Dog photography and Essay

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「枕草子(まくらのそうし)」を研鑽-5



「身の上を恥じていてかわいそう」

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「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。



その者たちが、本当に憎らしくなって、みな奥に引っ込んでしまった。
それから後、くせになったのだろうか。いつもわざと目立つようにして歩く。
その者たちの事を、歌から「常陸の介」と名づけた。



着物も白いのに着替えず、相変わらず汚れたままなので、この前
与えたのは何処へやったのだろうと憎む。右近の内侍(ないし)が
参上した時に、中宮様が、こういう者を女房たちは手なずけて
置いているよう。うまいこと言って、いつもやってくるわと。



前にあったことなどを、小兵衛という女房に真似させてお聞かせになると
右近は、その者をぜひ見たいです。必ず見せてください。
お気に入りなんでしょう。決して横取りしたりしないですからと言って笑う。



その後、また尼の物乞いで、とても品のいいのがやって来たのを
また呼び寄せて話など聞くと、この尼はとても身の上を恥じていて
かわいそうなので、例によって着物一枚を与えたのを、ひれ伏して
拝んだまではよかったが、それから泣いて喜んで去って行った。


「非番で自宅にいる侍を呼びに遣わす」

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着物一枚を与えたのを、ちょうどあの常陸介が来て見てしまった。
その後は、長く常陸の介の姿を見ないけれど、誰が思い出すものかと。



十二月十日過ぎに、雪がたいそう降ったのを、女官たちなどで
縁側にとてもたくさん積み上げて置いたが、同じことなら
庭に本当の山を作らせましょうということで、侍を呼んで
中宮様のお言葉として言ったので、侍たちが集まって作る。



主殿寮の官人で、雪かきに来ていた者たちも、みな寄って来て
とても高く作る。中宮職の役人などもやって来て集まり
口出しして面白がる。三、四人来ていた主殿寮の人たちも
二十人くらいになった。非番で自宅にいる侍を呼びに遣わす。



今日この山を作る人には、三日分の出勤扱いにしよう。
そして来ない者は、同じ数だけ非番を取り消すなどと言う。
これを聞いた者は、慌てて参上する者もいる。
自宅が遠い者には知らせることができない。


「そんなにもたないかもしれない」

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困難な中でも何とか雪の山を作り終わったので、中宮職の役人を呼んで
褒美として二くくりの巻絹を縁側に投げ出したのを、一人一人が取り
礼をしながら腰にさしてみな退出した。役人で袍(うえのきぬ)などを
着ていた者は、雪かきのために狩衣(かりぎぬ)に着替えていた。



この雪山はいつまであるのかしらと、中宮様が女房たちにおっしゃると
十日はあるでしょうとか十日以上はあるでしょうなどと、十日位の期間を
そこにいる者がみな申し上げるので、中宮様が、どうなのとわたしに
お尋ねになるので、正月の十日過ぎまではあるでしょうと申し上げた。



中宮様は、そんなにはないわと思っていらっしゃるようである。
女房はみな、年内、それも大晦日までもたないわと申し上げるので
あまりにも遠い先のことを申し上げてしまった。



みんなが言う通り、そんなにもたないかもしれない。月初めとでも
言えばよかったと、内心では思うが、まあいい、十日までもたないにしても
言ってしまったことだしと思って頑固に言い張った。


「敷物をさし出して話しなどする」

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二十日頃に雨が降ったが、雪は消えそうもない。少し高さが低くなってゆく。
白山の観音さま、どうか雪を消えさせないでくださいと祈るのも
考えてみればばかげていると思って苦笑する。



先日その雪山を作っている日に、帝のお使いで式部丞忠隆(しきぶのじょう)が
参上したので、敷物をさし出して話しなどすると、今日雪山を
作らせられない所はありません。帝の御前の壺庭にも
作らせていらっしゃいます。東宮ども、弘徽殿でも作られました。



京極殿でも作らせていらっしゃいましたなどと言うので

ここにのみ めづらしと見る 雪の山 ところどころに 降りにけるかな

ここだけで作って珍しいと見る雪の山は 雪が方々に降ったために 
古くさいものになったと人を介して言わせた。



そのように人を介して言わせたので、忠隆は何度も首をかしげて
返歌をしたら、あなたの歌をけがすことになります。洒落た歌です。
御簾の前でみんなに披露しましょうと言って席を立った。


