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7 パリにて

   パリにて


 パリはセーヌ川をはさんで右岸と左岸に分けられる。前者はシャンゼリゼ通りをはじめとする高級商店街が多く、後者は大学を中心とする一般大衆向きの街である。

 パリの北駅から乗った地下鉄を、サンミッシェルで降りて地上に出ると、道路を挟んで人だかりがしていた。見るとウエイターらしい人たちによるシャンペン運搬競争の真っ最中であった。ゼッケンをつけた白衣のウエイターが盆の上のグラス倒すまいとして、必死の形相で走る。それを見ているまわりの声援も盛んで競技を盛り上げていた

 空は相変わらず今にも降りそうだったが、アムステルダムで持った暗いイメージはそこにはなかった。

《1.ホテルについて 》

 ヨーロッパを旅して一般的に言えることは、ホテルが安いことである。わが国旅行会社のパック旅行に組み込まれているような、高級ホテルは別として、どこの都市でも素泊まりで1泊2千円も出せば、かなり程度のいいホテルが見つかる。

 パリでは左岸に安ホテルが多い。われわれの泊まったホテルは、その中でも最も安いものだったに違いない。外見はごく最近補修が終わって結構良かったが、中身がいけなかった。窓があるにもかかわらず、暗くて湿気があり、壁はいたるところ剥げ落ちていて、<パリは怪物だ>とか、<俺は今日で1週間になる。このままでは気が狂ってしまいそうだ>と日本語で落書きがしてあった。使える家具もロクになく、歩き疲れて帰ってドアを開けると、惨めな気持になった。しかし、住めば都とはよく言ったもので、この1泊600円の部屋も2泊、3泊としているうちに、愛着が湧いてきたのは不思議だった。

《2.余暇について 》

 余暇の過ごし方は、今からわが国でますます問題にされることではないだろうか。
 最近週休2日制の会社も増えてきたし、少しづつではあるが、休みが多くなっているのは事実である。ずっと以前、新聞に週休2日制の会社員が、アルバイトをしていて死亡するという記事が出ていたが、なんと貧しい余暇の過ごし方だろう。パリの免税店でバイトをしながら語学学校に通っているという日本人が、次のような興味深い話をしてくれた。

 「フランスでは、ひと月の休みは普通だし、ほとんどの職場で半ば強制的に休ませる。われわれのようなアルバイトでさえ、2週間の有給休暇がある。旅行すると言えば、全部が有給とまではいかないが、ひと月くらいの休みはとれる。

 仕事では、午後5時が閉店なのに4時45分には、店を閉める準備をするので、それ以降に店に入ってくる客を断らないといけない。客を入れるとあとでやかましく叱られる。

 日本では売れる間はいつでも営業するのに、ここでは時間をオーバーしてまでも商売はしない。客が少ない上、そんな調子なので利益はあまり上がるはずはないと思うのだが、一日6時間の店番で、ひと月8万円もくれるので、十分生活してゆける。

 彼らの休みの過ごし方は、普段の週末は映画をよく見に行くが、長い休みになると、家族連れで自分達の別荘に出かけて、釣りをしたり読書をしたりしてのんびり過ごす。別荘を持たない人は、自家用車の後ろにキャンピングカーを連ねて川や湖や海に出かけていくのが普通である。」

 彼の話に関する限り、フランスでは働くことはあくまでも生活を豊かにする手段であり、金儲けのためにプライベートな時間を削ることなどもってのほかなのである。儲けをぎりぎりまで従業員に還元し、最終目標である余暇をともに楽しもうという店主の姿勢は、もっと日本人も学ばなければならない。

 今年もわが国では、多くの人々がわずかな盆休みを故郷で過ごそうと、ひしめく列車に揺られて帰ってきた。そして体を休める暇もなく戻っていった。休みは増えてきているとはいうものの、まだまだ余暇に対する認識は低く、質量ともに貧しい気がする。

《3.公園にて 》

 行きつけのセルフサービスのレストランで夕食をすませた後、われわれは近くのルクサンブール公園に出かけて、夕暮れのひと時を過ごした。夕暮れと言っても陽が沈むのが午後9時半頃なので、日本の感覚で7時半というところだろう。

 パリには街の真ん中に大きな美しい公園がたくさんある。古い建物がひしめく中に、こういう広い緑の空間があることは素晴らしいことだ。それは、人々に解放感を与えるのだろう。実に多くの人々が公園に来て時を過ごしている。

 ルクサンブール公園には、鳩と雀が同居している。特に雀は人によく慣れていて、パンくずなど手にもっていると、手のひらに止まって食べるし、パンを上に投げ上げると、サッと飛んできて空中でくわえていく。同居人の鳩は、それほど人に近づくことができずに、もっぱら雀の食べているものを横取りするので憎らしい存在である。しかし、人の投げる食べ物をとるのは雀のほうがはるかに早く、餌を盗られた鳩が誤って地面を突っついてしまう光景を見ると、気の毒なのは鳩のほうかも知れない。

《4.駅にて 》

 パリで最も印象が悪かったのは、オーストリッツ駅であった。この駅は、スペインとかイタリアに向かう列車が発着する。

 バルセロナまでの寝台の予約を取りに出かけたときであった。ドイツ、オーストリア、オランダと回って、通じる英語がどういうわけか、フランスに来ると通じない、というよりあまり話してくれない。駅のインフォメーションの窓口も英語の案内が設けられているくらいである。

 長い行列を待ってやっと順番がまわってきたので尋ねると「予約はあちらです」と指差すので、そのカウンターに。また行列。そこで順番が来て寝台の予約がとりたい旨を伝えると、書類を作って来いという。書類は全部フランス語だったので、「書き方がわからない」というと、インフォメーションで訊けと言う。素直に従ってインフォメーションに戻ると、男が割り込んできて長々と話すので、ずいぶんと待たされた。

 書類の書き方は簡単だった。ものの1分とかからなかった。窓口には英語案内があるのに、書類に英語訳がないのは不親切である。駅で会った日本人もまた我々と同じようにカウンターからカウンターへとふりまわされていた。彼らもそうとう気分を害しているようだった。

 出来上がった書類を持って予約窓口に行くと、それを見た途端「これではだめだからもう一度インフォメーションに行け」と言い出した。あまり人を馬鹿にしているので、英語で「絶対行かない。インフォメーションではこれでよいと言った」と言うと、それでも何かブツブツ言うので、今度は延岡弁で「どんげすればいいとけ」と叫ぶと、それまで高飛車に出ていた係の女はたじたじになって、席から離れてしまったのは愉快だった。後に並んでいたオジさんも変な外国語で笑っていた。

 向こうの説明によれば、バルセロナまでは行かず、その手前のポールボーまでしか予約はできないというのだ。それでもよいからやってくれと言うと、しばらくもたついて申し込み用紙を書き換えた。

 それでやっと手に入れることができたのが、予約整理券であった。手数料10フラン。今度はそれをもって別棟にある窓口に行き、予約券を買うわけである。もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせて、その窓口に並んだ。

 ところが、われわれが行くとピタリと仕事をやめてしまった。昼休みでもないし、ストライキでもなさそうである。彼らは多くの客を待たせたまま、職員同士集まって談笑している。どうも休憩時間らしい。20分もそんな状態なので、結局予約はあきらめることにした。早朝から3時間も費やして何をしに行ったかわからなっかた。




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