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「白いのや紫のもあり黒い雲も」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。雲は、白いのや紫のもあり、黒い雲は尚おもしろい。風が吹く時の雨雲。夜が明ける頃の黒い雲が、だんだん消えて、あたりが白くなっていくのもとてもおもしろい。朝に去る色とか、漢詩にも作ってあるようだ。月のとても明るい表面に薄い雲、とてもしみじみとした風情がある。騒がしいもの、ぱちぱちとはねる火の粉。板葺きの屋根の上で、烏(からす)が僧のまいた朝食の残飯を食べている時。十八日に清水寺に籠り合っている時。暗くなって、まだ火をともさない頃に、よそから人が来遭わせた時。まして遠い所の、地方などから、家の主人が上京して来た時は、とても騒がしい。近い所で火事だと人が言う時。でも、燃え尽きはしなかった。
2021.06.30
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「沈んだ山に光が残り赤く見えている」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。日は、入り日。沈んでしまった山の端に光がまだ残っていて赤く見えているところに、薄く黄ばんだ雲がたなびいているのがとてもしみじみとした風情がある。月は、有明(ありあけ)の月が東の山の上に、細い形で出る頃がとてもしみじみとした風情がある。星は、昂(すばる)。彦星(ひこぼし)。宵の明星。よばい星は少しおもしろい。尾さえなかったら、もっといいのだが。よばい星は、和名抄(平安時代中期に作られた辞書)に「兼名苑(けんめいえん)に云う、流星、一名奔星(ほんせい)」とあり、「和名 与波比保之(よばいぼし)」とある。流れ星が尾を引くことを、なぜ嫌がったかは不明である。
2021.06.29
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「すぐに過ぎて行くものは春夏秋冬」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。すぐに過ぎて行くもの。帆を上げた舟。人の年齢。春、夏、秋、冬。清少納言は直ぐに過ぎて行くものでは、春夏秋冬で1年の速さを伝え、人の一年の過ぎゆく速さをあっさりと書き記している。格別人に知られないもの。凶会日(くえにち)。凶会日とは、悪事の集まる凶日。 婚礼、旅行などすべてに悪日である。陰陽の凶の日で、毎月三日間から十四日間、年間七十九日もあるので多すぎていちいち気にしていられない。人の母親の年老いた姿。手紙の言葉が失礼な人は、ひどく憎らしい。世間をいい加減に軽く見て書き流している言葉が気にくわない。かといって、それほどの人でもない人にあまりにも丁寧な言葉を使うのも、実際はよくない。だが失礼な手紙は自分が受け取ったのはもちろん、人の所に来ているのさえ憎らしくてならない。面と向かって話している時でも失礼な言葉は、聞くにたえない。
2021.06.28
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「雪が深く積って今も降り続いている」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。雪が深く積って、今も降り続いているが、五位でも四位でも、端正な姿の若々しい人が、袍の色がとてもきれいで、石帯(せきたい)の痕(あと)がついているのを、宿直姿(とのいすがた)に腰にたくし上げて、紫の指貫も雪に一段と引き立って色濃く見えるのを着ている。袍の下の衵(あこめ)は紅、そうでなければ、はっとするような山吹色のを出衣(いだしぎぬ)にして、傘(からかさ)をさしているのに、風がひどく吹き、横から雪を吹きかけるので、傘を少し傾けて歩いて来ると、深い沓や、半靴のはばき(脛あて)にまで、雪がとても白く降りかかっているのは趣きがある。
2021.06.27
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「生まれ変わって天人になるっていうのは」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。生まれ変わって天人になるっていうのは、こうなのだろうかと見えるものは普通の女房として仕えている人が、帝の皇子の御乳母になっている。唐衣も着ないで、喪さえも、どうかすると着ないような姿で、御前で添い寝をして、御帳台の中を自分の居場所にして、女房たちを呼んで使い自分の局に用事を言いつけさせたり、手紙を取り次がせたりしている様子はなんとも言いようがない。雑色が蔵人になったのは、素晴らしい。蔵人所の雑色は無位で、それが六位の蔵人になるのは華々しい特進である。去年の十一月の祭りに、琴を持っていた時は、大した人とも思えなかったのに若達たちと連れ立って歩き回る今は、どこの人だろうと思われる。蔵人所の雑色以外から蔵人になった人は、それほど大した事とも思えない。臨時の祭の試楽の時には、蔵人所の雑色が二人で和琴をかき出す。
