浜松中納言物語 0
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「大道芸人のショーは」 「中国上海写真ライフ」では、上海世紀公園の写真を公開しています。 上海浦東にある上海世紀公園では普段の入園料は、10元(150円)であるが、大道芸人などのイベントが、入ると、そのギャラ支払いの為80元(1200円)となる。この日も80元の入場料価格が掲げられており、私でさえ、どうしてそんなに高いのですかと、聞いたほどで、散歩に来ただけの中国人にとっては、本当に高すぎるのではないかと思った。大道芸人のショーは世紀公園の入り口より2/3ほど、入った所のショーホールや芝生を敷き詰めた広場で、行われていたが、私の関心は大道芸人の子供だった。ヨーロッパやアメリカより出稼ぎに来ているのか、中国に長期滞在して子供は中国の学校へ登校しているのか。いろいろな思いが交錯しその子供を追った写真であるが、寂しげな表情の写真が多かったのも私の心に残った。更に歩いて行くと軽快な吹奏楽の音楽がそよ風に乗り、聞こえてくると何となく足早になるもので可笑しかった。吹奏楽のなる方へ行ってみると、足に長い竹馬を付けて、一生懸命にトロンボーンやサックスホーンを吹いていた。そして、また頭を過ぎった事柄は、この人達はその昔は、母国で売れていたが、人から忘れ去られるうちに、遠く中国にまで来て、演奏しているのかもと・・・。だが、彼らの楽しそうに演奏する表情やダンスに、そのような事も忘れ、動きの早い彼らを追うのがやっとだった。脚の下に1.5mほどの長さの竹棒を足しているので、演奏している最中はバランスをとるために前後に動き、更には皆とのバランスをも保ちながら息のあった演奏と、ダンスで入園者たちの拍手を浴びていた。
2009.07.10
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「花から花へと舞う蝶々」 「中国上海写真ライフ」では、上海世紀公園の写真を公開しています。 「上海世紀公園6」では、上海の様変わりの早さに驚くと、書いたものの、この様変わりは中国沿岸地域の都市で見える。上海では2010年5月1日から始まる世界博覧会へ向け、驚くほどの速さで工事を進めてきている。地元上海に住むものが、驚くほどであるから、偶に来られたお客様が驚くのも無理はないと思った。写真は花から花へと舞う蝶々の姿を撮影したが、10枚の更新写真の撮影に40分ほど掛けて撮影した。
2009.07.09
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「花から花へと舞う蝶々」 「中国上海写真ライフ」では、上海世紀公園の写真を公開しています。 「上海世紀公園6」では、上海の様変わりの早さに驚くと、書いたものの、この様変わりは中国沿岸地域の都市で見える。上海では2010年5月1日から始まる世界博覧会へ向け、驚くほどの速さで工事を進めてきている。地元上海に住むものが、驚くほどであるから、偶に来られたお客様が驚くのも無理はないと思った。写真は花から花へと舞う蝶々の姿を撮影したが、10枚の更新写真の撮影に40分ほど掛けて撮影した。
2009.07.08
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「だが目的は花の撮影」 「中国上海写真ライフ」では、上海世紀公園の写真を公開しています。 上海世紀公園へは地下鉄1号線の辛庄駅から、人民広場まで行き地下鉄2号線に乗り換えたのち、上海科技館か世紀公園駅を出るが2駅の距離は1.6km。世紀公園は1997年に開園し上海でも規模は大きい。公園の中には遊園地もあり、意外な感じがした。園内には2人乗りの自転車が置かれており、一人乗り自転車を探したが元々置いてはなかった。公園内を一周回るならやはり自転車を借りたほうが良い。私も自転車を借りたものの、目的である花の撮影に、時間を取られてしまい歩いた方が良かったと思った。
2009.07.06
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「中国駅前広場事情1」 「中国上海写真ライフ」では、上海世紀公園の写真を公開しています。 上海浦東にある世紀公園に行くために、地下鉄1号線の辛庄駅までバスで行った。いつもは通り過ぎる光景を撮影しアップした。辛庄駅前で果物やネックレス等売っていたので、撮影したが撮影された方はあまり良い気はしない。この撮影はそれぞれ1元(15円)を手渡し撮影している。それでも顔は写してもらっては困ると向こうを向いている。中国の何処の都市の駅でも同じ風景が見られる。市場で仕入れた商品を売った差額で生計を立てるが、果物の値引き率は少ないが、その他は値引き率が高い。
2009.07.05
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「功夫とはカンフーの意味」 「中国上海写真ライフ」では、上海影視楽園の写真を公開しています。カンフー武術道場の物置小屋へ入ってみたが、相当前の撮影に使った道具も乱雑に置いてあった。入り口の取っ手に古き昔を感じ撮影してみた。撮影に使われたのか、竹と縄で作られたミニチェアーである。少し壊れかけだが、これも懐かしい思いを抱かせてくれた。黒っぽい太鼓に、なめし革を張り金色の鋲打ちがしてあった。バチで敲いてみたところ、盆踊りの時に敲いた低く響く、音ではなく、太鼓が少し小振りなのか甲高い音がした。戦いのシーンで武将達が使う剣などが雑然と、保管されているのを持ってみたが意外と重たかった。功夫とはカンフーとか中国拳法のことを指して功夫と呼ぶ。また下工夫と功夫の発音は同じだが中国語で書けば、学習や研究に身を入れる事や、努力する意味になる。
2009.07.04
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「カンフー道場のセット」 「中国上海写真ライフ」では、上海影視楽園の写真を公開しています。1930年代の上海南京路を中心に当時のデパートを再現し、路面電車も運行させ、そこに立つと古の上海がよみがえる。 カンフー道場と書かれた門の両脇には獅子の像が、置かれていたが心なしが凛々しいオス獅子増である。 その1930年頃の上海の街並みをゆったり歩いていると、カンフー映画の道場のセットに出くわし中に入ってみた。 中に入ってみると大道具や小道具が所狭しと置かれていた。この中は武術道場とでも言うのか、ここでも多くの作品が、撮影されており、門の横に撮影中は関係者以外入場禁止の、たて看板があったが、門を潜り中に入ると、結構広く感じた。 カンフー道場の稽古シーンの撮影に使われるのか、いくつもの桶が吊られておりその傍には井戸があった。またカンフー映画に出てくる修行の場の小道具が設置し、舞台の中央の壁には武道の武の字が大きく描かれていた。写真はカンフー練習用のマシーンの木人である。 