ケニアの旅――貴女とサファリを 2






―― ニエリで雨に唄えば その1 ――



masayo1





厚い雲が垂れ込める早朝、2日間のアンボセリに別れを告げ、アバーディアへ向かう。
再びナマンガ・ゲートからナイロビまでとって返し、さらに北へニエリの町をめざす。
アバーディアは山岳地帯の森のなかに動物たちが生息している国立公園だ。
「Hちゃん、よくキリマンジャロの頂上を発見したね」
私は車中でHを労った。
「だって、みんな、あれは雲だって言い張るんだもん」
Hはふくよかな頬をさらに膨らます。
実はキリマンジャロ――――日中かすかに山の頂を垣間見せていたのだ。
雪が被ってあるからほとんど雲と区別がつかなかったのだ。
私たちは頑なに拒否していた。
「そう、あれはキリマンジャロの雪です」パトリックの裁定で、私たちはあっさり軍門に下った。
私はアンボセリ初日の夜、ロッジで書き綴った妻宛のハガキをMに見せた。
『―― 子どもたちは元気にしてますか?
 迷惑かけるけど、私は充実した毎日を送っています。
 昨日、厚い雲の切れ目に雪を戴くキリマンジャロの山頂と
地平線に沈む夕日を見て、
 ―夕焼けに溶かし込む様々な邂逅―が濃縮され、
涙がでそうになり、(もちろん流したけど)感動しました―― 』
こんな内容だった。真実よ何処へ?の脚色テンコ盛りだ。
しかしMはいつものように、―嘘くさー!―、―わざとらしー!―などと突っ込まない。
むしろ素直に文面に感動しているようだった。やっぱり、変な子だ・・・・・・・。
「ええなぁ。仲よさそうで」ハガキを返しながらポツリと漏らした。
『送り出してくれてありがとう。大好きだよ、ママ』なんて最後に書いてる部分をさしているのだろうと察した。
でも、その最後の部分こそ、すごく嘘くさいんですけど・・・・・・(笑)。
 Mは遠距離恋愛中だ。しかも足掛け4年だという。東京か大阪で月1回会うらしい。
昨日、そのことを聞いてはいけないことを聞いて損したような気分でいた。
サファリの日中は何もすることがない。私のロッジ前で身の上話などしてるとき、
「彼氏はいないの?次はMちゃん言う番ね。はやく楽になっちゃいな、カカカカッ」おっさんや。
「私、遠距離なんです。それで困ってるんです」普通軽く流すものだけど、いきなりあっさりと悩みを訴えるようにして漏らすMだった。やっぱり変な子だ。
Mに太鼓持ちさせる道中(というか私が腰巾着?)が、すっかり彼女の背後の彼氏の影が私を睨んでいるようで、少しばかりスタンスを変えざるをえなかった、なわけないかっ(笑)。
Mに得々と吹聴する私は恋愛王道研究家に変身だ。          
「うーん、それはもたん(バッサリ)。4年は奇跡だ。でもそれは付き合っているっていう形態じゃないよね(バッサバッサ)。だって考えてみ?月1回で4年なんて惰性以外の何ものでもないやん。あ、傍から見ての、よくある話だかんね。心がとっくに離れているのに状況を変えようとしないだけのことなんだよ(ドッカ―――ン)。だからさ・・・・・・・ワシなんかどぉ?(笑)」                                  
分かった風な口をきくとはこういうことだな、吾ながら呆れます。                     
「やっぱ、そうなんかなぁー」Mは心もとなく言う。
え?ギャグなんですけど・・・・・。
「せやせや、きっと東京には本妻がおるに違いない」よせばいいのに、とどめだ。
「そうかもしれん・・・・」
帰ってからのことはしーらーないっと。
「なんや・・・・いつもの切り返しはどしたん?」
それっきりで、話題は変えることにした――――。
マナンガ・ゲートを越える頃には雲はますます暗くなっていった。
車はガソリンスタンドで休憩となった。給油して即出発だが。
「さぁ、車に乗らないかん、ゆーときにかぎって、出そうに!なるっ!」
「マナブー・・・・・それ・・・・・マイナス500ポイント」
「えー!だって、アンボセリでさんざん『ゾウの糞や!ゾウの糞や!』言うて喜んどったやんか?」
「ゾウのはええねん!」
Mはキッパリ言い切った。
しかし、生理現象はしょうがない。
だが、ガソリンスタンド裏のトイレを借りたが、男性用の扉の鍵がいっこうに回らない。
仕方なく女性用のを拝借したが、水洗が壊れていて見事な山盛りであった。
先にMもSもHも用をすましていたはずだ・・・・・。
ばつ悪そうにワゴンへ戻る私へ8個の瞳が凝視していた。
フランクまでこっち見るな!
