ね~さん流

ね~さん流

PR

Profile

乃春

乃春

Calendar

Archives

Jun , 2024
May , 2024
Apr , 2024
Mar , 2024
Feb , 2024

Keyword Search

▼キーワード検索

Oct 10, 2009
XML
カテゴリ: 歴史・歴史本
道後温泉でサッパリした 後は、 再び城 へ。え!?

風呂上がりのおビールも我慢しまして、ドライブドライブ、 宇和島 へ。

またまた 現存天守 の一つ、今度は 「宇和島城」

築城の名手、 藤堂高虎 が慶長6年(1601年)築城したのが始まりで、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。

2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成したときの姿を現在に残しています。



高虎は、 築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城しました。

高虎の築城は石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり、同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正(熊本城や名護屋城、蔚山倭城、江戸城、名古屋城)と対比されます。


これがまた、お山の上でござれば。また汗だくなんだからもー


天守               台所跡

そして、ここでもお靴を脱ぎまして、いざ中へ。スリッパで、

 そぉ~りゃぁ~っ、突っ込めぇ~っ

本日2回目(笑)。


現存天守の中で、唯一廊下の内側に障子戸が残り、畳敷きの名残である「高い敷居」があり簡略化されがちとされる江戸時代中期の天守では安土桃山時代から江戸時代初期にかけての古い意匠が用いられています。

壁には狭間や石落しなど戦いの備えが一切なく、窓には縦格子があるものの、五角形にして外を眺めやすくしています。


内部には、展示物がほとんどなく、当時の雰囲気そのままに感じることが出来ます。

こじんまりとはしておりまするが、建物・石垣等、古い感じが時代を物語っておりましてね。

 現存は良いですなぁ

城山東北側の 藩老桑折(こおり)氏武家屋敷門 (昭和に移築)から入りまして、 一の門 二の門 などいくつかの門跡を通り、 天守 、そしてぐるっと回って城山南側の 上り立ち門 からお帰りでございました。

いやぁ、お城って広い・・・。


宇和島城も堪能したでござる。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Oct 14, 2009 07:24:40 PM
コメント(0) | コメントを書く
[歴史・歴史本] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: