Dog photography and Essay

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セント・ポール教会

「マラッカ/セント・ポール教会」


ポルトガル人がキリスト教布教の、
拠点として1521年に礼拝堂を築いた。

1545年に、フランシスコ・ザビエルは、
この地から日本に向かったとの事。


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また、フランシスコ・ザビエルの死後、
1553年には一時遺骨が9ヶ月間安置
されていたとガイドは話してくれた。

初期の礼拝堂は、当時マラッカ海峡を、
荒らし回っていた海賊たちに破壊された。


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地元の信者の熱い要望で1590年に再建され、
オランダ時代も使われたが、後に要塞化し、
イギリスによって再び破壊されてしまった。

現在も廃墟のままとなっており、
マレーシアの歴史を語る貴重な建物である。


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フランシスコ・ザビエル像の右手を見ると、
右手首からもぎ取られている。

何故なのだろう?
マラッカ海峡を海賊が、
荒らし回っていた頃は、この像は無かった。
では一体誰が?何の目的で?


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サンチャゴ砦の背後の丘に建つ教会だが、
その当時は礼拝堂だったがオランダ占領後、
「セント・ポール教会」と名付けられ。

その丘に立って、マラッカ海峡を写した。
遠くに船が写っているのが見えるだろうか?


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「セント・ポール教会」の中に入った。
中には何の生活空間も無かった。

全てのドアーが破戒されたままだった。


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その昔、海賊が破壊したそのままなのか?
そんな訳は無い?日本軍もここへ来ている。
調べると最期の植民地にしたイギリスが破壊した。

ここは要塞として使われたに違いない。
そんな事を思いながら、教会内部で考え、
誰も居なくなり急ぎ内部を撮影した。


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「マラッカ/サンチャゴ砦1」


マラッカはヨーロッパ各国の支配を受けて、
東西貿易の中継地として繁栄してきた。

ポルトガルがマラッカを占領した
16世紀はじめに造られたサンチャゴ砦。


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しかし、マラッカを支配したオランダに、
要塞として使われたのだった。

当時は東洋一の堅牢さを誇り、
セントポールの丘全体を取り囲むほど、
大規模なものだったと言われている。


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次に、イギリス統治時代にはこの要塞は、
破壊されることになり、現在は門を残すのみ。

サンチャゴ砦にのぼってマラッカ海峡を、
見渡せば、3つの国による植民地支配の、
歴史を垣間見るようであった。


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ポルトガルが東西貿易の橋頭堡として、
1511年築いたセントポール丘を取り囲んだ要塞。

現在は門の部分のみが残るこの地を、
地元では「ファモサ」と呼ばれており、
マレーシア最古のヨーロッパ建築である。


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そのセントポール丘より遠くを眺めると、
西洋文化の残した風景がそこに広がっていた。

この日も気温は33度と真夏のような気候。
このマレーシアは、熱帯地方であり、
一年を通して33度以上の気温であるが、
夜中から明け方には10度以上下がった。


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次に方向を変えて見下ろした景色を撮影。

前方に小さく青い三角旗が見えるが、
これが我々の上海から参加した中国人達。

傘を差した人たちも居るが兎に角暑い。
日差しが肌を刺すような暑さだった。


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セントポールの小高い丘に建てられた、
サンチャゴ砦のところで30分以上時間を、
費やし、その姿を再度画像に収めた。


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接近してそのサンチャゴ砦を画像に収めた。
入口なども直径10センチはあろうかと思う、
ポールで加工してあり、結構頑丈な作り。

だが、その当時の建築技法の中で、
このようなポールが使われたのだろうか?


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「マラッカ/サンチャゴ砦2」


地元では,「ファモサ」と呼ばれている。
その砦を「サンチャゴ砦」と言い、
敵の攻撃から守るための要塞であった。


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オランダ広場にある「スタダイス」は、
さすがに博物館の為人気ナンバーワン!

そのナンバーツーの人気の撮影スポット。


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1511年にオランダとの戦いに備えるため、
日本でも鉄砲伝来で知られるポルトガルが、
この周りに大砲を設置したと言う。 


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椰子の木であるのだろうか?
綺麗に葉がカットされ、
枝も揃えてあった。