「どんなことなのと尋ねると」

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歌がとても好きだと聞いていたのに、返歌しないなんて変だ。
中宮様もこれをお聞きになって、素晴らしく良い歌を詠もうと
思ったのでしょうとおっしゃる。



月末頃に、雪山は少し小さくなるようだが、やはりまだ高いままで
昼の頃、縁側に女房たちが出て座っていると、常陸の介がやって来た。
どうしたの。ずいぶん長い間姿を見せなかったのにと尋ねると
ちょっと、つらいことがありましたのでと言う。



どんなことなのと尋ねると、やはりわたしはこう思いますと歌を詠む。

うらやまし 足もひかれず わたつうみの いかなる人に 物たまふらむ

羨ましくて足も向かない いったいどういう人に褒美をお与えに
なったのでしょうと言うのを、女房たちは憎らしくなって嘲(あざ)笑い。



見向きもしないので、雪の山に登り、うろうろ歩きまわって帰った後で
右近の内侍に、こういうことがと言ってやったところ、どうして人を
つけて寄こして下さらなかったのです。あれが間が悪くなって、雪の山まで
登ってさまよい歩いたのが、とても可愛そうですと返事が来たので、また笑う。


「とっさに素晴らしく思われて」

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ところで、雪の山はそのまま変化もなく新しい年になった。
一日の日の夜、雪がとてもたくさん降ったのを、嬉しいことに
また降って積もったわと思って見ていると、中宮様は、これはだめよ。
初めの部分は残して、新しく積もったのはかき捨ててとおっしゃる。



翌朝、局にとても早く下がったら、侍の長(おさ)である者が、柚の葉のような
濃緑の宿直衣(とねいぎぬ)の袖の上に、青い紙を松につけた手紙を置いて
震えながら出てきた。それはどこからと尋ねると、斎院からと言う。



とっさに素晴らしく思われて、受け取って中宮様のところへ参上した。
まだおやすみになっているので、まず御帳台の前にあたる御格子を碁盤などを
引き寄せて、それを踏み台にして、一人で力を入れて上げるが、とても重い。



片一方だけ持ち上げるから、きしきしと鳴るので、目を覚まされて
どうしてそんなことをするのとおっしゃるので、斎院からお手紙が
来ているのに、どうして格子を急いでで上げないでいられましょうと
申し上げると、本当にとても早いお手紙ねとおっしゃってお起きられた。


「特別に気を使われ書き損じも多い」

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お手紙をお開けになると、五寸ほどの卯槌(うづち)二本を、卯杖のように
頭の所を紙に包んで、山橘(やまたちばな)、 日蔭の蔓(ひかげのかずら)
山菅(やますげ)などを可愛らしく飾ってあるが、お手紙はない。

卯槌は、平安時代の正月初の卯の日に中務(なかつかさ)省の
糸所(いとどころ)から邪気払いとして朝廷に奉った槌。



お手紙がないわけはないとご覧になり、卯杖の頭を包んである小さい紙に

山とよむ をののひびきを たづぬれば いはひの杖の 音にぞありける

山に鳴りわたる斧の響きをたずねてみると 卯の日の祝いの杖を
切る音だった。お返事をお書きになる中宮様のご様子もとても素晴らしい。



斎院に対しては、こちらからお出しになるお手紙も、お返事も、やはり
特別に気を使われ、書き損じも多く、配慮がうかがわれる。
使者への祝儀は、白い織物の単衣、蘇芳色なのは、梅襲のようだ。



雪の降り積もる中を、祝儀を肩に掛けて行くのも美しく見える。
その時の中宮様の返歌を、知らないままになってしまったのが、とても残念。


「本当に最後が知りたかった」

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皆で造ったの雪の山は、本当にの越(こし)の白山のように見えて
雨が降っても消えそうもない。黒くなって、見る甲斐もない姿はしている。
本当に勝ったような気がして、なんとか十五日まで持たせたいと祈る。



だが、七日さえ過ごすことはできないと、やはり女房たちが言うので
なんとかしてこれの最後を見届けたいと誰もが思っていると
急に中宮様は内裏に三日にお入りになる。とても残念。
この山の最後を知らないで終わってしまうなんてと、本気で思う。



