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4 トルストイも同じ悩み?

トルストイも同じ悩み?

 「アンナ・カレーニナ」は、もちろん主人公はアンナですが、実はトルストイ自身がモデルになっているというレーウィンの精神遍歴過程が大きなテーマになっているように思います。
 この作品を読んで、ますますトルストイが身近になりました。「ああ、ここにぼくがいる」こう思ったのはぼくだけではないでしょう。北御門二郎さんの訳でご紹介します。


 この春中、彼は、人間がまるでがらりと変わり、恐るべき日々を経験してきた。《一体、私は何者であるか?なぜ、ここにこうしているのか?を知ることなしに生きて行けるものではない。ところが、それを知ることができないわけだ。》と、レーウィンは思うのだった。

《無限の時間、無限の物質、無限の空間の中に、泡沫にもひとしい有機体が生じる。そして、その泡沫は暫くの間形を保っているが、やがて、ぱちんとはじけてしまう。その泡沫こそ---私なのだ》

 それは痛ましい謬想であったが、しかしそれこそ、この方向における数世紀にわたる人智結集の、唯一にして最終的結論にほかならなかった。
 これこそ、殆どあらゆる分野における、あらゆる人間的思索活動を基礎づけるところの、最終的信念であった。
 それこそ一世を風靡する信念であり、レーウィンにも、とにかくそれが一番解りやすかったので、いつどうしてと言うこともなく、自然にその信念を自分のものとしていったのであった。

 しかし、それは単なる謬想であるに止まらず、一種邪悪な力の、邪悪で忌まわしくて、何としても屈服できない力の、残忍な嘲笑であった。
 その力から遁れねばならなかった。それから遁れる手段は各人の掌中にある。邪悪な力への隷属を止めることである。その方法は唯一つ・・・・死であった。

 こうして幸福な家庭の主人であり、健康な男であるレ-ウィンも、一度ならず自殺の誘惑を感じ、そのため首を括らないように紐を隠したり、鉄砲自殺をしないように、銃を持ち歩くのを警戒するようになった。
 しかし、レーウィンは、鉄砲自殺もしなければ、首も括らずに生きつづけていった。




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