浜松中納言物語 0
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「あたふたしているうち」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十五段の二入道様に呼ばれ、すぐに行くと伝えたが、あたふたしているうちに、また、最明寺入道様の使者が来て、直垂(ひたたれ/武士の平服が鎌倉以降正装)など、ありませんか。夜なので変な格好でも良いから早く来てくださいと言う。(電車が大好きで凄い力で電車に向かおうと吠える)よれよれの直垂で家にいたままの普段着の格好で参上すると、入道様は、銚子とお猪口を取り揃えて待っていた。この酒を独りで飲むのが寂しくて、貴公を呼んだが、酒の肴がない。人はもう寝静まっているので、何か肴にふさわしいものがないか、どこまでも探してきて貰えないかとおっしゃる。紙燭(しそく)を灯して隅々まで探し求めるうちに、台所の棚の上に、味噌の付いた素焼きの器を見つけ出し、探すと、これを見つけましたと申し上げると、この味噌で十分だと言って、気持ちよく何杯か酒を飲み、興に乗られ、あの時代は、そんなものだったと大仏宣時は申された。
2023.10.16
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「この世は分からない事が多い」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十四段の一雀・鶉(うずら)・鴫(しぎ)などを叢(くさむら)から追い出す小鷹狩用の犬を、大鷹狩の雁(がん)・鶴・雉(きじ)の大物を狙う狩りに使うと、その犬は、小鷹狩で使えなくなってしまうという。大について小を捨ててしまう理屈は、全くその通りである。人間のやる事が多い中で、仏道を楽しむよりも味わい深いものなど無いのだ。これは本当に大切なことである。一度、仏の道を進むことを決めて、これを志した人はどの技術が廃れるというのか、他に何事に取り組もうというのか。どんなに愚かな人間であっても、賢い犬の心に劣るという事があるだろうか。百七十五段の一この世にはよく分からない事が多い。これという宴のある時には、酒飲みは、みんなに酒を注いで、飲みたくない人にまで酒を飲ませる事を強いて面白がる。なぜ、そんな無茶をするのか分からない。無理に酒を飲まされる人は、耐え難い表情をして眉をひそめ、人目を盗んで密かに酒を捨てようとする。
2023.09.10
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「うるさく趣向をこらしている」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の1から100」の研鑽を公開してます。八十一段の二破損しないためということで、下品に醜く仕立て、めずらしいだろうと、要りもしない物を多く添えて、うるさく趣向をこらしていると言っている。古めかしいようであり、大袈裟でなく、費用もかからず、品質がよい物がよい。八十二段の一薄い絹を書物の表紙に貼ったものは、すぐに痛むので困るとある人が言った。頓阿(とんあ/時宗の僧。兼好の友人。二条為世門下で和歌四天王の一人)が、薄い絹の表紙は、書物の上下がほつれ、貝を散りばめた巻物の軸は、貝が落ちてからが味わい深いと申したことこそ、立派だと思う。ひとまとまりの書物などの形が統一されていないのを、人は見苦しいと言う。弘融僧都(こうゆうそうず/仁和寺にんなじの僧)が、物を必ず人揃えに、整えようとするのは、愚か者のする事である。不揃いこそ味わいがあると、言ったのも、たいそう立派と思う。
2023.06.11
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「言い馴れている言いぐさ」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の1から100」の研鑽を公開してます。七十七段の二世間で言い尽くされてしまうまで、その事を知らずにいる人は奥ゆかしい。新しく来た新米の人がある時、こちら側で言い馴れている言いぐさ、物の名前などを、心得た仲間同士で言葉の一部を省略いて言い合う。七十八段の一目を見合わせて、笑いなどして、意味を知らない人に不審に思わせることは、世間知らずで教育の無い人が必ずやる事である。何事も深く知らない様子をしているのがよい。立派な人は、知っている事でも、あまり言わない。そのように知ったふうな顔で言うであろうか。言わないのではないか。片田舎から出てきた人が、あらゆる道に心得たような受け答えをする。聞いている方が非常に恥ずかしくなるような所も時にはある。
2023.06.09
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「悲しい事も喜ばしい事も」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の1から100」の研鑽を公開してます。七十六段の一世間の誉れ高く華やかな暮らしをしている人のもとに、悲しいことも喜ばしいこともあって、多くの人が訪問している中に、聖法師が混じって、取次を頼んでたたずんでいるのは、そんなことせずともと見える。然るべき理由があっても、法師は世間の人から遠ざかっていてほしいものだ。世の中に、人が話題の中心として噂しあっている事に、直接関係してない人が、よく事情を知っていて、人にも語り聞かせ、尋ね歩いているのは感心しない。七十七段の一片田舎の聖法師が、世間の人の身の上について、自分のことのように尋ね聞き、どうしてそこまで知ってると思えるほどまで言い散らすようだ。最近の流行の事柄のめずらしさを言い広め、もてなすのは、またこれも感心しない。
2023.06.08
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「一人徒歩で石清水に参詣」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の1から100」の研鑽を公開してます。五十二段の一仁和寺にいた法師が、年寄りになるまで石清水八幡宮を拝まなかったのを、心残りに思って、ある時思い立ち、一人徒歩で石清水に向かい、途中、山の麓にある極楽寺・高良神社にも立ち寄ってから、石清水八幡宮に到着した。法師は、参拝を終えた後、このようなものかと納得し、寺に帰った。人生に於いて後悔を残さない為、行動を起こす事の大切さを示唆している。仲間の僧侶に会ったその法師は、長年思っていた事を、果たしてきたと。聞いていた以上に、石清水八幡宮は尊いところでした。しかし、参拝する人たちがみんな、山へ登っていたのは、何かあったのでしょうか?何とか知りたかったのですが、神へお参りする事が本来の目的と思って、山までは見ませんでしたと、その皆が登っていた山の上にある神社こそ、お参りしたかった石清水八幡宮だが、法師はそんな基本的なことも知らずに出かけていて、少しの事であっても、案内は必要である。
2023.05.08
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「距離を保ちながら」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の1から100」の研鑽を公開してます。四十四段の二この若い男の行き先が知りたくなり、距離を保ちながらついて行くと、山際にあるお屋敷の大門の中に入っていった。牛を括りつける台がある牛車が見えたが、都にある牛車よりも目立つ感じがして、屋敷の下人に何が行われるのかを聞いてみた。これこれという宮様がご滞在中であり、ここで仏事が執り行われるようだと下人が答えた。御堂の方に法師が集まってきており、夜風に流されて薫き物の良い香りが漂ってきて、何とも言えない心地よい気分になる。寝殿では、女房が慌しく香を焚いて追い風を起こしながら、廊下を移動する。人目につかない山里であるにも関わらず、丁寧な心遣いが行き届いている。思いのままに生い茂った秋の草木は露に濡れており、虫の声は死者を悼むような鳴き声である。