「映画に使われた小道具」 「中国上海写真ライフ」では、上海影視楽園の写真を公開しています。上海は中国の映画発祥地とされ、中華民国時代に通算で、180を数える映画制作企業があったと言うことである。1930年代の上海南京路周辺にはフランスや日本など各国の、租界地が開設された経緯から上海に映画制作所が設けらた。武術道場の中に入って右側に大きな水かめが、幾つも置いてあり、その上には汲み桶とでも言うのか、沢山吊るしてあったが一体何の撮影に使った道具なのか。カンフー映画の小道具の代表である「木人」だが、練習のため木人の腕部分に巻かれた縄がほどけていた。私も若い頃に帰ったように、木人で始めゆっくり、段々腕の動きを早くしていったが翌日、腕が少し紫色になり、カメラを持ち上げる時に痛みが走るほどだった。桶に水を汲み、その水の入った桶でカンフーの練習。この井戸は映画にも使われた事があるのだろうか。汲み桶をアップにして撮影するとまた面白い写真に、しかし、興味のない人には余り面白くないかも知れない。道場の奥右側に井戸が掘ってあり中を覗いたところ、テトラポットのようなものが投げ込まれていた。あまり綺麗な井戸水だが井戸の風景などを撮影した。道場の舞台の前に映画のセットで使用された小道具。松明や燃料を入れ火を点け気勢を上げるカットだろうか。舞台の下には、どの映画のセットに使われたのか、丸太を組んだ台の上に鍋状のものが置かれていた更に一段下には、大きな水かめが置かれていたが、各所に俳優が付き何か演技をしたのかとも思った。
2009.07.03
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「テレビドラマ情深深雨蒙蒙」 「中国上海写真ライフ」では、上海影視楽園の写真を公開しています。かつてオールド上海(魔都)と呼ばれていたころ、そのころ上海では黒塗りの車、路面電車、人力車、そして、大勢の人で賑わう南京路のシーンが出てくる。私は中国上海南京路のドラマや映画のシーンを見た時、いったい何処で撮影したのだろうか?などと不思議だった。中国の友人に聞こうと思いながらも忙しさにかまけて、ついつい忘れてしまい、不思議に思ってより、8年目でその不思議と思っていた疑問が解けた。大型テレビドラマ情深深雨蒙蒙を見ていて感動、その撮影場所へ、どうしても行ってみたいと思うようになり、何人かの中国人に、聞いてやっと上海影視楽園と分かった。
2009.06.30
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上海地区--上海影視楽園5「撮影現場に出くわす時もある」 「中国上海写真ライフ」では、上海影視楽園の写真を公開しています。上海影視楽園は上海南京路の繁華街を中心に作られ、1920年代の建物が南京路の両側に建てられている。また路面電車が上海影視楽園の中を一周して来られる。路面電車にも乗ってみたが、歴史の重みを感じる。「上海灘」の映画ロケは許文強(黄暁明)と馮程程(孫儷)その他の俳優たちがロケ中つめていたが、映画の撮影中は一般の観光客は入場できなかった。上海影視楽園は1930年ごろの魔都上海の南京路付近を、モデルにして15億元(165億円)を投資して作られている。上海租界が開設された時代から上海は中国の映画発祥地とされ、中華人民共和国誕生以前の中華民国の時代背景の映画撮影の、中心地であり、そのポスターや写真なども博物館で展示している。
2009.06.29
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「上海影視楽園は上海の南側」 「中国上海写真ライフ」では、上海影視楽園の写真を公開しています。上海影視楽園は上海の南側の松江市の外れに位置する。今回より上海映画村周辺の写真を更新していきたい。上海松江市は工業地区に指定され多くの工場が建ち並んでいる。上海より1時間半ほどで映画村に着くがバス停より10分ほど歩く。上海影視楽園は1930年ごろの魔都上海の南京路付近を、モデルにして15億元(165億円)を投資して作られている。中国の連続テレビドラマや映画などもここで撮影されたものが多い。許文強(黄暁明)と馮程程(孫儷)主演の「上海灘」の映画も、この映画村で殆ど撮影された。 「上海影視楽園は上海の南側」 「中国上海写真ライフ」では、上海影視楽園の写真を公開しています。写真はテレビドラマに出てくる豪華な家と右側の塔は、上海南京路と江蘇路の交差点の建物も見えている。上海影視楽園へ行ったこの日は凧祭りと銘打ち、映画村の奥まった路地へ凧が展示されていた。ある路地などは凧埋め尽くされ、何度も凧を飾っては、移動していた。また凧は展示しているだけで売り物ではなかった。上海影視楽園へは朝上海の自宅を出発し、上海地下鉄で錦江楽園まで行き、バスに乗り換え、上海影視楽園のある「車dunバス停」で下車し車dunからは、10分ほど歩いて行くと上海影視楽園が見えてくる。 「上海影視楽園は地下鉄とバスで行く」 「中国上海写真ライフ」では、上海影視楽園の写真を公開しています。上海影視楽園のチケットは50元(750円)と少々割高かも。現地中国人の給料から考えると弁当10人前とやはり高いのかも。私は上海影視楽園は4度目の観光だが、最近では大分古くなった。建築物の時代背景は1920~30年台でムードたっぶりである。建物を肉眼で見ると確かに色あせて見えるが、映画のシーンを撮影すると見違えるほどになる。特に夜のクラブの外観などは、それと分からない。家屋の中は電気ノコギリの音が聞こえており、脚を踏み入れると真新しい木の香りがしていた。殆ど撮影シーンにも使用しない屋内は、当時の、チーパオや中華民国時代の服装が展示してあった。 「撮影現場に出くわす時もある」 「中国上海写真ライフ」では、上海影視楽園の写真を公開しています。オールド上海と言う言葉がその昔流行した。上海の古い街並みを散歩しても最近では、オールド上海と言うような街並みが少なくなった。中国の中華民国の時代のテレビドラマの撮影に使われる。上海の街を地下鉄を使ってオールド上海の門構えが、残っていないかどうか探してみたことがあるが、古い街並みを取り壊して、新しく建ち出している所が多い。映画村に備え付けのレストランで食事をとると割高である。上海影視楽園の中はオールド上海の建物が多い。その年代の建築物に合わせて建ててあるので当たり前である。最近では映画村の中で撮影イベントの仕事をして無名の俳優が、一生懸命撮影の仕事をしている所へ出くわす事もある。
2009.06.26