乾季の9月かと疑うくらい今日は雲っていたが、とうとうナイロビ近くから雨になった。
フランクはおっとりした性格とは裏腹に見事なまでに運転は荒かったが、それでもナイロビまでは5時間かかった。
ナイロビのホテルで買ったケニアの地図(690シリングもした!)を眺めていると、アバーディアへはまだ150キロ程北へ走らなければならない。
ティカ、エンブといった小さな町を通過する度に雨のドシャ降り状態が増すようだった。
気分まで滅入る。
ナイロビで海抜約1,700メートル。アバーディアはオルドニョ・レセティマ山の4,100メートルを最高に3,800メートル前後の山々を擁する山岳公園だ。
今夜宿泊する「ジ・アーク」ですら2300メートルを超える地にあるらしい。
アフリカで寒さ対策が必要とは全く心外だ。
 例のガソリンスタンドからパトリックは「ネコちゃん」たちの1号車に乗り移った。
彼女とお友達のKと、チビとノッポのコンビは「ダチョウに乗れる」公園へ寄るそうだ。
そんなオプションがあるとは露知らずだったが、私たち(たち?)4人は誰も興味がない。
逆にマサイ・マラへ入る前のマサイ族の村を訪ねるツアーは私たちのみ参加らしい。
これって奇遇?案外パトリックは侮れない男だと頭をかすめた―――。
それより、Mが盛んに勧めるオプションがあった。
「マサイ・マラでバルーン乗らへんの?皆乗るんやで。マナブー絶対後悔するで」
日の出前にバルーンを飛ばして、地平線から昇る朝日と広大な平原に戯れる動物たちを空から眺める約2時間のサファリの趣向だ。
バルーンを降りた所での朝食付きである。
「シャンパン付きブレックファスト」とガイドブックやパンフレットでよくお目にかかるやつである。
385ドルもする。
いくらなんでも高すぎる。
沖縄から北海道まで飛行機で往復できる料金だ。
シャンパン5本飲んでも元がとれないような気がする。ケチつけるわけじゃないけど(いえつけてましたね)。
「シャンパン言うても一人チビッと一杯くらいやろ?3本ワシにくれるんやったら考えるけど」
と嘯いたが、なんのことはない。銭が惜しいのと命が惜しいからだ。
高所恐怖症なのだから、どうしようもない。
「もったいない、もったいない」というMの勧誘攻勢。
「もったいない、もったいない」とかわし続けた。







 車窓からうねるように続く平原の丘と相変わらず降り続ける雨。
ときどき、コカコーラの看板などがあるキオスクがあった。日本のバス停のような木組みの簡素な作りだ。
わずかな日用雑貨や食料品を並べ、大概太った女が退屈そうに降りしきる雨を眺めている。
キオスクがあると小さな村がある。そして今朝から学習してきたのはナイロビ周辺はキクユ族が大半を占めることだ。
太った女が多いのはそのためだ。
「キクユ族の女性はみんな太ってます」パトリックが侮蔑を込めて言った。
ケニアは数ある部族のなかでキクユ族が人口の20%を占める。
マサイ族と違い、昔から農耕を営んできた部族らしい。
部族間の対立という構図は奴隷や植民地時代を経たアフリカのもうひとつの不幸な顔だ。
西の隣国ウガンダでやザイール(現コンゴ共和国)のフツ族とツチ族の血で血を洗う抗争はその典型である。いや、抗争というよりたんなる虐殺である。
時折だが、日本の新聞にも小さく紹介されている。
ケニアは独立の父ジョモ・ケニヤッタ大統領(現在は2代目ダニエル・アラップ・モイ大統領/1998年現在)以来、内政はアフリカ諸国では抜きん出て安定している。
「キクユ族の女性に綺麗な人はいない」と吐き捨てたパトリックの言葉も何となく愛嬌に聞こえないこともなくはない。
しかし、先祖代々続いてきた土地を追われるなど、部族間同士の不信や確執は根強く残っているはずだ。
パトリックは何族出身なのだろうか?