この付近のみが、このような、
綺麗にカットされていた。


DSCF0121.jpg


そして、この「サンチャゴ砦」は、
ポルトガル人によって建てられた。

オランダ軍との戦いの時に使ったとされる、
大砲の横にイスラム信者の女性が座っていた。



DSCF0124.jpg


サンチャゴ砦の隣りに大砲が設置され、
その大砲の中を覗き込んだが、
火薬を詰めるのも大変な作業だし、

火を点けて、その爆発力で、
大砲の弾を弾き出す。
これで、よく相手を倒せれたものだ?と
思ったりもした。


DSCF0126.jpg


サンチャゴ砦の直ぐ前に大砲の銃身部分が、
綺麗に磨かれていた。

近所の現地の人に聞いたが、
知らないですよそんな事と何か怖いものでも、
見たような表情で慌てて立ち上がって去った。


DSCF0127.jpg


私は思った。サンチャゴ砦の直ぐ前である。
右横などに置かれていた大砲とは、
はっきりとその銃身の色が違っていた。

観光客が何度も触っては、人の手で、
磨かれたのではないだろうかと思った。

そんな時に、イスラムの女性がスカーフを、
頭から被り、サンチャゴ砦へ入っていった。

私は、その姿を撮り更には後を着いて行こうと、
構えた時、もうそれで終わりですよと、
中国人ツアー客の中国人医師。


DSCF0128.jpg


そして、仕方なく地元の若者男女を撮影した。
女性の方は、少し日本語を話せ、
有難うと私に言った。

何故、日本人って分かったのだろう?と言うと、
中国人は「さっき大きな日本語で彼女達に声掛けた」
と、私に言ったが良く考えると、

「こっち向いて!」と、言ったような・・・、
英語と中国語それに日本語で話し、
英語は危なかったが、日本語も危ないと思うこの頃。


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「マラッカ/サンチャゴ砦2」


地元では,「ファモサ」と呼ばれている。
その砦を「サンチャゴ砦」と言い、
敵の攻撃から守るための要塞であった。


DSCF0118.jpg


オランダ広場にある「スタダイス」は、
さすがに博物館の為人気ナンバーワン!

そのナンバーツーの人気の撮影スポット。


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1511年にオランダとの戦いに備えるため、
日本でも鉄砲伝来で知られるポルトガルが、
この周りに大砲を設置したと言う。 


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椰子の木であるのだろうか?
綺麗に葉がカットされ、
枝も揃えてあった。

この付近のみが、このような、
綺麗にカットされていた。


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そして、この「サンチャゴ砦」は、
ポルトガル人によって建てられた。

オランダ軍との戦いの時に使ったとされる、
大砲の横にイスラム信者の女性が座っていた。



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サンチャゴ砦の隣りに大砲が設置され、
その大砲の中を覗き込んだが、
火薬を詰めるのも大変な作業だし、

火を点けて、その爆発力で、
大砲の弾を弾き出す。
これで、よく相手を倒せれたものだ?と
思ったりもした。


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サンチャゴ砦の直ぐ前に大砲の銃身部分が、
綺麗に磨かれていた。

近所の現地の人に聞いたが、
知らないですよそんな事と何か怖いものでも、
見たような表情で慌てて立ち上がって去った。


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私は思った。サンチャゴ砦の直ぐ前である。
右横などに置かれていた大砲とは、
はっきりとその銃身の色が違っていた。

観光客が何度も触っては、人の手で、
磨かれたのではないだろうかと思った。

そんな時に、イスラムの女性がスカーフを、
頭から被り、サンチャゴ砦へ入っていった。

私は、その姿を撮り更には後を着いて行こうと、
構えた時、もうそれで終わりですよと、
中国人ツアー客の中国人医師。


DSCF0128.jpg


そして、仕方なく地元の若者男女を撮影した。
女性の方は、少し日本語を話せ、
有難うと私に言った。

何故、日本人って分かったのだろう?と言うと、
中国人は「さっき大きな日本語で彼女達に声掛けた」
と、私に言ったが良く考えると、

「こっち向いて!」と、言ったような・・・、
英語と中国語それに日本語で話し、
英語は危なかったが、日本語も危ないと思うこの頃。


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「マラッカ/サンチャゴ砦2」


地元では,「ファモサ」と呼ばれている。
その砦を「サンチャゴ砦」と言い、
敵の攻撃から守るための要塞であった。


DSCF0118.jpg


オランダ広場にある「スタダイス」は、
さすがに博物館の為人気ナンバーワン!

そのナンバーツーの人気の撮影スポット。


DSCF0119.jpg


1511年にオランダとの戦いに備えるため、
日本でも鉄砲伝来で知られるポルトガルが、
この周りに大砲を設置したと言う。 


DSCF0120.jpg


椰子の木であるのだろうか?
綺麗に葉がカットされ、
枝も揃えてあった。

この付近のみが、このような、
綺麗にカットされていた。


DSCF0121.jpg


そして、この「サンチャゴ砦」は、
ポルトガル人によって建てられた。

オランダ軍との戦いの時に使ったとされる、
大砲の横にイスラム信者の女性が座っていた。



DSCF0124.jpg


サンチャゴ砦の隣りに大砲が設置され、
その大砲の中を覗き込んだが、
火薬を詰めるのも大変な作業だし、

火を点けて、その爆発力で、
大砲の弾を弾き出す。
これで、よく相手を倒せれたものだ?と
思ったりもした。


DSCF0126.jpg


サンチャゴ砦の直ぐ前に大砲の銃身部分が、
綺麗に磨かれていた。

近所の現地の人に聞いたが、
知らないですよそんな事と何か怖いものでも、
見たような表情で慌てて立ち上がって去った。


DSCF0127.jpg


私は思った。サンチャゴ砦の直ぐ前である。
右横などに置かれていた大砲とは、
はっきりとその銃身の色が違っていた。

観光客が何度も触っては、人の手で、
磨かれたのではないだろうかと思った。

そんな時に、イスラムの女性がスカーフを、
頭から被り、サンチャゴ砦へ入っていった。

私は、その姿を撮り更には後を着いて行こうと、
構えた時、もうそれで終わりですよと、
中国人ツアー客の中国人医師。


DSCF0128.jpg


そして、仕方なく地元の若者男女を撮影した。
女性の方は、少し日本語を話せ、
有難うと私に言った。

何故、日本人って分かったのだろう?と言うと、
中国人は「さっき大きな日本語で彼女達に声掛けた」
と、私に言ったが良く考えると、

「こっち向いて!」と、言ったような・・・、
英語と中国語それに日本語で話し、
英語は危なかったが、日本語も危ないと思うこの頃。


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