2023.04.30
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「念仏を唱えている時」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の1から100」の研鑽を公開してます。三十九段の一ある人が、法然上人に、念仏を唱えている時に、睡魔に襲われてしまい、称名念仏の勤行を怠ってしまうのですが、どのようにして、この障害を、乗り越えればよいのでしょうかと質問した。すると、法然上人は、目が覚めている時に、念仏をしなさいと答えられ、とても尊いことである。また、極楽往生は、確実(必然)と思えば確実(必然)であり、不確実(偶然)と思うならば不確実(偶然)でもあるとおっしゃられ、これもまた尊い事である。また、疑う気持ちがありながらも、念仏を唱えていれば極楽往生する事が、できるともおっしゃったが、これもまた尊いお言葉である。四十段の一因幡国(現在の鳥取県)に、何とか入道という者の娘が、容姿端麗な美人だと評判になっていて、大勢の男が求婚をしたが、この娘は、ただ栗ばかり食べて、まったく米・穀物の類を食べなく、このような変わった娘を、よそ様の家の嫁には出せないと、親は結婚を許さなかったという。
2023.04.26
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「権の中将が髪を整える」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。その箱の中に鏡を入れて、沈(じん)の香木製の櫛、白銀製の笄(こうがい)笄(こうがい)とは髪をかきあげる用具で、使いの権の中将が髪を整えるようにというようにしてある。箱の蓋に葦手書き(仮名を図案化した書風)で浮き出ているのは、あの「日陰」の歌の返事らしい。文字がふたつ抜けていて、なんだか変だなと思えたのは、内大臣(公季)がてっきり中宮さまからの贈物だと思われて、このようにおおげさになさったのだと聞いた。ちょっとしたいたずらが、気の毒なことに、こんなに大袈裟になさって。殿の北の方も、参内して使者の儀式(晴れ姿)をご覧になり、教通さまが藤の造花を冠に挿し、とても立派で大人びておられるのを内蔵(くら)の命婦(教通の乳母)は、舞人たちには目も向けないで、成人した教通(のりみち)さまをつくづくと見ては感涙にむせんでいた。
2022.12.28
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「人が通ることもできない」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。采女(うねめ)や水司(もいとりのつかさ/水・粥・氷室を司る)御髪上げ(理髪)の女房たち殿司(とのもり)の輿車(こしや車)・御帳(みちょう)火燭(ひそくあかり)薪炭(しんたん)や掃司(かんもり施設の管理、清掃や式場の設備)の女官などは顔も知らない者もいる。闈司(みかどづかさ 後宮の門鍵の管理・出納)などという者だろうか、粗末な装束をつけ雑な化粧をして、大袈裟に挿した髪飾りも、儀式ばって、寝殿の東の縁や渡り廊下の妻戸口まで、隙間もなく無理に入り込んで座っているので、人が通ることもできない。お膳をさし上げるのが終わって、女房たちは御簾のそばに出て座った。灯火によって、きらきらと見渡される中でも、大式部(おおしきぶ)のおもとの裳や唐衣(からぎぬ)に、小塩山(おしおやま)の小松原の景色が刺繍してあるのは、とても趣がある。
2022.10.12
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「沢山の紙全部に書こうとした」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。内大臣が献上された紙を中宮様は、それなら、おまえにあげようと言われた。変な事柄を、これも、あれもと、とても沢山の紙全部に書こうとしたからまったく何がなんなのか訳の分からないことが多くある。大体書こうとした事は、世の中でおもしろい事や、人が素晴らしいと思う筈の事を、選び出して、歌などでも、木や草や鳥や虫の事まで書き記したから、思っていたより悪く、見え透いていると非難された。私は自分の考えで自然に思った事を戯れに書いたのだから、他の著作に混じって、人並みに扱われるような評判になる筈はないと思っていた。
2021.10.18
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「月の光が白々と映ってみえている」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。いつも思う事だが、すべて池のある所は趣があっておもしろい。春から秋もそうだが冬も、凍っている朝などの池は言うまでもない。わざわざ手入れしてある池よりも、放ったままで水草だらけで荒れて、青みがかっている隙間隙間から、月の光が白々と映って見えているなんてとても素晴らしく感じて、すべて月の光は、どんな所であっても趣がある。長谷寺に参詣して、局(つぼね/宮中の中で仕切りをして設けた部屋)に座っていたら、卑しい身分の低い者たちか、下襲の裾をそれぞれ長く引いて並んで座っていたのには、腹が立った。
2021.10.13
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「下地は汚いが表面は美しく見える」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。漢字に書くとそれなりの理由があるだろう納得できないもの。炒塩(いためしお)。衵(あこめ)。帷子(かたびら)。屐子(けいし/履き物)。泔(ゆする/米のとぎ汁)。桶(おけ)。槽(ふね/水槽)。下地は必ず汚いのに、表面は美しく見えるもの。唐絵の屏風。漆喰塗りの石炭でできた壁。お供えの盛物。檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の表面。河尻(こうじり)の遊女。淀川の川口の遊女。化粧をして美しく飾り立てる。女の表着(うわぎ)は、薄い紫色。葡萄染(えびぞめ)。萌黄(もえぎ)。桜。紅梅。すべて薄い色のたぐい。唐衣(からぎぬ)、赤い衣。藤。夏は二藍(ふたあい)。秋は枯野(かれの)。
2021.10.01
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「その歌を気軽に口ずさんだ」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。おもしろいと思う歌を帳面に書いておいたのに、どうしようもなく身分の低い女が、その歌を気軽に口ずさんだのは、はなはだ不愉快だ。相当な身分の男を、身分の低い女などが褒めて、とても優しい方ですねなどと言うと、すぐに男を軽蔑して見くびってしまうだろう。逆に悪口を言われるのは、かえってよい。身分の低い者に褒められるのは女でさえあまりよくない。身分の低い者は褒めているうちに言い過ぎてかえって不利にしてしまう。
2021.09.17