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「上海植物園13」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。台北二日目は日本人のツアーに参加した。朝それぞれのホテルを回ってツアーのお客を乗せてきた。私達のホテルが最後だったので8時45分にロビーで待っていたが、道が混んでいたとかで10分ほど遅れて迎えに来た。朝寝坊した私は朝食を取らずにロビーでガイドが迎えに来るのを待っていたが、道が混んでいて遅れるとの連絡に地下一階のレストランへ急ぎ降りた。そして食べている時間がないので持って行きたい旨の事を話した。新しいビニール袋を出して頂いたが水気のものは、こぼれるのでもっぱらパンやお菓子類またピーナッツを入れて行ったが、入りきらないので更にもう一枚のビニール袋を出して頂き急ぎ入れて行った。バイキング料理が並ぶ近くで食事をしている人たちはあっけにとられているように見ていたが、その方を向きニコッと笑顔を見せると慌てて箸を運んでいた。立って見ているウエイトレスに礼を言うとマネージャーはもうよろしいですか?と中国語で言うので急いでいるので有難うとビニール袋を提げロビーへと向かった。エレベーターが中々降りて来ないので、一階にあるロビーへは階段を使った。妻が階段を降りて来る所だったようで、何をしてるのですか?もうガイドさんが迎えに来ていますよと私の手のビニール袋を見ながら言った。ガイドさんは日本語で、遅れましてどうもスイマセンと頭を下げた後、食べるものを沢山もらって来ましたね~?と言うので、半ば無理矢理取って来たと言えなくなり、朝寝坊して朝食が時間道理取れずにガイドさんが遅れて良かったですと話した。バスに乗ったが前の座席は座っていたので通路を歩きながら、今日一日よろしくお願いしますねと頭を下げたが、皆さんの視線は私の手に持ったビニール袋に向けられていたように感じた。妻も私の横の座席に座ったと同時に、もうそんなに沢山持って来て恥ずかしい!と言うので、別にこんなに持って来るつもりはなかったが、あれもこれもと入れて行ったら自分でもちょっと多いかなと思ったけど元に戻すのも失礼と思い持ってきたと笑いながら話した。隣に座っている若い女性たちが、私達の会話を聞きながら笑い、それにつられて彼女らの友達も笑い出したので、私が食堂でビニール袋を出して頂き入れるシーンを再現するように話すと笑いは更に広がった。しかし、妻は少し不機嫌そうに、持って来た朝食バイキングの話などしなければ良かったというような目で睨まれたが、私は入れ過ぎでペシャンコになったパンを食べながら満足そうに笑うと、全く子供と一緒なんだからと言ったっきり黙ってしまった。
2009.04.07
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「上海植物園12」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。私たちは午後台北のホテルに着いた。その日の午後はフリーであったので、車で40分ほどの道のりを市バスを探して、友人からの話のあった場所へ1時間ほど掛けて行ってみたがバスの運転は荒っぽかった。帰りに道に迷うといけないと思いホテルから西門丁バス停までの5分ほどの景色をカメラに収めた。目的地行きのバスが来て乗ったが下校時間のため、バスは学生たちで一杯だった。しかし、妻のために一人の女学生が席を譲って下さったが私は若く見られたのか譲っては頂けなかった。日本の市バス料金支払い時では小銭が無くとも両替をして下さるが、台湾の市バスでは両替はして下さらないので、前もって小銭を用意しておかなければならない。私はその事をバス停で待っている間に聞いて、ポケットに手を突っ込んでも小銭が足りなく、バス停で一般の人に両替して頂いた。私の降りる場所は終点だったので問題ないが途中で降りる場合は、耳を澄ませて聞いていないと乗り過ごしてしまう可能性がある。目的地に着き友人より頼まれた場所へ行き写真撮影をする事30分ほどで台北市中心へとバスに乗った。帰りのバスには故宮博物館の見学者もなく私と妻の二人だけであった。バスの運転手に西門丁までの料金を料金入れに投げ込み、西門丁へ着いたら呼んでほしいと頼むと、あなた達は台湾人と違うねと言うので違うと答えたが西門丁の降り札を手に取り後ろへと向かった。後ろの方の席に座るとバスの運転手が後ろを振り向き私の横の座席に座ってくれと言う。妻を残して私だけ運転手の横に座ると、あなたは日本人ではないのかと聞いてくるので、私が日本人だと言葉遣いですぐ分かったのか?と聞くと話す言葉は中国大陸の人っていう感じだと言う。服装から日本人であることが分かっていたようで、私を横に座らせた分けは日本語の勉強がしたい為のようであった。九州へ旅行に行ったことがある運転手の日本語はお世辞にも上手いとは言えなかった。途中からバスの乗客も増え出したが私との会話を止めようとはしなかった。日本語の挨拶言葉や日常の簡単な日本語を中国語で聞くので私が日本語でその単語を教えた。お客の中にも日本語を知っている人もあり、バス内から時々笑い声がしていた。私の降りる停留所の西門丁が近くなってきたのか、今日は楽しかった!有難うと有難うのみ日本語で話した。また会えると良いですねとバスを降りた。バスを降りてよりネオンサインの景色にホテルまでの方向が分からなくなってしまった。地元の人にホテルの方向を聞いたが分からず、出発前に撮影しておいた写真画像を見せたところ4・5人が画像を見ながら、反対方向を指差し向こうの通りの写真だと言う事で危うく道に迷うところだった。妻も写真が意外と役に立つ事が分かったようであった。
2009.04.03
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「上海植物園11」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。妻と二人だけの旅行は、私が中国での仕事のために、中々実現しなかった。だが今回は妻から先日知人のご主人が亡くなられて、その奥さんから「こんな事なら主人の生きている間に色々な所へ旅行しておけば良かった」と話したそうだ。その事を妻は食事を作りながらも独り言のように話していた。私はテレビの音声を大きくしていたので、所々しか聞こえなかったが妻がテーブルに料理をセットしながら私に「ちょっと!私の話聞いているの?」と少し声のトーンを上げながら聞いた。私は何か独り言のように話していたけど、「何処か旅行に行こうか?などと言うところは聞こえたよ」と言うと「聞こえているんだったら返事をしてよ」と何となく不満ありげな返事であった。私は、何処何処へ行きたいと具体的に話さないと、ただ二人だけで旅行に行きたいだけでは説得力に欠けるし、ビザの必要な国なら前もって準備をしなければならないし・・などと話すと、すぐに難しい話をし出すのだからと、また独り言が始まった。そんな妻の私に語りかけるような独り言は、いつ止まるともなく続いた。中国へ行くにはビザがいるが台湾や韓国へはいらない。また台湾で話している中国語は話すことが出来るが韓国語は話す事が出来ない。無理矢理、台湾と決めつけネットで検索したところ値段は格安3万9千円から9万ほどまで、色々あるがホテルのランクで値段を出しているようであった。私は中国国内での旅行では三ツ星が殆どなので三ツ星で予約した。