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〔88〕心の中では際限もなく物思いを続ける「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。中宮さまもお隠しになっていたが、殿も帝もその様子をお気づきになり、殿は漢籍などを立派に書家に書かせられて、中宮さまにさしあげられた。中宮さまがこうしてわたしに漢籍を読ませられていることまでは、さすがに、あの口うるさい内侍も、聞きつけていないだろう。もし知ったなら、どんなに悪口を言うだろうと思うと、何事においても世の中というものは煩わしいことが多く厭なものである。惟規(のぶのり)を式部の弟とする説が多いし、「光る君」では惟規(のぶのり)は弟として脚本されている。晦日の夜の引きはぎでは、わたしは兄だと理解している。原文では、「かの人はおそう読みとり」となっていて、弟がなかなか理解できなかったことを、そばで聞いていた姉が弟よりも早く理解したというのでは、わざわざ日記に認めなくてもいいと思う。兄よりも年少の式部のほうが早く理解したから、あえて日記に認めたのであり、父の為時も残念がったのであろう。『紫式部日記』を読んできて、『源氏物語』のすさまじい肉迫力と、骨身をけずるような描写力は、類まれな詩魂と学才を持った、ひとりの容赦ない女流から必然的に生み出されたと妙に納得してしまう。
2024.03.28
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〔87〕子供のころに漢籍を読んでいた「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。わたしの兄の式部の丞(藤原惟規、引きはぎ事件では兵部の丞)という人が、子供のころに漢籍を読んでいた時、そばで聞いて覚えていて、兄が時間をかけて理解したところや、忘れたりしたところでも、わたしは不思議なほど早く理解したので、学問に熱心だった父は、悔しい。この娘(こ)が男の子でなかったのは不運だと、いつも嘆いていらっしゃった。 それなのに、男だって学問をひけらかす人は、どういものだろうか。栄達はしないだろうよと、だんだん人が言うのを聞いてからは、一という漢字でさえ書いてみせないので、あまりにも無学で、あきれるほどだ。かつて読んだ漢籍などというものは、目にもとめなくなっていたのに、さらにこんなあだ名を聞いたので、こんなことでは人も伝え聞いて憎むだろうと、恥ずかしいので、屏風に書いてある文字さえ読まないふりをしていた。なのに、中宮さまが御前で、『白氏文集』のところどころをわたしに読ませられたりして、この方面(漢詩文)のことを知りたそうにしていらっしゃると思われたので、極力人目を避けて、女房の伺候していないあい間あい間に、一昨年の夏ごろから、楽府(がふ/白氏文集の巻二、巻三)といふ本二巻を、きちんとではないが教えさせていただいているが、このことも隠している。
2024.03.26
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〔86〕心の中では際限もなく物思いを続ける「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。慈悲深い仏様だって、三宝(仏・法・僧)をそしる罪は重いと説かれている。まして、これほど濁りきった世俗の人は、こちらに辛くあたる人には辛くしてもよいとおもう。それを、じぶんのほうが上だと言わんばかりに、ひどい言葉を言って、面と向かって険悪な表情でにらみ合ったりするのと、そうではなくて心の中を見せず、表面は穏やかにしているのとの違いによって、心の良し悪しはわかるものだ。 紫式部にとって人間の差は、本心を露にするか、包み隠して寛大にふるまうかの違いにあるようだ。日本紀(にほんぎ/日本書紀)の御局(みつぼね)・楽府(がふ/漢の武帝の時代に設けられた音楽の役所の名称)御進講 (天皇への講義) 左衛門(さいも)の内侍(ないし)(内裏女房、橘隆子)という人がいる。この人がどういうわけかわたしのことを不快に思っていたのを、知らないでいたところ、いやな陰口がたくさん聞こえてきた。帝(一条天皇)が、『源氏物語』を女房に読ませてお聞きになっていたときに、この作者は、日本紀(にほんぎ/日本書紀)を読んいるにちがいない。実に学識があると仰せられたのを、内侍が当て推量して、とっても学問があると、殿上人などに言いふらして、日本紀の御局(みつぼね)とあだ名をつけたが、まったくばかばかしいことだ。じぶんの実家の侍女の前でさえ、漢籍を読むのを隠しているのに、宮中のようなところで学識をひけらかすことなんかしない。
2024.03.25
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〔85〕すべて女は穏やかに心の持ち方も「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。人の心はさまざま 見苦しくないよう、すべて女は穏やかに、心の持ち方もゆったりとして、落ち着いていることを基本としてこそ、品位も風情も、魅力的で親しみがもてる。あるいは、色っぽく移り気であっても、生来の人柄にくせがなく、周囲の人にもつきあいにくい様子をしないようになってしまえば、憎いことはない。じぶんこそはちがうと、人の関心を引くことに慣れて、態度が仰々しくなった人は、立ち居振る舞いだって、じぶんで気を配っているときでも、その人には目がとまる。目がとまれば、かならずものを言う言葉の中にも、来て座る動作にも、立ってゆく後姿にも、かならずそうした癖はみつけられるものだ。言うことが少しちぐはぐな人と、他人のことをすぐけなしてしまう人とは、なおさら注意深く聞いたり見たりされるようになる。悪い癖のない人であれば、なんとかして、ちょっとした批判の言葉も聞かなかったことにして、形だけでも好意をかけてあげたくなる。 人が故意に、いやなことをした時は、悪いことを誤ってやった時でも、これを笑っても、遠慮はいらないと思う。とても心の美しい人は、他人がじぶんを憎んでも、自分は尚更、その人を思って世話をするかもしれないけれど、普通の人はとてもそんなことまではできない。
