっしゃいな はやく朝日が顔を出す前にねっ 赤い糸車の絵のついたあの 宝石箱に
2005年07月01日
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多くの人が集まるところには、感情の行き違いが生じ易い。また、自分と異なるタイプの人とは価値観が異なるから、何かしら感情のずれも起きやすい。何か起きた時、陽気な人は陽気に処理しようとし、ちゃらんぽらんで図々しい人はごまかしてすり抜けようとする。真面目で有能な人はえてして正面から取り組み、正論でぶつかってくる。タイプの違う人たちの間に軋轢が生じる。そんな時、どちらかが大人になったら・・相手よりも、より大きな人間として対したならば、その、生じた問題はそれ程大きくこじれる事もなく解決できるのにと思う。正論でぶつかる人は生真面目である。潔癖で曲がったことが嫌いだから、相手にもそれを求めることが多い。トラブルが起きたとする。相手のミスや過ちに気付いた時点では、気付いたということにおいて気付いた人が上位であろう。しかし、相手のミスを指摘し、正論での行動を求めた時点において互いに同レベルに並んだ、と私は解釈する。相手よりも少しでも大人というか、大きい人物になればと思う。有能なれば、相手を一度受け入れる程の度量に成長して欲しいと思う。そうすれば、それほど問題は大きくはならないと思うのである。ユーモアで軽く処理し、後日、折を見て相手に悟らせることも出来よう。相手の立場で、相手の気持ちを考えてみるゆとりができたなら、自ずと自分の次のとるべき行動が明確になるだろう。賢い人ならば、必ず解る時がくると思う。自分がこう言えば相手はどう思うか、自分の発する言葉と行動が相手や第三者にどう影響をおよぼすか、そこまで考える必要はない、という方もいられるだろう。しかし、集団での人の和を重んじた時、あるいは、重要なことを成就しなければならない時には、それは大事なことでもある。人が大きく成長して、多くの人を束ねる仕事や地位に就いた時、それはまた重要な意味を持つのである。困難なことにぶつかったとき、それは、自分を成長させてくれる為のハードルなんだ、神様が与えてくれた試練なのだ、そう考えれば、それを越えることは出来るし、それをクリアーした時に自分は一回り大きく成長するものだ、と私は若い生徒達に折りある度に話すのだが、なかなか難しいようだ。中国の名典にいう。「経師は多し、されど仁師に会い難し」と。仕事の手順や方法、物事の理屈や技術を教えてくれる人はどこにでもいる。しかし、人の道や、人としてのありようを教えてくれる師にはなかなか出会えない。そういう人には滅多にお目にかかれないものなのである。されば、縁あって集まった若い者たちにとって、甚だ僭越なことではあるが、私は彼らの仁師になろうと思っている。人は、必ず成長していくものである。そして、私は彼らの成長を信じている。彼等の夢は、また私の夢でもある。その実現に向かって邁進している私は、実に果報者である。
2005年06月27日
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(お母さんと一緒に今日もお出掛けだね)エオ エオ エオ~電車が走り出すと君は叫んだ発車の合図を真似ているんだねツギハ カモイ~アナウンスに続いて大声でいうその声を嗜めるようにお母さんは 人差し指を立てて唇に当てたそれから、口をぎゅっと一文字に結ぶと君を見上げながらその大きな胸をさすった何度も何度も頷きながらやがて心配そうにお母さんの顔を見下ろす君に向かってお母さんは親指と人差し指で丸を作って見せたいいのよ 大丈夫お母さんは 心の中できっと そう囁いているのだナカヤマ~君は また大きな声でいうお母さんは 口をぎゅっと一文字に結んで君の顔を見つめている君の その大きな胸をさすりながら・・君は人差し指を口に当てて シ~と言ったそれから君を見つめているお母さんの顔を心配そうに眺めたエオ エオ エオ~ハッシャ シマアスお母さんあなたを称える言葉です優しい 忍耐 寛容温かい 厳しい 慈愛包容力 凛々しいすべてを超越する母の愛人間愛なのでしょうか誉めことばをいくら積み上げてもまだ 足りないのです※子供はもうとっくに母親の背を越した頑丈な体躯。 歴年齢はいくつか・・ 手を引き電車に乗り合わせる二人連れ。 母親の苦労に胸が締め付けられる。
2005年06月26日
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戦火やみヨルダン川の罌粟の花 (佐治玄鳥)人はなぜ戦うのか。戦わなければならないのか。ヨルダン川の岸辺に、今年は罌粟の花が咲いたかどうか・・。砲火を浴びても、踏みにじられても、また何時の日か花は咲くだろう。草花の根や種は国境を自由に越えていく。国を愛し、国を憂いつつも修司の歌を思う。マッチ擦るつかのま海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや (寺山修司)
2005年06月25日
