いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.08.02
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 私は、日本のドラマや映画が苦手です。

 何ていうか・・・演じている役者さん達の日常(裏)が伝わってくる様な、照れくさい様な感覚に映画のスジに入り込めません。また、役になりきって演技してしまえる人の「才能」にも少し怖いモノを感じられて、ここにも「不信」が生まれ、これまたスジに入り込めなかったりしますね。

 それに比べて洋画はそうでもないんです。西洋人のあの目が人形みたいで・・・そう、CGやアニメーションを見ている感覚に近いですかね?もっとも西洋人同志では同じように、「アイツは大根だ」などの会話も普通にあるでしょうがね。早く言えば、より「他人事」なんでしょう。西洋系の人達には、良くも悪くも「純粋」(鈍感)を感じられる事が多いです。

 それに比べ東洋系・・・特に日本人の多くには、これも良くも悪くも「裏表」(敏感)を強く感じられます。自分も同じ民族で身近なこともあると感じますが、その「裏表」が映画のスジに集中することへの妨げになっているようにも感じます。制作的な制約に大きな原因を感じますが、そんな国民的気質からもアニメーションが発展する事に妙にうなずけます。

 色々な意味での敏感な人が、「純粋」を求める1つの形のようにも見えます。今ではヨーロッパなどで日本のアニメーションが流行っているようですが、またちょっと日本のそれとは別の感覚です。そして「建て前」的な気質に日常的に振り回されることも多いですが、普段の生活においては外国人のストレートな気質よりも過ごし易さも感じています。

 音楽の趣味もそこに通じていますかね?元々、学校唱歌、滝廉太郎などが好きですが、ハルメンズや戸川純に出会ってから80年代のニューウェーブ、有頂天・ローザルクセンブルグ・・・etc、とてもお世話になりました。そして、なんと言っても洋楽、レッドツェッペリン(祝再結成)ただ、カラオケで歌うんだったら、演歌ですかね。(笑)

 特に日本のドラマや映画・音楽は、非日常的で、大げさで、漫画見たいのが良いです。まあ「嫌いも好きのうち」といいますが、「苦手」には、得てして裏腹の気持もあったりしますかね。(他人に見る嫌な所程、自分の中にも強く感じることがありませんか?)私も日本人ですしね。(笑)(07.10.6著)

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 日本では優秀なギターリストでもそれほど日の目を見ないように感じますね。

 どうも「歌」(歌詞・言葉)がないと、日本人にはあまり広く受け入れられにくいようにも感じますかね。言葉は人によって曲に乗せたほうがメッセージ性(関心)も強まり、また曲もそんなに耳に新しいモノではなくても、TV・CM(メディア)また人気歌手などでタイアップされると本来の質(オリジナリティ)以上にウケが良かったりするように感じますかね。

 歌詞の内容に自分を重ね合わせたり、その曲が遣われたドラマや映画を思い出したり、その曲が流行った時に自分に起きた出来事を思い出したりして「嬉しい」や「悲しい」だったりして感動するのでしょうね。確かにそこに音楽の力は感じますが、それって少し音楽に対して間接(理屈)的な感動にも感じますかね?もちろん是非の問題ではありませんが、ちなみに・・・

・・・私は好きな歌であっても曲名を含め、歌詞の内容を理解しているものはほとんど無いですね。基本的に洋楽趣味ですが、唄える日本語のモノであっても改めて歌詞を追って言葉のみの「調子」に意識を合わせようとしなければなりません。「歌(声)も楽器の一つ」的感覚で聴いているようです。そしてまたメッセージ性よりもオリジナリティを望んでいるようですね。

 音楽を通して世界平和を・・・とかよりも、単純に(出来れば新しい)リズムやメロディーで気持ち良さを味わいたいと言いますか。事実、歌詞のない曲で涙が流れますしね。「嬉しい」や「悲しい」ではないんですね。頭から背骨がゾクゾクして勝手に出る感覚・・・そんな時にはそれを客観的に感じる別の自分も感じます。そう、施術の時にもそんな感覚があります。

 もっとも皆無意識にも純粋にリズムやメロディーで感動しているのでしょうけれどもね。となると私は損しているようですね?(笑)そして普段は照れくさくて言えない素直で純粋な台詞も、曲に乗せる(作品にする)と比較的表現し易かったり、その時の気持ちを代弁してくれたり、ある意味純粋を求めるような欲求の形の1つなのでしょうかね。

 また我々が聞いていた古い音楽も、それを知らない若い世代には新しい音楽として改めて受け入れられたりもしていますかね。そんなサイクル的なモノに早く生まれた優越感や、世の中の基本(無限)を感じたりしますね。(08.10.10著)

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 日本人は見えない所まで手間を掛ける。

 先日TVで、日本の下町の工場で働く職人さんを紹介していました。部品の仕上げをするのに、組み立ててしまうと見えなくなってしまう所までキチンと磨いていました。確かに建築の仕事においても日本人の職人さんは、仕上げで見えなくなる所まで手間を惜しまず綺麗に納めますね。隠れるまでに誰に見られるか分かりませんし、技術的プライドも強いですかね。

 私も輸入住宅の仕事において欧米の職人さん達と一緒に仕事をしたことがありますが、その辺は雑で、役割分担もハッキリしているようで、仕上げをする(外国人)職人に引き継いでも文句の出ることも少なかったですかね。よく言えば「合理的」なのですかね。「日本製」の品質の高さには、そんな非合理的な手間(想いのかけ方)にも要因があるように感じますかね。

 アメリカ人には肩こりが無い?