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「その子はさっと走って行き」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。陰陽師(おんみょうじ)の所にいる小さな子供は、とてもよく物を知っている。祓(はら)へなどをしに出かけると、主人の陰陽師が祭文(さいもん)などを読むのを、人はただ聞いているだけだが、その子はさっと走って行く。陰陽師が、酒、水を注ぎかけなさいとも言わないまえに、やってのける様子が手順通りで、少しも主人に余計なことを言わせないのが羨ましい。あんな子がいれば、使いたいとまで思われる。三月頃、物忌(ものいみ)のためにというので、仮住まいとして人の家に行ったところ、木々のこれといって目立つほどではない中に、柳といっても普通のように優雅ではなく、葉が広く見えて可愛いげがない。柳ではないでしょうと言うが、こういう柳もあるなどと言うので、さかしらに 柳のまゆの ひろごりて 春のおもてを 伏する宿かな生意気に柳の眉が広がって 春の面目丸つぶれの家だと思われたと詠んだ。
2021.09.04
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「孔雀明王の功徳などを説いたもの」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。堂々として威厳があるものは近衛の大将が帝の先払いをしているとき。孔雀経の御読経。孔雀明王の神呪・修法、その功徳などを説いたもの。 孔雀経は真言宗で用い、仏母大金耀(ぶつもだいこんよう)孔雀明王経。御修法(みずほう)は、平安時代に宮中で毎年正月八日から七日間行なわれ真言祈祷の法五大尊(ごだいそん)の御修法。御斎会(ごさいえ)は宮中で行われた法会のことで、正月8日から14日までの7日間行われた。国家安寧(あんねい)、五穀豊穰を祈って大極殿(だいごくでん)で僧に斎食(さいしょく)を供養(くよう)し、蔵人の式部の丞が、白馬(あおうま)の節会の日に、大庭(建礼門または春花門の南庭)を練り歩いているとき。その日には、靭負(ゆげい)の佐(すけ)が、禁制の摺衣(すりぎぬ)を破らせる。摺衣とは、山藍(やまあい)や鴨跖草(つきくさ)などの染め草の汁ですりつけ草木・花鳥など種々の模様を染め出した衣のこと。尊勝王(そんしょうおう)の御修法。季の御読経。熾盛光(しじょうこう)の御読経。
2021.09.01
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「薄くなっているのを開けた」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。真っ白な陸奥紙(みちのくにがみ)の白い色紙を結び文にした上に引いてある封じ目の墨が、書くなり凍ったらしく下の方が薄くなっているのを開けたところ、とても細く巻いて結んである。折り目が細かくひだになっているのに、墨の色はとても黒く、また薄く行間が狭く、裏にも表にも書き散らしてあるのを、繰り返し長い間読んで何が書いてあるのかしらと、はたから眺めているのもおもしろい。読みながら思わず笑ったところは、その内容をとても知りたいけれど遠くに座っている者には、黒い文字などぐらいが、そこなのだろうと思われ額髪が長くて、顔立ちのいい人が、暗い頃に手紙を受け取っている。灯火をともす間も待ち遠しいのであろう、火鉢の火を挟み上げて、たどたどしそうに読んで座っているのは、おもしろい。
2021.08.31
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「召使の出す手紙のないのは寂しい」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。いつも逢瀬の明けた朝、男性が手紙をよこす人が、なあに、今さら言ってもどうにもならない。今はもうと言って、翌日音沙汰もなくさすがに、夜が明けると、召使のさし出す手紙のないのは寂しい。そのような事を思って、それにしても、はっきりした性格だなぁと言って、その日は暮れた。その翌日、雨がひどく降る昼まで音沙汰もないので、すっかりあきらめたのだわなどと思った。端近に座っていた夕暮れに、傘をさしている者が持って来た手紙をいつもより急いで開けて見ると、ただ、水増す雨のと書いてあるのはとてもたくさん詠んできた歌よりもおもしろい。今朝はそんなふうにも見えなかった空が、急に真っ暗に雲って雪があたり一面を暗くして降るので、とても心細く外を眺めている間に白く積もって、それでもどんどん降るのに、随身のほっそりした男が傘をさし、脇の方の塀の戸から入り、手紙をさし入れたのはおもしろい。
2021.08.30
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「女の所に夜青色の袍を着て」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。六位が着る緑衫(ろうそう/緑色)の袍でも、雪にさえ濡れていても、不愉快な感じはしなかった。昔の蔵人は、夜など、女の所に青色の袍を着て、雨に濡れて来ても、それをしぼったりして入ったそうだ。今は緑衫(緑色)の袍は、昼でさえ着ないらしい。ただ緑衫だけをひっかぶって着ているようだ。衛府の役人などが着ているのは、ましてとても素敵なものだったのにと思った。これを聞いて、雨の夜に歩かない男も出てくるかもしれない。月のとても明るい夜、紙がまた非常に赤いのに、ただ、あらずともと書いてあるのを、廂に差し込んでいる月の光にかざして人が見ていたのはおもしろかった。雨が降っている時には、そんなことができるだろうか。恋しさは 同じ心に あらずとも 今宵の月を 君見ざらめや(拾遺集・源信明) 恋しく思う気持ちは同じではないかもしれませんが、今夜の月をあなたも見ているでしょうか。
2021.08.29
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「言葉も古めかしく見所も多くない」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。こま野の物語は、何処と言って面白い事もなく、言葉も古めかしく見所も多くないが、月に昔を思い出して、虫の食っている蝙蝠扇(かわほりおうぎ/夏扇)を取り出して、もと見しこまにと言って男が女の家を訪ねたところが、しみじみと心に染みる。夕闇は 道も見えねど 古里は もとこし駒に まかせてぞくる(後撰集・読人しらず)雨は、風情のないものと思いこんでいるせいか、ほんのしばらくだが雨が降るのもひどく憎らしい。宮中での高貴な儀式、おもしろいはずの催し尊く素晴らしいはずの法会でも、雨が降ると、どうしようもなく悔しい。悔しいのに、どうしてその濡れて愚痴をこぼしながらやって来る男が、素晴らしいのだろうか。交野の少将を非難した落窪の少将などは、おもしろいし、昨夜、一昨日の夜も通って来ていたからこそ、それもおもしろいと思うが、雨の夜に来て足を洗ったのは、気にくわない。さぞ、汚かったことだろう。風などが吹いて、荒れ模様の夜に男が来たのは頼もしくて、嬉しくもあるだろう。雪は素晴らしい。忘れめや葵を草にと一人口ずさんで、人目を忍ぶ仲はもちろん、そうではない女の所でも、直衣などは言うまでもなく、袍(ほう)も、蔵人の青色などが、とても冷たく濡れているようなのは、たいへん趣があるだろう。
2021.08.28