結構安上がりと思っていたところ、ガソリンチャージ代が含まれてはいなくて、後から付け加えられると何となく損した気分になり、ホテルのランクを下げようかと女房に話すと、折角の旅行なのだから、そんな事でケチらないでよと言われてしまった。だが、4月1日よりはガソリンチャージ代も大幅値下げだ。ホテルはそれなりだったが、旅行代理店にベットはツインと細かく指示していなく、代理店からも聞かれなかったのでそのままになってしまっていた。でも夫婦なので大きなダブルベット一つでと気を使ったようであったが、私はツインベットより安く上がるからだと代理店のサービスを疑った。私の血液型がAB型でそれが原因なのか、大胆なところと繊細なところが共存する性格であり、夜中でも譬え妻であっても寝返りの物音で眠れなくなってしまう。案の定、夜中でも寝返りの物音に眠れなくなってしまい、ベット脇の絨毯の上に布団と毛布を敷くという行動に出たが、ぐっすり眠れた。ホテルではフロアー責任者も部屋に来て、何か手違いがあったのだろうかと至極心配げな顔で応対をしてくれた。それとは対照的にルームサービスの女性は、変な笑みの表情で私と妻を見ていた。妻は日本語で、ごめんなさいね~わがままな人ですからと話しても、日本語の分からない相手は首を傾げているだけで、私は自分の性格上の事柄を話し納得して頂いた。
2009.03.31
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「上海植物園9」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。久しぶりの更新であるが、それも仕方が無く、パソコンを持たずに旅行へ出掛けていた。普通旅行にパソコンを持って出る事は少ないが、私の場合ブログを始めた頃の旅行にはパソコンはホテルに置き、またホテルに帰ってより撮影した写真を取り込み、画像縮小しながら、その写真の場面に適したエッセイを書いていた。しかし、中国人と食事をし部屋に帰ると8時過ぎで、それからブログを作成しアップする頃には夜中12時を過ぎており、それより入浴し床に就くころには1時半過ぎで、また朝7時起床し次の観光ポイントへと向かった。このような旅行は心身ともに疲れるので、最近の旅行では一切パソコンを持参してはいなかった。今回妻との久しぶりの旅行にも勿論パソコンは持参していなかった。妻と一緒の旅行は30年以上なので思いがけず妻の意外な行動に一人はかっておいた事に少し後悔をしたりもした。だがそんな心の内とは裏腹に、全く関係ない事柄の話題で時を過ごした。台北に着いてからは、自由に行動し色々な現地ツアーに参加した。日本人は参加できないと言われたが、15年中国で鍛えた中国語で何とかツアーに参加できた。妻一人言葉が分からずに、面白くなかったのかと思えば、心配を他所に結構楽しい時を過ごせたとの事だった。特に感動したのは温泉だと妻は私にうれしそうに語った。私は始め心配であった。なぜならば中国にしろ台湾にしろ温泉と言えば必ず水着を着て入浴する中、私が探して行ったところは、丸裸で入浴するからだった。妻の体重は以前43キロほどあったが、最近では37キロで痩せ細ってしまっていた。私たちと同じツアーのメンバーはシンガポールやマレーシアと中国の人であった。その人達の前で痩せ細ったボディをさらけ出すのは、どうしたものかと思ったからだ。私は現地台湾人と温泉に入りながらも、色々な事柄について話して集合時間にも間に合わないほど楽しかった。私は皆に大分待たせてしまったねと、まだ汗が噴出す顔をタオルで押さえながら言った。妻の顔を見ると、この人はいつも人の事は考えずに自分のペースなのですからと日本語で話しても、その言葉を理解出来るのは私だけだった。マレーシア人が私に奥様は何と言っているのですか?と聞かれても本当の事は通訳出来ないでいた。私は咄嗟に、皆さんと風呂をご一緒できて、とても楽しかったと言っていますよと言うと、彼女は妻に通訳して下さいと言い置き、先ほどはお風呂の中で日本語を教えて頂き有難うございましたと話した。妻に、20歳の彼女の言う事を告げると、妻も簡単な日本語をお風呂の中で話していたのですよと、私が時間に遅れた事など何処かへ行ってしまったように、無邪気に話していた。その夜は台湾の繁華街士林を妻たちと散策し地下鉄でホテルまで帰った。
2009.03.27
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「上海植物園8」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。私が一眼レフカメラを手にしたのは10才小学校4年生の時だった。私の父がカメラマンという職業柄から余分な古いカメラを私にくれた。しかし、大人になって思えば、職業に使っていたカメラを、いくら実の息子とは言え簡単にあげることなど変であった。なぜならば、小学校の記憶ではそれほど裕福な家庭ではなかったからだ。私の産みの母は自殺して私は5年半の歳月半年ずつ3箇所の親戚にお世話になった。父は遠くの地で再婚し9才の私を引き取ったが、私があまり寂しそうにしているのを見て、その後ろめたさにカメラをくれたのかとも思った。夜ともなればよく父が現像している暗室の暗幕を掻い潜って停止液や現像液の酸っぱい匂いや赤い豆電球の薄暗い部屋の中に入って、画像が浮き上がってくる瞬間に感動したものだった。しかし、反抗期と共に父から離れカメラとも離れて行った。私は10年以上の歳月カメラに手を触れなかった。しかし、山と渓谷に憧れ、自然と触れ合ううちにカメラを自分で購入していた。山にはエスカレートし冬山にも挑戦するようになり、やがてはロッククライミングに夢中になり、落下し骨折しやめてしまった。山登りは入院と共にやめてしまったが、カメラの趣味だけは残った。私はニコン党でカメラとレンズには、結婚してからでも妻から相当嫌味を言われるほどに買い揃えた。いわゆるレンズ沼状態だった。ある日妻から家計費をもう少し上げて欲しいと言われたときに、掛った分だけ伝票に書いて請求すれば、その分を支払うと言った。だが今思えば妻たる女性が会社の金を握っていれば良かったが、私が会社の金を握っていたので、元金が無ければまず買えないのは当然であると思った。そんな妻とのやりとりも終わらないうちに、私は受話器を取りニコン500mmレンズを値打ち価格78万円で購入したが、もうあなたには困っている人の気持ちなど理解できないのですねとドアーを出て行った。だから妻は大きくなった子供たちの前で、あなた達が小さい頃は、貧しくて満足なものを買ってあげられなかったのよ。当然3人の子供たちは驚いたように私を見た事を思い出す。そんな事もあり私は15年前に中国へ単身出たのかも知れない。前置きが長過ぎて、一体何を書こうとしていたのか分からなくなってしまったが、中国へ行ってからは、罪滅ぼしのために全てのお金を妻に託した。だが一銭無しでは生活ができないので、へそくりを作り中国での小遣いに当てるようにしていった。中国へ行ってからは仕事上コンパクトデジカメを使い、銀塩カメラは全く触らなくなってしまっていた。約十年ほどカメラケースにそのままだったので、ある日帰国し思い出したようにカメラを出してみた時には、ミラーから8本のレンズの殆どがレンズ特有のカビがびっしり生えていた。原因はケースのコンセントが外れたままになっていたからだ。経験上撮影しても甘い画像しか写らないと判断した。中国へ持ち込んだカメラとレンズもあるが盗難に遭ってしまった。仕事上のデジカメに慣れ、それでHPの画像も作ったが、趣味にデジイチが欲しくなり、ニコンからCANONに乗り換え、当時人気を博していた5Dと35mmF1.4とマクロレンズまた望遠ズームを70万で購入した。ここでやっと本題でその5Dのシャッターが下りなくなってしまったという分けの分からない内容。このつづきはまた次回です。