濃い墨色がかった肌に2メートルはあろうかという身長。そしてよくよく見ればなかなか男前な精悍な顔つき。
そして、これは彼固有の性格なのだろうが、どこか「冷めた感性」。
一方、運転手のフランクはアラブ系ということがすぐにわかる。
「サラーム・アレイコム(君に平和を)」と、アラビア語の挨拶を交わすのが私との定番になっていた。
フランクはとてもフランクな(洒落じゃないよ)ナイスガイだった。
 北へ向かうジープは少しずつ高度を上げていることがよくわかる。
車窓からはサバンナ特有の木々から、青く茂るバナナ園に変わり、どこまでも続いた。
雨のなか、灌漑用のスプリンクラーがせわしなくバナナの木々に水を浴びせていたのが可笑しかった。
バナナたちにも予定外の雨ですな。
道行く車の数はめっきり減った。
後続はダチョウと戯れてきた「ネコちゃん」一派だ。
生憎の雨で、そうそうにダチョウと別れて引き上げてきたのだろう。
「はいーー、もう行きましょう~~」Mにつまらなさそうに言うパトリックの物真似をした。
「そやそや(笑)、似てる。さっきのハガキの字もうまいし、顔に似合わんと!結構器用やね」
「顔に似合って、でしょ?顔はその人の人生が形作っていくの」
「かわいそ~~マナブ~~、もぅそれ以上言わんでええよぉ~~(涙)」
「いやっ、聞いてくれっ(笑)」
「ほんでな、私も絵は結構得意なんよ。中学生のとき、出品した奈良公園の鹿の絵はわりと評判やったん。でも、先生言うねん。『画用紙がこんなに破れてなかったら、もっとよかったのに――』って」
「どしたん?(もう想像ついちゃったんですけどね)」
「奈良公園て、鹿が多いやんかぁ~~。座って書いてたら、後ろで誰かがゴソゴソするねん。なんやと思うて振り返ったら鹿と顔があってん。そしたら、鹿が紙食べてん。紙食べるの白ヤギさんだけやなかったんや。そんでな、鹿に紙食べられたやんか?展示してある私の絵見て友だちが『これ、どしたん?』
『鹿に食べられてん』また違う友だちが『これ、どしたん?』『鹿に食べられてん』また違う友だちが
『これどしたん?』『鹿に―――』て、説明はもうええわっ!って(笑)」
Mは会ったときからいい意味の風変わりな面を持ち合わせていたが、悪い意味で(笑)その他大勢と一緒の面も持ち合わせていた。
それは、関西人によくありがちな、「自分の話ばかりでひとの話はあまり聞いてない」ことだ(笑)。
いつも大笑いさせてもらっていたが、今回は彼女のネタの披露は控えめに笑った。
今日はどんよりした雨雲、そして雨だ。開放的な青空は広がっていない。
そして、前におとなしく座っているSとHにちょっぴり気兼ねもしたからだ。
 長く続いたバナナ園が途切れると、山林に変わった。
山林の合間にはわずかながら畑も見え隠れしている。
 やがて、ナイロビ通過以来、はじめて町らしい町に着いた。
ここが、アバーディア観光の拠点の町、ニエリの町だった。
朝6時にアンボセリを発ち、今時計の針は1時近くを指していた。
「あー、やっとメシにありつける」
パトリックが同乗してたら、もちろんこんなことは言わない。
「はい、お疲れさん、マナブー。もうシッポだしてもええよ」
「ああ、えんか?さっきからお尻がムズムズしてて」
二人のテンポのよい掛け合いも車から降りるまでであった。
「おおっ!さぶっ!」
限りなく黒に近い空の下とはいえ、ここは赤道直下の町、ニエリ。
なのに、日本の真冬なみの寒さであった。慌てて、革ジャンパーを半袖のシャツの上に羽織った。
皆も、慌ててスーツケースから防寒着を引っ張りだしていた。
Mだけは薄いTシャツのままだ。
「見るだけで寒いから何か着て!」Sからおせっかい光線を浴びせられていた。