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「早く雨がやんでくれればいい」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。ましてや、まったくそんな風ではない家などでは、早く雨がやんでくれればいいのにと思ってしまう。おもしろいことも、しみじみとした事もないのだからと思ってしまう。月の明るい時には、過去のことから、将来のことまであれこれ思い心もさまよい出るほどで、素晴らしく、しみじみとした点では、並ぶものがなく思われる。月の明るい夜に来る男は、十日、二十日、一月、あるいは一年でも、まして七、八年経ってからでも思い出して訪ねて来た時には、たいへんおもしろく思われて、とても逢えないような無理な場所でも、人目を避けなければならないわけがあっても、必ず立ったままでも話をして帰しまた、泊まっていけそうだったら、引き止めたりもするだろう。月の明るいのを見るぐらい、遥か遠くに思いをはせて、過ぎ去ったことの嫌なことも、嬉しかったことも、おもしろいと思ったことも、たった今のように思われることが、ほかにあるだろうか。
2021.08.27
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「おもしろいところもない」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。容姿は格別よいこともないし、おもしろいところもないのだが、それでも人の仲間に入りたい気持ちなどがあるのを、中将の君は、中宮様の前を通り過ぎるのも、見苦しいなどとおっしゃるが、意地が悪いのか、その陰口を当人に告げる人もいない。 一条院(今内裏)にお造りになった一間の所には、嫌な人は絶対に寄せつけないで、東の御門と向かい合っているとてもしゃれた小廂(こびさし)に、式部のおもととわたしは一緒に、夜も昼もいるので、帝もいつもご見物に入って来られる。今夜は中で寝ましょうと言って、南の廂に二人で寝た後に、大きな声で呼ぶ人がいるのを、面倒だわねなどと話し合って、寝たふりをしているとやはり酷くうるさく呼ぶのを、二人を起こしなさい。嘘寝でしょうと中宮様のお言葉もあったらしく、あの兵部が来て起こす。
2021.08.24
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「使わないままの空家」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。神は、松の尾(松尾大社)。八幡(やわた/石清水八幡宮)は、祭神がこの日本の国の帝であったというのが素晴らしい(応神天皇)。八幡への行幸(ぎょうこう)などに、帝が葱(なぎ)の花の御輿に乗るのはとても素晴らしいし、大原野神社。春日大社、とてもりっぱである。平野神社は、使わないままになっている空家があり、一体何をする所なのと尋ねたところ、御輿を納める所と答えたのも、とても素晴らしい。 神社の垣に蔦(つた)などが随分たくさん掛かって、紅葉したのが、色々あったのも、秋にはあへずと、紀貫之の歌が思い出されて、しみじみと長い間自然と車を停めていた。賀茂神社は言うまでもない。伏見稲荷神社。崎は、唐崎(からさき)。みほが崎。検索すると、島根県美保の崎か。滋賀県高島郡などの異説もある。小屋は、丸屋(まろや)。東屋(あずまや)。丸屋(まろや)とは、茅や葦で屋根を葺いた粗末な家。東屋(あずまや)とは、屋根を四方に葺きおろした粗末な小屋。
2021.08.21
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「牛車の前に長く出た二本の棒」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。みなが乗り終わったので、車を御門から引き出して、二条の大路で轅(ながえ)を榻(しじ)にかけて、物見車のように立て並べたのは、とてもおもしろいと、胸がどきどきする。轅(ながえ)は牛車の前方に長く出た平行な二本の棒でその前端にくびきを渡し、牛をつなぐ。四位、五位、六位など、とても大勢出入りして、わたしたち女房の牛車の所に来て、世話をしたり話したりする中で、明順(あきのぶ)の朝臣(あそん)の心境といえば、得意そうに空を仰いで、胸をそらしている。明順は高階明順のことで、中宮の伯父にあたる。まず女院(一条帝の母、詮子)のお迎えに、関白殿をはじめとして、殿上人や地下(じげ)なども、みな参上した。女院がこちらへお越しになってから、中宮様はお寺にお出かけになるということなので、とても待ち遠しいと思っているうちに、日が高くなってからやっとお越しになる。女院のお車を含めて十五両、うち四両は尼の車で、女院の車は唐車である。それに続いて尼の車、車の後ろ口から水晶の数珠、薄墨色の裳、袈裟や、衣裳などが素晴らしく、簾は上げないで、下簾も薄紫色の裾が濃くなる。次に女房車十両、桜襲の唐衣に薄紫色の裳、濃い紅の衣、香染めや薄紫色の表着(うわぎ)が、とても優雅だ。
2021.08.07
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「この雨に濡れた桜は見劣りがする」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。宮中からのお使いは、毎日参上する。御前の庭の桜は、造花だから露に濡れて色が優(まさ)るわけでもなく、日などに当たってしぼんでみっともなくなるのさえ残念なのに、夜に雨が降った翌朝は、まったく見栄えがしない。とても早く起きて、泣いて別れたという顔に比べると、この雨に濡れた桜は見劣りがする。(ももが小学生の列を見送り、生後3か月前のもも)桜花 露に濡れたる 顔見れば 泣きて別れし 人ぞ恋しき桜の花の露に濡れた顔を見ると、泣いて別れた人が偲ばれて、恋しくなってくる。露に濡れた桜の花を見て、泣いて別れた女性を連想して偲んでいます。桜花を擬人化して、恋する女性の面影を見る。露にぬれたる顔とは、泣き顔を連想する。拾遣和歌集・302・読人しらずわたしが説明するのを中宮様がお聞きになって、本当に雨が降る気配がして来た。桜はどうかしらとおっしゃって、お目覚めになる頃に、関白殿のお邸の方から侍の者たち、下仕えの者などが大勢来て、花のところにどんどん近寄って引き倒して取って、こっそり持って行く。まだ暗いうちにと、おっしゃったじゃないか。夜が明けてしまった。まずいな。早く早くと、倒して取るのが、とてもおもしろい。言はば言はなむと、兼澄の歌を踏まえてそんな事をしているのかと、教養のある人なら言いたいところだが、あの花を盗むのはだれと言う。
2021.07.29
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「とても簡単な息災の祈りのよう」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。控えている女房達は、とても簡単な息災の祈りのようねなどと言う。高麗縁(こうらいべり)とは、白地の綾に菊・雲などの模様を黒く織った畳のへりの事で、そのへりをつけた畳の事を言い、貴族の邸宅や社寺で用いた。その後しばらく経って、心から思い悩むことがあって、里にいた頃、素晴らしい紙二十枚を包んで中宮様が、わたしにくださった。お言葉としては、早く参上しなさいなどとおっしゃって、この紙はお聞きになっていたように、上等ではないので、寿命経も書けないでしょうがと、女房の代筆で話されたのは、とてもおもしろい。私でさえ忘れてしまっていた事を、覚えていて下さったのは、普通の人でさえ大変だと思うのに、まして中宮様なら並み一通りである筈がないと思った。心も乱れて、返事の申し上げようもないのだけれど一筆認めおいた。
2021.07.23