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さあ、君のその手のひらにひとつぶの種をあげよう芽を出し 双葉を出し茎が伸びて花が咲く育てていくのは君の仕事葉が繁り 幹が太りもっともっと葉が繁り大木になればもう大丈夫さあ、君の手のひらにひとつぶの勇気の種を蒔いてみよう勇気があればはい、と言える勇気を持っていいえ、と言える勇気は人を優しくし勇気は人を強くする恥ずかしがらず怖がらず思い切って言ってみよう思い切ってやってみよう迷ったら手を握り拳に力を入れるんだそしてよしっ と言ってみようほら ねっ身体の中から勇気が湧いてくるだろうさあ、君のその君の手のひらにひとつぶの勇気の種を蒔かないか
2005年06月17日
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空に橋があったらいいねその橋を渡ってあの 向こうの山のずうっとずうっとむこうまで空中散歩どの色の道を行こうか薄紫の道にしようかブルーの色もいいけれど空の色と間違って落っこっちゃったら大変だ何が見えるかな何に会えるかなあの雲と握手できるかなそうだ お願いしてみよう水の足りない国に行って雨を降らせてください とお家をつぶす どか雪なんてもう 降らせないでください と雲の仲間に伝えて と七色の道をお散歩するなんて素敵なことだと思わない?ねえ みんな一緒に行ってみない?虹の橋へ
2005年06月15日
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もうそのことは忘れておしまいくよくよしたって悲しくたって腹が立っても怒っていてももう みんな忘れておしまい元気の出るもの見つけてごらん元気の出ることやってみよう見てご覧欅の梢を梢を渡るその風を見上げてごらん空行く雲を宇宙の果ての星の光をほら ねっ君の笑顔は素敵だよ
2005年06月11日
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「お~い、○○先生が休みだから、次の時間はみんな音楽室に集合!」廊下でコーエー先生が笑っておられる。待ってました!コーエー先生の特別授業である。クラスのみんなは音楽室に走った。先生はピアノの蓋を開け、おもむろにキーを叩かれる。あ、やっぱり。コーエー先生は決まってこの歌を教えてくださる。もう何回目かな、私達はすっかり覚えてしまったのだ。先生のピアノと歌に合わせてみんな大声で歌う。「はーなつーむーのーべーにー ひはーおーちーてー」「歌はな、声を張り上げるばかりじゃあいかんぞ。 気持ちをな、気持ちを込めないかん」「みーんなーでー かーたーをー くみーなーがーらー」私達は私達なりに心をこめて歌い、そして次には決まって声を張り上げる。「うーたーをー うたーあーたー かーえーりーみーいーちー」歌うことの楽しさを一番実感した時であったかも知れない。光栄先生は、川之江市立金田中学校(今は存在しない)の教頭先生で、国語の先生でっもあった。各学年2学級のこじんまりとした学校で、町の高台に建つ。瀬戸内の気候風土そのままの、いたって穏やかな校風ではあったが、教育とスポーツに熱心な、いわゆる熱血漢の先生が勢揃いし、およそサラリーマン的な教師はいなかったように思う。いい時代であったのかもしれない。この光栄先生からは、俳句や短歌の実作についても教わった。授業中あるいは宿題で創った句を持ち寄り、プリントする。その中から「天・地・人」にあたいする句を選ぶ。句や歌の評価の仕方の一つで、一番いいのを天とし、次に地、人、と選ぶこともその時初めて知った。「葦垣のくまどに立ちてわぎ妹子が袖もしほほに泣きしぞ思はゆ」万葉集い惹かれていった原点ともいえるこの防人の歌を、私はいまも諳んじている。光栄先生の授業で教わったものである。慣れ親しんだ「百人一首」とは趣を異にして、私の心に深く沁みた。防人の歌に、防人というものに心が動かされたのである。文学作品を鑑賞するときに、学校では、細々と切り刻み、あれこれと分析する。じっくり鑑賞するというよりも、学問的にというか文法的に料理することが多い。そういう作業が、国語嫌いを生み育てていると言えなくもない。勿論、光栄先生の授業でも、文法を教わり、学問的な知識も教授されたことはいうまでもない。春と秋の大祭には、大人も子供もこぞって神社に出かける。当時、学校は休みになっていた。「コーエー先生がおられたよ~」「すましとってん」神社に行く子供達には、参拝よりもたくさん並ぶ露天が目当てである。が、光栄先生に会う事もその楽しみの一つである。会う、というよりは見ると言ったほうが正しいかもしれない。光栄先生は神主さんでもあるのだ。白い装束に身を包まれた先生は、神妙な顔で祝詞をあげたり、お払いしたりする。私達も神妙に拝みはするが、先生を見かけると、つい手を振ってしまう。帰郷した折、久し振りに光栄先生をお訪ねした先生は、神社に隣接するお住まいの門口に立って待っていてくださった。体調を崩して入院された折に窺って以来、もう二十年以上も経つというのに、背はしゃんと伸び矍鑠(かくしゃく)としておられる。眼鏡の奥の眼も昔と変わりなく優しさに満ちていた。高校の教師をされているというご子息は笑って言う。「やっぱり おやじには敵わないんですよ」当たり前! 敵う人など、そうそう居る訳がない、私は心の中でそう思った。私が万葉集や古今集に興味を覚えて詩歌に親しむようになったのも、気まぐれに短歌を詠むようになったのも、そして今こうして仕事をしているのも、みんな、コーエー先生のお蔭といえなくないのだから。先生は、後に校長、教育長などを勤められ、教育界の重鎮として後進の指導にあたられたようだ。