ほかの女房たちも、本当に最後が知りたかったのになどと言うし
中宮様もそうおっしゃるので、同じことなら言い当ててお見せしたいと
思っていた甲斐がないので、道具類を運ぶとても忙しい時に紛れて
木守(こもり/庭園の番人)という者が土塀のあたりに廂をかけ住んでいる。



その木守(こもり)を、縁側の近くに呼び寄せて、この雪の山をしっかり
番をして、子供たちに踏み散らされたり、壊されたりしないよう大切に
守って、十五日までいなさいと伝え、その日まで雪が残っていたら
立派なご褒美をくださり、わたしからも十分なお礼をするわと話した。


「節句のおさがりまで与えた」

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いつも台盤所の女房や、下僕などに、憎まれているのに、果物やなにかを
たくさん与えたところ、にこにこ笑って、簡単なことです。
確かに番をしましょう。子供がきっと登るでしょうと言う。



子供にそれを止めて言うことを聞かない者は、言いなさいと言い聞かせて
中宮様が内裏にお入りになったので、わたしは七日までお仕えしてから
里に退出した。その間も雪山のことが気がかりなので、宮仕えの者、樋洗し
(ひすまし)、長女(おさめ)などを使って、木守を絶えず注意しに行かせる。



七日のお節句のおさがりまで与えたところ、木守が拝んだことなどを話して
みなで笑う。里にいても、まず夜が明けるとすぐに、これが重大事と
雪山を見に行かせる。十日の頃に、十五日までもつくらいはありますと
言うので、嬉しく思う。そして、昼も夜も見に行かせる。



十四日の夜になって、雨がひどく降るので、これで消えてしまうだろうと
気が気ではなく、あと一日二日を待ってくれないでと、夜も起きて
愚痴を言いため息をつくので、聞いている人も、ばかげていると言って笑う。


「どうしてそんなことになったのだろう」

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誰かが出て行くので、私は寝ないで起きていて、下仕えを起こさせるが
全然起きないので、ひどく憎らしく腹が立って、やっと起きてきたのを
遣わしてみせると、円座の大きさくらいは残っています。木守が一生懸命に
守っていて、子供も寄せつけないで、明日の朝まではあるでしょう。



ご褒美をいただきましょうと言っていますと言うので、とても嬉しくて早く
明日になったら、歌を詠んで、器に雪を入れて中宮様にさしあげようと思う。
とても待ち遠しく辛い。まだ暗いうちに起きて、折櫃(おりびつ)などを
使いに持たせて、これに雪の白そうなところを入れて持って来てと言う。



汚ならしそうな箇所は、ひっ掻いて捨ててなどと言って行かせたら、とても早く
持たせた物をぶらさげて、とっくになくなっていましたと言うので、驚く。
おもしろく詠んで人にも語り伝えさせようと、苦心して詠んだ歌も
呆れたことに役に立たなくなってしまった。



どうしてそんなことになったのだろう。昨日まであれほどあった雪が夜のうちに
消えてしまうとはと言って気がめいっていると、木守が言うには昨日はとても
暗くなるまではありました。ご褒美を頂こうと思っていたのにと手を叩いて
騒いでいましたと言って騒いでいると、宮中から中宮様のお言葉がある。


「こんなに心にかけて思っている」

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中宮様は、ところで、雪は今日までありましたかというお言葉なので
ひどく癪(しゃく)で残念だが、年内、一日までだって残っていないと
人々が申し上げていましたのに、昨日の夕暮れまでありましたのは
実にたいしたものだと思っています。



今日まで残っていたのでは、出来すぎだということで、夜のうちに誰かが
わたしを憎んで、取って捨てたのですと申上げてくださいと申し上げた。
二十日に参内した時にも、まずこのことを中宮様の御前でも言う。



雪山童子の半偈投身の説話の身は投げ捨てたの言葉を言って、蓋だけを
持って来たという法師のように、使いがすぐに戻って来たのに驚いたこと
物の蓋に雪で小山を作って、白い紙に歌を立派に書いてお目に
かけようとしたことを申し上げると、中宮様はたいそうお笑いになる。