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「髪はみずらに結っていた」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。御生れ(みあれ)の宣旨が、帝(花山帝)に、五寸ぐらいの殿上童のとても可愛らしい人形を作って、髪はみずらに結い、衣装もきちんと立派にして中に名前を書いて献上なさったが、ともあきらの王(おおきみ)と書いてある。みずらとは、耳に連なる意味で日本の上古における子どもの髪型。帝はとてもおもしろがられた。御生れ陰暦四月午の日に、賀茂の祭りに先立って行われた神を招く神事。御生れ(みあれ)の宣旨という人の名前。ともあきらの王(おおきみ)兼明親王のこと。宣旨はこの人形に兼明親王(かねあきらのみこ)と書くのをはばかり、ともあきらの王(おおきみ)と変えたのを、花山天皇はすぐにそのユーモアを理解した。
2021.04.24
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「皆が同じ赤い紙の扇を使って」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。鮮やかなお召し物を羽織って歩いて入っていらっしゃるのは、あれほど軽やかで涼しそうな方々の中で、暑苦しい感じがするはずなのに実にご立派なお姿に見えるのがとてもよい。朴(ほお 大形の葉をもち、五月ごろ、香気の強い大きな白い花が咲き素材はやわらかく、げた・木版などに使う)塗骨(ぬりぼね)など扇の骨は違うけれど、皆が同じ赤い紙の扇を使って持っているのは撫子(なでしこ)がいっぱい咲いているのに、とてもよく似ている。まだ講師も高座にのぼらないうちは、懸盤(お膳)を出して、何だろうか何かを召し上がっているようだ。義懐(よしちか)の中納言のご様子がいつもより勝っていらっしゃるのはこの上ない。色合いが華やかで、とても艶があり鮮やかなので、どれがどうと優劣がつけがたい貴人たちの中にあって、この人はただ直衣一つを着ているといったすっきりしたお姿で、絶えず女車の方を見ながら話をしていらっしゃる姿は、素敵だなと思わない人はいなかっただろう。
2019.10.25
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「枕草子は日頃の事を書いたエッセイである」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。枕草子は、平安中期の随筆。清少納言34歳ごろの作で59歳没。清少納言は1000年に、仕えていた皇后定子の死後、宮仕えを辞したが枕草子の完成はこれ以後で、ほぼ300余段からなっている。女性的な感覚の鋭さと燃えるように、美しく輝き、現れ出て自然・人事を写し源氏物語と並んで平安女流文学の傑作と評される。後世の文学に与えた影響も大きく、今や小学生から学習する。枕草子は物語ではなく、日頃感じたことを書いたエッセイである。春はあけぼの。だんだん白くなっていく山の上の空が少し明るくなって紫っぽい雲が細くたなびいている。 夏は夜。月がある頃は言うまでもない。闇夜もやはり、蛍がたくさん入り乱れて飛んでいる。それに、一つか二つだけが、かすかに光って飛んで行くのも素敵。雨なんか降るのも素敵。
2019.09.05
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「霜枯れていた梅も春は忘れないものなのに」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。継母が言っていた梅が咲くころ来るという事で、早く梅よ咲いておくれと思いながらも、その梅を見ながら、本当に来てくれるだろうかと、待ち続けていた所、梅の花も咲いてしまったのに、音沙汰もない。継母とは、高階成行(たかしなのしげゆき)の娘で孝標と共に上総に下り幼い孝標の娘(作者)に教育をほどこしたが、上京後離婚する。だが離婚後も作者とは交流があり、作者の文学的素養を培った。音沙汰がないので、思いあぐねて花を折って歌を書き送った。頼めしを なほや待つべき 霜枯れし 梅をも春は わすれざりけりあなたが頼みにしなさいと言ったのを、なおあてにして、待っているべきなのでしょうか。霜枯れていた梅も春は忘れないものなのにと。歌を書き送ったところ、私を頼りにして待っていてくださいなどととてもしみじみと優しい言葉など書いて下さり送って下さった。梅のたち枝が薫る時とは、約束もしていなかったのに突然、思いのほかの人が訪れるといいますから。
2019.07.29
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「直腸がんは便秘と肥満とビール」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。(サツキとツツジの見分け方は咲く時期なのか?)昨日4/30は昭和の日の振り替え休日でもあり走行する車も少なかった。大通りも車の台数は少なく感じたがマフラーを変えた車が多かった。エンジン音の音ではなく軽自動車でもけたたましい音で走り去る。祝祭日の日には平日走行しない車も目に付くようになる。「もも」も耳を下げて爆音を聞きたくないような素振りで歩いている。幹線道路から住宅街や田畑を抜ける道路に入ると走行量は減っていた。静かになった道路を「もも」と歩いていると畑を耕す音が聞こえて来た。アパートの裏の家庭菜園を鍬で耕すご婦人の姿が見えて来た。私は表側から横を通り家庭菜園の裏側へ出て「こんにちは」と言った。ご婦人は表通りを見て誰が声掛けているのかと探す仕草をしていた。「こちらです」と声を掛けると80歳近いご婦人は久しぶりと笑顔を見せる。ご婦人と会うのは8カ月ぶりだが「奥さんはどう?」と心配して下さる。ご婦人は2年前にご主人を大腸がんで亡くされており便秘が原因だと言う。ご主人は2週間でも便秘で出なかったようだが私は下剤で2日に一度出る。大腸が破裂して手術で人工肛門にして3年間過ごしていたと話していた。大腸がんが便秘から来るという事でもあるが一番は食生活が関係している。大腸がんは動物性の高脂肪に偏った食事と野菜やコンニャクなど繊維食の不足。研究報告では直腸がんを引き起こす原因に便秘と肥満とビールが挙げられている。
2018.05.01
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「驚くよりガッカリと言う表現の方が合っている」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。「もも」と早目の昼食を取った後「もも」を連れ妻の療養する病院へ。昼休みという事も手伝いいつもより道路は空いているような感じだった。道路を走る車は少ないが信号があり病院までの道程の時間は変わらなかった。病院に着き大き目のビニール袋二つに入れた妻の寝間着を確認した。乾いた妻の寝間着を確認したが今回も6枚中2枚が派手に破けていた。実際に病院関係者に見せないと破けていたと言っても反応が少ない。ナースセンターで看護師さんに妻は変わりありませんかと聞いた。奥さんは今のところ変わりありませんよといつもの答えが返って来た。看護助手さんにお話ししたい事があるのでよろしいでしょうかと聞いた。どんな御用でしょうかと言い私が聞いて伝えておきますからと話す。今回も妻の寝間着が派手に破けていて何も知らされてなく驚きました。1か月前にも破けた場合には一言私に伝えて頂けませんかとお願いした。毎回のように破けた寝間着が入っていて洗濯して干す時に驚いている。驚くという表現というよりガッカリと言う表現の方が合っているかも。看護師は「分かりました私から知らせておきますから」と手を差し出した。ため息交じりに「一応伝えますが慣れた頃に辞めるので人出不足なのでね」強くは言えないようだがamazonの寝間着購入履歴は42枚購入している。3年以上世話になっているので我慢するしかないのだが1枚2800円ほどする。