2005年05月29日
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英会話スクールの門を叩いたことがある。世にいう「駅前留学」である。外人講師による模擬レッスンとレベルチャックを受ける。講師は、自分の名前と日本に来て英語を教えている旨の自己紹介を終えると、いろいろ質問を始めた。オーストラリアから来たというその講師は、明るくて礼儀正しい。アメリカン・イングリッシュを聞くことの多かった私には発音も少し異なり、新鮮な響きを感じる。中学校の教科書で初めて外国語のことばを覚えた時、未知の世界に憧れる好奇心旺盛な私は、すぐさまその魅力に取りつかれた。読み書きと文法が主で、というよりそれだけであったから、話すことなど皆無であった。しかし高校でのグラマーの授業などは、中学での復習をしているようで、むしろ易しく感じていたのを覚えている。当時の中学校では、文法をかなりしっかり勉強していたようだ。大学の英語は必修単位を取るだけで終り、そのまま、 英語からは遠ざかってしまった。あのまま続けていたら、今頃は・・と、たら話を悔やむ。横浜に住むようになると、外国人と出会うことも多くなった。彼らは、日本を訪れているだけあって、日本文化に興味を示すのである。質問されても、その度に上手く答えられなくて悔しい思いもした。たどたどしくてもいい、せめてもう少し話せるようになりたい。海外旅行だってもっと楽しくなるに違いない。そんな思いで駅前留学となったのである。日本人は概して話し下手、シャイなのである。いや、それよりも文法主義で知識優先教育の結果かも知れない。S+V+O、S+V+・・関係代名詞を入れて・・などと頭で考えて話そうとする。間違いを懼れるあまり、ことばがなかなか口から出てこない。日本語を英語に訳してから喋ろうとする。話した後でさえ、今の文法はあってたかな、と考えることもある。初めから英語で考えろ、と言われるが、そんなこととても出来ない相談である。レッスンは、講師一人に生徒3人で行う。レッスン中は全て英語で話さなければならない。日本語は一切禁止されているのである。講師にも色々あって、外人だったらみんな英語のスペシャリストであるとは言い難い。日本人にも、日本語を正しく使えない者がいるのと同じである。むしろ、文法などは、学校できちんと勉強した日本人なら理路整然と説明できる。文法があいまいで英語力に欠けるから、と講師をリコールする生徒もいて、講師はおちおちしてはいられないのである。ある時、最も人気の高い講師に当たった。ロンドンで英語を専門的に学んだイギリス人で、語彙も豊富で勿論文法も確か、講師達が、第一級と太鼓判を押す正真正銘の英語のスペシャリストである。同じレベルでも生徒にも些かの差はあり、若い学生に交じると気後れしてしまう。中でも、受験の難関を突破してきた人達は結構自信を持っているのである。有名大学を卒業して2年ほどの若いサラリーマンが質問した。彼が答えた英文の間違いを指摘された後にである。 Can I ask you a question? Sure.・・・二人の問答は続いた。勿論英語で。「あなたの文法は正しいのですか?」「もちろん コレクトです」そしてその講師は、自信に満ちた微笑を浮かべながら静かに続けた。「文法というものは、 人が使いやすくするために、後から定義したものです」
2005年05月22日
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昨日、継続は力なり、人は他との関り合いの中で成長して育てられるといったが、むしろ、「継続は力を生む」と言った方がいいと思う。結婚を間近に控えている女性から、もうずっと日記を書き続けている、とのメッセージを戴いた。もうそのことだけで、私には尊敬に値する。日記をつけることは、毎日自己と向き合い、時には社会情勢とも向き合って考えを廻らせていただろう。それをもう何十冊となく書き綴っている。日記を書くことで、彼女は随分成長してきたと思う。そしてその行為は、「粘り強い」「根気がある」という自信に結びつく。こんなに大きい力はないだろう。彼女は、今後どんな困難にぶつかってもそれを必ず克服するに違いない。そしてそれは、物事の成就に結びつく。さて、人は千差万別、十人十色である。その一人一人の育ち方、育ち具合には自ずと差が出来る。社会環境や、本人の意識の差、持って生まれた資質の差によるのだろう。社会環境では、どんな人がどんな社会を構成しているか、年齢や性別、職業など、細分化すればきりがないが、置かれた環境によっても成長の仕方に違いが出る。