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Dog photography and Essay
蘇州旅情4
「蘇州旅情51」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
盤門三景へは時間があれば来てみようと、
今回の旅のリストには最後のほうに、
盤門を書いていた。
だが、虎丘で知り合った人と一緒に食事を、
することになり、そこで蘇州へ来たのでしたら、
盤門へ行ってみるとよいと言われた。
その地元の人は眼を輝かせて話すものだから、
私の旅リストを見せると、盤門の下に線を引いた。
その線に矢印を引き、虎丘の後に持ってきた。
私は、その人の言うとおりに予定を変更した。
上の写真は錦鯉が元気よく泳ぎ餌に群がっている。
後方に見えるのが三国時代に呉の孫権によって、
建てられた七重の塔である。
八角七層の塔を瑞光塔と呼ぶが、内戦により、
何度となく破壊と再建が行われて北宋時代に、
再建され、その後各時代に修復が行われてきた。
虎丘からのバス乗り場を違え、盤門へ来るのが、
予定より1時間ほど遅れてしまった。
そのため、少し急ぎ足で見て回ったが、
盤門三景へは来てみて良かったと思った。
盤門から入り、一人のため、また見て回る順序は、
自分の気の向く方向へ歩きながら観光を続けた。
「蘇州旅情52」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
盤門・瑞光塔と呉門橋の三つが盤門三景だが、
上の写真は呉門橋であるが、杭州西湖に、
架かる断橋にも似た所がある。
実際には遠くから呉門橋を見ただけであるが、
杭州西湖の断橋よりスケールが大きいように見えた。
上の橋はまた違った雰囲気の橋である。
中国語で「碧波」と彫られているが、意味は、
青い波ということである。
橋の下に手漕ぎボートが置かれ橋と合っている。
橋を渡ってから見る角度を変え、柳越しに撮影。
盤門三景の中で知られる水運である。
その昔、軍事物資の運搬にも使われていた。
現在では水路は観光や生活にも使われているため、
やや汚染されゴミが浮いているのが残念だ。
「蘇州旅情53」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
盤門三景で盤門側から中へ入り、広大な、
盤門風景名勝区を見て回り瑞光塔が、
建つ所まで着き、7階の上まで上がろうとした。
時計を見ると午後5時を指しているのと、
足が棒のようで疲れ果て、瑞光塔の中へ、
入るのは断念して近くを撮影して外に出た。
瑞光塔は蘇州に住んでいる人々は知っているが、
私はガイドブックのコピーを見て知った程度。
三国時代に呉の孫謙によって建てられた瑞光塔は、
13階建てであったが、宋代に再建し7階になった。
三国時代の高さは1階ずつの高さが低かったため、
62mだったが、宋代になり再建した7階建ては43m。
瑞光寺は瑞光塔の西側に建ち、鐘楼の中に、
吊るされている鐘を見ると寒山寺を思い出した。
江蘇省の文化財保護の部門の管轄になったのは、
1956年で1988年中国の重要文化保護財となる。
私は外へ出るとタクシーを拾い、ホテルまで帰り、
その晩も蘇州の夜の街へ繰り出した。
「蘇州旅情54」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
昨夜少し飲み過ぎたので朝食のバイキングは、
テーブルに運んで来ても食が進まなかった。
ロールパンをペーパーナプキンで包み込み、
リュックの脇にすべり込ませホテルを出た、
ホテルから碑刻博物館へ直接タクシーで来た。
タクシーの運転手に孔子像が立つところへ、
行きたいと伝えたところ、面白くないよと、
言われたものの、やはり行ってみたかった。
中に入ると石碑とか石の拓本が展示されており、
展示物は回廊の壁に埋め込んであった。
写真は孔子を祭る大成殿への門で大成門と呼ぶ。
