Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

上海植物園2


「上海植物園7」


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旅行費用をATM機で振込みをしようと家のカードと、
通帳で振込みする予定が、カードの暗証番号を間違えてしまい振込みできなくなり、
一旦家に帰り暗証番号を聞いたが、長い間使っていなかったので、
自分が作ったカードの暗証番号を忘れてしまっていた。

私個人のカードの暗証番号は家のカードの番号とは違っていた。
両方とも私が作ったカードであるが不覚をとってしまったと妻に告げると、
いい加減にして下さいよ!これからも使っていくのですからね。と、
言われたが、使用不能なのでどうしようもなかった。


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前回のブログにも書いたが、結局旅行代金は私のポケットマネーが、
入っているカードで振り込んだ。振込みには成功したのであるが、
慌て者の私は違う口座番号へ振り込んでしまった。その時には気付かず、
女房にも違う通帳から振り込んだよと言い、
えっ!そんな通帳が有ったのと、とんだ失態劇であった。

しかし、振り込んだ先が違う事は、名古屋の旅行社へフリータイムにコースを、
追加して頂くべく伺った。その時に旅行社担当から、
まだ振込み入金を確認しておりませんとの言葉に、
ATM機の振込み明細書を見せたところ、この振込み先は、
私共ではありませんねとの言葉に振込先を間違えた事に気付いた。


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その場では、旅行に行った先で必要になる現金を、
40万引き出していたので、そのお金より旅行社へ支払い領収書を頂いたが、
心の中は落ち着かなかった。なぜならば振り込んだ先の電話番号を調べたが、
日本で只一つフリーダイヤルの登録しかなかった。

そのフリーダイヤルへ電話したものの、営業時間外だったので、
冷たいテープ音しか聞けれなかった。銀行のフリーダイヤルへ、
電話したところオペレーターが出た。事の仔細を話すと、
自分の事のように声のトーンを下げて悲しい表情の声で指示を下さった。


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三菱東京UFJ銀行の指示通りの地元電話番号へ電話し、
私のような振込み違いが多いのか冷静な対応をして下さった。
地元銀行の指示通りにその銀行へ行き番号札を手に持ち順番を待っていると、
係りの人が私の傍へ来て窓口に案内して下さった。

簡単に用件を話した後、番号札を受け取ったので、
既に銀行側では全ての書類を準備して待っていたのだろうと思った。
私の電話に出られた人と同じ女性と言う事が分かった。
手数料を860円お支払いし組み戻しの手続きを取って頂いた。


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銀行ではいつ頃返金されるかは分かりませんが、
先方に連絡を取らせて頂きますとの事だった。その事を妻に話すと、
もう本当に迷惑な話だね~と語りだし、銀行もそうだけれども、
振り込まれた相手なんて最悪じゃないの?などと・・・。

そして昨日銀行から私の携帯に電話連絡で、先方様からお金の返金がありましたので、
お客様の口座へ「シキンヘンキャクブン」との名目で振り込みましたので、
安心して下さいとの内容。妻に詳細を連絡し、通帳記入を依頼したが、
元々私の通帳は妻には内緒だったので薮蛇になってしまった。
痛し痒しってとこですかね。次回は、
CANONサービスセンターでの対応についてのレポートを更新。


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「上海植物園8」


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私が一眼レフカメラを手にしたのは10才小学校4年生の時だった。
私の父がカメラマンという職業柄から余分な古いカメラを私にくれた。
しかし、大人になって思えば、職業に使っていたカメラを、
いくら実の息子とは言え簡単にあげることなど変であった。

なぜならば、小学校の記憶ではそれほど裕福な家庭ではなかったからだ。
私の産みの母は自殺して私は5年半の歳月半年ずつ3箇所の親戚にお世話になった。
父は遠くの地で再婚し9才の私を引き取ったが、
私があまり寂しそうにしているのを見て、
その後ろめたさにカメラをくれたのかとも思った。


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夜ともなればよく父が現像している暗室の暗幕を掻い潜って、
停止液や現像液の酸っぱい匂いや赤い豆電球の薄暗い部屋の中に入って、
画像が浮き上がってくる瞬間に感動したものだった。
しかし、反抗期と共に父から離れカメラとも離れて行った。

私は10年以上の歳月カメラに手を触れなかった。
しかし、山と渓谷に憧れ、自然と触れ合ううちにカメラを自分で購入していた。
山にはエスカレートし冬山にも挑戦するようになり、
やがてはロッククライミングに夢中になり、落下し骨折しやめてしまった。