例えば、よく問題視される学校、ここは一般社会とは異なり、些か特殊社会の様相を呈す。昨今はサラリーマン化した教師が増えてきた、との嘆きも耳にするが、教師とて職業人である。それを非難することは出来ないが、使命感の欠如した人が増えてきているのは寂しい。勿論、本人達だけの問題ではなく、政治的な問題を孕んでいる影響とも言えなくはない。そんな一種隔絶された社会では、大抵はそれなりのというか、それ風の成長をおさめることになるだろう。似たような人が多くなる所以でもある。JR西日本という小社会でもしかり、意識の違いや低さが、一般人からは想像し難い言動を生み出すとことになったのである。勿論、全部が全部という訳ではない。その違いを生み出すもの、それは個人の資質におうところが大きい。例えば、隔絶された社会だと言うことを念頭に入れ、社会的情勢や他の情報を積極的に吸収する人、多角的に物事を直視しようと努める人、他を受容する寛容さを持ち合わせている人、などなどそういう人は、先に挙げた特殊な社会にいても、違った成長の仕方や人格形成を成すだろう。苦労すればしただけ成長する、と言われてきたが、その苦労がいいように作用すれば成長に結び付くが、逆に作用すると、屈折した人格となり、歪んだ人間関係を生み出すことにも繋がる。何を以って屈折とか歪んだとかいうのか、と問われるかもしれないが、それは個々の判断にお任せしたい。価値観は個々によって違うだろうし、ここで論ずるつもりもない。どんな環境にいても、自分の意識しだいで自分は変えられるし、変えていくことも出来る。自分の置かれた環境を悔やまず、恨まず、自分が成長出来るような人との交流を積極的に進めていこう。居心地のよい、傷を舐めあうような、快楽の追求のみの暮らしからは、自分を高めていくことは難しい。
2005年05月09日
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継続は力なり。誰が言い始めたか、名言である。一つのことに向かう気持ちを長い間持ち続けることは、容易なことではない。それが、何年にも亘ることであれば、更に困難さを増す。しかし、その大変なことを成し遂げるから物事の成就に結びつく。継続することも才能の一つであろう。昔、学生の時に書き始めた日記は、休み休みながら数ヶ月続いたものの、気が付いたらいつの間にか書かなくなっていた。家計簿も、結局は数日つけただけ。つけてもつけなくても出るものは出る、などと正当化し、勝手な言い分でこちらも、ジ・エンド。さてさて、2月から始めたブログはどうなるか・・昨日は仕事に全エネルギーを使い果たして休んでしまった。気まぐれ日記だが、何とか続けたいと思っている。仲間とのコミニュケーションが支えてくれそうな気もする。(甘え過ぎかな?)そんな私でも、仕事においてだけは別らしい。もう三十年継続しているし、6年掛り、8年掛りのものを、ひたすら手掛けたこともある。途中で心変りしそうになる。心が移りそうになることもある。誘惑に負けたり、めげたりすることもある。でも、今尚 継続中である。定年がないから生ある限り、いや、脳が使える限り、と言っておこうか。偏に、他との関り合いがあったからだと思う。本質的には弧との闘いではあるけれど、周囲との関係の中で培われもした。今日は日曜日、我家に大学生5人が集まって、自分の世界を広げようと、可能性に挑んでいる。黙々と、楽しそうに。そしていつか彼らは巣立ち、サポートする側になる。人はやはり、他との関係の中で成長し、育てられるものなのだ。最後に座右の銘を引く。些か大袈裟かもしれないが・・学ぶとは誠実を胸に刻むこと。教えるとは共に未来を語ること。(アラゴンの詩より)
2005年05月08日
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連休中日、無粋にも会議があった。3月北京での催事の反省会と次の行事の打合せを兼ねたもの。先月末から銀座に出向くのも3度目。4丁目はかなりの混雑振りだった。何処にも出かけない人が集まってるのよ、自嘲もこめて友人と話す。例年この時期は多忙で旅行にも行けない。ゴールデン・ウイークだけど、こちらはセコセコと仕事に明け暮れる。好きなことをしているくせに、と言われそうだが。自分でも仕事に大した不満はない。ただ、死ぬまでに一点でいい、いいものが創れたら、と思う。歴史に遺るものなどと大それたことは言わないが、いや、出来ればそうなればいいに決まっている。馬鹿げたこと、という人もいるだろうが。そのためにも、多忙すぎる仕事を本末顛倒だと嘆くこともなくはない。けれども、自分の生き方が、かなりの部分で他に影響を与えるようになった今、多忙な仕事を甘受するしかないとも思うし、有難いことだと感謝もする。それは「一隅を照らす」ことなのだと自問自答する。時として人は、他への憧れが夢や希望となり、生きる力にもなる。反面その憧れや夢や希望であり続ける人は大変でもある。スターが鬱に陥ったり自殺をはかったりすることは、それも起因しているといえよう。「一隅を照らす」ことへの喜びは大きいが、華やかなスポットライトを浴びる嬉しさも大である。