2024.03.24
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〔84〕自信満々で人を見下すそんな人「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。自信満々で人を見下すそんな人は、ほんとうの心とは裏腹のわたしの表情を恥ずかしがっているのだと見るけれど、そんなことはなく、面と向かって人に真向かいで座っていたこともあるが、あんなようなものだと非難されないようにしようと、恥ずかしいわけではないけれど、弁解するのが面倒だと思って、ぼんやり呆けてしまった人間のようにみせかけていると、こんな方だとは思わなかった。ひどくあでやかに取り澄ましていて、気難しげに、よそよそしい感じで、物語を好み、風流ぶって、なにかというと歌を詠んだりして、人を人とも思わないで、憎らしいほど人を見くだす人なんだと、だれもが言ったり想像したりして反感を持っていたのに、会ってみると、不思議なほどおっとりしていらっしゃって、まるで別人かと思われるほどと、みなが言うので、きまりが悪い。人からこうまでおっとり者と見下されのだと思うけれど、ただこれがじぶんの本心だというように、ふるまっているわたしの様子を、中宮さまも、ほんとうに打ち解けてはつきあえないと思っていたけれど、ほかの人よりずっと仲良くなったわねとおっしゃる時もある。個性的で、優雅にふるまい、中宮さまに尊重されている上流の女房の方たちにも、反感を持たれたりしないようにしなければと思う。紫式部は、宮廷生活の中で、じぶんを隠すことに懸命だった。なぜなら、内面にはびこる魔を、作品のほかの世界で放てば、人間の顔をした怪物みたいに思われてしまうからだ。これは古典近代期の芸術家たちの内心の仮装と似たものといってよいのではないだろうか。
2024.03.23
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〔83〕女が経を読むのさえ止められた「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。もう一方の厨子には、漢籍類、大切に所蔵していた夫も亡くなってしまった後は、手を触れる人も特にいない。漢籍類を、どうしようもなく寂しくてしょうがないときに、一冊二冊引き出して見ていると、女房たちが集まって、ご主人さまはいつもこんなふうだから、幸せが少ないのです。どういう女が漢籍を読むのでしょう。昔は女が経を読むのさえ止められたのにと陰口を言うのを聞いても、縁起をかついだ人が、将来長寿だということは、見たこともないと言ってやりたい。それでは思いやりがないし、幸せが少ないと侍女たちの言うのももっともなので。何事も人によってさまざま。得意そうに派手で、楽しそうに見える人もいる。すべてにあてもなく寂しい人が、気のまぎれることもないままに、思い出の手紙を探し出して読んだり、仏への勤めに身を入れて、お経を絶えず唱え、数珠音(じゅずおと)高くもんだりするなど、あまり好感が持てないやり方だと思うので、わたしはじぶんの思うままにしてよいことまで、侍女たちの目を憚って、心の中におさめてなにも言わない。まして宮仕えで人中にまじっては、言いたいこともあるけれど、言わないほうがいいと思えて、わかってくれそうもない人には、言っても無駄だし、なにかと人を非難し、じぶんこそはと思っている人の前では、面倒なので、口をきくのもおっくう。特になにもかもすべてに通じている人はめったにいない。ただ、じぶんがこうと決めこんだことで、他人を無視しているようなものだ。
2024.03.22
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〔82〕心の中では際限もなく物思いを続ける「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。 世間の人が忌むという鳥もきっと渡ってくるだろうと思われて、すこし奥に引っ込んでも、やはり心の中では際限もなく物思いを続けている。 風の涼しい夕暮れに、聞くにたえない琴をひとり鳴らしては、嘆きが増すと琴の音を聞いてわたしの思いをわかる人もあるだろうと、忌まわしく思われるのは、愚かで哀れだ。 わび人の 住むべき宿と 見るなべに 嘆きくははる 琴の音ぞするわび住いをしている人が住んでいるのだろうと見ていると、嘆きが増すように琴の音がする 古今集寂しく暮らしている人の家だと思って見ていると、そこに嘆きが加わるような琴の音が聞こえた それにしても、見苦しく黒ずんで煤けた部屋に、筝の琴(十三絃の琴)、和琴(六絃の琴)が、調律したままなのに気づいて、雨の降る日は、琴柱を倒せなどとも言わないのでそのままに、塵も積もって、寄せて立てかけてあった厨子と柱との間に首をさし入れたまま、琵琶もその左右に立てかけてある。大きな厨子(ずし)一対に、隙間もなく積んであるのは、一つには古歌や、物語の本が言いようもなく虫の巣となってしまったもので、気味悪いほどに虫が逃げだすので、開けて見る人もいない。
