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「いのち」を食べるということ

  「いのち」を食べるということ


 人類はこれまでの歴史のなかで、いのちあるものを食べて種を残してきた。食事の前に「いただきます」と言うのは、「いのち」をいただきますということであり、それは生きていく上での殺生を戒め、さしだされた「いのち」に感謝する意味があると思います。

 しかし、近年食べ物のなかに異物を入れることによって「いのち」を持たなくなった物が、商品として市場に氾濫するようになりました。トルストイの寓話にも書かれていますので、ロシアでも100年も前からこんなことが行われてきたのでしょう。今ではそれらの異物である食品添加物、農薬、化学肥料、遺伝子組み換え食品など人為的に処理されていない食品を探すのが難しいくらいです。

 食べ物だけではありません。病院などで出されるクスリもそうです。ただ、漢方薬については植物のいのちをいただくので例外ですが、最近はそれも肥料設計が立てられ、化学肥料や農薬が使われているそうですから、効かなくなっているそうです。

  菌を食べる

 最近ある種の薬を飲むことで、病気が治ったり快方に向かったりするといった話を聴きます。その薬は人の体のなかでよい働きをする細菌と知ってびっくりします。乳酸菌などは昔から紹介されてはいましたが、乳製品を摂ることで結果的に菌を食べることになるのですが、わざわざ菌そのものを飲むのですから世の中も変わったなと思わずにいられません。

 このことは農業にも言えそうです。それまで蓄えていた栄養分を奪ったうえ、農薬や化学肥料によっていなくてはならない地中の昆虫や微生物を殺すため、土壌改良剤という生きた菌を入れています。これと同じく、人間も体内の微生物を多量の化学物質で殺しておいて外から菌を入れ始めたのです。

 ついでに言えば難病とされている再生不良性貧血は風邪薬が原因らしいのです。ウイルスを殺す目的で体内に入った風邪薬が大切な腸内の菌までも一緒に殺してしまい、腸内で血液が造れず貧血となっているらしいです。

  老 子

 2500年前、中国に老子という人がいたそうです。その人が著したという道徳教は今でも思想界にさん然と輝く光を放っています。その教えの中心のひとつは分けないこと、分析しないことだと思います。それはすべてをあるがままに受け入れることであり、食で考えれば、一物全体、米であれば玄米のままで、野菜は根も葉も全部を食べるということにつながってきます。

 食物の栄養を細かく分析して、ビタミンだ、カルシウムだのと必要な栄養素、カロリーを計算して食生活を考える、現代栄養学とは全く逆の考え方になります。

 紙には表と裏があります。表だけ存在する紙はありません。幸福も不幸があって存在するし、逆も言えます。ですから物には必ず光の部分があれば陰の部分があって互いに補完し合っています。老子の教えはその一方の側だけを見るのをよしとしません。その片方だけを見る以前のところを大切にするのです。

  最後に

 人工的に創り出された化学合成物質(食品添加物、農薬など)が、アトピーや癌その他難病奇病の原因になることは分かっているものの、依然としてスーパーなどに並んでいるのを見ると情けなく思います。人間のいのちより食べ物のいのちを大切にする食品業界、それをお金で飼い馴らされた政治家が支えるしくみは当分続くのでしょう。

 和歌山でカレー毒物混入事件が起こりました。この事件と危険な食べ物を売ることの間には大した差はありません。結果が出るのが早いか遅いかだけの差です。いや、もっと罪深いことではないかと思います。

 法律で怪しい安全基準を作ることによって、結果的に国家が大量殺戮を奨励しているようにも思えます。国民の暮らしを守るためにある国なのですが。いろんな情報が飛び交う今、政府の上層部が化学合成物質の恐さについて知らないはずはありません。早く真の政治家が登場して欲しいものですが、残念ながらそれを選んでいるのが私たちでもあるわけです。


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