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絵を描く事を生業としています。
ふわっと浮かび上がってきた思いつきや、出来事やらをぼそぼそ書いてます。
日記をつけられません。
宿題は出来ません。
追い込まれて初めて動きます。
人生の色?
物凄くいろんな色で渦巻いてます。
2013/08/30
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カテゴリ: 日記
八月も最後の週末、TVでは盛んに防災のニュースが流れている。

ある年の夏休み、昭和20年3月10日の東京大空襲はどんなだったのか、
祖母に聞いてみた事がある。
夏休みの課題で調べようと思っていたからだ。

「あの時は火がぼーぼー燃えてね。
しょうがないってんで、二階から布団ぶん投げて、
おばあちゃんはそこに飛び降りて逃げたんだよ。
川には人が沢山ぷかぷか浮いててね。
あれはほんとに惨かったよ。」

私達姉妹は神妙に聞いていたのだが、
そこへ叔母が来て
「それは、大震災の話だろっ。もう、ごちゃごちゃになってんだから。」
「あれ、そうだっけ?へっへっへ(笑)。」
沈黙・・・・・・・。

話はそれきりになって、話題は別のほうへ滑っていったと思う。
聞かずして聞いた話だったので驚いたが、戦争でぷつりと切れてしまっている何かが、
その先へ繋がったような気がしたのを覚えている。

祖母の言葉は東京の下町言葉で、町内の頼まれ事とかに
「へえ。よござんすっ。」と歯切れ良く答えていた。
母の言葉も「おみよつけ」だの「押っぺす」だのそれなりに混じってはいたが、
関西育ちの私には、そんなものは時代劇の言葉だと思っていたので、仰天だった。

それから数十年。
そんな祖母も、夏の盛り、お盆のはじめに他界して5年になる。


肝心の3月10日だが、母は当時3歳に満たず。
最近になって、母より8つ年上の叔母に少しずつ話を聞いている。
その頃、一家のガラス工場は運良く焼けずに残った地帯にあり、被災を免れたらしい。
母は祖母と一緒だったらしいのだが、叔母は疎開中の出来事だったとか。
結局・・・折角の運も、戦後数年で火災にあって工場を消失してしまったそうな。


その場を訪れてみると、それなりに古い建物がその辺りだけ残っていたが、
前回の震災の為か、各世代に少しずつ入れ替わって行った建物の中に、新築の戸建が結構な数で混じっている。
昔ながらの瓦屋根・下見板の建物は、何とか無理やり補強したり、人も住まず取り壊される時を待っている。

そこから見るスカイツリーは近々と、天を突く巨大さであった。





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最終更新日  2013/08/30 10:36:57 AM
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