門越しに正面を見ると孔子像と奥に大成殿が見える。
孔子を祭る廟は中国各地にあるが、やはり大きいのは、
孔子が生まれた山東省の曲阜の孔廟が最も有名。
蘇州の孔子を祭る大成殿は北宋時代に創建されたが、
何度も破壊され、特に文化大革命ではひどく、
破壊されたが、再建され修復をされてきた。
北宋の1035年に儒教の祖の孔子を祭る廟として、
崇められていたが、封建思想の孔子の教えを、
封建主義の象徴であるとして破壊の対象とされた。
「蘇州旅情55」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
大成殿の敷居を跨ぐと正面に孔子の絵が、
掲げられているが、縦7.5m×横5mの大きさ。
説明書きには清の第4代康熙帝が描いたものとある。
孔子は春秋時代の紀元前551年に山東省曲阜で誕生。
孔子が祭られている大成殿の事を、タクシー運転手は、
あまり面白くないよと言った意味が分かったような。
なぜならば、私が参観する50分ほどの間、誰も、
入って来ず私一人だったことにより中国人には儒教の、
創始者のことなど関心や影響など無いのかとも思った。
孔子は偉大な教育者であり、教育に階級を問わないと、
階級や貧富を問わず、皆平等に教えていた。
孔子に学んだ弟子は3000人以上に上り、このうち、
72人が著名人となって後の世に影響を及ぼしている。
私が孔子の教えの中で好きな言葉は「温故知新」
「習ったものを復習して新しいことを知る」という言葉。
後世になり、孔子の弟子たちが孔子の思想と言行を、
書き取り「論語」にまとめ上げ、後の儒教の経典になった。
中国の後の封建社会では孔子の思想が正統教義とされたが、
1968年に始まった文化大革命では孔子の思想は反革命と、
子供たちに孔子の像を作らせ破壊をさせていた時代もある。
「蘇州旅情56」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
孔子の大成殿のあと徒歩にて「滄浪亭」へ行った。
蘇州には9か所の庭園が文化遺産に登録されている。
拙政園・留園と獅子林はすでに見て回った。
滄浪亭へは今日入ったが網師園へも行った。
私は、蘇州四大名園とされる拙政園・獅子林また、
留園と滄浪亭の4か所を見て回れば十分と思い、
環秀山荘・退思園・芸圃・藕園へは行っていない。
滄浪亭の入り口の両脇は堀になっており、
石橋を渡り滄浪亭の門を潜り抜け中へ入る。
滄浪亭は1100年ほど前の五代十国時代に、
個人亭として造園され、蘇州四代庭園のの一つ。
滄浪亭の中へ入ると回廊を伝い池の周りを歩き、
見て回った印象は落ち着き歴史ある庭園。
この日の観光客は少なく数えるほどだった。
孔子の大成殿ほど観光客は少なくないが、
庭園ののどかな雰囲気を満喫できた。
「蘇州旅情57」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
滄浪亭は蘇州の他の3つの庭園と趣が異なる。
他の3つとは拙政園、獅子林、留園の事である。
この3つの庭園は高い外壁に囲まれ中が見えない。
だが滄浪亭は灌漑ために切り開いた水路の、
疎水越しに美しい園を眺めることができる。
写真は明道堂から竹林を見たところで、
滄浪亭では、竹林も随所に作られている。
最も見事な竹林は、やはり明道堂の前と思う。
明道堂は昔から学問を講義していた所で、
ここから有名な文人や書家などが育っていった。
滄浪亭は蘇州の庭園の中で四大庭園の一つ。
庭園の中を散策し出すと竹を植えた庭に出た。
滄浪亭はもともと五代十国時代呉軍の軍を、
指揮する役目の節度使だった孫承右の、
私邸池館だったが、死後荒れ果ててしまった。
その150年後詩人であった蘇舜欽が官職を、
失って蘇州に移り住み、荒れ果てていたが、
清々しい庭園に魅かれ、個人で買い取った。
築造したあと、滄浪の水の魚歌から、
滄浪亭と名づけたとの話だった。
「蘇州旅情58」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