憧れであり続けるには、偶には照らしてくれるスポットライトも必要かもしれない。しかし、その華やかさの味を忘れ難く、いつまでも拘泥していると大切なものを失いかねない。人間の価値などというものは、一言では表現できないが、その人の生き方そのもの、生きる姿勢にこそ見出されるのだと思う。多くは、その生き方に、人間性に共感するのである。立派になど生きなくてもいい、という向きもあるかも知れないが、どう生きるか、それはどう死ねるかに結びつくのである。いつかは迎える自己の終焉の時、いい生き方だった・・そう思いたい。私の美学でもある。「一隅を照らす」その喜びを見出した時新しいエネルギーを生み出す力になる。生への、そして創造への。今日は憲法記念日。ひとりひとり今一度 日本国憲法について真剣に考えてみよう。
2005年05月03日
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カナダからメールで詩が送られてきた。確かまだ22歳位の女の子、いや女性である。1年間のワーキングホリデーを利用してカナダで語学研修を兼ねて暮らしている。昨年の9月に出発したから、もう半年過ぎたことになる。若いから吸収も速いのだろう。英語の翻訳詩を読んでいるような気がした。それだけ彼女には、英語で思考する回路が身に付いたようだ。英訳も添えられている。カナダで新しくできた友人にも見せたいからと付記してあった。中国での、卓球世界選手権でも、日本のの代表福原愛ちゃんが活躍している。いつの間にか、もう世界の愛ちゃんに成長していて驚く。本当に大したものだ。若い人は、吸収も順応も速い。柔軟な頭の回路を有する若いときにこそ大いに鍛え上げてほしい。中高年にとってはどうしようもなく羨ましいほどの多くの時間を、若い人達は持っているのだから。
2005年05月02日
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最近よく聞く言葉で厭なもの。「勝ち組」「負け組」そして「負け犬」。一時は「よろこび組」なる言葉もよく使われていた。特に厭なのが「負け犬」ご承知のとおり、闘犬で負けた犬のことではなく、ハイミス、つまり<適齢期なるものを迎えて順調に結婚し、子どもを生み育てる>ということをしていない、未だ出来ないでいる女、という定義らしい。ある女性作家の小説が元で、そう言われるようになった。もともとその言葉は存在していたから造語ではないが、そういう使われ方をするのは初めてだと思う。「負け犬のようになるな」とか、「負け犬になってしまうぞ」というふうに使ってきた言葉である。馬鹿馬鹿しい。適齢期って何! 女は結婚しなきゃあならないとでも?たかだか結婚して女の務めである出産と育児をしていないというだけで、世の一般的な結婚生活を送る女性に遅れをとった、いかにも惨めな女である、と世間を揶揄してかユーモアか・・いづれにしても理解し難い、したくない厭な、ホントに厭な言葉である。もっとも、私は一般的な女に類されることになる。そんなに目くじら立てて、と言われるかもしれないが、人の口から発する言葉は、その人の潜在的な意識を表現し、また逆に、発する言葉によってその人の品性や人間性を位置づける。その上、その潜在意識は、その人の未来の行動をも支配するのである。その証拠に、否定的な言葉を発してばかりいると、段々、本当にそうなっていく。「私はどうせ駄目なんです」「いくらやっても駄目なんです」なんて無造作に言う人もいるが、そういう人が成功したためしは余りないと思う。身近にある例を見ても、段々本当に駄目になっていくことが多い。「病気かもしれない」「病気に違いない」「病気なのだ」と考えていくだけで、ストレスで本当に病気になってしまう。健康な人が「顔色悪いわね」と言われただけで、本当に体調が悪くなるということも実験で明らかにされている。言葉の管理は、潜在意識を管理することでもある。発する言葉は未来を左右すると言ってもいい。自分自身の未来を位置づける大切なことの一つなのだ。あだやおろそかに、冗談にでも、「私はどうせ負け犬よ」などとは絶対言ってはならない、言わない方がいいのである。話題になれば、それはみんな「勝ち組」となるようだが、そんな商魂と無責任なメディアの思惑には乗らず、自分の品性や人間性と、更には自分の未来の可能性を生かせるような、前向きの言葉を使うよう心掛けたいものだ。
2005年04月30日
