いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.06.14
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 水泳の○島選手が世界記録を1秒あまり更新したそうです。

 その一方で水着の性能が騒がれているようですね。さて、「スポーツマン・シップ」(正々堂々)を考慮に入れまして、また○島選手の立場をお借りしまして、私なりの水着問題(水着選択)を考えてみたいと想います。(ここでは自分以外は全ての選手が問題の水着を選択したと設定します)

 「正々堂々」・・・やはり水着の性能に頼らず泳ごうか・・・そうすれば負けても言い訳がたち、余計なプレッシャーから解放されて100%の力が出て・・・上手くいけば優勝・・・これ以上の結末はありませんね。英雄です。世界記録はもう出しているし、前大会で金メダルもとっているし・・・どちらに転んでも損は無いかな・・・あれ、これって「正々堂々」?

 逆に「負い目」まで感じてきました。やっぱり負けても言い訳できないように皆と出来るだけ同じ条件(水着着用)で出ましょうかね。もっとも水着以前に体格差や練習環境の差といった不公平さもついてまわっていますがね。また、例えば平泳ぎの様な特殊な手足の掻き方になると、ある程度水に対する体の抵抗がないと効率よく体を押し出せないようにも感じますね。

 上・下半身の強さ、水を掻く・伸びる時間などの差により、選手によって(掻く力の強い選手は特に)例の抵抗の少ない水着も逆効果になったりするような「理屈」も付けられますかね。有名な学者によってそのような「理屈」が広められると、今まで記録を伸ばしてきた選手でさえ水着に対して不信を持ち始め、記録を落としてしまったりするように感じます。

 また、中距離マラソン界で国内敵無しと言われた選手がフルマラソンに初挑戦していましたね。以前より自信ありげな無邪気で強気のコメントも聞かれていましたが、結果は途中で体調を崩し、失速してしまいました。でも最後まで諦めずにふらふらになりながらも笑顔で完走していました。マラソンを見ている側からすると通常よりも強く感動を頂きました。

 ただ同じように頑張って1位になった選手のことがすっかり霞んでしまったようにも感じました。是非はともかく、私のように「理屈」でプライドまで考える人間にとっては、「棄権」を選択することも1つの「勇気」・「スポーツマン・シップ」の形でもあるように感じます。ただその選択は、強く受けたあの感動を失うことにもなってしまいますね。

 そしてあまり考えすぎるとどんな選択をしても「正々堂々」から外れてしまいそうです。結果的に能力に差が無ければ勝敗は着きませんし、個人差を確認するためにもスポーツ等はあるように感じます。少なくともスポーツに限っては、その人それぞれの満足に任せれば良いのでしょうかね。今回も他人を中傷する表現にもなってしまいましたかね?(謝)(08.6.1著)

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 若い人には「褒められると伸びる」タイプの人が増えていますかね。

 私はダメなんですよね。そもそも今まで何をやっても納得のいくことはありませんし(少なからず誰もがそうであると感じるので不思議なのですが)、そんな時に「褒める」されてしまうと、その人に対してがっかりしてしまうんですよね。「この人はその程度か」って。先生やコーチ・師匠などの立場にある人に対しては一気に冷めてしまい、信頼や尊敬も置けなくなります。

 私の子供の頃は、体育や美術・音楽等で賞を貰っても、家で両親に褒められた記憶がありません。賞をとって当然と言った雰囲気ですかね。貰ってきた賞状やトロフィーなども引き出しにしまわれるだけです。友達の家に行って、飾られたそれらを見るととても不思議でした。また、スポーツをしていると、時に相手の必死な姿を見てやる気が萎えてきてしまうんですよね。

 あの頑張った先に何があるのだろう・・・って。おそらく家族で喜びを分かち合ったありするのでしょうね。そんなことを考えるとワザと負けてもいいかなって思えてきます。自分には無用なモノのように感じますのでね。今ではそんな自分も悪くないと感じますが、特にスポーツなどで成功するには、「褒めて伸ばす」的小さい頃からの環境もとても大切に感じますね。