2009.03.08
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「上海植物園7」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。旅行費用をATM機で振込みをしようと家のカードと通帳で振込みする予定が、カードの暗証番号を間違えてしまい振込みできなくなり、一旦家に帰り暗証番号を聞いたが、長い間使っていなかったので自分が作ったカードの暗証番号を忘れてしまっていた。私個人のカードの暗証番号は家のカードの番号とは違っていた。両方とも私が作ったカードであるが不覚をとってしまったと妻に告げると、いい加減にして下さいよ!これからも使っていくのですからね。と言われたが、使用不能なのでどうしようもなかった。前回のブログにも書いたが、結局旅行代金は私のポケットマネーが入っているカードで振り込んだ。振込みには成功したのであるが、慌て者の私は違う口座番号へ振り込んでしまった。その時には気付かず、女房にも違う通帳から振り込んだよと言い、えっ!そんな通帳が有ったのと、とんだ失態劇であった。しかし、振り込んだ先が違う事は、名古屋の旅行社へフリータイムにコースを追加して頂くべく伺った。その時に旅行社担当から、まだ振込み入金を確認しておりませんとの言葉に、ATM機の振込み明細書を見せたところ、この振込み先は私共ではありませんねとの言葉に振込先を間違えた事に気付いた。その場では、旅行に行った先で必要になる現金を40万引き出していたので、そのお金より旅行社へ支払い領収書を頂いたが、心の中は落ち着かなかった。なぜならば振り込んだ先の電話番号を調べたが、日本で只一つフリーダイヤルの登録しかなかった。そのフリーダイヤルへ電話したものの、営業時間外だったので冷たいテープ音しか聞けれなかった。銀行のフリーダイヤルへ電話したところオペレーターが出た。事の仔細を話すと、自分の事のように声のトーンを下げて悲しい表情の声で指示を下さった。三菱東京UFJ銀行の指示通りの地元電話番号へ電話し、私のような振込み違いが多いのか冷静な対応をして下さった。地元銀行の指示通りにその銀行へ行き番号札を手に持ち順番を待っていると係りの人が私の傍へ来て窓口に案内して下さった。簡単に用件を話した後、番号札を受け取ったので、既に銀行側では全ての書類を準備して待っていたのだろうと思った。私の電話に出られた人と同じ女性と言う事が分かった。手数料を860円お支払いし組み戻しの手続きを取って頂いた。銀行ではいつ頃返金されるかは分かりませんが、先方に連絡を取らせて頂きますとの事だった。その事を妻に話すと、もう本当に迷惑な話だね~と語りだし、銀行もそうだけれども、振り込まれた相手なんて最悪じゃないの?などと・・・。そして昨日銀行から私の携帯に電話連絡で、先方様からお金の返金がありましたので、お客様の口座へ「シキンヘンキャクブン」との名目で振り込みましたので安心して下さいとの内容。妻に詳細を連絡し、通帳記入を依頼したが、元々私の通帳は妻には内緒だったので薮蛇になってしまった。痛し痒しってとこですかね。次回はCANONサービスセンターでの対応についてレポートします。
2009.03.05
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「上海植物園6」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。妻と二人だけの旅行は結婚以前に行っただけで、結婚してからは忙しい毎日で一度も行ってなかった。妻より言われて気付いたほどであった。私一人では色々な所へ旅行し神経が麻痺していたのかも知れない。妻は旅行バッグを出して来ては、中に衣類を出し入れしていたが、暫く車が見えないなと思っていると、旅行の買い物に行って来たよと帰って来た。旅行と言うものはスニーカーにジーパンと言う動きやすい普段着といつもの日用品で十分と話したが、旅行も久しぶりのようでいつまでも独り言のように話している。妻が話すたびに私はテレビのリモコンに手を添え、リモコンの音声ボリュームを上げていた。私の方は金曜日夜にフリーダイヤルで東京の本店の方へ電話して、口座番号を間違えて振り込んだ旅行代金が、帰ってくるかどうかを電話にて質問したが、何となく自分が哀れだった。金曜日の夜でもあり女性オペレーターは月曜日から金曜日の営業時間内しか地元の銀行は動く事が出来ない旨の話をされた。さらに月曜日にATM関係の受付をしている私が間違えて振り込んだ地元ATM機を管轄する銀行の電話番号を教えて下さった。私は恥を忍んで、間違えて振り込んだお金が返って来るかどうか?今まで間違えて振り込んだ例は有るのか?返却の確立は?と矢継ぎ早に問いかけたところ、確立は分からないが、間違えて振り込まれる人はあるとのことだった。朝妻に通帳や印鑑その他手続きに必要なものを告げたかったが、私が朝のNHK連続ドラマ「ちりとてちん」を見る頃には、車で出て行って家には居なかった。仕方無しに通帳を探し出すが、何処に何が置いてあるのか、さっぱり分からなかった。家の生活空間の通帳は見つかったが、間違えて振り込んだ通帳などは見つからなかったので、嫁いだ娘に電話し詳細を話し聞いたが、既に嫁いで6年以上経ち全くどこに置いてあるのか分からない様子であった。泥棒がタンスの中を物色するような姿にも似ていた。散らかった書類や通帳類を元に戻そうとするが、どの書類が上でその書類が下に置いてあったのかも分からなくなるほどだった。積み重ねる順番はデタラメでも何とか入ったが、私の通帳だけは何処にあるのか見つからなかった。妻の携帯に電話をしても繋がらず、途方に暮れたような格好になり、まずは一先ずコーヒーをと食器戸棚よりインスタントコーヒーを出し、カップに入れたが、キッチン床の絨毯の上にコーヒー粉が落ち、あわててティッシュを濡らしふき取った。なぜならば妻が帰って来て見つければ口煩いからだった。しかし、ティッシュを水で濡らして絨毯を吹いたので、ティッシュが水に溶け絨毯に付着してしまった。何とか濡れ雑巾で絨毯を敲きながら拭い取った。キッチンの横で立ったままコーヒーを飲みながら妻が居ないと何も出来ないなどと思った。あわただしくコーヒーを飲んでから、何気なく別のタンスを探した所、封筒に入った使用済の通帳が出てきた。その中のATM機で使ったカードの通帳の番号を見つけ、すぐさま娘の携帯に見つかった事を連絡し、母さんには今日の事は内緒だよと電話を切った。銀行での事柄は次回と言う事で、また~。
