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2 モスクワ~ウィーン 列車にて


  モスクワ~ウィーン 列車にて



 国が広いということは、鉄道を敷設するにしても粗雑になるのだろうか。新幹線でも多少の横揺れはあるが、縦揺れは滅多にない。モスクワからウィーンに向かう列車では、貴重な縦揺れを経験した。それにしても広大な土地である。まだまだ世界の人口が増えても大丈夫だ、という見方が気軽にできる国家間の友好関係はできないものかとつくづく思った。

 見渡せる範囲の全てが小麦畑で、その中を1本の鋤を担いだ農夫が行くのを見ると、気の遠くなるような広さに、それからやろうとする作業が、無駄なことのように見えた。この麦畑も、時々子鹿が顔を出す白樺林にさえぎられて、広い大地を楽しみたいわれわれをがっかりさせることが多かった。

 ソ連にとって鉄道は大切な輸送機関である。それだけにスケールも大きい。われわれが乗った列車は17両編成だったが、すれ違う貨物列車を数えたところ、何と55両もあった。1両の長さは日本のそれよりずっと長いし、幅も広い。

 ヨーロッパでは、ソ連とスペインだけが鉄道の幅が広く、ソ連ではチェコスロバキアとの国境で、乗客を乗せたまま列車を持ち上げて、狭い車輪に付け替えて走ったし、スペインでは国境で列車を乗り換えなければならなかった。しかし、この国自慢のタルゴという超特急は、車輪の幅を自由に調整しながら走れるということだった。

 まる2日の列車の旅は退屈だった。廊下に出て変わり映えしない景色を眺めていると、年恰好60歳半ばくらいのおばあさんが、チラチラとこっちを向く。きっと話したがっていると思うものの、こちらは英語がわずかに分かる程度で、ましてや他の国の言葉になれば、さっぱりわからない。わからないのに話す努力をするのは、何かと面倒だなどと思って無視していたので、彼女は何度となく話すチャンスを失った。しかしながら、この退屈さにはどうしても勝てず、ついにチャンスを与えてしまった。

 英語で「どこまで行きますか」と切り出した。彼女は何ともいえない笑顔をして、待ってましたとばかりにぼくの手を引いて、自分の息子のいる部屋に招き入れて、しゃべりにしゃべりまくった。しかし、悪いことに全くこちらに伝わってこない。彼らはロシア人ではあったが、ドイツ語を話すので、結局ツアーで一緒になった和歌山の人にお願いして、また退屈な時間を過ごすはめになったのは誤算だった。


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