2021.06.26
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「軽率なおまえそれもそのはず」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。藤原輔尹(すけただ)は、木工(もく)の允(じょう)で、蔵人になった人だ。とても荒々しく嫌な感じなので、殿上人や女房たちが「あらはこそ(露骨)」と呼んでいるのを「軽率なおまえ、それもそのはず、尾張の人の種なのだ」と歌にして唄うのは、尾張の兼時の娘の子だからだ。この歌を帝が笛で吹いているのを、そばで控えていて、もっと音高くとかすけただ(藤原輔尹)には聞こえないでしょうと申し上げると、どうだろう?そうはいっても聞きつけるだろうと言われて、いつもはこっそりと笛を吹かれるが、その時は清涼殿から中宮様の所へ渡り、あの者はいないな。今こそ吹こうと、思いっきり笛を吹かれるのは、とても素晴らしい。
2021.06.25
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「帝が来られたり中宮様が参上なさる通路」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。一条の院を今内裏(いまだいり)という。帝がいらっしゃる御殿は清涼殿でその北の御殿に中宮様はいらっしゃる。西と東は渡り廊下で、帝が来られたり中宮様が参上なさる通路で、前は中庭で、草木を植え、籬垣(ませがき/垣根)を結って、たいそう趣がある。二月二十日頃の、日がうららかに照っている時に渡り廊下の西の廂(ひさし)の間で、帝がお笛をお吹きになる。高遠(たかとお)の兵部卿が帝のお笛の師であるが、その高遠と笛二つで高砂(たかさご)を繰り返し吹くのは、平凡すぎる表現だがとても素晴らしい。兵部卿が笛に関することを帝に奏上するのが、とても素晴らしい。私たち女房が、御簾の傍に集まり拝見している時には、芹摘みしと思うようなことはなかった。芹摘みし 昔の人も わがごとや 心に物は 叶はざりけむ芹を摘んだ昔の人も わたしのように嘆いていたのだろうか 世の中は思いどおりにならない 長保二年二月二十五日に定子は皇后になったが、同時に彰子は中宮となりこの前後定子の身辺は不遇で、昔の華やかさを追慕するしかなかったが、この時は惨めさを忘れた時だった。
2021.06.24
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「何をして報いどんな官位を与えようか」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。この中将を、帝は素晴らしい人と思われて、何をして報い、どんな官位を与えようかと言われたので、どんな官位も爵位もいただきません。ただ老いた父と母がいなくなっているのを探し出して、都に住まわせる事をお許し頂きたいのですと申し上げると、とても簡単なことだと許された。全ての人の親はこれを聞いて喜んだことはなはだしかった。帝は、中将を上達部から大臣へと取り立てになり、こういうことがあって、中将の親が神様になったのだろうか、その明神の所に参詣していた人に、夜、神が現れ、七曲に 曲がれる玉の 緒をぬきて ありとほしとは 知らずやあるらむ七曲がりに曲がった玉に糸を通し蟻を通したのは 蟻通明神だとは人は知らないでいるのだろうかとおっしゃったと、ある人が話してくれた。
2021.06.23
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「わが国ではみなしている事です」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。七曲がりに曲がりくねった玉の穴に糸を通していただきましょう。わが国ではみなしている事ですと言って奉ったので、どんな立派な細工の名人でも無理だと、多くの上達部や殿上人、世の中のありとあらゆる人が言うので、中将はまた親の 所に行って、こうこうですと事情を伝えた。大きな蟻(あり)を捕まえて、二匹ほどの腰に細い糸をつなぎ、また、それにもう少し太い糸をつないで、向こう側の口に蜜を塗ってみなさいと言ったので中将は帝にそう申し上げて、蟻を入れたところ、蜜の匂いをかいで、本当にとても早く、向こうの口から出て来た。その糸が通っている玉を送り返した後に日本の国は賢かったという事で、それから唐の帝はそういう事もしなくなった。
2021.06.22
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「自分だけが知っているという顔つき」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。中将は参内して、自分だけがよく知っているという顔つきで、それでは試してみましょうと言って、人と一緒に行って投げ入れて先になって流れる方にしるしを付けて送ったところ、本当にそのようになった。二尺程の蛇の、全く同じ長さなのを、これはどちらが、雄か、雌かと言って唐から帝に奉った。これもまた、誰も見分けがつかない。例によって中将が親の所に行って尋ねると、二匹を並べ、尾の方に細い若枝を近づけても尾が動かないのを、雌だと思えと言った。これをすぐ、内裏の中でその通りにしたところ、本当に一匹は動かず、一匹は動かしたので、また、その通りのしるしをつけて送られた。その後しばらく経ってから、七曲がりに曲がりくねった玉の、中に穴が通っていて左右に穴の口が開いている小さいのを送ってきた。(舌で体温調整している。舌がだらりと垂れ下がると熱中症の危険性)
2021.06.21
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「心がとても賢く色んな事を知って」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。七十歳近いのに子供が中将というのでは。心がとても賢く、いろんなことを知っていたので、この中将も若いけれど、とても評判がよく、思慮深く配慮が行き届いているので、帝も時めいている人と思っていらっしゃった。唐の帝が、この国の帝を何とか騙して奪おうと、よく知恵だめしで争い事をけしかけるので、帝は恐れていらしたが、ある時、艶々と丸く綺麗に削った木の二尺ぐらいあるのを、これの根元と先は、どちらかと帝に問うために献上したが、全くそれを知る方法がないので帝が困っている。中将はお気の毒に思って、親の所に行き、これこれの事があるのですと言うとただ流れの早い川に立ったまま木を横向きに投げ入れて、ひっくり返って流れる方を先と記して送ればいいと教える。
2021.06.20
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「和歌によって神が慰められる」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。蟻通(ありどおし)は、能楽における能の演目のひとつ。和歌によって神が慰められるという和歌を賞賛する内容であり、神を題材にしているが初番目物ではなく4番目物となっている。尉物に分類される。この蟻通と名前をつけたのは、本当のことだろうか。昔いた帝が、若い人だけを可愛がり、四十になった人を殺してしまい遠いよその国へ行って隠れて、全く都には年寄りがいなくなり中将だった人でとても時めいて心なども賢く七十近い親を二人持っていたが、このように四十でさえ処罰されるのに七十では尚更恐ろしいと親が恐れて騒ぐ。(ももの5歳の誕生日祝いのメッセージありがとうございました)中将はとても孝心のある人で、遠い所には住まわせないで一日に一度は顔を見ないではいられないと、密かに家の中の土を掘って、その中に小屋を建て親を隠して行っては顔を見る。人にも朝廷にも、どこかに姿を隠した事を知らせてあり、帝は、家に引き籠る人まで気にしなくてもよいと思う。
2021.06.19
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「嘆きが木となって森になるでしょう」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。社(やしろ)は、布留(ふる)の社。生田(いくた)の社。旅の御社(みやしろ)花ふちの社。杉の御社(みやしろ)は、効験があるのだろうとおもしろい。ことのままの明神は、とても頼もしい。でも、願いをそんなに沢山聞いて下さるなら 最後にはその人達の嘆きが木となって森になるでしょう。蟻通(ありとおし)の明神は、紀貫之(きのつらゆき)の馬が病に苦しんでいた時この明神が病気にさせられたので、歌を詠んで奉ったととてもおもしろい。かきくもり あやめも知らぬ 大ぞらに 在りと星(蟻通)をば 思ふべしやは空が雲っていて星があるとは思いもしなかった。空が雲って星がどこにあるかわからないように、これといったしるしがなかったので、ここが蟻通の神の神域とも知らないで、馬を乗り入れた罪をお許しください。
2021.06.18
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「中宮様からの手紙は万葉仮名を草体化したもの」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。清水寺に参籠していた時、中宮様からわざわざお使いを下さったお手紙は唐の紙の赤みをおびたのに、草仮名(万葉仮名を草体化したもの)で、山近き 入相の鐘の 声ごとに 恋ふる心の 数は知るらむ山に近い寺の夕暮れの鐘が一つ鳴るごとにおまえを恋しく思うわたしの心の数はわかるでしょう。それなのに随分長い滞在ねと書いている。紙などの失礼にならないものも忘れてきた旅先に来てしまっていたので紫色の蓮の花びら(造花)に返歌を書いて差し上げる。駅(うまや)は、梨原(なしはら)。望月の駅。山の駅は、身に染みて感じたことを聞いていたのに、更にまたしみじみとしたことがあったのでやはり考え合わせて感慨深い。「駅(うまや)」街道の所々に馬・人足をそなえておき、旅人の用にあてた所。宿駅、駅(えき)。
2021.06.17
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「扇の中に京で雨が降っている絵」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。乳母の大輔(たいふ)の命婦(みょうぶ)が、日向(ひゅうが/宮崎県)へ下る時中宮様がお与えになるいくつもの扇の中に、片面は日がのどかに射している田舎の館などを沢山描いて、もう片面には京のしかるべき所で、雨がひどく降っている絵にあかねさす 日に向ひても 思ひ出でよ 都は晴れぬ ながめすらむと明るい日向に行かれても思い出してください 都では晴れることのない長雨で わたしが寂しく暮らしていることを自筆で書いていらして、とてもしみじみと身に染みる。このような慈愛深いご主君を見捨てて、遠方へ行くことはできないだろう。↑妻が倒れる2年前にホテルで撮った写真で今から12年前の写真である。中国人のツアーに混り観光してホテルへ帰って来た時のワンショット。
2021.06.16
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「彰子が中宮となり定子は皇后となる」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。三条の宮に皇后(定子)様がいらっしゃる頃、衛府から五月五日の菖蒲の輿を持って来て、薬玉を献上したりする。若い女房たちや御匣殿(みくしげどの/定子の妹)などが薬玉を作って姫宮や若宮のお召物におつけになる。とても風雅な薬玉を、他の所からも献上されたが、その中に青ざし(菓子)を持って来てあったのを青い薄様(うすよう)を、しゃれた硯箱の蓋に敷いてこれは、ませ越しの麦ですと言って、皇后様にご覧にいれたところ、みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば 君ぞ知りける人がみな花や蝶と浮かれている日も わたしの気持ちをよく分かっていると私がさし上げた紙の端をお破りになってお書きになったのはとても素晴らしい。「皇后」この年の二月道長の娘彰子が中宮となり、定子は皇后となった。「青ざし」菓子の名。青麦を煎って臼でひき、糸のようによったもの。ませ越しに 麦はむ駒の はつはつに 及ばぬ恋も 我はするかな柵越しに麦を食べる馬のように はるかに及ばない恋をわたしはするのかも当時皇后は、妊娠中で食欲がなく、青ざしをわずかでも食べてほしいと勧めた。
2021.06.15
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「夜明け前に傘をさして帰って行った」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。細殿(女房の部屋)に不都合な人が、夜明け前に傘をさして帰って行ったと女房たちが言い出したのを、よく聞くと、それはわたしのことだった。昇殿を許されない地下(じげ)といっても、感じがよく、人にとやかく言われそうな人でもないのに、変だなと思っていると、中宮様の所からお手紙を持って来て、返事を今すぐとお言葉がある。何だろうと思って見ると、大きな傘の絵を描いて、人の姿はなく、只手だけが傘を持っていて、その下に、山の端が明るくなった朝からと書いていらしたりやはりこんなちょっとした事でも、ただもう素晴らしいと感心するばかりで恥ずかしく、おもしろくない事はご覧頂かないようにしようと思うのに。こんないい加減な噂を立てられるのは辛いけれど、中宮様の手紙のおもしろさに別の紙に、雨をたくさん降らせて、その絵の下にならぬ名の立ちにけるかな雨ではなく 浮き名が立ちましただから 濡衣(ぬれぎぬ)ということになるのでしょうと申し上げると右近の内侍などにお話しになって、お笑いになったそうだ。
2021.06.14
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「そうでない者は見向きもされない」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。馬の口を取ったりする者はおもしろがられ、そうではない者は見向きもされないのはかわいそうだ。斎院の御輿がお通りになると見物している車は轅(ながえ)を一斉におろし、お通り過ぎになると慌てて上げるのもおもしろいじぶんの前にとめてある車は、従者がうるさく止めるのだが、どうしてとめてはいけないのだと言って、強引にとめるので、それ以上言えなくて直接車に乗っている相手に交渉したりするのは、おもしろい。空いた場所もなく何台もとまっているのに、貴い方の車やお供の人の車が引き続いて、たくさん来るのを、どこにとめるつもりだろうと見ていると先払いたちがつぎつぎと馬からおりて、とめてある車を、強引にどかせてお供の車までずらっととめさせたのは、とても素晴らしいと思う。追い払われた多くの車が轅に牛をかけて、場所が空いている方へ揺り動かして行くのは、ひどくみじめだ。きらきらと輝いている立派な車などにはそれほど無理に押しつぶすことはしない。とてもさっぱりときれいな感じだが田舎じみて、見苦しい身分の低い者を絶えず呼び寄せて行列の見やすい所へ出してやったりする車もある。
2021.06.13
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「自分より立派な車を見つけた時には」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。わたしなどは、ひたすらその日のためにと、車の簾も新しくしてこれなら情けない思いをすることはないだろうと思って出かけたのに自分より立派な車などを見つけた時には、どうして出て来たのだろうと思ってしまうのに、ましてそんな連中は、どんな気持ちで、そんな格好で見物するのだろうと思ってしまう。よい所に車をとめようと急がせたので、朝早く出て行列を待つ間、車の中で座り込んだり立ち上がったりしていた。暑く苦しくて待ちくたびれている時に殿上人や、蔵人所の衆、弁官、少納言が七、八台の車を連ね斎院から走らせて来る時には、行列の準備ができたのだとハッと気がついて嬉しく高貴な方が観覧の桟敷(さじき)の前に車をとめて見物するのもおもしろい。桟敷の殿上人が挨拶の使いをよこしたり、蔵人所の先駆けの者たちに水飯を食べさせるというので、階段のそばに先駆けの者たちが馬を引き寄せると、その中の評判の高い人の子息などには殿上人の雑役が桟敷からおりて、馬の口を取ったりするのもおもしろい。
2021.06.12
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「さっぱりしてほっそりとした男」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。どこかへ行く途中で、さっぱりとしていてほっそりとした男が立文(たてぶみ)を持って急いで行くのを、どこに行くのだろうと目にとまるまた、きれいな女童などで袙(あこめ)の際立って鮮やかではなくて、着なれて柔らかくなっているのに、屐子(けいし/下駄・足駄)のつやつやしたもので歯に土が多くついているのを履いて、白い紙に包んだ大きな物、または箱の蓋に何冊かの草子を入れて持って行くのは、たまらなく中を見たい気がする。門の近くの前を通るのを呼び入れると、愛想もなく、返事もしないで行く者は召し使っている主人の人柄が推し量られ、他のどんな事よりもみすぼらしい車に乗って粗末な服装で祭などを見物する人は、まったく気にくわない。説経などを聞く時はそれでもいい、罪を減らすためなのだから。それでもやはりあまりにも異様な格好では見苦しいから、賀茂祭などは、そんな格好で見物しないでほしい
2021.06.11
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「人の家にふさわしいもの」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。人の家にふさわしいものっていうと、折れ曲がっている廊や円座(わろうだ)三尺の几帳。大柄な童女。品のいい召使。侍の曹司(詰所)。折敷(おしき/盆)懸盤(かけばん/膳)。中の盤(ちゅうのばん/不審)。衝立障子。かき板(裁縫用の裁ち物板、メモ用の書き板、物を運ぶ板など諸説ある)装飾を立派にしてある餌袋(えぶくろ)。からかさ(唐風のかさ)棚厨子(たなずし)。提子(ひさげ/つるのある、鍋のような小さな金属製の容器水や酒などを入れてさげたり、温めたりするもの)。銚子(ちょうし)銚子は酒を入れて杯につぐための器。金属製で長い柄がついている
2021.06.10
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「今たきしめた香よりもすばらしい」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。十分に焚きしめた薫物(たきもの/練香)を、昨日か一昨日でもよかったのに今日まで忘れていたので、取り上げたところ、その余香が今も残っているのは、今たきしめた香よりもすばらしい。月がとても明るい夜、牛車で川を渡ると、牛が歩くのにつれて水晶などが割れたように、水が散ったのはおもしろい。大きいほうがよいもの。家。餌袋(えぶくろ/法師。果物。牛。松の木。硯の墨従者の目が細いのは、女性的だ。だからといって鋺のような大きな目は恐ろしい。火桶。酸漿(ほおずき)。山吹の花。桜の花びら。短くてもよいもの 急ぎの仕立て物を縫う糸。身分の低い女の髪。未婚の娘の声。燈台。
2021.06.09
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「ひどく疲れて苦しく寝てしまった」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。九月二十日過ぎ頃、長谷寺(はせでら)に参詣して、ほんとにちょっとした家に泊まったが、ひどく疲れて苦しく、ただもうぐっすり寝てしまった。夜が更けて月の光が窓から漏れていて、人々が寝て掛けている夜着の上に白く月の光が映っていたのには、とても身に染みとしみじみと感じ人は、このような感傷的な時に、歌を読むのだと思った。清水寺にお参りして、坂本からのぼって行く時に、柴を焚く香りがとてもしみじみと身に染みて感じられるのは、心が晴れ晴れする。五月五日の菖蒲(しょうぶ)で、秋冬が過ぎるまで残っているのがひどく白くなって枯れてみすぼらしいのを、引き折って取り上げるとその五月の時の香りが残っていて漂うのは、とてもすがすがしい。
2021.06.08
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「太秦の広隆寺に参詣する時に見た」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。八月末、太秦(うずまさ)の広隆寺に参詣するので、ふと横を見ると穂が出ている田を、人が大勢で見て騒いでいるのは、稲を刈るようだ早苗を取って植えたけど、いつの間に、本当にこの間、賀茂に参詣する時に見た早苗が、もうこんなになっていたのだ。さ苗を早苗と書き、苗代から田へ植えかえるころの稲の苗のこと今度は男たちが、とても赤くなった稲の、根もとが青いのを持って刈る何というのかわからない道具で、根もとを切るのが簡単そうなので自分もやってみたいように思える。どうしてそんなことをするのだろう。穂を一面に敷いて、男たちが並んで座っているのもおもしろい。仮小屋の様子などもおもしろい。
2021.06.07
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「ほととぎすのことを酷く馬鹿にして唄う」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。五月四日の夕方、青い草を沢山、きちんとそろえて切って、左右の肩に担いで、赤い狩衣を着た男が歩いて行くのは、おもしろい。賀茂神社へ参詣する途中で、田植えをするというので、女が新しい折敷(おしき/トレー)のような物を笠としてかぶってとても大勢立って、歌をうたう。体を折り曲げるようにまた何をしているか見えないけれど、後ろの方へ行く。どういうことなのだろう、おもしろいと思って見ているうちにほととぎすのことを酷く馬鹿にして唄うのを聞くと不愉快でならない。ほととぎす きさま あいつよ きさまが鳴くから おれは田植えをすると唄うのを聞くにしても、一体どんな人が、いたくな鳴きそと詠んだのだろう藤原仲忠(宇津保物語の主人公)の不遇な幼少時の生い立ちを悪く言う人とほととぎすは鶯に劣ると言う人は、ひどく情けなく憎らしい。ほととぎす いたくな鳴きそ ひとりゐて いのねられぬに 聞けば苦しもほととぎす そんなに鳴かないで 独り寝の寂しくて眠れない夜は よけいに寂しくなる(拾遺集・大伴坂上郎女)
2021.06.06
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「辺りが薄暗くはっきり見えない時」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。ひどく暑い頃、夕涼みという時刻、辺りが薄暗くはっきり見えない時に男車が先払いをして走らせるのは言うまでもなく普通の身分の人でも牛車の後ろの簾を上げて二人でも一人でも乗って走らせて行くのは涼しそうである。まして、琵琶を弾き鳴らし、笛の音などが聞こえて来るのが通り過ぎ行ってしまうのは残念だ。そんな時に、牛の鞦(しりがい)の香りが、妙な嗅いだことのない匂いだが、いいなと思われるのは自分ながらどうかしているとても暗く、月のない夜に、車の先に灯してある松明の煙の香りが車の中に匂っているのもおもしろい。鞦とは馬の頭・胸・尾にかける紐。特に尾から鞍にかけ渡す紐の事。
2021.06.05
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「五月の頃などに山里に出かける」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。五月の頃などに山里に出かけるのは、とてもおもしろい。草の葉も水もとても青くずっと一面に見えているのに、表面は何の変化もなく草が生い茂っているところを、長々と縦に行くと、下は何とも言えないほどの水が、深くはないけれど、人などが歩いて行くとはね上がったりするのは、とてもおもしろい。左右の垣根にある枝などが車の屋形などに入ってくるのを急いでつかまえて折ろうとするうちに、すっと行き過ぎて枝が逃げてしまい折れないのはとても悔しい。蓮(よもぎ)が車に押しつぶされていたのが車輪が回って上に上がる時に、近くにひっかかっているのもとてもおもしろい。
2021.06.04
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「何度言っても言うことを聞かない」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。何度も慌てないでと言っても、言うことを聞かないので、仕方なく車を進め少し道幅の広い所で、車を無理に止めさせると、供の者は、じれったいと思っているようだが、後ろに繋がる沢山の牛車を見るのもおもしろい。男車で誰なのか分からないのが後から続いて来るのも、普段よりおもしろいと思うのに、道が別れる所で、その車の男が峰に別るると言ったのも趣がある風吹けば 峰にわかるる 白雲の 絶えてつれなき 君が心か風が吹くと峰から離れてゆく白雲のように 途絶えてしまった あなたの冷淡な心のようだ。古今集・壬生忠岑(みぶのただみね)やはり興味をそそられるので、斎院の鳥居の所まで行って見る時もある内侍(ないし)の車などの帰るのがとても騒がしいので、違う道から帰る本当の山里のようで風情があり、うつぎ(卯の花)垣根がとても荒々しく大げさなほどつき出した枝などが多いのに、花はまだすっかり開かないで蕾が多いように見える枝を折らせて、牛車のあちこちに挿したのも桂などがしぼんでしまったのが悔しく、おもしろく思われ非常に狭くてとても通れそうにないように見える行き先が、段々近づいて来ると通れないと思ったのが、実は通れたというのは素晴らしいことだ♪卯の花の匂う垣根に、時鳥早も来鳴きて忍音(しのびね)もらす夏は来ぬ♪
2021.06.03
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「卯の花の垣根のように思われて」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。あの者たちはまだ先の事のように言っていたが、まもなく斎院はお帰りになるお供の女官の扇をはじめ、青朽葉(あおくちば)の着物が、とてもおもしろく見えるのに、蔵人所の役人たちが、青色の袍に白襲(しらがさね)の裾をほんの少し帯にかけているのは、卯の花の垣根のように思われてほととぎすもその陰に隠れてしまいそうに見える。昨日は牛車一台に大勢乗って、二藍の袍と同じ色の指貫をつけ、狩衣などをだらしなく着て、牛車の簾を取りはずし、気が変になったようにはめを外した若君たちが、斎院のお相伴役というので、正式の束帯をきちんとつけて今日は車に一人ずつ寂しく乗せている後ろの席に、可愛らしい殿上童を乗せている。行列が通り過ぎた後は、気も急くのだろうか、みなが危なく恐ろしいほどに先に出立しようと急ぐのを、そんなに急がないでと扇をさし出して止める。
2021.06.02
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「鶯が年老いた声で精一杯鳴いている」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。日は出ているが、空はやはり曇ったままで、いつもは気が気でなく何とかして聞こうと目を覚まして起きて鳴くのを待っているほととぎすがこんなに沢山いるのかと思うほど鳴き立てているのは、とても素晴らしいそう思っていると、鶯(うぐいす)が年老いた声でほととぎすに似せようと精一杯声を合わせて鳴いているのは憎らしいけれど、これまた趣がある。御社(みやしろ)の方から、赤い狩衣を着た者たちが連れ立ってやって来るのでどんな様子なの、行列は始まったのと言うと、まだ、いつのことだかと答え御輿などを持って斎院に帰って行く。あの御輿に乗っていらっしゃるだろうと斎院を思うと素晴らしく神々しく、何故あのような身分の低い者たちがお傍にお仕えしているのだろう思うと恐ろしくなる。
2021.06.01
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