御前の人たちも笑うと、こんなに心にかけて思っていることを無にしたのだから
きっと罰が当たるわ。本当は、十四日の夜、侍たちを行かせて取り捨てたから。
おまえの返事でそれを言い当てたのが、とてもおもしろかったと思った。


「今はこんなふうに打ち明けた」

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木守の女が出て来て、一生懸命手を合わせて頼んだが、中宮様のご命令だ。
あの里から来るような人には知らせるな、知らせたら、小屋を壊すなどと
言って、左近の司の南の土塀などにみな捨ててしまったらしい。



ひどく固くて、量も多かったと言ってたようだから、なるほど二十日まで
もったことでしょう。今年の初雪も、降り積もっていたかもしれないわね。
帝もお聞きになって、ずいぶん思慮深い予測をして争ったのだななどと
殿上人たちなどにもおっしゃっていた。



それにしてもその歌を話して、今はこんなふうに打ち明けたのだから、雪山が
残っていたのと同じこと、おまえが勝ったのだよと、中宮様もおっしゃるし
女房たちも言うけれど、どうして、それほでつらいことを聞きながら
申し上げられるのでしょうかと、本当に本心から憂鬱で、辛く思っている。



帝もやって来られて、実際、この何年もの間、宮(中宮)のお気に入りの人と
思っていたのに、これでは、そうでもないなと思ったよとおっしゃるので
ますます情けなく辛く、泣いてしまいそうな気がする。


「言いようもないほどの変わりよう」

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後から降って積もった雪を嬉しいと思いましたのに、辛い世の中ですね。
それはいけない、掻いて捨てなさいとお言葉がありましたと申すと
宮は、勝たせたくないと思ったのだろうと言って、帝もお笑いになる。



素晴らしいもの 。唐錦(からにしき)。飾り太刀。作り仏の木絵(もくえ)
色合いが深く、花房が長く咲いている藤の花が、松にかかっている時。



六位の蔵人。身分の高い若君たちでも、必ずしも着る事ができない綾織物を
自由に着ている青色姿などが、とても立派だ。蔵人所の下級職員や普通の
身分の子供なので、殿様の家の侍として、四位や五位の官職に使われている。



目にもつかなかったのに、蔵人になってしまうと、言いようもないほどの
変わりようで驚いてしまう。宣旨などを持って参上したり、
大饗(だいきょう/大規模な饗宴)の時の甘栗の使いなどで参上したのを
ご主人側で大切に扱っていらっしゃる様子は、天人なのだろうと思われる。


「今は気持ちだけは遠慮して」

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娘が妃になっていらっしゃったり、また、入内(じゅだい)前でも姫君などと
申し上げている方の所に、蔵人(くろうど)が帝のお手紙の使いで参上すると
そのお手紙を御簾の中に取り入れるのをはじめとして、敷物をさし出す
女房の袖口など、その応対ぶりは毎日見慣れている者に対してはとは思えない。



下襲(したがさね)の裾(きょ)を長く引いて、衛府を兼ねている蔵人は
もう少し素敵に見える。その家の主人みずからが杯(さかずき)などを
おさしになるのだから、蔵人自身もどう思っていることだろう。



以前はひどくかしこまって、土の上にひざまずいていた一族の方や名家の
若君たちにも、今は気持ちだけは遠慮してかしこまっているものの
若君たちと肩を並べて連れだって歩き回る。



夜、帝が近くでお使いになるのを見ると、嫉妬さえ感じてしまう。
帝に親しくお仕えする三年、四年くらいを、身なりが悪く
衣服の色がよくないままお勤めするのは、どうしようもない。


「庭に雪が厚く降り積もっている」

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叙爵(じょしゃく)の時期になって、殿上をおりるのが近づくだけでさえ
命よりも惜しいはずなのに、臨時の受領の空きなどを申請して
殿上をおりるのはみっともなく思われる。



昔の蔵人は、おりる前年の春夏から泣いていたのに、今の蔵人は受領に
なりたがって競っている。博士で学識があるのは立派だと言うのも愚かである。
顔は醜くて、身分も低いけれど、高貴な方の御前近く参上して、それ相応の
ことをお尋ねになられて、学問の師としてお仕えするのは羨ましく素晴らしい。