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山登りは入院と共にやめてしまったが、カメラの趣味だけは残った。
私はニコン党でカメラとレンズには、結婚してからでも、
妻から相当嫌味を言われるほどに買い揃えた。いわゆるレンズ沼状態だった。
ある日妻から家計費をもう少し上げて欲しいと言われたときに、
掛った分だけ伝票に書いて請求すれば、その分を支払うと言った。

だが今思えば妻たる女性が会社の金を握っていれば良かったが、
私が会社の金を握っていたので、元金が無ければまず買えないのは、
当然であると思った。そんな妻とのやりとりも終わらないうちに、
私は受話器を取りニコン500mmレンズを値打ち価格78万円で購入したが、
もうあなたには困っている人の気持ちなど理解できないのですねとドアーを出て行った。


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だから妻は大きくなった子供たちの前で、あなた達が小さい頃は、
貧しくて満足なものを買ってあげられなかったのよ。
当然3人の子供たちは驚いたように私を見た事を思い出す。
そんな事もあり私は15年前に中国へ単身出たのかも知れない。

前置きが長過ぎて、一体何を書こうとしていたのか分からなくなってしまったが、
中国へ行ってからは、罪滅ぼしのために全てのお金を妻に託した。
だが一銭も無しでは生活ができないので、へそくりを作り中国での小遣いに、
当てるようにしていった。中国へ行ってからは仕事上、
コンパクトデジカメを使い、銀塩カメラは全く触らなくなってしまっていた。


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約十年ほどカメラケースにそのままだったので、
ある日帰国し思い出したようにカメラを出してみた時には、
ミラーから8本のレンズの殆どがレンズ特有のカビがびっしり生えていた。
原因はケースのコンセントが外れたままになっていたからだ。
経験上撮影しても甘い画像しか写らないと判断した。
中国へ持ち込んだカメラとレンズもあるが盗難に遭ってしまった。

仕事上のデジカメに慣れ、それでHPの画像も作ったが、
趣味にデジイチが欲しくなり、ニコンからCANONに乗り換え、
当時人気を博していた5Dと35mmF1.4とマクロレンズまた望遠ズームを、
70万で購入した。ここでやっと本題でその5Dのシャッターが、
下りなくなってしまったという分けの分からない内容。
このつづきはまた次回です。


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「上海植物園9」


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久しぶりの更新であるが、それも仕方が無く、
パソコンを持たずに旅行へ出掛けていた。普通旅行にパソコンを、
持って出る事は少ないが、私の場合ブログを始めた頃の旅行には、
パソコンはホテルに置き、またホテルに帰ってより撮影した写真を取り込み、
画像縮小しながら、その写真の場面に適したエッセイを書いていた。

しかし、中国人と食事をし部屋に帰ると8時過ぎで、
それからブログを作成しアップする頃には夜中12時を過ぎており、
それより入浴し床に就くころには1時半過ぎで、
また朝7時起床し次の観光ポイントへと向かった。
このような旅行は心身ともに疲れるので、最近の旅行では一切パソコンを、
持参してはいなかった。


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今回妻との久しぶりの旅行にも勿論パソコンは持参していなかった。
妻と一緒の旅行は30年以上なので思いがけず妻の意外な行動に、
一人はかっておいた事に少し後悔をしたりもした。
だがそんな心の内とは裏腹に、全く関係ない事柄の話題で時を過ごした。

台北に着いてからは、自由に行動し色々な現地ツアーに参加した。
日本人は参加できないと言われたが、15年中国で鍛えた中国語で何とか、
ツアーに参加できた。妻一人言葉が分からずに、面白くなかったのかと思えば、
心配を他所に結構楽しい時を過ごせたとの事だった。


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特に感動したのは温泉だと妻は私にうれしそうに語った。
私は始め心配であった。なぜならば中国にしろ台湾にしろ温泉と言えば必ず、
水着を着て入浴する中、私が探して行ったところは丸裸で入浴するからだった。

妻の体重は以前43キロほどあったが、最近では37キロで痩せ細ってしまっていた。
私たちと同じツアーのメンバーはシンガポールやマレーシアと中国の人であった。
その人達の前で痩せ細ったボディをさらけ出すのは、
どうしたものかと思ったからだ。