2017.12.01
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「レースは元F1ドライバーの中島一貴が優勝」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。3月末から鈴鹿サーキットからフォーミュラのエンジン音が聞こえて来ていた。全日本スーパーフォーミュラ選手権が4月22・23日から開幕の為練習していた。フォーミュラのエンジンは2000CCだが車体を軽くしたスピードは時速380キロ。(背中の蓑毛が斜めに切れてしまい元へ戻らないようだ)「もも」を連れて鈴鹿青少年の森公園へ散歩へ行ったがエンジン音が聞こえる。サーキット横に公園がありフォーミュラエンジン音は腹に響いて来て心地よい。天気も良く5月下旬の陽気で「もも」の撮影をしながらも暑く感じる程だ。(座り方が何とも大胆なのかセクシーなのか分からない)午後3時半ごろに青少年の森公園へ入る為走行していると反対車線は大渋滞だ。大阪、なにわ、神戸、京都、滋賀、名古屋などのナンバーが連なっている。帰りは逆方向から抜けないと大渋滞に巻き込まれると思いながら撮影した。帰りの5時頃には更に渋滞しており反対車線から街へ入ろうとハンドルを切った。鈴鹿サーキットの交差点を左折すると2車線になっているが皆興奮気味である。私は左車線を走行するが右車線を追い越して行くが300m先で1車線になる。他県ナンバーが多い中でアクセルを噴かしてもガソリンを消費するだけである。指圧棒を手に取り首筋を指圧しながら2分停まっては20m進み繰り返した。後に着いた車は左へ右へ車体を揺らしているが何を焦っているのか分からない。レースは元F1ドライバーの中嶋悟の長男の元F1ドライバーの中島一貴が優勝。時速380キロのスピードでホームストレート800mを駆け抜ける音は大きい。
2017.04.24
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「10月11日で「もも」が家族になって1ヶ月」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。(ホープは気性の優しいワンちゃんだった)8月11日私の腕の中で息を引き取った事がまだ昨日の事であるようだ。ホープはそれほど苦しまずに最後に声を上げて走るように足を動かした。(仏壇教机の上に置いたホープの遺影)栄養ドリンクを注射器で飲ませては起き上ろうと努力していた。もう頑張らなくて良いと言うと理解したのか力を抜き熟睡した。(もも2ヶ月25日で幼い表情をしている)辛いのかどうかは分からないが前足肉球で私の手をは挟んでいた。最後の時に力強く抱いて上げたが力尽きて力が抜け瞼を閉じて上げた。(我が家へ来てちょうど1カ月目のもも)3時間ホープを抱えていたがあの時の無力な思いはまだ昨日の事のよう。ホープが亡くなってからの10日間の毎日は辛く虚しい日々を送っていた。(こうしてみると大分大人になって来たかな)「もも」とショップで縁あって予約をし9月11日に引き取りに行った。ホープの月命日であるが準備万端で「もも」を我家の家族に迎え入れた。僅か1ヶ月でも犬の成長は早いが毎日接する私には成長の程は分からない。
2016.10.11
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「目標を失い自由気ままな生活である」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。昨日のブログでは多くの方々に誤解を招くような形になり謝罪致します。ホープが亡くなった後の私の心は一貫して次は飼わないに徹しています。ホープのオムツ作りと2枚のオムツ交換と流動食作りと抱えて食べさす。シリンジを洗って干す作業等で1日4回4時間の時間が空いてしまった。最近の生活ではメリハリ部分だけを取り上げてみても不摂生である。ホープとの散歩では晩年ゆっくりとしか歩けなく1時間以上掛かった。夕方5時半頃から散歩に出掛け30分ほどの時間で帰宅するが汗が凄い。用意してある着替えのバッグを持ち温泉へ向け出発し明るい内に入る。温泉の入浴客はお盆中と言う事もあり人出も多く若者たちが多く入ってる。温泉以外のコーナーも若者で溢れ返り賑やかな笑い声が絶え間ないでいる。私の温泉の目的は電気風呂なので若者が多くいても誰も入ってはいない。気温も暑い日が続いているが私は勝手に大きなウィンドウを閉めて入る。夕方辺りから陽が陰り出し気温も下がり出す頃なので黙って閉めて入っている。電気風呂の苦手な若者は「おじさん大丈夫」と聞くが問題ないと言葉を返す。温泉から上がりバスタオルで頭や体を拭き腰に巻きつけ椅子に座るのが習慣。更にもう一枚のバスタオルで噴き出す汗を拭いた後背中から二の腕に挟み込む。背中を曲げ下を向いて暫く目を閉じた格好で座っているのが至福の時である。夜9時頃には楽天ブログを見出してコメント返しはせずそのまま寝入ってしまう。気が付くと夜中0時半を過ぎまで眠りに落ちてしまいベッドへ潜り込み朝まで。疲れていると言うよりホープの世話をせず目標を失い自由気ままな生活である。
2016.08.21
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「ホープの薬と全く同じ薬に違和感を覚える」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。7月28日に93歳のご婦人が朝6時半に訪ねて来た。私は夜寝るのが遅いので朝早過ぎると朦朧としている。黒柴ハチの容体が悪くなりどうしてよいか分からなくなったと泣く。病院はホープがお世話になっている動物病院と同じである。今電話しても時間外だから緊急24時の東京へ転送されるだけと説得。なだめて一旦は帰宅したが同じ町内なので30軒ほどしか離れていない。獣医師に往診を頼みお昼の診療時間外へ来て頂き連れて行って頂いた。93歳のご婦人は朝一人での散歩の途中に必ず私の家に寄ってくれる。頼りにされる事はうれしいが朝6時半に来られても夜型の私には辛い。ハチが居ないから寂しいと毎回同じ事を話しに来るのである。私も人助けと思いながら話を聞いているだけだが落ち着いて帰って行く。犬を昔から育てておりハチで3代目と言うが93歳でよく頑張っている。ハチが入院してから2週間ほど過ぎた頃にハチを誰かが連れて行ったと来る。私はハっちゃんは動物病院の先生に来て頂いて連れて行って頂いたと諭す。勝手に来てハチを抱えて連れて行ったと言い張り言う事を聞かない。私はその時点でホープを亡くし悲しみのどん底にいたが電話を掛けた。昼休みに獣医が連れて来てくれ93歳のご婦人は直ぐにハチを連れて散歩へ。私が途中退院したばかりだからハチが可哀想なので散歩は止めなさいと忠告。言う事を聞かず今朝6時半になりハチが変だ助けてと訪ねて来て困った。ハチを殺して私も死ぬと言うので電話するが時間外であるので東京へ転送。9時過ぎに電話をする事になったがホープの薬と全く同じ薬に違和感を覚える。
2016.08.15