2024.03.21
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〔81〕よく見れば、まだいたらないところが多い「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。清少納言こそ、得意顔に偉そうにしていた人。あれほど利口ぶって、漢字を書き散らしているけれど、よく見れば、まだいたらないところが多い。清少納言は一条天皇皇后定子に仕えた才媛で、『枕草子』の作者。晩年は不幸落魄の身。紫式部はすでに『枕草子』を著して才女として名高い清少納言を痛烈に批判している。このように、人より特別に勝れようと意識的にふるまう人は、かならず見劣りし、将来は悪くなるばかりだし、風流を気取る人は、ひどく寂しくつまらない時でも、しみじみ感動してるようにふるまい、興あることを見逃さないようにしているうちに、しぜんと見当はずれの浮薄な態度にもなるだろう。そういう軽薄になってしまった人の最後が、どうしてよいことがあろうか。わが身をかえりみて このように、あれこれにつけて、なにひとつ、思い出となるようなこともなくて、過ごしてきたわたしが、夫を亡くして将来の希望もないのは、慰めるすべもないが、だからといって心寂しいだけのわが身だとは思わないようにしよう。そんな荒んだ心が依然として消えないのか、物思いがます秋の夜、縁近くに出て空を眺めていると、ますます、あの月が昔は盛りのじぶんをほめてくれた月なのだろうかと、老いたわが身を誘い出すように思われる。
2024.03.20
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〔80〕世に知られている歌はすべて「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。(ハクモクレンはまだツボミ状態)世に知られている歌はすべて、ちょっとしたときの歌も、それこそこっちが恥ずかしくなるような詠みっぷりである。それに対し、上の句と下の句がつながらない「腰折れ歌」を詠んで、なんとも言いようがない気取ったことをしても、じぶんこそ優れた歌人だと得意がってる人なので、憎らしくも気の毒にも思われる。赤染衛門 道長家女房。大江匡衡の妻。歌人で三十六歌仙の一人。『栄花物語』正編の作者と伝えられる。赤染衛門集に六一四首の歌がのっているが、残念だがわたしの琴線に触れる秀歌感動や共鳴を与えるといえる歌はない。和泉式部の歌は難解だが心に迫るものを感じるのだが・・・。赤染の歌を読んでいくうちに気づいたのは、赤染の歌には代作が多いから、歌が真に迫らないのではないかということである。光る君では、姫君たちに学問を指南する凰稀かなめが赤染衛門を演じている。百人一首には、家集四の「やすらはで 寝なまし物を 小夜更て かたぶく迄の 月を見し哉」があげられているが、この歌も当たり前のことを詠っただけで秀歌とはいえない。 清少納言こそ、得意顔に偉そうにしていた人。あれほど利口ぶって、漢字を書き散らしているけれど、よく見れば、まだいたらないところが多い。
2024.03.19
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〔79〕和泉式部が紫式部に贈った歌と返歌 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。和泉式部が紫式部に贈った歌は、 夢にだに 見で明しつる 暁の 恋こそ恋の 限りなりけれ夢でさえ恋人の姿を見ることができないで明かしてしまった暁 この恋こそ 悲しい恋の極みだろうこれに対して、紫式部の歌は、澄める池の 底まで照らす かがり火に まばゆきまでも うきわが身かな澄みきった池の底まで照らす篝火が 恥ずかしいほどに映しだす不幸せなわが身 藤原道長邸の栄光を見るにつけても、式部はそれを単純に、めでたいなどとは思えない。篝火の光の中に闇を見てしまう。「まばゆきまでも うきわが身かな」と嘆くのは、紫式部独自の人生観である。和泉式部は恋を情熱的に歌い上げる。紫式部は輝きの中に闇を見てしまう。歌人と物語作家の歌は、交換不能の秀歌といえる。丹波の守(大江匡衡〈おおえのまさひら〉)の北の方を、中宮さまや、殿などのところでは、匡衡衛門(まさひらえもん 赤染衛門)と言っている。歌は格別優れているわけではないが、じつに風格があり、歌人だからといって、すべてにおいて詠み散らすことはしないが、世に知られている歌はすべて、ちょっとしたときの歌も、それこそこっちが恥ずかしくなるような詠みっぷりである。
2024.03.18
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〔78〕他人が詠んだ歌を非難したり批評したり「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。和泉式部のような歌人であっても、他人が詠んだ歌を、非難したり批評したりする場合、歌というものをよくわかっていないようだ。口からしぜんと歌が出てくるような、そんな感じの歌人。こっちが恥ずかしくなるような素晴らしい歌人とは思えない。和泉式部は、越前守大江政致(おおえのまさむね)の娘。情熱的な歌人で三十六歌仙の一人。中宮彰子への出仕は寛弘六年の初夏ごろ。紫式部と和泉式部は、歌においてはまさに対極にあるといえる。例を挙げると和泉式部が詠んだ歌。夢にだに 見で明しつる 暁の 恋こそ恋の 限りなりけれ現実はもちろん 夢でさえ恋人の姿を見ることができないで明かしてしまった暁 この恋こそ 悲しい恋の極みだろう 和泉式部終生の名歌である。初句から三句まではゆったりと運び、四句から結句まで、恋こそ恋の 限りなりけれ(コイコソコイノカギリナリケリ)とカ行音を駆使して、たたみかけるようなリズムは、彼女の直情的、情熱的な心情をあますところなく表現し、しかも結句「限りなりけれ」で急転直下、修復不能な嘆きに変わる。