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私は現地台湾人と温泉に入りながらも、色々な事柄について話して、
集合時間にも間に合わないほど楽しかった。私は皆に大分待たせてしまったねと、
まだ汗が噴出す顔をタオルで押さえながら言った。

妻の顔を見ると、この人はいつも人の事は考えずに自分のペースなのですからと、
日本語で話しても、その言葉を理解出来るのは私だけだった。
マレーシア人が私に奥様は何と言っているのですか?と、
聞かれても本当の事は通訳出来ないでいた。


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私は咄嗟に、皆さんと風呂をご一緒できて、
とても楽しかったと言っていますよと言うと、
彼女は妻に通訳して下さいと言い置き、先ほどはお風呂の中で、
日本語を教えて頂き有難うございましたと話した。

妻に、20歳の彼女の言う事を告げると、妻も簡単な日本語を、
お風呂の中で話していたのですよと、私が時間に遅れた事など、
何処かへ行ってしまったように、無邪気に話していた。
その夜は台湾の繁華街士林を妻たちと散策し地下鉄でホテルまで帰った。


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「上海植物園10」


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妻と小旅行に行く前に、CANON 5Dのシャッターが突然切れなくなった。
妻に話したところ今回の旅行には重たいカメラは持って行かなくて、
観光だけに集中しなさいとのサインではないですか?と、
勝手な解釈をし私に説得している。

旅行の一番の楽しみは撮影にあり、その撮影をするカメラの故障では、
楽しみも辛さに変わってしまうと話すと、軽くて何処でも、
直に出して使えるコンパクトデジカメも持っているでしょう?
それを持って行きましょうと更に説得しようとしている。


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私がどうしてもデジイチを持って行来たい為に、
名古屋CANONサービスへ修理に出し、他に悪い所を見てもらうと話したところ、
日本の言葉が分かるところでも写真撮影に熱中し過ぎ、
度々あなたが何処に行ってしまったのか分からなくなった。

今回は言葉も通じない日本とは違う国なので、また迷子になったら心配だから、
持って行かなくても良いのではと執拗に説得し、更に私は美味しい物が、
食べれたらそれで満足ですけど、あなたは私を撮らずに、
分けの分からない物ばかり撮って見失ってしまう。


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妻も歳を重ねる毎に愚痴や文句が増えて来てピークに達していると思った。
それも相当昔の事まで持ち出して愚痴を言う妻の姿に、
世の奥様方もこんなものなのだろうかと思いながらも、
デジイチをバッグに入れ家を出た。

名古屋伏見10番出口を上がると、そこにCANONサービスビルがあった。
応対に出たスタッフに、突然シャッターが切れなくなった事と、
以前旅行中にミラーが落下し大変な目に遭った事などを話し、
またCMOS内の掃除やその他悪い所を見て頂くように依頼した。


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価格comの投稿内容では、修理依頼をして10日間ほど掛るとの事だったが、
旅行に持参するからと急いで下さいとお願いしたところ、
4日後に修理完了の連絡が入った。CANON 5Dを手に取り確認したが、
んな部品を交換したことで新品のような錯覚まで抱いた。

家に帰り着いてからは、妻より旅行の用意は出来ているのですか?と問われ、
カメラも直ったし準備万端と話すと、身の回りの着替えなどの用意の事ですよと、
妻の旅行カバンを見ると、ハワイなどに持って行った大きなカバンを、
私に見せたので思わず苦笑してしまった。


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なんか10日間の旅行に行くような身支度だね。
そんな重たい物を持って階段の上り下りは大変だよ。
だからその半分以下のバッグに詰め、不必要な物は持って行かない事。
これが旅行を快適に過ごす方法だよと言うと、
私にはあなたのカメラは不必要と思いますよと文句ありげ、
更に妻は、二人の荷物を一緒のバッグに入れ持って行けば、
簡単と旅行慣れしていない言葉を返す。

私は反対し自分の荷物は自分で持ち軽くしたほうが良いし、
もし荷物を一つにしたとしてもその重たい旅行カバンは、
誰が持ち運ぶのと聞けば、勿論あなたですよと言うので、
開いた口が塞がらなかった。キャスターが付いているが階段の上り下りまで、
考えてないようで、その事は実際に空港へ行く途中で理解したようだった。