滄浪亭園内の構造は太湖周辺の丘陵から、
切り出した穴の多い複雑な形の奇石で、
築山を造り、その周囲に建物が配置される。
園内の山林と園外の疎水は回廊によって、
仕切られており、静かで自然の趣きに富び、
その心和む、のどかな景観を観賞できる。
楼閣の中に入り天井から吊るされた灯篭や、
重厚な椅子またテーブルを見ていると、
ホッとするような安心感が宿った。
庭に出て鉢植えを見ていると、私が中学時代に、
家の庭に近所の大工さんに頂いた平木で雛段を、
作って、その上に鉢植えを並べ世話をしていた。
近所のおばさん達が遊びに来ては、あなたは、
中学生にしては変わった子供とよく言われた。
同じ年頃の子供たちと野球などもしたが、
鉢植えの植物が育っていくのを見ていると、
心が和み、勉強もはかどったような気がした。
そんなことを思い出しながら、庭園の鉢植えの、
植物に太陽の陽が差し、その影と戯れて撮影した。
「蘇州旅情59」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
滄浪亭の回廊に限らず蘇州の庭園や上海の、
庭園でも回廊の壁に色々な形の窓が開けてある。
その回廊の窓にはガラスなどは入っておらず窓の形も、
瓢箪や扇や台形また菱形などの形で窓が付けられている。
その窓越しに景色を見て楽しむのもまた面白い。
また庭園には壁に穴を開けた入口をよく見かける。
壁に開けた入口を洞門と呼び、仕切られた庭園の、
出入り口であり、庭園を分けた壁を通り抜け、
庭園を訪れた大切なお客様をもてなしたとのこと。
写真のように、池の周りに建物が立ち並び、
回廊を歩いて庭園内を歩き、その途中に洞門を潜り、
次の庭園がどのようになっているか期待を膨らませる。
私が訪れた日は、観光客が少なく、庭園内の静寂さを、
余計に深まらせ、世俗から隔離された世界からは、
いつまでも庭園内に身を置いておきたいと思うほどだった。
写真でも、提灯が掛けられているところが写っているが、
中国の到る所の庭園や観光地には提灯が下げられている。
提灯が無かったならば、逆に殺風景と感じるかも知れない。
被写体のとらえ方によって、同じ景色であっても、
色々な空間を作り出すことができるが、人それぞれの、
価値観や撮影の度合いにより、変わってくると思う。
上の写真と下の写真とは撮影場所が全く正反対の場所より、
撮影しているが分るだろうか。上の写真に提灯が写り、
下の写真は、上の庵まで行き、提灯をアップで建物を撮影。
「蘇州旅情60」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
滄浪亭を見終えて出口の方へ向かった。
ポケットより予定を書いた手帳を出した。
出口に居た女性に次の「双塔」への、
行き方を聞いたところ、タクシーで、
行った方が確実に行けれますと言われた。
タクシーで行くなら聞く必要もなかったと、
思いながらも表通りへ出てタクシーに乗った。
運転手に「双塔」へ行きたいと伝えると、
何度も「双塔?」と言い、何処にあります?と、
訪ねてくるのでカメラバッグの後ろ側の、
ポケットからガイドブックのコピーを出した。
運転手はメガネを外して見ていたが鳳凰街かと、
言うと車を方向転換させ目的地へ向かった。
そして、着いたのが写真の定慧寺という禅寺で、
中に入り、双塔が何所に建っているのか探した。
私の探していた目的の塔は二つ並んでいるが、
探しても見つからなかった。寺の名前をもう一度、
見直すと「定慧寺」とあり「双塔」はこの寺の、
敷地内のどこかに建っているのかと思った。
だが、いくら探しても双塔が見つからず、
すれ違った僧侶を呼び止めて「双塔」が何処に、
建っているのかを聞いたところ、ここから、
300mほど行った所にあると教えてくれた。
どうやら私が来た所は双塔ではなく定慧寺という、
禅寺であった。この寺のルーツは修道院で、
1800年の歴史があり、寺の中にある天王殿の、
四天王の姿も坐像で派手な色使いであった。