「え?寒いですぅー?私、全然感じないんですけど」その鳥肌はなんよ(笑)。
皆、歯をガチガチ言わせながらテラス席での食事だった。
そんな私たちをよそに、庭では寒空に意を介さないかのように、湿った芝生の上を優雅に孔雀が歩いていた。
ここは、アバーディアへの拠点となるホテル。森林公園には二つのロッジがあるが、どちらのホテルも
大きな荷物はニエリにある同系列のホテルへ置いていく決まりである。
私たちが宿泊する予定である「ジ・アーク」は「カントリークラブ」に荷を預け、もう一つの英国エリザベス女王が滞在中、父ジョージ6世の訃報により王位を継承したロッジとして有名な「ツリートップス」は「アウトスパン」に預ける。
当初はツリートップスに宿泊予定であったがナイロビ以降、パトリックの説明によると二転三転し、結局ジ・アークに落ち着いたようだ。
しかし、私たちが食事を採っているホテルはアストスパンだった・・・・・・。
 ケニアではサファリ中は、宿泊するロッジが提供する食事か、キャンプでの自炊である。
各ロッジは三度の食事のみならず、日本人を除き、ほぼ長期滞在型の客が大半であるため、食事内容には特に気を使っているといえる。
アフリカ、フランス、イタリア、インド、まれに中国料理と多彩な品揃えのビュッフェスタイルだ。
好きなものを好きなだけ食べればいいシステムだ。
ただ、残念なのは、ケニアのケニアらしき食事がなかなかお目にかかれないことだ。
主食でいうと、バナナを煮て磨り潰した「マトケ」、トウモロコシ、キャッサバ(芋科)、小麦をこねて
蒸した「ウガリ」、豆、ジャガイモ、緑茶、バナナを煮て磨り潰したキクユ族の「イオリ」など。
焼肉=ニャマ・チョマは、「カーニヴァル」で食べたけど、ただの焼いただけの肉。
「なんや、味もコクもないカレーだこと・・・」寒さのせいもあり、アウトスパンの食事にまで不平を言う私。
「つくってくれたものに文句を言わないっ」間髪いれず、テーブル斜め右から声がでる。
言わずと知れたSである。Mは相変わらず華奢な腕に鳥肌をたてて、うつむいて笑いをかみ殺している。
遅めの昼食でお腹はペコペコであったが、早々に切り上げ、Mに私の膨大な荷物の番を命じ、切手を求めて売店を探すことにした。
Mに車中で読み聞かせた、アンボセリで書いたハガキをここから出すつもりでいた。
 雨は小降りになってきた。
かわって、薄い霧があたりを覆いはじめていた。冷気はますます肌に突き刺すようだ。
ホテルの半地下に売店はあった。
8畳ほどの広さのこじんまりした店だ。
「ジャンボ・ブアナ(こんにちは)」
「ジャンボ」彼女も微笑んで応答する。
スワヒリ語で知っているのはこれくらいだ。
カウンターにいた女性にハガキをみせる。
しかし、私は決定的な過ちを侵していたこと、その夜、アバーディアのホテルの部屋で暇をもてあましてパラパラとページをめくって眺めていたガイドブックにより知った。
「ブアナ」は「男性」への称号で、「女性」に対しては「ヒヒ」になることを―――。
つまり、女性への挨拶は「ジャンボ・ヒヒ」が正しい。
そのとき私はそんなことも知らずに必要以上に愛想を振り撒いて切手を買った。
 売店からロビーのレセプションに向かう。
「ジャンボ・ブワナ。ハバリ・ヤコ?(ご機嫌いかが?)」ボーイが愛想を振りまく。
ケニアでは、この陽気な印象のある「ジャンボ」でなにもかもが事足りそうな気がする。
「ンズリ・サーナ(いいですよ)」
このハガキをレセプショの男に渡すのを一瞬ためらった。
あまりにも空々しい内容だったから(笑)。
もう一度、読み返してみた。
『――子どもたちは元気にしてますか?