 これもまたTVで耳にしたことですが・・・とは言うものの、やはりコンを詰めるとアメリカ人も日本で言う所の「肩こり」の症状は出ると感じますけどね。ただおそらくその度リフレッシュしたりして発散することが上手な気質なんでしょうね。仕事場にリフレッシュ出来る道具を持ち込んだり、企業側がそれらを用意したりすることも珍しくないようですし・・・

 また労働時間(拘束感)などに違いもありますかね。ただ私も「肩こり」の感覚が解らないのですよね。結構集中するタチで、他人に触らせると凝っていると言われるのですが辛さを引き摺りませんし、心のどこかで「一時的にもそうなるのは当たり前」・「寝ればリセットされる」ような想い込みもあり、あえて「肩こり」を「病気」的位置にはおいていませんかね。

 ただ周りが自分の頑張りに気付いてくれない時や、また何もする事がないと逆に「あ~肩こった!」なんて言ってみたりしますかね?(笑)また、この「肩こり」(疲れ)など、日本のように強い『関心』事になってしまっていると、その『関心』事になっている範囲内では他の所より強く病気の要因に繋がったりするようにも感じますかね。(09.10.15著)

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 日本の女性はミーハーが多い?

 私は外国の女性を知らないので言い切れませんが、知人の女性は普段あんなに政治家の悪口を言っていたにも拘らず、「この間○○さん(有名政治家)にあってさ~ぁ、一緒に写真を撮ってもらっちゃた♪」でした。TVなどでキャーキャー言いながら政治家に握手を求めるおば様方もよく眼にしますが、これでは政治家は改めず、いつまでも変わらないでしょうね。

 また韓流スターの人気も凄いですが・・・日本人は国内でも田舎と呼ばれる所で暮らす人にはそれだけで純粋なイメージをいだいてしまったりするように感じますが、他のアジア諸国に対しては今だ先進国的優越感も残っているように感じ、そういった心理が他のアジア諸国の芸能人にも少なからずはたらいて、日本の女性も純粋さを感じて惹かれたりもしますかね。

 個人的には韓国人に日本人よりも我の強さや金銭的したたかさも感じたりもしますがね。そして主婦さんの「彼等は私の人生の全て!」という言葉には旦那さんに対して同情も感じますかね。(笑)最近の日本の芸能人には、一般人と比べても特に容姿の良さも感じないにも拘らず、人気を得られている人も多いように感じますかね。身近な所が好まれる時代とか・・・

 前記の政治家の件なども直接会うと親近感が湧いて情が生まれたりすることも感じますが、その他芸能人やブランド品などを見ても、単に有名になったモノが好まれ、他人と同じ行為・センスによって安心を得るような意味合いも少なからず感じますかね。特に他人の目を気にする日本人は、皆が騒ぐモノには乗って置かないと不安を感じたり・・・?

 またCMなどにおいて有名人が時には企業の商品を直接的に褒めたりして広告塔的なことをしていますが、その商品に問題があった時はその有名人達の責任も大きいと感じますがね。単に彼等の言葉だけを信頼して購入する人も少なくないように感じますし、企業や有名人達にもその自覚を感じますからね。「※個人の感想です」ではすみませんよね。(10.8.29著)

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 日本人俳優の世界での評価も上がってきていますね。

 ある評価の高い日本の俳優が、「一度役に入り込むと撮影が終わってもしばらく役から抜けられない」と言っていました。また役づくりのために時には全ての周りの人と距離を置いたり、髪や歯を本当に抜いてしまったりするようですね。プロ意識の高さも感じますが・・・本来「演技のプロ」と言うのであれば、逆に1カットが終わる度に普段に戻れないと・・・

 自分の意に反していつまでも役を引き摺って自分自身に戻れない人を、またその場だけを優先して次の仕事に差し支えのある役作りをしてしまうことが本当に「演技のプロ」とか「プロ意識の高さ」と言えるのでしょうかね?時に『不器用』さも感じますがね?今はメイクや映像技術が発達しているのでそういったスタッフを信頼して割り切ることもプロと感じますがね。

 もっとも監督も「入り込む役者」の方を望むのでしょうけどね?また名スポーツ選手などにおいても「自分自身に入り込む・酔う」ような演技的才能を感じたりしますかね。名選手に限って歯の浮くようなキザ台詞が言えたり、キメポーズを持っていたりする人も少なくないですよね?日常においてもそういった才能の人も見ますが、多くが世間で認められていたり・・・

 社会的地位が高いところにも居たりして・・・個人的にはそういった結果に羨ましさも感じるのですが、どうしてもそういった人達に客観的に見て気持ち悪さや怖さも感じ、また同じようにして常に複数の自分が同時に自分を見ていて、私は気持ち悪くて1つの物事に入り込むことが難しいのですよね。これもヒトとしては『不器用』ってことですかね。(10.9.12著)



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Last updated  2012.06.30 13:04:35
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