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現代人にとって「気滞」の問題は、避けて通れない複雑多岐の問題があります。
約2500年前には存在したといわれている、我々鍼灸医学の原典である『黄帝内経』(こうていだいけい)には、すでにそのことについて深く言及している。
そこには、自然と自分との関係、そして意識される自分と、意識されない自然と言う自分との関係の重要性が説かれている。
『黄帝内経』のはるか以前の太古の時代は、人間と自然が感性で一体となって繋がっていた。
1本の木を切るのにも、森全体との繋がりが意識されており、日本においても家を建てる時に奏上される地鎮祭の祝詞の中に、かつての自然と人間の関係の名残が見てとれます。
地鎮祭祝詞
時代と伴に自然と人間とを取り持つシャーマンは姿を消し、自然と人間は感性的に切り離されるようになってきました。
自然と切り離された人間は、そのまま個人の思考と内なる自然との関係に反映されます。
このような大きな流れの中で、思考と内なる自然がずれるようになり、一致させることが難しくなってきました。
元々『ひとつ』であったものが『ふたつ』に分かれ、さらに細かく分裂して本来性まで失ってしまった。
帰る道さえ忘れてしまった現代人。
ここに気滞の問題が生じ、病となる原点があります。
身体や感性は、極めて自然に反応します。
更年期障害は、その年齢に至るまでの、『おんな』としての生き方を問われることなくホルモンバランスの問題として扱われ、
癌は本来の成因を自覚することなく切り取られ、再発にただ恐々として最後の日が来るまで過ごし、
精神病は真にその背景を探ることなく脳内物質を外から入れ、見た目だけはかろうじて生きているように見え、
不妊症と病名をつけられると、性の営みの喜びを感じることより、子供が出来ないことを悩みとしてしまう。
様々な病気に潜む本源的なことを、誰が眼前に見せてくれ、解決してくれるというのだろう。
医療は、その場その場の解決に手を貸しながら、益々自らの必要性をアピールし、病気になる不安を煽る。
誰でもが安価に医療を受けることが、幸せなのじゃない。
出来る限り医療を必要としない生き方の延長に、本当の幸せがあるのだ。
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