タクシーの運転手が「双塔?」と考えた意味が、
分かったようだったが、私も定慧寺の案内コピーを、
持って来ていなかったので、致し方なかった。
私は定慧寺の全てを見ることもなく、外へ出て、
僧侶の教えて頂いた方向へ歩いて行き古びた門を、
見つけ中に入ろうとしたが、入場チケットを、
買うようにと年配の人に呼び止められた。
「蘇州旅情61」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
「解脱」という名が書かれた洞門を潜り、
双塔へ向かい歩くこと6分ほどで着いた。
双塔の中は年配の人たちの憩いの場になり、
1か月の通し入場券とお茶券を持っており、
毎日多くの人が麻雀をして楽しんでいる。
双塔は950年に建てられたが、中央の正殿は、
基礎の部分のみ残っており、建物はなかった。
その基礎部分には、花が転々と咲いていた。
私が正殿の跡地から双塔を撮影していた所、
一人の80歳ほどの恰幅の好い老人が、
私の方へ近寄ってきて、手招きをしていた。
私は、また何か悪い事でもしてしまったのかと、
思いながら、老人の方へ歩いて向かった。
あんたはどっから来たのか?と、やはり注意を、
受けるものと思ったものの、上海から来たと、
伝えると、その事には触れずに、向こうから、
撮影すると双塔の全景がきれいに撮れると言われた。
私はどの辺だろうと、ゆっくり歩いて行くと、
私の後について来てくれ、建物の隅を指差して、
ここからと撮影する格好まで見せてくれた。
双塔は8角7層の塔で、高さは約34mあり、
二つの塔は形状は同じだが、建てられた年代が、
風化の進み具合を見て、違うように思った。
「蘇州旅情62」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
双塔を見終えてより、暫く年配の人たちの誘いで、
お茶を飲みながら楽しい会話して過ごした。
殆どの人は、あんたは何処から来たの?と、
お決まりの質問だったが、上海から来たんですと、
言ったものの、一人が、あなたの話し方が福建省か、
台湾の方のような感じの話し方だよと言った。
私は雰囲気がおかしくなって来たと思い、つい、
日本から来た事を話すと、今まで黙っていた人まで、
口を挟んで来て、あんた日本人だったのか・・と、
なんとも不満そうな表情で言ったので嫌な気がした。
案の定、日中戦争の事を執拗に言われ続けた。
最終その人は、南京へ侵攻する道すがら、蘇州でも、
多くの人が虐殺されたと恨めしそうに話すので、
私が殺したわけでもないし、第一生まれていないと、
少し語気を強めて、大人げなく話してしまった。
すると他の人が麻雀をやめてこちらへ歩いて来て、
大きな声で、あんたがその頃虐殺に加わっていたら、
話だけでは済まず、皆であんたを袋叩きにすると、
腕まくりをしながら、話すので可笑しくもあった。
やはり年配の人と言えども、うかつに日本人と、
言うすべきではないと思った。特に辺鄙な裏通りの、
中国人だけが集まっている所では要注意と思った。
そんな人たちも、言うことだけ言ってしまうと、
あんた、これから何所へ行くんだと聞いてきたので、
思わず山塘街までと言うと、他の年配者が、そこへの、
行き方は分かっているのかと尋ねられた。
私は行き方までは分からないと言うと、おもむろに、
携帯電話を出し、何やら話していたと思うと、
それほど時間も掛からずに、その人の息子と言う人が、
山塘街まで乗せて行くから、料金を払えばよいと・・。
メーターも付いていない怪しい車に乗ってから、
息子に、何か面白い人たちばかりと話すと、
皆、することがないからね~と笑った。
15分ほどで山塘街へ着き、写真のところで降りた。
上の写真は器用に金属の箸に細工をしていた。
この箸は、これから仕上げ工程に出すと言う事だった。
「蘇州旅情63」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
双塔で会話した年配の息子より山塘街まで、
車で送ってもらったが、50元を要求された。