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予てから制作中だったHPが公開された。された・・自分のHPなのに「された」とは可笑しな言い方だが。1本の電話でそれを知った。そろそろ公開を、とお願いしていたから当然なのだけれど、自分のHPの公開を他人が先に知っている。不思議な思いがした。「私に黙ってサイトを開いたでしょう。」「えっ なんのこと?」「HPですよ。ネットにのってますよ!」「ほんと? 知らなかったわ。」「名前の検索で 一番に出ますよ!」「待って、出してみる・・」確かに、ヤフーでも、グーグルでも、自分の名前で検索してみると、色々な記事を押さえて、HPが一番上に出てきた。その彼が担当した物をも抑えてである。「あれも入れてますねぇ。トップページも・・フラッシュを多用してますね。・・契約書には一文入ってますよ!」そうだった。HPに掲載する時は事前に報告することになっていた。「でもいいですよ。著作権は○○○○(私のこと)なんですから。」「ごめんなさい・・」「いいですよ。僕が許可したことにしておきますから(笑)」そういえば、HPの制作を依頼したデザイナーが検索で一番上に出す術もあります、と言っていた。マイアミに経つので帰国してから手直しするとのことだったが、急遽出発前にネットに公開してくれたようだ。自分で作ればいいものを、PCに不案内で多忙ときているので今回は制作を依頼した。いずれ自分でも作ってみようとは思っているが。ブログの足跡を頼りにあちこちお邪魔してみると、素敵なHPを開いている人も多く羨ましく思った。暇なら少しは勉強して作ってみるのに・・・ちょっと残念。でも、ともあれ、我がHPが公開できた。まだ手直しは必要だけど。実名ブログにしようかなあ。そうすればHPの紹介も出来るし・・匿名の必要など何もないけど・・・匿名の方が自由に書けるし・・仕事のことを考えれば当然宣伝効果のある実名。私は揺れに揺れている。
2005年04月28日
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全国に、色々な「平和を守る会」があるようだ。宗教が母体となったものや、作家集団が音頭を取っているもの、母親の会もあるかと思えば、過日新聞には、「万葉集」を読み解き平和を考える会も紹介されていた。平和を守ろう。という趣旨は尊い。私も恒久の世界平和を希求し、それに結びつくささやかな活動もしている。戦争放棄をうたった憲法9条を守る、ということに些かの異論はないが、少しばかりの疑問がなくもない。守ろうとするその人達は、改憲そのもの全てを「NO!といおう」というのである。先日、友人が入会を勧めた会もそうであった。9条を守るために、改憲の時の国民投票の折には、みんなで「NO!」と言いましょう、と。9条は尊い。「戦争放棄」をうたった世界に例を見ない素晴らしい条文である。が、制定から60年近い、長い歳月を経てきた今日、様々な「ゆがみ」を孕んでいる箇所もあるのではないだろうか。詳しく勉強したわけでもない者が、こんなことを喋れば、当然大きな反論も批判もあると思う。しかし、その他の多くの不備に目をつぶり、変えたほうがいい、変えなければならない部分まで、全てをそのままにして、また営々と日を過ごしていいものなのだろうか?その辺にいつも疑問を覚える。かといっても、今更 憲法について学習するほどの意欲はない。ただ、漠然とそう感じるだけである。無責任な話で、まことに恥ずかしい限りだが・・
2005年04月15日
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高校2年生38人に聞きました(2)・・新回答者興味深い結果でした。人 :(男)どんなに一人で生きようとしても無理で、 一人よりも二人でいる方が楽しい。将来は人を思える広い心を持ちたい。全力:(男)何事にもすべて全力で向かっていくのが好きだから。 整備士になるために頑張る。守 :(男)将来は守るしごとに。みんなをまもりたいから。勝 :(男)負けず嫌いだから。どんな事にも勝ちにこだわる。 将来も「負け組」じゃなく「勝ち組」でありたい。 努力:(男)努力すれば何とかなる。弱気は最大の敵:(男)自分は気が弱い方なので。 将来、自分の夢に向かって明るく前向きに実現に向かって頑張りたい。素 :(女)偽りのない自分でいたいから。素直になりたい!これが目標。心友:(女)親友と同じ言い方でも意味の強さと漢字の違いがある。 自分を支えてくれる存在だから。ありがとう:(女)感謝の気持ちが大切だから。感謝のきもちでいつもいたい。根っこ:(女)土の下で周りからは見える事はないけれど、 とても強く根っこをはってしっかりと自分の基礎があるから。 見た目ではわからない強さがあるから。一日一歩:(女)この言葉の入った歌をおじいちゃんが歌っていて好きになった。 一日一歩づつでも、自分の人生を確実に歩いていきたい。愛 :(女)相思相愛、家族愛、動物愛、友達や姉弟を想う気持ち、 好きな人を想う心。愛って言葉は一生大切だと思う。 人の事を信じて愛し愛される事を知る。夢 :(女)夢は叶えるため、つかむためにある。 何か目標を見つけ、夢に向かってつっぱしって。 きっとその夢が叶う日がくるから、 夢に向かっていつまでも輝き続ける。いつかその夢を叶える。 (男)何でもいいから夢をもっていたほうがいいと思う。入魂:(男)世の中全てのことに魂込めて突き進んでいきたいから。 勉強・部活ななどこの言葉を想い頑張ります。八割:(男)本番では実際の実力の八割出せればいいらしい。 自分も本番で八割出せればいいなと思う。笑顔:(男)笑顔が一番(^_^) いつでも笑顔だよ(^_^)一所懸命:(男)たとえ一つのことでも懸命にやっていきたい。喜怒哀楽:(男)環状豊かに生きていきたいから切磋琢磨:(男)いろんな人と競いあって。