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あの頃と今と
あの頃と今と
昭和30年代に生きて
玉置浩二さんの「メロディ」という歌が好きです。その歌詞に「あの頃は何もなくて、それだって楽しくやったよ」というところを聴くと、昭和30年代に少年時代を過ごしたぼくにとって胸の詰まるような懐かしさがこみ上げてきます。
話は少し飛びますが、国は戦後50年続いてきた社会福祉のあり方を見直そうと、法律を変えました。これまでは困った人を国で面倒を見ることが一般的な福祉のあり方でしたが、これからは困っている人がその人の意思で福祉サ-ビスを選択するという時代になりました。
それと同時に、地域の福祉は地域住民が自らの手で築くことを基本にするという考え方を打ち出しました。そこには、壊れてしまった人のつながりを復活させようという大きなねらいがあるようです。
ぼくが少年時代を過ごした 昭和30年代を思い起こすと、人々は今よりもつながりあい、互いに助け合って暮らしていた記憶が残っています。
ぼくが生まれ育ったところは、車1台がやっと通れるほどの道を挟んで、20軒あまりの家が寄り添うように建っていました。人々は、農業、豆腐屋、養豚業、駄菓子屋、日稼ぎ、廃品業その他いろいろな仕事をしながら暮らしを立てていました。
住居といえば、日当たりが悪く昼間でも暗い家が多く、3畳とか、4畳半に煮炊きをするかまどが据えられた土間付きというのが一般的でした。2部屋以上ある家はあまり見当たりませんでした。ですから子供が家のなかで遊ぶということはほとんどなく、みんな外で遊んでいました。
幼いころ我が家には風呂がなく、近所に貰い湯をしていました。そこの家族が入り終わったあと、電灯がない暗い風呂場に蝋燭をともして父と入った思い出があります。やがて、父は試行錯誤しながら一人で五右衛門風呂を造りあげました。気兼ねしないで我が家で風呂に入ることができるようになったのです。子供のぼくとしては、近所に出かけて風呂に入ることも楽しみの一つであったのですが。
ある時、近所の人が10人ほど集まってIさんの家を建てたことがあります。トタンぶきの屋根、4畳半1間、土間に流しそれだけの家でした。窓はガラスもなく、さしかけの板につっかい棒だけのものが南北に1ヶ所ずつ、内壁はなく筋交いが剥き出しでした。完成までに2、3日しかかかりませんでした。
気の合った主婦たちは家事が一段落すると、集まってお喋りを楽しんでいましたが、Iさんの家ができたことで、そこによく集まっていました。一緒に昼ご飯を食べることもよくありました。
何か縁があったのでしょう、我が家にはマッサ-ジを生業とした全盲のお婆さんが仕事帰りに立ち寄っていました。ぼくを含めて近所の子供たちは、その人の手を引いて1キロ程離れた彼女の家まで連れていく役目がありました。送り届けてもらったお婆さんは、目が見えているような慣れた仕種で雨戸を開けると、きまって巾着袋から間違えることなく10円玉を1枚取り出し、お駄賃にくれるのでした。
当時、ぼくの小遣いは1日に5円でしたから、これはたまらない魅力でした。これで紙芝居を水飴をなめながら見れるし、リヤカ-で食料品を引き売りに来るおばちゃんから大好きな5円の三角パンが買えたのです。
30年代の中頃になると、テレビが少しずつ家庭に普及するようになりました。それでも庶民には高価すぎて買える家も少なく、我が家にやってきたのは昭和38年、小学校の5年生の時でした。金曜日の夜8時になると、いち早くテレビを買った家に近所の大人も子供も集まって、力道山の空手チョップに酔いしれていました。
彼岸になれば、それぞれの家庭で団子やおはぎを作っては隣近所に配っていました。もらった時に、親がその皿にマッチの棒を何本か入れて返すのを不思議に思っていました。
昭和30年代は今と違って人々の間にこのようなつながりありました。それは、その時代が戦後の復興期にあたり、物質的に貧しい時代でしたので『みんな貧しい。みんな一緒』という共通の暮らし向きが、人々に仲間意識を育て、人々を近づけ助け合いの精神を生みだしたのではないかと思っています。
消えた井戸端会議
ぼくが小さい頃、我が家で使う水は二か所の井戸を利用していました。飲料水は少し離れた隣の集落にある共同井戸から運び、流しの横に据えてある大きな水瓶に入れて使っていました。
野菜や鍋や釜を洗う時は近くの農家の庭先にある井戸水を使っていました。そこでは、夕食の支度に使う野菜を洗ったり、芋の皮を剥いたり、鍋や釜を洗ったりしていましたので、そこに集まる主婦たちは、お互いの暮らし向きがよく分かるのでした。互いに米や味噌、醤油などの調味料の貸し借りを始め、子育てのことや、みんなで遊びに行く話や、健康のことなどさまざまな情報の交換がなされていました。