2024.03.17
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〔77〕じぶんに気を配るのは難しい「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。すべて非難するのはたやすく、じぶんに気を配るのは難しいはずなのに、そう思わないで、じぶんは賢いと、他人を無視したり、世間を非難しているところに、浅はかな心がはっきりと見える。まったく見せてあげたいような斎院の中将の手紙の書きぶりだった。ある人が隠しておいたのをそっと取り出し、こっそり見せてくれて、すぐに返してしまったので、手紙を見せられないのが残念である。紫式部は藤原実資に信用され、しばしば取次を頼まれ、斎院の中将の手紙に対する批評には、激しい憤りがあるが、斎院と中宮のそれぞれの環境と特質を分析した上で反論を進めているので説得力がある。相手の非だけを責めるのではなく、中宮方の短所も素直に自己批判している所へ常に自己凝視をする式部の特性がある。和泉式部、赤染衛門、清少納言の批評 和泉式部という人とは、趣深い手紙のやりとりをしたが、和泉には倫理的に感心しないところがある。気軽に手紙を走り書きしたときに、その面で文章の才能のある人で、ちょっとした言葉にも、色艶が見えるようだ。和歌は、とても上手い。でも古歌の知識、歌の理論などは、ほんとうの歌人というわけではなく、口からでるにまかせて詠んだ歌などに、かならず面白い一点の、目にとまるものが詠んである。
2024.03.16
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〔76〕ひどく弱々しく子どもっぽい「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。中宮の大夫(藤原斉信〈ただのぶ〉)がお越しになって、中宮さまに啓上なさるような時に、ひどく弱々しく子どもっぽい上臈(じょうろう/身分の高貴な人)たちは、応対なさることはめったにない。また、応対に出られても、どんことも(意味が分からなかった)てきぱきと応対しているようには見えない。言葉が足りないでも、心配りができないのでもなく、気がひける、恥ずかしいと思って、間違ったことを言うのを心配するあまり、できるだけ聞かれないように、ちょっとした姿も見られないようにしようとするのだろう。上臈以外の女房たちは、それほどでもない。男たちと対面しなければならない宮仕えに出たのなら、とても高貴な方でも、宮仕えのしきたりに従うものだが、中宮付の女房たちは、宮仕え以前の姫君の時のままの振舞いで、みないらっしゃる。下級の女房が応対に出るのを、大納言(藤原斉信)は快く思っていらっしゃらないので、大納言に応対しなければならない上臈の人たちが実家に帰っていたり、局にいても、やむをえず暇がない時には、応対にでる者がいなくて、大納言がそのままお帰りになるときもあるようだ。そのほかの上達部で、中宮さまの御所に来られて、なにか啓上なさるときは、それぞれ、贔屓の女房と、いつのまにかそれぞれ昵懇にしていて、その女房がいないときは、つまらなそうに、帰ってゆくが、そんな人たちがなにか機会があると、この中宮方のことを、引っ込み思案だなどと言うのも、無理もないことである。 斉院あたりの人も、こんなところを軽蔑するのだろう。だからといって、じぶんの方が、優れていて、他の人はものを見る目がない、風雅もわからないだろうと、侮るのも、筋が通らない。
2024.03.15
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〔75〕貴公子たちも斎院などのような所では「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。この貴公子たちも、斎院などのような所では、月を見たり、花を愛でたり、ひたすら風流のあることを、じぶんから求めて、想像したり口にしたりする。中宮方は、朝夕出入りして、心惹かれない所で、普通の会話でも歌や詩に関係づけて聞いたり、言ったり、或いは、男たちから興味あることを話しかけられて、返事を恥ずかしくなくできるような女房は、ほんとうに少なくなったと、殿上人たちは批評しているようだ。これはわたしが直接見たわけではないから、よくはわからない。斎院方は風流で奥ゆかしく、中宮方は地味で趣がないという殿上人たちの世評。みづからえ見はべらぬことなれば、え知らずかしわたしが直接見たわけではないから、よくはわからない「え知らずかし」は、中宮方への悪評に対する強い反発がある。人が立ち寄って話しかけてきたとき、ちょっとした応対をして、相手の気持ちを損なうのは困りもの。上手に応対して当然である。ところがこの当然のことができない、それだけ気立てのいい人はめったにいないということなのだろう。だからといって、とりすまして引っ込んでいるのが賢いといえるだろうか。また、どうして慎みなくあちこちしゃしゃり出るのがよいことなのだろうか。そのときどきの状況に応じて、配慮するのはとても難しいようだ。
2024.03.14