願文、表、詩歌の序などを作成して褒められるのも、とても素晴らしい。
法師で学識のあるのは、改めて言うまでもない。后の昼の行啓(ぎょうけい)。
摂政・関白の外出や春日神社への参詣や赤みがかり少し薄い紫色葡萄染の織物。



すべてなにもかも、花も糸も紙も、紫色であるものは立派である。
庭に雪が厚く降り積もっていることや、摂政・関白。紫の花の中では
杜若(かきつばた)が少し醜い。六位の宿直姿が素敵なのも、紫だからだ。


「紐が風に吹かれてなびいている」

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優艶(上品で感じがよくて美しい)なもの。ほっそりとして美しい
貴公子の直衣姿。可愛らしい童女が、うえの袴わざわざはかないで
脇を多く開けた汗衫(かざみ)だけを着て、卯槌、薬玉などを腰につけて
飾り糸を長く垂らし、高欄の所などに、扇で顔を隠して座っている姿。



薄様の草子。柳が芽吹いた枝に、青い薄様に書いた手紙をつけてあるもの。
三重がさねの扇。五重がさねの扇は、厚くなって、手元などが醜い感じだ。
とても新しいわけでなく、ひどく古びてもいない檜皮葺の家の屋根に
長い菖蒲をきちんと葺き並べてあるとき。



青々とした簾の下から、几帳の帷子(かたびら)の朽木形(くちきがた)が
とても艶々として、紐が風に吹かれてなびいているのは、とてもおもしろい。
白い組み紐の細いもの。帽額(もこう/幕)の鮮やかなもの。簾の外や高欄の
辺りにとても可愛らしい猫が、赤い首綱に白い札がついているとき。



重りの紐や組糸の長いのをつけて、それを引っ張って歩くのもおもしろく
優美である。 五月の節会のあやめの女蔵人(にょくろうど)。髪に菖蒲の
鬘(かずら)をつけ、赤紐のような派手な色でない紐をつけて、領布(ひれ)
裙帯(くたい)などをまとって、薬玉を親王たち上達部が立ち並んで
いらっしゃるのにさし上げるのは、たいそう優艶だ。


「暗くなった頃に持って来て」

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親王たちが薬玉を受け取って腰に結びつけてから、御礼の拝舞をなさるのも
とても素晴らしい。紫の紙を包み文にして、房の長い藤につけたもの。
小忌衣(おみごろも)を着て神事に奉仕する若君たちも、とても優艶である。



中宮様が五節(ごせち)の舞姫を出されるのに、介添えの女房が十二人
よそでは、女御や御息所(みやすどころ)に仕える女房を出すのは
よくないことにしていると聞くのに、どう思われたのか
中宮方の女房を十人お出しになる。



後二人は、女院(にょういん)と淑景舎(しげいしゃ)の女房で
二人は姉妹である。節会の辰の日の夜、中宮様は青摺(あおずり)の
唐衣と汗衫を女房や童女みんなに着せていらっしゃるが、このことは
女房にさえ前もって知らせず、邸の人々にはなおさらひた隠しにしている。



人々が装束をつけ終わって、暗くなった頃に持って来て着させる。
赤紐をきれいに結んで下げて、たいそう艶を出した白い衣に普通版木で
摺る模様は、絵で描いてある。 織物の唐衣の上に、これを着ているのは
本当に珍しいが、特に汗衫を着た童女は女房よりも多少優美である。


「やはりそのままにしておくのがよい」

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下仕えの女までが出て座っているのを殿上人、上達部が驚きおもしろがり
小忌(おみ)の女房と名づけて、小忌の若君たちは、簾の外に座って女房と
話などする。中宮様が、五節の局を日も暮れないうちからみな取り壊して
開けっ放しにして介添え人たちをみっともない格好でいさせるのはどうか。



辰の日の夜までは、やはりそのままにしておくのがよいとおっしゃる。
介添え人たちは追いたてられもしないで、几帳の隙間を結び合わせて袖口は
局の外にこぼれ出ている。小兵衛という女房が、赤紐が解けているのを女房に
結んでと言うと、実方の中将が近寄って結び直すのだが、様子が普通ではない。