力をつけていけたらいいと思う。努力:(男)過去努力すればするほど成長し続ける。一歩前へ:(男)自分の選んだ道を立ち止まらずに一歩一歩進んでいきたい。 どんなことがあっても前をみて進む。尊敬:(男)人を尊敬し、いろいろなことを学び、 いつか自分も他人から尊敬されるような人になりたい。心 :(女)心は一人人が持っているもの。どんな時も心のもちようで変る。 私は思いやる心を持っていたい。心はみんなに必要なものです。継続力也:(男)続けていれば必ず自力のなるから。自由:(男)周りの人の考えに左右されずに しっかりと自分の考えを持って楽しく自由にいく。 挑戦:(男)目標などに向かって挑戦したり努力したりする気持ちが自分にはなり たくないから。書 :(男)書くことで覚え、書くことで学ぶ。 人は何かを書くことで生きている。一球入魂:(男)何事にも全力で取り組めばぜったい後悔することはない。 後悔しないように物事に真剣に取り組み努力していきたい。明鏡止水:(男)たとえ どこであっても、 何年経とうと、 何があっても、 私は私だ。自分を大切に生きて行きたい。 言葉(土):言葉がなくなったらやばいから。 これからは、人を傷つけないように上手いこと使っていきたい。友情:高校生活あと一年だから、みんなで楽しくすごしから。enjoyしたいよお。気合:(男)気合で何でもできるはず、あとは努力で補う。大 :(男)すべてにおいて大きくなりたいから。一(男)。かんたんにかけるから。肉 :(男)何の言葉がいいか考えていたら急に腹が減って 急に肉を食いたくなった。カカロットお前がNo1だ:(男)ベジ-タは悟空をみとめた。カッコイイ。172cm:(男)目標の身長。
2005年03月18日
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卒業生を送り出すこの時期、学校だけでなく、サ-クルや地域などの小さな集団でも何らかのセレモ二―は行われているようだ。しかし、それも近年は簡素化の傾向にある。不景気な社会を反映しているというよりも、子供自身に変化をきたしたらしい。横浜市戸塚区のある町の例。数年前までは「餅つき」をして賑やかに卒業生を祝う会を催していた。昨年は、「たこやき」「お好み焼き」「フル―ツポンチ」などのメニュ-に変ったとはいえ、それでも、まあまあ楽しく賑わったそうである。そして今年、「めんどくさいから」との子供たちの声により、主催者はス-パ-でお菓子を買い込み、ビニ―ル袋に詰めて当日配ることになった由。子供たちが喜ぶ、あるいは喜んでいる、と思っていたのは逆に子供たちのほうでも、「折角してくれるんだから、喜んであげなくちゃ悪い」なんて大人びた気持ちも持ち合わせていたのかもしれない。そこで、ついに「めんどくさいから」の言葉が登場してしまったわけだ。大人達は、ひそかに郷愁をいだいていただけだったのかもしれない。
2005年03月15日
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高校2年生40人は、こんな言葉を上げました。()内の文は、その言葉に対する本人からのコメントです。(順不同)ありがとう(言われて嬉しい言葉。これからいっぱい言えるようにして生きたい。)一期一会(意味が良かった。一生に一度の出会いを大切にしたい。)純粋(純粋はすごくいいことだから。)努力(A今の私は努力が必要です。高三の目標です。) (B努力は財産として残り、自分を大きくしてくれる。) (C努力をすれば良い結果がついてくる。何をするにも力が大切。) (D今の自分の目標で今の気持ち。これからも努力したい。)成 (成功や成長などいい事にしか使わないから。もっと自分が成長したい。)成せば成る(どんな人でも努力をすれば必ず何にでもなれるという意味が込められてる。)勝利(どんなことでも「勝利」すると気持ちがいいから。)全力(全部の力を出しきれば結果は付いてくる。自分に甘えず常に全力を出す)楽 (A楽が一番楽だから。楽に生きることは不可能にちかいが、それを目標に生きる。) (B笑っているだけで楽しく幸せな気持ちになる。常に明るい笑顔を絶やさない人になりたいと思う。) (C無理な生き方はしたくない。これは最終目標です。)こだわり(人は誰でも考え方が違うから。良いふうに自分の意見を言えるようになりたい。人に流されずちゃんと自分をもって強い心をもって強い女になる!)夢 (夢を持つことは自分と向き合うこと。勇気がいるけど大事なこと。)笑顔(A誰もが皆 笑っているときが一番いいから。) (B笑っておるだけで楽しく幸せな気もちになる。常に明るく笑顔を絶やさない人になりたい。)日々(一日を生きぬく力)目標(目標があれば、それに向かって努力ができるから。)以心伝心(言葉に出さなくても心が通じ合うことがすばらしい。)友情(友達が一番大事だから。)一途(女らしさに一番「大切なのは一途だと思うからです。一途な女はかっこいい。一人の人を本気で想いたい。)自信(自分にないもの。自分に自信を持つことが目標。)友 (今一番大切だから。いろんな話ができるし、自分にとってかけがえのない存在だから。)