 迷惑かけるけど、私は充実した毎日を送っています。
 昨日、厚い雲の切れ目に雪を戴くキリマンジャロの山頂と
地平線に沈む夕日を見て、
 ―夕焼けに溶かし込む様々な邂逅―が濃縮され、
涙がでそうになり、(もちろん流したけど)感動しました――』
しかし、結局、次に向かったホテル、カントリークラブのレセプションでハガキをだした。
美化された心象風景もまた「旅の真実」であると、思い直してみたのだ。
 アウトスパンのホテルを出ると、いつのまにか深い霧がすべてを包み込んでいた―――。



―― 眠れる森のアバーディア ―その1 ――






「26才かぁ~、ええときやなぁ~。どないにでもなるなぁ~」
「どないにでもってなによ、マナブー!」
カントリークラブから軍用トラックのようなバスに揺られながらアバーディアのロッジへ向かう。
道はもちろん舗装などされておらず、急斜面をすごい轟音をたてながら走るので、自然と二人の声が大きくなる。窓の外はペンキを塗りたくったような白い霧一色だ。
「でも、月1回土日だけ会う関係とかって、何かさびしいとか物足りなくない?」
「うーん、慣れやな。技術系やし、転勤はしょうがないし――」続けてMはこぼす。
「でも、今回の旅行前な、ケニアの爆破事件とかあったやん?」
「ああ、あれには笑わしてもらった。もちろん、事件のことじゃないよ。実は前から『ここへ行きたい』と思った国や地域が必ずいうてええほど「政情不安定」になるんや。91年はトルコ、思うたら湾岸戦争、それでペルー行くことにしたら内戦や。92年のモロッコは西サハラと戦争、アルジェリアと交戦。
93年の嫁ハンとの新婚旅行は出発当日日本人が強盗に殺されて渡航延期勧告や。なかなか行けんかったイエメンも内戦に。スーダン行きたい思うたら内戦やらテロやら。ザイールも内戦でアカン。今回のケニアも間一髪やろ?ワシ・・・・・・・嵐を呼ぶ男やん・・・・・・・」
なんだか回想しながらいやになってきた・・・・・。
「そんなん、さきに言うとってよ。それでね、彼氏が『行くのやめろ。行くんだったら別れろ』言うんよ。で、ケンカしてそれっきりやったけど、私、納得できないから電話してん。で、一生懸命説明すんねんけど、『俺がどれだけ心配してるのか知ってるか?どっちが大事だ』って言うからいやになったわ」
スプリングの壊れかけた座席でデコボコ道に揺られながら、大きな振動の度に二人同時にジャンプしながら恋愛痴話ゴッコ。
「彼氏、そんなムチャ言うたらいかんやん。ワシだったらもう別れる(笑)。あなたんとこ大きな会社やん。合コンとかいっぱい舞い込んでこん?」ピョン。
「そんなにこないよ。マナブーこそ多いやろ?盛り上げ要因で(笑)」ピョン。
「こないこない!目がぎらついとるから危ないいうて(爆笑)」ピョン。
「せやな(笑)」ピョン。
せやな。ピョンピョンピョン。
 外は、これ以上濃くはできないような霧とガスのみの世界だ。
バスは身が重そうだが、確実に高度を上げている。
いきなり停車した。一人の男が乗り込んできた。
「ジャンボ」と、誰に言うでもなく、か細く言う。細身に赤い布を覆ったお馴染のマサイさんだ。
観光客のバスを止めてヒッチハイクだろうか?
