いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.08.18
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陶器A

 昨晩の「古武術」の番組を見て思い出したことを記したいとおもいます。

 私も他の「気」の世界観に触れてみたくて、ちょっとだけ合気道を習ったり、気功の学校に通ったりしていました。呼吸と力の関係など相い通じる事も多く在りましたが、私が強く惹かれたのは、最終的に思いもよらない大きな力を出すときに使われる「無」と言う表現でした。

 不思議なんですよね。「何も無い」「何も考えない」様にすればするほど逆に色々なモノが体に入って来る感覚が強まるんです。「想い」が無意識の中で逆に強まって行く感覚なんです。その世界観の人からみれば集中できていないと片付けられてしまうのでしょうし、確かに武道で必要とされているモノとはズレを感じます。

 ただそこで得たのは私の感覚で言えば、「無」とは、何でも受け入れられる心の懐の深さを表す様に感じられ、「何も無い」と言うよりもむしろ「全て在る」と言った「無限」の意味を強く感じとれる体験でした。どの「気」の世界観にもそれぞれ特有の力と大切な役割を感じます。ただ自分の感覚にも嘘はつけず、お互いの世界観を潰し合わない距離を心がけています。

 どんな世界にも多様性が大切と感じています。また昨晩の古武術の先生の「余計な事は考えないで」の表現には、前記した意味の「無」の他に、今成し遂げようとしている事を打ち消してしまうような逆のイメージの「想い」を指している様に感じとれます。得てして人は、負のイメージの「想い」の方が容易に強められる様です。

 「無」には、科学等の主世界観の中に存在をしなければならない「気」の世界観の立場上、想った様な結果が得られなかった時に自分を守るための「保険」の様な役割も感じます。他世界観の人がその世界観に浸かるために必要な「心のアジャスター」の様な、その世界観の創始者の深い意図も同時に感じとれます。

 良くも悪くも「想い」は、その信念(気?)の高まりによって確信に進み、具現化されていく様に感じます。(07.7.6著)

・ ・・・・・・・・・

ホシイモノガ無イ

イキタイトコロモ無イ

ヤリタイコトモ無イ

ア~腹ヘッタ

腹ガヘッテタスカッタ



ソンケイスルモノガ無イ

ソンケイサレルワケデモ無イ

ソレヲノゾムワケデモ無イ

ア~腹ガタツ

腹ガタッテタスカッタ

「親友の声」より

・・・・・・・・・・

やりたい事を探そうか・・・

何がしたい・・・

誰もやったことが無いこと・・・

それじゃ外には無いね・・・

じゃあどうする・・・

在るモノ全て否定してみるか・・・

上手くいけば何か残るかもね・・・

最悪「無」でも気持は納得するか・・・

他人のまねよりはね・・・

「親友の声」より(09.12.23著)




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Last updated  2012.03.04 16:40:00
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