自由(自由っていうのは素晴らしいと思います。自由っていうのは自分の好きなように動けるし何してもいいし、気楽です。)The Beautiful World(世界は美しくなんかない。しかしそれ故に美しい。この言葉を聞くと毎日が新しい気分になるので私はこの言葉が好きです。)天下統一(信長のように天下をとれるようにがんばりたい。時は金成り(時間を金に考えると、一分一秒無駄にすることは出来ないと思う。 時間は大切につかわないともったいないことをしたなと思う。)刹那(雰囲気が好きだし刹那に生きる。)神のみぞ知る(自分しか知らないみたいな優えつ感がなんかイイ。)鶏 (鶏は僕の生活を支えてくれる大切な生き物なので)臨機応変(よく聞く言葉。心がけておきたい言葉。)
2005年03月09日
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女生徒は、校長室でただひとりの卒業式を迎えた。「この子の髪の色はほんの少し茶色いだけで、」「卒業式に参加させてもらえないなんて納得できません」「髪の色が人と違うことはそんなに迷惑ですか?」と母親はいう。「中学校の入学式では、新入生を代表して堂々とあいさつ」するほどの、いわゆる優秀な生徒であったらしい。入学後、「いい子」に疲れて不登校になり1年半。久しぶりに登校したその日は2年後輩の入学式だった。「自分が変わりたくてうっすら茶色に染めた髪の毛が校則違反」だとの理由で「入学式には参加させてもらえず、それからの1年間は彼女の人としての自信もぼろぼろにされた」と母親はいう。 そして迎えた卒業式も、 「学校側の判断により」出席できなかった。またもや、「茶色に染めた髪の毛が校則違反だ」との理由で、学校での卒業式に出席させてもらえなかったのだ。入学式当時の娘の晴れやかな姿を思い出して、母親は「悲しみに涙がとまらない」。そして、母親は、「この子が3年間どれほど苦しんできたか悩んできたか、分かりますか?」「本当に最後までこのような扱いを受け、教育って何ですか。」と問いかけ、卒業式には「頑張りを認め」「将来を祝って皆と同じように送り出してほしかった」「親の役目としてそう言うべきだったと、今も後悔しています」と結ぶ。(毎日新聞2005/3/5「女の気持ち」より) 難しい問題だと思う。最近増加の傾向もあり、根は深い。教師・生徒・保護者の間に信頼関係が成立してなくては、いい教育がなされるはずがないのである。教師は教育を放棄したようにもとれるし、保護者は教師達への信頼を失い、むしろ、「ぼろぼろにされた」との言葉が象徴するように、娘がこうなったのは学校の対応が悪いからだ、との被害者意識を持つ。女生徒にも教師への信頼感は育っていないだろう。 その女生徒のことを思うと、この不幸な巡り合わせに胸が痛む。高校での新しい出会いを期待したい。大いなる未来が待っているのだ。自分の可能性を信じて、頑張ってほしい。夢を追い求め、明るく生きてほしい、とひたすら切望する。 学校では、今、教育という視点から少し外れた管理の要素が強くなったように思う。集団での画一性・平均性を重んじ、個の尊重を少しないがしろにしているのではないだろうか。ここでは、細かく分析するのを控えるが、教師や学校は、生徒個々への教育や対応そのものよりも、問題が起きることを恐れ、そうなることを極力避けているのである。そうせざるを得なくなった、そうするように変化していった社会的な風潮も見逃せない。 例えば、何か学校で事故や事件が起きたとする、保護者はすぐその責任の所在を追及する。そして、マスコミもまたそれ以上に学校の責任を追及するだろう。生徒の過失はともかくとして、保護者の監督、家庭での育児・教育の問題点よりも何よりも、学校側の責任を問うのである。 また、一般社会と隔絶した特殊な学校という小社会の中で、生活の殆どを過ごす教師には、一般社会人とは少なからぬ意識・感覚にずれがあると思う。その上、保護者・一般社会・メディアからの追及や、上からの政治的な締め付けもあり、安全パイを選択するようになったのかもしれない。 私たちは、戦後、個人の自由を尊重するあまり、個人の責務や一人一人の社会での果たす役割に対して、少し鈍感になってはいないだろうか。それが、知らず知らずのうちに学校や社会にひずみをもたらし、ひいては子供たちを追い詰めていく結果にも結びつくのではないかと思う。礼節をわきまえぬ大人や子供も増えてきた。次代を憂うのは早計だろうか・・ 最後に、昨秋11月に出版し、早くも2月に増刷された『地球の子供』(鎌田紗和著 美研インタ-ナショナル刊¥1365)から、詩の一部を引く。癒され、考えさせられ、心安らぐ絵本のような可愛い本である.「信じよう自分を」 太陽の光は エネルギ-となり うるおいの雨は やさしさを育む 寒風に向かえば 勇気と逞しさとを培い ひとり省みる夜は 忍耐と明日への希望を生む さあ もう一度チャレンジを 二度とない人生だから 信じよう自分を 夢はかなう と
2005年03月05日
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