あしひきの 山井の水は こほれるを いかなる紐の 解くるなるらむ

山の湧き水が凍っている冬なのに いったいどういう紐なのか
「氷も」が解けるのでしょうと話かける。

小兵衛は若い人で、こんな人目が多い場所だから、言いにくいのだろうか。



返歌もしないで、そのそばにいる女房たちも、そのまま見過ごすばかりで
何も言わないのを、中宮職の役人などは、返歌を、今か今かと、耳をすまして
聞いていたが、時間がかかりそうなので気になり、五節の局に別の方から入り
女房のそばに寄って、どうして返歌をしないのですなどと囁いているようだ。


「あまりにも大げさすぎるようだ」

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うは氷 あはに結べる 紐なれば かざす日かげに ゆるぶばかりを

水面の薄い氷のように軽く結んだ紐だから 日光ですぐに氷が解けるように 
日蔭の蔓をかざした小忌の君たちに会うと この紐もすぐに解けますと



弁のおもとという女房に伝えさせると、弁はもじもじするばかりで
最後まで言えないので、中将が、何ですか、何ですかと耳を傾けて
聞き返すのに、少しどもる癖がある人が、ひどく気取って言う。



素晴らしく聞かせようと思ったので、中将が結局聞き取れないままに
なったのは、返って私の下手な歌の恥が隠れる気がしてよかった。
舞姫が御殿に上がる時の送りなどに、気分がすぐれないと言って
行かない女房にも、中宮様が行くようにおっしゃった。



女房が連れ立って行ったものだから、ほかから出す舞姫とは違って
あまりにも大げさすぎるようだ。中宮様の出された舞姫は
相尹(すけまさ)の馬の頭(かみ)の娘で、染殿の式部卿宮の
北の方の四番目のお子様十二歳でとても可愛らしかった。


「なにかにつけて素敵なことばかり」

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最後の夜も舞姫が慣れない事で気を失い背負って退出するという騒ぎもない。
舞の終わった後、そのまま仁寿殿(じじゅうでん)を通って、清涼殿の東の
簀子から、舞姫を先に立て、中宮様の上の御局に参上したのもおもしろかった。



細太刀(ほそだち)に平緒(ひらお)をつけて、さっぱりと美しい召使の
男が持って通るのも、優艶である。



内裏は五節の頃がなんとなく、いつも見慣れている人までも素敵に思われる。
主殿司(とのもりづかさ)の女官などが、色とりどりの小切れを、物忌みの
札のようにして、釵子(さいし/かんざしの類)につけているなども珍しく見える。



宣耀殿(せんようでん)の反橋(そりはし)の上に、結い上げた髪の元結の
むら濃染めも鮮やかに、並んで座っているのも、なにかにつけて
素敵なことばかりだ。上の雑仕(ぞうし/雑役婦)や女房に仕えている
童女たちが、とても晴れがましいと思っているのは、もっともである。


「二人の童女以外は舞殿に入ってはいけない」

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小忌衣(おみごろも/神事に着る上衣)の山藍(ヤマアイ)や、冠につける日陰の
蔓(つる)などを、柳筥(やないばこ)に入れて、五位に叙せられた男が
持って歩くなど、とてもおもしろく見える。



殿上人が直衣を脱いで垂れて、扇やなにかで拍子をとって
「つかさまさりとしきなみぞたつ」という歌を謳い、五節の局の
それぞれの前を通るのは、宮仕えにとても慣れている人も胸が騒ぐに違いない。
「つかさまされとしきなみぞたつ」は梁塵秘抄に似たような歌がある。
「官位昇進せよと頻(しき)りに波が立つ」の意なのかもしれない。



まして殿上人が一斉にどっと笑ったりする時は、ひどく恐ろしい。
行事の蔵人の掻練襲(かいねりがさね)は、何物にもましてきれいに見える。
客用の敷物などが敷いてあるが、かえってその上に座ることもできないで
出だし衣で座っている女房の様子を誉めたりけなしたりして
この頃は五節所の噂で持ちきりだ。



帳台の試みの夜、行事の蔵人がひどく厳しく仕切って、理髪役の女房と
二人の童女以外は舞殿に入ってはいけないと戸を押さえて、憎らしいほどに
言うので、殿上人などが、それでもこの女房一人くらいはなどとおっしゃる。