アバーディアは山岳公園とはいえ、なかなか侮れない。
水牛やヒョウなどまだしも、ライオンやゾウまで生息しているというから驚きだ。
サバンナで馴染みある動物が標高3,000メートル級の山岳にもいるのだ。
ニエリの道中の太い雫の大雨といい、赤道直下の自然はとても劇的だ。
しかし、Mとの会話は全然、劇的じゃない。
「今度、絶対彼氏と四国に行くから案内してね」と、彼女は話を締めくくったのである。
おいおい、どこでどう結ばれての、この結末ですか?
 振動激しいバスが徐行しだすとそこには動物がいる(らしい)。
霧の合間からなんとかバッファローを見ることができた。
バッファローもなんとか私たちを見ることができたに違いない(笑)。
「動物を見に来てるんじゃないんだよねっ。動物に見られに来てるんだよねっ」
「特にあやしいマナブーをなっ」
バスは私たちがわけがわからないまま停車を繰り返し、何度目かの停車でスーツを着込んだモデルのような長身の女性が乗り込んできた。
ロッジに到着したのだろうか?女性はなにか説明しはじめた。
「レセプションかな?綺麗なひとやな~~」彼女に向けてビデオを撮りはじめた。でも、すぐやめた。
前方にいたノッポとチビコンビが彼女の流暢なキングスイングリッシュ攻めにあいだしたのだ。
困惑して、こちらを振り返っている。怯えたリスのような目つきで(笑)。
もちろん、私はビデオカメラを膝のうえにしまい、彼らと目をあわせないように、視線は窓の外。
「マナブー、なに今、黄昏てん。ひどいやっちゃ!」
「あんたこそ、大学は英文科言うてたやろっ!」
ヒソヒソ罵りあううちにレセプションの女性は矛先を変えて、やがて降りていった。
パトリックは、私たちが荷を預けたカントリークラブに宿泊したままで彼がいないことに一抹の不安を覚える。
気づかなかったが、満員バスのなかは私たち8人以外もほとんどが日本人のようであった。
「植民地政策で広められた英語は話さん主義や」私は堂々と胸をはった。
「まぁ・・・・・ベッピンのジョナサンならマナブーなんか最初から相手にしーへんわ」
「ジョナサン?なんで名前知ってるん?」
「だって名札に書いてたやん」
「相変わらず視力がいいんだね」
「私、毎日コンピューターいじってて乱近視なん」相変わらずよくわからん―――。
ホテルは細長い高床式で、建物の構造は船を見立てているらしい。
その昔は動物研究のために建てられたらしく、ロッジ内は無駄という無駄を省いた構造で、サバンナにある優雅なロッジとは趣を異にする。
3階建てで、それぞれ動物観察のためのコーナーが設けられている。
ここで居ながらにしてサファリを堪能するわけだ。
森を切り開いて造られた人造湖に岩塩をまぶし、それを目当てに動物が訪れるという。
暗闇にサーチライトを照らし、真夜中でも動物が来ると、部屋にブザーで知らせてくれる。
「24時間営業。コンビニみたいなサファリやな」とM。
「コンビニ?お手軽な、女、もいてるしな(笑)」と私。
「それ、誰のこと言うてん?」Mと聞きつけたHまでが口を尖らせる。
「さ~てね。じゃあ、また、部屋に遊びに行くから。チュッ」
「キャー、鍵かけとかな」
彼女たちは間違っている。
このホテルの部屋には消防の関連からか、「鍵がない」、のである。
階段で別れた。私は2階のC-10、二人はBの階へ移っていった。
何かの手違いからか、二人だけ3階のBであった。
「ビューティフルのB」とポーターに告げられ、二人は狂喜乱舞していた。
さて、私のC-10、重い木の扉を開けると、すぐ足元がベッドだった。
