Dog photography and Essay

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新疆--交河故城


「気候は乾燥し夏は高温」

「中国上海写真ライフ」では、
新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。

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交河古城は新疆ウイグル自治区のトルファンから、
西に10キロの所にありオアシス都市国家の遺跡である。
この一帯は気候は乾燥し夏は高温で、冬は酷寒になる。
シルクロードの要衝だった交河城は、昔から多くの、
小さな都市国家が興亡をくり返してきた所でもある。

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風化現象の日干しレンガの破壊が深刻な交河古城ではあるが、
他の遺跡群から比較した場合保存状態がよいとの事だった。
上の石碑の中にも刻まれているが、日本国からも多額の、
寄付がされており、交河古城復興の手助けをしている。

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中国のガイドブックに交河古城と書かれてあったため、
昆明の麗江古城や江蘇の蘇州古城などを思い描いたが、
大きな思い違いで、砂漠の中のレンガ造りの遺跡だった。

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交河古城は6世紀初めに建設されたが、存在する古城は、
唐代以降のもので、街は交わる2つの河の間の細長い、
台地の上に築かれ、南北1キロ、東西350mで城壁はない。

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「遺跡の中心は幅3mの大道」

「中国上海写真ライフ」では、
新疆自治区「ウルムチ」の写真を公開しています。

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トルファンのなかでも有名な景観は、
「西遊記」の小説が生まれた火焔山である。
高昌古城、べゼクリク千仏洞の北を東西に、
100kmにわたって連なり、地表の侵食と地殻変動で、
崖全体に炎のような奇妙な模様が入っている。

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その前に交河古城の中に入ったが、
高さ30mの崖上という立地が天然の要塞を、
成し、遺跡の中心は幅3mの大道が貫いている。

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西北部に寺院遺跡、東北部に一般住居が集中する。
交河古城は世界でも珍しい「彫刻都市」で、
黄土の台地を上から掘り下げてつくられている。

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そのため日干しレンガを積み上げた街とは異なり、
建築から1000年以上を経たいまでも保存されている。
だが保存状態が良いといっても、風化は進行している。

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「三国志の時代から溯る」

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写真のレンガの瓦礫の山に見える所が交河故城である。
トルファンは古来シルクロードの交通の要衝で、
様々な民族文化が栄え、国家が交代した。

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紀元前3~2世紀ごろから交河故城を中心にして栄え、
前漢の武帝が紀元前105年に遠征して高昌壁を築いた。
三国志の時代から溯ること350年も前の事である。

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南北朝時代の西暦560年ごろには交河故城を主都とし、
高昌国の中で仏教を尊崇して、150年間に渡り繁栄した。
唐は640年に高昌国を滅ぼしたが、ウイグルの侵攻を受ける。
西暦740年以降ウイグルの侵攻により退却をした。

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以降はイスラム教社会に代わったが清朝乾隆時代に平定され、
1930年代から何度も侵攻を繰り返し現在に至っているが、
最近では7月5日のウイグル騒乱事件が記憶に新しい。
下の絵は西遊記の火焔山の絵と思ったら交河故城との事。

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「行っては駄目だと言われて」

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交河故城を見ている時にも、中国人から何度も、
「面白くなくただ暑いだけ」という言葉を耳にした。
私は歴史を少しだけ勉強していたので面白いと思った。

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また写真で見る景色と自分の目で見る景色とでは、
全く感じ方が違い、感動した事も中国人に伝えた。
だが、中国人からは「変な人だな」と言う目で見られた。

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交河故城を見終わった後でも、道が分かれている分岐点で、
違う方向へ行きたかったが、行っては駄目だと言われており、
道徳的に行けなかった事が、今ブログを書いていても悔やむ。

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写真の文字はウイグル文字と思ってシャッターを切った。
ウイグル文字は9世紀前後から中央アジアで用いられた。
だがモンゴル語のベースがウイグル語とは知らなかった。

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「裕福ではないウイグル族の生活」

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子供の頃から、ブドウ作りの勉強を受けているような、
ろう人形のブドウの実が豊作の中で、子供が父の姿を、
見上げるシーンが何とも上手く表現されていた。

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ウイグル族の一家団欒の茶の間のようである。
まだまだ現在でも裕福ではないウイグル族の生活だが、
50年以上前は、もっと大変な暮らしが見え隠れする。

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小麦粉を捏ねて、それを油を塗りながら、台の上を、
小麦粉で叩いて、だんだん伸ばしていく麺つくりである。
中国の各地で見受けられる麺はこの手法である。
また子供たちの玩具から家の中のもの全て手作りである。

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中華民国時代は中国の貨幣は22の省と5つの自治区の、
各省で発行されていたので、写真のように新疆省と、
名前が印刷されているが、中華民国時代の新疆は、
新疆ウイグル自治区ではなく、新疆省であったようだ。

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「子供の頃から親しんで来た」

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シルクロードのオアシス都市トルファンへ向かう途中、
オアシスの全体に広がる緑に覆われた葡萄園を見て、
共に行動をしていた中国人の手には持ち切れない程の、
みやげ物がいっぱいで、こんなに買ってと喧嘩する一幕も。

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そして今回第3番目の目標値である火焔山にやっと来た。
火焔山は西遊記の小説が出来た背景であり孫悟空の、
生まれ育った山でもあるが、やっと来れたと思った。

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西遊記で牛魔王と孫悟空が戦った火の山のモデルの、
火焔山の地下から入り、地下の壁に色々な絵が描かれ、
それを見ているだけでも、ここへ来た甲斐が有ると思った。

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壁には空間が作られ、ガラス張りになっている所もあった。
孫悟空が自分には何でも出来ると飛び回っていたが、
何処まで行っても釈迦の手のひらの中だったという。
私も子供の頃から親しんで来た「西遊記」その現地である。

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新疆--ウルムチ・トルファン25
「孫悟空の金の延べ棒」

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火焔山の事をウイグルの人々は赤い山と呼んでいる。
トルファンのシンボルでもある火焔山の標高850m。
山と言っても一つの山ではなく赤色砂岩で出来ている。

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赤い岩肌が110キロに渡り山と言うより屏風のように、
広がっており、火焔山の山肌には深いシワが刻まれ、
長年にわたる地殻変動と風雨による侵食により作られた。

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地元ガイドの話では、極端な乾燥地帯だが、その昔には、
この乾燥した土地にも雨がよく降ったとの事。
この地域では最高気温が50℃にも達し、陽炎が立ち上る。

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写真は孫悟空の「金の延べ棒」を模り気温計を作っている。
何ともユニークではあるが、それほど昼と夜の気温の差がある。
火焔山へ出て一番に飛び込んで来たのは孫悟空達の像だった。

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