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「上海植物園11」


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妻と二人だけの旅行は、私が中国での仕事のために、
中々実現しなかった。だが今回は妻から先日知人のご主人が亡くなられて、
その奥さんから「こんな事なら主人の生きている間に色々な所へ、
旅行しておけば良かった」と話したそうだ。

その事を妻は食事を作りながらも独り言のように話していた。
私はテレビの音声を大きくしていたので、所々しか聞こえなかったが、
妻がテーブルに料理をセットしながら私に
「ちょっと!私の話聞いているの?」と少し声のトーンを上げながら聞いた。


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私は何か独り言のように話していたけど、「何処か旅行に行こうか?などと言うところは聞こえたよ」と言うと「聞こえているんだったら返事をしてよ」と何となく不満ありげな返事であった。

私は、何処何処へ行きたいと具体的に話さないと、
ただ二人だけで旅行に行きたいだけでは説得力に欠けるし、
ビザの必要な国なら前もって準備をしなければならないし・・などと話すと、
すぐに難しい話をし出すのだからと、また独り言が始まった。


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そんな妻の私に語りかけるような独り言は、いつ止まるともなく続いた。
中国へ行くにはビザがいるが台湾や韓国へはいらない。
また台湾で話している中国語は話すことが出来るが韓国語は話す事が出来ない。

無理矢理、台湾と決めつけネットで検索したところ、
値段は格安3万9千円から9万ほどまで、色々あるが、
ホテルのランクで値段を、出しているようであった。
私は中国国内での旅行では三ツ星が殆どなので三ツ星で予約した。


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結構安上がりと思っていたところ、ガソリンチャージ代が含まれてはいなくて、
後から付け加えられると何となく損した気分になり、
ホテルのランクを下げようかと女房に話すと、折角の旅行なのだから、
そんな事でケチらないでよと言われてしまった。
だが、4月1日よりはガソリンチャージ代も大幅値下げだ。

ホテルはそれなりだったが、旅行代理店にベットはツインと、
細かく指示していなく、代理店からも聞かれなかったので、
そのままになってしまっていた。でも夫婦なので大きなダブルベット一つでと、
気を使ったようであったが、私はツインベットより安く上がるからだと、
代理店のサービスを疑った。


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私の血液型がAB型でそれが原因なのか、大胆なところと、
繊細なところが共存する性格であり、夜中でも譬え妻であっても寝返りの、
物音で眠れなくなってしまう。案の定、夜中でも寝返りの物音に、
眠れなくなってしまい、ベット脇の絨毯の上に、
布団と毛布を敷くという行動に出たが、ぐっすり眠れた。

ホテルではフロアー責任者も部屋に来て、何か手違いがあったのだろうかと、
至極心配げな顔で応対をしてくれた。
それとは対照的にルームサービスの女性は、変な笑みの表情で私と妻を見ていた。
妻は日本語で、「ごめんなさいね~わがままな人ですから」と話しても、
日本語の分からない相手は首を傾げているだけで、
私は自分の性格上の事柄を話し納得して頂いた。


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「上海植物園12」


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私たちは午後台北のホテルに着いた。
その日の午後はフリーであったので、車で40分ほどの道のりを市バスを探して、
友人からの話のあった場所へ1時間ほど掛けて行ってみたが、
バスの運転は荒っぽかった。

帰りに道に迷うといけないと思いホテルから西門丁バス停までの、
5分ほどの景色をカメラに収めた。目的地行きのバスが来て乗ったが、
下校時間のため、バスは学生たちで一杯だった。
しかし、妻のために一人の女学生が席を譲って下さったが私は、
若く見られたのか譲っては頂けなかった。


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日本の市バス料金支払い時では小銭が無くとも両替をして下さるが、
台湾の市バスでは両替はして下さらないので、
前もって小銭を用意しておかなければならない。
私はその事をバス停で待っている間に聞いて、ポケットに手を突っ込んでも、
小銭が足りなく、バス停で一般の人に両替して頂いた。

私の降りる場所は終点だったので問題ないが途中で降りる場合は、
耳を澄ませて聞いていないと乗り過ごしてしまう可能性がある。
目的地に着き友人より頼まれた場所へ行き写真撮影をする事、
30分ほどで台北市中心へとバスに乗った。


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帰りのバスには故宮博物館の見学者もなく私と妻の二人だけであった。
バスの運転手に西門丁までの料金を料金入れに投げ込み、
西門丁へ着いたら呼んでほしいと頼むと、あなた達は台湾人と違うねと、
言うので違うと答えたが西門丁の降り札を手に取り後ろへと向かった。