そしてベッドの横は一人がようやく通れるくらいの隙間があるのみで、枕元上が格子窓。
聞きしに勝る狭さの部屋に唖然とし、思い浮かべるのは独房だ。
窓からも動物を観察することは可能なのだろうが、開けるのはやめておいたほうがよさそうだ。
灯りに呼び寄せられ、大量の虫がなだれ込んでくるに決まっている。
ベッドの脇に赤いボタンがある。
スイッチをオンにする。そうしておくと、夜中寝ていても、ブザーで珍獣の来訪を知らせてくれるのだ。
「えーと、ゾウやライオンが1回、サイが2回、ヒョウが3回だったっけ?」
いずれにしても、ここでひたすらブザーを待つのがこのホテルの唯一の楽しみなのかもしれない。
一人がようやく立てるくらいのシャワー室で、水のシャワーを浴びて、部屋の扉をもう一度確認してみたが、やはり扉には鍵がついていなかった。
私はさっそく迅速な行動にでた。
Mたちの部屋にお邪魔してみることにした(笑)。
廊下がギシギシ鳴るたび、なぜかドギマギしながら3階へ昇り、めざすB-38。
ノックすると、Hがさきほどと同じ格好で立ちはだかった。チェッ(笑)。
Hもいたのか、あっ、そういえば、彼女たちはいつも相部屋だった。チェッ(笑)。
「なんや、マナブー!ホンマに来たんかいなっ」と奥から、というかすぐ目と鼻の先から(笑)M。
「アバーディアへようこそ?ブランケットを追加いたしましょうか?」
「わぁーわぁーありがとう・・・・ってなんで英語劇なん(笑)マナブー、英語喋れるやんかっ」
「あんたもなっ(笑)」
それから二人は鍵がないことを真剣に騒ぎ始めた。
私を「用心棒として外に立たせる」か「いや、そのほうが危ない」ということを真剣に議論しはじめた。
私はベッドにもぐりこんで、二人の話を笑い転げて聞いていた。







しばらく笑ったあと、3人は夕食時間のためレストランへ移った。
レストランは比較的ゆったりしていた。
レストランの大きな窓からマングースが横切っていくのが見えた。
「ねねねねねねねねっ!あれ、ジャネットよ!」二つ隣の席から声がする。Sである。
指摘するのは、ナイロビからずっと培ってきた傾向と対策のため、やめておいた。
Mは「へぇー」と相槌を打つ。
Sはアンボセリで黒白模様の白部分が土で汚れているのを「チャップマン・シマウマ」と頑なに主張した。シマウマは3種いる。細い縞模様の「グレービー・シマウマ」に、「グラント・シマウマ」。
グレービーはおもにケニアのサンブール国立公園に生息している。チャップマンはグラントの亜種で縞の間にも淡いストライプの線が入っている。
「チャップマンはアンボセリにはいません。いたら私も見たいです」
いつものように欠伸交じりで、パトリックに言われてもSはなおも食い下がる。
「だって~ほらみてみて。茶色のストライプがあるのに~」
だから土で汚れてんだって!
Sにかかかれば、一事が万事、このような出鱈目な動物観察記になるのだ。つきあうつもりは毛頭ない。
それに、私が今回のケニアの旅は、「クロサイ」一点買い、なのである。
 興味本位にウェイターに「ベジタリアン」と伝えたばかりに、小麦と野菜をこねてつくった味も素っ気もないハンバーグにがっかりして隣のMに譲り、かわりに彼女のステーキを奪い(笑)、それを噛み砕きながら、ふと疑問に思ったことがある。
ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」の冒頭に登場する、頂まで登ったヒョウではないけれど、こんな高い山系にどうして多くの大型動物がいるのだろう?
道なき時代にどうやってゾウたちは登ってきたのだろう?
ヘミングウエィ流に、――誰も正確な答えを知らない――のだろうか。
 そのとき、レストランの照明がすべて落ちた。
すると、コック帽を被った男がうやうやしく花火が散るデコレーションケーキを、私たちの3つ向こうのテーブルに運んだ。誰かの、誕生祝いだった。
そのテーブルはイタリア人グループだ。
ロッジはどうだか知らないが、サファリ中もよく見かけた一団だ。北欧人や英国人たちと違い、イタリア人も日本人と同じで「旅は集団でたたわしく移動するもの」らしい。
この分だと、ナクルでも会うかな?と思っていたが、案の定、ナクルの同じロッジでみかけた(笑)。
そして、ご丁寧にもマサイ・マラでも遭遇した。
「みんなのなかで、誰か今日誕生日のひと、いないのぉ~?」ネコちゃんが騒ぐ。
ネコとSの相関関係もなかなかおもしろい。
二つのグループを先導する宿命にたつ(つもりの)二人が、こうして食事中のみ合いまみれる。
仕切り合戦ですな。
ハッピーバースデーの歌声が遠くに感じた。
胸をかすかに締め付ける空虚さが入り混じった。
「いったい、ここで何してるんだろう?」帰国時が、ちょうどその日が長女の4歳の誕生日だった。
「マナブー、実はさみしがり屋さんだろ?」Mの声で我に帰った―――。

 部屋に帰っても、明日の衣服を詰めたデイパックのみなので、荷造りをするわけでもなく、しばらくボーッとしてみたが、いつもボーッとしてるので、わざわざ旅先でする必要もない(笑)。
もう一度冷たい水のシャワーを浴びる気もなく、持参したガイドブックのスワヒリ語入門などを眺めていた。もちろんすぐに飽きた。
夜の帳はすっかり落ちて、草木も眠る時間になった。寒さが骨にまで染み入るような冷気だ。
暖房器具などなく、煎餅のような布団にジャンパーのままくるまった。
-寝るんじゃないもんね。ちょっと寒さを凌ぐだけだもんね-
そう、言い聞かせながら、きっともうすぐご対面できるであろう、正面を見据えたやさしいまなざしのクロサイを想った―――――。

 ブザーが鳴った―――――。
たしかに2回鳴った。
枕もとに置いてあった時計はすでに4時だった。すでに明け方だった。
ブザーが鳴った夢で目覚めたのだ。
アバーディアでの一日は寒さと闘う眠りで終えた。
「いったい、ここに何しに来たのだろう?」
虚しさが、乗る気もないバルーンを膨らますように誇張した。
ここはアバーディア山岳国立公園。山林地帯で「居ながらにして」動物観察ができるロッジにいる。
今朝まで、ここで見た動物は夕食時のマングースのみだった。
朝の支度などすぐに終えた。熱い湯がそのうち出るかもしれないと、もう一度シャワーを浴びたが、やっぱり冷たい水をひたすら冷えた体に浴びせるだけだった。
窓の外はコバルトブルーの空が今か今かと朝日を待ち受けていた。
本日は快晴。唯一救われた心象風景だった。
独房の部屋にいてもすることができないので、1階のトーチカみたいな設備の観察室に行ってみた。
レンガを寄せ集めたトーチカの間から細い三日月があった。
そして、森の奥から淡い光がさしてきて朝を告げようとしていた。
背後にひとの気配がした。
「昨日、どうしたの?ブザー鳴ったでしょ?ゾウの大群やクロサイ来たのよ」Sだった。
「ああ、寝てしまって。夢のなかでサイと逢いましたけどね」
しばらく、言葉を交わすこともなく、二人で朝焼けの変化を見つめていた。
午後6時過ぎ、紫色の空に木霊するようにブザーが鳴った。2回だ。
トーチカに移動すると、クロサイの親子が辺りを用心深く探りながら、水辺に近づいてきていた。
母親の一歩が幼子の10歩ほどで、臆病なその子どものサイは常に母の側面を保とうと、せわしなく、弱々しく歩をとっている。
写真を撮りつづけるSを横に、私は愛しい親子を、肉眼で見守り続けた。
やがて、トーチカの隙間から消えたサイの親子の上には月が最後の光を空に放っていた。
ここは私だけの世界だ。
サイの親子を眺めつづけながら、私は別のことを重ね合わせて考えていた。
Sはまだカメラを離そうとしない。
彼女は実に「純粋」な動物好きな博愛主義者なのかもしれない。
私は、サイの親子と、愛する妻と心やさしい長女の姿を重ね合わしていたのだ――――。



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