「名もないのよとおっしゃった」

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不公平になりますから、だめですなどと頑固に言うのに、中宮様の女房が
二十人ぐらい、蔵人を無視して、戸を押し開けてざわざわ入るので
蔵人はあっけにとられて、まったくこれはどうしようもない
世の中だと言って、立っているのもおもしろい。



その後に続いて、介添えの女房たちもみな入る。蔵人はひどく癪なようだ。
帝もお越しになられて、おもしろいとご覧になっていらっしゃることだろう。
燈台に向かって寝ている舞姫たちの顔も、可愛らしい。



無名(むみょう)という名の琵琶の琴を、帝が持っていらっしゃったので
女房が見たり、弾き鳴らしていると言うが、実は弾くのではなく弦を手で
もてあそび、この名前ですが、なんと言いましたかしらと申し上げると
中宮様が、ただもうつまらないもので、名もないのよとおっしゃった。



やはりとても素晴らしいと思った。淑景舎(しげいしゃ/中宮定子の妹原子)が
いらっしゃって、中宮様とお話しなさるついでに、わたしのところに
とても風情ある笙(しょう)の笛があります。無くなった父上(藤原道隆)が
くださったものですとおっしゃる。


「琴も笛もみな珍しい名前がつけられている」

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僧都の君(道隆の四男隆円)が、それを隆円にください。わたしのところに
素晴らしい琴(きん)があります。それと交換してくださいと申し上げられた。
淑景舎(しげいさ)はお聞きにもならないで、ほかのことをおっしゃるので
隆円はなんとか返事をしてもらおうと、何度もお聞きになる。



だが、何もおっしゃらないので、中宮様が、いなかへじ(いいえ交換しない)と
思っていらっしゃるご様子の、非常におもしろいことは限りない。
この「いなかへじ」という笛の名を、僧都の君もご存じなかったから
ただもう恨めしく思われたようだ。



これは職の御曹司に中宮様がいらっしゃった時のことのように思う。
帝の御前に「いなかへじ」という笛があるその名前である。
帝の御前にある物は、琴も笛もみな珍しい名前がつけられている。



琵琶は、玄上(げんじょう)、牧馬(ぼくば)、井手(いで)、渭橋(いきょう)、
無名(むめい)など。また、和琴(わごん)なども、朽目(くちめ)、塩釜(しおがま)
二貫(ふたぬき)などの名があるとのことだ。水竜(すいろう)、小水竜、宇多の法師
釘打(くぎうち)、葉二つ(はふたつ)、そのほか沢山聞いたが、忘れてしまった。


「別れは知っているのかしら」

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上の御局の御簾の前で、殿上人が一日中、琴を弾き笛を吹いて遊んだりして
灯火をつける頃になって、まだ格子は下げてないのに、灯りを
つけたものだから、戸の開いているのが外からはっきり見えるので
中宮様は琵琶の琴を、立てて持っていらっしゃる。



紅のお召し物などで、言葉では言えないほどの素晴らしい袿(うちぎ)
また張ってある衣(きぬ)などを、たくさんお召しになって、とても黒くて
艶々した琵琶に、お袖をうち掛けて持っていらっしゃるだけでも素晴らしい。



そのわきから額の辺りがとても白く美しくはみ出ていらっしゃるのは
例えようがなく、女房に近寄って、顔を半ば隠していたという女(ひと)も
こんなに素晴らしくはなかったでしょう。あれは、身分の低い人でしたからと
私が言うと、女房は通り道もない所を人をかき分けて中宮様に申し上げる。



中宮様はお笑いになり、別れは知っているのかしらと言われるのもおもしろい。
いまいましいもの。人の所へこちらから送る手紙でも、手紙の返事でも
書いてしまった後で、文字を一つ二つ直したくなった時など。
急ぎの物を縫う時上手く縫ったと思ったのに、針を引き抜いたところ
最初の糸の端を結んでおらず糸が抜けるのは実にいまいましい。


「早くこれを縫い直してと言うの」

「Dog photography and Essay」では、
「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。



南の院に中宮様がいらっしゃる頃、急ぎの仕立物ですので、どなたもどなたも
すぐに大勢で縫ってしまいなさいということで、反物をくださったので南面に
集まって、着物の片身頃ずつ、誰が早く縫うかと競争して、近くで向かい
合いもしないで縫っている様子もまったく正気を失っているようだ。