 そんな環境で育ったせいか、「負けず嫌い」の形も違いますかね。単純に表面上の勝負での「勝利」よりも、相手の背負っている諸々を感じ、時には表面上負けを認め、そんな自分に勝手に寛容さを感じ、より強く満足し、「勝利」を感じられたりするんですよね。私が得意とする「気遣い」にもそんなイヤラシさ・ズルさが多分に含まれているように感じますね。

 「スポーツマン・シップ」は何処へいったやら。そして他人の「弱音」や「愚痴」に安心を感じたりしているのですからね。矛盾だらけです。(笑)ただTVなどでスポーツを見ていると、表向きの勝敗よりも強い感動的な結末を好むように、無意識に演出のようなことをしている人を感じることも少なくないんですけどね。怪我をしている相手に手心が加わったり・・・。

 また優秀な選手のなかには、キザなコメントが言えたり、時には「きめポーズ」などを持っていたりする人も少なくないようですし、自分に酔えるような気質も感じられたりしますかね。そういったことからも優れたスポーツマンと役者(演技に関る人)に共通する気質を感じることも少なくないですね。「演技」とか言うよりも「別人格」的な何か・・・(08.8.15著)

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 「素直な子は伸びる」

 確かに先駆者に教わるモノは、素直である事が上達の「速さ」に繋がると感じますね。疑問を持たず、言われるがままに練習を積めば、その先駆者のレベルまでは先駆者程時間を費やすことなく辿り着きますかね。そんなことを考えると、子供が大人並みの才能を示すのも、その環境(憧れる大人の強い想い)によってはそんなに驚くことではないのかもしれませんね。

 ただ素直であるが故に、先駆者の限界までも引き継いでしまい、時には先駆者を超える才能の育成の妨げにもなりかねない気質であるとも感じますかね。子供の時に「神童」と呼ばれた人の大部分は、大人になって伸び悩んでしまっているようなことを聞いたことがあります。年齢や見た目のギャップが、プラスαの評価を生むことも少なくないと感じますかね。

 実際に一流と呼ばれる人達には、独自の哲学を持っている人も少なくないように感じますかね。時にはタブーとされていることをあえて取り入れたりする逆転的発想を持った人も少なくないと感じますね。「誰もやらないことを・・・」的な他人よりも頑張っている感覚を得る手段の1つにもなると感じますが、ある意味そうしたことは素直でない人の才能ですよね。

 ただし誰も通った事のない道を進むため、芽が出るまでに時間を費やし、自分を潰したりもしますかね。どちらも大切で、同時にリスクも備えているモノのようですね。もっともそのような理屈に捉われない「割り切り」(柔軟性)こそ重要なのかもしれませんけどね。

 そして「素直になりたくない」と感じた時、素直にならないことが欲求に素直であると言うことでしょうね。(09.5.28著)

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 日本はスポーツをする環境が悪い?

 確かに他の国を見ると報酬などが桁違いに高かったり、また国を挙げてスポーツに力を入れている所もあるようですね?そして私も日本人の根底にはスポーツに対する感じ方に他国とは異なるモノも感じますかね・・・何といいますか・・・職業(仕事)と言うよりも趣味とか余暇に楽しむモノ的感覚が・・・少なくとも私の中には強くあるように感じますかね。

 大部分の人は他の仕事において稼いだお金を遣って趣味などを楽しんでいる訳で、多くの時間を自分の好きなことに割けていて少しでもお金が入ってくるなら恵まれて・・・最も「日本はスポーツをする環境が・・・」という声の多くは選手自体からのモノではなかったりもしますけどね。最近その声を聞いたのは女子サッカーの栄誉に対してのモノでしたが・・・

 本当に日本がスポーツにとって悪い環境であったとしても、ワールドカップで優勝してしまった訳で、その真偽はともかく、必ずしも環境の良し悪しに強さが繋がってくるとは自ら言えなくしてしまっているように感じますがね?(12.1.4著)





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Last updated  2012.02.25 13:42:59
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