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〔74〕中宮さまはまだ十八歳と、とてもお若い「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。たしかに、何かの時に、つまらないことを言う方が、何も言わないより劣っているに違いない。とりわけ思慮深くない人で、中宮御所で得意顔をしている者が、ひどく見当違いのことを、なにかの時に言ったのを、中宮さまはまだ十八歳と、とてもお若い時で、ひどく聞き苦しいことと心から思われたので、それ以後、ただこれといった過ちがなくて過ごすのが、無難なことと思っていらっしゃるお考えに、子どもっぽい良家の子女たちが、みなとてもよく中宮さまの考えにあわせようと仕えているうちに、こんな中宮方の気風(地味で控え目)になれてしまったのだとわたしは思っている。 今では、中宮さまは二十三歳になり、だんだん大人らしくなられるにつれて、世の中のことも、人の心の良し悪しも、出過ぎるのも控えめなのも、すべておわかりになっていて、この中宮御所のことを、殿上人だれもが見なれて、特におもしろいこともないと思ったり言ったりしているらしいと、すべてご存じでいらっしゃる。だからといって、女房たちは奥ゆかしさに徹することもできず、ちょっと気を緩めれば、軽薄なことも起こってくるので、無風流に引きこもってばかりいるのを、中宮さまも、もっと積極的になってほしいと思ったり言ったりもなさるが、この中宮方の控えめな習慣はなおりにくく、また、現代風の若い貴公子たちときたら、この気風に順応して、中宮御所にいる間は実直にふるまう人ばかりである。
2024.03.13
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〔73〕中宮彰子の唯一の競争相手は皇后定子「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。中宮彰子(あきこ/しょうし)の唯一の競争相手は皇后定子(さだこ/ていし)だったが、定子は彰子が中宮になった長保二年(1000)の十二月に崩じている。こういうと上臈・中臈(上級・中級)の女房の欠点を、わたしがよく知っているようだが、人はみなそれぞれで、ひどく劣ったり勝ったりするものでもない。このことが優れていれば、あのことが劣る、といったようなものだ。けれど、若い人たちでさえなるべく重々しくふるまおうと真面目にしているのに、上臈・中臈(上級・中級)の人たちが見苦しくふざけたりするのも、ひどくみっともない。とにかく中宮方の雰囲気を、このような無風流にはしたくないと思う。人はみなとりどりにて、こよなう劣り勝ることもはべらず(人はみなそれぞれで、ひどく劣ったり勝ったりするものでもない)」式部の確かな人間観察で得たことだろう。とはいっても、中宮さまのお心はなにひとつ不足なところがなく、聡明で奥ゆかしくいらっしゃるのに、あまりにも内気な性格だから、気づいても言わないことにしよう。言ったとしても、なんの心配もなく後悔しないですむ人は、めったにいないと思っていらっしゃる。
2024.03.12
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〔72〕埋もれ木のような引っ込み思案な性格「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。わたしのような埋もれ木をさらに埋めたような引っ込み思案な性格でも、あの斎院方にお仕えしたのなら、そこで知らない男と出会って、話をするにしても、人が軽薄な女だという評判を立てるはずがないと、心をゆったりとさせて自然と優雅なふるまいをするだろう。まして若い女房で、容貌も、年齢も、引け目を感じることのない人が、それぞれ思う存分色っぽくして、歌を詠むのもじぶんの趣向のままにしたら、斎院方の人たちに劣ることはないだろう。 ところが、こちら中宮方では、宮中で明け暮れ顔をあわせて、競いあう女御や后もいらっしゃらず、そちらのお方、あちらの細殿のお方というように、並べて言う相手もいなく、男も女も、争うこともなくのんびりしていて、中宮さまの気風として色っぽいことを、ひどく軽薄なことと思っていらっしゃるので、中宮さまのご意志に少しでも背かないようと思っている女房は、めったに人前に出ることはない。尤も、気軽に、恥ずかしがったりもしないで、ああだこうだという人の評判を気にしない女房は、中宮さまのお考えとは違った気持ちを見せないわけでもない。ただそのような女房には、気軽に男たちが立ち寄って話をするので、中宮方の女房たちは引っ込み思案、あるいは、奥ゆかしさがない などと批評するのだろう。たしかに上級、中級の女房は、あまりに引っ込みすぎてお高くとまってばかりいるようだ。それでは、中宮さまのために、なんの引き立て役にもならず返って見苦しい。
2024.03.11
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〔71〕晦日(つごもり)の夜の引きはぎ―一月二日「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。たとえ手紙の文面であっても、和歌などの趣のあるものは、わが斎院さま(村上天皇の第十皇女選子内親王四十六歳)よりほかに、だれが見わける人がいるだろうか。世の中に情趣豊かな人が出現するとすれば、わが斎院さましか見わけることができないでしょうなどと書いてある。 なるほどそれももっともだけれど、じぶんの方のことをそれほど誇って言うのなら、斎院方から作り出された歌はどうかというと、優れて良いと思えるものは特にない。ただ斎院はとても趣があり、風情がある生活をなさっている所のようだ。だが、お仕えしている女房を比べて優劣を競うなら、中宮さまのまわりの人たちに、必ずしも斎院方の女房が勝ってはいないはずで、斎院は神域だから、斎院方をいつも内部まで見ている人はいないので、美しい夕月夜とか、風情ある有明の時とか、花見のついでや、ほととぎすの名所として行ってみると、斎院さまはとても趣味豊かな心があって、御所は浮世離れがして、神々しい。また世俗の雑事にとらわれることもない。こちらは中宮さまが帝のところへおあがりになったり、殿がいらっしゃったり、宿直なさるなど騒々しいことが多いが、あちらはそのような俗事に煩わされることなく、ふるまいが、しぜんと風雅を好むようになっているので、優雅のかぎりをつくしたとしても、軽率な言い間違いをすることもないだろう。
2024.03.10
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〔70〕優れて気品があって思慮深く才覚や風情も「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。 小馬(こま)という人、髪がとても長かった。昔は美しい若女房だったが、今は琴柱(ことじ)に膠(にかわ)をつけたように融通がきかなく実家に引っ込んでいるよう。 このように言っているが、さて気立てはとなるとこれはと思う人はいない。それも、それぞれに個性があって、ものすごく悪いのもいない。また、優れて気品があって、思慮ぶかく、才覚や風情も、信頼も、将来性も、すべて持っているような人もいない。みなそれぞれで、どの人をとるべきかと迷う人ばかり多い。五節の弁の宮仕えは式部よりも後。五節の弁の髪が抜け落ちたのは、父平惟仲の大宰府での横死による悲嘆と傷心が原因のようだと言う。とすると彼女が出仕したのは父が死んだ寛弘二年三月以前であり、式部との出会いもこの春と推定される。斎院と中宮御所 賀茂の斎院に、中将の君(斎院女房、斎院長官源為理の娘。歌人で式部の兄の惟規の愛人だったらしい)という人が仕えていると聞いているが、つてがあって、この人が誰かに書いた手紙を、人がこっそりと取り出して見せてくれた。その手紙はひどく思わせぶりで、じぶんだけが世の中でものの情趣を知っていて、心が深く、比類なく、世間の人は、深い心も分別もない と思っているようで、手紙を見たら、無性にむしゃくしゃして、憤りをおぼえ、下賎な人が言うように、ほんとうに憎らしく思えた。
2024.03.09
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〔69〕若い人たちの中でも容貌が美しい「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。若い人たちの中でも容貌が美しいのは、小大輔(こだいふ)、源式部(げんしきぶ)など。大輔は小柄な人で、容姿はとても現代的、髪は美しく、とても豊かで、丈に一尺以上も余っていたのに、今では抜け落ちて細くなっている。顔もひきしまって、なんて素敵な人と思われる。容貌はなおすところなし。源式部は、背丈もちょうどよく、すらりとして顔も整っていて、見れば見るほど素敵で、可愛らしい風情、清々しくさっぱりして、 宮仕えの女房よりどこかの娘のようにみえる。 小兵衛、少弐なども、とても美しくきれい。それらの美しい女房たちは、殿上人が見すごすことは少ない。誰もまかり間違うと知れ渡ってしまうが、見られないところでも用心してるので、知られずにすんでいる。宮木(みやぎ)の侍従は整った美しい人。とても小さくてほっそりしていて、まだ童女のままにしておきたいようだったが、じぶんから老け込んで、尼になって宮仕えをやめてしまった。髪が、袿の丈に少し余り、その下を華やかに切りそろえて参上したのが、宮仕えの最後のとき。顔も美しかった 五節の弁という人がいる。平中納言(平惟仲)が、養女にして大事にしていたと聞いている人です。絵に描いたような顔して、額が広い人で、目じりがとても長く、顔もとくに個性があるわけでなく、色白で、手つきや腕の様子は風情があって、髪は、私が見た春は、背丈に一尺ばかり余って、豊かにたくさんあったが、父惟仲の横死が原因で、あきれるほど抜け落ちてしまい裾の方もさすがに誉められたものではなく、長さは丈に少し余っているようだ。
2024.03.08
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〔68〕とても清楚な人で背丈もちょうどよい「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。宮の内侍(橘良芸子/たちばなのおきこ)は、とても清楚な人で、背丈もちょうどよいほどで、座っているとき、姿格好、とても堂々としていて、現代的な容姿で、細かに、とりたてて素敵だとは思えないが、とても清楚で、すらりとしていて、中高な顔立ちで、黒髪に映えた顔の色合いなど、ほかの人より優れている。頭髪の格好、髪の生えぐあい、額のあたりなど、華やかで愛嬌がある。ごく自然にありのままにふるまって、気立てなどおだやかで、つゆほどもやましいところがなく、すべてあんなふうでありたいと、人の手本にしてもいい人です。風流がったり気取ったりはされない。宮の弁侍までは式部より上位の女房。人物批評にも敬意と憧憬の念がうかがわれ、式部のおもと(橘忠範の妻)は、宮の内侍の妹。ふっくらし過ぎるほど太っている人で、色はとても白く艶やかで、顔は整っていて趣がある。髪も非常に美しく、長くはないので、付け髪などして、宮仕えしている。出仕の当時はその太った容姿が、とても美しかった。目もと、額のあたりなど、ほんとうにきれいで、微笑んだところなど、愛嬌もいっぱいだった。当時、肥満はかならずしも美人のマイナス条件ではなかったようで、適度のふっくらとした愛らしさはむしろ好まれた。