2009.03.03
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「上海植物園5」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。昨日一昨日はいつになく忙しい一日であった。忙しいという言葉よりも、めまぐるしいと言った方がよいのかも知れない。東京より帰ってより、直に5Dを持ち撮影に出掛けた。心に余裕のない私にとって中々撮影に行けなかったので、久方ぶりの撮影だった。しかし、その撮影でアクシデントが起こった。50ショットほどシャッターを切ったところで、急にシャッターが下りなくなってしまった。バッテリーを換えてもSDカードを換えても、レンズを換えてもシャッターは依然下りなかった。このCANON5Dは本体だけで38万で購入したが、当たりが悪かったようである。以前撮影旅行中にカメラ本体内のミラーが落下し撮影不能に陥ったが、中国の福建省渓谷での出来事だったので高級カメラを修理する店は、どこを探しても見当たらなかった。仕方なくポケットに入れてあったコンデジで撮影を続けた。だが今回はシャッターが下りないというアクシデントである。10日後には妻と二人だけで近くの台北まで旅行する為に、どうしても修理をしなければならなかったが修理には10日以上掛り、妻は大きなカメラは持って行かずにコンデジで良いのではと語り続けた。しかし、コンデジでは撮影描写に限界があると妻に告げると、私と旅行するのではなく、自分の撮影の為に旅行するのですか?と、一時は私の心を見透かされたようで苦笑いするのがやっとだった。ネットでカメラの故障状態を質問した所、時を待たずして同じ故障をした人からのコメントが来た。そして、名古屋伏見にキャノンサービスセンターがあるとの事で、行くことにした。その詳細アドレスを自分の携帯に保存した。その前に台北までの旅行代金の振込みがしてない為に、カード振込みに行った。妻が管理するカードを使うのは15年ぶりという事も手伝い、自分のカードの暗証番号を何度も打ち、カードが使用不能になってしまった。仕方なく自分のカードから旅行代金をAT機でカード振込みした。だが、これが飛んでもない事になることをこの時点では知らずに、旅行代理店にも振り込み終了したのでご確認とのメールを打った。昨日はまず銀行に行き、家のカードの再発行の手続きに行ったが、カードが手元に来るのが1週間なので、とりあえず現金50万を引き出した。その後、伏見にあるCANON SCへ向かったが携帯電話を忘れ、記憶を辿ってやっとの事で、サービスセンターへ着き修理を依頼した。更には気になる旅行代理店へ向かった。そこで、AT機から振り込んだのが旅行社ではなく全く別の会社に振り込んだ事に気付いた。偶々足りるだけの現金を持っていたので、旅行代金を支払い領収書を頂いた。今回の久方ぶりの妻との旅行は倍額の出費になってしまった。何が何だか分からないが、全て自分から発信している。疲れ果て電車に飛び乗り寝入ってしまい、自分の降りるべき駅を通過してもまだ寝入っていた。気が付き引き返したが1時間以上時間を損してしまった。やっと自宅に帰り着き、振込みを間違えてしまったことを妻に告げると、余程私と旅行がしたくないのですねと言われ、もっと何か他に言い方が無いのかとも思ったが、車を運転してスーパー銭湯へ行き疲れを癒したが、自分で振込み番号を間違えたので振り込め詐欺ではないが、一体お金は戻って来るだろうか?と心配している今の心境である。
2009.02.28
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「上海植物園4」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。オバマ大統領と麻生首相の首脳会談を見ていて、麻生首相の流暢な英会話を聞いて、結構やるじゃないかと、思いながら夜のテレビニュースを見ていたが、民主党のドンの、小沢さんのコメントを聞いて興ざめした感じだ。例えば、やはり日本国の総理の麻生さんは、外務大臣を歴任しただけあって、外交面は良いねくらいの、言葉をインタビューで話せば、小沢さんの株が上がっただろう。ニュースを見ていてもあの瞼の晴れ上がった顔で、それも何を言っても所詮国民から見放された首相なので、発言力に掛けるし大統領も真剣に受け答えしていない。今の国会の雰囲気では誰が見ても民社有利である。それならば、国民の気持ちを引き付けたいと思うならば、もう少し良い芝居をしても良いのではないかと思った。何事ものらりくらりと優柔不断であっては、例え政権を取っても、この政治不信や経済危機の中で、直に押し潰されてしまうのでは?だが、麻生総理は会談終了後、オバマ大統領の腕を取り、会場の隅へ呼び寄せ一体何を話したのだろう?オバマ大統領と密談なら通訳なしで話した方が新鮮だった。私はニュースのあのシーンを見てそう思った。
2009.02.26
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「上海植物園3」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。先ほどまで東京青山でお客様と飲んでいた。お酒を飲むというイメージから一般にはどんな所を思い浮かべるのか?お客様4人と私の5人で87,000円をカードで支払った。これが高いのか安いのか?中国生活が長い私にとっては、とても高いと感たが、商談と思えば安いのだろうか?金融危機の今にあって大手商社の出張経費を、従来の半額にとの話をお客様がしきりに話しておられた。青山あたりでも一人5000円ほどで十分満足できる店もある。5人で25,000円プラス飲み代であるが接待とはまた違う。上海では10人で高級店に出向いても、50,000円で十分満足がいくが物価の違いなのだろうか?仕事の話でと気を使ってみたが飲み出せば何処でも同じだ。このブログがお客様の目に触れると問題になるが、最終折角高い金で接待した飲み物も嘔吐されていた。実に勿体無い話であるが貧乏性の私には理解し難い。仕事の話も出たが、出来るだけ触れないようにしていた。話題は次から次へと移り進んだが映画アカデミー賞の話題になり、外国語部門で日本の作品の「つみきのいえ」と「おくりびと」が、選ばれたとの話題が一番盛り上がったような感じである。特に「おくりびと」の話題では盛り上がった。私が学生時代アルバイトした葬儀屋の遺体洗いの話をしたからだ。実際には「おくりびと」のような綺麗なものではない。私は2遺体で辞めてしまったが19歳の私にとって、実に恐怖の何物でもなかったが機会があれば映画を見たい。それでお客様のお一人が嘔吐されたのか?言っておきますが私はアルコールは殆ど飲んでいませんよ!