水汲みは母の仕事でしたが、天秤棒を担いで飲み水を運ぶ作業は楽ではありませんでした。昭和36年頃に我が家に水道がついたとき、これで母が楽になると喜んだものでした。蛇口をひねれば好きなだけ水が出てくるのですから、こんな便利なことはありません。この喜びは、生まれた時にすでにテレビ、冷蔵庫、洗濯機のある世代にはとうてい分からないでしょう。
ところが、水道がついて便利になったことで、水汲みの労働からは解放されましたが、井戸端でなされていたコミュニケ-ションも徐々に失われていきました。
変わっていく生活
昭和40年代に入ると、物が大量に生産され始め、それに伴って人々の購買力も高まってきました。家庭にテレビや洗濯機や冷蔵庫が普及するようになると、もう近所にテレビを見に行くこともなくなりました。たらいや洗濯板が消えていき、近くのス-パ-で食料品をたくさん買い込むようになっていました。主婦の仕事が昔と比べると随分楽になったのは言うまでもありません。
世の中に消費は美徳という風潮が流れ、人々は競うかのように物を買い込んでいきました。お金を持たなくてもロ-ンを組めば高価な買い物ができるのですから、ますます消費に拍車がかかっていきました。
より高い収入を求めて人々が都会に集中し、核家族が増えるという社会現象の中で人と人とのつながりがますます弱くなっていきました。人々は家の周囲を竹の生け垣に代えて、味気ないコンクリ-トブロックで囲むようになりました。
そして今
友達の酒屋さんが店を閉めました。最近主流となっているディスカウントで売っている酒の値段は、彼が仕入れている値段より安いというのですから、これでは商売が成り立たないのが当然です。
二、三年前ガソリンの値下げ競争が過熱化したとき、何軒かのガソリンスタンドが営業を止めてしまったことがありました。売るほうは一円でも安く売ろうとし、買うほうも安ければいいというだけで買い物をするようになったからでした。
ガソリンだけではなく洋服や電化製品、食料品などあらゆる分野に価格破壊は進んでいます。そしてその結果、小さな店は成り立たなくなって、大きな店が利益を独占するようになり、さらに大型店同士の競争が激化してますます資本が集中するようになってきました。
安ければ良いのであれば、もうそこには売る方の思いと買う方の思いが消えて、ただお金と物の機械的な交換しかありません。自動販売機で物を買う時と同じように、ス-パ-での買い物の際、レジでお金を支払う時でも、無言で用事をすませることもできます。
話は少し横道にそれますが、知りあいの農家から野菜をもらうとき「市場に出す野菜には農薬をかけているけど、これは農薬がかかってないから安全よ」と言われたりします。(農薬の使用の是非についてにはここでは触れないことにします。)これは、この農家から市場に出される野菜は安全ではないという意味になりますが、これが実態なのです。 もし農家の人が、野菜を買って食べる人をよく知っていたならどうでしょうか。心中は穏やかではないでしょう。
今では生産者と消費者の間に業者が入り流通機構に乗せられますので、作られた野菜を誰が食べるのか分かりません。そのため安全性に対する責任がどこかに置き去りにされてしまいます。それどころか、流通のどこかで少しでも付加価値を付けて高く売り儲けを出そうとするので、農薬をかけていても無農薬野菜として出すことや肉の産地を変えて売ることに対する罪悪感が麻痺してしまっっているのが今回の雪印の問題の根っこではなかったでしょうか。
国内産でこういうことですから、外国から貿易によって入ってくるものの安全性については話になりません。今大きな問題になっている遺伝子組み換え食品やポストハ-ベストなど考えても怖くなります。
快適さの陰に
「あの頃は何もなくて、それだって楽しくやった」と玉置浩二さんが歌っていますが、昔の生活と較べれば今は随分快適な生活を送っていることには違いありません。
ところが昔の生活に憧れるのはなぜでしょうか。ぼくたちは、快適さを求めてこれまで面倒なこと、煩わしいこと、体を動かすことを生活のなかで徹底して排除してきました。ここに大きな原因がありそうな気がするのです。特に人と人とのつながりを切り捨ててきたように思うのです。あらゆる場所で人とあまり会話を交わすことなく用を済ませる仕組みを作ってきました。
井戸端会議は生活の中で自然にできたコミュニケ-ションの手段でした。水道が井戸に代わったことで、煩わしい人間関係から私たちを解放してくれましたが、同時に人付き合いを学ぶ機会を失いました。人と人が孤立するようになってきたのです。
昔の生活に憧れるのは、一つには人と人とのつながりが今よりも強かったからだと思います。「風の橋」に出てきた青年が、幸せについて話していたように、心を許せる友達に囲まれて生きることが一番幸せなのかもしれません。
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