後ろの方の席に座るとバスの運転手が後ろを振り向き、
私の横の座席に座ってくれと言う。妻を残して私だけ運転手の横に座ると、
あなたは日本人ではないのかと聞いてくるので、
私が日本人だと言葉遣いですぐ分かったのか?と聞くと、
話す言葉は中国大陸の人っていう感じだと言う。


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服装から日本人であることが分かっていたようで、
私を横に座らせた分けは日本語の勉強がしたい為のようであった。
九州へ旅行に行ったことがある運転手の日本語はお世辞にも上手いとは言えなかった。

途中からバスの乗客も増え出したが私との会話を止めようとはしなかった。
日本語の挨拶言葉や日常の簡単な日本語を中国語で聞くので私が日本語で、
その単語を教えた。お客の中にも日本語を知っている人もあり、
バス内から時々笑い声がしていた。


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私の降りる停留所の西門丁が近くなってきたのか、今日は楽しかった!
有難うと有難うのみ日本語で話した。
また会えると良いですねとバスを降りた。バスを降りてより、
ネオンサインの景色にホテルまでの方向が分からなくなってしまった。

地元の人にホテルの方向を聞いたが分からず、
出発前に撮影しておいた写真画像を見せたところ4・5人が画像を見ながら、
反対方向を指差し向こうの通りの写真だと言う事で危うく道に迷うところだった。
妻も写真が意外と役に立つ事が分かったようであった。


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「上海植物園13」


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台北二日目は日本人のツアーに参加した。
朝それぞれのホテルを回ってツアーのお客を乗せてきた。
私達のホテルが最後だったので8時45分にロビーで待っていたが、
道が混んでいたとかで10分ほど遅れて迎えに来た。

朝寝坊した私は朝食を取らずにロビーでガイドが迎えに来るのを待っていたが、
道が混んでいて遅れるとの連絡に地下一階のレストランへ急ぎ降りた。
そして食べている時間がないので持って行きたい旨の事を話した。


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新しいビニール袋を出して頂いたが水気のものは、
こぼれるのでもっぱらパンやお菓子類またピーナッツを入れて行ったが、
入りきらないので更にもう一枚のビニール袋を出して頂き急ぎ入れて行った。

バイキング料理が並ぶ近くで食事をしている人たちは、
あっけにとられているように見ていたが、その方を向きニコッと、
笑顔を見せると慌てて箸を運んでいた。
立って見ているウエイトレスに礼を言うとマネージャーは、
もうよろしいですか?と中国語で言うので、
急いでいるので有難うとビニール袋を提げロビーへと向かった。


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エレベーターが中々降りて来ないので、
一階にあるロビーへは階段を使った。妻が階段を降りて来る所だったようで、
何をしてるのですか?もうガイドさんが迎えに来ていますよと、
私の手のビニール袋を見ながら言った。

ガイドさんは日本語で、遅れましてどうもスイマセンと頭を下げた後、
食べるものを沢山もらって来ましたね~?と言うので、
半ば無理矢理取って来たと言えなくなり、朝寝坊して朝食が時間通り取れずに、
ガイドさんが遅れて良かったですと話した。


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バスに乗ったが前の座席は座っていたので通路を歩きながら、
今日一日よろしくお願いしますねと頭を下げたが、
皆さんの視線は私の手に持ったビニール袋に向けられていたように感じた。

妻も私の横の座席に座ったと同時に、
もうそんなに沢山持って来て恥ずかしい!と言うので、
別にこんなに持って来るつもりはなかったが、あれもこれもと、
入れて行ったら自分でもちょっと多いかなと思ったけど、
元に戻すのも失礼と思い持ってきたと笑いながら話した。


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隣に座っている若い女性たちが、私達の会話を聞きながら笑い、
それにつられて彼女らの友達も笑い出したので、
私が食堂でビニール袋を出して頂き入れるシーンを、
再現するように話すと笑いは更に広がった。

しかし、妻は少し不機嫌そうにしていたと思ったら、
持って来た朝食バイキングの話などしなければ良かったというような目で、
睨まれたが、私は入れ過ぎでペシャンコになったパンを食べながら、
満足そうに笑うと、全く子供と一緒なんだからと言ったっきり黙ってしまった。


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「中国写真ライフ」へ戻る。
「上海から西安旅情へ」へ



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