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「喜んで死に応ずる心構えができるのか」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。三日前からハリー・ポッターと「死の秘宝」前編の録画を見ていた。コメント返しをしながら見ていたので理解出来ず録画を3回見た。死の秘宝を読む場面は理解する為8回以上は見たと思う程である。昔々夕暮れどきに曲がりくねった道を旅する三人の兄弟がいた。兄弟は魔法の杖の一振りで川の上に橋を架けることができた。橋を渡る途中でマントに身を包んだ「死」と出会った。死は逃れられたら褒美を与えようと言い3人の兄弟は魔法で逃れた。長男はこの世にあるどんな杖よりも強い魔法杖を望み杖を頂いた。次男は死から死者を呼び戻す力を望み死者を蘇らせる石を与えられた。三男は謙虚な望みで死は渋々自分の透明マントを切って彼に与えた。長男は強力な杖で全てを手に入れたが寝込みを襲われ死んでしまう。次男は魔法の石を要求し既に死んだ結婚したいと望んだ女性を蘇らせる。既に死んだ女性は直ぐに消え次男は正気を失い自殺し彼女の世界へ昇った。死は二人を手に入れたが透明マントを使った三男だけは見つからない。三男は高齢になり透明マントを息子に与え三男は喜んで死を受け入れた。歴史上の多くの人も老いを恐れ死を恐れ中国でも不老不死を願って来た。私にも死は訪れ逃れる事は出来ない喜んで死に応ずる心構えができるのか。
2016.06.20
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「楽天リンクス終了」 楽天ブログの「管理・設定」の画面をクリックして、更に「リンクスの管理」をクリックしてみた。11月30日から12月1日へと日付が変わった今、楽天リンクスは、2010年11月30日をもって終了との、メッセージが出るだけで、本当に消えてしまった。この様になることは予期していたが、実際目にすると、何とも言えない虚しさに襲われ、ブログにしたためたい。リンク友人数118名ほどで、このような思いを味わうのなら、3000名と増やしていた人やコミュニティを作成していた人に、とってはその虚しい思いは、ひとしおではないかと思った。だが、スッキリした一面もあり、これで良かったのかも。今までリンクして下さっていた人達に感謝致します。「お気に入りブログ」に登録して下さっている人の数は、830名ほどになっているものの、こちらよりのリンク数には、制限があり、リンクしたくともリンクできない人も多い。また時間のある限り立ち寄らせて頂きたいと思います。下の写真は、南京へ旅した折に撮影した回廊。
2010.12.01
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「杭州郊外の旅13」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隠寺の歴史は古く1680年あまり前に、建立されたが、唐代(690年頃)には、すでに僧侶の宿舎である大伽藍が存在した。だが霊隠寺は何度も焼き打ちに遭っていた。天王殿と羅漢堂を除いて、破壊された時代もある。孫中山(孫文)の中華民国の初頭に再建。だが毛沢東の新中国成立直後に大雄宝殿が倒壊。中の仏像も壊されたが3年の歳月をかけて再建。現在の霊隠寺の仏閣殿は清朝以降に再建された。写真の五百羅漢を安置する羅漢堂は壊されずに、守られてきたが、1998年に新しく建てられた。多くの大きな建物が新しく建立されたが、大雄宝殿の脇に置かれた石塔などは、1500年の歴史があり、また飛来峰には、500年の間、掘られてきた石窟がある。 私は、僧侶にもう5時過ぎたからと催促され、出口でもシャッターを切り、上の窓の扉が、開いていますよと余計な事を言い時間を稼いだ。
2010.06.28
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「杭州郊外の旅12」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。杭州の霊隠寺は夕方5時には閉門になる。もし、時間超過ですでに門が閉まった場合、僧侶の詰所へ行き開けてもらうことは出来る。私が、羅漢堂に造られた五百羅漢の中に、入ったころには、すでに4時45分を回っていた。観光客は、ほとんどいなかったので、誰はばかる事なくシャッターを切っていた所、後から低い声で「あまり撮らないように」と、不意を突かれた僧侶の声に、かなり驚いた。私は咄嗟に「この中には何体の羅漢が・・」と、意味不明な質問を僧侶にしていた。僧侶は「五百羅漢と言うほどだから500体」と、手には、いくつもの鍵が握られており、早く見終わってくれないかなというような表情。私は、見るより写真を撮りたいのですがと言うと、早くして下さいよと許可されたと理解した。五百羅漢のどれ一つとっても同じ顔がない。何となく中国の友人にも似ている顔に、レンズを向けシャッターを切っていた。
2010.06.27
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「杭州郊外の旅11」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隠寺は霊隠山のふもとにある寺院。秀麗な山々を仏教修行者の心霊の、隠れ住む処と「霊隠寺」と名付けた。10世紀の全盛期には、9階建ての宿舎が、二棟あり1200室ほどに僧侶3千人いた。現在の宿舎は清朝の頃に建て替えられた。だが、時代と共に仏教は道教に押され、僧侶の数も300人ほどになり、現在では、250人ほどまでになっているが、それでも、すごい人数の僧侶が修行している。霊隠寺の大仏殿の「大雄宝殿」は高さが、34mほどあり、中に安置された金箔張りの、釈迦如来像は高さ20mほどで、その高さは、中国の各寺院の坐像としてはトップクラス。「大雄宝殿」から「天王殿」へ向け歩き、「天王殿」の中へ入ると、高さ8mほどある、きれいな色で塗られた四天王像がある。写真では、広目天と多聞天を撮影しており、持国天と増長天の画像は貼り付けていない。
2010.06.26
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「杭州郊外の旅10」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。杭州霊隱禅寺のスケールは大きく、「東南第一禅院」と呼ばれている。中国各地の禅寺を見て回ったが、ほとんどが大音量のカセットテープで、お経を流し続けているものだった。私が訪問した時間帯が僧侶の読経時間とは、違ったのか、法要の日ではなかったのか?分らないが、ここ霊隱寺の本堂では、僧侶たちが読経する声が響き渡り、なんとも言い知れない雰囲気だった。私が撮影する後ろ側では、手に数珠を、持った中国人信者たちが手を合わせているので、シャッターを切るたびに、罪悪感さえ感じた。荘厳な雰囲気の中で僧侶たちの読経は、いつまでも続いており、写真を撮り終えては、いなかったが、入口付近に立つ人たちを、かき分けて外へ出て、大きく深呼吸した。大きな香炉越しに線香を炊くことで、願い事を叶えて貰おうと真剣な参拝客の、姿を撮影したが、私は手一つ合わせていないので、何となく悪くも感じたが日本でも手を、合せた事がないと言い訳がましく思った。
2010.06.25
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「杭州郊外の旅9」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。杭州霊隠寺は、著名な五山の一であり、古刹の多い杭州近辺でも目立つ存在である。その霊隠寺の本堂の中の撮影には気を遣った。本来なら、撮影すら許可されない本堂内である。いくら住職の手書きの撮影許可証があっても、ジーパンの後のポケットに入っており、何もアピールしていなく外部から見た感じは、やはり不審者が撮影していると映っただろう。写真を整理している時にも、同じショットが、ランダムで出て来るので、撮影した本人が、戸惑うほど、あちらこちらへ急ぎ足で動き、僧侶たちの目を盗んで撮影していた事が窺える。撮影にはフラッシュを用いないと内部は、薄暗く困ってしまったものの、フラッシュは、遠くからでも撮影をしていると分かってしまうため、フラッシュを使わず、ISO感度を上げて撮影した。内部には200人ほどの僧侶の大きなお経の声が、耳に入ったが、私のレンズを見る僧侶は少なく、寺の保安係が、私の肩を何度もたたいていた。