命婦(みょうぶ)の乳母が、とても早く縫い終わって下に置いたのは
ゆきの長いほうの片身を縫っていたのだが、裏返しなのに気づかないで
糸の縫い止めもしないで、慌てて置いて席を立ったが、もう片方と
背を合わせてみると、はじめから表裏が違っていた。



大声で笑って、早くこれを縫い直してと言うのを、誰が間違えて
縫ってあるとわかって縫い直す時。綾(あや)などなら、模様があるから
裏を見ない人も、なるほどと思って直すでしょうが、これは無紋の
お着物だから、何を目印にするの。直す人は誰かいるでしょ。



まだ縫っていらっしゃらない人に直させてと言って、言うことを聞かないから
そんなこと言ってすむのと言って、源少納言、中納言の君などという人たちが
面倒くさそうに取り寄せてお縫いになるのを、乳母が遠くから見て
座っていたのがおもしろかった。


「飛び出していきたい気持ちがする」

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風情のある萩や薄(うす/ススキ)などを植えて眺めている時に
長櫃(ながびつ)を持った者が、鋤などを引き下げて来て、掘りに掘って
持って行くのは、情けなくいまいましいと思う。



相当な身分の人がいる時には、そんなことはしないのに、女ばかりだと
一生懸命止めても、ほんの少しなどと何気なく言って立ち去ってしまうのは
言う甲斐もなくいまいましい。受領などの家にも、相当な家の下僕などが来て
失礼なことを言い怒ったところでじぶんをどうすることもできない。



どうする事もできないのは、全くいまいましく思う。見たい手紙などを
男が取って、庭に下りて立って読んでいるのを、とても情けなく
いまいましく思って追って行くが、御簾のところで立ち止り
その様子を見ている気持ちって、飛び出していきたい気持ちがする。



いたたまれないもの。お客様などに会って話をしている時、家族が奥の方で
露骨な話などをするのを、止めることもできないで聞いている気持ち。
愛する人がひどく酔って、露骨なことを言うときなど。
そばで聞いていたのを知らないで、人の噂をしたとき。


「夢のような気持ちがして意外」

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大した身分ではなくても、使用人などの場合でも、とてもいたたまれない。
外泊している所で、下男たちがふざけている時や醜い赤ん坊を
自分だけが可愛いと思うままに、大切にして可愛がって
その子の声そっくりに言ったことなどを人に話している時。



学識のある人の前で、学識のない人が、いかにも物を知っているような声で
古人の名前など言ってる時や特別良いとも思われない自分の歌を人に話して
人が誉めたりしたことを言うのも、いたたまれないものである。



あきれてしまうもの。情けないもの挿櫛(さしぐし/装飾用の櫛)をすって
磨くうちに、物に突き当たって折ってしまった気持ちの時。
牛車がひっくり返った時は実に情けないと思ってしまう。



牛車などこんな大きな物は、どっしりしているだろうと思ったのに
ただ夢のような気持ちがして意外で、あっけなくひっくり返ってしまう。
その人にとって恥ずかしく都合の悪い事を、遠慮もなく言っている時。


「よそに持って行く手紙を見せている」

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必ず来るだろうと思う人を、一晩中起きて待って夜を明かして夜明け前に
ほんのちょっと忘れて、寝てしまったところ、烏がとても近くで、かぁ~と
鳴くので、目をあけてみたら、昼になっているのは、ひどく呆れてしまう。



見せてはならない人に、よそに持って行く手紙を見せているとき。
まったく知らない見てもいないことを、人がこちらに向かい合って
反論する余裕も与えないで言っているとき。物をひっくり返して
こぼした気持ち、まったく呆れてしまう。



残念なもの。五節(ごせち)や御仏名(みぶつみょう)に雪が降らないで
雨が空を暗くして降っているとき。節会(せちえ)などに宮中の
物忌が重なり合ったときに準備して、早くと待っていた事が
差し支えがあって、急に中止になったとき。



遊びたかったり、見せたいものがあって、呼びにやった人が来ないのは
とても残念。男でも女でも法師でも、仕えている所などから気の合った人が
一緒に、お寺に詣り見物にも行くのに車から派手な衣装がこぼれ出て
言ってみれば趣向を凝らしすぎで、見苦しすぎると見られること。


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