2024.03.07
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〔67〕人々の容姿と性格 賢い過ごし方「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。人々の容姿と性格 このついでに、人々の容姿のことをお話ししたら、遠慮がないということになるだろうか。それも現在の人のことを。顔をあわせる人のことは、差し障りがあるし、どうかと思われるような、少しでも欠点のある人のことは、言わないことにする方が賢い過ごし方なのかも。宰相の君は、豊子様でなく、北野の三位(藤原遠度)の娘のほう、彼女はふっくらして、とても容姿が整っていて、才気ある理知的な容貌で、ちょっと見たより、見れば見るほど、格段によくて、かわいらしくて、口元に、気品がただよい、こぼれるような愛嬌もそなわってる。立居振舞いもとても美しく、華やかにみえる。気立てもとてもおだやかで、可愛らしく素直で、こっちが気おくれしてしまうような気品もそなわっている。小少将の君(源時通の娘)は、なんとなく上品に優雅で、二月ごろの初々しいしだれ柳のよう。容姿はとても美しく、物腰は奥ゆかしく、性質なども、じぶんでは判断できないように内気で、ひどく世間を恥ずかしがり、見てはいられないほど子どもっぽい。意地の悪い人で、悪しざまにあつかったり事実とはちがうことを言う人があれば、それを気に病んで、死んでしまいそうなほど、弱々しくどうしようもないところが、頼りなくて気がかりです。
2024.03.06
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〔66〕殿が若宮を抱いて若宮のお守刀を捧げ持って「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。 宰相の君(豊子)が、若宮のお守刀(まもりがたな)を捧げ持って、殿が若宮を抱いてこられるのに続いて、清涼殿に行かれる。紅の三重五重、三重五重とまぜつつ、おなじ色のうちたる七重に、ひとへを縫ひかさね、かさねまぜつつ、同じ紅色のつやを出した七重襲の打衣に、さらに一重を縫い重ね、重ねまぜて八重にして、その上に同じ紅色の固紋の五重の表着をつけ、袿には葡萄染めの浮紋で堅木の葉の紋様を織ってあるが、縫い方まで気がきいている。紅色の固紋の五重の表着に緑を三重に重ねた裳をつけ、赤色の唐衣は菱の紋様を織って、意匠も唐風にしゃれている。とても美しく髪などもいつもより念入りに繕ってあり、容姿、態度も、上品で美しい。背丈もちょうどよく、ふっくらとした人で、顔はとても可愛く、色艶も美しい。 大納言の君(廉子)は、とても小柄で、色白で美しく、まんまると太っているが、見た目にはすらっとして、髪は、背丈に三寸ほどあまっている裾の様子、髪の生えぐあいなど、すべて個性的で、神経のゆきとどいた美しさだ。顔もとても可愛らしく、身ぶりなども、可憐でやさしい。 宣旨の君(中納言源伊陟〈みなもとのこれちか〉の娘)は、小柄な人で、とてもほっそりしていて、髪の毛筋は細かいところまできれいで、垂れ下がっている髪の末が袿の裾から一尺ほど余っている。こちらが恥ずかしくなるほど、際限なく気品がある。物陰から歩いてこられた姿も気品に満ちていて、自然と気にかけてしまう。上品な人はこのような人だろうと、気立てのよさが、ちょっとしたことをおっしゃっても、わかる。宰相の君、大納言の君、宣旨の君の容姿や人柄への賞賛は、続いて他の女房たちの人物批評に移っていっている。
2024.03.05
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〔65〕晦日(つごもり)の夜の引きはぎ―一月二日「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。式部の丞資業(すけなり)がやって来て、あちらこちらの灯台の油を、ただ一人で注いでまわる。女房たちは、ただ呆然として、顔を見合わせて座り込んでいる。帝から中宮さまにお見舞いの使いがあった。ほんとうに恐ろしいことだった。中宮さまは納殿(おさめどの 財宝・衣服・調度を納めた蔵)にある衣裳を出させて、この二人に賜った。元日用の晴着は盗っていかなかったので、二人ともなにもなかったようにしているけれども、あの裸姿は忘れられず、恐ろしいものの、今になってみればおかしくもあるけれど口に出してはいえない。新年御戴餅(いただきもちい)の儀―寛弘七年正月一日 元旦なので不吉な言葉は避けるべきだが昨夜のことをつい口にしてしまう。元旦は坎日(かんにち 陰陽道で凶の忌日)にあたっていたので、若宮の御戴餅(小児の頭上に餅をあてる)の儀式はとりやめになった。それで三日の日に若宮は清涼殿におのぼりになる。今年の若宮の陪膳役は大納言の君(廉子)。その装束は、元日は紅の袿、葡萄染めの表着、唐衣は赤色で地摺りの裳。二日は紅梅の織物の表着、打衣の掻練は濃い紅で、青色の唐衣に色摺りの裳。三日は綸子(りんず 滑らかで光沢がある絹織物)の桜がさねの表着、唐衣は蘇芳の織物。掻練は濃い紅を着る日は紅の袿は中に、紅の掻練を着る日は濃い紅の袿を中に着るなど、いつもの決まりどおりである。女房たちは萌黄襲、蘇芳襲、山吹襲の濃いのや薄いの、紅梅襲、薄色襲など、ふだんの色目を一度に六つほど、これに表着を重ね合わせて、とても体裁よく着こなして控えている。