2010.06.24
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「杭州郊外の旅8」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隠寺は326年にインドの慧理により、建立され、10世紀頃はは3000人以上の、僧が修行に励んでいた。唐の武帝の時代には仏教やキリスト教など、外来宗教の国外追放がなされ徐々に衰退。中国は元々道教の国であり、民間宗教に、取り入れられ、仏教も民間から忘れ去られた。歴代の皇帝は、仏教を別格扱いして、民間から切り離していた時代を通り過ぎた。200年前頃から中国での仏教は庶民の間からも、忘れ去られ、文化大革命の始まりと同時に、仏教寺院は風前の灯となってしまった。まだ40年ほど前の中国での出来事である。だが、信教の自由となり規制されない。霊隠寺も信仰深い信者たちにより改築され、現在の寺に生まれ変わり、多くの信者を迎える。写真の釈迦如来像や殿内は撮影禁止であり、撮影すると寺の管理者から大きな声で注意をされる。私は住職に何度もお願いをして200元のお布施をし、やっと手書きの撮影許可証をもらい撮影したが、やはり、カメラを向けると手で静止され、その度に、手書きの撮影許可証を見せなければならず苦労した。
2010.06.23
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「杭州郊外の旅7」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。日本での禅寺に限らず他の寺院の、参拝方法は、あまりよくは知らない。私は中国へ来る前までは、中国仏教が、これほどまでに盛んとは思ってもみなかった。中国の仏教は200年前に衰退しており、法輪講などが盛んであると聞いていた。だが実際に中国各地の寺院へ行ってみると、写真のような若い人たちが祈りを捧げている。若い人たちの中には、祈りの作法を先輩から、いろいろと教わっている姿も見受けられた。日本の祈りの作法から比べるとオーバーとも、感じる作法には、一生懸命さが感じられ、一体何を祈っているのかと思うほどである。
2010.06.22
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「杭州郊外の旅6」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。杭州にある霊隱禅寺のスケールは大きく、「東南第一禅院」と呼ばれ多くの人が訪れる。寺の前に御碑亭が有り、清の皇帝の乾隆帝が、6回訪れ、多くの詩を詠み御碑に刻んであった。この天王殿の入り口の額には清の第4代皇帝の、康煕帝によって「雲林禅寺」と書かれている。大雄殿の入り口脇には、理公塔と同じような、塔が置かれ、中には何体もの石仏が彫られていた。本殿の前には大きな香炉が置かれ、長い線香に、観光客が火を点けるために来ているが、次から次へと人が来ては、急がせるので、線香に火が点いているのか何度も、確認するためスムーズに、火が点けられない人の姿もあった。日本で使われる線香の太さとは違い、中国では花火のように長い線香もあり、長いものでは1mの線香もみられる。
2010.06.21
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「杭州郊外の旅5」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隠寺は中国禅宗十大古刹の一つであり、326年にインドの高僧・慧理によって建立。その歴史は1684年以上で、最盛期の、10世紀頃はは3000人以上の僧が居たという。中国最大の木彫り釈迦弁尼の座像は圧巻である。現在の寺院は19世紀後再建された建物である。境内を歩いて行くと多くの観光客がひしめく。皆の手には、それぞれに太い線香があり、その線香を額につけて、まっすぐ前方に伸ばし、祈りを捧げる姿は実に豪快と言うよりオーバー。祈りの方法もいろいろあり、お寺の周りを、ぐるぐる回る方法もあるから驚く、それも、中には靴を脱ぎ捨て素足で回っている人もいる。
2010.06.20
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「杭州郊外の旅4」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隠山の麓にある霊隠寺は、インドの僧慧理が、東晋時代(326年)に建立し、仙霊が多く、隠れ住んでいる所として霊隠寺と命名した。五代の呉越の頃、最も栄えるが、その後何度も、興亡を繰り返し、現存するのは19世紀の建築物。東西に2つの山門があり、中央に天王殿が並ぶ。天王殿には南宋時代の楠木造りの韋駄天像が、大雄宝殿には金箔を貼った釈迦如来像が、安置されていた。中は撮影禁止であるが、何とか撮影したので、後日貼り付けたい。閉門時間が5時までだが、開門時間も、5時までと勘違いすると、せっかく、ここまで来て何も見ずに、飛来峰の石窟のみで、終わってしまうので、4時までには入門したい。
2010.06.19
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「杭州郊外の旅3」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。杭州霊隠寺入り口ゲートを入り道なりに、歩いて行くと参道に出るが、参道の敷石が、取り壊され、工事中であり、皆歩き辛かった。しばらく進むと、参道の左手に飛来峰の、石窟造像群が見えてくるが、つい足を止めるほど。すでに霊隱寺観光(参拝)を終えた人達が、帰って来る中でも、多くの人が足を止めて、飛来峰に彫られた石窟や石仏を眺める姿が見える。この山には、幻想的な洞穴が70以上ある。その洞穴内には五代から宋、元代までに、造られた石刻像が330体以上安置されている。宋代に造られた石像は、唐代以後中国北方の、石窟芸術が衰えた後に造られており、石窟群として貴重な資料と研究者には堪らない。観光客も石窟をもっと近くで見ようと、石窟の近くで記念写真を撮っている姿が目に付く。私は時間が押し迫っており、望遠レンズで、石仏や観光客を撮影するだけに留めた。
2010.06.18
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「杭州郊外の旅2」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隱禅寺は西湖の西北の北高峰にあり、別名「雲林禅寺」とも呼ばれている。西湖湖畔に建てられた六和塔と同じく、インドの僧であった彗理が東晋の時代、326年に創建し、1674年以上の歴史がある。霊隠寺駐車場から門をくぐり中へ入ると、石畳の参道は工事中で石が乱雑に置かれていた。まだ工事中の参道を歩いていくと、写真の、理公塔が建っていた。1590年に建て直した。風雨に晒され彫られた石仏群も古く感じる。霊隠寺を訪れた多くの観光客は飛来峰に、彫られた石仏を眺めながらゆっくりと歩いた。敦煌の石窟や洛陽の石窟よりも規模は小さいが、中国禅宗十大古刹の一つだけあり、石窟群も、時間があれば、見て回りたいものだと思った。飛来峰の由来はインド天竺から来た慧理が、インドから飛来してきたと語ったことから、飛来峰と呼ぶ名が付けられたという。
2010.06.17
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