2009.02.23
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「上海植物園2」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。やっと先ほど家に帰ってきた。前回まで上海徐家匯や体育館付近の画像を公開していた。昨日から上海植物園の中の画像を公開し出したが記事とは全く関係ない。私は旅行へ行かない週末にはよく植物園へ来ていた。ゆっくりと植物園の花を見ながら歩いていると心癒される。私の住まいから植物園へは25分ほどで行けた。今週は目まぐるしく8箇所を回った。収穫は無かったと言えば嘘になってしまうが良いとも言えない。不満の残った商談の旅であったが、最前線は冷め切っていた。営業担当の声からは明るさは聞く事が出来なかった。我が家に帰り着き、弟へ電話を入れた。お袋の面倒を弟と妹夫婦に任せっきりと言うことも、いつも気になっていたが、中国に居る私はどうする事も出来ない。妻も中々私の母の面倒を見る気にならなかったようだ。妻は一人きりで家を守っていたようで、私のお袋の面倒を見るどころではなかったようである。一番末の子供夫婦は、外に出て行ってより、妻一人寂しく暮らしていたが、私が帰国してより、独り言を多く耳にするが、その全てが私への苦情かと、半ばもういい加減にしてくれよと言いたくなる程である。妻曰く、貴方に言っているのではない。どこから入って来たのか?一匹のハエに向かって、もういい加減にしてよ!うろうろしないで!などと、私はいつも小さくなって、久しぶりの我が家なのになどと、思ったりもするが、独り言もいつも一人なので仕方ないか。来週は、また東京である。
2009.02.21
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「上海植物園1」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。お客様の所へ仕事の打ち合わせのために、東京から横浜そして大阪と商談に回って、来週また東京である。毎夜、お客様とお酒の席を設けて何とか職だしをと頑張っているが、明るい話題は出て来ない(大阪の某ホテルより更新)お酒を飲みながらも心中は落ち着かない。お酌をさせて頂き、宜しくと声を掛けながらも、笑顔でグラスを傾けてはくれるのではあるが翌日に、電話連絡を入れると、厳しいの言葉から始まる返事のあとは、これだけ景気が落ち込んでしまうと何を作ってよいか?殆どのお客様の一貫した回答である。百貨店関係も閉鎖や縮小を打ち出し、スーパーも然りである。景気回復と誰もが言うが、これほど工場休業やリストラが、実しやかに、まかり通る昨今衣食住を天秤に掛けると、衣服は昨年買った服を我慢してでも生きていける。その風潮が資産のある人にも芽生えてきている。私は毎回新幹線や私鉄で行動しているが、乗客の着用する衣服を、見比べても殆どの皆さんが、色んな衣服を着こなしている。それはそれで良い事ではあるのだが、景気の活性化には欠ける。今のこの悪い雰囲気を打破するためにも余程の、ファッション改革が起こらない限りは難しいだろう。ミニスカートからロングやマキシスカートに変わった時が、オイルショックの後だったと記憶している。その後ロングスカートで、大忙しの毎日を送ったことを昨日の事のように思い出す。今はDCブランドも下火になり冬であるがホットパンツが流行り、ラフなカジュアルファッションが主流となっている。まだまだ模索しながらのファッションが続くのだろうか。
2009.02.20
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「上海徐家匯近辺4」 「上海発!画像の更新!」では、上海徐家匯近辺の画像を公開しています。私は普段中国上海を拠点に仕事をしている。中国での携帯電話は持っているが、日本での携帯電話は一年ごとに、電話番号が変わるという相手に取っては厄介なものである。しかし、日本に居ないのに毎月使用料の他に基本料を支払うよりは、帰国の度に必要な電話番号チップを購入した方が得である。今まではドコモで契約していたが、今回帰国し、ドコモへ行ったが利用客が少ないため廃止したとの事で、只一箇所ソフトバンクで、このサービスを行っていた。私はすぐに乗り換える事にした。携帯電話5千円と通話料3千円をお支払いし、それで電話番号を取得したが、時間の経過と共に結構面白い、メールも入って来ていた。始めは興味深く見ていたが、最近は煩くなってきてしまっている。出会い系サイトの、携帯メールが多いが内容が少し失礼である。40歳から60歳代の女性がいらっしゃいますと、始まるメールに、なぜ私が男性で中年と分かるのだろうか?と、思ったりもしていたが、若い人は年配女性に興味があるのか?中には今の派遣社員リストラを狙ってメールを送っている。昼職や夜職なんでも仕事紹介出来ますよ!あなたは今仕事探していませんか?などのメールも、入って来るが、このご時世誰かにヒットするのだろう。今日テレビで運勢占いを携帯から登録したら、出会い系サイトからメールが来て、ちょっと一回のつもりが、最終多額の請求書が来て仕方なく工面をして支払って来たという、悲惨な女性の話を見て驚いたが、まじめな気の弱い人は、支払ってしまうのだろうか?騙される側が増え続けている今、何でもまかり通り、悪知恵の働く輩も増え続けるのだろう。
2009.02.17
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「上海徐家匯近辺3」 「上海発!画像の更新!」では、上海徐家匯近辺の画像を公開しています。昨夜は久方ぶりにゆっくりする事が出来た。妻は私が中国にいる間は一人で家にいるせいか、独り言が目立って増えて来ているように感じる。楽天ブログのトップのプロフィール画像に、我が家の犬のホープの画像が貼り付けてある。そのホープに向かって話しているのか、それとも私に向かって話しているのか?よく分からなかったが、私からは「うん」とだけしか言わなかった。妻は久しぶりにラーメンを作った。ラーメンと言っても、何も珍しくはないし私はそれほど好んで食べたいとは、思わなかったので焼き魚とサラダとラーメンを、作り笑いをしながら相槌をうち食べていると、長男の小さい頃の話が始まった。長男は今結婚して子供もいるが、長男の小さい頃の事を話し出したので、私は食事をしながら、それともなく聞いていると、4歳ごろの事を一生懸命話出している。子供の小さい頃は仕事も忙しく私も妻も外注周りをしていた。その頃には夜ともなると夜鳴きソバの車が、チャルメラの音を高らかに回っていた。私はよくドンブリを、片手にそのラーメン屋さんの所へ行っては作って頂き、600円を手渡し持って帰り子供たちと食べたものである。1杯のラーメンが幾らだったかははっきりと覚えてはいない。子供は私の行動を良く見ていたのだろう私達のいない時に、ドンブリを持ち出しラーメン屋のおじさんを呼び止めたそうだ。そしてラーメンが出来上がってより、おじさんに、ハイと手に持っていたお金を手渡したそうであるが、それはなんと10円玉1個だったそうなので、ラーメン屋の、おじさんも困ったようでは有るが、何も悪びれる事無く、お金をハイと手渡す姿が実にかわいく、妻が翌日お金を、持って行ったようではあるが、受け取らなかったとの事。その子がもうその時の私達の年になっているんだからね~と、懐かしげに話す妻の言葉に余程一人で寂しいのだろうなどと、その言葉に、そんな事もあったなと言葉を返す私がいた。
2009.02.14
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「上海徐家匯近辺2」 「上海発!画像の更新!」では、上海徐家匯近辺の画像を公開しています。昨夜から久しぶりにテレビを見ている。中国から買って来た中国語DVDのテレビ連続ドラマを見ており、一般のテレビ番組が見れないので妻も半ば不満気味である。昨夜は中国北京で建設中のCCTVのビル火災の報道を見ていた。そして夜中北京の友人に電話を掛けてみたが、友人も、中国語で興奮気味に話すので余慶にリアル感を抱いた。原因は日本のニュースでも明らかな通りである。オリンピックで使用した花火火薬と同等の火薬を使用し、建設途中のビル内ケーブルや断熱材に燃え移ったため。火事で亡くなった消防士の事も残念だが、北京の象徴のビルと、皆が期待を掛け、上海万国博覧会に向け急ピッチでの建設だけに、再度、建設は万博までには間に合わないのではと思う。またテレビでは乳児の白骨4体を残し自殺した母の、事がクローズアップされ、未婚で4体の乳児でミステリーな事件。更に遮断機を潜り子供を道連れに自殺した母の事を報道。皆、生活苦からなのかも知れないが、一方ではCANON受注工事で、私腹を肥やしていた者までいた事件まで報道され、私が使用しているCANONカメラとレンズ群で100万ほどと、変な意味合いで高額な価格に不満が走ったりもした。国会での予算委員会では、あきれ返る発言。なぜうっかり墓穴を掘るような発言をしてしまうのか?いつもながらの国会での面白シナリオ劇に言葉も出ない。一昨日も商談に走ったが、急激な金融危機に尻込みしている。仕事の予定が立たないのが、今の辛い心情である。そんな中、何気なく点けたテレビにホリエモンが、ゲスト出演をしているのでちょっと驚いたが裁判は一体、どうなったのだろうか?と思いながら彼の発言を聞き入っていた。ホリエモンとGREE時代メールのやり取りをした事があるが、なかなか理路整然と物事を整理する青年だが今後を見守りたい。また元力士の結婚詐欺事件の影に悲しい女性達の姿が・・・。色々なドラマから事件起こるべきして起こっているのか?マスコミが騒ぎ過ぎるのか?何とも言えない時代である。