2024.03.04
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〔63〕晦日(つごもり)の夜の引きはぎ―一月二日「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。晦日(つごもり)の夜の引きはぎ 大晦日(おおみそか)の夜、鬼やらい(悪鬼払い)の行事は早くすんでしまったので、お歯黒をつけたりなど、ちょっとしたお化粧などしようとして、くつろいでいると、弁の内侍(藤原義子)がやってきて、話をし休まれた。内匠(たくみ)の蔵人(くろうど/中宮女房、女蔵人)は長押の下座に座って、あてき(童女の名)が縫う仕立物の、折り込み方を教えたりなど、いそがしくとしていたときに、中宮さまのところで、はげしい悲鳴がする。内侍を起こそうとするが、すぐには起きない。だれかが泣き騒いでいるのが聞こえるので、とても恐く、どうすることもできない。火事かと思ったが、そうではない。内匠(たくみ)の君を、先に押しやり、ともかく、中宮さまは下の部屋におられます。まずそこへ行ってみましょうと、弁の内侍を荒々しくつついて起こして、三人がふるえながら、足も地につかないほどうろたえて行ってみると、裸の人が二人いる。靱負(ゆげい)と小兵部(こひょうぶ)だった。引きはぎに着物を奪われたのだとわかると、ますます気味が悪い。御厨子所(みずしどころ 食膳を調達する所)の人たちもみないなく、中宮付きの侍(さぶらい)も、滝口の侍(警護の武士)も、鬼やらいがすむとすぐに、みんな退出していた。手をたたいて叫んでも、返事をする人もいない。おものやどり(御膳を納めておく所)の老女を呼んで、殿上人の詰所に、兵部の丞(ひょうぶのじょう/式部の兄、藤原惟規〈のぶのり)という蔵人(くろうど)がいるから、呼んできてと恥も忘れて直接に言ったので、老女はすぐに行ったが、兵部の丞はやはり退出しており、こんな情けないことがあるものかと思う。
2024.03.03
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〔63〕五節(ごせち)の舞姫―十二月二十九日「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。年末独詠(どくえい)―十二 月二十九日の夜 師走の二十九日に実家から宮中に参上する。はじめてわたしが宮中へ参上したのも十二月二十九日の夜だった。あの時はまるで夢の中を彷徨い歩いているようだったと思い出してみると、今ではすっかり宮仕えに慣れてしまっているのも、じぶんながらいやな身の上だと思われる。夜はたいそう更けた。中宮さまは物忌にこもっておられるので、御前にも行かないで、心細い気持ちで横になっていると、一緒にいる若い女房たちが、宮中はやっぱり違うわねと、さらに実家にいたら、もう寝ているはずなのに、寝つかれないほど女房の局をたずねる男たちの沓音のしょっちょうすることと、どきどきして言っているのを聞いて和歌を詠む。年くれて わが世ふけゆく 風の音に 心のうちの すさまじきかな今年も暮れて、わたしも老いてゆく。風の音に心が荒れて寂しい 年が暮れて、夜が更ければ、わたしもまた一つ年を取って、老けてしまうのだ。そんなことを思いながら風の音を聞いていると、心の中は荒涼としてくるとひとり言をいう。老いゆく身の荒涼たる絶望感を詠む。
2024.03.02
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〔62〕賀茂神社臨時祭---十二月二十七日「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。臨時祭(りんじのまつり) 賀茂神社の臨時祭りの神に奉献する使者は、殿のご子息の権の中将道長の五男教通〈のりみち〉である。当日は宮中の物忌なので、殿は、宿直(とのい)をなさった。公卿たちも舞人をつとめる人たちも、宮中にこもって、そのため一晩中、女房の部屋があるこの細殿のあたりは、酷くざわついた気配だった。祭りの日の早朝、内大臣(公季)の随身が、こちらの殿の随身に贈り物を渡して帰っていったが、それは先日の左京に扇を贈ったときの箱のふたで、それに白銀の冊子箱が置いてある。その箱の中に鏡を入れて、沈(じん)の香木製の櫛、白銀製の笄(こうがい/髪をかきあげる用具)など、使いの権の中将が髪を整えるようにしてある。箱のふたに葦手書き(仮名を図案化した書風)で浮き出ているのは、あの「日陰」の歌の返事らしい。文字がふたつ抜けていて、なんだか変だなと思えたのは、内大臣(公季)がてっきり中宮さまからの贈物だと思われて、このように大袈裟になさったのだと聞いた。ちょっとした悪戯が、気の毒なことに、こんなに大袈裟にされた。殿の北の方も、参内して使者の儀式(晴れ姿)をごらんになる。教通(のりみち)さまが藤の造花を冠に挿し、とても立派で大人びていらっしゃるのを、内蔵(くら)の命婦(教通の乳母)は、舞人たちには目も向けないで、成人した教通さまをつくづくと見ては感涙にむせんでいた。宮中の物忌なので、賀茂の社(やしろ)から、使いの一行が内裏に丑の刻(午前二時ごろ)に帰ってくると、還立(かえりだち)の神楽などもほんの形ばかり行われた。舞の名手の兼時(尾張兼時)が、去年までは舞人として素晴らしかったが、今年は老けて衰えた動作は、わたしには関係のない人のことだけれど、あわれで、じぶんの身になぞらえることが多かった。
2024.03.01
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