バスで来れば2元で、タクシーを使っても、
20元足らずで来れる距離であった。しかし、
これが中国の白タクの事情であり庶民である。
山塘街は蘇州の北西部にあり「石路歩行街」から、
「虎丘」への水路沿岸の通りで昔は5キロの、
道のりだったが、現在では400mほどだ。
山塘街は15年ほど前から観光用に開発され始めた。
山塘街は虎丘までの水路であったため、水郷の、
雰囲気が十分に味わえるため、多くの観光客で賑わう。
山塘街から「虎丘」まで車で10分ほどで行けるとの事。
一人旅の多い私は、無駄が多過ぎるが致し方ない。
団体ツアーを利用すれば、慌てて観光しなければならない。
しかし、金銭面や時間面でも、お決まりのコースだが、
5日間掛けての一人旅が、2日間で事足りると思う。
だが、そのような無駄な一人旅が何ともいえず面白い。
また色々な人との触れ合いもまた旅の醍醐味である。
山塘街の道の両側には店が並んでいるが、新しい店も、
多く、その新しさが、いにしえの古風さを消している。
山塘街の中ほどに、上の写真のような戯台があった。
戯台は中国で一般に言うところの京劇が行われる。
また山塘賓館と看板が出ている通り、ホテルである。
暫しの間、待っていたが誰も出て来ないので、近くの、
商店主に宿泊客の事を聞くと外国人が多いとの事だった。
「蘇州旅情64」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
山塘街をさらに進むと、魔術と看板が出ていた。
中国語で魔術の読み方は「moshuモースー」で、
意味は日本語の漢字から受ける感覚と同じ。
マジックの意味であり、店に展示されている物は、
ほとんどが簡単に手品ができるものである。
トランプやサイコロなどが並べられ、種明かしの、
本なども並べられていたが、麻雀牌も売られ、
マジックとあまり関係ないのではと思った。
この辺りの店の雰囲気は1930年代の中華民国時代の、
魔都と呼ばれた雰囲気のある店が並んでいた。
蘇州の一人旅も終わりに近づき、明日には蘇州駅から、
列車で上海まで帰らなければならなかった。
旅の計画を練っている時の時間も早く過ぎ去るが、
実際に旅に出ると、過ぎ去る時間が早いように思えた。
下の写真は山塘芸術商場と書かれてあったが、
中は陶器で出来た置物や絵皿類が所狭しと置かれていた。
山塘街の通りは、生活空間の匂いが漂っていた。
特に、午後4時ごろになると、ランドセルを背負った、
小学生が友達と連れ立って家路を急ぐ光景など、
中国各地の観光地とは違う雰囲気を味わった。
「蘇州旅情65」
「中国写真ライフ」では、
江蘇省「蘇州庭園」の写真を公開しています。
写真は、通貴橋から見た運河で、船着場方向を撮った。
運河沿いにはレストランが並び、夜ともなると、
提灯に明かりが灯り、その明りが水面に映り奇麗だ。
船着場から船に乗り観光をする外国人の姿が多かった。
「山塘街」は最近になりガイドブックにも掲載され、
静かなブームになり足を延ばす人も増えてきた。
私も蘇州4回目にして、やっと訪問できた。
蘇州の町並みは、白壁の家と黒い瓦がマッチし、
まるで、いにしえの日本へ迷い込んだようだ。
蘇州一帯は水路の街としても、東洋のベニスとして、
日本の旅行会社では紹介され、実際に蘇州の水路を、
見ていると手漕ぎ船の往来で、どの水路を見ても、
歩いても、情緒ある風情が味わえる。
蘇州5日目は最後の夜になってしまい、その夜は、
ホテルへ戻った後、シャワーを浴び、蘇州繁華街へ。
翌日、午後の列車で上海へ向け乗ったが、
その蘇州駅ホームの雰囲気を撮影した。
また列車がホームに入ってより、列車のボディに、
貼られた始発と終点駅名を撮影した。
南京から杭州まで往復している列車で、
蘇州から1時間で上海駅に着くことができる。
「蘇州の旅」は、これで終わりで、次の旅は、
650キロ離れた福建省7日間の旅を公開する予定。
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