2009.02.12
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「上海徐家匯近辺1」 「上海発!画像の更新!」では、上海徐家匯近辺の画像を公開しています。暫く更新出来なかったが久方ぶりにブログを更新した。そのブログを更新しなかった間にメッセージが8通入っていた。ブログ記事への直接コメントは出来ないようにしているが、メッセージ(私書箱)は閉鎖していないので連絡は出来る。そのメッセージの一通は名古屋に住む長男からで、ブログを始めたよと言う内容で、そのブログを訪れると、まだ3ページの更新ではあるが身の回りの事柄について、書かれてあり興味深く見たが頻繁には更新していない。また一人は非常に懐かしい女性からだった。私書箱に書かれてあるハンドルネームは「xiuqiuhua」その女性は8年ほど前に私の管理するHPの掲示板の、書き込みに対して忙しい私に代わってレスをして下さっていた。しかし、他人任せにしているという罪悪感から掲示板は、閉鎖してしまったが、懐かしいネームに心休まった。残り6通は、激励のメッセージであった。忙しさに任せてブログの更新が滞っている中、いつも画像の更新を楽しみにしておりますよとか、お仕事忙しいでしょうが頑張って下さいという内容と、一時仕事でナイーブになっていた時期の事柄に触れ、激励等のメッセージや対処方法が書かれてあった。今までにも多くの人々からのメッセージに、何度も励まされたが幾つになっても嬉しいものである。また昨日は私が20歳頃から幸山荘という登山ショップへ、よく通っていたが、その店のオーナー84歳と長男に会った。暗いニュースが多い中で、過ぎ去った過去が走馬灯の如く、一瞬に蘇って来て懐かしい時間を過ごす事ができた。
2009.02.11
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「上海月湖旅情15」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。忙しい毎日で中々更新できないまま、むやみに時間だけが過ぎて行くような感じが致します。現在、夜の中国語の学習だけで精一杯の体力しかなく、このままでは自分の夢からどんどん離れて行くような感じです。間もなく中国は春節(1月26日)の休みになる。中国の工場では春節休みを、2週間ほど取る工場も有る。私の工場も他省から来ている作業員ばかりなので、1月18日より休みになった。昨年からの経済危機(中国では金融危機)で中国では、既に企業が倒産し8月までには想像を絶する倒産件数となり、それに付随する人数は計り知れない。この私の管理する工場でも大きく影響が現れ、中国国内販売がなければお手上げ状態だった。今年8月末には1千万を超える大学生が卒業し、世に出てくるが、今後中国への金融危機の影響を考えると、とても生きた心地がしないと中国人は語る。
2009.01.10
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「上海月湖旅情14」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。日本では今日より休みになった企業が多いのでしょうね。中国では特に私は12月31日まで仕事をします。中国の一般企業では春節の休みが、1月18日から2週間ほど取るところも多くある。その為に、正月休みは1月1日のみという、工場も見かけたり致します。私の場合は1月1日から3日まで休みです。12月29日はホテルのレストランを借り切って、忘年会カラオケ大会を行なう為歌の練習しています。
2008.12.27
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「上海月湖旅情12」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。最近時々仕事も忙しく走り回っては中国人達と立ったまま、問題解決のミーティングを開く機会が増えてきた。その事に関しては、物事をスピーディに解決するため、必要不可欠な方法ではあるが、困った事に私がよく立ち眩みを起こす。気分が悪くなったと思うと目が回ったようになり、気が付くと中国人が慌てて用意した椅子に腰掛けている。もう彼此8月ほどから10回以上は起こっている。最近は中国人スタッフから勧められて棗を食べている。こんな果物が貧血に効果が有るのかどうかは、分からないものの、毎日乾燥赤ナツメを食べるようになり、最近はやはり健康が第一だとよく思うようになった。
2008.12.10
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「上海月湖旅情8」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。 どこの観光地でも見掛けるパラソルとテーブル。この時間は閉店間際で人影は無かった。 月湖の奥に人民解放軍松江支部の分隊がある。武力警察の訓練生達もここで過ごすとのこと。私がレンズを向ける前に大勢の青年達が、手を振ってくれたが、今回もベストショットを見逃している。 中国では兵役検査があり工場からも、その時期になると、地元に帰り兵役検査を受けに行く。 兵役検査では、視力の悪い人は不合格になる。その事を知ったのも最近の事である。
2008.11.12
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「上海月湖旅情6」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。 上海月湖と書いて「シャンハイyuehuユエフ」と、中国では呼んでいるが、あまり知られていない。 昨年この月湖にて08秋冬コレクションと題して、ファッションショーが行なわれた。上海のデザイナーは勿論の事ではあるが、北京や広州などからも多くのデザイナーが参加した。 私もファッションショーの写真撮影が好きで、撮影許可証を胸に付け撮影したものである。 テレビなど液晶画面を通して見るショーと、実際に見るファッションショーとは感動の度合いが、何倍も違う事は実際に体験した人でしか分からないかも。
2008.11.04
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2005年9月11日(日)にMIX(淮海西路×安順路)にて、上海で活躍中の中国唯一のビートルズ・トリビュートバンドで『THE ONLY HEART'S CLUB BAND』&坂上伊織でお届けした今を時めくMIXでのBEATLES NIGHT! を熱演した坂上伊織が、今度は、新天地のARKにてライブを開く、その前に私達の上海ML主催の「上海B級グルメの会」に参加して頂いた。その画像である。坂上伊織LIVE in 上海 2005年9月17日(土)・18日(日)場所:新天地ARK(上海市太倉路181弄 新天地広場内) 1年4ヶ月ぶりのARKライブです。中秋節を共に楽しみましょう。ARKレギュラーの中国人バンドARK ALL STARS、そして今回は上海でのライブで初めて、日本人プレイヤーの方々:上海ストリングス:と共にステージに立ちます。 ●9月17日(土) with ARK ALL STARS (1st stage PM9時~)●9月18日(日) with ARK ALL STARS、上海ストリングス (1st stage PM9時~ ×2回ステージ)新天地ARKHP: http://www.ark-lh.com
2005.09.16
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